全部話し終わった後、みんなは何も言わなかった。何も言えなかったというほうが正しいか。
沈黙のまま、誰も動けずにいた。
当然だ。こんなこといきなり聞かされて、困惑しないほうがおかしい。
話してと言った璃奈も、様々な感情が入り混じった顔を向けてくる。
同情するような目で見られて、いたたまれなくなって、一人で部室を出る。
お互い、考える時間が必要だろう。僕をどう扱うのか、決めるのはスクールアイドル同好会である彼女たちだ。
気づけば、校舎の屋上まで来ていた。優木さんを説得して、ゲリラライブを行ったあの場所だ。
あの時も、こんなふうに空がオレンジ色で、少しの風が吹いていた。同じように手すりにもたれかかっていた記憶がある。
そして……同じように、誰かが背中から近寄ってきていた。
唯一違うのは、そこにいたのがエマさんだってこと。
胸の前でぎゅっと拳を握る彼女は、足を踏み出した。
「……一度、同好会が解散したことがあっただろ」
迫ってくるのを押しとどめるように、言葉で制する。
「僕が止めるべきだったんだ。そうすれば、君たち同士で亀裂が走ることもなく、途切れることなく、同好会は続いていた」
実際はどうだったかなんて知らない。けど、まるで決まったことかの様に断言する。
「けど僕は出来なかった。怖かったんだ。僕が下手に口を出して、関係が壊れるのが。無力だった。どれだけ曲を作っても、練習メニューを考えても、人と人を繋ぐことが僕には出来ない。そう考えたら、なんだか全部薄っぺらく思えたんだ。僕の曲も思想も言葉も……全部が」
同好会にいたのは……全部投げ出したくないちっぽけな責任感と、あの事態を引き起こした僕がどうにかしないとっていう義務感。
「高咲さんが優木さんを同好会に引き戻した時には、正直参ったよ。結局、僕は逃げ回ってるだけなんだって、思い知らされた」
一番痛感したのは、この前のフェスティバルの打ち上げの時だ。扉の外から、みんなの笑い声が聞こえた。大きな催しを成功させた歓喜の声。
それがとても楽しそうで、嬉しそうで……
なんだか……十人で完成されてるような気がしたんだ。僕の居場所なんてどこにもないような、少しの隙間もない、ような……
「そういうことだ」
辞めるって言っても、元々一員ですらないんだけど。それが正式にいなくなるってだけ。
「それだけの……話だよ」
「湊くんは、それでいいの?」
「もちろん」
いいわけない。
「半年に満たないくらいだったけど、楽しかった」
もっとみんなと一緒にいたい。
「これだけの人数のサポートなんて、滅多にできない経験だしね」
もう限界だ。一人は嫌だ。これ以上は、耐えられない。耐えたくもないんだ。
「だから、これで良かっ……」
「嘘をつかないで!」
エマさんの怒号に、僕は驚いた。
これまで強気に出ることはあっても、こんなに声を荒げることなんてなかった。
「私たちから逃げないで」
痛いところを突かれた。でも……
「これ以上、君たちを傷つけたくない」
僕の無力さのせいで大切な人が悲しい顔をするのを見ると、自分で自分が情けなくなる。
もっと何か出来た。何か変えられたはずだった。そして結局、僕なんかじゃ何も出来るはずはなかったと結論づく。何も。何もだ。
だって僕だから。僕が僕だから。僕がそういう人間だから。
もっと早くに話すべきだった。これ以上、僕の周りで何かが壊れてしまう前に。
本当は、同好会が再始動する時にいなくなるつもりだった。それが、みんなをデビューさせるまでに変わって、フェスティバルが終わるまでに延ばされていった。
わがままと弱さが原因だ。過ちを犯してなお、そんなことをしてしまう。どうあっても人に惹かれてしまう。
だったら、だったらもう、一人になるしかない。璃奈にも僕のことがバレてしまったなら、早く独り立ちして、どこかでひっそりと暮らすしかない。
突き放すような僕の言葉にも、エマさんはぶんぶんと頭を振った。
「傷つくなんて当たり前だよ。みんな真剣だから、出来なかったときは落ち込む。うまくいかなかったらへこむ。衝突もする。喧嘩だってする。それでも支え合って立ち上がる。湊くんが沈んだら、引っ張り上げたいって思う」
どうして。どうして。
人生の中で何度も問いかけた疑問が脳をかき混ぜる。
その一方で、エマさんの言葉は頭の中にすっと入ってくる。
「それくらいさせてよ。湊くんが私を幸せにしてくれたみたいに、私だって湊くんを幸せにしたい。私のことをまだ強いって思ってくれてるなら、信じてくれるなら……だったら一緒にいて。私が傷つくくらい、覚悟してよ」
その言葉に、僕は度肝を抜かれた。
彼女たちの強さは知っているはずだった。だけど、それはまだまだだった。
あんなにつらい思いをしたはずなのに、これからもそれ以上のことが待っているかもしれないというのに、前へ前へと進もうとしている。
その彼女が、こうして必死に僕を呼び戻そうとしている。
ああそうか。僕が信じきれていなかったんだ。エマさんや同好会のみんななら手を差し伸べてくれると、助けてくれると思ってなかった。
優木さんが僕の手を振り払った時のように拒絶されるのが怖くて、自分から触れることも出来なかった。けど、もう一度信じていいのだろうか、エマさんたちを、自分自身を。
甘えていいのだろうか。わがままを言ったことで、天から罰を受けたりはしないだろうか。
心が傾くと、苦しくて、つらくなって、痛くなる。過去が押し寄せて、僕自身を抑えつけてくる。
――でも、でも。
溢れ出る感情を、もう止められなかった。
いや、最初から漏れ出ていたのだ。だって、僕はずっと……
――ここにいたい。
「僕は……」
それを伝えていいのかわからないけれど、答えないことは今までのどんなことよりも酷いことのように思えて、口を開く。
僕にならいくらでも罰を落とせばいい。だけども今は、今だけはどうか見逃してほしい。
「もし許されるなら……幸せになっていいなら、みんなの隣にいたい」
彼女たちが、僕のことを可哀想だと思わないように、涙は決して見せないつもりだった。けど目は潤んで、声も涙声になる。
親にも璃奈にも自分にも言ったことのない、ずっと抱えてきた嘘偽りのない願い。
曝け出すのは、エマさんが初めてだ。
「許すとか許さないとか、そんなの関係なく、私の隣にいてほしいの。他の誰でもない、湊くんに」
まるで夢かと思うくらい、望み通りの言葉が返ってきた。
「湊くんに私の姿を見ててほしい。話も歌も聞いてほしい。湊くんに触れてほしい」
エマさんが近づく。反射的に一歩下がってしまう。だが、彼女は逃がさずに、距離を詰めて僕の手を掴む。
暖かくて柔らかい手だった。離すまいとする強い力だった。
「まだまだ一緒にやりたいことがたくさんあるの」
顔を上げると、なんの恨みもない表情がそこにはあった。
愛しいものを見るような、慈しむような、優しく綺麗な顔。それらに混じって、決してその場所をどくまいとする意志の固さがある。
「湊くん、来て。みんなが待ってる」
△
エマさんは僕と手を繋いだまま、ずんずんと校内を進んでいく。連れられるがままに、僕は足を動かした。
「この中だよ」
そう言って彼女が指差したのは、とある扉。閉ざされた扉。僕よりも少しだけ大きいだけなはずのそれは、今は途方もなく巨大に見える。
ぴたりと、手と足が止まってしまった。
怖い。
何が起こるのかわからない恐怖が、心を支配しかけた。
このままついていくのが、正しいことかどうかわからない。
「……ここで、あなたは帰ることもできる。でもそうしても、同好会は諦めてくれないわよ」
たびたび僕の前に現れた女性が、後ろから声をかけてくる。
何もかも見透かしたような瞳は、真っすぐに僕を射抜く。
その人は母だった。僕が幼かった時の記憶そのままの母。ずっとずっと、僕の頭の中だけに存在して話しかけてきた幻覚。
「湊がどれだけ避けようとしても、あの子たちはきっと手を伸ばし続ける」
父もいた。最後に直接見たのは十数年前。でも僕の目には、顔のしわまでくっきりと映し出されている。鏡で見るのと同じ目も、ごつごつした手の大きさも、優しい声も、鮮明に。
その声で、これまでずっと、二人は言葉を投げかけてきた。本当にそこにいるかのように。
どうして?
両親たちが死んでから繰り返してきた同じ問いを、再び投げる。明確な解答なんて知らないくせに、駄々をこねる子どものように反芻する。
母は、ふふ、とほほ笑んだ。もう分かってるくせに。そんなことを言いそうな表情だった。
「知りたいなら向き合うべきよ。だから自分の気持ちを伝えたんでしょう? 大丈夫。きっとあの子たちが、答えを教えてくれるはず」
僕はエマさんのほうへ振り向く。
『何故』を、他人にも自分にも問い続けてきた。返ってきた答えがわからないふりをした。桜坂さんに言われたように、自分だけは当てはまらないと逃げてきた。
だけども、彼女たちと共にいたいなら、正面から受け止めるべきなのだ。言葉を、そのままに。
エマさんが扉を開ける。意を決して、その中へ入る。
僕を迎えたのは、薄暗い空間。全校生徒が入れる大きなホールだ。
壇上にのみスポットライトが当たっていて、そこにはたった一人だけ、高咲さんが立っていた。
「湊さん。どうぞ、そこへ」
高咲さんは目の前の最前列席を指差す。僕は少し呆気に取られたが、従って足を進めた。静寂なこの場では、この足音ですら響いているように感じる。
一番前からステージまでは、ほんの数メートル。そこを見上げたのはいつぶりだろうか。
「どうぞ、座ってください」
もう一度促してきた。 エマさんも僕の手を離して、頷く。
何が始まるのかわからないけれど、逃げないと約束したんだ。怖くても、今回だけは避けられない。
椅子に深く腰掛けると、高咲さんは後ろ手に持っていたマイクのスイッチを入れて、息を吸った。
「湊さん。私はあなたに助けられてきました。いろんなことを見てもらって、学んで、成長できました。今度は、みんなのことを湊さんに見てもらいたい。湊さんだけに向けた、このライブで」
彼女はそれだけ言うと、一礼して舞台袖にはけていった。入れ替わるようにして、複数の足音が聞こえて、暗い壇上に人影たちが現れる。
パッと、ステージに明かりが点いた。
虹ヶ咲スクールアイドルのみんながステージ衣装を着て、あの時、スクールアイドルフェスみたいに九人並んで……まるで今からライブするみたいじゃないか。
中須さんが一歩前へ出る。
音楽が流れ、合わせて彼女は踊りを始める。
「目を逸らさないで見てください!」
中須さんの『Poppin'Up!』だ。作るのに苦労した曲。
可愛い曲はアイドルとしては王道だけど、僕は今まであまり触れてこなかった。他のスクールアイドルとかアニメの曲とか、聴きまくって参考にした記憶がある。
おかげで、彼女の魅力を引き出せた一曲だと自負している。
「これは、あなたのための、あなただけのためのステージです!」
『DIVE!』は、優木せつ菜のかっこよさの真骨頂。
ロック調で、大きな声を出させるような曲に仕上げた。彼女の大好きをあますところなくファンに、世界に届けられるように。
あの頃から変わらず、優木せつ菜というスクールアイドルは太陽の様に熱く、輝いている。
「みーくんに届けるよ、アタシたちの全部を!」
『サイコーハート』
誰をも楽しくさせ、元気づける宮下さんの応援ソングだ。
彼女の大好きな笑顔を皆に与えられるように、明るさを前面に出すようにした。
スクールアイドルになったばかりの彼女の決意、モットーも組み込んでいて、同好会のメンバーを勇気づけることもできた。
「夢を叶えられたのは、みんなと、なにより湊くんがいてくれたからだよ」
『La Bella Patria』
どこまでも晴れ渡るような爽やかさと、エマさん自身の柔らかさを表現した一曲。
彼女の家族が聞くだろうことも考えてスイスの民謡要素を始めに入れつつも、オーソドックスなアイドル曲として完成させた。
これも応援歌だ。夢を持つすべての、これから一歩踏み出す人への。
「私は、私たちはお兄ちゃんにずっと助けられてきた。お兄ちゃんがつらい思いをしてる時もずっと」
『ツナガルコネクト』
思っていることを伝えたい、でも伝わらない。それが怖い。それでも繋がりたいという璃奈の心を示した曲。
小さい体で壇上を回る璃奈はとても愛らしい。体力がまったくなく、体も固かった璃奈がここまで出来るようになるなんて、あの時は思わなかった。
璃奈ちゃんボードが、満面の笑みを浮かべている。にっこりん、と。
「今度から一人で抱え込まないでね。彼方ちゃんたちだって、力になれるんだから」
『Butterfly』
遥さんの心に火をつけるために仕上げた、姉として、スクールアイドルとしての近江さんの曲。
それまでのイメージから一転、緩やかながらもキレが要求されるダンスと歌。そのギャップは、息を呑んでしまうほど美しい。
妹の夢を励ます一方、自分の覚悟も証明するために彼女は妥協しなかった。
「思い出してください。私たちがいます。ずっと、湊先輩のそばに」
桜坂さんの表現力を頼って生み出した、『Solitude Rain』。
披露するときの劇の役が桜坂さん自身と重なる部分が多く、ならばその要素を合わせてやろうと考えた。
自分の暗い部分と対峙するのはすごく怖くて大変だけど、それもちゃんとした自分なんだと認めて受け入れなきゃ、誰とも本気で触れ合えない。
だから迷っても不安でも、飛び出していく勇敢さを持つべきなのだ。彼女のように。
「あなたが引っ張ってくれたぶん、今度は私たちが引っ張っていくわ」
『VIVID WORLD』
誰かと一緒にいることを望みながらも、自分の役割を気にして意固地になってしまっていた彼女を表した曲だ。
たとえ自分がどれだけ弱い人間でも、それを支えてくれる人がいる。曝け出せる人がいる。それがどれだけ幸せで、嬉しいことか。孤独を感じる人へのメッセージ。
今や小さな自分を乗り越えて、楽しそうに舞い、歌う朝香さんに目を奪われてしまう。
「だから、一緒にいてください」
『Awakening Promise』
どれだけ近くにいた人でも、いつかは違う道に進む。違う場所に行って、違うことをして、違うものを見る、感じる。
でもそこで立ち止まる必要なんてない。伝えれば、きっと届くはずだから。
そんな思いを込めた、大切な人への一曲。『私』から『あなた』へのメッセージ。
全て、今まで僕が作った曲だ。
彼女たちのために、彼女たちを待つファンのために、これから彼女たちを知る人たちに向けて作った、色とりどりの歌たち。
それが今、たった一人、僕だけに対して披露されている。彼女たちが、いかに天王寺湊のことを想っているかを伝えるために。
僕のために、こんな……僕のために……
「湊さん、ここにいてください。ここは、あなたが作った、あなたの居場所なんですから」
いつの間にか立ち上がっていた。
涙がこぼれて、拭っても拭っても止まらない。
ぶつかってくる感情を真正面から受け止めたのはいつぶりだろうか。スクールアイドルのステージを、客として見たのはいつぶりだろうか。
裏方でうだうだしている間に、僕は大事なものを失っていたようだった。
ステージから下りてきたエマさんは、ぼろぼろと零れる涙を流す僕を包むように、抱きとめた。
暖かくて、安心する。彼女の鼓動や息遣いが、ダイレクトに伝わってくる。
触れるのが怖いなんて感情は、もうどこかに吹き飛んでいた。
「ごめん、最後までちゃんと見たかったのに」
後になるにつれて、視界が滲んで見えなかったことが悔やまれる。せっかく、こんなことまでして想いを伝えてくれたのに。
「いいんだよ。君が望むならいつだって何回だって、歌って、踊ってみせるから」
「どうして、そこまで……」
「これが私たちのやりたいことだから。でも、それよりも大事なことは、一番大事なのは……」
骨が折れてしまいそうなほど強い力で、彼女は抱きしめてくる。
「みんな、湊くんのことが好きってこと」