昼休みは、学内のどこもかしこも賑わっている。食堂なんか行けば、座れる席を探すのが大変で、結局購買のパンを買うなんて生徒も少なくない。
僕は弁当を作ってきているから大人しく教室で食べようかとも思ったけれど、どうしても誰かに話を聞いてもらいたくて普通科の教室にお邪魔した。
向かった先は普通科特進クラス。この学校でもトップクラスに頭が良い集団の、さらに上澄みである彼の隣の席を使わせてもらう。
彼も同じく自作の弁当で、栄養バランスは取れているが僕のより二回りほど大きい。普段、勉強とスポーツに打ち込んでいて、使うエネルギーがとんでもないのだろう。
「期末テスト、もうすぐだな。お前は大丈夫なのか?」
「ぼちぼち。君は?」
「完璧」
冗談めいているが、本当に完璧に仕上げてくるのが彼だ。その脳みその十分の一でも貰えれば悩みが一つか二つ減るのだろうけど。
そんなことは置いておいて、僕は誰かに聞いてもらいたいこと、最近の同好会について余すことなく話をした。
「それで、同好会のまま、部にはならないと」
僕の話をじっと聞いた後、彼はそう言った。
「まあ、いいんじゃないのか。そこにいる奴がいいと言うなら、それがいいんだろ。止まってるってわけじゃなさそうだしな」
同好会でいつづける選択を、彼はなるほどと頷いて肯定した。
頭でっかちでなく、ちゃんと理解してくれるから話を聞いてもらったが、やはり正解のようだ。
「だけどお前はスッキリしてないって顔だな」
「相変わらず目ざといね」
「今のお前を見たら、みんなそう言う」
そんなに分かりやすい? あっさりと言い当てられるあたり、太文字のゴシック体で書いてあるんだろうか。
冗談は置いておいて、僕はその通りと言って続ける。話したいこととしては、こっちが本命だ。
「スクールアイドルフェスティバルやってる時には全く感じてなかったんだけど、なんかさ、何もやってないときにこう……モヤモヤしたものが……」
最近どうにも落ち着かない。合間合間の時間に、ふと心を覆うような何かがやってくるのだ。それがいまいち何か測りかねている。
別のことを考えていたり、体を動かしている時にはそれが頭の隅に追いやられるから、そういった不安を感じた時には何かしら出来ることはないかと探している。
おかげで一学期の時のような、忙しい日々に逆戻りだ。
「スクールアイドル同好会には相談したのか?」
「それはなんか……あの子たちには言いづらくて」
そう。そしてこれが不思議なことなのだが、どうも同好会のみんなには……特に年下にこの話を持ち掛けようとすると、口が止まってしまう。同じクラスのミアに言わずにここに来たのも、それが原因の一つだ。
「なるほど」
僕がかなりの時間をかけて悩んでいることに心当たりがあるようで、彼はまた頷いた。
「分かったの?」
「大体な。そうか。前までの天王寺ならともかく、今の天王寺がねえ……」
彼はにやりとした。
「答えだけ教えておいてやろうか」
僕が頷くと、彼は人差し指をぴんと立てた。
「後で悔やむと書いて後悔」
「そりゃ当然そうなんじゃ……」
「それが分かってる奴なんて、世界で1%もいない」
そうは言われても、そんな当たり前のことをいきなり言われて、それが答えだなんて示されても困る。ただ、読んで字のごとくってだけじゃないか。
「……もうちょっと分かりやすく教えてくれない?」
「言ったら全部言うことになる」
△
天気が良くない。
分厚い雲が太陽の光を遮って、朝から暗い雰囲気がずっと続いていた。
放課後になってもそれは変わらず、外に出ると陰気な空と寒い風が身も心も凍らせてくる。
今日は練習が休みの日だ。ただ、こういう時にも一人で過ごすことは少なくて、誰かを誘ったり誘われたりして、遊びに行くのがいつものこと。
しかし、僕は、遊びに行く気分じゃなくて、かと言って勉強にも身が入らなくて、なんとなく外に出てため息をつけば白い息。
いつもは何かやらなきゃいけないことがあってそれに従事しているけれど、今日ばかりは全く、何にも手がつかない。
帰って、適当にご飯を済ませて寝てしまおうか。璃奈は外で食べてくるそうだし。
校門を出たところでまたしてもため息が出て、その跡を目で追っていると、視界に見知った顔が映った。
「果林」
近寄って声をかけると、彼女はこちらに振り返った。
「湊くん、どうしたの?」
そこで、数秒の沈黙が流れる。
声をかけておいてなんだが、何か用があったわけじゃない。ただ何というか、そうした気持ちが勝ったのだ。
何も言えないままの僕に対して、彼女は踵を返す。
「ごめんなさい……今、一人でいたいの」
「奇遇だね。それは僕も同じ」
気分が少し落ち込んで、モヤモヤしたものが胸の中にあって、それを整理したい。それには誰にも邪魔されず、一人でいられる空間と時間が必要だ。
僕はこのまま家に帰って、あるいは静かな図書館とかに行って、明日からを普通に過ごせるように考えを詰めたほうがいいのかもしれない。
「でも来てほしい」
自分の中で出た答えとは裏腹に、モヤモヤが僕を突き動かす。
何をするか、どこへ向かうか、そんなことすら決めずに彼女の手を引く。
「あ、もう。強引ね」
果林は困ったような顔をしながら、抵抗もせずについてきた。
△
ほとんど会話を挟まずにゆりかもめに揺られること約十分。お台場海浜公園駅で降りた僕たちはゆっくりと歩く。
「もうすっかり冬だね」
「ええ。しっかり着込まないと風邪引いちゃうかも」
目の前は川。柵の手すりに指を這わせながら、いつか来た場所で止まる。
「ここに来るとあれ思い出すね、水上バス」
「……前に乗った時は、愛と美里さんが一緒だったわね」
「そうだね。あの時は楽しかったな」
「昨日のことのように思い出せるわ」
僕も同じだ。ほとんど一日中遊び回って帰った時にはへとへとだったけど、あれくらいはしゃげたのは久しぶりだった。
思い返せば、同好会を始めてからあったことは鮮明に覚えている。みんなそれぞれの加入やライブ、フェスティバルみたいな大きなことから、普段の他愛ない会話まで。
一学期と二学期、短い間だけれども濃く長くその中にいることができた。けど、過ぎてしまえば、やっぱり短かったとも思える。
「ねえ、湊くん。どうして今日──」
「果林ちゃーん! 湊くーん!」
果林の声を遮ったのは、向こうから駆けてくる二人の女子。驚くことにそれは、ここにいるはずのないエマと彼方だった。
「エマ、彼方、どうしたの?」
「電車から二人が見えて、もしかしてこの公園に行くのかなって」
「隣の駅から走ってきちゃった」
息を切らしてそう言う二人に、僕らは目を見合わせた。
「走ってって……来るなら連絡してくれたらよかったのに」
そのことにいまさら気づいたようで、エマも彼方もあははと笑ってごまかした。
「なにしてたの?」
「果林を連れまわしてた」
「目的地はないみたいだけど」
陽はもう落ちそうな時間だが、雲のせいで辺りは真っ暗……とは言わないが、灰色一色になっていた。そう見えてしまうのは天気のせいか、僕の気分がその色と一緒だからか。
大した反応も返せないまま、四人で手すりにもたれかかる。
沈黙が流れるまま、ふと横を見るとエマと彼方がこちらを見ていた。僕と果林のほうを。
「もしかして、私のこと心配してくれてるの?」
「えっ」
先に言ったのは果林だ。いかにも図星を突かれたという様子の二人に、くすりと笑う。
「やっぱり。お節介ね」
「ばれちゃったか~」
「おかしいと思ったのよ。あなたたちがわざわざここまで走ってきたのも、湊くんが誘ってきたのも」
「僕は、そういうのじゃないよ。自分のことで手一杯」
「自分のこと?」
僕は曖昧に頷いた。
「自分でもよく分からないんだ。ただ、このままでいたいけど、このままでいたくない、みたいな……」
矛盾しているのかどうかも分からない感情が渦巻いている。激しく、ではなく、ゆっくりと飲み物でもかき混ぜるように。
そう言って、再び沈黙が訪れた。
十分もすればそこかしこの照明がつくくらいの闇が来て、川の向こうに見えるビル群が小規模なイルミネーションみたいに映った。
「同好会に入って半年と少し、これまでじゃ考えられないくらい楽しかった」
光を反射する水面を見つめながら、果林が口を開く。
「みんなで、なんてしてこなかった私が、こんなにも多くの仲間と過ごして、いろんなことに挑戦して、叶えて……その中で、そう、あともう少ししかないんだって気づいちゃったの。湊くんも、同じことで悩んでるんじゃない?」
言い返そうとして……僕は「そうかも」と呟いた。
「僕ら三年生は、もうすぐでいなくなる。一学期の時にはそれを待ち望んでた時もあったけど、今は……来てほしくない」
同好会から遠ざかろうとした僕はもういない。代わりに残ったのは、今を延ばして先へ行きたくないただの男だ。
「寂しくなっちゃったんだね。昨日までの時間が楽しすぎちゃったから」
「分かるよ。同じ気持ちだから」
寂しい。そう、寂しい。複雑なものじゃなく、ただそれだけのことに僕はこんなに惑わされてしまっている。
「もっと早く始めていたら、もっと長くいられたら。そんなことをずーっと考えてる」
感じていたモヤモヤの正体を、僕はずっと分かっていた。
他のみんなは学年が一つ上がるだけ。けど僕らはこの学校からいなくなる。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメンバーとしていられるのも、あと半年もないのだ。
そうしたら、もう気軽に会えなくなる。少なくとも今のように毎日顔を合わせることは出来なくなる。その実感が湧いてきて、すごく胸が切なくなってしまうのだ。
「やっぱり、あなたも同じなんじゃない」
「だから果林ちゃんを誘ったんだね」
僕は頷いた。
果林が同じような悩みを抱えているであろうことは、顔を見て分かった。
一人で考えたいけど、一人でいたくない。だから果林と一緒にいて、余計な会話を挟まずにいれば、答えを出せるかと思った。
結局、寂しいという感情が増幅されただけだったけど。
エマが果林の手を包む。
「もったいないよ。過ぎたことやまだ起きてないことでそんなに悩んでたら、今がどんどん過ぎてっちゃう」
「そうだよ。みんな、今やりたいことを重ねて、楽しい時間を作ってきたんでしょ? だったら、これからも今を楽しまなきゃ」
彼方はその上からさらに自分の手を重ねた。
「それでいいのかしら」
迷う果林は、二人から目を逸らして僕のほうを見る。
「え、僕? 僕も果林側なんだけど」
「こういう時、背中を押してくれるのがあなたでしょ?」
「プレッシャーをかけてくるね、君は」
悩みを自覚したのがついさっきだというのに、無茶なことを仰る……
重ねられた三人の手を見る。
高校三年間、大したこともなく過ぎて終わるかと思っていた。それが、山あり谷ありの人生に激変した。刺激がなかったと言えば嘘になる。大嘘だ。
そしてそれは……今さら言うまでもなく楽しかった。つまり、今までを総括すると花丸をつけられるくらいには良いということだ。
その『良い』が『良かった』に変わるのは今じゃなく、これから先、もっと先だ。
「果林、一人でステージに立つのは好き?」
「ええ、好きよ」
「ユニットで……Diver Divaでステージに立つのは?」
「好き」
「みんなでは?」
「もちろん好き。これまでにないくらい、今までの人生じゃ考えられなかったくらい、楽しかったわ」
僕だって好きだ。みんなといるのが、みんなのために曲を作るのが、作った曲を歌うみんなを見るのが。
それは今しか楽しめないことで、今だからこそ出来ることで……
「だったら、それを続けよう」
彼方の手の上に、さらに僕の手を乗っける。
「今まで通り、好きなことを、全力で。寂しさを感じないくらい、考えつくこと全部やってさ、泣くなら後で泣いてやろう」
どうせ多分、最後の時には感極まってしまう。だったら、寂しいとか悲しいとか感じるのはその時に任せて、今この時、これからは残された高校生活をやりたい放題するほうが有意義だ。
「そうね。だったら……」
「私たちのやりたいことをやろう」
そしてそれが何かは、もう決まっている。
果林は早速スマホを取り出すと、みんなにメッセ―ジアプリで、次のイベントを提案する。すると、すぐに返事が来た。
大きく離れた場所にいる人はいなかったようで、送信してから三十分以内には、みんなが息せき切って現れた。正式な返事は明日、と書いたのに待ちきれなかったようだ。
寒い中走ったにも関わらず、わくわくを隠せない表情の愛が、がばっと果林に抱き着く。
「いいよ、めっちゃいいじゃん!」
「私たち同好会のファーストライブ。すっごく面白いことができそう!」
僕たちが提案したのは、全員のやりたいことを詰め込んだ、集大成となる虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だけのライブだ。
僕も侑も、新しく入った子も、みんなで一緒に同じ場所から同じものを見られる、僕たちだけの思い出。
「ソロもユニットもグループも、私たちの全てを詰め込んだステージですね」
「楽しソウ!」
賛成が大前提となって、まだコンセプトも何も決まってないうちから、あれもやりたいこれもやりたいと口々にアイデアが飛び出してくる。
ライブをしよう、と持ち掛けた僕たちより前のめりな子たちを見て、気圧されると同時に頬が緩んだ。
果林も、ふふ、と笑って顔を近づけてきた。
「満場一致ね」
「これなら当分は忙しくて寂しくなる暇もなくなるな」
時間が経つごとに夜はどんどん冷えていく。でも、いつの間にか心の中にあった穴はどこかへいっていた。