「帰国って、今日なのっ?」
エマの驚いた声が部室に響く。
それもそのはず、息を切らしてここにやってきた栞子が急に、『ランジュが今日帰国する』のだと伝えてきたからだ。
「はい。もう空港だと思うんですけど」
「早ク追いかけないト!」
息を整えながら、どうしたらいいか分からないというように視線を右往左往させる栞子の肩を、ロッティが揺らす。
僕も賛成。せっかくミアもこちら側に来たというのに、ランジュだけを手放すわけにはいかない。
それにまだ、僕も栞子もミアも、伝えたいことを伝えきっていない。
「侑、ミアの様子は?」
「まだもう少しかかるから、ランジュちゃんを引き留めてほしいって」
ミアは今、ランジュに聞かせるための曲を作っている。同好会みんなで協力した曲だ。あと少しで完成するはずのそれを披露せずして終われない。
「ランジュちゃんを見つけなきゃ」
歩夢の言葉に、みんなが頷いた。
△
空港の展望デッキには寒い風が吹いていて、朝からコートを引っ張り出してきたのは正解だと感じる。
そこに、彼女はいた。
たった一人で佇んで、星か飛行機が発する光か……あるいはその隙間を埋め尽くす闇を見上げていた。
「ランジュ!」
間には遮るものは何もない。
栞子の悲痛な叫びは、風に吹かれるランジュに届いた。
「栞子……」
振り向いた彼女は、 僕たちに気づいて目を丸くした。
「一体、何なの?」
「少しだけ、時間をくれないかな」
「ミアがあなたのために曲を作ってるわ」
「悪いけど、どんな曲を作ってきても、答えはノーよ」
必死に説得しても、ランジュは頭を振るだけだった。
「言ったでしょ。全部やりきったの。未練はないわ」
誰の目から見ても、嘘だと分かる。
彼女は今にも泣きだしそうな暗い表情で、僕たちとは目を合わせずに下を向いている。
普段の自信満々なのも素であるだろうが、こちらもランジュなのだろう。強がっても強がりきれない女の子。
素直になれない普通の女の子。
「ショウ・ランジュが、それでいいのか」
答えたのは、ミアだった。
どうやら間に合ったみたいで、肩で息をしながら近づいてくる。
すれ違いざま、目で、任せてと訴えてくる。僕は従って、一歩下がった。
「ボクはずっと思ってたよ。ショウ・ランジュほどパーフェクトなやつはいないって。歌もパフォーマンスもプライドも努力も嫌味なくらい全部。そんなやつが本当の夢には手を伸ばさず、諦めて帰ろうとするなんて、らしくないだろ」
「たとえどんな曲を作ってきても、私には──」
「これはキミの曲じゃない」
手の平に収まる音楽プレーヤーを差し出しながら、ミアはさらに距離を詰めた。
「ボクもずっと、手を伸ばせずにいた夢があった。でも諦めるのはもうおしまいにする。キミと違ってね」
痛いところを突かれたランジュが目を伏せる。
「歌が好きだったのに、自信がなくて目を逸らしていた。でも教えてもらったんだ。スクールアイドルは、やりたい気持ちがあれば、誰でも受け入れてくれる」
ちらりと僕と璃奈を見て、彼女はまたランジュへ向き直った。
「だったら、ボクの手もきっと届く。ボクは夢を掴むよ」
ずいっと音楽プレーヤーを押しつけてくるミアに根負けして、ランジュはそれを受け取った。
再生ボタンを押した直後、はっと目を見開く。
美麗な歌声から始まるその曲は、一度ランジュに聞かせたものを再構成したものだ。が、受ける印象は全く違う。
ミアが作り、ミアが歌う、ミアの理想の歌。
閉じ込めていた星への憧れ。廻り廻って、それはまた輝きを放って自らを動かす。
一度は追うことを諦めてしまった星、遠くで輝くそれをもう一度追いかける。自分の手でそんな思いが歌詞にもメロディーにも含まれている。
その星が何を指していて、ミアがどうしたかは、伸び伸びと楽しそうな声で分かるだろう。野暮なことは伝えなくても、ランジュなら理解してくれる。
今のミアは、人に歌を託すだけの少女じゃない。ここにいるみんなと同じ、自分を伝える表現者だ。
曲を全て聞き終わってからも、ランジュは動けずにいた。その目は先ほどまでとは違って、揺れて、動いて、潤んでいる。
けども……
「ランジュ……」
栞子が声をかける。しかし、ランジュは涙を留めて、ふるふると首を振った。
「ランジュ、私はあなたと一緒にスクールアイドルをやりたい。私と一緒にステージに──」
「無理よ!」
ついには涙を流して、ランジュは叫んで言葉を遮る。
「無理なのよ。アタシは、誰とも一緒にいられないの。昔からそうなの。仲良くなりたいと思うのに、どうしても上手くいかない」
「そんなことは……」
「栞子だけよ、アタシと友達になってくれた人は。他の人はみんな、始めはよくてもだんだん遠巻きになって離れていった」
孤高だと思っていた。僕も周りもみんなそう思っていた。
実際、ランジュはそういう風に振舞っていたから誤解してた。スクールアイドル鐘嵐珠は高みへ一人で登る人なのだと。
だけど違う。ランジュの本音はそうじゃない。孤高、などではないのだ。
「独りだったんだな、ランジュ」
誰かに似ていると、ずっと感じていた。その誰かは、自分の方向性を貫こうとしたせつ菜やかすみであり、何が出来るかと模索していた愛やエマであり、強さを表した彼方や侑であり、素直になれずに仮面を被ったしずくや果林であり、自分を押し殺した璃奈や歩夢であり、そして僕でもあった。
「ずっと気にはなってたんだ。君は何故そんなにも独りでやろうとするのか。それを理解するのが遅れたせいで、あと一歩で君を帰すところだった」
自分を誤魔化して、一人でいることに理由をつけて正当化した。
でも、独りを望んでいたわけじゃない。決して、孤独を感じていたいわけじゃなかった。
「ソロだけなのかと思ったらユニットも組んで……あなただってそうよ、ランジュの誘いは断るくせに引き込もうとして……あなたは、あなたたちは一体何がしたいのよ!」
何も分からないというふうに、彼女は首を振って、涙を浮かべて、その場にしゃがみこんで、顔を覆った。
その姿は実際の彼女よりもずっと小さく見える。
僕も膝をついて、ランジュへ言葉をかけ続ける。
「やれることと、やりたいこと」
前にもそう言った。僕の、僕らの、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の方針。
「僕らは決めたんだ。自分たちの中にある夢から目を逸らさずに、追いかけ続けるって」
無理にグループで活動するでもなく、ラブライブに出るでもなく、ただひたすらにやりたいことに手を伸ばす。
ユニットで踊ったりするし、他の高校とも合同ライブをしたりするのは、傍から見ればブレているのかもしれないけど、その中身はずっと真っすぐ正面を向いている。
やりたいことを、やりたいままに、力の限りやる。それを願う人の夢も叶える。僕らはそんな人間の集まりで、スクールアイドルフェスティバルは夢を持つ人の背中を押す場所だった。
実際、それは叶った。
五校のスクールアイドルは百パーセントを見せつけ、三船さんもスクールアイドルとなり、侑も自分の納得する曲を作り上げた。
だけど全部は叶わなかった。ミアも混じった打ち上げに、ランジュだけは混ざらず、交わらなかった。
あの時には既に、ランジュは殻に閉じこもっていた。
そうやって、意固地になってしまった人を何人も知っている。
かつてのかすみもせつ菜も愛も、エマも璃奈も彼方も、しずくも果林も歩夢も、侑も栞子もミアも、そして……僕も。
悩んで苦しんで、それでもみんなで手を取り合った。独りでいる寂しさを知っているから、誰もがみんなを独りにさせなかった。
ランジュもまた、独りでいることに寂しさを覚える一人の少女だ。
そんな彼女を、僕は、僕らは独りにできない。
「求めるものはここにある。それでも迷うなら、僕を信じてほしい」
強引に彼女の手を取る。
僕は彼女のことを見誤った。強く気高い女性だと決めつけてしまっていた。表で見せる姿と本心が違うなんてこと、分かりきっていたはずなのに。
閉じ込められているランジュの心を、そっとノックするつもりで語りかける。
「きっと、答えを教えてあげられるから」
夜の風に当てられ、すっかり冷たくなった彼女の手に、僕の熱が移る。
頑固なランジュには、これくらいこっちも意地で返さなきゃいけないだろう。強い彼女が認めた僕たちが、弱い彼女を彼女自身から守る。それくらい自惚れなきゃ。
「なんでそこまで私に構うのよ……」
どうして、と僕も自問自答し続けた日々があった。
僕も、一人でいるべきだと考えて悔いのないようにやるだけやって、最後は去ろうとした。みんなのことを突っぱねもした。
でもどうやっても、僕を引っ張り上げてくる手は離れなかった。それどころか、どんどんと増えて、いつしか沈んでいくのが難しくなるほどにまでなっていた。
どうして。
その答えはもの凄くシンプルで、でも口に出してくれなきゃ分からないくらい難解なこと。
「友達だから」
ランジュが認めなくても、僕はそう思う。
切磋琢磨して、一緒に東京観光したりスクールアイドル展に行ったり、文化祭を共に盛り上げたり……これで友達じゃないなんて言うほうがおかしい。
そしてその友達が泣いているのだ。どうにかしたいと思うのは当然だろう。
「ランジュ、君は僕たちの仲間でライバルで、友達だ」
ゆっくり、ランジュがその意味を噛み砕けるように言う。
「そうだよ。じゃなきゃ、こんなところにまで来ないさ。それに、ボクを巻き込んだのに、勝手に出ていくなんてさせないよ」
ミアが手を伸ばした。ランジュの空いていた手を掴む。
僕らは同時に引っ張り上げて、縮こまっていたランジュを立たせる。
「……いいの?」
「良いか悪いかじゃなくて、僕は、僕たちは君にいてほしいと思ってる」
元からずっと、みんなそう思っていた。彼女が僕たちの輪の中にいたなら、どれだけ心強くどれだけ刺激的かと。そうじゃなくても、ただの友人として一緒にいたい。
「アタシ、めんどくさいわよ? 空気も読めないし、みんなを置いてけぼりにしちゃうかもしれないし……」
「オイテケボリなんテ、ワタシに追いついテかラ言ってネ!」
「まだわたしたちを越えてもないのに、やりきったって言われるのは心外」
にっと笑いながら、ロッティとディアが答える。
「ま、こんな感じで、君のめんどくささなんて序の口なメンバーが揃ってるんだ。それで僕らが怖気づくとでも思った?」
どれだけ離れようとしても、絶対に離してなんかやらない。しつこいぞ、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は。なんたってこの厄介な男を仲間にしたくらいなんだから。
「ランジュ、怖がることはありません。同好会の方たちは、誰であっても夢を追う人の味方になってくれます」
栞子がそっと、ランジュの頬に触れる。
僕とミアに手を塞がれている彼女には抵抗する術はなく、また抵抗する気もなく、その手を甘んじて受け入れた。
きっとその手は、冷たくも温かいのだろう。憑き物が落ちたようなランジュの顔を見れば分かる。
「私ともう一度、最初から始めましょう」