中川菜々。
虹ヶ咲の生徒会長。
真面目で勤勉。全生徒の名前と顔、学科を覚えている。
「前、見ないと危ないですよ?」
性格は大人しく、眼鏡と三つ編みがそれに拍車をかけている。
だけども、その見た目とは裏腹に、行動力はピカ一。生徒が困っていれば西から東へ。また、何かしら事件が起これば自らが率先して動く積極性もある。
「あ、あの……そう見つめられると、恥ずかしいです」
中川さんの言葉に、はっと我に返る。
隣を歩く彼女に、しばらく見惚れていたようだ。
「ああ、ごめん」
「私の顔に何かついていますか?」
「いや、やっぱり全然違うなって」
優木せつ菜とはイメージが結びつかない。顔は同じなのに、スクールアイドル同好会以外にばれていないのはそのせいだろう。
ホームページに載せる優木さん用の紹介文を考えていたのに、途中から逸れてしまったくらいだ。
中川さんは可愛らしく、むっと頬を膨らませた。
「もう、部活動している時間以外は、私のことをせつ菜として扱うのは禁止って言ったじゃないですか」
「ごめんって。もう言いません」
他愛のない話をしていると、目的地である生徒会室に着く。中川さんが鍵を開け、紙の束を抱えている僕を通してくれる。
これは、学校各所に設置してある要望ボックスから回収してきたアンケート用紙の束だ。ようは目安箱みたいなもので、一枚一枚に生徒の望みが書いてある。
最近は回収にいけなかったようで、かなりの数が溜まっていたらしい。中川さんが四苦八苦していたところ、通りがかった僕が手伝いを名乗り出たというわけだ。
「ここでいい?」
「はい。ありがとうございます」
会長机の上に、三十センチにも届く用紙を置く。
「これくらいならお安い御用だよ」
とは言いながら、崩さないように持ってくるのは大変だった。
よかった、偶然通りがかって。中川さんがこれを持っていたら、前が見えなくて転んでいたかもしれない。
「それに、大変なのはこれをチェックする中川さんのほうでしょ」
「生徒会長たるもの、生徒の要望を知っておくのは当然です。もちろん無茶なものは即却下しますが」
「一割もまともなやつがあれば良いほうなんじゃないか?」
僕がそう言うと、彼女はため息をついた。
持ってくるときにちらりと見えたが、『映画館が欲しい』とか書いてあったしな。
「そうなんです。食堂にスターバックスを入れてほしいとか、授業で使ってる端末をもっと良いのにしてほしいとか……生徒会の枠を超えるものまで毎日毎日……」
そこまで言って、彼女はばつが悪そうな顔でこちらを見た。
「あ、すみません。つい……」
「いいよ。生徒会長も溜まるものはあるだろうし、僕でよければいつでも話を聞くよ」
虹ヶ咲はその施設・設備の充実さと、『自由』な校風がウリだ。
それはつまり、生徒がのびのびと活動できる一方で、責任も生徒にのしかかってくるということ。
何かあったら、生徒代表である中川さんの元へ話が飛び、解決のために奔走しなければならなくなる。
前の、はんぺんを追いかけていたのは一つの例に過ぎない。
いろいろと便宜を図ってもらってるぶん、僕もお返ししないと。
「ふふ、優しいんですね、天王寺さんは」
「どうかな。暇なだけかも」
「でしたら、少しだけお話を聞いても?」
もちろん、と頷いて、僕は一つの椅子に座る。
中川さんは棚からカップとソーサーを取り出して、部屋に置かれているポットから紅茶を注いだ。
「そんな、わざわざいいのに」
「お話を聞いていただくお代です」
してやったり、みたいな顔で言ってくる。それを言われると断れないな。
彼女は僕の前にカップを置いて、前に座った。
「その後のスクールアイドル同好会はどうでしょう」
「そんなの後で……」
と、言いかけたところで止まった。
「いや、生徒会長たるもの部活動も把握しておかなきゃ、だもんね」
「ええ、そうです。あくまで生徒会長として、新設された部が気になるだけです」
優木さんも戻ってきて復活したスクールアイドル同好会。傍目から見てどうなるのかが気になっているようだ。
一度喧嘩別れした手前、優木せつ菜としてその質問をするのはちょっと気まずいんだろう。
「そうだな……前のメンバーに加えて、高咲さんと上原さんが入ったことで、活気づいてる。中須さんと優木さん、それにこの前上原さんのMVも投稿して、知名度がどんどん上がってきているね。それに触発されて、みんなやる気も上がってきてるし……うん、上手くいってると思うよ」
天真爛漫な高咲さんが間に入ってくれているおかげで、ぎくしゃくした空気もない。
ほんと、あの子がいてくれるだけで事が順調に進んでくれる。
高咲さんは僕のことを、サポートの先輩として尊敬してくれているみたいだけど、僕のほうこそ尊敬の念でいっぱいだ。
彼女がいなければ、同好会が復活するのはもっと遅く……下手したら、解散したままだったかもしれない。
「では……」
言い淀んで、中川さんは続けた。
「では、天王寺さんから見て、優木せつ菜さんはどう思いますか?」
怖がっている様子で訊いてくる。
こっちが本命の質問か。
一度抜けて、戻って来た優木せつ菜に対して、思うところはないか。
そういえば、僕は改めてそんな話をしていなかったな。
「最初はちょっと固かったけど、最近はほぐれてて、良い感じだよ。みんなとのわだかまりも消えて、もう隔たりなく活動できてるみたい」
元同好会の四人も、もう全然気にしてないようだった。あの時のことは水に流して、ただただ彼女が帰ってきてくれたことが嬉しいのだ。
「安心したよ。ふさぎ込んでたままじゃ、優木さんの魅力は発揮できないから」
「スクールアイドル同好会にいてもいい、と?」
「前に言った通り、いたい場所を離れる必要なんてないよ」
「それは、はんぺんさんに言ったんじゃありませんでしたっけ」
「そうだったかな」
僕もまた、優木さんを待っていた一人だ。
彼女に魅了され、ファンになった身としては、復帰を喜びこそすれ、負の感情を抱くはずがない。
「ファンも、君がまた歌って踊るのが嬉しいってのが全部で、勘繰ってくる人はいないしね。もう気に病む必要はないよ。動画だって、とっても元気が貰えるって好評だ。僕も大好きだよ」
優木さんの炎のような情熱は、周りを巻き込む。
以前はそれが悪いように作用してしまったけど、今回は高咲さんが包んでくれて、みんなも理解してくれている。
このままいけば、予定通りに……と考えている途中で、中川さんの顔が赤くなっているのに気が付いた。
「わ、わ、わ、私じゃなくて、ですね。優木せつ菜さんのこと、です……」
「あ、ああそうだった。そう。優木さん、ね」
禁止って言われたのに、また中川さんを優木さんと混同してしまった。いや、混同というか、同一人物なんだけど。
約束を破ったせいか、あんなに顔を赤くさせて……怒らせてしまったみたいだ。
「でも、その……」
中川さんは消え入りそうな声でこう言った。
「ありがとうございます」
△
優木せつ菜。
中川菜々のもう一つの姿で、世間的には正体不明のスクールアイドル。
情熱とクールを持ち合わせた、かっこいいアイドル。
みんなを引っ張るリーダー役で、一番人気。
「さあ、張り切って練習しますよ! いざとなれば、」
前のめりになることがあって、ちょっと暴走することもあり。
「の、前に最終チェックだよ、優木さん」
昨日屋上でやったゲリラライブ。その様子はこっそり撮っておいた。
そのまま投稿したそれとは違って、今確認しているのはちゃんと録音して、ちゃんとカメラを回した動画だ。
徹夜で編集をして、望み通りのエフェクトをもりもり入れている。
元々それなりに有名だった優木さんの動画は再生数も期待できるから、ある程度魅せる編集も必要なのだ。
「くうぅ~、このアングル、爆発、たまりません! 流石です!」
「アイデアのほとんどは、高咲さんに出してもらったものだけどね」
「いやいやほんと、ちょっとだけ口を出しただけですよ」
「いやいやいや、高咲さんのアドバイスのおかげで、格段にクオリティが上がったよ」
教えるついでに編集作業を見せているとき、高咲さんは色々と斬新かつ大胆なことを口に出し続けた。
僕からは出ない良い案で、しかも優木さんにピッタリ合うアイデア。驚異的な後輩が味方になってくれたと驚愕したものだ。
「最高です! このまま投稿しましょう!」
「投稿するのは夜ね」
見られやすい時間帯に動画載せて、少しでも再生数を稼いでおかなければ。
うずうずする優木さんはいてもたってもいられないみたいで、頬を膨らませる。こういう年相応なところは、中川さんの時にはちらりとしか見えない。どっちが素なのかと訊かれれば、おそらくどっちもなのだろう。
真面目と情熱。その二つを持ち合わせてるからこそ、彼女はこんなにも魅力的なのだろう。
「いつにもまして元気だねえ。いいことあった?」
「ふふふ、秘密、です!」
近江さんが何かに気付いたのか、僕と優木さんを交互に見る。にやにやとした表情で。僕は関係ないとばかりに小刻みに顔を横に振る。
だけども、優木さんはこれ見よがしに僕にウインクした。
近江さんの口角がさらに上がるのを見て、僕はため息をついた。