放課後になっても校内に居座る人は多い。
虹ヶ咲学園は色々と設備が整っていて、娯楽には事欠かない。外で遊ぶより安上がりで済む。
他にもおしゃれなカフェや、とんでもない蔵書量を誇る図書室なんかもある。
大抵のことは学園内で済ますことができるため、最終下校時間になるまで居る生徒も少なくないのだ。
「お待たせ、湊くん」
その施設の一つである学食で、窓近くの席に座っていた僕の前に、ようやく待ち人が現れた。
エマさんは正面の椅子に座ると、にこにこ笑いながら鞄を床に置く。
「見たよ~、新しい動画。かすみちゃん、楽しそうだったね」
言いながら、片手に持っていた明太フランスパンを頬張る。
エマさんはよく食う人だ。にも関わらず同好会所属だった時と比べてもスタイルに変化がないのは、体質なのか裏で努力してるのか……
「それと、同好会に新しい人が入ったって?」
耳が早い。中須さんあたりに聞いたのだろうか。
「スクールアイドル候補とマネージャー志望が一人ずつね」
「どんな子?」
「王道というか清純派というか……意外と君たちとタイプは被らない子だよ。もう一人は……まあやる気は十分だったね」
言ったことはすぐさま吸収して、応用も利かせてくれる。僕にはないアイデアも遠慮なく提案してくれるおかげで、満足できるような出来の動画を作れた。
中須さんのMVは、彼女がいたから完成したと言ってもいい。
「同好会の活動も、また出来るのかなあ?」
「さあどうかな。あのお固い生徒会長が認めてくれるかどうか」
ルールには厳しそうだから、ちゃんと五人揃えたら認めてくれそうだけど。
活動は順調だから、問題は人数だけ。けど、ここで、戻ってきてくれとはあえて言わない。
エマさんはエマさんで、引っかかることがあるのだろう。十中八九、優木さんのことだろうが。
なんのわだかまりもなく、戻ってこれる時に戻ってきたらいい。
僕がやれることは、彼女の場所を作ること。
「で、僕に会わせたい人って?」
話を変える。
本来の用件は、エマさんが僕に紹介したい人がいるとのこと。
だから彼女を待っていたんだが、一人で現れたことに疑問を持った。
「えと、もうちょっとで……あ、来た来た。おーい、
エマさんが僕の後ろに手を振る。
振り返ると、えらい美人がそこにいた。
女子中高生から絶大な人気を誇る現役ファッションモデル。
綺麗な佇まいに、クールな雰囲気。誰もが憧れるような、オトナの女性を体現したような存在感。
虹ヶ咲にいるのは知っていて、遠目で見たこともあるけど、実際目の前にするとその綺麗さに目を奪われる。
まさか彼女が、僕に紹介したい人物?
「キミが噂の湊くん?」
エマさんの隣に座る様も、なんだか気品があるように見える。
「噂……がどういうものか知らないけど。天王寺湊。よろしく」
「朝香果林よ」
ずいっと手を伸ばしてくる。僕は思わず顔をしかめてしまった。
「握手はしない主義なんで」
言うと、朝香さんはいまいち納得しない表情で座った。
「それで、僕に何の用? スクールアイドルになりたい……とかじゃなさそうだけど」
「ええ。モデルで手いっぱいだもの。他のことなんてやってる暇はないわ」
釈然としない顔のまま返される。
ま、僕が知ってるくらい有名なモデルだもんな。
高校生活を送りながらだと、時間はないか。残念。
「ちょっと気になることがあって、ね」
「気になること?」
「ええ。ちょっとした事情で、優木せつ菜とお話がしたくてね」
朝香さんは横目でエマさんを見たあと、鞄から一抱えあるほどの分厚いファイルを取り出した。
「だけど、これのどこにも載ってないの」
僕はそれを受け取ると、中身をぱらぱらと見る。
虹ヶ咲に在籍している生徒の名前や学科がずらりと記されてあった。
「生徒名簿……生徒会室から持ってきたの?」
「無断で、だけど」
最近は生徒会室から盗みを働くのがトレンドなのだろうか。そんな目を引く物ないだろ、あそこ。
「彼女の連絡先、教えてくれないかしら」
僕はじっと朝香さんを見て、小さくため息をつきながら背もたれに体重を預ける。
エマさんから、彼女のことは何度か聞いたことがある。簡単に言えば、彼女たちは親友どうしだ。
ここ最近のエマさんの元気のなさを見て、何かしてやりたいと動き出したのだろう。
生徒名簿まで取ってきて調べるなんて……暇はないと言いつつ、本気ではあるみたい。
ふむ、と僕は顎をさすった。
「知らないよ」
「だったら、取り次いでもらえると助かるのだけれど」
「何科かも知らない」
こうやって答えていると、やっぱり僕は優木さんのこと、何も知らないんだな。ほんの表層部分だけ見て、理解した気になってただけだ。
力になりたいところだけど、知らないものは知らない。
「だったら、どうやったら会えるのかしら?」
「……会えないだろうね」
浮かんだのは、優木さんの顔。
呼べたとしても、僕が呼んだらむしろ来ないだろう。優木さんは、こんな僕とは二度と顔を合わせたくないはずだ。
きっと、
僕の微妙な表情の変化を感じ取ったのか、朝香さんはほんの少し口角を上げた。
「やっぱり、優木せつ菜がどこにいるか、知ってるみたいね」
「推測だけど。そういう朝香さんも、気づいているっぽいけど」
そう答えると、妖艶な笑みで返してくる。
「……? どういうこと?」
一人ついてこれていないエマさんが首を傾ける。
「優木せつ菜という人物は……」
「存在しない」
朝香さんの言葉を、僕が継ぐ。
「え?」
エマさんは目を見開いた。
一緒に練習をしてきた彼女にとって、信じられないことだろう。
だが、生徒名簿に載っていないということは、そういうことなのだ。
「でも、優木さんは生徒会長と話して、廃部に合意した。これって、どういうことなんだろうね?」
△
朝香さんが納得したような表情をしたのを見て、話を切り上げた後、僕は練習場所に向かおうと外に出た。
今日は外で体力づくりの基礎練習予定だ。
僕がいなくても出来る……が、各々の体力については気になる。特に、上原さんはスクールアイドルなりたてだから注視しておかないと。
これからの活動方針についても詳細を詰めておかないといけないし……
「それよりも問題は……」
旧メンバーをいかにして復帰させるか、だ。同好会を新しく作り直すためには、彼女たちの協力が不可欠。
だけど名ばかりの今じゃ、桜坂さんを引っ張ってくるのは難しいし、エマさんは消極的、残るもう一人は連絡を返してくれない。
どうしたものか……
と、頭を捻っていると、何かが飛び出して、僕の足元をかすめる。
「わ、とと……」
僕の後ろに隠れようとするその小さな影は……猫?
白猫が、ちらちらと周りを窺っている。
そういえば璃奈が、白い猫のことを言っていたような……
「お前が、はんぺん?」
「追い詰めましたよ!」
続いて、ジャージ姿の生徒会長がばっと姿を見せた。虫取り網まで持って、ところどころ葉っぱもくっつけて。
どうやら、この白猫を捕まえようとしているらしい。
「中川さん」
「て、天王寺湊さん……」
「なに殺気立ってるんだ。この子、怖がってるじゃないか」
中川さんを睨む白猫を抱え上げる。
頭を撫でてやると、いくぶんか落ち着いたように顔を擦りつけてきた。
「学校の敷地内を走り回って、小動物を追いかけまわすのは、生徒会長のやることだとは思えないけど」
「うっ」
痛いところを突かれて、たじろぐ中川さん。
興奮気味だった彼女の熱はいくらか冷め、しかしじっと猫を見る目は逸らさない。
膠着状態。
彼女の目当ては僕が抱いてるし、かといって今の彼女へ素直に渡すわけにもいかない。
それに……
「中川さん、少し、落ち着いて話さないか」
彼女を通して、聞きたいことがあった。
中川さんは眉間にしわを寄せて、網の柄をぎゅっと握り直す。
「私には、あなたと話すことはありません」
「そう言わずにさ」
猫を下ろす。さっさと去ると思ったのに、逃げはせずに僕の足元に隠れた。
「君はこの子に用がある。この子は……なんでか僕に寄ってくる。穏便に済ませることが出来るかも」
む、としわを深めて、彼女は僕と猫を交互に見る。
ちょっとずるいけど、もう一押し生徒会長が断れない必殺文句を出すか。
「生徒の悩みを解決すると思って、ちょっと付き合ってよ」
△
虹ヶ咲食堂に併設されているカフェまで意外と素直についてきた中川さんを、テラス席まで案内し、座らせる。
同好会メンバーには、遅れるとメッセージを打っておいた。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
モカフラペチーノを、待たせていた中川さんの前に置く。
慌ててお金を取り出そうとする彼女を制す。
「いいよ。話に付き合ってもらう代として受け取って」
「そういうわけには……」
「いいから」
「で、では、いただきます」
遠慮がちにカップを持った彼女は、差されたストローに口をつける。
甘いもので一息。それだけなら和やかな放課後だ。
ほんと、中川さんが人を寄せ付けないオーラを放ってなければ、内心こんなに緊張することもないのに。
「あなたに懐いていますね」
膝に乗ってきた白猫を一瞥して、中川さんに視線を移す。
「なんでだろう。妹が世話してるからかな」
「妹……一年の天王寺璃奈さんですか?」
「そう。学校に住み着いた猫を引き取りたいって、この前聞いた。うちはペット禁止だから駄目だって言った」
その猫がこいつかは確証がないけど。
「名前まで付けてるみたいだ。はんぺんって言うらしい」
「言っておかなければいけませんね。学校で動物に餌を与えるのはいけないと」
ため息をつかれる。
まさか、追いかけていた猫が生徒に世話されているとは思わなかったんだろう。
「こいつ、何かしたのか?」
「そういうわけではありませんが、学校の敷地内に動物がいるのは問題でしょう」
「問題?」
実際、野良猫の鳴き声とか排泄が問題になることは多い。はんぺん(仮)も例に漏れず、だろう。
しかし、だ。
「どうせ、生徒会に『学校に猫がいます』ってだけ連絡が来ただけだろ。何かしたわけじゃないなら、好きでここにいる子を追い出すこともあるまいよ」
「何かしてからじゃ遅いんですよ」
「刺々しいねえ。何をそんなに焦ってるんだか」
「べ、別に焦っているわけでは……」
俯いて、もごもごと弁明する。
僕は自分の飲み物を口に入れ、一息ついてから口を開いた。
「誰も君のことを責めてるわけじゃない。君がいたい場所にいて、そこが心地良いと思えるなら、離れなくてもいい」
「わ、私は別に……」
「猫だよ、猫に言ったの」
「な、なぁっ……」
一気に顔が赤くなっていくのを見て、僕は苦笑する。
彼女は恥ずかしさを紛らわすように一口飲むと、拗ねたように口を尖らせて、ふいと顔を背けた。
「それより、話があるのではなかったんですか?」
幼さを見せる中川さんが新鮮で、嗜虐心が湧いたがここまでにしておこう。
「今ね、同好会を新しく立ち上げようとしてるんだ」
少し目を見開いた。
「そう、ですか」
「今のところ、僕を抜いて三人集まってる」
「では、五人集まったら申請しに来てください。一応、部室は余っていますので」
淡々と告げる中川さん。
「ずいぶんあっさりだな。てっきり、何か言われるかと思った」
「人のしたいことを、私は
そう言ってみせた彼女は、あの時の優木さんとそっくりだった。
そこで僕は確信した。
ああやっぱり、彼女が
言葉尻を捉えることもできたけど、ここはまだ、気づいていないふりをして誤魔化す。
「そう。じゃ、その時が来たら、よろしく頼むよ」
「話はそれだけですか?」
「いやいや、本題はここから」
より一層真剣な顔を作って、彼女の目を見据える。
「優木さんと直接話した君に訊きたいんだけど、あの人にお願いしたら、戻ってくると思う?」
僕たちの話が聞こえる範囲には人はいない。
もし『戻ってくる』と言ってくれたなら、それは『中川菜々の言った言葉』以上の意味を持つことになる。
それを、僕は少しだけ期待した。
「僕らには優木さんが必要なんだ。戻ってきてほしくて、だから同好会を……」
「彼女は戻ってきませんよ」
しかし、返ってきたのはそんな無慈悲な一言だった。
「あんなことをして、優木さんがあなたの前に現れるわけないじゃないですか」
ぐさり、と胸にナイフが刺さったように痛む。
簡単に言い切るじゃないか、なんて軽く言おうとしたのに、喉が詰まって言葉が出ない。
冷えていく心臓を押さえて、耐えるだけで精いっぱいだった。
「それが、優木せつ菜さんの選んだ道ですから」