畑山愛子、二十五歳。社会科教師。
彼女にとって教師とは、専門的な知識を生徒達に教え学業成績の向上に努め、生活が模範的になる様指導するだけの存在ではない。勿論それらは大事な事ではあるのだが、それよりも"味方である"事、それが一番重要だと考えていた。具体的に言えば、家族以外で子供達が頼る事の出来る大人で在りたかったのだ。
それは彼女の学生時代の出来事が多大な影響を及ぼしているのだが、ここでは割愛する。兎に角、家の外に出た子供達の味方である事が愛子の教師としての信条であり矜持であり、自ら教師を名乗れる柱だった。
それ故に、愛子にとって現状は不満の極みだった。いきなり異世界召喚などというファンタジックで非常識な事態に巻き込まれ呆然としている間に、クラス一カリスマのある生徒に話を代わりに纏められてしまい、気がつけば大切な生徒達が戦争の準備なんてものを始めている。
何度説得しても、既に決まってしまった“流れ”は容易く愛子の意見を押し流し、生徒達の歩みを止める事は叶わなかった。
ならば、せめて傍で生徒達を守る! と決意したにも拘らず、保有する能力の希少さ、有用さから戦闘とは無縁の任務──農地改善及び開拓を言い渡される始末。必死に抵抗するも生徒達自身にまで説得され、愛子自身適材適所という観点からは反論のしようが無く引き受ける事になってしまった。
毎日遠くで戦っているであろう生徒達を思い、気が気でない日々を過ごす。聖教教会の神殿騎士やハイリヒ王国の近衛騎士達に護衛されながら、各地の農村や未開拓地を回り、漸く一段落済んで王宮に戻れば、待っていたのはとある生徒の訃報だった。
この時は愛子は、どうして強引にでもついて行かなかったのかと自分を責めに責めた。結局、自身の思う理想の教師たらんと口では言っておきながら自分は流されただけではないか! と。勿論、愛子が居たからといって何か変わったかと言われれば答えに窮するだろう。だが、この出来事が教師たる畑山愛子の頭をガツンと殴りつけ、ある意味目を覚ますきっかけとなった。
"死"という圧倒的な恐怖を身近に感じ立ち上がれなくなった生徒達と、そんな彼等に戦闘の続行を望む教会・王国関係者。愛子は、もう二度と流されるもんか! と教会幹部、王国貴族達に真正面から立ち向かった。自分の立場や能力を盾に、私の生徒に近寄るなとこれ以上追い詰めるなと声高に叫んだ。
結果、何とか勝利を捥ぎ取る事に成功する。戦闘行為を拒否する生徒への働きかけは無くなった。だが、そんな愛子の頑張りに心震わせ、唯でさえ高かった人気が更に高まり、戦争なんてものは出来そうにないが、せめて任務であちこち走り回る愛子の護衛をしたいと奮い立つ生徒達が少なからず現れた事は皮肉な結果だ。
「戦う必要は無い」「派遣された騎士達が護衛をしてくれているから大丈夫」そんな風に説得し思い止まらせようとするも、そうすればそうする程一部の生徒達はいきり立ち「愛ちゃんは私達/俺達が守る!」と、どんどんやる気を漲らせていく。そして結局押し切られ、その後の農地巡りに同行させる事になり、「また流されました。私はダメな教師です……」と四つん這い状態になってしまった事は記憶に新しい。
因みにこの時、愛子の護衛役を任命された専属騎士達が生徒達の説得を手伝うのだが、何故か生徒達を却って頑なにさせたという面白事情がある。何故、生徒達が彼等護衛達に反発したのか。それは生徒達の総意たるこの台詞に全てが詰まっている。
「愛ちゃんをどこの馬の骨とも知れない奴に渡せるか!」
生徒達の危機意識は、道中の賊や魔物よりも寧ろ愛子の専属騎士達に向いていた。その理由は、全員が全員凄まじいイケメンだったからだ。これは、愛子という人材を王国や教会に繋ぎ止める為の上層部の作戦である。要はハニートラップみたいなものだ。それに気がついた生徒の一人が生徒同士で情報を共有し「愛ちゃんをイケメン軍団から守る会」を結成した。
だがここで、生徒側に一つ誤算が生じていた。それは、"木乃伊取りが木乃伊になっていた"という事を知らなかった事だ。その証左に、生徒達を説得した神殿騎士のデビッド、チェイス、クリス、ジェイドの言葉を紹介しよう。
「心配するな、愛子は俺が守る。傷一つ付けさせはしない。愛子は…俺の全てだ」
「彼女の為なら、信仰すら捨てる所存です。愛子さんに全てを捧げる覚悟がある。これでも安心できませんか?」
「愛子ちゃんと出会えたのは運命だよ。運命の相手を死なせると思うかい?」
「……身命を賭すと誓う。近衛騎士としてではない。一人の男として」
この時、生徒達は思った。「一体何があった!? こいつら全員逆に堕とされてやがる!」と。
つまり、最初こそ危機意識の内容は愛子がハニートラップに引っかかるのでは? だったのだが、このセリフを聞いた後では「馬の骨に愛ちゃんは渡さん!」という親的精神で、生徒達は愛子の傍を離れようとしなかったのである。
尚、彼等と愛子の間に何があったのかというと……話が長くなるので割愛するが、持ち前の一生懸命さと空回りぶりが、愛子の誠実さとギャップ的な可愛らしさを周囲に浸透させ、"気がつけば"愛子の信者になっていたという、そんな感じの話だ。語り出せば新たな物語が出来てしまう位……色々あったのだ、色々。
そんなこんなで現在では、【オルクス大迷宮】で実戦訓練を積む光輝達勇者組、居残り組、愛子の護衛組に生徒達は分かれていた。
「愛ちゃんをイケメン軍団から守る会」改め「愛ちゃん護衛隊」には、先陣を切った園辺優花を実質的なリーダーに、友人の宮崎奈々、菅原妙子。そして玉井淳史、相川昇、仁村明人、清水幸利の男子陣を加えた総勢七名が各々トラウマを抱えたまま参加している。
ハイリヒ王国に帝国の使者──という名の皇帝一行が来訪して二ヶ月と少し。
王都を出発した彼等は現在、新たな農耕改善の地──【湖畔の町ウル】への途上にあった。ガタガタゴットンズッタンズタンとサスペンションなど搭載されていない馬車が、中々の衝撃で現代地球っ子達の尻を襲っている。
「愛子、疲れてないか? 辛くなったら遠慮せずに言うんだぞ? 直ぐに休憩にするからな?」
「いえ、平気ですよデビッドさん。というかついさっき休憩したばかりじゃないですか。流石にそこまで貧弱じゃありません」
広々とした大型馬車の中、愛子専属護衛隊隊長のデビッドが心配そうに愛子に話しかける。それに対する愛子の返答は苦笑いが混じっていた。
「ふふ、隊長は愛子さんが心配で堪らないんですよ。ほんの少し前までは一日の移動だけでグッタリしていたのですから。……かくいう私も貴方が心配です。本当に遠慮をしてはいけませんよ?」
「その節はご迷惑をお掛けしました。馬車での旅なんて初めてで……でも、もう大分慣れましたから本当に大丈夫です。心配して下さり有難うございます。チェイスさん」
当初、馬車での移動という未知の体験に色々醜態を見せた愛子は、過去の自分を思い出し僅かに頬を染めながら護衛隊副隊長チェイスにお礼を言う。
頬を染める愛子に、悶える様に手で口元を隠したチェイスは、さり気なく愛子の手を取ろうとして……「ゴホンッ!」という咳払いと鋭い眼光にその手を止められる。
止めたのは愛子の斜め前に座っている女子生徒の一人園部優花である。"愛ちゃんをイケメン軍団から守る会"の会長だ。他にも数名のメンバーが乗り込んでいる。
一応、優花達も勇者と共に異世界から召喚された"神の使徒"という事になっているので、生徒達専用の馬車も用意されているのだが、馬車の中という密室にイケメン軍団と愛子だけにしていては何があるか分からないと半ば無理矢理乗り込んだのだ。
優花はセミロングの髪を染めて淡い栗色にしており、美人系の顔立ちなので目つきもやや鋭い。別に日本にいた時も不良という訳では無く、どちらかと言えば真面目な方なのだが、ファッション等の好みがその系統に近い事や、性格が割とサバサバしている事から誤解されがちな女子生徒だ。そんな彼女が眉間に皺寄せてギンッと目を吊り上げていれば……中々に迫力があった。少なくとも、同乗していた淳史が思わずスッと視線を逸らす程度には。
因みに、この馬車は八人乗りである。外には一個小隊規模の騎士達が控えているが、隊長と副隊長が揃って馬車の中にいていいのかというツッコミは既に為された後だ。なんだかんだと理由を付けてイケメン達も乗り込んでいる。余程愛子から離れたくないらしい。
「おやおや、睨まれてしまいましたね。そんなに眉間に皺を寄せていては、折角の可愛い顔が台無しですよ?」
そう言ってイケメンスマイルで微笑むチェイス。何故か無駄にキラキラしている。普通の女性なら思わず頬を染めるだろう魅力的な笑みだ。だがそれに対する優花の反応は、今にも「ペッ!」と唾を吐きそうな表情である。
「愛ちゃん先生の傍で、他の女に"可愛い"ですか? 愛ちゃん先生、この人きっと女癖悪いですよ。気を付けて下さいね?」
優花は細やかな反撃の言葉を吐き出した。惚れた女の前で他の女に"可愛い"なんて言葉を使う奴は碌でもない、というのが優花の持論だ。ましてや、己のハニートラップ的役割を十分に理解しているらしい彼等が敢えて自分の容姿を活かした言動を取れば、優花的にはもう質の悪いただのナンパ野郎にしか見えないのである。
「そ、園部さん。そんなに喧嘩腰にならないで。それと、折角"先生"と呼んでくれる様になったのに"愛ちゃん"は止めないんですね。……普通に愛子先生で良くないですか?」
「ダメです。愛ちゃん先生は"愛ちゃん"なので、愛ちゃん先生でなければダメです。生徒の総意です」
「ど、どうしよう、意味が分からない。しかも生徒達の共通認識? ……これが、ゆとり世代の思考なの? 頑張れ私ぃ、威厳と頼りがいのある教師になる為の試練よ! 何としても生徒達の考えを理解するのよ!」
一人で「ふぁいとー!」する愛ちゃん先生に、優花とチェイスのやり取りでギスギスしていた空気がほんわかする。それこそ愛子が"愛ちゃん"たる所以なのだが、愛子は気がつかない。威厳のある教師の道は遠そうである。
それから更に馬車に揺られる事四日。
イケメン軍団が愛子にアプローチをかけ、愛子自身やけに彼等が積極的なのは上層部から何か言われているのだろうなぁと流石に察していたので普通にスルーし、実は本気で惚れられているという事に気がついていない愛子に、これ以上口説かせるかと優花達が睨みを効かせ、度々重い空気が降りるなか、やはり愛子の言動にほんわかさせられ……という事を繰り返して、遂に一行は【湖畔の町ウル】に到着した。
町の宿で旅の疲れを癒しつつ、ウル近郊の農地の調査と改善案を練る作業に取り掛かる。その間も愛子を中心としたラブコメ的騒動が多々あるのだが……それはまた別の話。
そうしていざ農地改革に取り掛かり始め、最近巷で囁かれている“豊穣の女神”という二つ名がウルの町にも広がり始めた頃、再び愛子の精神を圧迫する事件が起きた。──生徒の一人が失踪したのである。
愛子は奔走する。大切な生徒の為に。
その果てに、衝撃の再会と望まぬ結末が待っているとも知らずに。
「ふふっ、あなた達の痴態、今日こそじっくりねっとり見せてもらうわ!」
上弦の月が時折雲に隠れながらも、健気に夜の闇を照らす。今もまた、風にさらわれた雲の上から顔を覗かせその輝きを魅せていた。その光は、地上のとある建物を照らし出す。もっと具体的に言えば、その建物の屋根からロープを垂らし、それにしがみつきながら何処かの特殊部隊員の様に華麗な下降を見せる一人の少女を照らし出していた。
スルスルと三階にある角部屋の窓まで降りると、そこで反転し、逆さまになりながら窓の上部よりそっと顔を覗かせる。
「この日の為にクリスタベルさんに教わったクライミング技術その他! まさかこんな場所にいるとは思うまい、ククク。さぁ、どんなアブノーマルなプレイをしているのか、ばっちり確認してあげる!」
ハァハァと興奮した様な気持ちの悪い荒い呼吸をしながら室内に目を凝らすこの少女、何を隠そうブルックの町"マサカの宿"の看板娘ソーナちゃんである。
明るく元気でハキハキした喋りに、くるくると動き回る働き者。美人という訳ではないが野に咲く一輪の花の様に素朴な可愛さがある看板娘だ。町の中にも彼女を狙っている独身男は結構いる。
そんな彼女は現在、持てる技術の全てを駆使してとある客室の"覗き"に全力を費やしていた。その表情は、彼女に惚れている男連中が見れば一瞬で幻滅するであろう……エロオヤジのそれだった。
「くっ、やはり暗い。よく見えないわ。もう少し角度をずらして……」
「こうか?」
「そうそう、この角度なら……それにしても静かね? もう少し嬌声が聞こえるかと思ったのに……」
「魔術でも使えば遮音くらいは出来るだろ?」
「はっ!? その手があったか! くぅう小賢しい、でも私は諦めない! その痴態だけでもこの眼に焼き付け………………」
繰り返すが、ここは三階の窓の外。ソーナの様に馬鹿な事でもしない限り、間近に声が聞こえる事など有り得ない。ソーナは一瞬で滝の様な汗を流すと、ギギギという油を差し忘れた機械の様にぎこちない動きで振り返った。そこには……
空中に仁王立ちする、感情の読み取れない表情をしたソウゴがいた。
「ち、ちなうんですよ? お客様。これは、その、あの、そう! 宿の定期点検です!」
「こんな夜中に?」
「そ、そうなんですよ~。ほら、夜中にちゃちゃっとやってしまえば、昼に補修しているところ見られずに済むじゃないですか。宿屋だからガタが来てると思われるのは、ね?」
「成程、評判は大事だな?」
「そ、そうそう! 評判は大事です!」
「ところで、この宿で最近覗き魔が出る様だが……そこについてどう思う?」
「そ、それは由々しき事態ですね! の、覗きだなんて、ゆ、許せません、よ?」
「ああ、その通りだ。覗きは許せないな?」
「え、ええ、許せませんとも……」
ソーナはソウゴと顔を見合わせると「ははは」と笑い始めた。但し、小刻みに震えながら汗をポタポタ垂らしているという何とも追い詰められた様な笑いだったが。
「反省しろ」
「ひぃーー、ごめんなざぁ~い!」
ソウゴがソーナの顔面にアイアンクローを決め込む。メリメリと音を立ててめり込むソウゴの指。空中でジタバタともがきながらソーナは悲鳴を上げ、必死に許しを請う。
ソーナは一般人の女の子だ。それに対するお仕置きにしては、少々やりすぎなのではと思うレベルで力を入れるソウゴ。
これが初犯なら、まだもう少し手加減くらいしただろう。しかし、【ライセン大迷宮】から帰還した次の日に再び宿に泊まった夜から毎晩、あの手この手で覗きをされればいい加減配慮も薄くなるというものだ。
因みに、それでもこの宿を利用しているのは飯が美味いからである。
既にビクンビクンしているソーナを容赦なく放り投げ、ピンポン玉の様に町中の建物という建物に跳ねさせて内臓と脳をシェイクさせてから脇に抱え直すソウゴ。ソーナは全身の痛みと脳震盪で目を回しつつ、漸く解放されたとホッと安堵の息を吐く。しかし、ふと見た下には……鬼がいた。満面の笑みだが、眼が笑っていない母親という鬼が。
「ひぃ!!」
ソーナが気がついた事に気がついたのだろう。ゆっくり手を掲げると、おいでおいでをする母親。まるで地獄への誘いだった。
「今回は、尻叩き百発じゃあきかないかもな」
「いやぁああーーー!」
ソウゴがポツリとこぼした言葉に、今までのお仕置きを思い出して悲鳴を上げるソーナ。きっと、翌の朝食時には、お尻をパンパンに腫らした涙目のソーナを見る事ができるだろう。毎晩毎朝の出来事に溜息を吐くソウゴであった。
ソーナを母親に引渡し、宿の部屋に戻ったソウゴは、そのままベッドにドサッと寝転んだ。
「……お疲れ様」
「おかえりなさいです」
そんなソウゴに声を掛けたのは、勿論ユエとシアだ。窓から差し込む月明かりだけが部屋の中を照らし、二人の姿を淡く浮かび上がらせる。対面のベッドの上で女の子座りしているユエ、浅く腰掛けたシア。二人共ネグリジェだけという何とも扇情的な姿だ。二人の美貌と相まって、一枚の絵画として描かれたのなら、それが二流の書き手でも名作と謳われそうである。
「あぁ全くだ。……にしても一体何があの小娘を駆り立てるんだか。屋根から降りてくるなぞ尋常ではないぞ? 流石に、いくら飯が美味くても別の宿を探すべきかもな」
呆れた様な口調でそう話すソウゴに、シアはクスリと笑って立ち上がりソウゴのベッドに腰掛ける。ユエもいそいそと立ち上がるとソウゴのベッドに移動し、横たわるソウゴの頭の下に自らの膝を入れた。所謂膝枕である。瞬間、ソウゴは頭を上げて身体を起こす。その表情は美少女に膝枕をされたとは思えない顰めっ面だ。シアは一瞬不満気な顔になるが、直ぐに元の顔に戻る。
「きっと、私達の関係がソーナちゃんの女の子な部分に火を付けちゃったんですね。気になってしょうがないんですよ。可愛いじゃないですか」
「……でも、手口がどんどん巧妙になってるのは……心配」
「昨日なぞ、シュノーケルを自作して湯船の底に張り込んでたからな……水中から爛々と輝く眼を見つけた時は、危うく殺しかけたぞ」
「う~ん、確かに宿の娘としてはマズイですよね…一応、私達以外にはしてない様ですが……」
ソーナの奇行について雑談しながら、シアが、そっとソウゴに体を寄せる。自然と伸びた手がソウゴの手と重なり自分の胸元へと誘導していく。シアの表情は紅潮していて、これから起こる事に緊張している様だ。
ソウゴは握られたシアの手をそっと握り返し……壁に叩きつけた。
「ぎゃんっっ!!!??」
「貴様等、部屋は隣だろう。何故勝手に入っている?」
頭から床に落ちたシアを心配する事も無く、ユエも含めて何故部屋にいるのか尋ねるソウゴ。
「そ、それは、なし崩し的にベッドイン☆出来ないかなぁ~と……」
「……」
頬を赤らめるシアと、激しく首肯するユエ。ソウゴは頭を抱えて溜め息を吐く。
「貴様等を抱くつもりは無いと言っただろうが」
「いいえ、私の勘では、ソウゴさんはデレ始めてます! 最初の頃に比べれば大分優しいですもの! このまま既成事実でも作ってやれば…グヘヘ『メキョバキッ』らめぇーー! 壊れるぅーー!」
聞くに耐えないシアのお粗末な計画に、素早く距離を詰めてアイアンクローするソウゴ。
シアは、鳴ってはならない音を響かせつつもどうにか解放してもらい、痛む頭を抱え込みながらうずくまりベッドの端でブルブルと痛みに耐えた。ウサミミが「ひどいよぉ~、ひどすぎるよぉ~」とでも言っているかの様にプルプルミョンミョンしている。そんなシアを放置して、ソウゴはユエに視線を転じる。ユエは、真っ直ぐソウゴを見つめていた。
「ユエ、貴様もシアを止めろ。今までなら直ぐ止めただろうに、どういう心境の変化だ?」
ソウゴの疑問にユエは少し考える様に首を傾げた。ソウゴの言う通り、【ライセン大迷宮】を後にしてからというもの、ユエのシアに対する態度が寛容なのだ。以前はソウゴにくっつこうものなら問答無用に弾き飛ばしていたのだが、最近は多少のスキンシップなら特に何も言わなくなった。それでも、過剰な…例えばキスを迫ったりすると不機嫌そうになるのだが……
「……シアは、頑張った。これからも頑張る。ソウゴ様と私が好きだから」
「まぁ、そうだろうな……」
「……私も……嫌いじゃない」
「何だかんだで貴様等仲はいいからな。それは見ててわかる」
ソウゴはユエの少ない言葉から、要はユエがシアを気に入っているというレベルを超えて大切に思いつつあるという事を察した。
それは事実だ。
【ライセン大迷宮】では、峡谷よりも遥かに強力な魔法分解作用が働いていたせいで、ユエは十全に力を発揮できなかった。それをカバーしたのは、他ならぬシアだ。
シアは、ほんの少し前まで争いとは無縁の存在だった。無縁どころか苦手ですらあった。平穏を愛する最弱の種族──その評判通りの兎少女だったのだ。
そんな彼女が、恐怖も不安もあっただろうに、唯の一度も弱音を吐く事無くソウゴとユエに付いて来た。大迷宮という地獄へ。そして歯を食いしばり、遂には上々の結果まで叩き出した。
それは偏に、ソウゴに対する恋情とユエに対する友情の為だ。二人と一緒にいたいからこそ、シアは己を変え全身全霊を以て前へ進んだ。
ユエにも独占欲や嫉妬心は当然ある。故に、シアのソウゴに対する気持ちは認め難い。だからこそ、当初はそれなりにキツイ対応をして来たのだが……どれだけ邪険にしても真っ直ぐ飛び込んでくるシアに、何度も伝えられる友愛に、そして大迷宮攻略という形でそれらを証明した事に……有り体に言えば絆された。
思えば、ユエには友人というものがいたという記憶がない。封印される前は勉学に政務にと忙しく、立場的にも対等な友人というものはいなかった。つまりボッチだった。そこへ「仲間ですぅ~!」と裏表なく真っ直ぐぶつかってきてくれるシアの存在は、ソウゴの事を除けば、実は元々悪い気はしていなかったのだ。
そんな訳で、最近はソウゴの事に関しても、「まぁ、シアなら少しくらい……」という寛容さが示されているのである。
「……それに」
「ん?」
言葉を続けるユエに視線を向けるソウゴ。その瞳には、自信と妖艶さと覚悟と誠意と、その他の全てが詰まった様な煌くユエの微笑みが映った。余人ならばあまりに可憐且つ魅力的で、思わず息を詰めるだろう。それ自体が引力を持っているかの様に視線は吸い寄せられる。しかしソウゴは胡乱気な目でユエを見つめ返す。
「……ソウゴ様の心は、もう私が持ってる」
「……」
例え誰がソウゴを好きになろうと、例えソウゴが誰を懐へ入れようと。一番は、特別は……この私である。それはそういう宣言だ。ユエの宣戦布告だ。今まで出会った人達への、そしてこれから出会うであろう人達への宣戦布告である。
「……………はぁ」
もう何も言えないソウゴ。もう頭を抱えたい気分だ。男女の関係になるつもりは無いと再三言っているのにこれなので、ソウゴは遠く故郷の妻子達が恋しくなった。参ったと言わんばかりの表情で左手薬指の指輪を見る。すると……
「ぐすっ、あの、せめて私の存在を忘れるのだけは止めてもらえませんか? 虚しさとか寂しさが半端なくて……ぐすっ」
シアがベッドの隅で三角座りをし泣きべそを掻きながら、二人を見つめていた。
あまりに哀れな姿においでおいでをするユエ。「ユエざぁ~ん!」と叫びながら、シアは、ユエの胸に飛び込みスンスンと鼻を鳴らす。よしよしと頭を撫でられる感触が気持ちよくて次第にトロンとした眼になり、そのまま寝息を立てるシア。
ソウゴは、そんな様子を見て苦笑いしながらポツリとこぼす。
「友というより母じゃないか?」
「……子供ならソウゴ様の子がいい」
「……貴様も大概脳内ピンクよな」
「……シアにも少し優しくしてあげて?」
「善処はしよう」
「ん……大好き」
「ふざけてないでシアを連れて戻れ」
結局、言っても中々戻らなかったので力尽くで追い出して寝る事になった。この日以降、調子に乗って毎晩ソウゴに特攻しては手痛いお仕置きをされるという事が繰り返される事になる。
因みに、壁に叩きつけられた時のシアの悲鳴でソーナちゃんの誤解とか好奇心とか妄想とかたが更に深まり、やたらと高い潜入スキルを持つ宿屋の看板娘が爆誕するのだが……これはまた別の話。
カランカラン……と、そんな音を立てて冒険者ギルド【ブルック支部】の扉は開いた。入ってきたのは三人の人影。ここ数日ですっかり有名人となったソウゴ、ユエ、シアである。ギルド内のカフェには、いつもの如く何組かの冒険者達が思い思いの時を過ごしており、ソウゴ達の姿に気がつくと片手を上げて挨拶してくる者もいる。男は相変わらずユエとシアに見蕩れ、ついでソウゴに羨望と嫉妬の視線を向けるが、そこに陰湿なものはない。
ブルックに滞在して一週間、その間にユエかシアを手に入れようと画策した者は今や一人もいない。嘗て"股間スマッシュ"という世にも恐ろしい所業をなしたユエ本人を直接口説く事は出来ないが、外堀を埋める様にソウゴから攻略してやろうという輩がそれなりにいたのである。
それに対してソウゴは、何を思ったのか決闘を申し込んできた冒険者を一堂に集め、その全員を一度に相手する事にしたのだ。勿論結果は言うまでも無く、ソウゴの挨拶代わりの一撃目で沈んだのだが。
ユエとシアが驚いたのは、その次にソウゴがした事だ。
ソウゴは決闘した者も含めて町中の人々を集め、大規模な酒宴を開いたのである。費用は全てソウゴ持ち、その上自身の酒蔵の逸品まで振舞った。
そんな訳でこの町では、"股間スマッシャー"たるユエと、そんな彼女が心底惚れており、決闘した相手すら極上の品を振舞う度量と財力、数百人を一撃で沈めた実力を持った"無双富豪"たるソウゴのコンビは有名であり一目置かれる存在なのである。ギルドでパーティー名の申請等していないのに"ゴールデン・ラヴァーズ"というパーティ名が浸透しており、自分の二つ名と共にそれを知ったソウゴが大笑いしたのは記憶に新しい。
そんな事があったからか、ソウゴの実力を疑う者は一人もいない。またその立ち居振る舞いから、正確ではなくともソウゴが見た目以上に年を取っている事を皆が察していた。
因みに、自分の存在感が薄いとシアが涙したのは余談である。
「おや、今日は三人一緒かい?」
ソウゴ達がカウンターに近づくといつも通りキャサリンがおり、先に声をかけた。キャサリンの声音に意外さが含まれているのは、この一週間でギルドにやって来たのは大抵、ソウゴ一人かシアとユエの二人組だからだ。
「ああ。明日にでも町を出る故、一応挨拶をとな。ついでに目的地関連で依頼があれば受けておこうと思うのだが……」
「そうかい、行っちまうのかい。そりゃあ寂しくなるねぇ、あんた達が戻ってから賑やかで良かったんだけどねぇ~」
「そう言ってもらえて嬉しいが、何分新しいものに目が無くてね。ここでの日々も楽しかったが、新たな出会いを求めに旅立つ事にしたよ」
そう笑うソウゴの表情に嘘は無い。その目は今日までを振り返り、主にユエとシアを巡って巻き込まれたアレコレを思い出している。
また、ブルックの町には三大派閥が出来ており、日々鎬を削っている。一つは「ユエちゃんに踏まれ隊」、もう一つは「シアちゃんの奴隷になり隊」最後が「お姉さまと姉妹になり隊」である。其々文字通りの願望を抱え、実現を果たした隊員数で優劣を競っているらしい。
あまりにぶっ飛んだネーミングと思考の集団にドン引きの二人と、愉快そうに笑うソウゴ。町中でいきなり土下座すると、ユエに向かって「踏んで下さい!」とか絶叫するのだ。もはやギャグである。シアに至ってはどういう思考過程を経てそんな結論に至ったのか理解不能だ。亜人族は被差別種族じゃなかったのかとか、お前らが奴隷になってどうするとかツッコミどころは満載だが、深く考えるのが面倒だったので出会えば即刻排除している。最後は女性のみで結成された集団で、ユエとシアに付き纏うか、ソウゴの排除行動が主だ。一度は、「お姉さまに寄生する害虫が! 玉取ったらぁああーー!!」とか叫びながらナイフを片手に突っ込んで来た少女もいる。
流石に町中で少女を殺害したとなると色々面倒そうなので、ソウゴはその少女を裸にひん剥いた後、亀甲縛りにして"アナザーディメンション"でパンクハザードに送って一日程放置した。その後戻って来た少女の有様に、他の少女達の過激な行動が鳴りを潜めたのはいい思い出である。
「まぁ、楽しかったならなによりだよ。で、何処に行くんだい?」
「取り敢えずはフューレンに行くつもりだ」
そんな風に雑談しながらも、仕事はきっちりこなすキャサリン。早速、フューレン関連の依頼がないかを探し始める。
【フューレン】とは、中立商業都市の事だ。ソウゴ達の次の目的地は【グリューエン大砂漠】にある七大迷宮の一つ、【グリューエン大火山】である。その為大陸の西に向かわなければならないのだが、その途中に【中立商業都市フューレン】があるので、大陸一の商業都市に一度は寄ってみようという話になったのである。
尚、【グリューエン大火山】の次は大砂漠を超えた更に西にある海底に沈む大迷宮【メルジーネ海底遺跡】が目的地だ。
「う~ん……おや、いいのがあるよ。商隊の護衛依頼だね。丁度空きが後一人分あるよ、どうだい? 受けるかい?」
キャサリンにより差し出された依頼書を受け取り内容を確認するソウゴ。確かに、依頼内容は商隊の護衛依頼の様だ。中規模な商隊の様で、十五人程の護衛を求めているらしい。ユエとシアは冒険者登録をしていないので、ソウゴの分で丁度だ。
「連れの同伴は可能か?」
「ああ、問題ないよ。あんまり大人数だと苦情も出るだろうけど、荷物持ちを個人で雇ったり、奴隷を連れている冒険者もいるからね。まして、ユエちゃんシアちゃんも結構な実力者だ。一人分の料金でもう二人優秀な冒険者を雇える様なもんだ。断る理由も無いさね」
「そうか、まぁ決めるのは二人の返答次第だが」
ソウゴは問いかける様にユエとシアの方を振り返った。
「……急ぐ旅じゃない」
「そうですねぇ~、偶には他の冒険者方と一緒というのも良いかもしれません。ベテラン冒険者のノウハウというのもあるかもしれませんよ?」
「…だそうだ、それを受けよう」
ソウゴは二人の意見に頷くとキャサリンに依頼を受ける事を伝える。ユエの言う通り、七大迷宮の攻略には確固たる目的は無い。『急いて事を仕損じる』とも言う、シアの言う様に冒険者独自のノウハウがあれば今後の旅でも何か役に立つ事があるかもしれない。
「あいよ。先方には伝えとくから、明日の朝一で正面門に行っとくれ」
「了解した」
ソウゴが依頼書を受け取るのを確認すると、キャサリンがソウゴの後ろのユエとシアに目を向けた。
「あんた達も体に気をつけて元気でおやりよ? この子に泣かされたら何時でも家においで。あたしがぶん殴ってやるからね」
「……ん、お世話になった。ありがとう」
「はい、キャサリンさん。良くしてくれて有難うございました!」
キャサリンの人情味あふれる言葉にユエとシアの頬も緩む。特にシアは嬉しそうだ。この町に来てからというもの自分が亜人族であるという事を忘れそうになる。勿論、全員が全員シアに対して友好的という訳では無いが、それでもキャサリンを筆頭にソーナやクリスタベル、ちょっと引いてしまうがファンだという人達はシアを亜人族という点で差別的扱いをしない。土地柄か、それともそう言う人達が自然と流れ着く町なのか。それはわからないが、いずれにしろシアにとっては故郷の樹海に近いくらい温かい場所であった。
「あんたも、こんないい子達泣かせんじゃないよ? 精一杯大事にしないと罰が当たるからね?」
「生憎と私は既婚者でね。彼女等はただの連れだよ」
キャサリンの言葉に苦笑いで返すソウゴ。そんなソウゴに、キャサリンが一通の手紙を差し出す。片眉を上げてそれを受け取るソウゴ。
「これは?」
「あんた達、色々厄介なもの抱えてそうだからね。町の連中が迷惑かけた詫びの様なものだよ。他の町でギルドと揉めた時は、その手紙をお偉いさんに見せな。少しは役に立つかもしれないからね」
バッチリとウインクするキャサリンに、思わず再度苦笑するソウゴ。手紙一つでお偉いさんに影響を及ぼせるアンタは一体何者だ? という疑問がありありと表情に浮かんでいる。
「おや、詮索は無しだよ? いい女に秘密はつきものさね」
「……違いない、野暮というものよな」
「素直でよろしい! 色々あるだろうけど、死なない様にね」
「呵々、そう楽に死ねる様な生き方はしておらんよ」
謎多き片田舎の町のギルド職員・キャサリン。ソウゴ達はそんな彼女の愛嬌のある魅力的な笑みと共に送り出された。
その後、ソウゴ達はクリスタベルの場所にも寄った。ユエとシアがどうしてもというので仕方なく付き添った。
最後の晩と聞き、遂には堂々と風呂場に乱入。そして部屋に突撃を敢行したソーナちゃんがブチギレた母親に、亀甲縛りをされて一晩中宿の正面に吊るされるという事件の話も割愛だ。
何故母親が亀甲縛りを知っていたのかという話も割愛である。
そして翌日早朝。
そんな愉快なブルックの町民達を思い出にしながら、正面門にやって来たソウゴ達を迎えたのは商隊の纏め役と他の護衛依頼を受けた冒険者達だった。どうやらソウゴ達が最後の様で、纏め役らしき人物と十四人の冒険者が、やって来たソウゴ達を見て一斉にざわついた。
「お、おい、まさか残りの三人って"ゴル・ラヴ"なのか!?」
「マジかよ! 嬉しさと恐怖が一緒くたに襲ってくるんですけど!」
「見ろよ、俺の手。さっきから震えが止まらないんだぜ?」
「いや、それはお前がアル中だからだろ?」
ユエとシアの登場に喜びを顕にする者、股間を両手で隠し涙目になる者、手の震えをソウゴ達のせいにして仲間にツッコミを入れられる者など様々な反応だ。ソウゴが楽し気な表情をしながら近寄ると、商隊の纏め役らしき人物が声をかけた。
「君達が最後の護衛かね?」
「ああ、これが依頼書だ」
ソウゴは、懐から取り出した依頼書を見せる。それを確認して、纏め役の男は納得した様に頷き自己紹介を始めた。
「私の名はモットー・ユンケル。この商隊のリーダーをしている。君達のランクは未だ青だそうだが、キャサリンさんからは大変優秀な冒険者と聞いている。道中の護衛は期待させてもらうよ」
「……もっとユンケル? ……商隊の長も大変なんだな……」
日本の栄養ドリンクを思い出させる名前に、ソウゴの眼が同情を帯びる。何故そんな眼を向けられるのか分からないモットーは首を傾げながら、「まぁ、大変だが慣れたものだよ」と苦笑い気味に返した。
「まぁさておき、期待は裏切らんよ。私はソウゴ、こっちはユエとシアだ」
「それは頼もしいな……ところで、この兎人族……売るつもりはないかね? それなりの値段を付けさせてもらうが」
モットーの視線が値踏みする様にシアを見た。兎人族で青みがかった白髪の超がつく美少女だ。商人の性として、珍しい商品に口を出さずにはいられないという事か。首輪から奴隷と判断し、即行で所有者たるソウゴに売買交渉を持ちかけるあたり、きっと優秀な商人なのだろう。
その視線を受けて、シアが「うっ」と嫌そうに唸りソウゴの背後にそそっと隠れる。ユエのモットーを見る視線が厳しい。だが、一般的な認識として樹海の外にいる亜人族とは即ち奴隷であり、珍しい奴隷の売買交渉を申し出るのは商人として当たり前の事だ。モットーが責められる謂れは無い。
「ほぉ、随分と懐かれていますな。…中々大事にされている様だ。ならば、私の方もそれなりに勉強させてもらいますが、如何です?」
「貴様はそこそこ優秀な商人の様だが……、気は確かか?」
シアの様子を興味深そうに見ていたモットーが更にソウゴに交渉を持ちかけるが、ソウゴの対応はあっさりしたものである。モットーも、実はソウゴが手放さないだろうとは感じていたが、それでもシアが生み出すであろう利益は魅力的だったので、何か交渉材料はないかと会話を引き伸ばそうとする。
だが、そんな意図もソウゴは読んでいたのだろう。やはりあっさりとした、それでいて当然の様に平坦な言葉をモットーに告げる。
「例え神が欲しても、私に従わないならば触れる機会すら与えんよ。……理解してもらえたか?」
「…………えぇ、それはもう。仕方ありませんな。ここは引き下がりましょう。ですが、その気になったときは是非、我がユンケル商会をご贔屓に願いますよ。それと、もう間も無く出発です。護衛の詳細は、そちらのリーダーとお願いします」
ソウゴの発言は相当危険なものだった。敬虔な者が聞いたならば、下手をすれば聖教教会から異端の烙印を押されかねない発言だ。至高の神すら自分より下に見ているなど、この世界ではまずあり得ない。正に神をも恐れぬ発言だ。それ故に、モットーはソウゴがシアを手放す事は無いと心底理解させられた。
ソウゴがすごすごと商隊の方へ戻るモットーを見ていると、周囲が再びざわついている事に気がついた。
「すげぇ……女一人の為に、あそこまで言うか……痺れるぜ!」
「流石、無双富豪と言ったところか。自分の女に手を出す奴には容赦しない……ふっ、漢だぜ」
「いいわねぇ~、私も一度くらい言われてみたいわ」
「いや、お前男だろ? 誰がそんな事……ッあ、すまん、謝るからっやめっアッーー!!」
ソウゴは愉快な護衛仲間の発言に道中暇はしなさそうだと笑みを浮かべた。やはりブルックの町の連中は退屈しない。そんな事を思っていると、背中に何やら"むにゅう"っと柔らかい感触を感じ、更に腕が背後から回されソウゴを抱きしめてくる。
ソウゴが肩越しに振り返ると、肩に顎を乗せたシアの顔が至近距離に見えた。その顔は真っ赤に染まっており、実に嬉しそうに緩んでいる。
「何を喜んでいるんだ、当然の事を言っただけだぞ」
「うふふふ、分かってますよぉ~、うふふふ~」
単に許可も資格も無く所有物を渡す事は無いという意味であって、周りで騒いでいる様に"自分の女"だからという意味ではないと暗に伝えるソウゴだったが、シアにはまるで伝わっていなかった。惚れた男から"神にだって渡さない"と宣言されたのだ。どの様な意図で為された発言であれ、嬉しいものは嬉しいのだろう。
手っ取り早く交渉を打ち切る為の発言が色んな意味で"やりすぎ"だった事に、加減を間違えたかと首を捻るソウゴ。ユエはトコトコと傍に寄って行くと、そんなソウゴの袖をクイクイと引っぱった。
「何だユエ?」
「ん……カッコよかったから大丈夫」
「ふん、ならば可だ」
ソウゴの心情を察し慰めるユエに、ソウゴは愉快そうに笑いながら優しく頬を撫でた。気持ちよさそうに目を細めるユエ。
早朝の正門前、多数の人間がいる中で、背中に幸せそうなウサミミ美少女をはりつけ、右手には金髪紅眼のこれまた美少女を纏わりつかせる男、常磐ソウゴ。
纏う雰囲気自体は孫を愛でる老人のそれだが、傍目には年若いハーレムである。商隊の女性陣は生暖かい眼差しで、男性陣は死んだ魚の様な眼差しでその光景を見つめる。ソウゴに突き刺さる煩わしい視線や言葉は、きっと自業自得である。
ブルックの町から中立商業都市フューレンまでは馬車で約六日の距離である。
日の出前に出発し、日が沈む前に野営の準備に入る。それを繰り返す事三回目。ソウゴ達は、フューレンまで三日の位置まで来ていた。道程はあと半分である。ここまで特に何事もなく順調に進んで来た。ソウゴ達は隊の後方を預かっているのだが、実に長閑なものである。
この日も、特に何もないまま野営の準備となった。
冒険者達の食事関係は自腹である。周囲を警戒しながらの食事なので、商隊の人々としては一緒に食べても落ち着かないのだろう。別々に食べるのは暗黙のルールになっている様だ。そして、冒険者達も任務中は酷く簡易な食事で済ませてしまう。ある程度凝った食事を準備すると、それだけで荷物が増えていざという時邪魔になるからなのだという。代わりに、町に着いて報酬をもらったら即行で美味いものを腹一杯食うのがセオリーなのだとか。
そんな話を、この二日の食事の時間にソウゴ達は他の冒険者達から聞いていた。
ソウゴ達が用意した豪勢且つ上品な食事に舌を踊らせながら。
「カッーー、うめぇ! ホント美味いわぁ~、流石旦那! もう俺を家来にしてくれよ!」
「ガツッガツッ、ゴクンッ、ぷはっ、てめぇ、何抜け駆けしてやがる! 旦那、俺の方が役に立つぜ!」
「はっ、お前みたいな雑魚が何言ってんだ? 身の程を弁えろ。ところで旦那、シアちゃんも。町についたら一緒に食事でもどう? 勿論俺のおごりで」
「な、なら、俺はユエちゃんだ! 旦那、ユエちゃん、俺と食事に!」
「ユエちゃんのスプーン……ハァハァ」
うまうまとソウゴが調理したシチュー擬きを次々と胃に収めていく冒険者達。初日に、彼等が干し肉や乾パンの様な携帯食をもそもそ食べている横で、普通に宝物庫から取り出した食器と材料を使い料理を始めたソウゴ達。
いい匂いを漂わせる料理に自然と視線が吸い寄せられ、ソウゴ達が熱々の食事をハフハフしながら食べる頃には全冒険者が涎を滝の様に流しながら血走った目で凝視するという事態になり、物凄く居心地が悪くなったシアがお裾分けを提案した結果、今の状態になった。
当初、飢えた犬の如き彼等を前に、ソウゴも彼等に倣って携帯食を食べるつもりだった。勿論彼等の物とは品質に天と地程の差があるが。
しかしシアを仲間に加えてから、ソウゴは育ち盛りの女子二人を抱えいつまでも自分の趣味で粗雑な食事に付き合わせるのもどうかと思った。そこでソウゴは、遅ればせながら歓迎の意味も兼ねて自分で料理を振舞う事にしたのだ。幸い、ソウゴの料理スキルは得意だった大叔父や先達(元記憶喪失の料理人とか雑誌記者とか天の道を征く男とか)から教わった事もあり人並以上に高い。そこへ物欲しそうな冒険者達の姿が目に入り、これから六日も顔を会わせるのだから縁を作るのも悪くないかと卓に招いたのだ。
それからというもの。冒険者達がこぞって食事の時間にはハイエナの如く群がってくるのだが、最初は恐縮していた彼等も次第に調子に乗り始め、事ある毎にシアとユエを軽く口説く様になり、ソウゴに雇ってくれとアピールする様になったのである。
「どれだけ食べても構わんが……私の連れを口説くのが目的なら話は別だ」
ぎゃーぎゃー騒ぐ冒険者達に、ソウゴは白紙に滲む墨汁の様にポツリと呟く。熱々の料理で体の芯まで温まった筈なのに、一瞬で芯まで冷えた冒険者達は蒼褪めた表情でガクブルし始める。ソウゴは口の中の肉を飲み込むと皿に向けていた視線をゆっくり上げ、やたら響く声で言った。
「選べ、黙って食事を続けるか……」
そこで一度言葉を切り、ソウゴは三日月の様に口角を歪めて続ける。
「
「「「「「調子に乗ってすんませんっしたー!!!!!」」」」」
見事なハモリとシンクロした土下座で即座に謝罪する冒険者達。命知らずでありながら、何よりも生に貪欲であり死に敏感な彼等は、ソウゴの脅しの意味を正確に理解した。ソウゴの目を見れば、自分達の命の価値がソウゴの中で急速に軽くなっていくのが分かった。
外見から判断つかないが、十数万年にも渡って王として君臨しているソウゴ。その威圧感はたとえ漏れ出る程度であっても、形容の仕様が無い程恐ろしいのだ。
「もう、ソウゴさん。折角の食事の時間なんですから、少し騒ぐ位いいじゃないですか。そ、それに……誰がなんと言おうと、わ、私はソウゴさんのものですよ?」
「そんな事は当たり前だ、貴様の心情は関係無い。これは威厳の問題だ」
「はぅ!?」
はにかみながら、さりげなくソウゴにアピールするシアだったが、ソウゴは一言であっさりと言い切る。
「……ソウゴ様」
「ん?」
咎める様なユエの視線に、ソウゴは胡乱気な視線を向ける。ユエは怯みつつ、人差し指をピッとソウゴにつきつけると「……メッ!」とした。要するに、以前約束した様に、もう少しシアに優しくしろという事だろう。
するとそこへ……、
「……あ~ん」
シアが頬を染めながら上手に焼けた串焼き肉を、ソウゴの口元に差し出す。食べさせたいらしい。ソウゴはチラッとユエを見る。ユエは、いそいそと串焼き肉を手に取って何やら待機している。恐らく、シアの「あ~ん」の後に自分もするつもりなのだろう。
冒険者達の視線を感じながら、ソウゴは溜息を吐くとシアに向き直り口を開けた。シアの表情が喜色に染まる。
「あ~ん」
「……」
差し出された肉をパクッと加えると無言で咀嚼するソウゴ。シアはほわぁ~んとした表情でソウゴを見つめている。と、今度は反対側から串焼き肉が差し出された。
「……あ~ん」
「……」
再びパクッ、無言で咀嚼。また、反対側からシアが「あ~ん」パクっ。ユエが「あ~ん」パクッ。
本人の主観はさておき、客観的にその様子を見せつけられている男達の心の声は見事に一致しているだろう。即ち「頼むから爆発して下さい!!」である。内心でも敬語のあたりが彼等とソウゴの力関係を如実に示しており何とも虚しいが。
それから二日。残す道程があと一日に迫った頃、遂にのどかな旅路を壊す無粋な襲撃者が現れた。
最初にそれに気がついたのはシアだ。街道沿いの森の方へウサミミを向けピコピコと動かすと、のほほんとした表情を一気に引き締めて警告を発した。
「敵襲です! 数は百以上、森の中から来ます!」
その警告を聞いて、冒険者達の間に一気に緊張が走る。現在通っている街道は、森に隣接してはいるがそこまで危険な場所ではない。何せ、大陸一の商業都市へのルートなのだ。道中の安全はそれなりに確保されている。なので魔物に遭遇する話はよく聞くが、せいぜい二十体前後、多くても四十体くらいが限度の筈なのだ。
「くそっ、百以上だと? 最近、襲われた話を聞かなかったのは勢力を溜め込んでいたからなのか? ったく、街道の異変くらい調査しとけよ!」
護衛隊のリーダーであるガリティマは、そう悪態をつきながら苦い表情をする。商隊の護衛は、全部で十五人。ユエとシアを入れても十七人だ。この人数で、商隊を無傷で守りきるのはかなり難しい。単純に物量で押し切られるからだ。
因みに、温厚の代名詞である兎人族であるシアを自然と戦力に勘定しているのは、【ブルックの町】で「シアちゃんの奴隷になり隊」の一部過激派による行動にキレたシアが、その拳一つで湧き出る変態達を吹き飛ばしたという出来事が、畏怖と共に冒険者達に知れ渡っているからである。
ガリティマが、いっそ隊の大部分を足止めにして商隊だけでも逃がそうかと考え始めた時、その考えを遮るように提案の声が上がった。
「迷っているなら、私達で片付けようか?」
「えっ?」
まるでちょっと買い物に行ってこようかとでも言うような気軽い口調で信じられない提案をしたのは、他の誰でもないソウゴである。ガリティマはソウゴの提案の意味を掴みあぐねて、つい間抜けな声で聞き返した。
「なんなら、私達が全滅させてしまっても構わんのだろう? と言ったのだが」
「い、いや、それは確かに、このままでは商隊を無傷で守るのは難しいのだが……えっと、出来るのか? この辺りに出現する魔物はそれ程強い訳では無いが、数が……」
「数なんぞ問題無い、すぐ終わらせる。……ユエがな」
ソウゴはそう言って、すぐ横に佇むユエの肩にポンッと手を置いた。ユエも特に気負った様子も見せずに、そんな仕事ベリーイージーですと言わんばかりに「ん…」と返事をした。
ガリティマは少し逡巡する。一応、彼も噂でユエが類希な魔術の使い手であるという事は聞いている。仮に言葉通り殲滅できなくても、ソウゴ達の態度から相当な数を削る事が出来るだろう。ならば戦力を分散する危険を冒して商隊を先に逃がすよりは、堅実な作戦と考えられる。
「わかった。初撃はユエちゃんに任せよう。仮に殲滅できなくても数を相当数減らしてくれるなら問題ない。我々の魔法で更に減らし、最後は直接叩けばいい。皆、分かったな!」
「「「「了解!」」」」
ガリティマの判断に他の冒険者達が気迫を込めた声で応えた。どうやら、ユエ一人で殲滅出来るという話はあまり信じられていないらしい。ソウゴは内心「そんな心配は無用だがな」と考えながら、百体以上の魔物を一撃で殲滅出来る様な魔術士がそうそういないというこの世界の常識からすれば、彼等の判断も仕方ないかと肩を竦めた。
冒険者達が、商隊の前に陣取り隊列を組む。緊張感を漂わせながらも、覚悟を決めた良い顔つきだ。食事中などのふざけた雰囲気は微塵もない。道中ベテラン冒険者としての様々な話を聞いたのだが、こういう姿を見ると成程、ベテランというに相応しいと頷かされる。商隊の人々はかなりの規模の魔物の群れと聞いて怯えた様子で、馬車の影から顔を覗かせている。
ソウゴ達は、商隊の馬車の屋根の上だ。
「ユエ、一応詠唱しておけ。後々面倒だからな」
「……詠唱……詠唱……?」
「……もしや知らないか?」
「……大丈夫、問題ない」
「……はぁ」
「接敵、十秒前ですよ~」
周囲に追及されるのも面倒なのでユエに詠唱をしておく様に告げるソウゴだったが、ユエの方は元々詠唱が不要だったせいか頭に"?"を浮かべている。無ければ無いで、小声で唱えていたとでもすればいいので大した問題ではないのだが、返された言葉にソウゴが溜息を吐いた。
そうこうしている内に、シアから報告が入る。ユエは、右手をスっと森に向けて掲げると、透き通る様な声で詠唱を始めた。
「彼の者、常闇に紅き光を齎さん、古の牢獄を打ち砕き、障碍の尽くを退けん、最強の片割れたるこの力、彼の者と共にありて、天すら呑み込む光となれ──"雷龍"」
ユエの詠唱が終わり、魔術のトリガーが引かれた。その瞬間、詠唱の途中から立ち込めた暗雲より雷で出来た龍が現れた。その姿は、蛇を彷彿とさせる東洋の龍だ。
「な、何だあれ……」
それは誰が呟いた言葉だったのか。目の前に魔物の群れがいるにも拘らず、誰もが暗示でも掛けられた様に天を仰ぎ激しく放電する雷龍の異様を凝視している。護衛隊にいた魔術に精通している筈の後衛組すら、見た事も聞いた事も無い魔術に口をパクパクさせて呆けていた。
そして、それは何も味方だけの事ではない。森の中から獲物を喰らいつくそうと殺意にまみれてやって来た魔物達も商隊と森の中間あたりの場所で立ち止まり、うねりながら天より自分達を睥睨する巨大な雷龍に、まるで蛇に睨まれた蛙の如く射竦められて硬直していた。
そして、天より齎される裁きの如く、ユエの細く綺麗な指に合わせて、天すら呑み込むと詠われた雷龍は魔物達へとその顎門を開き襲いかかった。
ゴォガァアアア!!!
「うわっ!?」
「どわぁあ!?」
「きゃぁあああ!!」
雷龍が凄まじい轟音を迸らせながら大口を開くと、何とその場にいた魔物の尽くが自らその顎門へと飛び込んでいく。そして、一瞬の抵抗も許されずに雷の顎門に滅却され消えていった。
更にはユエの指揮に従い、雷龍は魔物達の周囲を蜷局を巻いて包囲する。逃走中の魔物が突然眼前に現れた雷撃の壁に突っ込み塵となった。逃げ場を失くした魔物達の頭上で再び、落雷の轟音を響かせながら雷龍が顎門を開くと、魔物達はやはり自ら死を選ぶ様に飛び込んでいき、苦痛を感じる暇も無く荘厳さすら感じさせる龍の偉容を最後の光景に意識も肉体も一緒くたに塵へと還された。雷龍は全ての魔物を呑み込むと最後にもう一度、落雷の如き雄叫びを上げて霧散した。
隊列を組んでいた冒険者達や商隊の人々が轟音と閃光、そして激震に思わず悲鳴を上げながら身を竦める。漸くその身を襲う畏怖にも似た感情と衝撃が過ぎ去り、薄ら目を開けて前方の様子を見ると……そこにはもう何も無かった。敢えて言うなら蜷局状に焼け爛れて炭化した大地だけが、先の非現実的な光景が確かに起きた事実であると証明していた。
「……ん、やりすぎた」
「ふむ……以前手本は見せたが、余計なものまで焼いている様ではまだまだだな」
「え、アレでまだまだなんですか!?」
「真に極めた術者ならば、選んだ対象のみに影響を与える事が出来る」
「ん……ソウゴ様の域には、まだまだ」
無表情ながら尊敬の雰囲気でソウゴを見るユエ。破壊力は中々だが、精密性の視点ではソウゴの水準には届かなかったという自覚があるのだろう。ソウゴは苦笑いしながら優しい手付きでユエの髪をそっと撫でた。態々詠唱させて面倒事を避けようとした事が全くの無意味だったが、目をキラキラさせるユエを見ていると注意する気も失せた。
ユエのオリジナル魔術"雷龍"。
これは"雷槌"という空に暗雲を創り極大の雷を降らせるという上級魔術と重力魔術の複合魔術である。本来落ちるだけの雷を重力魔術により纏めて、任意でコントロールする。
この雷龍は、口の部分が重力場になっていて、顎門を開く事で対象を引き寄せる事が出来る。魔物達が自ら飛び込んでいた様に見えたのはそのせいだ。魔力量は上級程度にも関わらず威力は最上級レベルであり、ユエの現時点での切札の一つの様だ。
そして何より、態々ソウゴが以前【ハルツィナ】で見せた技である"
と、焼け爛れた大地を呆然と見ていた冒険者達が我に返り始めた。そして、猛烈な勢いで振り向きソウゴ達を凝視すると一斉に騒ぎ始める。
「おいおいおいおいおい、何なのあれ? 何なんですか、あれっ!」
「へ、変な生き物が……空に、空に……あっ、夢か」
「へへ、俺、町についたら結婚するんだ」
「動揺してるのは分かったから落ち着け。お前には恋人どころか女友達すらいないだろうが」
「魔法だって生きてるんだ! 変な生き物になってもおかしくない! だから俺もおかしくない!」
「いや、魔法に生死は関係ないからな? 明らかに異常事態だからな?」
「なにぃ!? てめぇ、ユエちゃんが異常だとでもいうのか!? アァン!?」
「落ち着けお前等! いいか、ユエちゃんは女神。これで全ての説明がつく!」
「「「「成程!」」」」
ユエの魔術が衝撃的過ぎて、冒険者達は少し壊れ気味の様だった。それも仕方がないだろう。何せ、既存の魔術に何らかの生き物を形取ったものなど存在しないのだ。まして、それを自在に操るなど国お抱えの魔術師でも不可能だろう。雷を落とす"雷槌"を行使出来るだけでも超一流と言われるのだから。
壊れて「ユエ様万歳!」とか言い出した冒険者達の中で唯一真面なリーダー・ガリティマは、そんな仲間達を見て盛大に溜息を吐くとソウゴ達の下へやって来た。
「はぁ……まずは礼を言う。ユエちゃんのお陰で被害ゼロで切り抜ける事が出来た」
「今は仕事仲間だろう、礼なぞ不要だ。な?」
「……ん、仕事しただけ」
「はは、そうか……で、だ。さっきのは何だ?」
ガリティマが困惑を隠せずに尋ねる。
「……オリジナル」
「オ、オリジナル? 自分で創った魔法って事か? 上級魔法、いや、もしかしたら最上級を?」
「……創ってない。複合魔術」
「複合魔ジュツ? だが、一体何と何を組み合わせればあんな……」
「……それは秘密」
「ッ……それは…まぁ、そうだろうな。切り札のタネを簡単に明かす冒険者などいないしな……」
深い溜息と共に、追及を諦めたガリティマ。ベテラン冒険者なだけに暗黙のルールには敏感らしい。肩を竦めると、壊れた仲間を正気に戻しにかかった。このままでは"ユエ教"なんて新興宗教が生まれかねないので、ガリティマには是非とも頑張ってもらいたい等と他人事の様に考えるソウゴ。
商隊の人々の畏怖と尊敬の混じった視線をチラチラと受けながら、一行は歩みを再開した。
ユエが全ての商隊の人々と冒険者達の度肝を抜いた日以降は特に何事もなく、一行は遂に【中立商業都市フューレン】に到着した。
フューレンの東門には六つの入場受付があり、そこで持ち込み品のチェックをするそうだ。ソウゴ達もその内の一つの列に並んでいた。順番が来るまで暫くかかりそうである。
馬車の屋根でユエを膝枕して、シアを侍らせながら座り込んでいたソウゴの下にモットーがやって来た。何やら話がある様だ。若干呆れ気味にソウゴを見上げるモットーに、ソウゴは軽く頷いて屋根から飛び降りた。
「まったく豪胆ですな。周囲の目が気になりませんかな?」
モットーの言う周囲の目とは、毎度お馴染みのソウゴに対する嫉妬と羨望の目、そしてユエとシアに対する感嘆と厭らしさを含んだ目だ。それに加えて今は、シアに対する値踏みする様な視線も増えている。流石大都市の玄関口、様々な人間が集まる場所ではユエもシアも単純な好色の目だけでなく、利益も絡んだ注目を受けている様だ。
「立場上慣れている。気にするだけ無駄だ」
そう言い切るソウゴにモットーは苦笑いだ。
「フューレンに入れば更に問題が増えそうですな。やはり、彼女を売る気は……」
さりげなくシアの売買交渉を申し出るモットーだったが、その話は既に終わっただろう? というソウゴの無言の主張に、両手を上げて降参のポーズをとる。
「そんな話をしに来た訳じゃないだろう。用件は何だ?」
「いえ、似た様なものですよ。売買交渉です。貴方達のもつアーティファクト、やはり譲ってはもらえませんか? 商会に来ていただければ公証人立会の下、一生遊んで暮らせるだけの金額をお支払いしますよ? 貴方のアーティファクト、特に"宝物庫"は、商人にとっては喉から手が出る程手に入れたいものですからな」
"喉から手が出る程"。そう言いながらもモットーの笑っていない眼をみれば、"殺してでも"という表現の方がぴったりと当て嵌まりそうである。商人にとって常に頭の痛い懸案事項である"商品の安全確実で低コストの大量輸送"という問題が一気に解決するのだ。無理も無いだろう。
野営中に宝物庫から色々取り出している光景を見た時のモットーの表情と言ったら、砂漠を何十日も彷徨い続け死ぬ寸前でオアシスを見つけた遭難者の様な表情だった。あまりにしつこい交渉に、ソウゴが軽く睨みつけると漸く商人の勘がマズイ相手と警鐘を鳴らしたのか、すごすごと引き下がった。
しかし、やはり諦めきれないのだろう。逢魔剣共々何とか引き取ろうと、再度交渉を持ちかけてきた様だ。
「何度言われようと、何一つ譲る気はない。諦めろ。それに第一、私が使っている宝物庫はアーティファクトではなく自前の術だ」
「しかし、そのアーティファクトは一個人が持つにはあまりに有用過ぎる。その価値を知った者は理性を効かせられないかもしれませんぞ? そうなれば、かなり面倒な事になるでしょうなぁ……例えば、彼女達の身に───ッ!?」
モットーが、少々狂的な眼差しでチラリと脅す様に屋根の上にいるユエとシアに視線を向けた瞬間、首筋に冷たく固い何かが押し付けられた。壮絶な殺気と共に。周囲は誰も気がついていない。馬車の影という事もあるし、ソウゴの殺気がピンポイントで叩きつけられているからだ。
「それ以上は、不敬罪で首を刎ねられても文句は言えんぞ?」
静かな、されど氷の如き冷たい声音。加えて、いつの間にか自身を囲う様に展開されている武器群。勇者の聖剣を軽く凌駕しうる至宝の数々が、波紋を立てて
硬直するモットーを覗き込むソウゴの目は、まるで地獄の審判の様だ。モットーは全身から冷や汗を流し必死に声を捻り出す。
「ち、違います! どうか……私は、ぐっ……貴方が……あまり隠そうとしておられない……ので、そういう事もある……と、ただ、それだけで……うっ!?」
モットーの言う通り、ここ最近のソウゴは武器や実力をそこまで真剣に隠すつもりは無かった。ちょっとの配慮で面倒事を避けられるならユエに詠唱させた様な事もするが、逆に言えば"ちょっと"を越える配慮が必要なら隠すつもりはなかった。元々ソウゴがこの世界に留まっている理由は単なる暇潰しなのだ、我慢する必要も理由も無い。
「そうか、ならそういう事にしておこうか」
そう言って無数の武器をしまい視線を外すソウゴ。モットーはその場に崩れ落ちた。ソウゴは軽めにぶつけただけのつもりだが、モットーは大量の汗を流し、肩で息をしている。
「別に貴様が何をしようと貴様の自由だ。或いは誰かに言いふらして、その誰かがどんな行動を取ろうと構わん。ただ……敵意をもって私の前に立ちはだかったなら命の保証は出来んな。ここは私の国ではない、故にどれだけ壊れようと気にせんからな」
「……はぁ、はぁ……成程、割に合わない取引でしたな……」
未だ蒼褪めた表情ではあるが、気丈に返すモットーは優秀な商人なのだろう。それに道中の商隊員とのやりとりから見ても、かなり慕われている様であった。本来はここまで強硬な姿勢を取る事は無いのかもしれない。彼を狂わせる程の魅力が、ソウゴの宝具群にあったという事だろう。
「ま、今回は見逃すさ。次がないといいな?」
「……全くですな。私も耄碌したものだ。欲に目が眩んで竜の尻を蹴り飛ばすとは……」
"竜の尻を蹴り飛ばす"とはこの世界の諺で、竜とは竜人族を指す。彼等はその全身を覆う鱗で鉄壁の防御力を誇るが、目や口内を除けば唯一尻穴の付近に鱗が無く弱点となっている。防御力の高さ故に眠りが深く、一度眠ると余程の事が無い限り起きないのだが、弱点の尻を刺激されると一発で目を覚まし烈火の如く怒り狂うという。
昔何を思ったのか、それを実行して叩き潰された阿呆がいたとか。そこから因んで、手を出さなければ無害な相手に態々手を出して返り討ちに遭う愚か者という意味で伝わる様になったという。
因みに竜人族は、五百年以上前に滅びたとされている。理由は定かではないが、彼等が"竜化"という固有魔術を使えた事が魔物と人の境界線を曖昧にし、差別的排除を受けたとか、半端者として神により淘汰されたとか、色々な説がある。
「そう言えば、ユエ殿のあの魔法も竜を模したものでしたな。詫びと言ってはなんですが、あれが竜であるとはあまり知られぬがいいでしょう。竜人族は、教会からはよく思われていませんからな。まぁ、竜というより蛇という方が近いので大丈夫でしょうが」
何とか立ち上がれるまでに回復したモットーは、服の乱れを直しながらソウゴに忠告をした。中々豪胆な人物だ。たった今、場合によっては殺されていたかもしれないのに、その相手と普通に会話できるというのは並みの神経ではない。
「ほぅ?」
「ええ。人にも魔物にも成れる半端者、なのに恐ろしく強い。そして、どの神も信仰していなかった不信心者。これだけあれば、教会の権威主義者には面白くない存在というのも頷けるでしょう」
「成程……しかし随分な言い様だな、不信心者と思われるぞ?」
「私が信仰しているのは神であって、権威を笠に着る"人"ではありません。人は"客"ですな」
「呵々、貴様根っからの商人だな。私の宝を見て暴走するのも頷ける」
そう言って腰の剣に手を置くソウゴに、バツの悪そうな表情と誇らしげな表情が入り混じり、実に複雑な表情をするモットー。先程の狂的な態度は、もう見られない。ソウゴの脅しに、今度こそ冷水を浴びせられた気持ちなのだろう。
「とんだ失態を晒しましたが、ご入り用の際は我が商会を是非ご贔屓に。貴方は普通の冒険者とは違う。特異な人間とは繋がりを持っておきたいので、それなりに勉強させてもらいますよ」
「……商魂ここに極まれり、だな」
ソウゴから呆れた視線を向けられながら、「では、失礼しました」と踵を返し前列へ戻っていくモットー。
「待て」
その背に向かって、ソウゴは待ったをかける。モットーは冷や汗を搔きながら振り返る。
「な、何ですかな?」
「まぁそう怯えるな。いやなに、貴様の商人としての矜持に免じて一つ教えてやろうと思ってな」
ソウゴは試す様な笑みを浮かべながら、人差し指を立てる。
「貴様が我を忘れかける程に欲しがる宝物庫の指輪だが、私にとっては幾らでも複製できる掃いて捨てる程の端品に過ぎん。よって、今後の貴様の働き次第では下賜してやらん事もない。覚えておけ」
「! ……何卒、良しなに」
それだけ言うと、今度こそ遠ざかっていくモットーの背中。しかしその表情は、先程と違って一筋の希望を見つけた様だった。
「……さて」
そこでソウゴは、周囲に目を向ける。
ユエとシアには未だ、寧ろより強い視線が集まっている。モットーの背を追えば、早速何処ぞの商人風の男がユエ達を指差しながら何かを話しかけている。物見遊山的な気持ちで立ち寄ったフューレンだが、ソウゴが思っていた以上に波乱が待っていそうだ。
【中立商業都市フューレン】
高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。あらゆる業種がこの都市で日々鎬を削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者等出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。
その巨大さからフューレンは四つのエリアに分かれている。
この都市における様々な手続関係の施設が集まっている中央区、娯楽施設が集まった観光区、武器防具はもちろん家具類などを生産、直販している職人区、あらゆる業種の店が並ぶ商業区がそれだ。
東西南北にそれぞれ中央区に続くメインストリートがあり、中心部に近い程信用のある店が多いというのが常識らしい。メインストリートからも中央区からも遠い場所は、かなりアコギでブラックな商売、言い換えれば闇市的な店が多い。その分、時々とんでもない掘り出し物が出たりするので、冒険者や傭兵の様な荒事に慣れている者達がよく出入りしている様だ。
そんな話を、中央区の一角にある冒険者ギルド──フューレン支部内にあるカフェで軽食を食べながら聞くソウゴ達。話しているのは"案内人"と呼ばれる職業の女性だ。都市が巨大である為需要が多く、案内人というのはそれなりに社会的地位のある職業らしい。多くの案内屋が日々顧客獲得の為サービスの向上に努めているので信用度も高い。
ソウゴ達はモットー率いる商隊と別れると、証印を受けた依頼書を持って冒険者ギルドにやって来た。そして宿を取ろうにも何処にどんな店があるのかさっぱりなので、冒険者ギルドでガイドブックを貰おうとしたところ案内人の存在を教えられたのだ。
そして現在、案内人の女性──リシーと名乗った女性に料金を支払い、軽食を共にしながら都市の基本事項を聞いていたのである。
「そういう訳なので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行く事をオススメしますわ。中央区にも宿はありますが、やはり中央区で働く方々の仮眠場所という傾向が強いので、サービスは観光区のそれとは比べ物になりませんから」
「成程な、なら素直に観光区の宿にしておくか。どこか贔屓の宿はあるか?」
「お客様のご要望次第ですわ。様々な種類の宿が数多くございますから」
「そうか、ではそうだな……食事が美味く、後は風呂があれば文句はない。立地は考慮しなくていい、後は……責任の所在が明確な場所がいいな」
リシーは、にこやかにソウゴの要望を聞く。最初の二つはよく出される要望なのだろう、「うんうん」と頷き早速脳内でオススメの宿をリストアップした様だ。しかし、続くソウゴの言葉で「ん?」と首を傾げた。
「あの~、責任の所在ですか?」
「ああ。例えば、何らかの争い事に巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に"宿内での損害について誰が責任を持つのか"、という事だな」
「え~と、そうそう巻き込まれる事は無いと思いますが……」
困惑するリシーにソウゴは苦笑いする。
「まぁ普通はそうなんだろうが、連れが目立つんでな。観光区なんぞハメを外す輩も多そうで、商人根性の逞しい者が強行に出ないとも限らん。まぁあくまで"出来れば"だ。難しければ考慮しなくていい」
ソウゴの言葉に、リシーはソウゴの両脇に座りうまうまと軽食を食べるユエとシアに視線をやる。そして納得した様に頷いた。確かに、この美少女二人は目立つ。現に今も、周囲の視線をかなり集めている。特に、シアの方は兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、しつこい交渉を持ちかける商人やハメを外して暴走する輩がいないとは言えない。
「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういう事に気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」
「ああ、それでもいい。ただ、欲望に目が眩んだ輩というのは、時々とんでもない事をするからな。警備も絶対でない以上は最初から物理的説得を考慮した方が早い」
「ぶ、物理的説得ですか……成程、それで責任の所在なわけですか」
完全にソウゴの意図を理解したリシーは、あくまで"出来れば"でいいと言うソウゴに、案内人根性が疼いた様だ、やる気に満ちた表情で「お任せ下さい」と了承する。そしてユエとシアの方に視線を転じ、二人にも要望が無いかを聞いた。出来るだけ客のニーズに応えようとする点、リシーも彼女の所属する案内屋もきっと当たりなのだろう。
「……お風呂があればいい、但し混浴、貸切が必須」
「えっと、大きなベッドがいいです」
少し考えて、それぞれの要望を伝えるユエとシア。なんて事無い要望だが、ユエが付け足した条件とシアの要望を組み合わせると、自然ととある意図が透けて見える。リシーも察した様で、「承知しましたわ、お任せ下さい」とすまし顔で了承するが、頬が僅かに赤くなっている。そしてチラッチラッとソウゴとユエ達を交互に見ると更に頬を染めた。
因みに、すぐ近くのテーブルで屯していた男連中が「視線で人が殺せたら!」と云わんばかりにソウゴを睨んでいたが、チラッと視線を向けると、皆借りてきた猫の様に大人しくなった。
それから他の区について話を聞いていると、ソウゴ達は不意に強い視線を感じた。特に、シアとユエに対しては今までで一番不躾で、ねっとりとした粘着質な視線が向けられている。視線など既に気にしないユエとシアだが、あまりに気持ち悪い視線に僅かに眉を顰める。
ソウゴがチラリとその視線の先を辿ると……ブタがいた。
体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体に、脂ぎった顔、豚鼻と頭部にちょこんと乗っているベットリした金髪。身なりだけは良い様で、遠目にも分かるいい服を着ている。そのブタ男がユエとシアを欲望に濁った瞳で凝視していた。
ソウゴが「面倒な……」と思うと同時に、そのブタ男は重そうな体をゆっさゆっさと揺すりながら真っ直ぐソウゴ達の方へ近寄ってくる。どうやら逃げる暇も無い様だ。ソウゴが逃げる事など無いだろうが。
リシーも不穏な気配に気が付いたのか、それともブタ男が目立つのか、傲慢な態度でやって来るブタ男に営業スマイルも忘れて「げっ!」と何ともはしたない声を上げた。
ブタ男はソウゴ達のテーブルのすぐ傍までやって来ると、ニヤついた目でユエとシアをジロジロと見やり、シアの首輪を見て不快そうに目を細めた。そして今まで一度も目を向けなかったソウゴにさも今気がついた様な素振りを見せると、これまた随分と傲慢な態度で一方的な要求をした。
「お、おい、ガキ。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。それとそっちの金髪はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」
ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げて、ブタ男はユエに触れようとする。彼の中では既にユエは自分のものになっている様だ。
その瞬間、その場に凄絶な殺意が降り注いだ。周囲のテーブルにいた者達ですら顔を青褪めさせて椅子からひっくり返り、誰一人例外無く口から泡を吹いて気絶している。
正真正銘、ソウゴの生まれ持つ"覇王色の覇気"だ。
ならば、直接その覇気を受けたブタ男はというと……
「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げると尻餅をつき、後退る事も出来ずにその場で股間を濡らし始めた。序にどうやら心臓も止まったらしく、数秒痙攣した後に脈拍と呼吸の音が途絶えていた。
「ユエ、シア、行くぞ。場所を変える」
汚い液体が漏れ出しているので、ソウゴはユエとシアに声をかけて席を立つ。本当は即処断したかったのだが、流石に声を掛けただけで殺されたとあっては、ソウゴの方が加害者だ。殺人犯を放置する程都市の警備は甘くないだろう。なので覇気も甘めにした。
まぁその度に目撃者ごと消すなり記憶だけ消すなりしてもいいのだが、基本的に手間が掛かる。今後正当防衛という言い訳が通りそうにない限り、都市内においては殺しを工夫しなければとソウゴは考えていた。
席を立つソウゴ達に、リシーが「えっ? えっ?」と混乱気味に目を瞬かせた。リシーがソウゴの殺気の効果範囲にいても平気そうなのは、単純にリシー"だけ"覇気の対象外にしたからだ。
リシーからすれば、ブタ男が勝手な事を言い出したと思ったら、いきなり尻餅をついて泡を吹き股間を漏らし始め、序にビクビクと痙攣しだしたのだから混乱するのは当然だろう。
因みに、周囲にまで覇気をぶつけたのは態とである。目撃者を無くす為もあるが、周囲の者達もそれなりに鬱陶しい視線を向けていたので、序に理解させておいたのだ。"手を出すなよ?"と。
尤も周囲の男連中が気絶したところから判断するに、実力的に無用だった様だが。
だが直後、今まで建物の外にいた大男がソウゴ達の進路を塞ぐ様な位置取りに移動し仁王立ちした。ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな巨体である。全身筋肉の塊で腰に長剣を差しており、歴戦の戦士といった風貌だ。
その巨体が目に入ったのか、いつの間にか息を吹き返したブタ男が再びキィキィ声で喚きだした。
「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキを殺せ! わ、私を殺そうとしたのだ! 嬲り殺せぇ!」
「坊ちゃん、流石に殺すのはヤバイですぜ。半殺し位にしときましょうや」
「やれぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」
「了解ですぜ。報酬は弾んで下さいよ」
「い、いくらでもやる! さっさとやれぇ!」
どうやらレガニドと呼ばれた巨漢は、ブタ男の雇われ護衛らしい。ソウゴから目を逸らさずにブタ男と話、報酬の約束をするとニンマリと笑った。珍しい事にユエやシアは眼中にないらしい。見向きもせずに貰える報酬にニヤついている様だ。所謂守銭奴にカテゴリーされる部類の人間らしい。
「おう坊主、わりぃな。俺の金の為にちょっと半殺しになってくれや。なに、殺しはしねぇよ。まぁ嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」
レガニドはそう言うと、拳を構えた。長剣の方は、流石に場所が場所だけに使わない様だ。
レガニドから闘気が噴き上がる。ソウゴが鬱陶しいので消し飛ばそうと腕を上げた瞬間、意外な場所から制止の声がかかった。
「……ソウゴ様、待って」
「どうしたユエ?」
ユエは隣のシアを引っ張ると、ソウゴの疑問に答える前にソウゴとレガニドの間に割って入った。訝しそうなソウゴとレガニドに、ユエは背を向けたまま答える。
「……私達が相手をする」
「えっ? ユエさん、私もですか?」
シアの質問はさらり無視するユエ。ユエの言葉に、ソウゴが返答するよりも、レガニドが爆笑する方が早かった。
「ガッハハハハ、嬢ちゃん達が相手をするだって? 中々笑わせてくれるじゃねぇの。何だ? 夜の相手でもして許してもらおうって「……黙れ、ゴミクズ」ッ!?」
下品な言葉を口走ろうとしたレガニドに、辛辣な言葉と共に、神速の風刃が襲い掛かりその頬を切り裂いた。プシュと小さな音を立てて、血がだらだらと滴り落ちる。かなり深く切れた様だ。
レガニドは、ユエの言葉通り黙り込む。ユエの魔術が速すぎて、全く反応できなかったのだ。心中では「いつ詠唱した? 陣はどこだ?」と冷や汗を掻きながら必死に分析している。
ユエは何事も無かった様に、ソウゴと未だユエの意図が分かっていないシアに向けて話を続ける。
「……私達が守られるだけのお姫様じゃない事を周知させる」
「ああ、成程。私達自身が手痛いしっぺ返し出来る事を示すんですね」
「……そう。折角だから、これを利用する」
そう言ってユエは、先程とは異なり厳しい目を向けているレガニドを指差した。
「まぁ、言いたい事は分かった。確かに、お姫様を手に入れたと思ったら実は猛獣でしたなんて洒落にならんしな……まぁ、いいんじゃないか?」
「……猛獣はひどい」
ソウゴはユエの言葉に納得して、苦笑いしながら"活"の字を宙に書く。活の字は光に変わり、倒れた者達に染み込んでいく。
途端、彼等はテレビの電源を入れるかの様に意識を取り戻した。彼等は、目覚めた途端目の前に広がっている光景に俄かに騒ぎ始める。
「おい、あれレガニドじゃないか?」
「レガニドって……"黒"のレガニドか?」
「"暴風"のレガニド!? 何であんな奴の護衛なんて……」
「金払いじゃないか? "金好き"のレガニドだろ?」
周囲のヒソヒソ声で大体目の前の男の素性を察したソウゴ。天職持ちなのかどうかは分からないが、冒険者ランクが"黒"という事は上から三番目のランクという事であり、この世界基準では相当な実力者という事だ。
ユエはソウゴが下がったのを確認すると、隣のシアに先に行けと目で合図を送る。それを読み取ったシアは、背中に取り付けていたドリュッケンに手を伸ばすと、まるで重さを感じさせずに一回転させてその手に収めた。
「おいおい、兎人族の嬢ちゃんに何が出来るってんだ? 雇い主の意向もあるんでね。大人しくしていて欲しいんだが?」
ユエから目を離さずにレガニドは、そうシアに告げる。しかし、シアはレガニドの言葉を無視する様に逆に忠告をした。
「腰の長剣、抜かなくていいんですか? 手加減はしますけど、素手だと危ないですよ?」
「ハッ、兎ちゃんが大きく出たな。坊ちゃん! わりぃけど、傷の一つや二つは勘弁ですぜ!」
レガニドはシアを大して気にせずユエに気を配りながら、未だ近くでへたり込んでいるブタ男に一言断りを入れる。流石にユエ相手に無傷で無力化は難しいと判断した様だ。
だが、レガニドは気が付くべきだった。常識的に考えて、愛玩奴隷という認識が強い兎人族が戦鎚を持っている事の違和感に。相応の実力が垣間見えるソウゴとユエの二人が初手を任せたという意味に。
既に言葉は無いと、シアはドリュッケンを腰溜めに構え……一気に踏み込んだ。そして、次の瞬間にはレガニドの眼前に出現する。
「ッ!?」
「やぁ!!」
可愛らしい声音に反して豪風と共に振るわれた超重量の大槌が、表情を驚愕に染めるレガニドの胸部に迫る。直撃の寸前、レガニドは、辛うじて両腕を十字にクロスさせて防御を試みるが……
(重すぎるだろっ!?)
踏ん張る事など微塵も叶わず、咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がそうとするも、スイングが速すぎて殆ど意味はなさない。結果、
グシャ!
そんな生々しい音を響かせながら、レガニドは勢いよく吹き飛びギルドの壁に背中から激突した。轟音を響かせながら、肺の中の空気を余さず吐き出したレガニドは、揺れる視界の中に、拍子抜けした様なシアの姿を見る。どうやら、もう少し抵抗があると思っていたらしい。
冒険者ランク"黒"にまで上り詰めた自分が、まさか兎人族の少女に手加減までされて尚拍子抜けされたという事実に、レガニドは最早笑うしかない。痛みのせいで顰めた様にしか見えない笑みを浮かべ、立ち上がろうと手をつき激痛と共にそのまま倒れこむ。激痛の原因に視線を向ければ、拉げた様に潰れた自分の腕が見えた。
幸い、潰されたのは片腕だけだった様で、痛みを堪えながらもう片方の腕で何とか立ち上がる。視界がグラグラ揺れるが、何とか床を踏みしめる事が出来た。殆ど意味は無かったと言えど、咄嗟に後ろに飛ばなければ、立ち上がる事は出来なかったかもしれない。
しかし、立ち上がった事は果たしていい事だったのか……。
半ば意地で立ち上がったレガニドだったが、ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出している姿を見て、内心で盛大に愚痴る。
(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)
直後、レガニドは生涯で初めて"空中で踊る"という貴重で最悪の体験をする事になった。
「舞い散る花よ、風に抱かれて砕け散れ──"風花"」
ユエのオリジナル魔術第二弾、"風花"。
風の砲弾を飛ばす魔術と重力魔術の複合魔術だ。複数の風の砲弾を自在に操りつつ、その砲弾に込められた重力場が常に目標の周囲を旋回する事で全方位に“落とし続け”空中に磔にする。そして打ち上げられたが最後、そのまま空中でサンドバックになるというえげつない魔術だ。因みに例の如く、詠唱は適当である。
空中での一方的なリードによるダンスを終えると、レガニドはそのままグシャと嫌な音を立てて床に落ち、ピクリとも動かなくなった。実は最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずかユエはその後も容赦なく連撃をかまし、特に股間を集中的に狙い撃って周囲の男連中の股間をも竦み上がらせた。苛烈にして凶悪な攻撃に、後ろで様子を伺っていたソウゴをして「中々やるな」と感心を覚えさせた程だ。
あり得べからざる光景の二連発。そして容赦の無さにギルド内が静寂に包まれる。誰も彼もが身動き一つせず、ソウゴ達を凝視していた。よく見れば、ギルド職員らしき者達が争いを止めようとしたのか、カフェに来る途中でソウゴ達の方へ手を伸ばしたまま硬直している。様々な冒険者達を見てきた彼等にとっても衝撃の光景だった様だ。
誰もが硬直していると、徐に静寂が破られた。ソウゴがツカツカと歩き出したのだ。ギルド内にいる全員の視線がソウゴに集まる。ソウゴの行き先は……ブタ男の下だった。
「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」
「貴様こそ王に逆らう気か底辺貴族」
ソウゴは尻餅を付いたままのブタ男の顔面を勢いよく踏みつけた。
「プギャ!?」
文字通り豚の様な悲鳴を上げて顔面を、靴底と床にサンドイッチされたプームはミシミシと鳴る自身の頭蓋骨に恐怖し悲鳴を上げた。するとその声が煩いとでも言う様に、鳴けば鳴く程圧力が増していく。顔は醜く潰れ、目や鼻が頬の肉で隠れてしまっている。やがて声を上げる程痛みが増す事に気が付いたのか、大人しくなり始めた。単に体力が尽きただけかもしれないが。
「……ったく、特権階級の人間というのは直ぐ腐るから困る」
プームはそう愚痴りながら圧力を増していくソウゴの靴底に押し潰されながらも、必死に頷こうとしているのか小刻みに震える。既に虚勢を張る力も残っていない様だ。完全に心が折れている。しかし、その程度であっさり許す程ソウゴは甘くはない。彼は、最早存在そのものがソウゴの許容ラインを超えてしまった。
なので足を退けると、ソウゴは右腕を振り上げ、勢いよく腹に突き刺した。
「ぎゃぁああああああ!!?」
プームの腹に穴を開けたソウゴ。更に、ソウゴは腹の中で手を開いて内臓を掴み引っこ抜く。内臓と共に幾つか血管も千切れたのか、大量の血を流し始めた。プーム本人は痛みで直ぐに気を失う。ソウゴが視線を向けると見るも無残な……元々無残な顔だったのであまり変わらないが、取り敢えず血の気の無いプームの顔が晒された。
ソウゴは苛立たし気な表情で臓物を放り投げ、プームの衣服を引き裂いて血を拭った。その後、気を落ち着かせる様に息を吐いてからユエ達の方へ歩み寄る。ユエとシアは微笑みでソウゴを迎えた。そしてソウゴは、すぐ傍で呆然としている案内人リシーに笑いかけた。
「さて、リシー嬢。場所を移して続きを頼む」
「はひっ! い、いえ、その……私、何と言いますか……」
ソウゴの笑顔に恐怖を覚えたのか、しどろもどろになるリシー。その表情は明らかに関わりたくないと物語っていた。それ位ソウゴ達は異常だったのだ。ソウゴも何となく察しているが、また新たな案内人をこの騒ぎの後に探すのは面倒なのでリシーを逃がすつもりは無かった。ソウゴの意図を悟って、ユエとシアがリシーの両脇を固める。「ひぃぃん!」と情けない悲鳴を上げるリシー。
と、そこへ彼女にとっての救世主、ギルド職員が今更ながらにやって来た。
「あの、申し訳ありませんが、あちらで事情聴取にご協力願います」
そうソウゴに告げた男性職員の他、三人の職員がソウゴ達を囲む様に近寄った。尤も、全員腰が引けていたが。もう数人は、プームとレガニドの容態を見に行っている。
「そうは言ってもな、あれが私の連れを奪おうとして、それを断ったら逆上して襲ってきたから返り討ちにしただけだ。それ以上説明しようがない。そこのリシー嬢や、周囲の冒険者達も証人になるぞ。特に、近くのテーブルにいた奴等は随分と聞き耳を立てていた様だからな?」
ソウゴがそう言いながら周囲の男連中を睥睨すると、目があった彼等はこぞって首がもげるのでは? と言いたくなる程激しく何度も頷いた。
「それは分かっていますが、ギルド内で起こされた問題は、当事者双方の言い分を聞いて公正に判断する事になっていますので……規則ですから冒険者なら従って頂かないと……」
「当事者双方……ね」
ソウゴはチラッとプームとレガニドの二人を見る。レガニドは当分目を覚ましそうになかった。ギルド職員が治癒師を手配している様だが、恐らくプームは間に合わないだろう。
「あれが目を覚ますまで、ずっと待機していろと? 被害者の我々が? ……面倒だな、いっそここにいる全員を消した方が早いか?」
ソウゴが責める様な視線をギルド職員に向ける。典型的なクレーマーの様な物言いにギルド職員の男性が、「そんな目で睨むなよぉ、仕事なんだから仕方ないだろぉ」という自棄糞気味な表情になった。そして、ぼそりと呟かれたソウゴの最後のセリフが耳に入り、職員だけでなくこの場にいる全員が「ひっ!?」と悲鳴を漏らした。
ソウゴが逢魔剣を抜こうと手にかけた瞬間、突如として凛とした声が掛けられた。
「何をしているのです? これは一体何事ですか?」
そちらを見てみれば、メガネを掛けた理知的な雰囲気を漂わせる細身の男性が厳しい目でソウゴ達を見ていた。
「ドット秘書長! いいところに! これはですね……」
職員達がこれ幸いとドット秘書長と呼ばれた男のもとへ群がる。ドットは職員達から話を聞き終わると、ソウゴ達に鋭い視線を向けた。
どうやら、まだまだ解放はされない様だとソウゴ達は内心溜息を吐いた。
そんなソウゴ達に、ドット秘書長と呼ばれた男は片手の中指でクイッとメガネを押し上げると落ち着いた声音でソウゴに話しかけた。
「話は大体聞かせてもらいました。証人も大勢いる事ですし嘘はないのでしょうね。やり過ぎな気もしますが……まぁ、まだ死んでいませんし許容範囲としましょう。取り敢えず、彼らが目を覚まし一応の話を聞くまでは、フューレンに滞在はしてもらうとして、身元証明と連絡先を伺っておきたいのですが……それまで拒否されたりはしないでしょうね?」
言外にこれ以上譲歩はしませんよ? と伝えるドット秘書長にソウゴは肩を竦めて答えた。
「ああ、構わない。そこの底辺貴族がまだ生きていた様なら、寧ろ連絡して欲しいくらいだ。仕損じるなど恥だからな」
ソウゴはそんな事をいい、ドットに冷や汗を掻かせながらステータスプレートを差し出す。
「連絡先は、まだ滞在先が決まっとらん故……そこのリシー嬢にでも聞いてくれ。彼女の薦める宿に泊まるだろうからな」
ソウゴに視線を向けられたリシーはビクッとした後、「やっぱり私が案内するんですね」と諦めの表情で肩を落とした。
「ふむ、いいでしょう……"青"ですか。向こうで伸びている彼は"黒"なんですがね……そちらの方達のステータスプレートはどうしました?」
ソウゴの偽装されたステータスプレートに表示されている冒険者ランクが最低の"青"である事に僅かな驚きの表情を見せるドット。しかし二人の女性の方がレガニドを倒したと聞いていたので、彼女達の方が強いのかとユエとシアのステータスプレートの提出を求める。
「いや、ユエもシアも……こっちの彼女達もステータスプレートは紛失してな、再発行はまだしていない。高いからな」
さらりと嘘をつくソウゴ。二人の異常とも言える強さを見せた後では意味が無いかもしれないが、それでも第三者にはっきりと詳細を把握されるのは出来れば避けたい。
「しかし、身元は明確にしてもらわないと。記録を取っておき、君達が頻繁にギルド内で問題を起こす様なら、加害者・被害者のどちらかに関係なくブラックリストに載せる事になりますからね。よければギルドで立て替えますが?」
ドットの口ぶりから、どうしても身元証明は必要らしい。しかしステータスプレートを作成されれば、隠蔽前の技能欄に確実に二人の固有魔術が表示されるだろう。それどころか今や、神代魔術も表示される筈だ。大騒ぎになる事は間違いない。騒ぎになったところでソウゴ達を害そうとするのなら全部薙ぎ倒せばいいとも思えるが、それでは滞在の度に記憶操作の手間が付いて回る。何だか色々面倒になってきたソウゴ。再びその手が腰の得物に伸びるのを見たユエが、慌ててソウゴに話しかけた。
「……ソウゴ様、手紙」
「? ……あぁ、あの手紙か」
ユエの言葉で、ソウゴはブルックの町を出る時にブルック支部のキャサリンから手紙を貰った事を思い出す。ギルド関連で揉めた時にお偉いさんに見せれば役立つかもしれないと言って渡された得体の知れない手紙だ。
駄目で元々、場合によってはこの場の全員を消す事も想定に入れ、ソウゴは懐から手紙を取り出しドットに手渡した。
「身分証明の代わりになるかわからないが、知り合いのギルド職員に、困ったらギルドの上層部に渡せと言われてたものがある」
「? 知り合いのギルド職員ですか? ……拝見します」
ソウゴ達の服装の質から、それ程金に困っている様に思えなかったので、ステータスプレートの再発行を拒む様な態度に疑問を覚えるドットだったが、代わりにと渡された手紙を開いて内容を流し読みする内にギョッとした表情を浮かべた。
そして、ソウゴ達の顔と手紙の間で視線を何度も彷徨わせながら手紙の内容をくり返し読み込む。目を皿の様にして手紙を読む姿から、どうも手紙の真贋を見極めている様だ。やがてドットは手紙を折り畳むと丁寧に便箋に入れ直し、ソウゴ達に視線を戻した。
「この手紙が本当なら確かな身分証明になりますが……この手紙が差出人本人のものか私一人では少々判断が付きかねます。支部長に確認を取りますから少し別室で待っていてもらえますか? そうお時間は取らせません。十分、十五分くらいで済みます」
ドットの反応に、「まだ待たせる気か」と鬱陶し気なソウゴ達。しかし十分程度なら許容範囲かと考え直すソウゴ。
「まぁ、それ位なら構わない。分かった、待たせて貰おう」
「職員に案内させます。では後程」
ドットは傍の職員を呼ぶと別室への案内を言付けて、手紙を持ったまま颯爽とギルドの奥へと消えていった。指名された職員がソウゴ達を促す。ソウゴ達がそれに従い移動しようと歩き出したところで、困惑した様な、しかしどこか期待した様な声がかかった。
「あの~、私はどうすれば?」
リシーだった。ギルドでお話があるならお役目御免ですよね? とその瞳が語っている。明らかに厄介の種であるソウゴ達とは早めにお別れしたいという思いが滲み出ている。
ソウゴは当然だという表情で頷くと端的に答えた。
「待っていろ。……逃げるなよ?」
「……はぃ」
ガックリと肩を落としてカフェの奥にある座席に向かうリシー。その背中には嫌な仕事でも受けねばならない社会人の哀感が漂っていた。
ソウゴ達が応接室に案内されてからきっかり十分後。遂に扉がノックされた。ソウゴの返事から一拍置いて扉が開かれる。そこから現れたのは、金髪をオールバックにした鋭い目付きの三十代後半くらいの男性と、先程のドットだった。
「初めまして、冒険者ギルドフューレン支部支部長イルワ・チャングだ。ソウゴ君、ユエ君、シア君……でいいかな?」
簡潔な自己紹介の後、ソウゴ達の名を確認がてらに呼び握手を求める支部長イルワ。ソウゴも握手を返しながら返事をする。
「ああ、構わない。名前は手紙に?」
「その通りだ。先生からの手紙に書いてあったよ。随分と目をかけられている……というより注目されている様だね。将来有望、ただしトラブル体質なので出来れば目をかけてやって欲しいという旨の内容だったよ」
「トラブル体質……ね。確かにブルックではトラブル続きだったが。まぁそれはいい、肝心の身分証明の方はどうなんだ? それで問題ないか?」
「ああ、先生が問題のある人物ではないと書いているからね。あの人の人を見る目は確かだ。わざわざ手紙を持たせる程だし、この手紙を以て君達の身分証明とさせてもらうよ」
どうやらキャサリンの手紙は本当にギルドの上層部相手に役立に立った様だ。随分と信用がある。キャサリンを"先生"と呼んでいる事からかなり濃い付き合いがある様に思える。ソウゴの隣に座っているシアは、キャサリンに特に懐いていた事からその辺りの話が気になる様で、おずおずとイルワに訪ねた。
「あの~、キャサリンさんって何者なのでしょう?」
「ん? 本人から聞いてないのかい? 彼女は王都のギルド本部でギルドマスターの秘書長をしていたんだよ。その後、ギルド運営に関する教育係になってね。今各町に派遣されている支部長の五、六割は先生の教え子なんだ。私もその一人で、彼女には頭が上がらなくてね。その美しさと人柄の良さから、当時は僕らのマドンナ的存在、あるいは憧れのお姉さんの様な存在だった。その後結婚して、ブルックの町のギルド支部に転勤したんだよ。子供を育てるにも田舎の方がいいって言ってね。彼女の結婚発表は青天の霹靂でね。荒れたよ。ギルドどころか、王都が」
「はぁ~そんなにすごい人だったんですね~」
「……キャサリンすごい」
「只者じゃないとは思っていたが……元とはいえ中枢の人間だったとはな」
聞かされたキャサリンの正体に感心するソウゴ達。想像していたよりずっと大物だったらしい。尤も、ソウゴは若干予想していたのか軽く一笑する程度だったが。
「まぁそれはそれとして、問題が無いならもう行っていいか?」
元々、身分証明の為だけに来たので、用が終わった以上長居は無用だとソウゴがイルワに確認する。しかしイルワは瞳の奥を光らせると、「少し待ってくれるかい?」とソウゴ達を留まらせる。
イルワは、隣に立っていたドットを促して一枚の依頼書をソウゴ達の前に差し出した。
「実は、君達の腕を見込んで、一つ依頼を受けて欲しいと思っている。取り敢えず話を聞いて貰えないかな? 聞いてくれるなら、今回の件は不問とするのだが……」
「……まぁ、内容によるな」
それは言外に、話を聞かなければ今回の件について色々面倒な手続きをするぞ? という事だ。周囲の人間による証言で、ソウゴ達がプーム達にした事に関し罪に問われる事は無いだろうが、些か過剰防衛の傾向はあるので正規の手続き通り、当事者双方の言い分を聞いてギルドが公正な判断をするという手順を踏むなら相応の時間が取られるだろう。
結果はソウゴ達に非が無いという事になるだろうが、逆に言えば結果の判りきった手続きを馬鹿みたいに時間をかけて行わなければならないという事だ。そして、この手続きから逃げるとめでたくブラックリストに乗るという事だろう。今後町でギルドを利用するのに面倒な事この上無い事になるのだ。
それはそれで楽しそうだが、冒険者らしい事もやってみるかと話を聞く事にした。
「聞いてくれるようだね。ありがとう」
イルワは一言礼を入れると、説明を始める。
イルワの話を要約すると、つまりこういう事だ。
最近、北の山脈地帯で魔物の群れを見たという目撃例が何件か寄せられ、ギルドに調査依頼がなされた。北の山脈地帯は一つ山を超えると殆ど未開の地域となっており、大迷宮の魔物程ではないがそれなりに強力な魔物が出没するので高ランクの冒険者がこれを引き受けた。
ただ、この冒険者パーティに本来のメンバー以外の人物が些か強引に同行を申し込み、紆余曲折あって最終的に臨時パーティを組む事になった。
この飛び入りが、クデタ伯爵家の三男ウィル・クデタという人物らしい。
クデタ伯爵は、家出同然に冒険者になると飛び出していった息子の動向を密かに追っていたそうなのだが、今回の調査依頼に出た後息子に付けていた連絡員も消息が不明となり、これはただ事ではないと慌てて捜索願を出したそうだ。
「伯爵は家の力で独自の捜索隊も出している様だけど、手数は多い方がいいとギルドにも捜索願を出した。つい昨日の事だ。……最初に調査依頼を引き受けたパーティはかなりの手練でね、彼等に対処できない何かがあったとすれば並みの冒険者じゃあ二次災害だ。相応以上の実力者に引き受けてもらわないといけない。だが、生憎とこの依頼を任せられる冒険者は出払っていてね。そこへ君達がタイミングよく来たものだから、こうして依頼しているという訳だ」
具体的な内容を聞いた瞬間、ソウゴの動きが一瞬止まったのをユエとシアは確かに目にした。刹那にも満たない一瞬、僅かに動いた心をソウゴは悟らせず、気を取り直した様に口を挟む。
「前提として、我々にその相応以上の実力が無いと駄目だろう? 生憎私は"青"ランクだぞ?」
ソウゴは言外に、イルワの観察眼を試す。その視線に、イルワは受けて立つとばかりに笑みを浮かべる。
「さっき"黒"のレガニドを瞬殺したばかりだろう? それに……ライセン大峡谷を余裕で探索出来る者を相応以上と言わずして何と言うのかな?」
「何故知って……手紙か? だが、彼女にそんな話は……」
ソウゴ達がライセン大峡谷を探索していた話は誰にもしていない。イルワがそれを知っているのは手紙に書かれていたという事以外には有り得ない。しかし、ならば何故キャサリンはそれを知っていたのかという疑問が出る。ソウゴが頭を捻っていると、おずおずとシアが手を上げた。
ソウゴが、シアに胡乱な眼差しを向ける。
「何だ?」
「え~と、つい話が弾みまして……てへ?」
「……後でお仕置きだ」
「!? ユ、ユエさんもいました!」
「……シア、裏切り者」
「二人共食事抜きだ」
どうやら、原因はユエとシアの様だ。ソウゴのお仕置き宣言に二人共平静を装いつつ冷や汗を掻いている。そんな様子を見て苦笑いしながら、イルワは話を続けた。
「生存は絶望的だが、可能性はゼロではない。伯爵は個人的にも友人でね、出来る限り早く捜索したいと考えている。どうかな、今は君達しかいないんだ。引き受けてはもらえないだろうか?」
懇願する様なイルワの態度には、単にギルドが引き受けた依頼という以上の感情が込められている様だ。伯爵と友人という事は、もしかするとその行方不明となったウィルとやらについても面識があるのかもしれない。個人的にも、安否を憂いているのだろう。
「報酬は弾ませてもらうよ? 依頼書の金額は勿論だが、私からも色をつけよう。ギルドランクの昇格もする。君達の実力なら一気に"黒"にしてもいい」
「生憎と金には困らん身の上でね、それにランクもどうでもいい」
「なら今後、ギルド関連で揉め事が起きた時は私が直接君達の後ろ盾になるというのはどうかな? フューレンのギルド支部長の後ろ盾だ、ギルド内でも相当の影響力はあると自負しているよ? 君達は揉め事とは仲が良さそうだからね。悪くない報酬ではないかな?」
「大盤振る舞いだな。友人の息子相手にしては入れ込み過ぎじゃないか?」
ソウゴの言葉に、イルワが初めて表情を崩す。後悔を多分に含んだ表情だ。
「彼に……ウィルにあの依頼を薦めたのは私なんだ。調査依頼を引き受けたパーティーにも私が話を通した。異変の調査といっても、確かな実力のあるパーティーが一緒なら問題ないと思った。実害もまだ出ていなかったしね。ウィルは、貴族は肌に合わないと昔から冒険者に憧れていてね……だが、その資質は無かった。だから強力な冒険者の傍で、そこそこ危険な場所へ行って、悟って欲しかった。冒険者は無理だと。昔から私には懐いてくれていて……だからこそ、今回の依頼で諦めさせたかったのに……」
ソウゴはイルワの独白を聞きながら、僅かに思案する。ソウゴが思っていた以上に、イルワとウィルの繋がりは濃いらしい。すまし顔で話していたが、イルワの内心は正に藁にも縋る思いなのだろう。生存の可能性は、時間が経てば経つ程ゼロに近づいていく。無茶な報酬を提案したのも、イルワが相当焦っている証拠なのだろう。
ソウゴとしても、町に寄り付く度にユエとシアの身分証明について言い訳するのは面倒ではあるし、この先名のある権力者に対する伝手があるのは、町の施設利用という点で便利だ。何せ聖教教会や王国に迎合する気がゼロである以上、何時異端の誹りを受けるか判らない。その場合、町では極めて過ごしにくくなるだろう。個人的な繋がりでその辺をクリア出来るなら楽だ。
なので大都市のギルド支部長が後ろ盾になってくれるというなら、この際自分達の事情を教えて口止めしつつ、不都合が生じた時に利用させてもらおうとソウゴは考えた。クデタ伯爵とは随分懇意にしていた様だから、仮に生きて連れて帰ればそうそう不義理な事もできないだろう。
それに話を聞いて、ソウゴも思うところが無いでもないのだ。
「……二つ条件がある」
「条件?」
「あぁ、そんなに難しい事じゃない。ユエとシアにステータスプレートを作って欲しい。そして、そこに表記された内容について他言無用を確約する事が一つ。ギルド関連に関わらず、貴様の持つコネクションの全てを使って我々の要望に応え便宜を図る事。この二つだな」
「それはあまりに……」
「そう気負うな、無茶な要求はせん。ただ我々は少々特異な存在故、確実に教会から目をつけられると思うが、その時伝手があった方が便利だと思っただけだ。面倒事が起きた時に味方になってくれればいい」
「ふむ、キャサリン先生が気に入っているくらいだから悪い人間ではないと思うが、個人的にも君達の秘密が気になって来たな。……そう言えば、そちらのシア君は怪力、ユエ君は見た事も無い魔法を使ったと報告があったな……その辺りが君達の秘密か…そして、それがいずれ教会に目を付けられる代物だと…大して隠していない事からすれば、最初から事を構えるのは覚悟の上という事か……そうなれば確かにどの町でも動きにくい……故に便宜をと……」
流石大都市のギルド支部長、頭の回転は早い。イルワは暫く考え込んだあと、意を決した様にソウゴに視線を合わせた。
「犯罪に加担する様な倫理に悖る行為・要望には絶対に応えられない。君達が要望を伝える度に詳細を聞かせてもらい、私自身が判断する。だが、できる限り君達の味方になる事は約束しよう……これ以上は譲歩出来ない。どうかな?」
「まぁ、そんなところだろうな……それでいい。報酬は依頼が達成されてからで構わん」
ソウゴとしては、ユエとシアのステータスプレートを手に入れるのが一番の目的だ。この世界では何かと提示を求められるステータスプレートは持っていない方が不自然であり、この先、町による度に言い訳するのは面倒な事この上ない。
問題は、最初にステータスプレートを作成した者に騒がれない様にするにはどうすればいいかという事だったのだが、イルワの存在がその問題を解決した。ただ、条件として口約束をしてもやはり密告の疑いはある。いずれソウゴ達の特異性はバレるだろうが、積極的に手を回されるのは好ましくない。なのでソウゴは、ステータスプレートの作成を依頼完了後にした。どんな形であれ、心を苛む出来事に答えをもたらしたソウゴをイルワも悪いようにはしないだろうという打算だ。
イルワもソウゴの意図は察しているのだろう。苦笑いしながら、それでも捜索依頼の引き受け手が見つかった事に安堵している様だ。
「本当に、君達の秘密が気になってきたが……それは、依頼達成後の楽しみにしておこう。ソウゴ君、ユエ君、シア君……宜しく頼む」
イルワは最後に真剣な眼差しでソウゴ達を見つめた後、ゆっくり頭を下げた。大都市のギルド支部長が一冒険者に頭を下げる、そうそう出来ることではない。キャサリンの教え子というだけあって、人の良さが滲み出ている。
そんなイルワの様子を見て、ソウゴ達は立ち上がると気負いなく答えた。
「出来る限り努力はしよう」
「……意外だな、思ったより真剣に取り組んでくれそうな雰囲気じゃないか。君はもう少し冷たい対応だと思っていたよ」
意外そうに言うイルワの言葉に、ソウゴは目を伏せ呟く様に語る。
「……私にも同じ年頃の娘がいる、家出中だがな。子供を心配する伯爵夫妻の気持ちは……分からんでもない」
「ほぅ、娘さんが……」
「驚いたか? これでも貴様よりずっと年上だ」
「何と、それは失礼した」
試す様な微笑みのソウゴの言葉に驚きつつ、直ぐ様言葉を改めるイルワ。
その後、支度金や北の山脈地帯の麓にある湖畔の町への紹介状、件の冒険者達が引き受けた調査依頼の資料を受け取り、ソウゴ達は部屋を出て行った。バタンと扉が締まる。その扉を暫く見つめていたイルワは、「ふぅ~」と大きく息を吐いた。部屋にいる間、一言も話さなかったドットが気づかわしげにイルワに声をかける。
「支部長……よかったのですか? あの様な報酬を……」
「……ウィルの命がかかっている。彼等以外に頼める者はいなかった、仕方ないよ。それに彼等に力を貸すか否かは私の判断で良いと彼等も承諾しただろう。問題ないさ。それより彼らの秘密……」
「ステータスプレートに表示される"不都合"ですか……」
「ふむ。ドット君、知っているかい? ハイリヒ王国の勇者一行は皆、とんでもないステータスらしいよ?」
ドットは、イルワの突然の話に細めの目を見開いた。
「! 支部長は、彼が召喚された者…"神の使徒"の一人であると? しかし、彼はまるで教会と敵対する様な口ぶりでしたし、勇者一行は聖教教会が管理しているでしょう?」
「ああ、その通りだよ。でもね……凡そ四ヶ月前、その内の一人がオルクスで亡くなったらしいんだよ。奈落の底に魔物と一緒に落ちたってね」
「……まさか、その者が生きていたと? 四ヶ月前と言えば、勇者一行もまだまだ未熟だった筈でしょう? オルクスの底がどうなっているのかは知りませんが、とても生き残る事など……」
ドットは信じられないと首を振りながら、イルワの推測を否定する。しかしイルワは、どこか面白そうな表情で再びソウゴ達が出て行った扉を見つめた。
「そうだね。でももしそうなら……何故彼は仲間と合流せず、旅なんてしているのだろうね? 彼は一体、闇の底で何を見て、何を得たのだろうね?」
「何を……ですか……」
「ああ。何であれ、きっとそれは教会と敵対する事も辞さないという決意をさせるに足るものだ。それは取りも直さず、世界と敵対する覚悟があるという事だよ」
「世界と……」
「私としては、そんな特異な人間とは是非とも繋がりを持っておきたいね。例え彼が教会や王国から追われる身となっても、ね。もしかすると、先生もその辺りを察して態々手紙なんて持たせたのかもしれないよ」
「支部長……どうか引き際は見誤らないで下さいよ?」
「勿論だとも」
スケールの大きな話に目眩を起こしそうになりながら、それでもイルワの秘書長として忠告は忘れないドット。しかしイルワは、何かを深く考え込みドットの忠告にも、半ば上の空で返すのだった。
広大な平原のど真ん中に、北へ向けて真っ直ぐに伸びる街道がある。街道と言っても、何度も踏みしめられる事で自然と雑草が禿げて道となっただけのものだ。この世界の馬車にはサスペンションなどという物は無いので、きっとこの道を通る馬車の乗員は目的地に着いた途端、自らの尻を慰める事になるのだろう。
そんな整備されていない道を、有り得ない速度で爆走する影がある。黄金の車体に二つの車輪だけで凸凹の道を苦もせず突き進むそれの上には、三人の人影があった。
無論ソウゴ達だ。かつてライセン大峡谷の谷底で走らせた時と同じ様なペースで街道を走っている。
座席順はいつもの通り、ソウゴの腕の中にユエ、背中にシアという形だ。風にさらわれてシアのウサミミがパタパタと靡いている。
天気は快晴で暖かな日差しが降り注ぎ、絶好のツーリング日和と言える。実際、ユエもシアも、ポカポカの日差しと心地よい風を全身に感じて、実に気持ちよさそうに目を細めていた。
「はぅ~、気持ちいいですぅ~、ユエさぁ~ん。帰りは場所交換しませんかぁ~」
「……ダメ。ここは私の場所」
「え~、そんな事言わずに交換しましょうよ~、後ろも気持ちいいですよ?」
シアが実に間延びした緩々の声音でユエに座席の交換を強請る。ソウゴは肩越しに緩んだシアの顔を見やると、嫌なそうな顔をしてユエの代わりに答えた。
「貴様が前に座ると、そのウサミミが風に靡いて運転の邪魔だ」
「あ~、そうですねぇ~」
「……駄目、殆ど寝てる」
どうやら、あまりの心地よさにシアは半分夢の住人になっている様だ。ソウゴの肩に頭を乗せ全体重を掛けて凭れ掛かっている。ユエに話しかけたのも半分寝言の様だ。
「まぁ、このペースなら後半日というところだ。無休で行くのだ、休める内に休ませておこう」
ソウゴの言葉通り、ソウゴ達はウィル一行が引き受けた調査依頼の範囲である北の山脈地帯に一番近い町まで後半日程の場所まで来ていた。このまま休憩を挟まず一気に進み、恐らく日が沈む頃に到着するだろうから、町で一泊して明朝から捜索を始めるつもりだ。
急ぐ理由は勿論、時間が経てば経つ程ウィル一行の生存率が下がっていくからだ。何時になく他人の為なのに積極的なソウゴに、ユエが上目遣いで疑問顔をする。
ソウゴは、腕の中から可愛らしく首を傾げて自分を見上げるユエに苦笑いを返す。
「……積極的?」
「ああ、生きているに越した事は無いからな。その方が感じる恩は大きい。これから先、国やら教会やらとの面倒事は山程待ってそうだからな、盾は多い方がいいだろう。一々真面に相手するのも手間だ。……それにまぁ、私も人の親だ。出来れば子供には無事であってほしいんだよ」
「……成程」
実際、イルワという盾がどの程度機能するかはわからないし、どちらかといえば役に立たない可能性の方が大きいが保険は多い方がいい。まして、ほんの少しの労力で獲得出来るならその労力は惜しむべきではないだろう。
それに何より、子を持つ一人の親として心配する気持ちに共感したというのも多分にあった。
「それに聞いたんだがな、これから行く町は湖畔の町で水源が豊かだそうだ。その為か町の近郊は大陸一の稲作地帯なんだそうだ」
「……稲作?」
「あぁ。つまり米、私の故郷の主食だ。此方に来てから一度も食べていないからな。同じ物かどうかは分からんが、是非とも試してみたい」
「……ん、私も食べたい……町の名前は?」
「湖畔の町ウルだ」
「はぁ、今日も手掛かりはなしですか。……清水君、一体何処に行ってしまったんですか……?」
悄然と肩を落とし、【ウルの町】の表通りをトボトボと歩くのは召喚組の一人にして唯一の教師である愛子だ。普段の快活な様子が鳴りを潜め、今は不安と心配に苛まれて陰鬱な雰囲気を漂わせている。心なしか、表通りを彩る街灯の灯りすらいつもより薄暗い気がする。
「愛ちゃん先生、あまり気を落とさないで下さい。まだ何も分かっていないんですよ? 部屋だって荒らされてなかった訳ですし、自分で何処かに行った可能性の方が高い位です。だから、あまり思い詰めないで下さいね」
「そうだぞ愛子。こういう時に悪い方にばかり考えては駄目だ。気が付くべき事や、為すべき事を見落としてしまいかねないからな。それに、幸利は優れた術師だ。仮に何か不測の事態に遭遇したのだとしても、そう簡単にやられはしない。彼の先生である愛子が、自分の生徒を信じてやらなくてどうするんだ?」
元気の無い愛子に、そう声をかけたのは優花とデビッドだ。周りには他にも、毎度お馴染みの騎士達と淳史達がいる。彼等も口々に愛子を気遣う様な言葉をかけた。
愛ちゃん護衛隊の一人、清水幸利が失踪してから既に二週間と少し。愛子達は八方手を尽くして清水を探したが、その行方は杳として知れなかった。町中に目撃情報は無く、近隣の町や村にも使いを出して目撃情報を求めたが、全て空振りだった。
当初は事件に巻き込まれたのではと騒然となったのだが、清水の部屋が荒らされていなかった事、清水自身が"闇術師"という闇系魔術に特別才能を持つ天職を所持しており、他の系統魔術についても高い適性を持っていた事から、そうそうその辺の
元々清水は大人しいインドアタイプの人間で、社交性もあまり高くなかった。クラスメイトにも特別親しい友人はおらず、愛ちゃん護衛隊に参加した事も驚かれた位だ。
そんな訳で、既に愛子以外の生徒は清水の安否より、それを憂いて日に日に元気が無くなっていく愛子の方が心配だった。護衛隊の騎士達に至っては言わずもがなである。
因みに王国と教会には報告済みであり、捜索隊を編成して応援に来る様だ。清水も魔術の才能に関しては召喚された者らしく極めて優秀なので、ソウゴの時の様に上層部は楽観視していない。捜索隊が到着するまであと二、三日といったところだ。
次々とかけられる気遣いの言葉に、愛子は内心で自分を殴りつけた。事件に巻き込まれようが、自発的な失踪であろうが心配である事に変わりはない。しかしそれを表に出して、今傍にいる生徒達を不安にさせるどころか気遣わせてどうするのだと。「それでも自分はこの子達の教師なのか!」と、愛子は一度深呼吸するとペシッと両手で頬を叩き気持ちを立て直した。
「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来る事をしましょう。取り敢えずは、本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」
無理しているのは丸分かりだが、気合の入った掛け声に生徒達も「は~い」と素直に返事をする。デビッド達はその様子を微笑ましげに眺めた。
カランカランッと音を立てて、愛子達は自分達が宿泊している宿の扉を開いた。【ウルの町】で一番の高級宿だ。名を"水妖精の宿"という。嘗て、【ウルディア湖】から現れた妖精を一組の夫婦が泊めた事が由来だそうだ。
なお【ウルディア湖】は、【ウルの町】の近郊にある大陸一の大きさを誇る湖だ。大きさは日本の琵琶湖の四倍程である。
"水妖精の宿"は一階部分がレストランになっており、ウルの町の名物である米料理が数多く揃えられている。内装は落ち着きがあって、目立ちはしないが細部まで拘りが見て取れる装飾の施された重厚なテーブルやバーカウンターがある。また、天井には派手過ぎないシャンデリアがあり、落ち着いた空気に花を添えていた。
"老舗"──そんな言葉が自然と湧き上がる、歴史を感じさせる宿だった。
当初、愛子達は高級過ぎては落ち着かないと他の宿を希望したのだが、"神の使徒"、或いは"豊穣の女神"とまで呼ばれ始めている愛子や生徒達を普通の宿に泊めるのは外聞的に有り得ないので、騎士達の説得の末【ウルの町】における滞在場所として目出度く確定した。
元々王宮の一室で過ごしていた事もあり、愛子も生徒達も次第に慣れ、今ではすっかりリラックス出来る場所になっていた。農地改善や清水の捜索に東奔西走し疲れた体で帰って来る愛子達にとって、この宿で摂る米料理は毎日の楽しみになっていた。
全員が一番奥の専用となりつつあるVIP席に座り、その日の夕食に舌鼓を打つ。
「ああ、相変わらず美味しいぃ~。異世界に来てカレーが食べれるとは思わなかったよ」
「まぁ、見た目はシチューなんだけどな……。いや、ホワイトカレーってあったけ?」
優花が心の底から出た様な声音で宿の料理を絶賛すれば、同じ異世界版カレーを注文した淳史が記憶を探りつつ同意した。それに対し昇が、ホクホクのご飯の上に載った黄金でサックサクの衣を纏った各種揚げ物と、香ばしいタレで彩られた自らの料理を行儀悪く箸で指しながら感想を述べる。
「いや、それよりも天丼だろ? このタレとか絶品だぞ? 日本負けてんじゃない?」
「それは玉井君がちゃんとした天丼食べた事無いからでしょ? ホカ弁の天丼と比べちゃ駄目だよ」
「俺は炒飯擬き一択で。これやめられないよ」
「餃子っぽいのとセットメニューってのが何とも憎いよね。このお店開いた人、絶対日本人でしょ」
その感想に苦笑いを浮かべながら妙子が反論し、明人が炒飯擬きで頬をパンパンに膨らませ、その隣で餃子擬きを頬張っていた奈々が何とも疑わしい視線を店の奥に向ける。
極めて地球の料理に近い米料理に、毎晩優花達のテンションは上がりっぱなしだ。見た目や微妙な味の違いはあるのだが、料理の発想自体はとても似通っている。素材が豊富というのも、【ウルの町】の料理の質を押し上げている理由の一つだろう。米は言うに及ばず、【ウルディア湖】で取れる魚、【北の山脈地帯】の山菜や香辛料等もある。
そんな美味しい料理で一時の幸せを噛み締めている愛子達の下へ、六十代くらいの口髭が見事な男性がにこやかに近寄ってきた。
「皆様、本日のお食事は如何ですか? 何かございましたら、どうぞ遠慮なくお申し付け下さい」
「あ、オーナーさん」
愛子達に話しかけたのは、この"水妖精の宿"のオーナーであるフォス・セルオである。スっと伸びた背筋に、穏やかに細められた瞳、白髪交じりの髪をオールバックにしている。
宿の落ち着いた雰囲気がよく似合う男性だ。
「いえ、今日もとてもおいしいですよ。毎日癒されてます」
愛子が代表してニッコリ笑いながら答えると、フォスも嬉しそうに「それはようございました」と微笑んだ。
しかし次の瞬間には、その表情を申し訳なさそうに曇らせた。いつも穏やかに微笑んでいるフォスには似つかわしくない表情だ。何事かと食事の手を止めて、皆がフォスに注目した。
「実は、大変申し訳ないのですが……香辛料を使った料理は今日限りとなります」
「えっ!? それって、もうこの
カレーが大好物の優花がショックを受けた様に問い返した。
「はい、申し訳ございません。何分材料が切れまして……いつもならこの様な事が無い様に在庫を確保しているのですが。……ここ一ヶ月程北山脈が不穏という事で、採取に行く者が激減しております。つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして、ますます採取に行く者がいなくなりました。当店にも次にいつ入荷するかわかりかねる状況なのです」
「あの……不穏っていうのは具体的には?」
「何でも魔物の群れを見たとか……北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所です。山を一つ越える毎に強力な魔物がいる様ですが、態々山を越えてまでこちらには来ません。ですが、何人かの者が居る筈の無い山向こうの魔物の群れを見たのだとか」
「それは心配ですね……」
愛子が眉を顰める。他の皆も若干沈んだ様子で互いに顔を見合わせた。フォスは「食事中にする話ではありませんでしたね」と申し訳なさそうな表情をすると、場の雰囲気を盛り返す様に明るい口調で話を続けた。
「しかしその異変も、もしかするともう直ぐ収まるかもしれませんよ」
「どういう事ですか?」
「実は、今日の丁度日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索の為北山脈へ行かれるらしいのです。フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者の様ですね。もしかしたら異変の原因も突き止めてくれるやもしれません」
愛子達はピンと来ない様だが、食事を共にしていたデビッド達護衛の騎士は一様に「ほぅ」と感心半分興味半分の声を上げた。
フューレンの支部長と言えばギルド全体でも最上級クラスの幹部職員である。その支部長に指名依頼されるというのは、相当どころではない実力者の筈だ。同じ戦闘に通じる者としては好奇心をそそられるのである。騎士達の頭には、有名な"金"クラスの冒険者がリストアップされていた。
愛子達がデビッド達騎士のざわめきに不思議そうな顔をしていると、二階へ通じる階段の方から声が聞こえ始めた。男の声と少女二人の声だ。何やら少女の一人が男に文句を言っているらしい。それに反応したのはフォスだ。
「おや、噂をすれば。彼等ですよ、騎士様。彼等は明朝にはここを出るそうなので、もしお話になるのでしたら、今のうちがよろしいかと」
「そうか、分かった。しかし随分と若い声だ、"金"にこんな若い者がいたか?」
デビッド達騎士は、脳内でリストアップした有名な"金"クラスに今聞こえている様な若い声の持ち主がいないので、若干困惑した様に顔を見合わせた。
そうこうしている内に、三人の男女は話ながら近づいてくる。
愛子達のいる席は三方を壁に囲まれた一番奥の席であり、店全体を見渡せる場所でもある。一応カーテンを引く事で個室にする事も出来る席だ。唯でさえ目立つ愛子達一行は、愛子が"豊穣の女神"と呼ばれる様になって更に目立つ様になった為、食事の時はカーテンを閉める事が多い。今日も、例に漏れずカーテンは閉めてある。
そのカーテン越しに、若い男女の騒がしめの会話の内容が聞こえてきた。
「もうっ、何度言えばわかるんですか。私を放置してユエさんと二人の世界を作るのは止めて下さいよぉ。ホント凄く虚しいんですよ、あれ。聞いてます? "ソウゴ"さん」
「なら貴様がユエを引き取ってくれ」
「んまっ! 聞きましたユエさん? "ソウゴ"さんが冷たい事言いますぅ」
「……ん。"ソウゴ様"、もうちょっと優しくして?」
「懲りないな貴様等」
その会話の内容に、そして少女の声が呼ぶ名前に。愛子の、そして優花達の心臓が一瞬にして飛び跳ねる。
彼女達は今何といった? 少年を何と呼んだ? 少年の声は、"彼"の声に似てはいないか?
愛子の脳内を一瞬で疑問が埋め尽くし、金縛りにあった様に硬直しながら、カーテンを視線だけで貫こうとでも言う様に凝視する。
特に直接命を救われ、あの出来事に最も深く心を折られた優花の受けた衝撃は尋常ではなかった。カランッとスプーンを落とした音にも気付かない様子で、唯々呆然としている。
優花を含め淳史達生徒の脳裏には、およそ四ヶ月前に奈落の底へと消えていった"彼"の姿が浮かび上がっていた。自分達に"異世界での死"というものを強く認識させた少年。消したい記憶の根幹となっている少年。良くも悪くも目立っていた少年……。
尋常でない様子の愛子と生徒達に、フォスや騎士達が訝しげな視線と共に声をかけるが、誰一人として反応しない。騎士達が一体何事だと顔を見合わせていると、愛子がポツリとその名を零した。
「……常磐君?」
無意識に出した自分の声で、有り得ない事態に硬直していた体が自由を取り戻す。愛子は、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、転びそうになりながらカーテンを引き千切る勢いで開け放った。
シャァァァ!!
存外に大きく響いたカーテンの引かれる音に、ギョッとして思わず立ち止まる二人の少女と、無関心に椅子を引いて座り込む男。
愛子は、相手を確認する余裕も無く叫んだ。大切な教え子の名前を。
「常磐君!」
「うん? ……おぉ、確か……畑中先生、だったかな?」
愛子の目の前にいたのは、チラリと視線を寄越して意外そうな顔をしている、記憶と寸分違わぬ栗毛の少年だった。
しかし雰囲気は大きく異なっている。愛子の知る常磐ソウゴは、何時もどこかボーとして、なのに全てを見透かしている様にのらりくらりとした、穏やかな性格の大人しい少年だった。実は、苦笑いが一番似合う子と認識していたのは愛子の秘密である。
だが、目の前の少年はどこか近寄りがたい、鋭く重厚な雰囲気を纏っている。先程の話し方も、あまりに記憶と異なっており、実際に見聞きしなければ判らないだろう。
だが、目の前の少年は自分を何と呼んだのか。そう、"先生"だ。愛子は確信した。雰囲気も話し方も大きく変わってしまっているが、目の前の少年は、確かに自分の教え子である"常磐ソウゴ"であると!
「常磐君……やっぱり常磐君なんですね? 生きて……本当に生きて…」
「私が幽霊にでも見えるか?」
死んだと思っていた教え子と奇跡の様な再会。感動して、涙腺が緩んだのか、涙目になる愛子。今まで何処にいたのか、一体何があったのか、本当に無事でよかった、と言いたい事は山程あるのに言葉にならない。それでも必死に言葉を紡ごうとする愛子に返ってきたのは、無関心で平坦な声。
生徒達はソウゴの姿を見て、信じられないと驚愕の表情を浮かべている。それは、生きていた事自体が半分、雰囲気の変貌が半分といったところだろう。だがどうすればいいのか分からず、ただ呆然と愛子とソウゴを見つめるに止まっていた。
と、そこで割り込んだのはパートナーを自称する少女。勿論残念キャラのウサミミではなく吸血姫の方である。ユエはツカツカとソウゴと愛子の傍に歩み寄ると、いつの間にかソウゴの腕を掴んでいた愛子の手を強引に振り払った。その際、護衛騎士達が僅かに殺気立つ。
「……離れて、ソウゴ様が困ってる」
「な、何ですか、あなたは? 今、先生は常磐君と大事な話を……」
「……なら、少しは落ち着いて」
冷めた目で自分を睨む美貌の少女に、愛子が僅かに怯む。二人の身長に大差はない。普通に見ればちみっ子同士の喧嘩に見えるだろう。しかし、常に実年齢より下に見られる愛子と見た目に反して妖艶な雰囲気を纏うユエでは、どうしても大人に怒られる子供という構図に見えてしまう。
実際、注意しているのはユエの方で、彼女の言葉に自分が暴走気味だった事を自覚し頬を赤らめてソウゴからそっと距離をとり、遅まきながら大人の威厳を見せようと背筋を正す愛子は……背伸びした子供の様だった。
「すいません、取り乱しました。改めて……常磐君ですよね?」
今度は静かな、しかし確信をもった声音で、真っ直ぐに顔を見つめながらソウゴに問い直す愛子。
「あぁ。正真正銘、私は常磐ソウゴだ。それ以外の何者でもない」
「やっぱり、やっぱり常磐君なんですね……生きていたんですね……」
再び涙目になる愛子に、ソウゴは可笑しそうに笑い肩を竦めた。
「あの程度で死ぬものか」
「よかった……! 本当によかったです……」
それ以上言葉が出ない様子の愛子を一瞥すると、ソウゴはもう興味を失くした様で、生徒達の後ろに佇んで事の成り行きを見守っているフォスを手招きする。
「ええと……ソウゴさん、いいんですか? お知り合いですよね?」
「まぁそれはそうだが、所詮共に召喚されたという程度の繫がりしか無いからな。貴様等が態々気に掛ける事ではあるまい。それより、元々ここには夕餉を食べに来たんだ、さっさと注文するぞ。ここにはニルシッシルという料理があるそうでな、どうやら私の知るカレーという料理と似た品らしい。想像した通りの味なら嬉しいんだが……」
「……なら、私もそれにする。ソウゴ様の好きな味知りたい」
「あっ、そういう所でさり気無いアピールを……流石ユエさん。という訳で私もそれにします。店員さぁ~ん、注文お願いしまぁ~す」
最初は愛子達をチラチラ見ながらおずおずしていたシアも、ソウゴがそう言うならいいかと意識を切り替えて、困った笑みで寄って来たフォスに注文を始めた。
だが当然、そこで待ったがかかる。ソウゴがあまりにも自然に何事も無かった様に注文を始めたので再び呆然としていた愛子が息を吹き返し、ツカツカとソウゴのテーブルに近寄ると「先生、怒ってます!」と実に判りやすい表情でテーブルをペシッと叩いた。
「常磐君、まだ話は終わっていませんよ! 何を物凄く自然に注文しているんですか!? 大体、こちらの女性達はどちら様ですか?」
愛子の言い分はその場の全員の気持ちを代弁していたので、漸くソウゴが四ヶ月前に亡くなったと聞いた愛子の教え子であると察した騎士達や、愛子の背後に控える生徒達も皆一様に「うんうん」と頷きソウゴの回答を待った。
ソウゴは少し面倒そうに眉を顰めるが、どうせ答えない限り愛子が喰い下がり、落ち着いて食事も出来ないだろうと考え仕方なく視線を愛子に戻した。
「依頼を受けてから無休でここまで来たんだ、食事位ゆっくりさせてくれ。それとこれらは私の連れだ」
ソウゴが視線をユエとシアに向けると、二人は愛子達にとって衝撃的な自己紹介した。
「……ユエ」
「シアです」
「「ソウゴ様の女/ですぅ!」」
「お、女?」
愛子が若干どもりながら「えっ? えっ?」とソウゴと二人の美少女を交互に見る。上手く情報を処理出来ていないらしい。後ろの生徒達も困惑したように顔を見合わせている。いや、男子生徒は「まさか!」と言った表情でユエとシアを忙しなく交互に見ている。徐々に、その美貌に見蕩れ顔を赤く染めながら。
直後、ガンッゴンッという嫌な音が響き渡る。
「だから、何度言えば理解出来るんだ貴様等は」
「……ソウゴ様、ホントに痛い……」
「せめてもう少し手心を……!」
「加えてなかったら木端微塵になっとるわ、寧ろ加減マシマシだ」
ソウゴが呆れた顔で二人の脳天に拳骨を落としていた。
一方、その光景(見様によってはじゃれてる様に見える)を見せられた愛子の頭の中では、ソウゴが二人の美少女を両手に侍らして高笑いしている光景が再生されている様だった。表情がそれを物語っている。
「常磐君!!」
顔を真っ赤にして三人の会話を遮る愛子。その顔は、非行に走る生徒を何としても正道に戻してみせるという決意に満ちていた。そして、"先生の怒り"という特大の雷が【ウルの町】一番の高級宿に落ちる。
「ふ、二股なんて! 直ぐに帰ってこなかったのは、遊び歩いていたからなんですか!? もしそうなら……許しません! ええ、先生は絶対許しませんよ! お説教です! そこに直りなさい、常磐君!」
きゃんきゃんと吠える愛子を尻目に、面倒な事になったとソウゴは軽く舌打ちをしたのであった。
散々愛子が吠えた後、他の客の目もあるからとVIP席の方へ案内されたソウゴ達。そこで愛子や園部優花達生徒から怒涛の質問を投げかけらたが、ソウゴは目の前の今日限りというニルシッシルを優先して、元より真面に答えるつもりも無かった質問により適当に返し、逆に愛子達から情報を得ていった。
愛子達から得ようとした情報とは、彼女等の中のソウゴに関する記憶である。
ソウゴにとっては、彼女等はこの世界に来てからの知り合いだが、彼女等の中ではそうではないらしい。
ソウゴはそれに対して、恐らく自身が召喚された際に彼女等の記憶にソウゴに関するすり合わせが行われたと推測した。
故にソウゴは愛子達の記憶を読み、彼女達の中で自身がどういう立ち位置だったかを読み取った。
「真面目に答えなさい!」
そんなソウゴの行いを知る由も無く、愛子が頬を膨らませて怒る。全く迫力が無いのが物悲しい。案の定、ソウゴには柳に風といった様子だ。目を合わせる事も無く、時折ユエやシアと感想を言い合いながらニルシッシルに舌鼓を打つ。表情は非常に満足そうである。
その様子にもう我慢ならんと怒りを露わにしたのは、愛子ラブのデビッドだ。愛する女性が蔑ろにされている事に耐えられなかったのだろう。拳をテーブルに叩きつけながら大声を上げた。
「おい、お前! 愛子が質問しているのだぞ! 真面目に答えろ!」
ソウゴは、憤慨するデビッドに目もくれず、呆れた様に食事を止めず答える。
「一介の騎士風情が、他国とはいえ王の振舞いに口を出すとは……どうやらこの国の礼儀作法は随分とレベルが低いと見える」
全く相手にされていない事が丸分かりの物言いに、元々神殿騎士にして重要人物の護衛隊長を任されているという事から自然とプライドも高くなっているデビッドは、我慢ならないと顔を真っ赤にした。そして、何を言ってものらりくらりとして明確な答えを返さないソウゴから矛先を変え、その視線がシアに向く。
「ふん、礼儀だと? その言葉、そっくりそのまま返してやる。薄汚い獣風情を人間と同じテーブルに着かせるなど、お前の方が礼儀がなってないな。せめてその醜い耳を切り落としたらどうだ? 少しは人間らしくなるだろう」
侮蔑をたっぷりと含んだ眼で睨まれたシアはビクッと体を震わせた。
【ブルックの町】では宿屋での第一印象や、キャサリンと親しくしていた事、ソウゴの存在もあって、寧ろ友好的な人達が多かった。【フューレン】でも蔑む目は多かったが、奴隷と認識されていたからか直接的な言葉を浴びせかけられる事はなかった。
つまり、ソウゴと旅に出てから初めて、亜人族に対する直接的な差別的言葉の暴力を受けたのである。有象無象の事など気にしないと割り切った筈だったが、少し外の世界に慣れてきていたところへの不意打ちだったので、思いの外ダメージがあった。シュンと顔を俯かせるシア。
よく見ればデビッドだけでなく、チェイス達他の騎士達も同じような目でシアを見ている。彼等がいくら愛子達と親しくなろうと、神殿騎士と近衛騎士である。聖教教会や国の中枢に近い人間であり、それは取りも直さず亜人族に対する差別意識が強いという事でもある。何せ差別的価値観の発信源は、その聖教教会と国なのだから。
デビッド達が愛子と関わる様になって、それなりに柔軟な思考が出来る様になったと言っても、ほんの数ヶ月程度で変わる程根の浅い価値観ではないのである。
あんまりと言えばあんまりな物言いに、思わず愛子が注意をしようとするが、その前に俯くシアの手を握ったユエが絶対零度の視線をデビッドに向ける。
最高級ビスクドールの様な美貌の少女に体の芯まで凍りつきそうな冷ややかな眼を向けられて、デビッドは一瞬たじろぐも、見た目は幼さを残す少女に気圧された事に逆上する。
普段ならここまでキレやすい人間ではないのだが、思わず言ってしまった言葉に愛しい愛子からも非難がましい視線を向けられて、軽く我を失っている様だった。
「何だその眼は? 無礼だぞ! 神の使徒でもないのに、神殿騎士に逆らうのか!」
思わず立ち上がるデビッドを副隊長のチェイスは諌めようとするが、それよりも早くユエの言葉が騒然とする場にやけに明瞭に響き渡った。
「……小さい男」
それは嘲りの言葉。たかが種族の違い如きで喚き立て、少女の視線一つに逆上する器の小ささを嗤う言葉だ。
唯でさえ怒りで冷静さを失っていたデビッドは、よりによって愛子の前で男としての器の小ささを嗤われ完全にキレた。
「……異教徒め。そこの獣風情と一緒に地獄へ送ってやる」
無表情で静かに呟き、傍らの剣に手をかけるデビッド。突如現れた修羅場に生徒達はオロオロし、愛子やチェイス達は止めようとする。だがデビッドは周りの声も聞こえない様子で、遂に鞘から剣を僅かに引き抜いた。
その瞬間、
ドガンッ!!
何の脈絡も無い破壊音が"水妖精の宿"全体に響き渡り、同時に今にも飛び出しそうだったデビッドが弾かれた様に後方へ吹き飛んだ。デビッドは、そのまま背後の壁に凄まじい音を立てながら激突し、上半身が見えなくなったところで足がガクンッと崩れ落ちる。少し遅れて、デビッドの手から放り出された剣がカシャン……と小さく音を立てて床に転がった。
誰もが、今起こった出来事を正しく認識できず硬直する。視線は力無く壁に突き刺さるデビッドに向けられたままだ。
そこへ、大きな破壊音に何事かとフォスがカーテンを開けて飛び込んできた。そして、目の前の惨状に目を丸くして硬直する。
代わりに、フォスが入ってきた事で愛子達が我を取り戻した。デビッドに向けられていた視線は、破壊音の源へと自然に引き寄せられる。
其処には、食事の手を止めたソウゴの姿があった。その姿は武器や術を使った様にも見えず、愛子達も騎士達も全く何をしたか窺えない。
この場で唯一、ユエだけはソウゴが何をしたか理解できた。
ユエには見えていたのだ。ソウゴの背後に浮かぶ、三面六腕の黄金の人影の存在が。ユエの目には、その姿が【オルクス大迷宮】の最深部で一度だけ見た、ソウゴの鎧に似ている様に思えた
そして、ユエにだけ見えているそれこそがソウゴの宿すスタンド。
スタンド名───"オーヴァー・クォーツァー"である。
詳細は分からないが攻撃したのがソウゴであると察した騎士達が、一斉に剣に手をかけて殺気を放つ。
しかし直後、騎士達の殺気などとは比べ物にならない凄絶な殺気が、まるで天から鉄槌となって……否、天そのものが落ちてきたかの様に襲いかかり、立ち上がりかけた騎士達を強制的に座席に座らせた。
直接殺気を浴びている訳ではないが、ソウゴから放たれる桁違いの威圧感に、愛子達も顔を蒼褪めさせてガクガクと震えている。
フォスや他の客はとっくに泡を吹いて気絶し、その影響は宿の外の町全体まで及ぶ。それどころか、町の外の魔物達までソウゴの気配を察して逃げ出した。
ソウゴはガタッと態とらしく音を立てながら椅子を引いて立ち上がる。ただそれだけで、ソウゴの威圧が桁違いに増す。騎士達は今にも発狂しそうな心を必死に堪える為に、歯が砕ける程顎に力を込める。愛子達は椅子から転げ落ち、何人かは恐怖に耐え切れず失禁してしまう。
それらを気にも留めず、ソウゴは特定の誰かではなく全員に言い聞かせる様に呟く。
「貴様等は運がいい。今が食事の場でなければ、細胞も魂魄も一片たりとも残さず町ごと消し去っていたところだ。これはまだ未熟だが、れっきとした我が臣下、私の所有物である。……心得よ。今後これに無礼を働くという事は、私を怒らせるという事だ。そうなれば少なくともこの国は、魔人族よりも先に私によって滅ぼされるという事をな」
わかったか? そう眼光で問いかけるソウゴに、誰も何も言えなかった。直接視線を向けられたチェイス達は、かかるプレッシャーに必死に耐えながら、僅かに頷くので精一杯だった。
だが、耐えられたのはチェイスを含めた数名のみだった。
残った騎士達は、直接ソウゴの視線を受けた恐怖に耐えきれず腰に佩いた剣を抜き自らの首を切って自害したのだ。
そんな生き残った数名の騎士達に、ソウゴは更に追い打ちをかける。
「理解したなら結構。だが……この場で殺さないにしても、それなりの罰は受けてもらおう」
そう言って、ソウゴの目が鋭く細められる。そして自害した騎士達など視界に入ってないかの如く、生き残ったチェイス達を見据えてソウゴは問いかけた。
「選べ……『
そう問いかけた瞬間、騎士達の身体からクリーム状の気体が吹き上がる。半透明のそれを、ソウゴは答えを聞かずにまとめて一握りにし、ブチィッと音を立てて引き千切った。
「五十年。貴様等の寿命をもらっていく」
千切ったそれを一飲みにしたソウゴは、続いて愛子達にも視線を転じる。
愛子は何も言わない。いや、言えないのだろう。迸る威圧感のせいもあるだろうが、愛子の中では『ソウゴの言葉を了承してしまったら何も分からぬまま変わってしまった教え子を放置してしまうことになる。それは、自分の教師としての矜持が許さない』とでも思っているからだろう。関係無いと、ソウゴは視線を切る。
しかしそこでソウゴは、何を思ったかその後ろの生徒達の所へ移動した。
まるで、ブツ切りにした映画のフィルムを無理矢理繋ぎ合わせた様に突然目の前に現れたソウゴの姿は、彼等にとって恐怖以外の何物でもないだろう。
「ひっ!?」
その行動は、ソウゴを知る者からすれば意外に映るだろう。普段のソウゴなら、彼等の様な子供相手に怒っていたとしてもこの様な無駄に負荷をかける様な事はしないだろう。
だがこの時のソウゴは、空腹、愛子達の質問攻め、シアへの差別、騎士達の振舞い等様々な要因が重なり、有体に言って気が立っていたのだ。
だからソウゴは大人げ無く、恐らくしなくていいであろう牽制と釘刺しを行ったのだ。
「おい小僧共」
「………ッ!?」
淳史達は、ソウゴの威圧に口を開く事も出来ない。返事が無くとも、ソウゴはいつの間にか抜いた逢魔剣を淳史の首筋に当てながらそのまま続ける。
「貴様等にも言っておくぞ。私の連れに不埒な視線を向けていた様だが……あれらは愛妾でも何でもないが、私の物である事に違いは無い。不用意に近づけば、貴様等は野盗と変わらん。そう判断した瞬間、私は容赦無く貴様等を処断する。その身を千々に切り裂き、魔物共の餌にしてばら撒いてくれよう」
それだけ言うと、ソウゴは殺気を収める。愛子も生徒達も、明らかに怯えた様子だったので敢えて関わっては来ないだろうと推測した。
凄まじい圧迫感が消え去り、騎士達がドッと崩れ落ちて倒れこみ、大きく息を吐いた。愛子達も漸く呼吸する許可が出た様と言わんばかりに深呼吸を繰り返す。
ソウゴは何事も無かった様に食事を再開しながら、シュンとしているシアに話しかけた。
「シア、これが"外"の普通なのだ。気にしていたらキリがないぞ?」
「はぃ、そうですよね……わかってはいるのですけど……やっぱり人間の方には、この耳は気持ち悪いのでしょうね」
自嘲気味に、自分のウサミミを手で撫でながら苦笑いをするシア。そんなシアに、ユエが真っ直ぐな瞳で慰める様に呟く。
「……シアのウサミミは可愛い」
「ユエさん……そうでしょうか」
それでも自信無さ気なシアに、今度はソウゴが若干呆れた様子でフォローを入れる。ユエに優しくする様に言われる事が多くなってから、シアに対する態度が少しずつ柔らかくなっているソウゴの慰めだ。
「あのな、騎士連中は教会やら国の上層やらに洗脳じみた教育をされているから、そもそも自身の考えが正しいと疑わん。それに、兎人族は愛玩奴隷の需要では一番なんだろう? それはつまり、一般的には気持ち悪いとまでは思われてはいないという事だ」
「そう……でしょうか……あ、あの、因みにソウゴさんは……その……どう思いますか……私のウサミミ」
ソウゴの言葉が慰めであると察して、少し嬉しそうなシアは、頬を染めながら上目遣いでソウゴに尋ねる。ウサミミは、「聞きたいけど聞きたくない!」というようにペタリと垂れたまま、時々ピコピコとソウゴの方に耳を向けている。
「勿論気に入っているとも。こうして触っていれば、ささくれ立った気持ちが和らぐ程度にはな」
ソウゴは答えながらウサミミを揉み、序に頭を撫でておく。一気に元気を取り戻してヒュパ! と立ち上がった。
「ソ、ソウゴさん……私のウサミミお好きだったんですね……えへへ」
シアが赤く染まった頬を両手で押さえイヤンイヤンし、頭上のウサミミは「わーい!」と喜びを表現する様にわっさわっさと動く。
チェイスが場の雰囲気が落ち着いたのを悟り、デビッドの治癒に当たらせる。同時に警戒心と敵意を押し殺して、微笑と共にソウゴに問い掛けた。ソウゴの事情は兎も角、どうしても聞かなければならない事があったのだ。
「常磐君……でいいでしょうか? 先程は、隊長が失礼しました。何分、我々は愛子さんの護衛を務めておりますから、愛子さんに関する事になると少々神経が過敏になってしまうのです。どうか、お許し願いたい」
「ほぉ……騎士にしては随分となってないと思っていたが、まさかその程度の自制心も働かんとはな。これでは衛士見習いどころか訓練生からやり直した方がいいのではないか? まぁ兎に角、貴様等の忠犬ごっこに私を巻き込むな」
ソウゴは面倒事に巻き込まれた腹いせに、皮肉を込めて率直な感想を述べる。序に虫を追い払う様に手を払えば、その物言いにチェイスの眉が一瞬ピクッとなるが微笑というポーカーフェイスは崩れない。そして、頭の回転が早いチェイスの見立てでは到底放置できない、目の前のアーティファクトらしき腰の剣や他の武装、身に付けている装飾品に目を向けソウゴに切り込んだ。
「そのアーティファクト……でしょうか。寡聞にして存じないのですが、相当強力な物とお見受けします。先程の団長が吹き飛んだ事や、我々に行ったものも。……魔法でしょうか? 陣も見えず、詠唱した様子も無い。一体、何処で手に入れたのでしょう?」
微笑んでいるが、目は笑っていないチェイス。先程のやり取りで魔力が使われた様な気配が無い事から、彼はとても不思議に思えて仕方ない。それがもし腰に佩いた剣の影響なのだとしたら、それは未知の技術に他ならない。もしその技術を得られれば、戦争の行く末すら左右しかねない為、自分達が束になってもソウゴには敵わないかもしれないとは思いつつも聞かずにはいられなかったのだ。
ソウゴがチラリとチェイスを見る。そして何かを言おうとして、興奮した淳史の声に遮られた。どうにか復活したらしい彼の視線は、チェイスとは反対側にあるソウゴの武器に向いていた。
「そ、そうだよ、常磐。それ銃だろ!? 何で、そんなもん持ってんだよ!」
玉井の叫びにチェイスが反応する。
「銃? 玉井は、あれが何か知っているのですか?」
「え? ああ、そりゃあ知ってるよ。俺達の世界の武器だからな」
玉井の言葉にチェイスの眼が光る。そしてソウゴをゆっくりと見据えた。
「ほぅ、つまり、この世界に元々あったアーティファクトではないと……とすると、異世界人によって作成されたもの……作成者は当然……」
「私ではないぞ」
ソウゴはあっさりと否定する。「えっ」とキョトンとした顔をする二人に、ソウゴは銃を抜いて説明する。
「コイツはマグナバイザー、嘗て偉大な先達から譲り受けた物だ。他の飾りやらにしても、私の所有物には違いないが製作者ではない」
「で、ではその腰の剣は……」
「この剣に関しては正しく私の造った物だが、先程見せた"
先程の現象とは関係無いと語るソウゴの言葉。呆れた様な物言いだ。だが、チェイスも食い下がる。ソウゴの見せたそれは、とても魅力的だったのだ。
「出来れば、それらの技術についてお教え頂けないでしょうか?」
「不可能だ。これらは
「ですが、それを教授できればレベルの低い兵達も高い攻撃力を得る事が出来ます。そうすれば来る戦争でも多くの者を生かし、勝率も大幅に上がる事でしょう。貴方が協力する事で、お友達や先生の助けにもなるのですよ? ならば……」
「何を勘違いしている? 私にとってそこの連中は、共に召喚されたというだけの存在だ。我が国の民でもなく、共に戦場を駆けた友でもない。その様な輩に、何故私が力を割かねばならん? 貴様如きが私に意見するなど、身の程を弁えよ」
ソウゴの静かな言葉に、幾つか疑問を感じつつも悪寒に襲われ口をつぐむチェイス。そこへ愛子が執り成す様に口を挟む。
「チェイスさん。常磐君には常磐君の考えがあります。私の生徒に無理強いはしないで下さい。常磐君も、あまり過激な事は言わないで下さい。もっと穏便に……常磐君は、本当に戻ってこないつもりなんですか?」
「戻る理由も興味も無いからな。明朝仕事に出て依頼を果たしたら、そのままここを出る」
「どうして……」
愛子が悲しそうにソウゴを見やり理由を聞こうとするが、それより早くソウゴが席を立った。いつの間にか、ユエやシアも食事を終えている。愛子が引きとめようとするが、ソウゴは無視してユエとシアを連れ二階への階段を上って……
「……あぁ、そういえば」
ふと何かを思い出した様に呟いたソウゴは、首を傾げるユエとシアを置いて階段を下る。そのまま進み、ビクッと体を震わせる騎士達や愛子を通り過ぎて優花の前で立ち止まる。先程のソウゴの威圧感もあって身構える優花に、ソウゴは口を開いた。
「確か……優花だったか。こうしてここにいるという事は、無事あの場を切り抜けられたのだな」
ソウゴの声に、生徒達は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔になる。その声には先程までの冷たさや重さは欠片も無い。純粋に心配していた様な、または労う様な声音だ。ソウゴは優花の頭に手を伸ばし、優しく撫でながら続ける。
「ふむ……私が去った事でいらん
優花の記憶を読んだソウゴはそう苦笑しながら、「では達者でな」と言い残して今度こそ階段を上っていった。
後に残された愛子達の間には、何とも言えない微妙な空気が流れる。
「……本当に、生きてたんだ」
ポツリと、改めて己の中の実感を確かめる様な小さな呟きが沈黙の静けさを破った。その声に愛子達が視線を向ければ、優花が何とも言えない複雑な、本当に色々な感情を綯交ぜにした様な表情で階段の方を見つめていた。
「香織ちゃんの言う通りだったわね。まぁ助けを求めるどころか、自分でどうにかしちゃったみたいだけど。挙句こっちが心配されちゃったし」
「優花っち……大丈夫?」
「優花……」
独白する様な声音で話す優花を見て、奈々と妙子が気遣わし気に声を掛けた。そんな二人に、優花は苦笑いしながら肩を竦める。
「大丈夫って……そりゃあすんごいビックリしたけど、問題なんてある訳無いでしょ? クラスメイトが生きてたんだよ? "良かった"以外に思う事なんて無いでしょ」
「……うん、そうだよね! 私なんか、まだ信じられないけど……。だって、ねぇ……?」
「確かにね。何だか、その……なんていうか、ワイルド? になってたよね」
殺人鬼に遭遇してしまったと思うくらい怖かった。とは言えず、妙子が言葉を選びながらそんな事を言う。
すると会話の糸口を掴んだ様で、淳史達も会話に加わり始めた。
「おまけに、なんか滅茶苦茶強そうになってたしな」
「だよな。雰囲気とか、ハイリヒの王様とか前に見た皇帝なんかよりもよっぽどそれっぽいっていうか……。ていうか、あの威圧感……」
「それもだけどさ……俺等の事、興味無いって……。やっぱ、俺達の事よく思ってないのかな?」
死んだと思っていたクラスメイトが生きていたのは素直に嬉しい。それは優花の言う通りで、恐怖を感じていた奈々や妙子も含めて淳史達も同じだった。心の奥で、ずっとズシリとした重みを与えていた何かが消えた様な気持ちだった。単純な言葉で表現するなら、やはり"安堵した"というのが一番近いだろう。
だが、それをそのまま言葉に出来なかったのは、当の本人が自分達の事などまるで眼中になかったから。また、以前とは比べ物にならない程鋭く重い雰囲気を放っており、その雰囲気に圧倒されてしまったというのもある。事実何人かは失禁し、剰え失神してしまったのだから。
加えて、"無能"と蔑んでいた事、檜山達のイジメを見て見ぬふりをしていた事、そしてあの"誤爆"事件の事から、ソウゴに対する態度を決めかねていたのだ。
結果、誰もがソウゴに対して積極的な態度を取る事が出来なかった。
淳史達がソウゴの変容に恐れややりきれなさ等様々な感情を抱く中、再び優花がポツリと呟く。
「お礼、言えなかったなぁ」
その言葉に、淳史達はハッとした様に顔を見合わせた。ソウゴが自分達に無関心であるとか、その在り方が変わってしまっているだとか、そんな事に関心を向ける前に、自分達にはすべき事があったのではないか……。優花の様に、直接救われた訳では無いけれど、あの時クラスメイトの為に身命を賭してくれたのは事実だ。
優花が宿していた複雑な表情は、淳史達と全く同じ感情から来たものではなく、あの日のお礼をもう一度キチンと言えなかった事、言う事に意味が無い様に思えた事から来るものだった。
「園辺さん……」
そんな優花の様子に、愛子はどんな言葉をかけていいのか分からなかった。
愛子自身も、怒涛の展開と教え子の変貌に内心激しく動揺しており、離れていくソウゴを引き止める事が出来なかったのだ。どんな言葉なら、今のソウゴに届くのか……愛子自身はその答えを持ち合わせていなかった。
食事はすっかり冷めてしまい、食欲も失せた。目の前の料理を何となしに眺めながら、誰もがソウゴが退席した事で改めて"ソウゴの生存"について深く考え始めるのだった。
夜中。
深夜0時を回り、一日の活動とその後の予想外の展開に精神的にも肉体的にも疲れ果て、誰もが眠りついた頃、しかし愛子は未だ寝付けずにいた。
愛子の部屋は一人部屋で、それ程大きくはない。木製の猫脚ベッドとテーブルセット、それに小さな暖炉があり、その前には革張りのソファーが置かれている。冬場には、きっと揺らめく炎が部屋を照らし、視覚的にも体感的にも宿泊客を暖めてくれるのだろう。
愛子は今日の出来事に思いを馳せ、ソファーに深く身を預けながら火の入っていない暖炉を何となしに見つめる。愛子の頭の中は整理されていない本棚の様に、あらゆる情報が無秩序に並んでいた。
考えねばならない事、考えたい事、これからの事、ぐるぐると回る頭は一向に建設的な意見を出してはくれない。大切な教え子が生きていたと知った時の事を思い出し頬が緩むも、その後の非友好的ですらない無関心な態度に眉を八の字にする。
デビッドの言動により垣間見たソウゴの力に、その様に変貌しなければ生き残れなかったのかもしれないとソウゴが経験したであろう苦難を思い、何の助けにもなれなかった事に溜息を吐く。しかしその後の二人の少女との掛け合いを思い出し、信頼できる仲間を得ていたのだと思い再び頬を緩める。
そこへ、突如誰もいない筈の部屋の中から声が掛けられた。
「なにを百面相している?」
「ッ!?」
ギョッとして声がした方へ振り向く愛子。そこには、いつの間にか用意したと思われる椅子に腰かけたソウゴの姿があった。驚愕のあまり舌が縺れながらも、愛子は何とか口を開く。
「と、常磐君? な、何でここに、どうやって……」
「どうやってと言われると、普通にドアからと答えるしかないな」
「えっ、でも鍵が……」
「私が開けと願えば、ただそれだけで鍵は開く」
飄々と答えるソウゴに愛子は暫く呆然とした後、驚きでバクバクと煩い心臓を何とか落ち着かせながら、眉を顰めて咎める様な表情になった。
「こんな時間に、しかも女性の部屋にノックも無くいきなり侵入とは感心しませんよ。態々鍵まで開けて……一体、どうしたんですか?」
愛子の脳裏に一瞬、夜這いという言葉が過ぎったが即行で打ち消す。生徒相手に何を考えているのだと軽く頭を振った。ソウゴはそんな愛子に「そんな年頃でもあるまい」と呆れた視線を向けながら、非常識な来訪の目的を告げた。
「まぁ、こんな時間に訪れたのは悪かった。他の連中にこの訪問を見られたくなかったんだ。貴様には教えておきたい事があったんだが、さっきは教会やら王国の連中がいたのでな。内容的に、奴等なら発狂でもして暴れそうでな。そうなると私も流石に放置する訳にもいかん。食事の場を荒らすのは、私の望むところでは無いからな」
「話ですか? 君は、先生達の事はどうでもよかったんじゃ……」
もしや、本当は戻ってくるつもりなのではと期待に目を輝かせる愛子。生徒からの相談とあれば、正に教師の役どころである。しかしソウゴは、その期待を無視してオスカーから聞いた"解放者"と狂った神の遊戯の物語を話し始めた。
ソウゴが愛子にこの話をしようと思ったのに、然したる理由は無い。ただの気紛れだ。
ただ、神の意思に従って勇者である光輝達が盤上で踊ったとしても、彼等の意図した通り神々が元の世界に帰してくれるとは思わなかった。魔人族から人間族を救う──即ち起こるであろう戦争に勝利したとしても、それは抑々神々が裏で糸を引いている結果だ。勇者などと言う面白い駒をそうそう手放す訳が無い。寧ろ勇者達を利用して、新たなゲームを始めると考えた方が妥当である。
ソウゴとしては、その事を態々光輝達を捜し出して伝えるつもりはなかった。彼等の行く末には興味が無かったし、単純に面倒だったからだ。それに仮に伝えたとしても、あの正義感と思い込みの塊の様な少年が、ソウゴの言葉を信じるとは思えなかった。
たった一人の言葉と、大多数の救いを求める声。
どちらを信じるかなど考えるまでもない。寧ろ、大勢の人たちが信じ崇める"エヒト様"を愚弄したとして非難されるのがオチだろう。最初はそれも一興かと思ったが、今は光輝に関わるつもりは毛頭なかった。
しかし、偶然に偶然が重なって、何の因果か愛子と再会する事になった。
ソウゴは知っている、愛子の行動原理が常に生徒を中心にしている事を。つまり、異世界の事情に関わらず、生徒の為に冷静な判断が出来るという事だ。そして今日の生徒達の態度から、愛子が話したのならきっと彼女の言葉は光輝達にも影響を与えるだろう、とソウゴは考えた。
その結果、彼等の行動にどの様な影響が出ようと構わない。
この情報により、光輝達が神々の意図するところとは異なる動きをすれば、それだけ神の光輝達への注意が増すだろう。ソウゴは、大迷宮を攻略する旅中で自分が酷く目立つ存在になると推測しており、最終的には神々から何らかの干渉を受ける可能性を考えている。なので、間接的に信頼のある人物から情報を伝えてもらう事で光輝達の行動を乱し、神から受ける注目を遅らせる、ないし分散させる事を意図したのである。
また、極めて期待は薄いが、もし彼等が自分と相対する存在になればという意図もある。何せ自分は『魔王』、勇者と雌雄を決する者なのだから。
尤も、これらの考えは偶然愛子に再会した事からの単なる思いつきであり、ソウゴ自身大して期待していない。ソウゴとしては、生徒達に対して殊更に思考を割く必要性も感じない。恭順を示すならば導き、叛逆を示すならば滅ぼす。ただそれだけだ。今回は、偶々面白くなりそうなので情報を開示したに過ぎない。
ソウゴからこの世界の真実を聞かされ、呆然とする愛子。どう受け止めていいか分からないようだ。情報を咀嚼し自らの考えを持つに至るには、まだ時間が掛かりそうである。
「まぁ、教えられるのはこの程度だ、私が奈落の底で知った事はな。これを知ってどうするかは貴様に任せる。戯言と切って捨てるも可、真実として行動を起こすも可。好きにしてくれ」
「と、常磐君は……もしかして、その"狂った神"をどうにかしようと……旅を?」
「ハッ、まさか。私がまだこの世界に留まっているのは、あくまで暇潰しに過ぎん。立ち塞がるなら倒すが、こちらから態々探すつもりは無い。面倒になれば勝手に自分の世界に戻るさ。私に従うならば守ってやるが、この世界はまだ私の国ではないからな。教えたのは、その方が私にとって面白そうだからに過ぎん。理由はそれだけだ」
もしやと思ってした質問を鼻で笑われた愛子は何とも微妙な表情だ。躊躇いなく他者を切り捨てる発言には教師として眉を顰めざるを得ない。尤も、自分もこの世界の事情より生徒達を優先しているので人の事は言えず、結果愛子はソウゴの発言の中で気になった事もあり、微妙な表情で話題を逸らす事になった。
「あの、さっきから思うんですけど、先生にその言葉遣いは……」
愛子が苦言を呈そうとすると、ソウゴは「見せた方が早いか」と自身のステータスプレートを見せた。技能欄を隠した状態ではあるが、それでも尚驚くのは当然と言えよう。
「この天職……それに、年齢が……」
「あぁ。見た目こそこんなだが、実のところかなりの年寄だ。後は、こっちが私の素だ」
開いた口が塞がらない愛子に、ソウゴは続ける。
「それとな。私はこの世界の出身ではないが、貴様等から見ても異世界人だぞ?」
「そ、そんな……。じゃ、じゃあ、元から世界を渡る術が? そこまでして何故……」
そう訊かれ、ソウゴは愛子から読み取った記憶を基に話を合わせる。
「学生時代を懐かしんだ、老いぼれの退屈凌ぎだとでも思ってくれ。それでも生徒になった以上、貴様の教え子ではあるがな。……その顔だと、まだ訊きたい事がありそうだな? この際だ、一応聞いてやろう」
ソウゴが促せば、愛子は慌てて次の質問に入る。
「では……、戻る方法に心当たりが? 先程の言葉からすると、何か手掛かりがあるのではないですか?」
ソウゴが元から世界を渡る手段を持っていたと知った愛子は、彼がこの世界にいるのはその手段を失ったのだと思った。だがそうすると、先程の「まだ留まっている」や「面倒になれば戻る」という発言が引っ掛かる。すると、その疑問を晴らす様にソウゴはスッと手を挙げる。すると背後に『時の抜け穴』が出現する。
あんぐりと口を開けてまたも驚く愛子に、ソウゴは淡々と伝える。
「手掛かりもなにも、私は元から自由に出入り出来るが?」
そう言った途端、愛子はソウゴの腕を掴んで詰め寄った。
「な、なら……!」
「自分達も戻せ、というなら無理な相談だな。自国の民でもない貴様等に私の力を使う程、私はお人好しではないんだ」
ソウゴの言葉に、愛子は力無くソウゴの腕を離す。『時の抜け穴』を閉じ、ソウゴは続ける。
「それと下手な希望を持たせない為に言っておくが、これは私が元々有していた力だ。この世界で得たものではない」
「そんな……」
「一応ヒントが無いでもないがな。大迷宮が鍵だ、興味があるなら探索したらいい。オルクスの百階を超えれば、そこからが本当の大迷宮だ。尤も、今日の様子を見る限り行っても魔物の餌になるがな」
暫く、沈黙が続く。静寂が部屋に満ちた。ソウゴは愛子の様子から与えるべき情報を確かに与えられたと悟り、もう用は無いと踵を返して扉へと手をかけた。その背中に、【オルクス大迷宮】という言葉で思い出したとある生徒の事を伝えようと愛子が話しかけた。
「白崎さんは諦めていませんでしたよ」
「む?」
愛子から掛けられた予想外の言葉にソウゴの歩みが止まる。愛子は、背中を向けたままのソウゴにそっと語りかけた。
「皆が貴方は死んだと言っても、彼女だけは諦めていませんでした。自分の目で確認するまで、貴方の生存を信じると。今も、【オルクス大迷宮】で戦っています。天之河君達は純粋に実戦訓練として潜っている様ですが、彼女だけは貴方を探す事が目的の様です」
「ほぅ、彼女は無事か?」
それで少し興味が湧いたのか、ソウゴは愛子に尋ねる。自分達に無関心な態度をとっていたソウゴの変化に、愛子はソウゴの興味を惹く機会を得たと言葉を続ける。
「は、はい。【オルクス大迷宮】は危険な場所ではありますが、順調に実力を伸ばして、攻略を進めているようです。時々届く手紙にはそうありますよ。やっぱり気になりますか? 常磐さんと白崎さんは仲がよかったですもんね」
にこやかに語る愛子に、しかしソウゴは否定も肯定もせず振り返った。
「……確か勇者と共に動いているんだったか。では勇者もその辺りという事か?」
「は、はい。そうですが……え、えっと……その表情は?」
ソウゴの問いを愛子が肯定した瞬間、ソウゴの表情が変化したのを愛子は見逃さなかった。その表情に見えるのは落胆、或いは呆れだろうか。
「いや……、元より期待はしてなかったが、思った以上に程度が低くてな。仮にも勇者を名乗るなら、せめて既に奈落の二十層辺りには到達してもらいたかったものだが……いや、抑々オルクス程度を危険だと思っている時点でたかが知れているか?」
そこまで言って、「まあそれはいい」とソウゴは思考を切り替える。それからある事を愛子に伝える。
「手紙のやり取りがあるなら伝えておくといい。メルドにも言ってあるが、彼女が本当に注意すべきは迷宮の魔物ではなく仲間の方だと」
「え? それはどういう……」
「あー、この際面倒だから呼び捨てにさせて貰うぞ。愛子、今日の生徒達の態度から大体の事情は察した。私が奈落に落ちた原因はベヒモスとの戦闘、または事故という事にでもなっているんじゃないか?」
「そ、それは……はい。一部の魔法が制御を離れて誤爆したと……」
「違う、あれは明確に私を狙って誘導された術だった」
「え? 誘導? 狙って?」
訳が分からないといった表情の愛子。だがソウゴは、容赦なく愛子を更なる悩みに突き落とす言葉を残す。
「私は…確か檜山大介だったか、奴に狙われたという事だ」
「ッ!?」
「まぁ、私も奴の思惑に乗って態と受けたのだから、一概に奴だけが悪いとも言えんがな」
顔面を蒼白して硬直する愛子に、「原因は白崎香織との関係だろう。嫉妬で人一人殺す様な奴だ、まだ無事なら彼女に後ろから襲われない様忠告しておくといい」と言い残し、ソウゴは部屋を出ていった。
シンとする部屋に冷気が吹き込んだ様に錯覚し、愛子は両腕で自らの体を抱きしめた。大切な生徒が仲間を殺そうとしたかもしれない。それも、死の瀬戸際で背中を狙うという卑劣な手段で。生徒が何より大切な愛子には、受け入れ難い話だ。だが否定すれば、ソウゴの言葉も理由無く否定する事になる。生徒を信じたい心がせめぎ合う。
愛子の悩みは深くなり、普段に増して眠れぬ夜を過ごした。
今回の豆知識
その一
スタンド名【オーヴァー・クォーツァー】
能力者:常磐ソウゴ
パワータイプの人型スタンド。過去・現在・未来を視る三つの顔と六つの腕を持つ。
本来はもう一つ、別次元を視る四つ目の顔がある。しかしその顔はある事情により本体から切り離して動いている。
GERやスパイス・ガールの様に自我を持っている訳ではないが、キング・クリムゾンやホワイトスネイクの様にスタンド経由で会話が可能。
その二
実は逢魔国にもソウゴを神聖視する『オーマ教』という宗教集団がおり、ソウゴ本人に「他所に迷惑をかけない範囲で好きにしろ」と言われている。
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