この日は珍しく、放課後というのに部室が静かだった。
聞こえる音といえば、僕がキーボードをカタカタ鳴らす音と……
「ふふっ」
時折ランジュの口から洩れる声だけ。
今、部室には僕ら二人しかいない。そのせいで全員揃えば狭く感じるここも、いつもより広く感じる。
他は、課題やら補習やら面談やらで遅れて来るそうで、それまで第二回スクールアイドルフェスティバルの評判だったり、来るラブライブの情報だったりを眺めているつもりなのだが、まだまだ集まる気配がなさそう。
先に練習着になったランジュだが、今は待ちの姿勢だ。
「上機嫌だね、ランジュ」
「ええ。だって、最近とても楽しいもの」
そう言って見せてきたのは、この前しずくの家で泊まった時に撮った集合写真だ。さらに、侑や歩夢、他のみんなとのツーショット写真も次々に見せてくる。
写真を撮りたいと言い出せずに悩んでいた時とは大違い。タガが外れたようにいろんな場面をいろんな人と撮っているようだ。普通の女の子らしくて、実にいい。
「ほらほら湊も、一緒に写真撮りましょ!」
「どこにもアップしないならいいよ」
「見せるだけならいいわよね?」
「見せる人による」
半ば無理やりソファに座らされ、彼女が構えるカメラの枠に大人しく収まる。にっこりと笑みを浮かべるランジュに合わせて、僕も形だけは作っておく。ピース。
ぱしゃり、とシャッター音が鳴った。
「湊は笑顔を作るのが下手ね」
「君たちみたいに練習してるわけじゃないからね」
ランジュが見せてくる写真を見ると、明らかに二人の笑顔のぎこちなさが違う。僕のほうは、お世辞にも上手いとは言えない。
「以前の君も下手だったぞ」
「嘘よ。ランジュは完璧だったわ」
「いいや、今の顔と、前までの顔が全然違う」
彼女のほうはといえば、うちでも屈指の笑顔の達人である愛に引けを取らないほど輝いた顔を見せている。たったこれだけ、一枚の写真でもファンになってしまうのも無理はないほどだ。
それは以前までのどこか張り詰めたのとは全く違って、心の底からのものであることは、比べて見ていた僕にはまるわかり。
「まだ成長途中だね」
「ふふ、そうみたいね」
また笑みをこぼすランジュにつられて、僕の口角も上がる。
最初に会った時とは……いや、最初からこんな感じだったか。詰めて詰めて詰めるところがあるけれど、奥底には純粋な女の子の部分がある。それが表層化してきただけだ。
鐘嵐珠。
今や彼女は、孤高のスクールアイドルなんかじゃなく、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一員なのだ。
実力も人気も抜群。プロ顔負けの度胸も影響力もある、新人ながらうちのエースと言っていい存在だ。
その内面は子どもっぽく、興味のある事柄には突進するが如く手を突っ込み頭を突っ込む好奇心と行動力がある。
誇っていい武器だ……って言うには弾丸すぎるけど、とにかくそういう性格だから、彼女はここに来てくれた。
「ここにいると、以前までの自分がまだまだだって思い知らされるわ。歌もダンスも完璧だったのに……スクールアイドルって、それだけじゃないのね」
時代が変わればスクールアイドルに求められるものも違ってくる。昔はともかく今は容姿や実力だけでは足りない世界になっている。
それもまた変わっていくのだろう。だけどその時に人気が出るのは、流れについていき進化していく者だというのは変わらないんだと思う。
「ところで、みんな遅いわね。いつもだったら集まってるはずなのに……」
「進路相談とか補習とか重なってるみたいだからね。あともうちょっとかかるよ」
「ランジュ、先に練習いこうかしら」
「まあ待て待て」
立ち上がろうとする彼女を引き留める。
「そう焦ることもないよ。もうちょっとだから、ゆっくり待っていよう」
「そんなのでいいの?」
「そんなんでいいの」
実際はソロアイドルなのだから待つ必然性はないのだが、せっかく同じ同好会に所属しているのだ。何もかもバラバラというのは寂しい。
あともう少しすれば何人か来るはずだ。だから腰を落ち着けて、どっしり待っていればいい。
一人の時は緻密なスケジュールを立てて、濃いトレーニングを積んでいたランジュから見ると緩いのだろうが。
全く動く気配のない僕を見て、立ち上がりかけたランジュは逡巡した後、再びソファに腰を下ろした。
「なんだか落ち着かないわ。みんなとお泊りした時もそうだけど……」
「誰かといるのが、新鮮だから?」
同好会に入った時も、しずくの家に泊まりに行った時もそうだったけど、いわゆる友達と一緒にいるランジュは普段より幾分か大人しい。
大人しいというだけで冷静なわけじゃなく、そわそわしていてじっとはしていないけど。
「……そうかも」
「だったら慣れるべきだな。これからはずっとそうなんだから」
これまで一人でやってきたからと言って、その方法をずっと続けていくことはない。同じ所にいるならなおさら。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会にいるならもっと。
急にそうしろと言われても戸惑うだろう。だけどそうしなければいつまで経ってもランジュは一人なのだ。
「アタシは──」
「僕は君にいてほしい。他のみんなも、ランジュがここにいることを望んでる」
ネガティブなことを言われる前に遮る。どうせ、ここにいていいかとかどうしたらいいかとか訊いてくるつもりだったのだろう。
本人にとっては深い悩みだ。決して取り除けないくらい固まってしまってこびりついているものかもしれない。どうにかしようと思うなら、その部分を壊してしまうくらいの荒療治が必要になる。
だから僕は彼女の存在を肯定しつつも、彼女のそういったところは否定していき続けるつもりだ。悪いところを固めてしまった周りも。
かつて彼女と一緒にいた者は、同じものを見たくて、同じことをして、同じものを感じたくて、ランジュは引っ張り続けてきたことだろう。
太陽のような強い眩さに人々は憧れ、最初はついていこうとする。そしてやがて、ついていけなくなる。ランジュは強いから、特別だからと言って、自分とは違う世界の人間だと一線を引いた。
ランジュとの付き合い方というのは、そういうのじゃない。
「だからあとちょっと待ってて」
生き急ぐ彼女に、ちょっと待ってと伝えるだけでいいのだ。一緒にいるから、少し止まってくれと言うだけでいい。無理についていこうとせずに。
「……分かったわ。みんな来るんだものね」
「そう。みんな来る」
馬力のある彼女だから留めるには何人もの力が要る時もあるけど、根気強く付き合えばいつかは僕らも彼女も力を緩められる時が来るだろう。願わくば、それが今年度中であればいいんだけど。
あとは、逆に彼女を牽引していくようなパワフルな友達でもいれば……と何人かの顔が頭に浮かんだところで、ガラッと扉が開いた。
「やっと課題終わったよー」
「うう、かすみん赤点取ってなかったのに……」
「これまでギリギリだったからしょうがないよ、かすみさん」
ちょうどそれぞれの用事が終わるタイミングが重なったのか、みんな一斉に入ってきた。
既に着替えてきたのも何人かいて、早く練習を始めたいと目が爛々としている。
「お、ランジュやる気満々だね。愛さんも準備万端だよ!」
「ワタシも全開モード! ランジュ、400m勝負シヨ!」
「ニジガク最速を決めよう」
「負けませんよ!」
来たばかりだというのに、スポーツ得意なのと熱血なのがバッグを置いて早々外へ行こうと囃し立てる。
競争はいいけど、ちゃんとウォーミングアップしてからにしなさいね。
「ほらほら、ランジュこっちこっち」
「え、ちょ、ちょっと……!」
「ヨーシ、ぶっちぎりデ勝っちゃウ!」
愛が手を引っ張り、ロッティが背中を押す。その有無の言わせなさはランジュ以上で、当の彼女は……
「仕方ないわね。ランジュがトップだってこと、思い知らせてあげる!」
ほんの少し困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべていた。