「今回はありがとう。とっても楽しかったよ!」
東雲と藤黄のスクールアイドルが揃って頭を下げる。
礼を言うのはこちらだ。彼女たちの協力あってこそ、今回の大成功がある。
「それはどうも。よければ、これからもあの子たちをよろしくお願いします」
「そうだね。まだまだ長い付き合いになりそうだよ。君にもまだ貸しが残ってるしね」
東雲の支倉かさねさんがウインクする。以前のヴィーナスフォートでの件を言っているのだ。
そうだね、と僕は小さく返す。忘れてたわけじゃない。ちゃんと覚えてる。だけどその貸しは、あくまであの時は僕個人が頼みにいって、叶えてもらった願いだ。虹ヶ咲を巻き込むわけにはいかない。
練習を見るとか作曲するとか、僕個人だけで済む内容で留めてもらうようにしよう。
見送って、その姿が見えなくなると、どっと疲れが押し寄せてきた。
緊張の糸が切れたんだ。ここ最近張り詰めっぱなしだったから、その反動でだいぶ体がだるく感じる。
背中と肩に重りが乗ったようなずしりとした疲労感と、膝まで沼に浸かっているような沈んでいく感覚。
「これで、フェスティバルも終わりかー」
「終わってみればあっという間だったね」
「この後、ちゃんとした打ち上げしよう。お兄ちゃんと一緒に」
「さんせ~い」
照りつける太陽は。大好調で僕らに熱を向けているというのに、彼女らはまだまだ元気だ。
そんなみんなの注目を、高咲さんは手を叩いて集めた。
「その前に休憩とろう。みんな朝から働きっぱなしだったからね。それに、ちゃんと話しておきたいこともあるし」
彼女の目は、僕を捉えて離さなかった。
△
フェスティバルの片付けも終わり、参加してもらった二校とも別れ、僕らは部室に戻ってきた。
なぜか、高咲さんは優木さんを伴ってどこかに行ってしまった。すぐ戻るそうだが、何をしているのやら。
ずっしりと重たい体を、パイプ椅子に預ける。もうお昼時だというのに、かなり動いたはずなのに、食欲がわかない。
水を飲んで、休憩しつつも喋る女子たちを眺める。元気でいいね。僕はもうすっからかんだよ。
やがて、高咲さんと優木さんは部室に戻ってきた。両方とも沈痛な面持ちだ。
何枚かの紙を握り締めた優木さんは、笑顔を消して僕を見る。その前に、高咲さんは一歩踏み出した。
「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ。湊さんのことについて」
いつになく真剣な声色に、先ほどまでの楽しい雰囲気は霧散した。みんな姿勢を正して、次の言葉を待つ。
高咲さんはさらに一歩、足を進めると、前置きもなくばっさりと言葉を放つ。
「さっきのはどういうことですか。いなくなる、って」
え、と全員の目が、一斉にこっちに向く。
急にそんなことを言われた八人分の困惑の目、そして高咲さんと優木さんの疑問の表情が、僕に注がれる。
「辞める気ですか? 私たちの前から、いなくなるつもりですか?」
言い間違いのないよう、高咲さんは一語一語ゆっくりと問う。先ほどの僕が言ったことを、改めて聞くつもりだ。
震える唇、そわそわと忙しない指。明らかに動揺が浮かんで見える。僕が答えないのを見て、他のみんなにも落ち着きのなさは伝播していく。
もうこの時点でほとんど答えはわかったようなものだ。違うなら違うと言えばいい。そうしないということは、つまりそういうことなのだ。
突きつけるように、あえて宣言する。
「そうだ」
小さく頷く僕の様子を見て、彼女たちは息を呑んだ。
疑念は確信に変わり、空気は鉛を含んだかのように重くなる。
冗談でしょ、とは誰も言わなかった。
「どうして?」
状況が飲み込めないまま、恐る恐るといった感じで、朝香さんが言う。そんな崩れてしまいそうな姿に僕は目を合わせられず……今度はエマさんが前に出た。
僕は下がる。けど、扉近くには優木さん。逃げ場はない。
「悩みがあるなら言ってよ。同じ仲間でしょ?」
「僕は、そうじゃない」
そこにいた誰もが、ひどく動揺して、追い詰められたようにたじろいだ。
「僕は、違うんだ」
もう一度、念を押して言う。
そこまで言うならしょうがない、と諦めてくれるのを待った。だけど一人として、納得した者はいない。
「それって、これに名前を書いてないからですか」
バッと、証拠を叩きつけるように、一枚の紙を取り出した。新しくスクールアイドル同好会を立ち上げた時の、創部届だ。
中須さん、高咲さん、上原さん、エマさん、近江さん、桜坂さん、優木さん。新しく作った同好会の初期メンバー七人の名前が書いてあった。続けて、宮下さん、璃奈、朝香さんの入部届も出してくる。
「さんざん探しましたが、どこにも、あなたの名前が書いてありませんでした」
「その通りだよ」
優木さんがスクールアイドルとして復活し、同好会が再結成されたあの時、創部届を書いたのは僕だ。生徒会に出す書類は慣れているから、と
僕が書いたことを確認せずに、そのまま提出したのは高咲さんと中須さん。当時受理した副会長は、そんなこと露知らずだろう。もちろん、狙ってやった。優木さんなら……中川会長なら気づいただろうから。
つまり、創部届と入部届に書いてある君たち十人は、スクールアイドル同好会。僕は違う。天王寺湊はあくまで協力者でしかない。
思いきり乱暴な言い方をしてしまえば、部外者だ。
「そういうわけだから、僕はいなくなるんじゃない。元々、いなかったんだ」
事実を突きつけられて、信じられないという顔で固まる同好会のメンバー。
「そんな……どうして」
エマさんの呟きも、静寂な空気の中に消えていく。
誰も声を発することができなかった。宮下さんでさえ笑顔をなくし、朝香さんも軽口や鋭い指摘はない。
「だめですよ、そんなの。湊先輩がいないと……私のこと、ずっと見てるって約束したじゃないですか」
中須さんが顔に影を落とす。今にも泣きそうなくらいに肩は震えて、身長より小さく見える。その中須さんに手を添えて支えながら、宮下さんが僕を見る。
「みーくん、楽しくなかった?」
首を横に振る。
「だったら!」
詰め寄ってくる彼女から一歩後ずさりながら、また頭を振る。
離れるたびに、拒むたびに胸が痛くなる。痛いのは彼女たちなのだから、僕がそう感じるなんて筋違いだ。
歯噛んで、出かかった弱音を潰す。
「苦しいことは分け合うんですよね」
「僕にはそんな資格なんてない」
上原さんへ、今度ははっきりと言い放った。
まだ二学期も三学期も活動は続いていく。途中で抜け出すのは無責任だって分かってる。でもこれ以上はだめなんだ。
君たち同士は、同じスクールアイドル同好会の仲間だ。ライバルだ。固く繋がった友だちだ。そこに僕の居場所はない。あってはいけない。
僕が、僕自身が君たちの間にいることを許さない。たとえどれだけ君たちが僕のことを擁護してくれても。
「理屈はなんとなくわかるけど、自分は例外かもしれない」
心を見抜くようなことを言ってみせたのは、桜坂さんだ。
「そうですよね。そう思ってるんですよね、湊先輩」
これを言われているのが他の人だったら、僕も桜坂さんの言葉を後押ししただろう。そして、大丈夫だから安心してと言う。けど、突きつけられているのは自分自身。
最後まで見守るのも、やりたいことをやるのも、他の人がするなら背中を押す。だけど……どうしても、自分が普通に、笑って過ごせて良いとは思えない。
――僕は、罰を受けなければならない。
ずっとそう思ってきた。そう思わないといけないと、戒めてきた。
「昔から、お兄ちゃんはそうだった。つらいことも悲しいことも一人で抱えて、でもそんな態度を私の前で見せようとしなかった。ずっと、ずっと」
膠着状態を破ったのは、璃奈だった。潤んだ小さな目が見上げてくる。
「私とお兄ちゃんが、本当の兄妹じゃないってことと関係があるの?」
ビシリ。
空気が一変した。先ほどとは違う緊張感に包まれ、僕も冷や汗が出る。ぞわっと総毛立つ。
何を言われても言い返すつもりでいたのに、急に困惑して、上手く言葉が出てこない。う、とか、あ、とか戸惑って、ようやくほんの少しだけ頭が働きだした。
「誰に聞いたんだ」
「お父さん。高校に上がる時に、大事な話だからって」
そうだ。決まってる。こんなこと、お父さんかお母さんしか言わない。
璃奈に話して大丈夫な時になったら打ち明けるという約束で、黙ってもらっていた。
『その時』は、もっと遠く、お互い大人になって、今よりもっと距離ができて、僕のことなんか気にならないくらいに来ると思っていた。
なのにこんな早く……まだまだ一人で生きることなんてできないこんな時に……!
「関係、あるんだよね」
今度は確信めいた口調で訊いてくる。璃奈の視線は、僕を射抜くようにまっすぐ。
その目を怖いと思ったことはなかった。今も思ってない。だけど、押されるようにして、僕の足は後退を選ぶ。
いつの間にか壁に追いやられて、動けない。傍目から見れば、なんと情けない姿だろう。それでも、璃奈はじっと見てくる。
怖い。
いつか真実を知られる覚悟はしていたはずなのに、急に言われて、心がざわめく。
どうしようもない人間だと自覚して、言って、見せてきたはずなのに、そう思われるのが、怖い。
「家族の話だ。みんなには……」
「話して、お兄ちゃん。なにもかも、全部。じゃないと、私もみんなも納得しない」
大事なところで、璃奈は決して引かない。、失望して、罵って、去ってしまってもいいこんな時にも。
「お願い」