次の日、さあ練習だと気合を入れたみんなをよそに、愛は分かりやすく元気がなかった。川本さんとの話し合いが円満に解決しなかったであろうことは、それで分かった。
僕と果林で声をかけて、校舎の屋上へと彼女を連れていく。放課後のここは全く人が通らず、しゅんとしている姿を誰にも見せたくない愛と対話するにはちょうどいい場所だ。
ため息をついた愛は、手すりにもたれかかりながら話し始めた。
川本さんは、ずっと隠してきた思いを、愛に吐露した。
弱かった愛が元気に、強くなっていくのを間近で見て、弱いままの自分が嫌になったらしい。時間が経つにつれて、だんだんと曲がっていった心情は、愛に向けられた。
憎い、とは違う。嫌いとも違う。けどそれに似た屈折した思いは一人の時間が多い入院期間に大きくなって、もう見て見ぬふりなんてできないくらいになってしまった。
固まった思い込みは心の底にこびりついて、自分じゃ、自分だけじゃ剥がせない。それは痛いほど理解できる苦痛だった。
「そう、美里さんが……」
「あーあ、バカだな。お姉ちゃんの気持ちに全然気づけなくて……」
自虐的にそう言って、愛はため息をついた。
「愛さんなら、笑顔に出来るって勝手に思い込んで、でもほんとはずっと傷つけてた。愛さんどうすればよかったのかな。カリンの言う通り、そっとしておけばよかった?」
眉を八の字にして、彼女は僕たちを見る。
「それとも、スクールアイドルにならなければよかったの?」
「短絡的すぎだよ。そんな考え、前の僕と変わらない」
今の愛の苦しみも、川本さんのも、他人事だとは思えない。同じ同好会の仲間とその身内だからってだけじゃなく、変なふうに疑念を抱いてしまうのが自分を見ているようだったからだ。
これまでやってきたことを全て無に帰すようなそんな言葉、愛からは聞きたくなかった。
「ショックなのは分かるわ。でも、オンラインライブだって近いんだから、しっかりしなきゃ。あなたのファンが待ってるわよ」
「できない……できないよ!」
愛は声を荒げた。
「楽しいことを教えてくれたお姉ちゃんを、アタシが傷つけた。そんなアタシがスクールアイドルなんて出来ないよ!」
何かをやる、続けていくうえで、全ての人を傷つけずに終えるなんて不可能だ。
愛にとって、それは受け入れがたいことなのだろう。全ての人に笑顔を届けたい彼女にとっては、特に。お姉さんと慕っていた人が、となれば猶更。
本当に、鏡を見ているようだ。
僕が、初期の同好会のメンバーに抱いていた罪悪感に似たものを、今度は愛が感じている。
「愛……」
そんなことないと言おうとして、そんな言葉が一切役に立たないことを理解して、黙ってしまう。
言い淀んでいる僕を、果林が制した。
「本当に辞めるつもり?」
もし愛が首を縦に振れば、きっぱりとさよならを言ってしまいそうな口調で、果林は言った。
「わかったわ。じゃあ代わりに、私がステージに立ってあげる。いいわよね、湊くん?」
果林は僕にウインクをした。そこで僕も、彼女がやろうとしていることを察した。
「愛がやりたくないなら、仕方ないな」
「私はやりたいわ。愛のファンをごっそりいただくチャンスだもの。きっと美里さんも私に魅了されて、ファンになっちゃうわね」
思い描いて、彼女はうんうんと頷いた。すると、愛はぶんぶんと首を振る。
「い、嫌だよ、そんなの! お姉ちゃんやファンのみんなを、カリンに取られちゃうのはやだ!」
「でも、スクールアイドル辞めるんでしょう?」
「だったら、辞めるのやめる! だってアタシ……アタシ……ほんとはスクールアイドル、もっともっとやりたいよ!」
さっきよりも大きな声で、愛は叫んだ。
その実、誰よりも負けず嫌いで、スクールアイドルが大好きで、充実感を得ていたのは宮下愛だ。果林はただ手を引くのではなく、自覚させる方向で愛に発破をかけた。
そうだ。愛がスクールアイドルを続けたいと思っているなんて、誰が見ても明らか。
それを本人の口から言わせれば、話は早い。
「だったら……」
僕は一歩近づく。それに合わせて、果林は一歩下がった。
「やりたいんだろ、愛。みんなを楽しませるスクールアイドルになるんだろ。なのに大切な人を笑顔にさせないで、諦めるつもりなのか?」
同好会に入ってすぐ、愛が言ったんだ。楽しんで、楽しませるアイドルになるって。ずっと今までやってきて、ブレたことのない像。こんなところで終わりだなんて、彼女自身も望んでない。
「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、『やりたい』を優先して、叶えるところだ。君が教えてくれたんだぞ。君個人のライブで、スクールアイドルフェスティバルで……ずっとそう伝えてきた」
それだけは変わってはいけないこと。僕らが作る夢の果て。宮下愛のスクールアイドル像と同好会の理念だ。
「僕に言ったことを、嘘にしないでくれ」
あの日、愛は『みーくんに届けるよ、アタシたちの全部を!』と言った。それはあの時だけじゃなくて、この先もずっとだと解釈している。
まだ僕は、君の底知れないポテンシャルの全てを見せてもらっていない。引き出せていない。
だから、約束を破らせないためにも、ここで去るのを許すつもりなんて一切ない。
まなじりに浮かべていた涙を拭って、愛はぎゅっと拳を握った。そして前を、僕のほうを向いた。
「みーくん!」
心をさらけ出した勢いのまま、彼女は僕の手を握る。
「アタシに新しい曲作って! 絶対、お姉ちゃんに届けるから! んでカリン、愛さんと一緒にステージに立ってほしい!」
僕の返事を聞かずに、愛は首をぐりんと動かした。
「私はそういうのに興味ないの」
「ううん、気持ちを合わせるとかじゃなくて、仲間っていうかライバルとして、同じ歌を歌って同じステージで競い合おうよ!」
それって……つまり簡単に言えばユニットってことなんだろうけど、でも確実にQU4RTZとは違うユニットだ。
「アタシに火をつけてくれたカリンとなら、すっごいステージが出来そうな気がするんだ! だから……!」
そこには、うじうじしていた愛はいなかった。僕らのよく知る、太陽のように明るくて熱い愛だけがいる。
それこそが、そう、宮下愛だ。スクールアイドル宮下愛だ。
「競い合う……そんな形があるなら……」
呆気に取られたように、そして――
「面白いかもね」
ふふ、と笑って、果林は柔らかくも挑むような目つきになった。
ああそういえば、果林も愛と同じく負けず嫌いなんだった。
「受けて立つわ、愛」
「うん、負けないよ!」
△
学校からそう離れていない、普段は展示や体験館で使われている建物。そこが、今回のライブ場所だ。
ステージの袖から客席を覗くと、人がどんどんと集まってきている様子が見られた。リアルタイム配信される動画サイトも、待機してる人が増えている。
今回の目玉である愛と果林は、ベクトルは違うが、虹ヶ咲の中ではセクシー系で知られる。さらには高校生最高級のカリスマ性もあってファンは期待している。もちろん、それに応えるようなものを用意したつもりだ。
あの二人なら、しっかりこなしてくれるだろう。
始まるまであと十分。そろそろ来てくれないかな、と思ったのと同時──
「みーくん! じゃーん!」
愛が後ろから声をかけてきた。
振り向けば、もう準備万端の二人がそこにいた。
エナメルの白い上下一体型のドレス。ぴっちりとしたそれは、くっきりと彼女たちの妖艶なスタイルを見せつける。
丈が短いおかげで綺麗な足を惜しげもなく露わにし、肩から腕はシースルーで、隠れているけど見えるような、心を刺激するつくりにしている。
果林監修の、彼女たちの強みを全面に押し出した衣装だ。
「どうどう?」
「…………これなら、みんなが君に注目する」
数瞬、目も思考も奪われてしまった。それくらい、彼女たちの色香は群を抜いている。
邪まな考えは取っ払って、なんとか当たり障りのない言葉を絞り出せた。
「愛、見せつけてこい」
「うん!」
パチン、と勢いよくハイタッチをかます。
じ~んと余韻が残る手が痛いが、それだけ彼女がやる気があるということだ。
「私には何もないのかしら?」
わざとらしく眉を顰める果林を、僕は指差した。
「頑張れ。愛に負けたら、Alpheccaの地獄のしごきが待ってるぞ」
「勝ったら、ご褒美を貰える?」
「フレンチトーストは? 虹ヶ咲のカフェの、人気のやつ」
「甘い物は控えてるの。それより……湊くんのハグは?」
「誰に聞いた。璃奈か、せつ菜か、エマか」
「そんなにハグしてるの?」
げ。しまった。
「えー、カリンずるい! じゃあじゃあ、愛さんが勝ったら、その権利貰うかんね!」
もう始まるっていうのに、まるで部室で喋ってるみたいな空気感。
カチコチに緊張するほど経験がないわけじゃないし、それにこっちのほうが彼女たちらしい。
「あと一分で開演でーす」
手伝いに来てくれている映像研究部の人が知らせてくる。
「おっと、ほら、準備準備」
「期待してるわよ、湊くん」
「やっぱナシってのは、ダメだからね」
「いいから、行ってくれ」
出来ればステージが終わった時に記憶から消えていますように、と祈りつつ、二人の背中を叩いた。
暗転したステージの上に、二人は並び立つ。
観客がそれに気づいて、ざわざわとし始めた瞬間、壇上にスポットライトが当たった。
「みなさんこんにちは。私たち、Diver Divaです!」
登場して、たったそれだけ言っただけなのに、会場内が爆発したかのように歓喜の声が上がる。
配信コメントも次々に打ち込まれ、目で追えないほど流れていく。
「今日はここにいるみんなも、画面の向こうの君も、全員魅了してあげるわ」
「みんなー! 楽しむ準備は出来てるー!? 出来てない人、いるんじゃないのー!?」
愛は観客に向けて、そしてカメラに向かって指を差す。
「でも大丈夫! 愛さんの中には、小さい頃から貰ってきた、たくさんの『楽しい』があるから、それを今からみんなにあげる!」
家族や友達、仲間やライバルからも受け取ってきた、愛の心を形作るもの。ただ受け取るだけじゃなく、何倍にもして広めていこうとしている。川本さんが彼女にそうしてくれたように。
「明日から一歩でも、進んでみようって思えるような、最高のライブをするから。だからここにいるみんな、配信を見ているみんな、笑顔になる覚悟は決まった?」
「逃がさないわよ」
ぱちん、と果林がウインクしたのを合図に、曲が始まる。
同時、競い合うようにして、なのにぴったりと息の合ったダンスで一気に目が惹きつけられる。
火花散るような二人のパフォーマンスが、衝突して融合して、弾けたものが客席にも裏で見ている僕にも降りてくる。
スクールアイドルは凄い。身近で毎日見ても、こうやって本気を見せつけられるといつも思う。
同じ高校生とは思えないほど高いところにいるように見えて、熱く輝いている。
大人は、それに合わせて苦いものを感じてしまうかもしれない。
過ぎ去った時を思い出して、苦しくなってしまうかもしれない。あまりにも眩しい姿に、目を伏せて、背けて、避けてしまいたくなるかもしれない。
それでも彼女たちは続ける。届け続ける。佇んでるだけじゃ、みんなに愛は伝わらないから。
容赦なく照りつけてくる陽の光のように、あるいは暗い中を照らしてくる星のように、DiverDivaは自分の輝きを放つ。どんな人であろうと、見てくれている人へ平等に。
否応なく心が躍る。体でリズムを刻む。誰もが、共に楽しみたいという気持ちから逃れられない。逃してはくれない。
だから愛は言ったのだ。『笑顔になる覚悟は決まった?』と。
ずっと続いてほしい時間は、最高潮のまま終わりを告げる。
一つもミスすることなく歌いきり、ビシッと最後の決めポーズ。
極まって涙しているファンもいる。配信の反応も好意的なものばかり。
声援も拍手も鳴り止まない。これを見てくれているみんな、すっかり二人の虜になったようだ。
僕もその一人。すぐにステージ裏にはけるように言うはずが、彼女たちの美しさに見惚れてしまっていて、口をぽかんと開けるだけだった。
綺麗で、かっこよくて、見ていて楽しくなる。そんなの、目を離せなくなるに決まってるじゃないか。
Diver Divaは観客に手を振り続ける。熱は冷めることがなく、拍手やサイリウムの波は止まない。
愛が何かを見つけたかのように、動きが止まった。その視線を追うと、観客席の最前列に川本さんの姿があった。
△
「会場に来てくれるなんて思わなかったよ!」
ライブが終わった後、僕たちは川本さんを控室に通した。
せっかく来てくれたのだ。愛が伝えたかったことを受け入れてくれたかどうか、熱が冷めないうちに聞いておきたかった。
「体が勝手に動いちゃったの」
その言葉と柔和な微笑みが、全てを物語っていた。
遊んでいたときに見せていた陰はどこか遠くへ。代わりにそこにいたのは、愛や果林のように自信に満ち溢れた、大人の女性。
多分それこそが、愛が大好きな川本美里さんなのだろう。
「胸が苦しいくらいにドキドキして、心が動き出して……楽しかった」
愛にとって、そして一緒にステージを作り上げた僕たちにとって、一番の誉め言葉だ。
感極まった川本さんは、前のような大人しいお姉さんの姿を置いて、感情のままに愛に抱きついた。
「私、愛ちゃんのファンになってもいい? 愛ちゃんのライブ、すっごく笑顔になれて、頑張る力が貰えるから」
「うん!」