東京ガーデンシアターというイベントホールは、なんと最大八千人も収容できる施設だ。
客席も四階席まであり、どの席からでもステージをしっかり見ることができる。逆に、ステージに立つ者からも客がはっきり見える。
そんなとんでもない場所をファーストライブの場に選んだのにはいくつか理由がある。
まずは我が同好会の人気。
第一回、第二回と続けてきたスクールアイドルフェスティバルを通したうえに、Alpheccaやランジュも加わって、合算したファン総数は万を超えるに至った。
ファーストライブでももちろん動画サイトでの生放送をするが、現地で直接見てほしい気持ちももちろんあり、でかければでかいほどええやろの精神でここが候補に挙がった。
もう一つの理由は、ここが虹ヶ咲学園に近いから。
スクールアイドルとして、やはり縁のある地でやりたいというのがある。だから東京から離れることは考えず、お台場に近いところに設定した。学校のみんなにも来てもらいたいしね。
他にも、準備のために学校と行き来しやすいからとかいろいろあるけど、そういった希望を満たしていたここに白羽の矢が立ったのだ。
そうして決まったこのホールを改めて見渡すと、やはりでかいというのが一番先に来る。
下見とか打ち合わせで何度も足を運んだけれど、いざライブ当日の今日、ここにお客さんが来るんだというのを思うとより広く感じる。
ステージ上では、最終の音チェックをそれぞれのアイドルが行っている。といっても、これだけの大きなところでやる経験はないので、基本的には音楽機器に詳しいスタッフやミアたち音楽科に任せられている。
僕はイヤホンマイクを通して、その向こうの人へ話しかけた。
「マイクテストマイクテスト。えー、こちら天王寺湊。侑、聞こえる?」
〈聞こえてますよ〉
「リハーサルは順調?」
〈うん。今のところ問題なしです……って、湊さんも見てるんでしょ?〉
「もちろん。ここだよ、二階席」
階下に向かって手を振ると、こちらを見つけた侑と目が合う。
会場後方には機材がずらりと並んでいて、複数台のPCも置いてある。音響・照明・生放送などなど、各用途に合わせて一台ずつ。それを操るのは映研部に演劇部、そして生徒会。みんな快く協力してくれていて、我が事のように真剣だ。
〈湊さん、そっちで音聞いた感じどうですか?〉
「十分届いてるよ。後は、みんながリハ通りの声量でやってくれることを期待するしかないね」
〈だってさ、みんな〉
〈湊くんの耳潰してあげるわ〉
〈こっちの喉が潰れるか、湊くんの耳が潰れるか勝負しよう〉
〈それいい!〉
〈潰した側が潰された側にご褒美っていうのはどうでしょうか〉
〈決まりだね〉
「決まるな」
あちらで誰が喋ってるのか分からないくらい盛り上がっているが、潰すなら観客の耳にしてくれ。
△
「みんなちゃんと居るな」
スクールアイドル同好会に用意された控室に入り、確認する。
リハーサルが終了して、あともう少しで開場時間となる。誰か緊張しすぎて急に逃げるなんてことがなくてよかった。
「湊さんもようやく休憩?」
「うん。あとは他のスタッフに任せてきた」
本番までもうやることない……はず。気にしだしたら全部気になるから、不安は喉元あたりで留めておくとしよう。
「お菓子おいしい」
「ハルカの作ってくれタのもオイシイ!」
焼き菓子同好会のクッキーや既製品のお菓子、用意されている弁当に、遥さんからは彼女お手製の厚焼き玉子サンド。十六人いても食べきれないほどのものがずらりと並んでいた。
それだけじゃなく、さらにお手製のグッズやらなんやら、ここだけで一種の展示室みたいになっている。
「あんまり詰め込みすぎないようにね。本番で動けなくなりましたーなんて困るから」
と言いつつ、玉子サンドに手を出す。
見た目ぎっしりだが、絶妙な焼き加減によってふわふわの玉子。パンと柔らかさが似てるおかげで、食感の違和感もない。甘いのとしょっぱいのが用意されていて、軽食としては申し分ない。
あー、近江姉妹が作ったもの三食で一日過ごしたいなあ。
「湊先輩、いつも通り落ち着いてますね」
「僕だって緊張してるよ、君たちが思ってるよりもずっとね。今だって気を抜いたら足が震える」
「そういう時は手のひらに人の字を書いて……」
「もう五十人くらい飲み込んだよ」
いや、下手したら僕の胃にはもう百人くらい人の字が入ってるかもしれない。
こんな大舞台で、裏方以外の仕事が待っているのだ。そりゃあ心臓も破れそうになる。
「けどそれより、君たちを見ているほうが落ち着くよ。だってほら」
「かすかす、もっと寄って寄って!」
「かすかすじゃありませんっ」
僕が指差した先には、記念に写真を撮ろうとする愛と、巻き込まれたかすかす。
部室でやっているようなやりとりに、周りも思わず微笑みを向ける。つまり、いつも通りの光景である。
「ああいうの見てると緊張感が薄れる」
「あはは……」
腹も丁度よく膨れたところで、そういえば、とみんなを控室から連れ出す。
僕らには内緒で飾りつけられたものがあると副会長から報告を受けていたんだった。
一階から二階への階段、その途中の踊り場に、それらはあった。
「すごい……」
見上げるほどに大きなフラワースタンドがいくつも。バルーンで装飾されていたりするものもある。
あまりお金のことを言うのは野暮だけど、これってかなりお高いんじゃ……
「メッセージもたくさん……あ、かすみちゃん宛てのもいっぱいあるよ」
「『かすみんが世界一可愛いよ』……ふふーん、やっぱりファンのみなさんは分かってくれていますねえ!」
近くの壁を埋め尽くすほどに、手のひらくらいのサイズの紙がぎっしりと貼られている。そこにはライブの開催を祝う言葉や励ましのコメントが添えられていた。中には似顔絵やデフォルメ絵を描いてくれていたりするものもある。
虹ヶ咲の生徒だけじゃない。教師、他の学校の学生、小さい子に、大人まで。それが東京のみならず、全国から。
思わず感嘆の息が漏れる。
書くのも描くのも、そしてそれを届けるのも、一見簡単なように見えてその実難しい。躊躇してしまう人もいるだろう。つまりこれ一枚一枚が応援してくれている人、人たちの結晶であり、その一部分。世界にはもっとたくさん僕たちを見てくれている人がいることの証でもある。
「ボクたちももうこんなに認められてるんだ」
「そりゃあ君も立派なスクールアイドルだからね」
活動期間はまだ短いけれど、彼女にはテイラー家の娘ではなくスクールアイドルのミア・テイラーとしてのファンがついている。
これこそ、ミアの望んだ景色なのだろう。それは、彼女の嬉しそうな顔を見れば分かる。
そして、同じような顔をしているのがもう一人。
「せつ菜?」
「……ここまで来たんですね、私たち。みんなで大きなライブが出来るくらいに……」
最初は、たった六人だった。
僕、エマ、彼方、せつ菜、しずく、かすみ。それぞれまったく別の個性を持った彼女たちは一度危機を迎え、崩壊し、踏みとどまり、立ち上がった。
こんなに仲間もファンも増えて、各々が思い描くスクールアイドルの道を歩めているなんて、あの時の僕らに言っても信じられなかっただろう。
それだけに、ここに来れた感動もひとしお。たったそれだけで、充足感に満たされるところだ。
「そうだね。でも実感するにはまだ早いよ」
ライブも始まってない。だから『良かった』なんて気が早すぎる。
この胸の内で輝く想いを届けなければいけないのだし、そしてきっと放った分よりも多く大きいエールを、ファンの人たちが与えてくれるだろうから。
僕がそう言うと、せつ菜は思いっきり弾けるような笑顔をこちらに向けた。
△
開場時間となった。
受付はイベントスタッフに任せ、スクールアイドルは着替え、僕と侑はお先にステージ裏で待機していた。
本当は最後まで裏方調整するつもりだったのだが、副会長に「もうすぐ開演時間になります。天王寺さん、高咲さん、後は任せてください」と言われてしまっては甘えるほかないだろう。
ステージの陰から、集まってきた客をそっとを見る。
練習の時にはしんとしていた観客席は、あれよあれよという間に人で埋め尽くされ、見知った顔も多数見受けられる。
招待した人だけでも相当の人数。ファンが混じってとんでもない人数。SNSでメッセージを送ってくれた人たちによると、県外からも来てくれた人がいるらしい。そんなこんなで、当初はあまりにもキャパが大きすぎると不安だったが、むしろ足りない事態になってしまい、チケット争奪戦が行われたくらいだ。
「わあ……」
侑は感嘆の声を漏らした。
「こんなにお客さんいっぱいなの、初めて見るかも」
「しまったな。物販もやってれば儲けられたかもしれないのに」
「流石にそこまでは手が回らなかったもんね」
このライブのためのスケジュール調整、色んな人との交渉、侑の作った曲の編曲、それに当然練習も見なきゃならない。グッズまでなんとかできる余裕は一切なかった。
会場のキャパ含めて、次回の課題だな。
開演を今か今かと待つお客さんの期待の眼差し、これだけの人がいるからこその騒がしさ。いいよな、このざわざわ感。いかにも始まるって感じ。
「わ、すごっ」
「圧倒されるわね」
衣装に着替え終わり集まってきたみんなも、人の多さに目を丸くしている。
当然だ。今ここにいる人たちは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だけを目当てに来ている人たち。今までの、他校と合同とか文化祭と同時開催だとかは全く違って、純粋に同好会のファンが集結しているのだ。
しかも生放送も、これまでにないくらいに視聴者が来ている。果林の言う通り、圧倒だ。圧巻とも言う。
対してこちら側は、慣れていたり肝が据わっていたりするのばかりじゃない。
「ミアちゃん?」
「……ちょっとだけ怖いかも」
「大丈夫。ここにも向こうにも、ミアちゃんの味方しかいないよ」
璃奈に手を包まれ、震えていた体が収まったミアに……
「これが全部わたしのファンになるんだ」
「ディアさんのその自信はどこから……」
「だってわたしだもん。ミナトに認められたわたしだから。つまりシオリコも素質あり」
「そうでしょうか……」
「モチロン! だっテ、シオリコカワイイ!」
「シオリコかわいい」
「そ、そうやって連呼するのはやめてください……っ」
ディアとロッティに褒められ、恥ずかしそうに、そしてまんざらでもなさそうな栞子。
あまりにも固まるようなら一言声をかけようとも思ったが、なんとかなったようだ。
ガチガチ緊張がド緊張に変わったくらいだが、少しは強張りが抜けた。あとは、みんなのステージを見ている間に解れるだろう。
魅せるのはこっち。圧倒させるのもこっちだ。ちゃんと見ろよ、くらい強気でいくのがいいのさ。
安心していると、ランジュが僕の袖をくいくいと引っ張った。
「湊、あれ、ああいうのアタシにもやってほしい!」
「今さら君に必要か?」
「うぅ、だってミアも栞子もああやって励まされてるのに。ランジュだって同好会員としては新参なんだから優しくしてよ!」
「君なら平気だろ。じゃなかったら、文化祭の時も今回も一番槍を任せたりしないよ」
やれやれと呆れ気味にそう言うと、ランジュはにまっと破顔して胸を張った。
「そうよね! ランジュが湊にとっての一番だからよね! も~、湊ってば、ランジュのこと好きすぎるんだから!」
「それ外で言うなよ」
誤解招きそうなことを大きな声で言うな。
……あれ、おかしいな。人も集まって暖かくなってきたのに、急に背中が冷たく……
「湊くん、今の話、詳しく聞きたいなあ」
「内でも言っちゃ駄目だからな、ランジュ」
ひんやりした手が肩に触れる。その瞬間、ランジュへさらに釘を刺しておいた。
ね、これでいいだろ。だからエマ、圧のある笑顔でこっちを見ないでください。
〈あと五分で開演です〉
「ほら、もう始まるよ」
降ってきた副会長からの助けに乗って、僕は空気を変える。
ほら、ちょっとは緊張感ある空気作っておかないと、へにょっとした雰囲気のままになってしまうから。ね、だから手を、手を離して。
「よーし、円陣組むぞー!」
「おー!」
「円陣組むこと自体に盛り上がるんじゃない」
テンションの高い愛やせつ菜たちを手招きし、十六人で輪を作る。
「ランジュ、こういうの初めてよ」
「ワタシもハジメテ!」
うきうきとしているランジュとロッティ、無言ながらもそわそわしているディアに苦笑しつつ、人差し指を出す。みんな、それに合わせて同じく中心を指で示す。
僕はちらりとかすみを見た。部長である彼女からの一言を待つ。
が、待っても待っても彼女は口を開かない。それどころか、不思議そうな顔をしてこちらを見てきた。
せつ菜……も僕を見ている。侑も。というか、みんなの視線がこちらを向いている。
「え、もしかして発破かけるの僕?」
「え、違うんですか?」
何を言ってるんだ、みたいな目が十五人分、三十個ある。
ええ、そんな急に言われても何も考えてないのに。しかし、このまま黙っていたらぐだぐだなままライブが始まってしまう。
こほん、と咳払いをして、僕は沈黙を破った。
「今まで個人やユニットでの活動はいっぱいやってきたけど、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会としてはこれが初めてになる。だからといって完璧にやれとは言わない。ミスしてもいいんだ。それをどうにか出来る人たちがここにいる。それよりも大切なのは、ファンを楽しませて、自分も楽しむこと。それが出来れば今回のライブは成功したってことになる。だから僕らは今まで通り、いつも通りで……行くぞっ!」
「おおーっ!」
重なった鬨の声が、お互いの胸を震わせ、勇気を生み出す。
さあ行こう、僕らの目指したその先へ、夢の向こうへ、みんなで一緒に。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のファーストライブ、その幕が上がった。