「ハグ」
「アウト」
「膝枕。するほう」
「アウト」
「一緒に寝転がる」
「アウト」
「頭を撫でる」
「アウト」
「厳しすぎないか?」
「これでも甘めに見てる」
文化祭の喧騒が直に聞こえてくる中、普通科の教室の前の廊下で、隣の男に呆れられる。
彼のクラスであるこの普通科特進クラスの出し物はラーメン。ツテでスープや麺を安く仕入れているらしく、しかも味も一級品ときた。聞けば、中学の文化祭で同じような物を作ったことがあるんだと。
こうやって話している間も、客がひっきりなしに教室へ入っていく。
そして、友人の彼はこのラーメンクラスの調理担当長。だが、仕込みは終わって、後は他の人に任せるそうだ。
お互い待ち人がいるから、こうやって待っている。
「というか、そんなことを付き合ってもない女子としてるのか?」
「いや、例として、だよ。あくまで例」
「嘘だな」
ズバリと迷いなく言ってくる。どういった特殊能力なのか、彼はいとも簡単に嘘を見抜いてくる。
「まさか現代日本で、しかもこんな身近にハーレムを築いてる奴がいるとはな」
「ハーレムじゃないよ。虹ヶ咲は女子のほうが多いから、周りに多くなっちゃうってだけで」
「そうやって集まる女子たちとイチャついてるのが、ハーレムじゃないってか」
「イチャついてない」
「抱きついて膝枕して共に寝転がって頭を撫でるのがそうじゃないなら、じゃあどこからがお前にとっての『イチャついてる』なんだ?」
「それは……」
これまでのことを思い出して、それを他の誰かがやっていたらと想像する。
つまり、男の子が十人以上の女の子と一緒に遊んだり遊ばれたりしているところを傍観している……という設定を頭に作り出す。
……舌打ちしたくなるくらいには、羨ましく思う。で、その男の子っていうのは、現実で言えば僕のことらしいと考えると、『イチャついてる』に対して否定しづらい。
僕が言い淀んでると、彼はにやりと笑った。
「いいじゃないか。殴り合いをするよりかよっぽど健全だろ」
「そりゃそうだけど」
殴られるなんて、それはイチャついてるとは言えないだろう。とかそういう文句は無視された。
「今のうちに楽しんだらいい。いつかは選ばなくちゃいけなくなる。誰かと付き合うか、付き合わないか。付き合うにしても、誰を選ぶか」
「僕はそんな……選べるような立場じゃないよ」
「謙遜も過ぎると嫌味に聞こえるぞ、天王寺」
やれやれ、とため息をつかれた。
「ハーレム状態になるくらいには、お前は凄い奴なんだと思うぞ。音楽のことは俺には分からんが」
だからハーレムなんかじゃ……と言っても無駄そうなので黙る。
凄い奴、というのは別に間違いだとは思っていない。
良い曲を作り続けていて、良いステージをプロデュースしてきた自負はある。元々、自分の技術に対しては自信があったのだ。
おまけに、スクールアイドルたちやそのファン、さらにランジュやミアに引き抜きされそうだったこと、Alpheccaの世界的な認知度を鑑みると、天王寺湊はけっこう出来る奴なんだと気付かされる。
だけどもそれと、男女の関係とか男としての価値というのとは別だろう。良い作曲家だからといって、良い男だというわけではない。
世の中の女性がどういった男を求めているのかは知らないが、彼女がいると知られているのに何度も告白されている彼のような男がモテるやつなのであろう。
背は百八十センチを超え、愛並みに運動部の助っ人を頼まれるほど身体能力も高い。
さらに学内でも賢い奴の行く普通科特進の中で一、二位を争う頭の持ち主、という漫画かなにかの主人公のようなスペックだ。なんだこいつ。
「まためんどくさそうなことを考えてるな」
ぎくり。
「自分がどうだとか立場が云々とか、全部取っ払って考えてみろ。他の誰をも差し置いて、目で追ってしまうやつがいるだろ」
全部取っ払って、というのは難しいが……目で追ってしまう、ねえ。そんな、思わず反応してしまうみたいな思春期丸出しなことは普段からしていない。
ほら、思い返そうとしたら、別に誰か特定の人が浮かぶわけじゃない。例えばそばかすがチャームポイントだとか、胸が大きいとか、お世話好きだとか……いや、思い当たりませんねえ。
「浮かんだって顔してるぞ。いるんだな、やっぱり」
「いや、そんな、僕は……」
「そうか? 一年の時からの付き合いだが、多少威圧された程度でほぼ初対面の女を名前呼ぶするような奴には見えなかったが」
「……目ざといね、君は」
「あいにく、目だけは良いもんで」
そう言った彼は遠くに向かって手を振り始めた。その先には、笑顔でこちらに向かってくるボブカットの女の子がいる。
あの子が、彼の恋人か。何度もツーショットを見せられたので分かる。
あちらもぶんぶんと腕を振って、存在をアピールしている。その腕に着けている時計が、光を反射して輝いているように見えた。
彼もそちらに歩んでいき、恋人と腕を絡めて去っていく。お熱いことで。
「湊くん、お待たせ」
残された僕がぼーっと彼らを見送っていると、待ち人が到着する。エマだ。
「さっきの人は?」
「普通科の友達」
「湊くん、男の子の友達いたんだ」
「そりゃいるよ」
僕を何だと思ってるんだ。
虹ヶ咲は男子の比率が少ないから、科を越えて仲良くなるくらい横の繋がりが強いんだぞ。
「わあ、あの子たち仲がいいんだね。ほら、あんなにくっついてるよ」
「噂に違わぬバカップルだな。まるで……」
「まるで私と湊くんみたい、だね」
空気が一瞬止まるほどのことを言い出した彼女に対して、僕の息が止まる。
さっきの彼との会話もあって、なんだかとってもすっごーい勘違いが頭の中で渦巻くが、なんとか追い払う。
「さあ、どこから回ろうか」
「意気地なし」
努めていつも通りに言った僕に、エマは不満そうに口を尖らせた。
△
今朝、僕がこの後のためのとある準備をしていた時、みんなは部室でわいわいと四日間のことをお喋りしていたらしい。
その中には、僕とお祭りを楽しんだ内容まで入っていて、唯一一緒に回っていないエマが膨れっ面でやってきたのだ。
彼女の出してきた条件は、三つ。
一、今日は最低でも一時間の休憩をとること。
二、今日の文化祭をエマと回ること。
三、回る際は二人で。
ようは、一時間確保して、エマと二人きりでいろという内容だ。
ステージが始まるのは正午からだから、人がいっぱいになる午後は避け、午前はどうだと約束を取り付けた。
というわけで、こうやって仕事に追われるでもなくのんびりしているわけだが……
「天王寺さん、これ食べてって!」
「お、天王寺。ちょうど焼きあがったところだ。ご馳走してやるよ」
「エマ先輩、この間はありがとうございました。これ、うちの部で作ってるやつです、どうぞ」
「エマちゃーん、これクリームいっぱいで美味しいよ~」
…………
「なんだかいっぱい貰っちゃったね」
行く先々で、見知った顔がやっている屋台が出し物を持たせてくれる。おかげで僕らの手に下がっている袋には出来立ての食べ物がいっぱいに詰められていた。
第一回の時も、準備段階の時にやたらと食わされたなあ。たった数か月前のことなのに、やたらと懐かしい。
それはそうと、みんな、僕とエマを見て、例外なく生暖かい目で見てくるのはなんだったんだろう。
「くれるって言ってたし、遠慮なく貰っておこう。そっちの袋持つよ」
エマが持っているものへ手を伸ばす。が、ひょいと避けられてしまった。
「ううん、これは私が貰ったものだから、私が持っておくよ。湊くんには別のものを持ってほしいなあ」
「別のもの?」
とんとん、とエマは指で僕の手の甲を叩いてくる。
その行動に僕が首を傾げていると──
「あの人たち、仲良く手を繋いで楽しそうだったなあ。いいなあ」
そこでようやく、僕は彼女の意図を理解した。察してないふりをして、このままとぼけることも出来るけど……
「迷子になったらいけないもんな」
「うん!」
エマのすべすべした手をそっと握る。
なんと触らないルールを制定する前に僕が破ってしまった。しかしエマのおねだりを回避できる者がいるのだろうか。
あとあれ、こんなに人が多いところではぐれたらまずいから。
「ふふ、湊くん。みーなっとくん」
「?」
「みなとくーん」
「なに?」
「ううん、呼んだだけ」
繋いだ手を振りながら、えへへとエマが笑う。可愛い。
あれ、おかしいな。甘ったるい空気の濃度が増した気がする。よからぬ引力が発生している気がする。
纏わりついてくる粘土の高い空気から抜け出そうと、目を逸らす。
脳は半分動作してくれているみたいで、お客さんたちや屋台の人、各教室でやってる催しを見ていると、盛況だなと感じる。
もう半分は、意外とひんやりしている手の感触に持ってかれてるんだけど。
軽音楽部、琴部、吹奏楽部、ダンス部などなど、屋内外問わず盛り上がっているものをちょいと見させてもらいつつ、他にも、こけし部が誇る全国津々浦々のこけしを見たり、ゲーム部主催のガチンコレースゲーム大会や、クイズ部の全員参加型大会にも参加した。
科学部は、小さい子向けにスライム作りをしていたり、化学反応を使った面白い実験なんかも実演してみせたり。映像研究部の自主製作映画もあったり。美術部VS漫画研究同好会のイラスト勝負が行われていたり。
そこかしこで、楽しい企画が目白押し。ついつい足を止めて、首を突っ込んでしまう。そう思ってるのは僕だけじゃない。
「楽しそうだね」
「うん! 日本の学校の文化祭がこんなに楽しいなんて知らなかったよ。みんな、優しくて面白くて……本当にここに来てよかったって思ってる。湊くんもこうして一緒にいてくれるし」
エマは心底楽しそうに、終始にこにこしている。主催側で演者であると同時、彼女も立派なお客さんなのだ。喜んでくれて何より。
「湊くんも楽しい?」
「うん、楽しいよ」
即答する。
この五日間、スクールアイドルだけじゃなく、各学校の生徒たちみんなが文化祭を盛り上げた。
一体感というのだろうか、璃奈の言うような繋がりが目に見えて嬉しく思う。そういったのを通じて、どの学校のスクールアイドルもファンが増えたみたいだし。
思い返すだけで口角が上がってきた僕の頬を、エマは急に両手で挟んできた。
「な、なに?」
「……うん。ほんとのこと言ってそう」
「そんなに信用ならない?」
「だって、いっぱい隠し事されたもん」
「それは……そうだけど」
彼女の手を掴んで、顔から離す。
「湊くんはつらいことがあっても隠しちゃうからなあ。泣いたところも、一回しか見たことないもん」
「そう言うなら、僕は君が泣いたところを見たことないが」
「だって、私は幸せだもん」
「だったら、僕が泣くところももう見れないな」
まだ心の中で消化しきれてないものもあるけど、ほとんど時間が経てば気にならなくなるものだろうし。
「そうだったらいいね」
「あまり、そんな姿なんて見せたくもないし」
「私は、湊くんの隠れた一面が見れて良かった……のかなあ?」
「訊かれても」
「でも、助けられてばっかりだったから、私が湊くんを助けられたのは嬉しかったよ」
それほど『ばっかり』だった覚えはない。僕としてはむしろ、エマやみんなに色々してもらった思い出のほうが多い。
僕がそう感じているように、彼女もそう感じているだけなのかも。
中庭近くのベンチに座り、貰ったものを食べながら道行く人を眺める。
午前中で目玉のイベントもまだだというのに、広い敷地が人で埋め尽くされている。ぱっと見ただけでも、第一回より集まっていることは確かだった。
虹ヶ咲学園の文化祭といったらそれなりに有名で、その部活の多さから屋台やイベントも多く、またそのクオリティの高さから様々な趣味の人が来る。それでも、この数は異常と言わざるを得ない。
自惚れではなく、スクールアイドルのおかげなのだろうと思うと心が躍る。
人と人とが繋がって、これが実現した。そしてまたそれが人を呼び、さらに繋げる。一体どれだけの人数を巻き込んだのだろうか。
でもまだ足りない……なんて思うのは、ちょっとわがまますぎるかな。
「湊くん? どうしたの、ぼーっとして。疲れちゃった?」
「いや。人っていうのはこれだけ無数にいて、そのほとんどとは出会うこともないんだなって」
日本だけで一億五千万人近く。ここにいるのはその0.001%にも満たないだろう。そう考えると、歌の歌詞でよく見る『出会えた奇跡』というのも実感できる。
……いや、あまりにも膨大すぎてやっぱり想像しづらいかも。
「ね、初めて会った時のこと、覚えてる?」
唸っていると、エマは急にそんなことを訊いてきた。
「君が学校の中で迷ってた時のこと?」
「そうそう。私が困ってるときに、湊くんは声をかけてくれて、一緒に次の授業の教室までついてきてくれたんだよね」
僕も移動教室で廊下を歩いてるとき、たまたま地図とにらめっこしている彼女を見つけたのだ。トイレに行っている間に友達が既に行ってしまい、一人でパニクっていた。
虹ヶ咲は広い。口で説明するだけじゃ足りないと思ったからついていった。ついてこさせたというほうが正しいか。
今思えば、その友達をスマホで呼び出してもらえばよかったんだろうけど、僕も彼女もその時は気づかなかった。
「次に会ったのが……」
「食堂」
「うん。そこで、二人ともスクールアイドルが好きだって話をしたんだよね」
「それで、君がスクールアイドルになるからって、音楽科の僕が作曲担当に選ばれた」
どんぶりいっぱいの卵かけご飯を美味しそうに頬張っているところに遭遇し、その席に引っ張られた。
まさかスクールアイドルになるために留学してくるなんて、と心底驚いたものだ。彼女も、僕が音楽科で作曲したことがあると聞いて目を輝かせていた。
「たまたま出会って、どっちもスクールアイドルが大好きで、その湊くんが作曲できる人。えーと、一度目は偶然、二度目は必然、三度目は運命……って言うんだったかな?」
「僕が知ってるのは、一度目が偶然、二度目が奇跡、三度目が必然、四度目で運命」
「だったら──」
エマは置いてある僕の手に、そっと自分の手を重ねた。
「運命を感じるような
──心臓が、どきりと跳ねた。
正直、ここまでされて、ここまで言われて、つらつらと言い訳を並べるのは男らしくない。
でも、迷う。
僕のこれまでとこれからとか、エマのこと、みんな、スクールアイドル活動とか進路。頭の中がごちゃごちゃになってくらくらする。
『自分がどうだとか立場が云々とか、全部取っ払って考えてみろ』という友人の言葉がリフレインする。そんな簡単にいけば、苦労しないんだよ。
でももし出来たら、そんなことが出来たのなら、彼女の言葉に深い意味があるのだと、勘違いしてもいいのだろうか。
いつかは受け入れることが出来るのだろうか。
「……エマ、僕は──」
自分の口から何かが飛び出そうとしていたその時、ポケットが震えた。
頭がぱっと仕事モードに切り替わり、急いでそこにしまっているスマホを取り出す。
見れば侑からメッセージが飛んできていた。その内容はたった四文字だけ。
『助けて』