「つーわけで、あれからどんどこ有名になりまして、SNSも外国人からフォローされたりでして」
文化祭も無事終了し、授業も通常通りに戻ってきた。
その放課後、いつもの通りみんなが着替え終わるのを食堂で待っていると、偶然通りがかったゆるふわウェーブちゃんに相席を申し込まれた。
もちろん断る理由もなく、その後のことも聞きたかったので快諾した。
聞けば、Alpheccaと僕と一緒に講堂ステージでやったバンドがかなりの好評だったようで、その反響についていけていないみたいだ。
フラッシュを焚かなければ写真動画撮影OKだったし、学校のサイトでもステージの様子を流していたから、何人があれを見たのか。僕はもう自分のアカウントの通知切ってるし、毎日適当に呟くくらいしかしてないから影響度合いが分からない。
クラスの人たちにはめちゃめちゃひゅーひゅー言われたけど。
「そりゃあAlpheccaとバンドなんて願ってもない夢っすし、実際めちゃ楽しかったすけど、ここまで有名になるかーと思て」
「いいじゃないか。承認欲求が満たされない人が多い中で、これだけ認められるのは」
「ゆーて、うちにその名声に合う実力があるかってーと」
「まあ、ちょっと足りないかな」
「みーくんさんのちょっとって、富士山くらいありそうすね」
いや、これは本当にちょっと。なにせ、彼女のベースの技術はお世辞抜きに高い。
これが中途半端なレベルだったら僕もディアももちろん、ロッティだって誘っていない。
「でもなー。うちは普通科ですし、軽音も高校卒業したらやり続けるかどうか……」
「そんななのに、あんなに上手いの?」
「まーこう見えてうちは頑張り屋さんすから。流石に、ガチの天才を前にして才があるなんて言えないすけど」
「天才?」
「いやだって!」
ばん、と机を叩いて彼女は声を上げた。
「みーくんさんはぱっと曲を作るわ、ロッティちゃんは一目見ただけで覚えるわ、ディアちゃんはあっという間に歌を完璧に歌い上げるわで、コツコツやってるうちは追いつくので精一杯だったんすからね!」
まあ音楽に関しては携わってきた年数が違うからね。年季の成せる業よ。
というか、あの二人についていけるだけこの子も自信持っていいと思うんだけど。この子が自分と比べてるのは、名門リーデル家の音楽英才教育を受けた最強の双子なのだから。
「そのくせちゃんとこっちが出来るのを待ってくれて、教える時も分かりやすく教えてくれて、優しいかよ!」
そりゃこっちが巻き込んだんだから丁寧に教えるに決まってるじゃないか。そんな声を荒げるほどでもない。
あーもう、と力なく呟いて、彼女は机に突っ伏した。
「愛がピって言うのも分かるすねえ」
「だからそのピって──」
なんなんだ、と言いかけたその時、こちらに駆け寄ってくる知り合いが見えた。
「湊っ!」
「どうしたんだ。そんな息荒くして」
その人──ミアは息を切らして、スマホの画面をこちらに向けてきた。
「これ、これ見てくれ」
彼女の震える手を抑えて、映っているものを見る。
ランジュとのトークアプリでのやり取りだ。そこに書かれていた文字を見て、僕は眉をひそめた。
「……帰国?」
△
「じゃあ、しおってぃーも突然知らされたの?」
「はい」
早速部室に全員を集合させ事情を説明する。
他の誰でもない、ランジュのことだ。
フェスティバルが終わってから何も言ってこなくなったと思ったら、今日突然、近いうちに帰国するとだけメッセージが飛んできた。
それを知らされたのはミアと栞子だけ。
僕らのほうには誰一人としてそんな話は来ていなかった。
「何か、詳しい事情は聞いてませんか?」
「いえ」
「どういうことですかね……しお子にも話さないなんて」
帰国を知らされたミアにも栞子にも、その理由は伝えられていない。ランジュが発したのは一言二言程度で、本当に最低限って感じだ。
このあまりにも急すぎる事態をまだ飲み込めきれないままだが、とにかく何かしないといけないと感じる。
「ミアちゃんは?」
「最高の曲を作ることを条件に、ランジュの帰国を止める約束をしたって」
こんな一方的なのを許すミアじゃない。既に本人に話を聞きに行っている。返ってきたのは、そっけない反応だけだったようだけど。
でもミアは諦めなかった。押しても引いても頑ななランジュを説得するために、彼女の思う最高の曲を作っている。
「湊くんの見立ては?」
「……どうかな」
「珍しいね、みーくんがそんなこと言うなんて」
珍しいも何も、人の心なんてそう簡単に推し量れるものじゃないだろう。ランジュのような人間の心は、特に。
「とにかく話をしてみないことにはわからない。ちょっと行ってくるよ」
△
帰国すると言って、僕たちと連絡も取ろうとしていないが、ちゃんと学校に来て、授業を受けている。
今までと違うのは、あれだけストイックにやっていた練習をしていないということだ。それに、僕たちを避けるように、休み時間にはふらっとどこかへ行き、授業が終わるとすぐ帰っているらしい。
そうやって数日。放課後のチャイムが鳴りった瞬間に教室を出て、すぐ帰ろうと校舎を出ようとするランジュを見つけて声をかける。
彼女は振り返って僕を見ると、毅然とした態度のまま、覇気のない状態で口を開いた。
「帰国するってどういうこと……って言いたそうな顔ね」
僕が喋るよりも先に言い当てられた。
「言葉のとおりよ。日本でやれることはやりきった。全部出し切ったの。これ以上、ここにいる理由はないわ」
「理由がないだなんて……」
「アナタなら分かるでしょ。あれがアタシの全力。言い換えれば、限界なの。それでもアナタたちには勝てなかった。だから、もういいの」
その言葉に、僕は引っ掛かりを覚えた。似たようなことを聞いたことがあるような気がした。
自分で勝手に限界を決めて、勝手にいなくなろうとするその態度や言動を、ものすごく間近で見た気がする。
「ミアが曲を作ってくれたわ。あの子も私を引き留めようとして、必死になってくれたのね。すごくクオリティの高い曲だったわ。ありがたかった。けど……」
残るつもりはない。口に出さずとも伝わってきた言葉に、僕は頭を振った。
「それでいいの? 一番だと証明するんじゃないのか」
「そのつもりだったわ。でも完敗よ」
「らしくないよ」
「そうね。鐘嵐珠らしくないわよね」
ふ、とランジュの顔に陰りが生まれた。
その姿に違和感を覚えて……そう感じる僕自身にズレを感じた。
「とにかく、もう放っておいて」
彼女は僕に背を向けて、遠ざかっていく。
「ランジュ!」
呼びかけても、彼女が止まることはなかった。
△
「それで、だめだったの?」
「思いっきり逃げられたよ」
校内に戻って、顛末を璃奈に話す。
情けないことに何も引き出せなかった僕を、璃奈は気分転換のために屋上へ誘った。
階段を上りながらお互いの進捗を話すと、どうやら他の人もランジュを引き留めようとしたらしい。結果は、どれも似たり寄ったり。
「ランジュさん、頑固だから。お兄ちゃんと同じくらい頑固」
「僕と?」
「一度そうだと思い込んだら、ずっとそう思い込んでる」
人間とはそういうものだ。
一度定着したものはなかなか剥がれてくれない。良くも悪くも、それが癖や個性となって表れる。
璃奈の言うそれも、良い言い方をすれば『決意が固い』となるのだろう。
屋上に繋がる扉を開けて外に出ると、まだ落ちそうもない陽の光が飛び込んでくる。
目を凝らして辺りを見ると、一人先客がいた。
その人は──ミアは手すりに小さい体を預けていて、どこかへ向けた表情はお世辞にもご機嫌だとは言えず、ランジュとミアの間で交渉は決裂したことが分かる。
「あ、ミアちゃん」
とてとてと、璃奈は近づいていく。
「聞いたよ。ランジュに曲持って行ったんだって?」
「ああ。でも意味なかった。ボクの最高傑作だったのに、なんの意味も……っ」
歯を食いしばって、手を震わせていた。悔しいというのが体全体から伝わってくる。
「ミアちゃん……」
「同情なんていらないよ!」
璃奈が伸ばそうとした手を、ミアは怒号で弾いた。
「ボクにはランジュが必要なんだ。いなくなられちゃ困るんだよ。せっかくのチャンスなんだ!」
璃奈が僕を見る。
怒りと絶望と悲しみと……色々なものがごちゃまぜになってしまっている。
こういう時は……
「だからボクは──」
「確保」
「合点」
僕が指示すると、璃奈は彼女を羽交い絞めにする。
「ちょ、何するんだ!」
「連行」
「了解」
△
屋上から一階へ、そして外に出る。校舎から少し離れた、海を見下ろす公園のベンチまでミアを連れていく。
さっきよりも当然地面に近くて、その分浮いていた心も地についた感じがする。
最初は暴れていたミアも、そこに着くころには抵抗しても無駄だと思ったのか大人しくなっていた。
「逃げないから、離してよ」
僕は璃奈に頷いて、ぱっと解放させてやる。
ミアはため息をついて、その場に腰を下ろした。
「はい」
途中で購入したハンバーガーを渡す。
興奮して、イライラして、落ち込んで……感情の急激なジェットコースターは、明らかに、まともな生活を送れていない人の反応だった。
恐らく、彼女の言う最高傑作を作るために寝食を惜しんだのだろう。僕も経験がある。
ちゃんと寝れていないことで精神が不安定になり、ご飯を食べられていないことでイライラが増し、そこにランジュのことが加わったのだ。
だからとりあえず、彼女の好きなハンバーガーを問答無用で食べさせる。
本当はエマを呼んで膝枕でもさせてあげたいところだが、こんなもやもやしてる状態じゃ素直に寝てくれないだろう。いざとなったら彼方とともに強制的に夢の世界へ旅立ってもらうが。
目論見通りお腹が空いていたようで、一口食べ始めたら止まらず、そのまま息をつく間もなくがぶりついていた。
僕らも一緒になって、それぞれ買ったのを頬張る。食べ終わるころには、さっきまでの攻撃的な姿勢は身を潜め、すっかり棘が収まった。
「落ち着いた?」
「……うん」
ミアは深いため息をついて、 空を見上げた。
「ランジュはさ、ボクを誘って日本までついてこさせたんだ。なのに急に帰るなんて、勝手すぎるよ」
「ミアちゃんは、どうしてランジュさんについてきたの?」
「チャンスだと思ったんだ」
璃奈は首を傾げた。
「スクールアイドルが世界的に知られるようになったのは、ボクも知ってる。ランジュのパフォーマンスがあれば、ボクの作った曲がより広まるって、そう考えたんだ。歌えないから、せめて作曲で、ミア・テイラーとして認められないと意味がない」
「歌、嫌いなの?」
ミアは頭を振った。
「歌は好きだった。でも、歌えないんだ。だからもう、歌いたいって気持ちなんて捨てた。だから作曲しかなかったのに」
幼いころ、ミアは親の影響で音楽に触れた。そうして、その素晴らしさに感化され、歌うことに楽しみを見出していた。
当時の歳にしてはとても上手で綺麗な歌声だったと、ある人から聞いたことがある。
その彼女は、ちゃんと練習も積んで、上達していくことに快感を覚えて、ますます歌にはまっていった。両親とも大層喜んでいたらしい。
ある時、発表の場が設けられた。大きなホールで、ぎっしりと詰められた大人を前に歌う機会を与えられた。
好奇の目に晒されることはいくらか覚悟していたはずだが、実際に舞台裏から観客席を覗いて、その覚悟が崩れてしまった。
テイラー家の娘の晴れ舞台となったら、その注目度は桁違いだ。会場にいる誰もが、何百を超える大人たちが期待の目で自分だけを見てくる。
積み上げられたテイラーファミリーという壁が逃げ場をなくし、評価を受けることを強要し、心を圧迫してくる。
小さな少女が耐えられるわけもなく、恐怖さえ覚えた。その怖さはミアの心を侵食して、歌うという行為自体にすら手を伸ばした。
そんな経験があって、ミアは人前で歌うことが出来なくなったのだ。
「笑っちゃうだろ。テイラーのくせに歌えもしない、曲も認めてもらえない。ボクに価値なんてないんだ」
自嘲する彼女の姿はとても痛々しくて、悲しくて、寂しそうだった。
したいのに、出来ない。それはとんでもなく苦しいことで、簡単に心を潰そうとしてくる。
ミアの心は、一度折れてしまったのだ。それでも夢は追いかけてきて、諦めさせてくれない。だからランジュに託したのだ。
今のミアに、僕が出来ることと言えば……
「ミア、作った曲聞かせてくれないかな」
「……いいよ。ほら」
渡してきた音楽プレーヤーを操作して、その場で流す。
学生が作るものとは桁違いで、彼女がネットに流しているものからも頭が一つ抜けている。最高傑作というのに相応しいクオリティで、確かにそれ単体ではこれ以上はないような気がする。
でもそれを聞いて、中盤くらいから、ああやはりと僕は納得した。
「良い曲だよ。僕には作れない」
「だろう? なのにランジュは……」
「ランジュの曲じゃない、とか言ったんじゃないか」
ミアは目を丸くした。図星だったようだ。
「良い曲なんだろ?」
「間違いなくね」
「ランジュにとっての、最高の曲だろ?」
「それは違う」
「は?」
「これはランジュの曲じゃない」
「どういうことだよ。ボクには……わかんないよ」
音楽に対する情熱もあり、実力もあり、それに合うプライドもある。でも、どれだけ技術を持っていても、どれだけ大人びてても、飛び級で三年生だろうと、まだ十四歳なのだ。抜けている部分に自分で気づくのはまだ難しい。
なら遠回しな言い方やきっかけを与える物言いなんかじゃなくて、直接的に伝えるのが僕の役目だろう。
「確かにこれは凄い曲だよ。誰が歌っても、きっと評価が貰える。ランジュが歌ったならさらに、だろうね」
「なら──」
「でもこれじゃ、ランジュを、鐘嵐珠を表現していない」
流石、曲のクオリティはランジュの言う通り一級品。しかしこの曲の中にランジュは存在しない。
ランジュの強さか弱さか、情熱か冷静か、彼女を示すような要素が入っていないのだ。
その代わりに──
「君はきっと、ランジュのことを思い浮かべてこの曲を書いたんだろうけど、この中にスクールアイドル鐘嵐珠はいない。別の人の心が入ってる」
「別の……?」
「君だ、ミア」
そう言っても、彼女は呆けた顔のまま、何を言ってるのかわからないと訴えてくる。
「ミア、君は君が思う最高の曲を作ったんだろ」
「そうだよ」
「君が作った、これ以上ない曲なんだよね」
「さっきからそう言ってるじゃないか」
もう答えは出ている。
僕はそれを直接突きつけた。
「それは、君が歌いたい曲なんじゃないのか」
「そんなこと……」
ミアは俯いた。
気持ちを捨てただなんて言ってたから、自分が歌うための曲を作ったなんて認められないのだろう。
それはつまり、悪く言えば未練たらたらということ。ミアはそう思ってる。
だけど僕から言わせてみれば、それだけの熱が残っているということだ。
ここには確かに君の心が入ってる。どうしても諦められない心が。それを捨てるなんて、もったいないにも程がある。
「ミアちゃん。私、ミアちゃんの歌が聞きたい」
璃奈は真っすぐミアの目を見て言った。
「怖いと思う。私も最初は怖かった。私にスクールアイドルが出来るか、ちゃんと歌って踊れるか心配だった。でもね、同好会のみんなが力をくれるの。ステージに立つ勇気をくれる。やりたいって気持ちを応援してくれる。ね、お兄ちゃん」
「うん。君が歌いたいと願うなら、それを叶えるのが僕の願い。どうか僕の願いを叶えさせてくれないかな」
怖いのなら支える。たった一人だけという気持ちでステージに立たせることはさせない。
弱いと言われてもいいじゃないか。それで好きなことが出来るなら、歌えるなら、きっと縮こまって怯えてた時より立派になれたってことなんだからさ。
「出来る、かな」
「もちろん。テイラーだとか作曲家だとか小難しいことは取っ払ってさ、とりあえず目の前のファンのためだと思ったら、ちょっとは気が楽になるだろ?」
「まだ何も始めてないボクにファンなんて……」
「いるじゃないか、ここに二人」
僕と璃奈はそれぞれ自分を指差した。
「君ならきっとやれる。そう信じているファンに、君の歌を聞かせてくれ、ミア」