集合場所である夕陽の塔に一番乗りだと思ったのに、意外な人物が先にいた。
「お、早いねえ、湊くん」
「そう言う
「今回ばかりは、さすがの彼方ちゃんもじっとしてられないから」
近江彼方。
ゆったりとした空気とウェーブがかかったロングの髪が特徴的な、独特のゆるさをもつ三年生。
全体的に柔らかい印象で、言動も見た目通り。だからこうやって先に居ることに少し驚きを覚える。
もしかしたらいつものようにどこかで寝ていて、呼びに行かなきゃいけないかもと考えていたくらいだ。
「こうやって話するの、久しぶりな気がする」
「実際は、一週間か二週間そこらだけどね」
お互い、表面上はなんでもないというような喋り方をする。
近江さんも、同じようにちょっと気まずさを感じてるみたいだ。
早めに来たのは間違いだったかな。
「あの……」
「謝らないでくれよ」
言うことを察して、僕は制する。
「優木さんと中須さんの衝突は君のせいじゃない」
「でも、お姉さんとして、彼方ちゃんたちが止めるべきだったんだよ」
「全員同じく、スクールアイドルとしては一年目なんだからしょうがない。止めるべきだったのは、僕だ」
君たちを支えると、そう誓った。結果はこのぎくしゃくした関係。
責められても文句は言えないし、彼女たちにはそうする権利がある。そう思うと、目を合わせづらい。
「湊くん!」
重い空気を払うような、エマさんの明るい声が聞こえた。
振り返ると、新旧同好会と朝香さんが勢ぞろいでこちらに向かってきていた。
挨拶もそこそこに、朝香さんが本題に入る。
「生徒会長がせつ菜先輩!?」
という驚愕の事実にのけ反ったのは、中須さん。
元同好会のメンバーと朝香さんに呼び出された僕たちは、中川菜々=優木せつ菜だと聞かされた。
本人を問い詰めて、認めさせたらしい。
わかりやすく驚いてみせたのは中須さんと上原さんだ。
僕はもう確証を得ていたから、やはり、と頷く。
「でもあの様子だと、戻ってくる気はないみたいだし……」
「だったら……どうしよう」
みんな、優木さんのことを気にかけて、スクールアイドルに戻そうとしている。まるでそれが当たり前かのように。
喧嘩して仲違いはした。だが優木さんを放っておくか否かは別の話だ。
一度、同じ夢を見た仲間だ。
全員の視線がこちらに向く。
僕は口を開いた。
「やりたくないって言葉を、優木さんから一度も聞いてない」
遠ざかって遠ざけて、でも気持ちを否定することはしなかった。
優木さんはきっと、怖がっているんだと思う。自分の存在が、大切な仲間の重荷になってしまうことを。でも……
「やりたいことを我慢する優木さんなんて、僕は見たくない」
彼女たちと出会って、虹ヶ咲のスクールアイドルたち……きらめく彼女たちの傍で支えたいと願った。
願って、誓ったはずなんだ。
だから……
「僕は……どうしても、優木さんに戻ってきてほしい」
「なんとか説得できないかな、湊くん」
戻ってきてほしい……そう思っても、僕にそんな力はない。
彼女に僕の言葉は届かない。憧れた一人のアイドルの力にすらなれない。
『あんなことをして、優木さんがあなたの前に現れるわけないじゃないですか』
彼女のあのセリフは、嘘でもなんでもなかった。
『あんなこと』とは、僕が同好会の解散を止められなかったことだろうか、それとも優木さんを無理に引き留めようとしたことだろうか。
「湊くん……湊くん?」
エマさんの声ではっとして、僕は顔を上げた。
「残念だけど、僕には無理だ。だけど……」
新しく入ったマネージャーに、目を向ける。
「高咲さん、君になら出来ると思う」
「え?」
きょとんとする高咲さんに、言葉を続ける。
「君だからこそ、優木さんを動かせると信じてる」
かつての優木さんと同じくらいの情熱と強さを持った彼女になら、出来るはずだ。
上原さんがアイドルの一歩を踏み出せたように、中須さんが『可愛い』を貫きながらも他の道を認めたように。
高咲侑は、アイドルをアイドルたらしめる何かを持ってる。僕が持つべきだった、僕に足りない何かを。
他力本願で情けない限りだけど、これしかない。
「……はい、任せてください!」
ぎゅっと握りこぶしを作って、前に突き出した。
「ですけど、湊さんも手伝ってくださいね」
△
校舎の屋上から、外を眺める。
夕陽は橙色に空を染めて、光は目を焼いてしまうほどに眩しい。
「呼び出したのは、あなたですか」
風に乗って、中川さんの声が耳に届く。
体を向き直し、手すりに背中を預けて、意を決して顔を直視した。
そこにいた中川さんは、昨日と同じような暗い表情だった。
放送部の知り合いに頼んで、校内放送で生徒会長と優木せつ菜の両方を呼び出させてもらった。
思惑通り来てくれた。少なくとも一人は。
「もし、私が来なかったらどうしてたんですか」
「来るまで待つ、かな」
「笑い事じゃありません」
「笑い事だよ。こうやって来てくれるって信じてたから」
言葉ではスクールアイドルを否定しつつも、望みを捨てきれないならきっと来る。
生徒会長が呼び出しに応じないのはありえないだろうという打算もあるけど。
はあ、とため息をついて、彼女は僕の正面に立つ。
等身大の彼女を、久々に見た気がする。優木さんの時には熱い情熱で、中川さんの時には大人びた印象があるから、大きく見えていた。
けど実際に近づいてよく見てみると、小さな少女だ。
記憶が正しければ、身長は中須さんよりも少し低かったはず。その小さな体にどれほどの感情を溜め込んでいるのか。
僕が話し始めないのに痺れを切らして、中川さんは口を開いた。
「朝香果林さんが言っていました。私のことについて、あなたから聞いたと……」
厳密には推測を言っただけだ。
「いつから気づいていたんですか?」
「君が、優木せつ菜だってこと?」
そこでようやく、僕は彼女の目を見た。
「出会ってから割とすぐだよ。動画でも間近でも何百何千と見てるからね」
優木さんを映した動画を日夜編集している中で、生徒会長と何度も話し合いをしていれば気づく。
まったく雰囲気が違うからスルーしかけたけど、だんだんと見ているうちに疑惑は確信に変わっていった。
「君は、どうしても戻ってくる気はないのかな」
俯くままの中川さん……いや、優木さんに声をかける。
「君のあのラストライブ。あれは本当はスタートのはずだった」
輝かしく、熱い始まり方だった。
ステージ上の優木せつ菜から目を離せなくなった。
この人が作り出すものを、もっと間近で見たいと思った。
「僕はまだまだ、君のステージが見たいんだ」
そう。これは僕のわがままだ。
彼女がスクールアイドルとして歌い、踊る姿を見ていたいと思う、僕のわがまま。
なあ、そのわがままは、君も持ってるんじゃないのか。
だからここに来たんじゃないのか。
「……私がいたらダメなんです。私がいたら、またバラバラになってしまいます!」
惑いを振り切るように、彼女は叫んだ。
「あなたもわかってるでしょう? ラブライブで勝ち上がっていくには、中途半端ではダメなんです! 全員が一つの色に染まらないと……」
団体として勝負していくなら、部員全員の方向性を一致させなければならない。だけど、それをするには、彼女たちは個性的すぎる。
やりたいことに対する本気度はみんな同じだ。だからこそ、一つの色として混ざりきれない。
「でもそれは、みなさんのやりたいことを否定することになります」
優木さんも、同じ結論に達していた。
「気付いたんです。『大好き』を伝えたいはずなのに、その私が、みなさんの『大好き』を否定してしまってることに」
中須さんの『可愛い』を否定したように、このまま行けば、部員全員を壊してしまいかねないと思った。
自己矛盾を抱えた彼女は、一つの答えに到達してしまったのだ。
自分がいなければ、と。
「こんな私じゃ、誰にも何も届けられない」
違う。違うよ。
君の声は届いてる。伝えたいことも、感情も、全部届いてる。
優木せつ菜は、君が思うような無力な人間じゃない。
でも、僕には何も言えない。
彼女が出ていく時に何もできなかった僕の言葉は、優木さんに響かない。
ここまでだ。
僕にできるのはここまで。本音を引きずり出すところまで。
「ラブライブを目指すなら、私の存在が邪魔に……」
「だったら!」
卑下する優木さんを遮ったのは……高咲さんだ。
「だったら、ラブライブなんて出なくていい! ラブライブがせつ菜ちゃんの邪魔になるなら、そんなの、出なくていいよ!」
叫ぶ勢いに気圧され、 優木さんは驚きに目を見開いた。
全国のスクールアイドルが憧れる舞台、ラブライブ。
そこに出ないという選択が、いったいどれほどのものか……それは、高咲さんにだってわかってる。
それでもなお、そのためにスクールアイドルが潰れてしまうなら、いらないと言い切った。
こんなこと、高咲さんにしか言えない。
だからこそ僕はこの場に高咲さんも加わってもらったのだ。
「せつ菜ちゃんだって、ほんとは辞めたくないんでしょ!?」
「当たり前じゃないですか!」
「それなら!」
優木さんを上回る大きな声を響かせて、高咲さんは手を握る。
「それなら、続けようよ、スクールアイドル。私はせつ菜ちゃんのことを知りたい。もっと見ていたい」
その瞬間、ほんの少しだけ、僕の中のもやもやが吹き飛んだ気がした。
そうだ。いるじゃないか。僕以外にも、優木せつ菜を認める人が。
高咲さんはさらに何か言いたげで、でもまとまっていないみたいだ。
優木さんは目が泳いでいる。悩んで悩んで、本当にいいのか、と訴えてくる。
我慢できなくなって、僕は口を開いた。
「高咲さんは、優木せつ菜のライブを見て、スクールアイドルを好きになったんだ。優木さんの『大好き』は、ちゃんと届いてるよ」
戻ってきていいんだ。戻ってきてほしいんだ。
たくさんの人に愛されているスクールアイドル優木せつ菜の帰りを、みんな待ってる。同好会のみんなも、僕も。
ライブで見せた君の光、その先をもっと見せてほしいんだ。
パシン!
優木さんは自分の頬を強く叩いて、目元を拭った。
「なら、ここで諦めるなんて言えないですね」
ばっと立ち上がり、髪紐をほどく。艶やかな黒い髪が、風に靡いて光に融けそうなほど美しく映える。
「私から私への宣戦布告です。私は二度と、『大好き』を諦めたりなんかしません!」
ああ、これが優木せつ菜だ。
僕の知ってる、『大好き』を体現するスクールアイドル優木せつ菜が、ここにいる。
燃えるような綺麗な目で、決意を固めたかっこいい表情で、目の前にまた……
「湊さん、号令号令」
「あ、ああそうだな。用意!」
高咲さんに言われて、僕は我に返る。
掛け声とともに、物陰からみんなが飛び出してきて、持っている機材をセットし始めた。
音源とスピーカーだけなら、繋ぐのに時間はかからない。
「こ、これ……」
「下には届くだろ」
顎で示したのは、眼下に広がる生徒たち。
下校途中だったり、部活中だったりしているが、どうせなら、みんなに聞かせてやろうじゃないか。
察して、優木さんはぱあっと表情を明るくさせる。
再び同好会に入る。その決意は、こんなところでこじんまりとお祝いしてもしょうがない。
なら見せつけてやろう。声の届く限り、見える限りの人たちへ。
優木せつ菜復活ライブだ。
「マイクは用意してないから、大きな声で頼むよ」
「望むところです! ところで、曲は何にします?」
僕は繋げられたPCを操作して、曲を選択。
「お披露目ライブはやったんだ。ここは、二曲目で行こう」
「『DIVE!』ですね!」
「振付は覚えてる?」
「もちろんです!」
パチン、とウインクして、優木さんは生徒たちがよく見える位置に立つ。
「だって私、スクールアイドルが大好きですから!」
その返答に僕は満足して、曲の再生ボタンを押す。
同時、スピーカーからは音が轟き、優木せつ菜の歌声は空へ響く。綺麗で、力強くて、何よりも『大好き』に満ち溢れていた。
誰もが振り向いて、上を見る。
スクールアイドル優木せつ菜の勇姿を。新しく一歩踏み出した、彼女の輝きを。