もうそろそろ残暑も消えてきたころ。
外でストップウォッチ片手に立っている僕のところへ、果林とディアが練習着でやってきた。
「あら、まだ誰も来てないの?」
「ううん。もう愛とロッティが走ってるよ」
今日は進路相談や生徒会会議などが重なって、メンバーが揃うのは遅れる。
同時に一番乗りで部室に来た愛とロッティは、待っている間に競争を始めてしまった。僕は連れてこられた審判役、というわけだ。
「君たちも走る?」
「今日はいい」
「ユニットでのライブを終えたいま、Alpheccaのパフォーマンスを見ればもっと気づくことが多いんじゃないかって、ディアちゃんとロッティちゃんに踊ってもらうの」
そのロッティはいま走ってるけど……まああの子は体力バカだから、ちょっと動いたほうが調子良いのかもしれない。愛も同様。
ウォーミングアップというには、校舎をぐるっと一回りってかなりハードだけど。
「そういえば、昨日、美里さんに会ったわ」
柔軟を始めた果林の声を耳で拾いながら、目は校舎のほうを向く。
「元気そうだった?」
「ええ。夢に向かって頑張るんだって言ってたわ」
「僕らも負けてられないな」
川本さんを元気づけた手前、途中で諦めるなんてことはできない。川本さんにだけじゃなく、これまでファンになってくれた人、協力してくれた人、これから同好会を知る人に向けて、夢を見せなければ。
「そのミサトって人、どんな人?」
果林はスマホを取り出して、写真を見せる。この間の、退院祝いで遊んだ時の写真だ。
「美人」
「実物はもっと綺麗よ。ね、湊くん」
僕は頷く。
あの人が普通の学生生活を送っていたら、寄ってくる男がわんさかいたであろうことは想像つくくらいだった。
これからもたぶん、言い寄られることが多くなってくるのではないだろうか。
「ミナト、年上好き?」
「年下好きじゃないかしら。璃奈ちゃんをあれだけ溺愛してるんだもの」
「ミナト、『妹』に甘い」
「そういえばそうね。璃奈ちゃんだけじゃなく、遥ちゃんにも目をかけてたし……」
「アイが妹属性持ってるって知ったら、映研部にまで言って機材借りてた」
「あれは、川本さんの存在を知る前から交渉し始めてたからノーカン」
というか、別に無差別に『妹』に対して甘く接しているわけじゃない。力になってあげたいな、という対象がたまたま誰かの妹だっただけで。
「ロッティにも甘い」
「ディアちゃんのほうがお姉さんなのね」
「双子だからそれもノーカン」
「意固地ね」
それはどっちだか。
シスコンなのは認めるが、見境ないみたいな言い方をされるのは心外だ。僕自身はちゃんと平等に接してるつもりなのに。
「で、どっちなの? 年下がいい? 年上? それとも、同い年のほうがいいかしら?」
椅子を寄せて、こちらに近づいてくる果林。それに合わせて、僕は同じだけ遠のいた。
「そろそろ慣れてよ。ほら、美人は三日で飽きるって言うじゃない」
「君は普通の美人じゃないだろ」
「ミナト、遠ざける気ない」
「ね。焚きつけるようなこと言ってくれるじゃない」
「焚きつけるって……そんなつもりないぞ、僕は」
「なおさらね。あなた、私以上にタチが悪いわよ」
タチが悪いことを自覚してるなら、やめてほしい。僕は一応、健全な男子高校生で通っているのだ。そんな誘惑みたいな真似事をして、理性の糸がプッツンってなったらどうするの。
「うおおおお!」
「ヌアアアア!!」
バイソンが地面を蹴るような猛烈な音とともに、空に響く叫び声がこだまする。校舎の陰から、並んで走る愛とロッティが現れたのだ。
かなりの距離を走ったはずなのに、陸上部もびっくりのスピードを落とさず、僕たちの前を通り過ぎる。そこから徐々にスピードを緩めて、Uターン。いい汗を流しながら、こちらにやってきた。
「みーくん、どっちが速かった?」
「同着」
「ビデオ判定シヨ!」
「撮ってません」
あれだけの速度でランニングしながら、二人とも元気すぎ。さすが、部室棟のヒーローと、ずっとトレーニングを積んできた天才。
「だぁぁ、勝負はお預けかー」
「マタやろうネ、アイ!」
「もちろん!」
さっきの拮抗ぶりを見るに、勝敗を判定するなら、ちゃんとした良いカメラを用意しなきゃいけないんじゃないか。
映像研究部、また協力してくれるかなあ。元々ファンだったけど、前のDiver Divaのライブでさらにメロメロになってたから、ちょっとくらい融通してくれるとは思うけど。
「何か話してたっぽイ?」
「湊くんは女の敵って話」
スポーツドリンクを一気飲みしながら質問するロッティに、果林はそう返した。
「ナルホド」
「わかるわかる」
「そんなノータイムで頷くほど?」
女の人に、僕はどう映ってるんだか。
「そんな女の敵にハグを求めるなんて奇特な……」
あ、やば。と思って、口を閉じたときにはもう遅い。
「そういえば、そんな約束をしてたわね」
「ミナト、ハグするの?」
「この前のライブ、良かったほうがハグしてもらえるって決めてたの」
「僕は了承してない」
「え~? ナシにするのはダメだって言ったじゃん」
ずいずいと詰めてくる愛と果林。
「みーくん、嘘つくんだぁ。アタシには、言ったことを嘘にしないでって言ったくせに」
「エマたちにはしたのに私たちにはしないなんて、区別するような人じゃないわよね?」
ユニットを組んでから、愛も果林のような攻撃方法を駆使してくるようになった。
これは非常にまずい。ただでさえ果林一人でも大変なのに、三年生組に加えて、愛も加わってくるとなると、本格的にいじられキャラになってしまう。
「ニホンのラブコメ漫画でよく見ル、修羅場ってヤツだネ」
「ミナトの日常茶飯事」
Alpheccaは他人事だし。
「で、どっちが」
「みーくんにとって良かった?」
右から左から美人二人に詰め寄られて、しどろもどろになってしまう。
そもそも、ベクトルの違う二人を比べるなんて不可能だ。
愛はビシリと決まったダンスに、快活な歌。対する果林は、しなやかな動きと、綺麗な声。
どちらがどれだけ良いとか悪いとかじゃなくて、両方とも他にはない魅力がある。それを、勝ち負けどうしようというのがナンセンスな話なわけで……
「引き分けってことね」
「ってことは、愛さんもカリンも勝ちってことだね!」
「待っ──」
「だってどっちが優れてるか決められないくらい、どっちも良かったってことだもんね?」
「それはそうだけど──」
「なら両方ともご褒美貰えるわよね?」
引き分けなら両方とも無しじゃないんですか。
「湊くん、問答無用よ」
言葉通り、有無を言わさない鋭い目つき。果林がじりじりと間を埋めてくる。
「ほん、ほんとに待って。それ以外、それ以外でお願いします」
前に、エマを抱きしめた時は、あと一歩で理性が壊れるところだった。実際、せつ菜が止めてくれなければどうにかなってしまっていただろう。
あれと同じ轍は踏んではいけない。
あまりの必死さに、ひとまずは彼女らも僕を追い詰めるのをやめてくれた。
「どーする、カリン?」
「そうね、このままエマたちの後追いっていうのも癪だし……」
「他のみんながみーくんにやってなさそうなこと……あっ!」
にっと口角を上げる愛に、僕は嫌な予感を感じた。
△
「あの……」
「動かないで」
「思ったより気持ちいーよ、みーくん」
「はい……」
見上げてくる二つの顔に、力なく返事する。
彼女らが呼吸をしてわずかに頭が動くたび、それを乗っけてある僕の膝に、その重さが布一枚を隔てて伝わってくる。
わざわざ部室まで移動し僕をソファに座らせて、愛が提案してきたのは、膝枕である。
片膝に頭が一つ。それが両膝ぶん。
ほぼ真下からじっと見つめてこられるというのはなかなか新鮮であるし、甘さと爽やかさの混じった匂いにつられて、つい顔を近づけてしまいそうになる。
それでもハグよりは断然マシなのだが、僕の中の理性という文字が端からガリガリと削られていく感じがする。
しかし、だ。何度こう思ったかわからないが、こうなってしまったらもう仕方ない。
強情な彼女達に、文句も抵抗も意味をなさないのだ。
「羨ま」
「仲良シ!」
野次馬のAlpheccaがいたのが、なにげに救いだった。そっちと話すという名目で、顔を逸らせる。
「仲良しの線を越えてる気がする」
虹ヶ咲は女子のほうが多いからか、男女入り混じった友達グループがよく見られる。だが、その中でもこんなことをしている人はいなかった。少なくとも、僕が知る限りでは。
膝枕なんて、カップルでしかやってない印象を持っている。
「僕の膝なんて、何のご利益もないのに」
「そんなに嫌なら、今からハグに切り替えてもいいのよ」
「それか、愛さんたちに膝枕されるほうか」
「このままでお願いします」
彼女らに膝枕されるなんて、男の夢だろう。だけど、されてしまったらどうなってしまうことやら。
最近緩くなりつつある精神が、壊れてしまうかもしれない。そうなったら彼女らに申し訳ない。なんでもしていいと二人が望んでいるわけでもるまいし。
「みーくん、顔ガッチガチだよ」
「そりゃあ、こんなことして平静でいられるような人間じゃないから、僕は」
「りなりーにもしたことないの?」
「ないよ」
意外そうな顔をされた。
璃奈や彼方に何度もおねだりされたことはある。しかしそのたびに断ってきた。
膝枕なら他の人のほうが気持ちいいだろうし、ちゃんと寝るならクッションや枕がそこらにある。
それに、これは黙っているけど、一番の理由は……僕が手を出しかねないからだ。手のすぐそこ、ほんの少し動かすだけの位置に可愛い女の子がいるとなると、我慢ゲージが壊れてしまいそうなのだ。
「じゃあ、愛さんたちがハジメテなんだ?」
「優越感に浸れるわね」
「趣味悪いぞ」
男の膝枕なんて何がいいんだか。特に僕のなんて、太くてむっちむちというわけでもなければ、筋肉モリモリというわけでもない。感触的にも面白いもんじゃない。
だというのに、愛も果林も満足げに顔を綻ばせる。その表情に何か熱っぽいものを感じるのは、気のせいだと思いたい。
二人同時だったのは正解だった。
これがもし一対一だったら、人目がないのをいいことに、ハラスメント的なことが起きていたかもしれない。
それくらい、彼女たちは目が離せない存在で……
「はっ!」
気づけば、じっと果林と愛の目を見つめていた。
吸い込まれそう、というのはこのことか。美人すぎるからちくしょう。
「もっと見ていいのよ」
必死に逸らそうとしているのに、そんな挑発的なことを言われる。
「ゴクリ……」
「えっち」
体の反応と心の呟きを、ロッティとディアが代弁する。
妖艶に微笑んで、指を胸のあたりにもっていく視線誘導。
愛もじーっと視線を注いできて、整った顔を真っすぐ向けてくる。
この人たち本当に高校生か? 僕じゃ到底太刀打ちできないレベルの色香を放ってるんですけど?
「お、終わり! もういいだろ!」
我慢の限界に達した僕は、無理やり顔を上げさせて、その場から脱出。立ち上がって、息を整える。愛と果林は、残念だというふうに口をとがらせながら起き上がった。
ああもう、誰でもいいからこの空気を飛ばしてくれるような人が来てくれないか。
熱くなった体を手で扇いで冷ましていると、願いが通じたのか、扉を開けて入ってきた人物がいた。
「こんにちは~……って、湊くん、顔赤いけど……大丈夫?」
彼方だった。
進路相談が終わったばかりで、少しくたびれた様子だ。
「大丈夫。なんにもないから」
「ほんとぉ? 湊くんは無理ばっかりの隠しごとばっかりだから、信用ならないなあ」
何があったか、僕からは引き出せないと感じた彼方は、ちらりと果林のほうを向く。その視線に気づいた彼女は、得意げに胸を反らした。
「ふふ、本当に何でもないのよ、彼方。ただ、湊くんの膝枕を堪能したってだけよ」
「!?」
「ね、愛」
「うんうん。ちょー気持ちよかったよね、カリン」
「!!」
珍しく目を見開き、彼方は果林と愛を交互に見比べたあと、傍観者たちのほうへ首を回した。
「ロッティちゃんたちも?」
「ううん。指をくわえテ見てタ」
「でも次はわたしたちの番」
ぎらり、と三人の目がこちらへ向く。しかしその時、僕はすでに部室から抜け出していた。
三十六計逃げるに如かず。
立ち向かえなくなるような状況になる前に、逃げるのが一番の手なのだ。たとえ、後ろから追ってくる足音が聞こえてくるとしても……!