「横断幕ヨシ!」
「よ~し」
「墨と筆ヨシ!」
「よ~し」
「存分に書けー!」
「いえ~い。妹のこととなるとノリノリになる湊くんだいすき~」
彼方から相談を受けた翌日、身の丈を優に超える大きさの紙とこれまた身の丈ほどの筆を用意して、僕たちは学校の三階の外に出ていた。
「道具や衣装もろもろは書道部にお借りしました」
「彼方ちゃん、やったるぜ~」
本日快晴。絶好の習字日和。
着物に足袋、髪は墨に触れないようにポニーテールと、完全書道形態となった彼方が筆に墨をつける。
書道部に彼方のファンがいて、サインとツーショットで快く貸してくれた。聞くと、道具はどれも結構いいお値段するのだが、ここはお言葉に甘えまして。
さっそく一筆入魂する彼方を後ろで眺めていると、後ろから声をかけられた。
「な、なにやってるんですか?」
侑だ。偶然僕たちを見かけて、寄ってきたらしい。
「遥さんの応援用に、横断幕を作りたいって言うから。見て、これ完成予定の図案」
手に持った紙を見せる。そこにはでかでかと『Lovely HARUKA』の文字。会心。
「湊さん、『妹』が絡むと途端にネジ外れますよね」
失礼な。僕の頭のネジが緩むのは璃奈が絡む時だけだ。
「こんな大きいの作るなんて……」
「ちゃんと生徒会の許可は貰ってるよ」
「そんなこと聞いてないです」
呆れたような、許可を貰いに行った時の会長と副会長と同じ顔をして、侑はぴしゃりと言い放つ。
そうこうしている間に、彼方の渾身の筆書きが終わった。見事、図案と同じものが出来上がっていた。とめはねはらいに情熱が籠っていて素晴らしい。
「大きすぎたかな?」
「いや、完璧」
「あはは……」
侑はただ苦笑いをするだけで、感想は避けられた。
「ところで侑ちゃん。最近何か悩んでるよね?」
「えっ」
「大方、作曲コンクールのことだろうけど」
「ええっ」
急に話を振られて、しかもズバリだったようで、侑は大きく驚いた。
僕と同じく異変を察知していた彼方は、その中身にまでは気が付かなかったみたいで、首を傾げる。
「作曲コンクール?」
「その名の通り、オリジナルの曲のコンクールだよ。高校生の部もあって、うちの学生も参加したい人は参加する」
今回のは学校のイベントではなく、関東全域を対象とした地方イベントのようなもので、学生でも社会人でもプロアマ経験問わず、優れた曲を目指して音楽文化を発展させようという催しだ。
いくつか区分があって、僕が高校生の部に参加できるのは今年で最後だ。
昨日悩んでいたことを、引きずっていたみたいだ。
ベンチに侑を座らせ、僕たちはその両隣に腰を下ろす。
違和感に気付いていた僕らがいるところに来たのだ。ここで全部吐いていきなさい。
「歩夢には、コンクールには応募しないって言ったけど、少しだけ挑戦してみたい気持ちもあるんです。結局、怖い気持ちのほうが勝っちゃってるんですけど」
「そっかあ……」
「湊さんはどう思います?」
「参加したらいいんじゃない」
「そんな簡単に……」
「明確な目標があろうがなかろうが、軽い気持ちだろうが重い決意だろうが、自分の立ち位置がどこにあるのかを確認するってのは大事だと思うよ。過小評価も過大評価も自分の成長を阻んでしまうものだから、ここいらで自分のやれることをはっきりさせておくのも重要だしね」
勉強勉強、たまに作曲をしてきた彼女が受ける反応は、同好会のファンからのものがほとんどだった。音楽に携わる者の評価は、同級生や先輩、学校の先生で……しかし外にはもっとたくさん第一線で活躍している人もいる。そんな人たちから批評を受けるのは普段ではできない経験だ。
「あとは結局、自分がやりたいかどうか。その大切さは、今さら言うまでもないよね? やりたいならやる。やりたくないものは、自分のためにならないと思ったらやらない。それくらい簡単でいいんだよ……っていうのは、あくまでずっと音楽科にいた僕の意見だけど」
作ったものを誰かに、特に知らない不特定多数に見せるというのは確かに怖い。僕だって初めのころは異様に緊張していた。今だってその気持ちが残っている。
今後どうするかどうなるかはともかく、経験して慣れておいて損はない。
「そんなもんかなあ」
うーん、と侑は納得いかない様子。
ここらへんの感じ方は、三年間音楽科にいた者と入ったばかりの者でだいぶ違う。だからよくある『頭では理解できるけど』状態になってるようだ。
「なんで侑ちゃんは、それを歩夢ちゃんに伝えなかったのかな」
「それは……なんでだろう」
彼方の問いにも、侑は歯切れが悪かった。
「たぶん、私と歩夢は同好会に入ってから、お互いに相手の背中を押して、ここまで来たから……私が立ち止まっている時は歩夢がまた押してくれるって、勝手にそう思ってるのかも」
侑と歩夢はいつだって傍にいた。それがマネージャーとスクールアイドルに、音楽科と普通科に分かれて、着実に少しずつ手が届かないところに行ってしまっている。
侑が音楽科に転科すると決めた時にした話が、現実味を帯びてやってきたのだ。覚悟していたとはいえ、いざ目の前にして体感すると、揺らいでしまう。
「待ってるだけじゃ、だめなのかな」
そう言ってしまうほどに、彼女は自分の立ち位置を見失ってしまった。
僕は彼方と目を合わせる。
音楽科の先輩としての意見は言った。それでも道が見えないというなら、ここは彼方先輩にお任せするとしよう。
「そんなことないよ。侑ちゃんはここまでいっぱい頑張って、たくさん進んできたんだから。だから、ちょっと立ち止まってみた時に不安になっちゃったんだよね?」
「……そうかもしれないです」
「だったら、歩夢ちゃんを待ってみてもいいと思うよ。焦ってもいいことなんてないからね。それに、歩夢ちゃんだったら侑ちゃんのことは分かってるはずだから、ちゃんと良い道を示してくれるはずだよ。彼方ちゃんも侑ちゃんの背中を押してあげたいけど、今は我慢しとくね」
「彼方さん……そうしてみます」
いくらかすっきりした顔で、頭を下げて去っていく侑に手を振る。
待つ……か。彼方の言う通り、あっちもこっちも手を出してきた侑には、肩の力を緩める期間が必要だろう。
一日二日、一週間くらい何もしなかったところで取り返しのつかないことになんてならないし。
「君は我慢したけど、僕思いっきり背中押した気がする」
「いいんじゃない? いかにもアドバイスって感じで」
「二学期の終盤で、ようやく先輩っぽさが板についてきたかな」
「これを見られた後だと、説得力ないかな~」
眼前に広がる『Lovely HARUKA』を見て、二人で笑う。冷静になってみると、これだと確かにシスコンだとは思われても、頼りになる先輩だとは思われないな。
二人で軽く笑っていると、後ろからそっと、見知った顔がぬっと近づいてきていた。
「湊さん」
歩夢だった。
続いて彼女は彼方を見て、その恰好に一瞬ぎょっとして……首を少し捻るだけで済ませた。ひとまず置いておくことにしたようだ。
「彼方さんも、あの、今……大丈夫ですか」
これ、お悩みを告白する前振りだ。
今、僕は結構解決すべきことを抱えてるんだけど……こうやって来てくれた後輩にノーを突きつけられるわけない。僕らは顔を見合わせ、ぎこちなく首を縦に振った。
いらっしゃいませ、と先ほどまで侑が座っていたスペースにご案内すると、歩夢はぽつりぽつりと話し出した。
「──海外留学?」
「二週間の短期留学なんだけど、メールをくれた子たちが住んでる街で、直接会って手助けできるかもって」
彼女の話をまとめると、こうだ。
歩夢のステージを生放送で見てファンになったロンドンの子が、自分もスクールアイドルになると決めた。その子の幼馴染であるメールをくれた子は応援して協力したいけれど、そういうことをやる文化も経験もないから手探りで色々と試しているらしい。
自分をきっかけにスクールアイドルを始めようとしているその子たちの力になれないかと思っていたところ、ちょうど学校がロンドンへの留学希望者を募集している掲示を見つけた。
行くべきかどうか、歩夢は決めかねているようで……
「それで、僕のところに?」
「はい。湊さんは留学経験があるから……」
ふむ、と僕は顎に指を当てた。
「難しい話だね。二週間で何か出来るのかってのもあるけど、そもそもそういうのをやる文化が日本と比べてなあ……」
「そんなに違うの?」
「アイドルの捉え方も違うし、部活のシステムとかも日本とはまるで違うからね。文化が違うと、好みも違う。制約もあるし……」
「エマちゃんもわざわざ日本に来るくらいだもんねえ。そんな中でAlpheccaがあれだけ人気になったのって凄いんだね」
「そうは言っても、『見る』ってこと自体にはそれほど抵抗はないんだ。あらゆる文化や芸術においてアジア圏は優秀だって認められているから、それを受け入れる土壌はあるわけで。問題は『やる』ことなんだけど……」
と言いかけて、僕は一度口を閉じた。そのまま喋るとアイドルの歴史についてべらべらと話してしまいそうだ。遡ると宗教の話が絡んでくるから、数時間じゃ絶対終わらなくなる。
ともかく留学の話かあ。留学する人はみんな成功の保証がないまま行ってる……ってのはなんの理由にもならないし。
悩んでるのは言語の壁じゃないから、翻訳アプリでもあればなんとかなるというのも的外れだ。
「侑ちゃんに言ってないの?」
「離れてしまうのが怖くて……」
あれ、デジャブだな。
「侑ちゃんとは同好会に入ってからもずっと一緒に進んできて、けどやりたいことは同じじゃないから、このままお互いが進めば進むほど距離は離れていって、そのうち同じ場所にはいられなくなってしまう……今は大げさな話だけど、いつかはそんな現実が来るんじゃないかって」
「今じゃなくて将来の話かあ……みんな考えることは一緒だね」
「みんなというか、この子達というか……」
「え?」
「ううん、こっちの話」
「こっちの話というか、そっちの話というか……」
「もう、湊くん、しーっ」
結局、この話に決着をつけることは出来ず、一旦保留ということで持ち帰らせてもらう。
打ち明けたことで歩夢は多少肩の荷が下りたようで、ちょっとだけ明るい顔になって去っていった。
残された僕たちは、大きく息を吐いて背もたれに体を預ける。
「湊くんでも出せない答えかあ」
「君なら出来る! って言うだけなら簡単なんだけどね。それだけ難しいんだよ」
Alpheccaが成功したのだって、あの子たちの才能や運が占めるところが大きい。
良いものが確実に認められるわけでもなく、努力したところで必ず実るものでもない。だから、確信があるならともかく、『君なら出来る!』と無責任には言えない。
「にしても、驚いたね、まさか侑と歩夢がそれぞれ似たような悩みを持ってくるなんて」
「ね、ちょっとびっくりしちゃった」
「あの子たちが一人で悩んでた時のことが嘘みたいだよ」
「そんなことあったの?」
「もう昔々の話だけどね。そこから比べると、相談してくるなんて大した成長じゃないか」
「湊くんは、いつだって彼方ちゃんたちを助けてくれたから、みんな頼りたくなっちゃうんだよねえ」
やれやれ、と困ったような顔つきで彼方はため息をつく。
「頼るのも頼られるのも良いことじゃないの? みんなは楽になるし、僕は嬉しいし」
頼りっぱなしだったら問題あるけど、困ったときに駆け込むだけならよくあることだろう。
「でもその分、湊くんはいっぱい働いて、いっぱいしんどくなるよね。何でも一人でしようとして……そういうの、慣れちゃいけないことだよ。今はだいぶましになってるけど、それでも私は心配」
はあ、ともう一度ため息をつく彼方。
「そういう君も僕に悩みを相談してきたじゃないか」
「良くないよねえ。分かっていながら甘えちゃうなんてさ。湊くんが、放っておいてくれる人だったら良かったのに」
「二泊三日でレンタルしておいて……」
「断ればいいじゃん」
「断るわけないだろ。君が困ってるって言うんだから」
「そういうとこ、そういうとこだよ、湊くん」
あーもぅ、と呟いた彼方が僕の肩に頭をこつんとぶつけてきたと思ったら、ぐりぐりと擦りつけてくる。
「放っとかないよねえ。湊くんは湊くんだもん」
「心配をかけるね」
「ほんとだよ、もう。仕方のない人なんだから」
横断幕作成や後輩からの相談もあって、いつの間にか空はオレンジ色に染まっていた。
沈む前の強い日差しに晒されても僕から離れようとしない彼方を立たせて、こんな寒空の下にいさせないでさっさと着替えさせる。
彼女が戻ってくるまでに横断幕を丸めて抱える。重くはないけれど、大きくて邪魔だなこれ。
「湊くん、お待たせ~」
「ん。じゃあ帰るか」
「それ持つよ」
「いいよ。君の家までお届けします」
「え~?」
奪おうとしてくる彼女の手を躱す。女の子に荷物持たせる男みたいな構図が出来上がってしまうのを避けたいのだ。それを言って、彼女は渋々、半分くらいは納得できないままどうにか頷いた。
「侑ちゃんも歩夢ちゃんも、同じことで悩んでるんだね。自分の道を進んで、お互いを応援し合ってたら、いつかは離れ離れになっちゃうって」
「まあ、そうだね」
前にも思ったことだけど、あの二人が離れるなんてことはまあないだろう。進むにつれて、今より多少会えなくなる時間は多くなるだろうけど、それもちょっぴりだけだ。
「湊くん、なんだか気楽そう。もしかして、もう解決策あったりするの?」
「あの子たちは、もう答えを知ってるから」
「……?」
だから、策も何もって感じかな。結局どうにかなるわけで……
「見つけた! 近江彼方さんですね!」
校門を出てすぐのところで、学生服を来た女子三人組が素早く彼方を囲んだ。東雲の制服だ。
「こ、これはあげないよ」
彼方は身を挺して僕の腕の中にある横断幕を守ろうとする。他の人はいらんだろ、それ。
△
相談があると頭を下げられた彼方は、とりあえず寒空の下から逃れるために喫茶店へ女の子たちを連れて入った。
そこに僕も連れてこられたわけだが……
「僕、邪魔じゃないかな」
「そんなことないよ。彼方ちゃんいるところに湊くんあり。頼られるの好きなんでしょ、湊くん」
「さっきと言ってたこと違うよ、彼方」
「それに、彼方ちゃん、湊くんのことレンタルしてるから」
「あの……」
「あ、ごめんね。こっちの話」
こそこそ話を中断して、女の子たちに向き直る。
彼女たちはまず会員カードのようなものを出して、僕たちに見えるように机に置いた。
「私たち、東雲学院スクールアイドルのファンクラブをしております」
「おお、いつも遥ちゃんがお世話になっております」
ファンクラブか。そういうのが存在するとは聞いていたけど、まさか入会してる人に出会うとは……
そういえばうちの同好会にも非公式のファンクラブがあるというのは聞いたことがある。特色上、同好会のというより、それぞれのアイドルのファンクラブが乱立しているらしい。
それはともかく、今は彼女たちの話だ。
「私たち、みんな違う部活やってるんですけど、スクールアイドルフェスティバルをきっかけにすっかり意気投合しちゃって」
「スクールアイドルって最高ですよね。勉強や部活で疲れても、動画を見たら元気を貰えるし」
「うんうん、わかる」
わかる。
「これまでのお礼に、ラブライブという大舞台に挑戦する遥ちゃんたちにエールを届けたいんです」
「なんと!」
「会場には行けないけど、とびきりの応援をしてあげたくて……お力を貸してもらえませんか?」
「もちろん! ね、湊くん」
「ちょうどいいものがあるしね」
僕らは隣の席まで侵食して鎮座している丸められた横断幕に目をやって、にやりと笑った。