『湊さん 今までありがとう!』
僕のためのライブが開かれた次の日、部室に入るなり、チョコでそう書かれたホールケーキを手渡され、僕は絶句した。
―――!
「これは、つまり僕を追い出そうと……」
「ち、違う違う!」
「ああもう、日本語難しい!」
「ほ、ほら、今まで曲作りとか編集とか、色々してもらってたのにお礼できてなかったなあって」
「ああ、そういう……」
『今までありがとう。じゃあね! 消えろ!』みたいな意味かと思った。
他にも、マカロンとかクッキーとか甘いお菓子がたくさん用意されている。今日は少し遅めに来るように指示されたのは、これを準備するためだったのか。
一歩近づいてきた高咲さんが、綺麗に腰を曲げた。
「本当にごめんなさい。私、甘えるだけ甘えて……」
「そんなこと……」
「湊くん」
エマさんに耳打ちされて、僕は口を止める。
『みんなの話を最後まで聞く』。あの後約束させられた、同好会での決め事だ。
「これからは、湊さんに頼りにされるように、頑張りますから!」
「……うん、期待してるよ」
実際は、もう頼りにしてるんだけどね。
他校との話し合いも高咲さんがやってくれたり、今は練習だってほとんど見てもらっている。曲の面で言えばまだまだなところはあるから、あえて『期待している』と告げる。
「うああああん、湊せんぱ~い!」
お次は中須さん。遠慮なしに、がばっと体を押し付けてきた。
「ほんとに、ほんとに戻ってきたんですよね!?」
「心配かけたみたいで、ごめん」
「ほんとですよ、もぉ! かすみんを泣かせた罪は重いですよ! 撫でてくれないと許しません!」
「なんで撫で……」
「口答え禁止です!」
「……」
「ほらほら早く!」
「……わかったよ」
勢いに押されて、恐る恐る手を頭に乗せる。
髪型が崩れないように優しく撫でると、中須さんは満足げに頬を緩ませた。
「かすみちゃん、ずるい。私もケーキ作るの頑張った」
「よ、よしよし」
ぐいっと詰めてきた璃奈にも、同じく手を乗せる。
「お兄ちゃんに撫でられるの久しぶり。好き」
そういえば、ほんの小さいころはよく撫でてた気がする。
年頃になって嫌がるだろうからと控えめになって、中学に上がる時にはほとんど触れることもやめたんだっけ。
「あー! 愛さんも愛さんも!」
「先輩……あの、私も……」
「ここは彼方ちゃんも乗るぜ~」
「もう好きにしてくれ……」
感慨にふけることも許されず、僕は無心になって我も我もと突き出されてくる頭に手を乗せるのであった。
「はい、みーくん」
一通りみんなが落ち着いた後、宮下さんが渡してきたのは、入部届。
早速、すぐに必要事項を記入。あとは……
「で、これどうしたらいいの?」
「生徒会で預かりますので、私が持ちます」
「じゃ、はい」
無遠慮に渡すと、優木さんは丁寧に折りたたんで大事そうに胸に抱えた。
「はい! 生徒会長の名にかけて、しっかりとこれを生徒会室まで持ち帰り、絶対に湊さんを入部させます!」
「そんな気負うほどの物でもないでしょうが。何回でも書き直せるただの入部届なんだから」
「じゃあ、もしこれ無くしちゃったら?」
「あ、口では歓迎してくれてるけど、本当は僕って歓迎されてないんだな~って思う」
「せっつー! 絶対無くさないでね!」
「せつ菜ちゃん! ちゃんと保管しておいてね!」
「ラミネート加工して、濡れても平気なようにしますか!?」
「頑丈なケースに入れましょう!」
「GPSも付けよう」
「全員で監視しながら持っていくっていうのもアリじゃないかしら」
「いいねぇ。ケースも持ってかれないように、手錠で腕と繋ごう」
「あ、あわわわわわ」
わあ、大げさ。
しかし、みんなの目は本気も本気。このままじゃ、たった一枚の紙に、核兵器の発射ボタン並みに強固なセキュリティが付けられそう。
それはそれで面白そうだが、提出するのにも大変なのでやめさせておく。
ええいと入部届を奪い返して、一つ簡単な代替案を出すことにした。
「だったら、今から生徒会に渡しに行ったほうがいいんじゃないか」
「そ、そうですね! 今行きましょう! すぐ行きましょう!」
△
「ゆう……中川さん。急ぎすぎ急ぎすぎ。こけちゃうよ」
「あ、すみません。つい……気持ちが逸ってしまって」
早足と走りの中間みたいな速度で駆ける彼女を諫める。
「生徒会長ともあろう者が廊下を急いでたなんて、見つかったら何か言われるぞ」
優木さんの姿ならともかく、すぐ承認を下ろすために中川さんになった今じゃ、一挙手一投足が生徒の見本なんだから。
「みんなも反応が大げさだし……」
「大げさなんかでは、ないです。それくらい必要なんです。私たちには、私には、あなたが……」
言葉とともに足も勢いをだんだんと失って、生徒会室の前で、ぴたりと止まった。
「それなのに私……あなたのことを拒否してしまって……心の傷も知らずに……幻滅しましたよね」
「勝手に傷ついただけだ」
「傷つけたのは私です」
今日までの僕みたいに、彼女は頑なに自分の非を譲らない。
「私、間違ってばっかりです。かすみさんと喧嘩したり、湊さんを困らせたり……湊さんの隣にいてもいいように、頑張ったつもりなのに……」
ほんの少し、優木さんの手が動いた。僕に向かってきていたそれを、しかし彼女は引っ込める。
「頑張ってるよ、優木さんは。たくさんたくさん頑張ってる。それでも心にひっかかりを感じるなら……」
今度は僕が手を伸ばして、強張る優木さんの手を握る。
「君が気にしなくなるまで、一緒にいるから」
柔らかく、細い手だった。こんな手で、優木さんはいっぱい頑張ってきた。これからも全力なのは変わらない。
その歩みがこんなところで止まってしまうのは、もったいない。
僕の願いは、あの日、優木さんをスクールアイドル同好会に引き戻した日と同じ。
彼女が輝く姿を、まだ見ていたい。
優木さんは指から手、手から腕と、距離を詰めながら触れるところを移動させていく。
やがて、恐る恐る、そっと抱き着いてきた。華奢な体に似つかわしく弱弱しい抱擁。怖がって震えている。
「ごめんなさい……」
「いいんだ、もう大丈夫」
抱き返して、背中を撫でる。
「何とも思わなかった、てのは嘘だけど、もういいんだ。僕を認めてくれているのはわかったから。僕はそれで十分」
「よくない……よくないですよ」
嗚咽を漏らす彼女を安心させるように、少しだけ腕の力を強める。
優木さんは僕の胸に顔をうずめて、しばらくしゃくりあげた。だいぶ落ち着いたころには震えも止まって、恥ずかしさからか耳まで真っ赤に染まっていた。
それでも、離すことはしない。
「入部届、くしゃくしゃになっちゃいます。大事な入部届なのに……」
「そうだね」
実際、ここまで大切に持ってきたそれはしわくちゃになってしまっていた。
「でも、ただの紙だ」
僕が本当の意味で同好会の一員になるための、大事な紙、けれども部室で言った通り、書き直しのできる紙だ。
優木さんとどちらを優先させるべきか、比べるまでもない。
「あの、生徒会室の前で何を……」
ガチャリ。
生徒会室の扉から顔を覗かせた副会長が、僕と優木……中川さんを見て固まる。
「て、天王寺さんと……会長」
「あ、あの、これは違くて……」
「すみません、お邪魔してしまいました」
「閉じるな閉じるな! これこれ、これを提出しに来ただけだって!」
閉じかけた扉に手をかけ、折り目のつきまくった入部届を目の前に突きつける。
困惑と申し訳なさに染まった副会長の顔は、また数秒固まった。
「入部届……えっ?」
信じられないようなものを見る目で、入部届と僕の顔を交互に見る。
「スクールアイドル同好会所属ではなかったんですか!?」
「タイミングがね……まあ色々あって。というか、創部届は君が受け取ったんだろう?」
「は、はあ……てっきり、とっくに後追いで入部届は出してるものかと……」
とりあえず、どうぞ。と案内され、ようやく生徒会室へ入る。
他の役員はおらず、作業机に何枚かの資料が積んであるだけだった。
中川さんが会長印を取り出す間、副会長は訝し気な目で僕を見ていた。逃れるように、僕は世間話をする。
「夏休みなのに、生徒会はあるの?」
「いいえ、勉強していただけです。家よりこっちのほうが集中できるので」
真面目だねえ。僕はまだ宿題大半残ってるや。
「ところで、会長と何を?」
ぬぐ。まだ引っかかってくるか。
「たまたまそこで会って、一緒にこっちに来ただけだよ」
「たまたま……で、抱きしめ合っていた、と」
「目の錯覚じゃないかなあ、あはは……」
じーっと見てくる副会長。僕はただ、冷や汗を垂らしながら笑うしかない。
やがて、彼女はため息をついて、口を開いた。
「……深くは聞いておかないようにします」
「助かります」
プライベートなことだからだろうか。しかしちらちらと僕と中川さんを窺うあたり、とても気になっているようだ。
どう答えたものかと思案していると、一通りを終わらせた中川さんが満面の笑みでこちらに話しかけてきた。
「確かに、受理致しました。ではこれは、大切に保管しておきますので」
「お願いします、生徒会長」
ビジネスライクに礼をしたが、かえってやりすぎたか。
「このために来たんですか、会長? まだ夏休みなのに……」
「はい。とても大事な事ですから」
中川さんは慈しむような視線を僕に向ける。もちろんそれを見逃す副会長ではなかった。
「やっぱり」
「違う」
「まだ何も言ってませんよ」
「何を言うにしろ、違う」
「そういうことにしておきます」
しばらく生徒会室には入りづらくなるな……
△
無事に入部手続きも済ませ、早く報告したくて、足早に部室へ戻る。
扉を開けた瞬間、
「湊せんぱ~い!」
「あぶなっ」
中須さんが飛んできた。
僕自身も驚くくらいの反射神経で、なんとか身をよじることに成功。
「げうっ」
ターゲットに避けられた中須さんは、そのままべしゃりと床にダイブ。ああ、痛そう。
「どうして避けるんですか! もうトラウマ克服したんですよね!?」
「それはそれ。これはこれ。年頃の女の子が、男に抱き着こうとするもんじゃありません」
はしたないと周りに思われるのは嫌だろうに。特にスクールアイドルはそういうのに気を付けないといけない。
何もないところに火をつけるような奴がいる昨今、不穏な噂のタネは排除しておかなければ。
「ダメよ、かすみちゃん。ちょっと見てて」
ずいっと前に出てきた朝香さんが、含みのある表情で手のひらを向けてきた。
「湊くん、手を出して」
「手?」
嫌な予感がするが、手だけならいいか。
言われた通り、手を差し出す。すると、朝香さんはそっと自分の手を重ねて、さらにもう一方の手で包んできた。
「次は腕」
伸ばしてきた手はするすると僕の腕を登っていき、絡ませてくる。
完全に密着したうえで、あろうことかさらに肩に頭まで乗っけてきた。
「肩も借りるわね」
「あ、あの」
「動かないで」
「でも……」
「動かないで」
「……はい」
下手に動くとまずいことになりそうで、従うしかない。というかなんか柔らかいものが当たっておりますが。
「やるなら、こういう感じで徐々に慣らしていかないと」
「べ、勉強になります」
せんでええ。
「朝香さん、そろそろ離してくれると……」
「だーめ。慣れていかないと」
「だからって、こんなにベタベタ触る必要はないんじゃ……」
「あら、本当に必要ないか、試してみる?」
耳に、囁きと吐息混じりの誘惑が入り込んでくる。
ぞくぞくと背中が震え、顔が硬直する。異様な緊張感に、頭の先から足のつま先まで熱くなった。
何度か彼女にからかわれていなければ、耐性ができていなくて卒倒していたことだろう。
「果林ちゃん」
底冷えするような声が割って入った。
「必要ないよね」
エマさんだ。
顔はにこやかに、しかし後ろに黒い瘴気のようなものが見える、オーラというか、威圧感というか、冷や汗が垂れるような何か。
「必要、ないよね?」
もう一度、彼女は言う。
しかし朝香さんも一歩も退かず、あえて挑発するような目つきをしてみせた。
「おお、火花が見える……」
「果林さん大胆……私もあれくらいできたら……」
「せんでいい」
ごくりと唾をのんで、面白半分で様子を眺めている後輩たちにツッコミしつつ、目で助けを求める。
恐怖と困惑、興味とそれぞれの表情が浮かんでいるが、手を出してくれる人はいないみたい。
「湊くん!」
「どっちを選ぶの?」
この状況はいったいなんなんだ。なんで部室に入っただけでこんなことになってるんだ。
横と正面から匂う、甘く刺激的な芳香に頭が回らない。
誰か助けてくれ、と首を右往左往させていると、あるものが目に留まった。
「……ケーキ」
「ケーキ?」
「ほら、せっかく一年生が作ってくれたんだから、冷めないうちに食べないと」
ケーキを指差す。二人ともすっかり毒気を抜かれたようで、張り詰めていた緊張の糸が切れた。
ようやく朝香さんが解放してくれて、エマさんの視線も元に戻った。
ふう、と安堵のため息をつく。
「ケーキは冷めてるものですけど」
「中須さん、静かに!」