「それじゃ、君も今は虹ヶ咲の寮に住んでるんだ」
「そうなの。元々の部屋も広すぎたし、こっちのほうがみんなとも近いからちょうどよかったわ」
外でのレクリエーションも終わり、電車でしずくの家へ向かう途中、最近の学校生活についてランジュと話す。
帰国しようとしていた時にあの豪華な部屋を引き払い、女子寮に移ったそうだ。
「学校から近くなると遅刻する人が多い印象だけど、君はちゃんと毎朝決まった時間に起きてそうだね」
「ええ、いつもエマと一緒に果林を起こしに行ってるわ」
「ちょ、ちょっと、あまり変なこと言わないで」
急に話のタネになった果林がほんの少し顔を赤くして焦る。
「君が朝弱いことはもう知ってるから、今さらだけどね。QU4RTZでお泊り会してた時は、愛にモーニングコールお願いしてたんだろ?」
今度は、情報をリークした本人へ鋭い目を向ける。美人の怒った顔って怖い。
「言わないでって言ったわよね、私」
「あはは、カリン、今日はいじられてばっかりんだね!」
「ぷっ、あははは!」
詰め寄る果林にたじろぎもせず、むしろ愛はギャグをかます。侑にも笑われて、ますます果林の目つきが鋭くなった。
「もう、あなたのせいでしょ!」
「ごめんごめん、ごめんってばー」
△
でかい。
しずくは貴族なんじゃないかって、半ば冗談のつもりだったけど、本当にいいとこのお嬢さんだったとは。
左から右まで、見える範囲は綺麗に選定された植物が広がり、その奥にはでんと洋風建築のでっかい家がある。
その光景に見惚れていたが、いつまでも入口でたむろしていてもしょうがないので、しずくを先頭に入ってく。
玄関も広い。旅館みたいとは言わないが、半分の八人が一気には入れるのは十分以上のスペースだろう。
お邪魔しますと言って靴を脱ごうとすると、たたたと軽快な音とともに何か白い物体が奥からやってきた。
「オフィーリア、お出迎えしてくれたのね」
「わんっ」
その大きな生物は、桜坂家で飼っているペットだ。四足歩行なので単純には比べられないが、同じ格好をしたら人間と同じってくらい大きい。
それはいい。それはいいんだが……
「犬……」
僕は呟く。
犬。犬かあ……そういえば犬飼ってるって、結構写真見せてくれたことがあったなあ。
「見テ見テ! こんナに撫でテモ、嫌がらナイ!」
「お手」
「わうっ」
オフィーリアを見るなり、やりたい放題するリーデル姉妹。オフィーリアはされるがままになっている。
「シャル子もディア子も、遠慮なし……」
「まあまあ、オフィーリアも喜んでるみたいだし」
「ワタシ、オフィーリアの毛の中に住ム」
「わたしは肉球の中」
ついにふわふわの毛に顔を埋めだしたロッティたちのスキンシップが嬉しいのか、垂れた目は変わらないけど尻尾がぶんぶんと振られている。
その尻尾もでか……
靴を脱ぎかけた姿勢のまま固まっている僕を、しずくが不思議に思った。
「どうしたんですか、湊先輩?」
「ミナトはイヌがニガテなんだヨ」
「苦手なんじゃないよ。大きくて何してくるかわかんないし、噛まれたら痛いし、ものすごい勢いで向かってくる。あとでっかい声で吠える」
「それを全部ひっくるめて、苦手って言うんですよ」
しずくは苦笑して、オフィーリアの頭を撫でる。
「大丈夫ですよ、噛まないですし、走り回ったりもしないですから、たぶん」
「たった三文字で信用度ガタ落ちさせるあたり、すごいと思うよ」
「褒めてます?」
「褒めてない」
触るのは遠慮しておくとして、さっさと横を通ってしまおう。うわ、めっちゃ見てくる。
「湊先輩に興味津々みたいです」
「怖いこと言わないで」
なんとか刺激しないように横を通っている間もじーっと目を向けてきたけど、大人しくしておすわりをしていた。
一泊お世話になるのだから親御さんに挨拶するのが礼儀というものだ。
大勢で押しかけても困らせるだけだろうということで、ここは代表して僕が。他のみんなは先に行かせ、勝手知ったるかすみと璃奈に先導をお任せ。僕はしずくに連れられ、そのまま別の方向へ。
こうやって家の中を歩いていると、やっぱり広いということが実感できる。廊下は長ーいし、途中にいくつも部屋がある。こんなにいっぱいあって全部使うんだろうか。
廊下の角を曲がりかけたところで、着物を着た妙齢の女性とばったり会う。この人は確か、文化祭のラストステージの特別観客席で見た。雰囲気からして……
「しずくの母です」
やはり。
しずく母がぺこりと礼をする。綺麗な所作だ。しずくの丁寧な言動も、この親から受け継がれてきたものだと納得させるほど。
こんな大人数で来てしまったのだから、こちらもちゃんと挨拶せんばと思っていたところだ。
「天王寺湊と申します。本日はお世話になります」
「あら、ではあなたがいつもしずくがお話している……」
「み、湊先輩! みなさん待ってますから行きましょう!」
「まだ挨拶の途中なんだけど」
「もう大丈夫、大丈夫ですから」
ぐいぐいと腕を引っ張られる僕に、しずく母はもう一度礼をする。そんなところも礼儀正しい。あなたの娘さんは、いま先輩の腕を外す勢いで引いてますけど。
「ごゆっくりなさってくださいね」
「ありがとうございます」
最後にそれだけ交わして、僕は数分引き戻されて襖の向こうの大きな部屋に無理やり通された。
既にみんなが部屋の隅に荷物を下ろしている。僕もそうしている間、しずくはきょろきょろと廊下を見渡した後、襖を閉めて深く息を吐いた。
「もうお母さんったら、余計なこと言って……」
「いいお母さんじゃないか。みんなやっぱり、親御さんがしっかりしてるね」
「他の人にも会ったんですか?」
「文化祭の時に、せつ菜の母親と彼方の母親にね」
どちらもベクトルの違う美人さんで、遺伝子の凄さを思い知らされた。
「あ、お母さん言ってたよ。丁寧でいい子だって」
「僕はいまだにあの人は君のお姉さんだと疑ってるけど」
二人の子どもがいるにしては、あまりにも見た目が若すぎた近江母。美人なスクールアイドル姉妹の親というのは伊達じゃない。
多分、他の子の親もそうなのだろう。うちは……身内だから判断できるかって感じ。
移動時間も長く、外でいっぱい遊んだのにも関わらず、みんなまだまだ元気だ。僕もお泊りということでテンションが上がっているせいか、全然眠くない。
有り余る元気を使ってお喋りをしていると、いつの間にか晩御飯の時間になった。
なんと桜坂家が一から十まで用意してくれて、しかもその内容が豪華すぎる。
天ぷら、味噌汁、好きな人には漬物まで用意してくれるというホスピタリティ。
メインは手巻き寿司で、適度に酢のかかった米が桶に盛りつけられている。その横の大皿には、具となるものが種類も数も豊富に揃えられていた。
「……これだけ用意してくれて、本当に、何とお礼をしたらいいか」
「いいんですよ。みなさん、しずくと仲良くしてくれて、こちらこそお礼を申し上げたかったところです。虹ヶ咲学園に入学してから、しずくはいつも楽しそうで……」
「お母さんっ」
言い終わる前に、しずくがぐいぐいと押していく。
最後まで笑顔でこちらを見てきたしずくの母に、僕たちもまた笑顔で会釈する。
「そ、そういうわけなので、遠慮なくいただいちゃってください」
「はーい」
いいね。こんな豪華な家で、親子も綺麗。けどその関係は普通なのがとてもよろしい。
それはさておき、お腹も空いていることだし、許しも得たし、早速食べるとしよう。
「手巻き寿司なんて、久しぶりだな」
「テマキズシ?」
「そう。今から一個作るから、見ておいてね」
初めてであろう外国人向けに、手本をお披露目といこう。
「まずは海苔の上に酢飯を乗っける。この時、あまり多すぎると巻くのが大変だし、具とのバランスも良くないことになるから、適度な量を平べったく乗せる」
と言葉で言っても分からないので、実際にやりながら教える。具の味をよく感じるためにも、米の量は思ったより少なめでよいのだ。
「その上、真ん中に好きな具を乗せる。どう組み合わせてもいいからね。で、巻く」
「巻く」
今回はストレートにマグロの寿司にしよう。同じように見様見真似でやっていたディアが復唱。
そして、端のほうにほんの少しだけ醤油をつけて一口。
海苔もいいのをパリっと小気味よい音が鳴って、磯の香りが鼻に広がる。米も魚も凄く良いのを使ってるみたいで、醤油をつけなくても良かったくらいだ。
「簡単なのに、美味しい」
「準備は大変だけどね」
飯炊いて酢をかけて混ぜ合わせる。魚は手巻き寿司に合うように、また刺身でも食べられるように絶妙な大きさに切る。どちらも手間と時間がかかる作業だ。下ごしらえをしてくれた人に感謝。
「ミナト、次何食べるの?」
「うーん。順番にいこうかな。サーモンで」
綺麗なピンク色の刺身を箸で取り、先ほどの要領で巻く。そして、醤油の入った小皿に、ほんの少しだけわさびを溶かす。
それもロッティとディアは真似して、豪快にぱくりと食べる。
「ツーン……ッ」
「あはは、わさびは早かったか」
「大将、さび抜きで」
「はい、これならわさび入ってないから」
鼻を抑えながら涙目になったロッティとディアに、エマが自分の作ったのを渡す。
慣れないうちはクるよな。僕もこれの良さが分かったのはごく最近で、それまでは人間が食べる物じゃないとまで思ってた。
「ディアたちはこういうの食べたことないの?」
「寿司屋はあるけど、こういう感じじゃない」
「コッチの国のハ、イコクジョウチョ感あル」
「これはツッコミ待ちなのか?」
まあ国ごとに求められる味なんか違うからね。
日本だって外国料理を国民に受け入れられるようにしてアレンジしまくりだし。中華料理しかり、カレーしかり。健康を害さないで美味かったらそれでいいのだ。
「ミアちゃんは大丈夫? 海苔って、外国の人だと消化できないって聞いたことあるけど」
「ステイツでも何度か食べたことあるから大丈夫だよ。だけど、ライスを盛るのは難しいね……」
「最初は誰でもそんなもんだよ」
言いつつ、彼女の失敗作を受け取り、僕のを渡す。大いに間違いたまえ。
「そういえば、みーくんあれからどうだった? バンド、めちゃめちゃ好評だったんでしょ?」
「SNSにものっすごくメッセージが来て、もう返すの諦めた」
「ニジガクスクールアイドル同好会のプロデューサー兼マネージャー兼作曲家で、その前からも世界中で大人気のAlpheccaの担当も務める謎の人物が姿を現してパフォーマンスしたって、なかなか大事件だもんね」
「ネットはしばらくその話題でもちきりだった」
璃奈が自慢げに胸をそらす。
どんどん肩書というか実績が増えていっているような気がする。
「せっかく人気なんだから、湊くんも動画サイトで個人チャンネルを持ったらいいんじゃない?」
「高校生の間はいいかな。大学生になったら考えるよ」
音楽の仕事をしたいと思いつつも、具体的な姿は思い描けていない。演奏家なのか作曲家なのか……そのどちらにも憧れはあるから、捨てきれないのだ。
かと言って、どちらも叶えてしまおうなんて生易しい世界じゃないのはよく知っている。そもそも音楽で食っていける人なんてほんの一握りなのだ。
そんな厳しい世界に飛び込む前に、顔と名前を売っておくことは重要だろう。学生の時からそうやって有名になった人は何人もいる。そういう先輩たちに倣って、僕もただ腕を磨くだけじゃなくて色々手を出してみようかな。
△
ご飯も食べ終えて、いっぱい遊んでいっぱい喋って、夜もどっぷり更けてきた。
各々お風呂もいただいて、最後だった僕は、連れられた部屋の中を見て目を凝らした。
「しずく」
「はい」
「僕の目には、布団が十六あるように見えるんだけど」
「そうですね」
「で、同好会は全員で十六人だった気がする」
「合ってますよ」
「僕を含めて、十六人」
「大正解です」
寝室だと案内された部屋旅館かと思うほど大きな部屋だ。みんなが入ってもゆったりできるほどのスペースがある。それはいい。
問題なのは、みんなが敷いた布団だ。しずくに訊いた通り、何度数えても十六ある。
一縷の望みをかけて、もう一度同じことを訊く。
「僕用の布団もここにあるように見えるんだけど」
「そうですが」
そうですが、じゃないんですが。
「冗談なら面白い反応できなくてごめんだけど、僕の寝るところに案内してくれないかな。本当のところに」
「ここです」
「……君たち、女子。僕、男子。混ざるのは何かとまずいと思うんだ」
「全然問題ないと思います」
ないわけあるかい!
「部長!」
「どの布団にします、湊先輩?」
「生徒会長!」
「今はせつ菜ですから!」
「栞子!」
「諦めてください。私にはどうにもできません」
もう! バカ!
頼みの綱はどいつもこいつも示し合わせたように、僕の主張を退けてくる。
仕方なく、僕はもう一度しずくに向き直った。
「他の部屋は?」
「ありません」
「物置とかでもいいから」
「湊先輩はお客さんなんですから、そんなところで寝させられません」
「じゃあ外で……」
「逃げるならオフィーリアに追いかけさせますよ」
「本気じゃないよね?」
「本気じゃないと思ってるんですか?」
笑ってるけど、目がマジだ。
オフィーリアがよく躾けられた犬だってのは分かったけど、あの大きな体に追いかけられると考えると……
「大丈夫よ。湊くんは手を出してくれ……手を出してくる人じゃないでしょ? みんなもそれが分かってるし、せっかくだから一緒の部屋で過ごしたいのよ」
「湊さん、諦めよ? 一対十五なんだから勝てっこないって」
「それとも、嫌?」
嫌とか嫌じゃないとか、そういう問題じゃなくて。
「なんにしろ逃げ場はないんだから、観念したらいいのに」
「そうよ、さっさと切り替えたほうが楽になるわ」
……正直、どうにもならないことは既に分かってる。これは最初に確認しなかった僕の落ち度……なわけないと思うんだけど、そう思わないといけないみたいだ。
「……わかった。後でクレームは受け付けないからな」
「やったー!」
僕が仕方なく承諾すると、みんな飛び上がらん勢いで喜ぶ。こういうのは、普通逆だと思うんだ、僕は。
「根負けミナト」
「押しに弱いノ、変わんなイネ」
「こっちとしては手を出してもらったほうがいいんだけど……」
「というか、私たちより湊くんのほうが危ないような」
「ライオンの群れにウサギが一匹」
不穏な言葉が聞こえてきたのを無視。
条件付けとして、壁際端っこの布団を僕のスペースにさせてもらう。
早速そこに寝ころんで、布団を被り──
「それじゃ、おやすみ」
「えぇー、せっかくなんだから、お喋りしましょうよ」
「いいよ、好きに喋ってて。十四人も聞いてくれる人がいるじゃないか」
「むぅ」
「湊くーん、こっちに来てよー」
呼ばれて、体を揺さぶられもするが、いやいやここで負けてはいけない。
万が一にも、何かを間違えて手を出してしまうわけにはいかないのだ。ならば危険なものから封印しておくのが最善。つまり僕が深い眠りについてしまえばいいのだ。
彼女たちがいるのとは逆の方向に顔を向け、目を閉じる。
「仕方ない。アレをやるしかない」
「アレ?」
「ロッティ、アイ、シオリコ、リナ、集合」
ディアの掛け声に、呼ばれた四人が集まっていく音がする。そして何やらこそこそと内緒話をしたかと思えば、すぐそばまで近づいてくる気配がした。
「ネ、ミナト起きテー」
「みーくん、だめ?」
「あの、湊さん、私からもお願いします」
「お兄ちゃん、一緒にお話ししよ」
……
…………
「……ちょっとだけだぞ」
むくりと起きて、ため息をつく。すぐそばにまで迫ってきていた四人の奥で、ディアがにやりと笑っていた。
「妹作戦成功」
「さすが~」
ディアと彼方がハイタッチする。まんまと引っ掛かってしまった形だ。
「ああ、もうだんだんダメになっていってる気がする……」
「よしよし、大変だね、湊くん」
これが一学期とかだったら、断固としてこの布団に入らなかっただろうに。夏休みと二学期を通じて、パーソナルスペースとモラルがなくなっている気がする。
男である僕が、まず第一に線を引いて適度な距離を保たなければいけないというのに。
「妹作戦……?」
「ミナト、『妹』に甘いから」
「ふーん」
ディアがミアに余計なことを吹き込む。
「湊、ちなみにボクも妹なんだけど」
「知ってる……」