「ひっ」
緑光石の明かりがほんのりと道を照らす薄暗い坑道の様な場所──【オルクス大迷宮】の一角に、そんな怯えを含んだ小さな悲鳴が響いた。
「? どうしたの雫ちゃん?」
悲鳴の主──勇者パーティの一人である雫の突然のらしからぬ様子に、隣を歩いていた香織は、こてんと首を傾げて尋ねる。
「え、えっと……いえ、何でもないわ。あれよ、ちょっと天井から水滴がね、首筋に落ちてきたのよ、うん」
「そうなんだ。ふふ」
視線を逸らして、小さな悲鳴の原因を告げる雫。香織は、そんな雫の様子が水滴くらいで驚いて悲鳴を上げてしまった事への羞恥から来るものだと思い、微笑ましそうにクスリと笑う。
何時魔物が襲ってくるか分からない薄暗いダンジョンの中で、しかも現在いる場所が前人未踏の階層である事を考えれば、首筋へのヒヤリとした突然の感覚に驚いたとしても何ら不思議ではない。それでもそんな自分を恥じて視線を逸らす親友の姿が、とても可愛らしく見えたのだ。
……という事を思っているのだろうと雫は予想しつつ、チラリと香織へ視線を戻した。そこには周囲を警戒しつつも、すっかり普段通りの雰囲気を纏う香織の姿がある。
(……やっぱり気のせいなのかしら? いやでも、最近割と頻発してるし……香織がどうこうというより、単純に私が疲れてるだけなのかしら? いやでも……)
内心で雫はう~んと唸る。
雫が突然悲鳴を上げた原因。それは断じて首筋への水滴などでは無かった。それ位で平静を乱す様なら、前人未踏の階層で勇者パーティの切り込み隊長など出来はしない。
では、何が原因だったのかというと……
「ひゃっ」
「雫ちゃん?」
「雫?」
「シズシズ?」
再び、今度はさっきよりも大きく上がった雫の悲鳴に、香織だけでなく光輝や鈴までもが雫の名を呼ぶ。他にも龍太郎や、鈴の親友の恵里、永山重吾率いる野村健太郎、辻綾子、吉野真央、遠藤浩介のパーティ、檜山大介率いる斎藤良樹、近藤礼一、中野信治のパーティの面々が立ち止まって雫へと視線を向けている。
訝し気な彼等を前に、動揺した雫は自分が目撃したものをつい口走ってしまった。
「は、般若がっ! そ、そこに般若、いえ般若さんがっ!」
何故か言い直して般若に"さん"をつける雫に、光輝達は益々訝しそうな表情になりつつも、其々のアーティファクトを手にバッと身を翻して周囲へ警戒の視線を巡らせた。
「雫……何処だ? その般若っぽいていう魔物は」
光輝が油断無く、薄く純白の光を纏う聖剣を構えながら静かに尋ねる。周囲に目を配っても、技能である"気配感知"を使っても、近くに魔物の気配は感じられない。まさか、自分の"気配感知"にも掛からない程隠密に長けた魔物なのかと光輝のこめかみに一筋の冷や汗が流れた。
だが、光輝の緊張感を他所に、雫は何とも微妙な表情をしつつ香織へ視線を向ける。
「……えっと、香織の後ろに見えたのだけれど……」
「えっ私!? 嘘、どこなの!? 何かいるの!?」
雫の言葉に動揺する香織。まるで自分の尾を追ってくるくると回り続ける犬の様に、背後を気にしながらその場をくるくると回る。ゆったりとした法衣の様な彼女の戦闘服が動きに合わせてヒラヒラと舞い、まるでダンスでもしている様だ。
そんな香織のほっこりする様な言動と雫の申し訳なさそうな表情に、光輝達の身体から緊張感が抜けていく。
「ごめんなさい、見間違えたみたいだわ」
「まぁそういう事もあるさ、気にする必要無いよ雫。気のせいかもって見逃すよりずっといい。メルドさん達も口を酸っぱくして言ってたじゃないか」
雫の肩をぽんっと叩き励ます光輝に、他のメンバーもウンウンと頷いた。
この七十台も後半の階層──第七十八階層を探索する光輝達の傍に【ハイリヒ王国】の騎士団長、皆の頼れる兄貴分メルド・ロギンスの姿は無い。メルド率いる王国騎士の最精鋭達は、七十階層で待機中だ。存在しないと思われていた大迷宮内のショートカットである転移陣が七十階層と三十階層で発見され、メルド達は七十階層側の転移陣の警護に当たっているのである。
彼等は確かに王国の最精鋭ではあるし、光輝達と大迷宮の未踏破区域を進む中でその実力を更に伸ばしていったのだが、流石に七十階層の後半ともなれば付いていけなくなった為、退路の確保に就いているのである。
遂に騎士達の庇護を離れ自分達だけで大迷宮に挑む事になった光輝達に、メルドはそれはもう「お前は母親か」というツッコミが入る程大迷宮でのノウハウを繰り返し言い聞かせた。
最終的には「ハンカチは持ったか? 拾い食いはするなよ? 変なモン食べたらすぐにペッしろよ?」と、大迷宮とは無関係な注意をし始め、更には「そんな装備で大丈夫か?」などと言い出す始末。聖剣を始め、最高位のアーティファクトを指して"そんな装備"呼ばわりするメルドの心配は止まる事を知らなかった。「王国から譲り受けた至宝でしょうが!?」と光輝達がツッコミを入れたのは言うまでもない。
結局、雫の見間違いという事で落ち着いた光輝達は、
「雫でもテンパる事があるんだなぁ」
「般若に"さん"つけて慌てるシズシズ……ご馳走様でした」
「鈴、そのうぇっへっへっへっていう笑い方止めようよ……」
等と言いながら探索を再開した。先頭を歩く光輝に続きながら、雫は傍らの香織をチラチラと見やる。
「ね、ねぇ、香織」
「何? 雫ちゃん」
「その、大丈夫?」
「?」
雫の質問の意図が直ぐには分らなかった香織は、キョトンとした表情を晒す。しかし一拍して何か思い当たった様で、サッと顔色を蒼褪めさせ動揺を露わにした声音で逆に雫へ尋ねる。
「し、雫ちゃん……もしかして、まだ私の後ろに何か見えるの? 雫ちゃん、何時から見る人になったの!? 私、何か悪いものに憑りつかれてるの!?」
「ち、違うわよ! 別に何も無いから!」
「ほ、本当だよね?」
未だ後ろをチラチラと振り返っては何かよからぬものがいないか確認する香織。シャワー等を浴びている時、不意に背後に気配を感じて振り返るが当然誰もおらず、しかし一度気になりだすともう止まらないあの心理状態である。幽霊等ホラー系が心底苦手な香織であるから、尚更親友が目撃したという"般若さん"が気になるのだ。
とその時、何度目かの“後ろをチラッ”を行った香織の視界の隅に、ゆらりと揺れる黒い影が映った!
「いやぁあああああっ! 般若さん出たぁあああっ!」
「えっ、ちょっ、へぶらぁあっ!」
思わず大迷宮にあるまじき悲鳴を上げながら目を瞑るという危険行為をしつつ、手に持っているアーティファクトの杖をフルスイングする香織。直後響いたのは、ドグゥッ! という何かを殴りつけた様なくぐもった音と、男子生徒の悲鳴。
「浩介ぇっ!」
「そんな所にいたのかっ!?」
「遠藤くんが飛んだっ!」
「なんて綺麗な放物線!」
そう。香織に"般若さん"と見間違えられて杖によるフルスイングを受けたのは永山パーティ一、否、或いは世界で一番影の薄い男として矛盾に満ちた称賛を受ける──遠藤浩介だった。なにせこの異世界トータスに来る前から、コンビニの自動ドアすら見逃してしまう影の薄さを誇っていた。
そんな彼の天職は"暗殺者"。
長年の友人である重吾や健太郎をして、すぐ隣にいても「あれ、浩介どこ行った?」「トイレか?」「……さっきから、ここにいるよ」というやり取りをほぼ毎日してきたのだ。召喚される前から最早超能力の域に踏み込んでいそうな影の薄さは、トータスに来てから更に磨きがかかった。
そう……ずっと雫や香織の後ろを歩いていて、何度も振り返る香織の視界の中にいながら一切気付いてもらえない程に……。
自分を素通りしつつも不安そうにちょっと涙目になりながら、チラチラと振り返る香織の表情は破壊力抜群だった。そろそろ眼前に晒される香織の表情に心拍数がヤバい! と感じた浩介は、場所を変えようとしたのだが……結果は言わずもがな。破壊力は抜群だった!
「え? 遠藤くん!? わわっ、ごめんなさい!」
重吾達の声で、"般若さん"の正体見たり、遠藤くん! と理解した香織は、頬を真っ赤に腫らしながらまるで暴漢に襲われた女子の様に足を揃えて崩れ落ちている浩介に、魔術による癒しの光を掛けた。何処か遠い目をしながら、淡い白菫色の光に包まれる浩介。実に、哀れさを感じさせる姿だった。
ペコペコと何度も頭を下げる香織と、「そろそろ檜山達の目が怖いから、もういいよ。……それにこういうの、慣れてるし」と更に哀れを誘う様な事を言いつつ、重吾達に慰められる浩介。攻略組随一の斥候役が、あんまりと言えばあんまりな不慮の事故によりリタイアする心配も晴れて、一行は先へと進み始める。
「香織、ごめんなさいね。怖がらせて」
「ううん、私が過剰だっただけだよ。気にしないで」
騒動の原因が元を糺せば自分にあると謝罪を口にした雫は香織の許しを得てホッとしつつも、どうしても自分がここ最近何度も目撃しているものの事が気になって、先の質問を今度は言葉を変えて繰り返した。
「それで香織、最近変わった事は無い? ほら、時々なんというか、思い詰めた……という感じではないけれど、何か心ここに在らずというか、どこか遠くを睨んでいるというか……そういう事、よくあるじゃない?」
「ええ? 私そんな感じだった? 自分ではそんな意識、全然無いんだけど……」
「そう……」
やっぱり気のせいだったかしらん? と首を傾げつつ、香織が特に思い当たらないというのなら問題は無いのだろうと雫は自分に言い聞かせる様に納得しようとした。だがその寸前、香織が何か思い当たった様に手をポンッと叩く。
「あ。でも時々、変な感じはするかな?」
「変な感じ?」
「うん、うまく表現出来ないんだけど……」
可愛らしく「う~ん」と首を傾げながら視線を彷徨わせる香織は……直後、スッと表情を消した。何の感情も浮かんでいない無機質極まりない……そう、まるで能面の様な表情! そして、
「どこかの泥棒猫に、大切なものを取られちゃった……みたいな?」
「か、香織? いえ香織さん?」
「ふふふ、おかしいね? ふふふ……」
「香織ぃ! 私が悪かったわ! 二度と変な事訊かないから、こっちの世界に戻ってきなさぁーーい!」
おかしいねと言いながら、そして「ふふふ」と笑い声を漏らしていながら、しかし表情は相変わらずの能面。雫が「これアカンやつや!」と動揺のあまり、内心で下手な関西弁になりつつ香織に制止と現実への帰還の言葉を掛ける。
何でこんな事にと思うが、まさか今この瞬間、遠くで某魔王がとある吸血姫にじゃれつかれている事が原因である事に思い至る筈も無く、ただ親友の頬をペチペチしながら正気に戻すしかない。
「ねぇ雫ちゃん、何で私の頬をペチペチするの? やめてよぉ」
「戻ってきたのね香織! うぅ、よかったよぉ……」
ごく自然に香織はいつもの雰囲気に戻り、そんな香織を見て雫は安堵の息を吐いた。原因は分からないが、どうやら親友は遠くで起きている何か不愉快な出来事を、これまた何故そんな事が出来るのかわからないが察知してプチ暗黒面に片足を突っ込むという事を繰り返しているらしい。
ここは異世界。魔法があり、魔物もいて、おまけに神なんて超常の存在もいる。ならばそんな摩訶不思議な事があっても、きっとおかしくはない……筈。と、半ば強引に自らを納得させ、原因が分からないなら分からないなりに香織がブラックカオリになる前にこちら側に連れ戻せばいいとキョトンとしている香織を見つめながら、雫は決意をするのだった。
雫が微妙な決意をしていると、先頭を行く光輝が不意に立ち止まった。
「皆、警戒してくれ。この先に何かいる。"気配感知"に掛かった、反応は一つだ」
「先行して確認してこようか?」
「魔物が一体だけだろう? 遠藤が確認するまでもねぇ、速攻で袋叩きにしてやりゃいいじゃねぇか」
通常、魔物に見つかるより先にその存在を感知した場合は、浩介が先行して隠密技能を駆使しながら敵戦力の程度を測る。なので浩介は一歩前に出ながら提案したのだが、それを龍太郎が拳を打ち鳴らしながら否定した。
確かに、これまでも魔物の数が少ない場合は浩介が確認するまでもなく戦闘に入った事は何度もある。なので光輝は、龍太郎の意見を採用してそのまま全員で進む事にした。
やがて、薄暗い通路の先に見えてきたのは……
「え……人?」
光輝の愕然とした呟きに、他のメンバーも目を丸くして前方を見やる。その視線の先には、確かに人らしきものがいた。尤も、壁に体の半分以上を埋め込まれているという捕捉が付くが。髪が長く項垂れている為、表情どころか生死の確認も出来ないが、華奢な体つきから女性の様に見えた。
「た、大変だ! 早く助けないと!」
「ちょっと待ちなさい、光輝!」
もしや上層で魔物に攫われたか、或いはトラップに掛かった冒険者が捕らわれているのではと考えた光輝が、慌てた様に駆けていく。それを制止する雫だったが、光輝の高スペックは既に自身を目的地へ運んでいた。
光輝が「君っ、大丈夫か!?」と声を掛けながら手を伸ばす。
その瞬間、光輝の足がずぶりと地面に沈んだ。どうにかバランスを取って転倒だけは回避した光輝だったが、慌てて視線を足元にやれば、いつの間にかそこは硬い地面ではなくぬかるんだ泥沼の様になっていて、光輝の両足を踝まで沈めて捕らえている光景があった。そしてその直後、光輝の周囲の泥が一気にせり上がると、一瞬で人型に変形する。
泥で出来た人型の人形──クレイゴーレムだ。
そのクレイゴーレム達は、これまた一瞬で両腕を鋭い鎌に変形させると、泥から抜け出そうと藻掻く光輝へ振りかぶった。
呻きながらも光輝は聖剣に光を纏わせ、全周囲を斬り払おうとする。右手による左薙ぎから、背中側で左手に持ち替えてそのまま右薙ぎに移行する──八重樫流刀術の一つ"水月"という技だ。がしかし、八重樫流の門下生として何度も練習したその技は、光輝自らの手によって不発に終わってしまった。
「っ! し、雫!?」
そう。斬り払おうとした相手が、雫の顔をしていたから。正確には、クレイゴーレムの顔がグニャリと変形すると一瞬で雫の顔になったのだ。勿論身体はクレイゴーレムのままであるから、それが雫でない事は一目瞭然だ。しかし、大切な幼馴染の顔が目の前にいきなり現れたのだ、思わず動揺してしまうのは仕方がない事かもしれない。
尤も、当然の結果としてその代償は高く付くかと思われた。が、
「疾っ」
「──"縛煌鎖"!」
光輝を取り囲んでいたクレイゴーレムの右半分が斬撃の軌跡と共に斬り裂かれて霧散し、更に左半分が白菫色に輝く無数の鎖に全身を絡め取られて動きを封じられる。クレイゴーレムは直ぐに体を泥化させて拘束を抜け出すが、次の瞬間には宙に描かれた真円の軌跡に両断されて崩れ落ちた。納刀状態から回転しながら抜刀し、全周囲を斬り払う──八重樫流刀術の一つ、"水月・漣"。行使者は当然雫だ。
「光輝、無事?」
「大丈夫だ。すまない、助かった」
香織の"縛煌鎖"に掴まって泥沼から抜け出しつつ、光輝が礼を言う。その時には既にあちこちからクレイゴーレムが湧き出し、光輝のみならず永山パーティや檜山パーティも取り囲んで、両腕の変幻自在な鎌により死に誘おうとしていた。
「くそっ、こいつらキリがねぇぞ! どうやったら倒せんだ!?」
「倒しても、直ぐに復活しちゃうよ!」
龍太郎が正拳突きでクレイゴーレムを吹き飛ばすが、直ぐに泥が集まって復活してしまう。それは他のメンバーの戦闘でも同じだった。
光輝が駆け回りながらクレイゴーレムを倒しつつ、どうすればと状況の打開方法を考える。すると、視界の端に雫が駆け寄って来るのが見えた。今度は見間違いない、確かに体の方も雫の恰好をしている。光輝は聡明な彼女の知恵を借りようと、湧き上がってくるクレイゴーレムを倒しながら自らも雫の下へ行こうとする。
だが、同時に気付いた。寄って来る雫の背後──光輝が捕らわれた人間だと思った壁の女が……いない、という事に。ゾワリと背筋が粟立った。奴はどこに? と雫から視線を外して周囲を警戒する。
「雫、注意しろ! 壁に埋まってた奴がいない! どこかに潜んで──」
「馬鹿っ、目の前にいるでしょう!?」
警告を飛ばす光輝が、思いっきり鎧の首元を引かれて「ぐえっ」と声を漏らしながら後方へ倒れ込む。と同時に、光輝の顔面をふわりと風が撫でた。咳き込みつつ光輝が視線を上げれば、そこには顔も体も雫のままなのに、右腕だけがそのまま伸長して剣になった雫の姿があった。はらりと舞うのは光輝の前髪数本。間一髪、首ちょんぱは回避出来たらしい。
「どうやらあれが親玉みたいね。他のと違って、体や恰好まで擬態できるみたい」
光輝の背後から冷静な声が響く。そこには、右腕以外は眼前の雫と全く同じ雫の姿があった。どうやら雫の言う通り、壁の女がクレイゴーレムのボスだったらしい。
クレイゴーレムのボスは左腕も剣に変えると、次の瞬間凄まじい勢いで攻撃を仕掛けてきた。
「そう何度も、いい様にやられてたまるかっ!」
両腕の剣が鞭の様に不規則な軌道を描いて飛来する。それを光輝は聖剣で弾き、或いは逸らして防ぐ。そして一気に踏み込もうとするが、寸前でボスの周囲から大量の泥の鎌が出現し一斉に襲い掛かってきた。半球状に光輝を取り囲む様にして振るわれる無数の大鎌。それも、斬り払っても斬り払っても次々と再生しては間断無く襲ってくる。
一応泥で構成されているので、一瞬の攻撃力とは裏腹に耐久力は皆無に等しい。その為左程力を込めなくても取り合えず当てさえすれば相手の攻撃を防ぐ事は出来る。ただ、周囲が全て泥なので手数だけは尋常ではない。それ故に光輝はボスの攻撃を防ぐので精一杯だ。他のメンバーも、次々と現れるクレイゴーレムの群れにやられはしないだろうが四苦八苦している。
光輝が"限界突破"を使用して纏めて吹き飛ばすという選択肢を頭の片隅に入れ始めたその時、ボスの背後に躍り出る人影を見た。光輝の口元が思わずニヤリとなる。
(流石雫! 頼んだ!)
(承知よ)
視線で会話しつつ、光輝が防戦している間に自慢の速度でボスの背後に回り込んだのは雫だ。ボスを防衛しようとするクレイゴーレム数体を纏めて斬り払うと、トレードマークのポニーテールを靡かせながら一瞬で納刀し、震脚の如き踏み込みでボスへと迫る。
刹那、ボスが変化した。──香織の姿に。
「っ!」
息を吞み、目を見開く雫。目の前にいるのは魔物だ。分かっている、頭では。だが、心まで一瞬で納得出来る程には雫とて成熟していない。普通なら、心が体を止めてしまうだろう。親友の顔を両断するなど……
「っぁあああああ!!」
裂帛の気合、或いは絶叫。己の上げたそれで、躊躇う心を捻じ伏せる。放たれるのは抜刀術による高速の逆風──八重樫流刀術の一つ、"登龍"。本来はそこから跳躍し空中回し蹴りと鞘による横薙ぎの二連撃が待っている技だが、今回は必要無かった。
文字通り、滝を登る龍が水流を真っ二つにするが如くボスを綺麗に両断した雫の斬撃は、そのままボスの内にあった魔石をも切り裂いたのだ。ドロドロと形を崩すボスの泥の上にポトリと落ちる魔石と共に、周囲のクレイゴーレム達も形を崩していく。
「やったな雫!」
光輝が喜色を浮かべて駆け寄って来る。それに対し雫は、ニッコリと笑顔を浮かべて「やったわね」と返した。そして光輝が同じ様に駆け寄って来る龍太郎達へ振り返り歩み寄って行くと、雫はそっと自分の掌を見つめた。そこには少しだけ、クレイゴーレムの泥がこびり付いている。雫はそれにぎゅっと眉を寄せ、少し乱暴に拭った。泥が落ち、綺麗になった自分の手。しかし雫の表情は……
「雫っ!」
「え?」
自分の手を見つめてぼうっとしていた雫に、光輝の突然の怒声。呆けた声を上げつつも、本能が鳴らす警鐘が背後に迫る死を告げる。肩越しに振り返った雫の視線の先──そこには、天井から糸を垂らし宙に浮かぶ大蜘蛛の姿があった。八つの赤黒い目が雫を捉え、毒々しい液体が滴る鋭い爪のついた足が今にも突き出さんと構えられている。
「あっ」と声を出したのは誰か。ほんの少し警戒を緩めてしまった代償は、あまりに高い。それが、それこそが大迷宮。死が隣人となってにこやかに挨拶をする。今生との別れの挨拶を。ここはそういう場所なのだ。
「──"縛光刃"」
尤も、今回ばかりは大迷宮の隣人も振られてしまった様だ。突き出された八本の毒爪が雫に到達する前に白菫色に輝く十字架が大蜘蛛を貫いて突き飛ばし、そのまま壁に縫い付けられてしまった。殺傷能力の無い捕縛系統の魔術であるから、大蜘蛛には大したダメージは無い。それでも壁に叩きつけられた衝撃で、多少は怯ませる事が出来た様だ。
間一髪、雫を救ったのは親友の魔術。同じ様に雫を障壁で守ろうとしていたらしい鈴が、「カ、カオリン、速すぎ……」と唖然とした様な表情で目を見開いている。
「香織……ありがとう、お陰で命拾い──」
雫が香織に礼の言葉を掛けるが、それを言い終える前に香織はスタスタと歩き出した。加えて、何故か脳内に「触らぬ神に祟りなし~」という声が響き、雫は言葉を止めてしまう。光輝達も、何となく香織の雰囲気に気圧されている様だ。
その香織は、壁に磔にされながらワシャワシャと動く大蜘蛛の前で立ち止まると、錫杖を掲げて光の鎖──"縛煌鎖"を呼び出した。それも夥しい数を。ジャラジャラと音を立てて地面から壁から天井から伸びてくる鎖の群れは、そのまま大蜘蛛に絡みつくと壁から引き剥がし、空中で幾重にも巻き付いて球体を形作っていく。
「あ、あの……香織?」
無言で作業を進める香織の背に雫が死にかけた恐怖も忘れて、何故か肌にぷつぷつと鳥肌を浮かべながら声をかける。
すると今度は香織も反応し、ベキッゴキュッバキッと中の大蜘蛛に生々しい音を奏でさせながら少しずつ縮小していく鎖の球体から視線を外して、ゆっく~りと振り返った。
──背後に、ゆらりと揺らめく鬼面を被った白装束の幻影を出現させながら。
「「「「「般若さんっ!?」」」」」
ここに、雫が幻覚を見ていた訳ではない事が証明された。光輝達が「ひいっ」と悲鳴を上げながら後退る。
「か、香織? いえ香織さん? その、あのね、後ろに──」
「ふふっ、おかしいね雫ちゃん。どうしていきなり“さん”付けなの? ふふふ、おかしいね。不意に……泥棒猫どころか泥棒兎にすらポジションを取られた様な気分になっちゃうくらいおかしいね?」
おかしいのは今の香織だ……とはとても言えない。だって背後の般若さんが、何処からか取り出した大太刀で肩をトントンし始めたから。親友は一体、どんな電波を受信しているのか。
まさかこの時、とある某魔王が残念兎の頭を撫でているとは知る由もない雫は、若干壊れ気味な親友の有様に、一人頭を抱えるのだった。
その後、また唐突にいつもの調子に戻った香織により大蜘蛛も完全に倒され、一行は先へ進んだ。
その後の道中、やっぱり不意に何かを受信して般若さんを出現させる香織を諫めたり、そんな香織を見て様々な意味で暴走しそうな勇者を諫めたり、やたらと吶喊しようとする脳筋にジャーマンスープレックスをかましたり、般若さんのご機嫌を取ったり、隙あらばセクハラ発言を量産するちっこい結界師にアイアンクローを決めたり、檜山パーティの自信過剰や楽観視を注意したり、般若さんにお帰り願ったり……
「私、禿げるかもしれない……」
【オルクス大迷宮】──魔物蔓延る死と隣り合わせのダンジョンに、そんな己の毛根を心配するうら若き乙女剣士の苦労の滲んだ小さな呟きが響いた。
クラス一苦労性な彼女の毛根を救う者は現れるのか……それは神のみぞ知る、先の話である。
主とその一行を乗せたドラゴンとキマイラが、行きよりもなお速い速度で帰り道を爆翔する。速度を優先した為に、乗り慣れていないソウゴ以外のメンバーに間断無い衝撃を、特に騎手不在のキマイラに乗った生徒達にはミキサーの如きシェイクを与えていた。
「と、常磐~! もうっ、ちょっとぉ! 何とかならないのかぁ!?」
「ふ、振り落とされるぅううう!」
「昇ぅ! 今助けっあべっ──舌がっ、俺の舌がぁ!」
淳史が急造で拵えられた座席にヤモリの様に張り付きながら叫び、昇が座席から半分以上体を投げ出され、それを助けようとして明人が舌に破滅的打撃を負ってのたうち回る。
と、その時。【ウルの町】と【北の山脈地帯】の丁度中間辺りの場所で完全武装した護衛隊の騎士達が猛然と馬を走らせている姿を発見した。ソウゴの目には、先頭を鬼の形相で突っ走るデビッドやその横を焦燥感の隠せていない表情で併走するチェイスの表情がはっきりと見えていた。
暫く走り、彼等も前方から爆走してくる二体の機獣を発見したのか俄に騒がしくなる。彼等から見ればどう見ても未知の魔物にしか見えないだろうから当然だろう。武器を取り出し、隊列が横隊へと組み変わる。対応の速さは、流石超重要人物の護衛隊と賞賛できる鮮やかさだった。
別に攻撃されたところで、ソウゴとしては突っ切ればいいので問題無かったが、愛子はそんな風に思える訳も無く、先程から借りてきた猫の様に大人しくしているティオや青い顔でキマイラの座席にしがみつく淳史達が攻撃に晒されたら一大事だと、自分が転げ落ちない様に掴まり立ちながら必死に両手を振り、大声を出してデビッドに自分の存在を主張する。
愈々以て魔術を発動しようとしていたデビッドは、高速で向かってくる銀の機竜の上からニョッキリ生えている人らしきものに目を細めた。
普通ならそれでも問答無用で先制攻撃を仕掛けるところだが、デビッドの中の何かがみょんみょんと働きストップをかける。言うなれば、高感度愛子センサーとも言うべき愛子専用の第六感だ。
手を水平に伸ばし、攻撃中断の合図を部下達に送る。怪訝そうな部下達だったが、やがて近づいてきたドラゴンの上部から生えている人型から聞き覚えのある声が響いてきて目を丸くする。デビッドは既に、信じられないという表情で「愛子?」と呟いている。
一瞬「まさか愛子の下半身が魔物に食われているのでは!?」と顔を蒼褪めさせるデビッド達だったが、当の愛子が元気に手をブンブンと振り「デビッドさーん、私ですー! 攻撃しないでくださーい!」張りのある声が聞こえてくると、どうも危惧していた事態では無い様だと悟り、ドラゴンとキマイラには疑問を覚えるものの愛しい人との再会に喜びを露わにした。
シチュエーションに酔っているのか恍惚とした表情で「さぁ! 飛び込んでおいで!」とでも言う様に、両手を大きく広げている。隣ではチェイス達も「自分の胸に!」と両手を広げていた。
騎士達が恍惚とした表情で両手を広げて待ち構えている姿に、ソウゴは嫌そうな顔をする。なので、愛子としては当然デビッド達の手前でソウゴが止まってくれるものと思っていたのだが……
「ドラゴン、撃っていいぞ」
ソウゴはドラゴンに命令し、デビッド達に向けて炎を吐かせた。
距離的に明らかに減速が必要な距離で、減速しないどころか攻撃してきたドラゴンに騎士達がギョッとし、慌てて進路上から退避する。
ウィザードラゴンは、笑顔で手を広げるデビッド達を問答無用で吹き飛ばした。愛子の「なんでぇ~」という悲鳴じみた声がドップラーしながら後方へと流れていき、デビッド達は続けてビーストキマイラに正面衝突される。そして次の瞬間には「愛子ぉ~!」と、まるで恋人と無理やり引き裂かれたかの様な悲鳴を上げて、より高く空中へと跳ね飛ばされたのだった。
「常磐さん! どうして、あんな危ない事を!」
愛子がプンスカと怒りながら座り込み、ソウゴに猛然と抗議した。
「止まる理由があるまい。止まれば当然の様に事情説明を求められる。そんな時間があるのか? どうせ町で事情説明するのだから二度手間になるだろう?」
「うっ、た、確かにそうです……」
若干納得いってなさそうだが、確かに勝手に抜け出てきた事やソウゴのアレコレも含めれば多大な時間が浪費されるのは目に見えているので口を噤む愛子。ソウゴの隣の座席に返り咲いていたユエが、ソウゴの耳元に顔を寄せそっと聞いた。
「……本音は?」
「笑顔の騎士達が気持ち悪かった」
「……ん、同感」
【ウルの町】に着くと、悠然と歩くソウゴ達とは異なり愛子達は足をもつれさせる勢いで町長のいる場所へ駆けていった。ソウゴとしては、愛子達とここで別れてさっさとウィルを連れてフューレンに行ってしまおうと考えていたのだが、寧ろ愛子達より先にウィルが飛び出していってしまった為仕方なく後を追いかけた。
町の中は活気に満ちている。料理が多彩で豊富、近くには湖もある町だ。自然と人も集う。まさか一日後には、魔物の大群に蹂躙されるなどは夢にも思わないだろう。ソウゴ達はそんな町中を見ながら、屋台の串焼きやら何やらに舌鼓を打ちながら町の役場へと向かった。
ソウゴ達が漸く町の役場に到着した頃には、既に場は騒然としていた。
【ウルの町】のギルド支部長や町の幹部、教会の司祭達が集まっており、喧々囂々たる有様である。皆一様に信じられない、信じたくないといった様相で、その原因たる情報を齎した愛子達やウィルに掴みかからんばかりの勢いで問い詰めている。
普通なら「明日にも町は滅びます」と言われても狂人の戯言と切って捨てられるのがオチだろうが、今回ばかりはそうそう無視など出来ない。何せ"神の使徒"にして"豊穣の女神"たる愛子の言葉である。そして最近、魔人族が魔物を操るというのは公然の事実である事からも、無視などできよう筈も無かった。
因みに道中での話し合いで愛子達は、報告内容からティオの正体と黒幕が清水幸利である可能性については伏せる事で一致していた。
ティオに関しては、竜人族の存在が公になるのは好ましくないので黙っていて欲しいと本人から頼まれた為。黒幕に関しては、愛子が未だ可能性の段階に過ぎないので不用意な事を言いたくないと譲らなかった為だ。
愛子の方は兎も角、竜人族は聖教教会にとっても半ばタブー扱いである事から、混乱に拍車をかけるだけという事と、バレれば討伐隊が組まれてもおかしくないので面倒な事この上ないと秘匿が了承された。
そんな喧騒の中に、ウィルを迎えに来たソウゴがやって来る。周囲の混乱などどこ吹く風だ。
「おいウィル、勝手に突っ走るな。自分がまだ保護対象だという自覚を持て。報告が済んだなら早急にフューレンに向かうぞ」
そのソウゴの言葉にウィル他、愛子達も驚いた様にソウゴを見た。他の重鎮達は「誰だこいつ?」と、危急の話し合いに横槍を入れたソウゴに不愉快そうな眼差しを向けた。
「な、何を言っているのですか? ソウゴ殿。今は、危急の時なのですよ? まさか、この町を見捨てて行くつもりでは……」
信じられないと言った表情でソウゴに言い募るウィルにソウゴは、鉄面皮とも言える表情で軽く冷静に返す。
「見捨てるもなにも、どの道町は放棄して救援が来るまで避難するしかないだろう? 観光の町の防備なぞたかが知れているだろうが……どうせ避難するなら、目的地がフューレンでも別にいいだろう。少々他の者より早く避難するだけの話だ」
「そ、それは……そうかもしれませんが……でも、こんな大変な時に、自分だけ先に逃げるなんて出来ません! 私にも、手伝えることが何かある筈! ソウゴ殿も……」
"ソウゴ殿も協力して下さい"。そう続けようとしたウィルの言葉は、ソウゴの冷めきった眼差しと取り付く島もない言葉に遮られた。
「再三言っているが、私の仕事は貴様をフューレンに連れ帰る事、この町の事は依頼の管轄外だ。いいか? まず第一に確保すべきは貴様の安全だ。それも理解できんようなら……死体にしてでも連れて行く」
「なっ、そ、そんな……」
ソウゴの醸し出す雰囲気から、その言葉が本気であると察したウィルが顔を蒼褪めさせて後退りする。その表情は信じられないといった様がありありと浮かんでいた。
ウィルにとって、ゲイル達ベテラン冒険者を苦も無く全滅させたティオすら圧倒したソウゴは、ちょっとしたヒーローの様に見えていた。なので、容赦の無い性格であっても町の人々の危急とあれば、何だかんだで手助けをしてくれるものと無条件に信じていたのだ。なので、ソウゴから投げつけられた冷たい言葉に、ウィルは裏切られた様な気持ちになったのである。
言葉を失い、ソウゴから無意識に距離を取るウィルにソウゴが決断を迫る様に歩み寄ろうとする。一種異様な雰囲気に、周囲の者達がウィルとソウゴを交互に見ながら動けないでいると、ふとソウゴの前に立ち塞がる様に進み出た者がいた。
愛子だ。彼女は、決然とした表情でソウゴを真っ直ぐな眼差しで見上げる。
「常磐さん。貴方なら……貴方なら魔物の大群をどうにか出来ますか? いえ……出来ますよね?」
愛子は、どこか確信している様な声音でソウゴなら魔物の大群をどうにか出来る、即ち、町を救う事が出来ると断じた。その言葉に、周囲で様子を伺っている町の重鎮達が一斉に騒めく。
愛子達が報告した襲い来る脅威をそのまま信じるなら、敵は数万規模の魔物なのだ。それも、複数の山脈地帯を跨いで集められた極めて強力な。
それはもう戦争規模である。そして、一個人が戦争に及ぼせる影響など無いに等しい。それが常識だ。それを覆す非常識は、異世界から召喚された者達の中でも更に特別な者──そう勇者だけだ。
それでも、本当の意味で一人では軍には勝てない。人間族を率いて仲間と共にあらねば、単純な物量にいずれ呑み込まれるだろう。
なので、勇者ですらない目の前の少年(の様に見える不老者)が、この危急をどうにか出来るという愛子の言葉は、たとえ“豊穣の女神”の言葉であっても俄かには信じられなかった。
ソウゴは愛子の強い眼差しに、顎に手を当てる素振りを見せると、試す様な物言いになる。
「やるやらんはさておき、可か不可かで言うなら可能だな」
「やっぱりそうなんですね?」
「あぁ。そしてこれも再三言ったが、私が出るかどうかはこの町の者達次第だ」
愛子とソウゴのやり取りに、どういう事だと眉を顰める町の権力者達。そんな彼等に目もくれず、愛子はソウゴの目を見据えて真剣な表情のまま頼みを伝える。
「常磐さん。どうか力を貸してもらえませんか? このままでは、きっとこの美しい町が壊されるだけでなく、多くの人々の命が失われる事になります」
「……意外だな。貴様は生徒達の事が最優先なのだと思っていた。色々活動しているのも、それが結局少しでも早く帰還できる可能性に繋がっているからじゃなかったのか? なのに見ず知らずの人々の為に、その生徒に死地へ赴けと? その意志も無いのに? まるで戦争に駆り立てる教会の詐欺師共や権力者の様な考えだな?」
ソウゴの揶揄する様な言葉に、愛子は「うっ」と言葉に詰まる。心の内の葛藤を示す様に、唇を嚙みしめ眉間に皺を寄せる。
しかしその眼差しをソウゴへ真っ直ぐに向けて、何かを確かめる様に見つめる事数秒。やがて愛子は、逡巡を振り払うかの様に決然とした表情になった。それは"先生"の表情。日本に居た頃から、生徒が何か問題を抱えた時に決まって浮かべていた表情だった。
近くで愛子とソウゴの会話を聞いていた【ウルの町】の教会司祭が、ソウゴの言葉に含まれる教会を侮蔑する様な言葉に眉を顰めているのを尻目に、愛子は真剣な声音で口を開いた。
「……元の世界に帰る方法があるなら、直ぐにでも生徒達を連れて帰りたい。その気持ちは今でも変わりません。でも、それが出来ないから……なら今、この世界で生きている以上、この世界で出会い、言葉を交わし、笑顔を向け合った人々を、少なくとも出来る範囲では見捨てたくない。そう思う事は、人として当然の事だと思います。勿論、先生は先生ですから、いざという時の優先順位は変わりませんが……」
愛子が一つ一つ、自分の言葉を確かめる様に言葉を紡いでいく。
「常磐さん、私より長く生きている貴方の考えは、今の私では分かりません。もしかしたら、私達とは違う物事が見えているのかもしれません。一万分の一程度しか生きていない先生の言葉など…貴方には軽いかもしれません。でも、どうか聞いて下さい」
ソウゴは黙ったまま、先を促す様に愛子を視界に収めている。
「常磐さん。先生が、生徒達に戦いへの積極性を持って欲しくないのは、帰った時日本で元の生活に戻れるのか心配だからです。殺す事に、力を振るう事に慣れて欲しくないのです」
「……」
「常磐さん、貴方には貴方の価値観があり、貴方の基準で動いているのでしょう。それに、先生が口を出して強制する様な事は出来ません。ですが、私は知っています。学校で生徒として振舞っていた時の貴方を。貴方が私達の朝食を用意してくれた時、とても優しい顔をしていた事を。それが貴方の、元々持っていた他者を思い遣る気持ちだという事を。ですからどうか、その優しさを、私達を守ってくれた経験と知恵をもう一度、私達の為に使って頂けませんか?」
一つ一つに思いを込めて紡がれた愛子の言葉が、向き合うソウゴに余す事無く伝わってゆく。町の重鎮達や優花達も、一部訝し気ながらも愛子の言葉を静かに聞いている。
特に生徒達は、力を振るってはしゃいでいた事を叱られている様な気持ちになり、バツの悪そうな表情で俯いている。それと同時に、愛子は今でも本気で自分達の帰還とその後の生活まで考えてくれていたという事を改めて実感し、どこか嬉しそうな擽ったそうな表情も見せていた。
ソウゴは、例え世界を超えても、どんな状況であっても、全くブレずに“先生”であり続ける愛子に、内心感心せずにはいられなかった。
愛子が本人の言葉の通りソウゴの万分の一程度の人生経験しかない以上、年長者として、または戦士、権力者として「軽い」と切り捨ててしまってもいいだろう。
だがソウゴには、そんな事をする気は起らなかった。今も真っ直ぐ自分を見つめる"先生"に、それこそソウゴの経験から見ても滅多にいない、人格者としての器を見たのだ。
ソウゴは愛子から、すぐ傍に立つユエへと視線を転じる。ユエはどういう訳か、懐かしいものを見る様な目で愛子を見つめていた。しかしソウゴの視線に気がつくと、真っ直ぐに静かな瞳を合わせてくる。その瞳には、ソウゴがどんな答えを出そうとも付いていくという意志が見えた。視線を変えれば、シアも同様の意志を目に宿している。
ソウゴはそれを確認した後、愛子に再度向き合う。
「……私の先程の言葉を覚えているか?」
それは、言外に愛子を試す言葉。
「戦うかどうかはこの町の人達次第、ですよね?」
それに、一瞬の躊躇いもなく答える愛子。
「たとえそれが、対価を求めるものだとしても? それでも貴様は私の助力を乞うか?」
「……それでこの町を、皆を守れるのなら」
ソウゴは暫く、その言葉に偽りが無いか確かめる様に愛子と見つめ合う。態々言質をとったのは、ソウゴ自身が愛子の資質と価値を確かめたかったからだ。ソウゴは、愛子の瞳に偽りも誤魔化しも無い事を確かめると、徐に踵を返し出入口へと向かった。ユエとシアも、すぐ後に続く。
「と、常磐さん?」
そんなソウゴに、愛子が慌てた様に声をかけた。ソウゴは振り返ると、ニヤリと悪戯じみた笑みを浮かべて言葉を返す。
「良いだろう、契約成立だ。私が対処してやろう」
「常磐さん!」
ソウゴの返答に顔をパァーと輝かせる愛子。
「既に対価は支払ってもいいと言質は取ったからな。魔物共を蹴散らしたら、報酬としてこの町を貰うぞ」
そう言ってサラッと爆弾を投下し、両隣のユエとシアの肩をポンっと叩くと再び踵を返して振り返らず部屋を出て行った。ユエとシアが、それはもう嬉しそうな雰囲気をホワホワと漂わせながら、小走りでソウゴの後を追いかけてゆく。
パタンと閉まった扉の音で、愛子とソウゴの空気に呑まれて口を噤んでいた町の重鎮達が、一斉に愛子に事情説明を求めた。
愛子は肩を揺さぶられながら、ソウゴが出て行った扉を見つめていた。その顔に、ソウゴに説得が伝わった喜びは既にない。ソウゴに語った事は、紛れもない愛子の本心だ。
だが結果、年長者で歴戦の戦士とはいえ、大切な生徒に魔物の大群へ立ち向かう事を決断させた事に変わりはない。力を振るう事に慣れて欲しくないと言いながら、戦いに赴かせるという矛盾を愛子は自覚している。愛子は内心、自分の先生としての至らなさや無力感に肩を落としていた。
願わくば、生徒達が皆元の心を失わないまま、お家に帰れます様に。……愛子のその願いは既に叶わぬものだ。愛子自身、昨夜のソウゴの話を聞いて、その願いが既に幻想であると感じている。しかし、それでも願う事は止められない。
重鎮達の喧騒と敬愛の眼差しを向ける生徒達に囲まれて、愛子は悟られない程度に溜息をつくのだった。
因みにソウゴ達と一緒に役場に来ていたティオは、「妾、重要参考人の筈じゃのに……こ、これが放置プレイ……流石、ご主ry」と火照った表情で呟いていたが、それを拾う者はいなかった。
【ウルの町】。
北に【山脈地帯】、西に【ウルディア湖】を持つ資源豊富なこの町は現在、つい昨夜までは存在しなかった"外壁"に囲まれて、異様な雰囲気に包まれていた。
この"外壁"は、ソウゴが即行で作ったものだ。土系統の技能を使い、町全体を囲う様に一瞬で築き上げた物である。それを"モーフィングパワー"で材質を変え、更に自身の覇気を纏わせて難攻不落の鉄壁となっている。その堅牢さたるや、シアのフルスイングやユエの最上級魔術も通さない程だ。それに加え、外側の壁面とその先百メートルに渡って"
町の住人達には、既に数万単位の魔物の大群が迫っている事が伝えられている。魔物の移動速度を考えると、夕方になる前位には先陣が到着するだろうと。
当然、住人はパニックになった。町長を始めとする町の顔役たちに罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。明日には、故郷が滅び、留まれば自分達の命も奪われると知って冷静でいられる者などそうはいない。彼等の行動も仕方の無い事だ。
だが、そんな彼等に心を取り戻させた者がいた。愛子だ。
漸く町に戻り、事情説明を受けた護衛騎士達を従えて、高台から声を張り上げる“豊穣の女神”。恐れるものなど無いと言わんばかりの凛とした姿と、元から高かった知名度により、人々は一先ずの冷静さを取り戻した。畑山愛子、ある意味勇者より勇者をしている。
冷静さを取り戻した人々は、二つに分かれた。
即ち、故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組だ。
居残り組の中でも、女子供だけは避難させるという者も多くいる。愛子の魔物を撃退するという言葉を信じて、手伝える事は何かないだろうかと居残りを決意した男手と万一に備えて避難する妻子等だ。深夜をとうに過ぎた時間にも拘らず、町は煌々とした光に包まれ、いたる所で抱きしめ合い別れに涙する人々の姿が見られた。
避難組は、夜が明ける前には荷物を纏めて町を出た。現在は日も高く上がり、せっせと戦いの準備をしている者と仮眠をとっている者とに分かれている。居残り組の多くは"豊穣の女神"一行が何とかしてくれると信じてはいるが、それでも自分達の町は自分達で守るのだ! 出来る事をするのだ! という気概に満ちていた。
ソウゴはすっかり人が少なくなり、それでもいつも以上の活気がある様な気がする町を背後に即席の城壁の上にて、結跏趺坐の姿勢で目を伏せ力を高めていた。自らの五感を断ち、己の内に宿る様々なエネルギーを練り上げ、研ぎ澄まし、燃え上がらせる。傍らには、当然の如くユエとシアがいる。魔力を直接操れる二人の目には、ただ座っている様に見えるソウゴを中心に立ち昇る巨大な光柱がはっきり見えていた。
そこへ愛子と優花達、ティオ、ウィル、デビッド達数人の護衛騎士がやって来た。愛子達の接近に気がついているだろうに振り返らないソウゴに、デビッド達が眉を釣り上げるが、それより早く愛子が声をかける。
「常磐さん、準備はどうですか? 何か必要なものはありますか?」
「いや、問題無い」
第六感で認識し、微動だにせず簡潔に答えるソウゴ。その態度に我慢しきれなかった様で、デビッドが食ってかかる。
「おい貴様、愛子が…自分の恩師が声をかけているというのに何だその態度は。本来なら貴様の持つアーティファクト類の事や、大群を撃退する方法についても詳細を聞かねばならんところを見逃してやっているのは、愛子が頼み込んできたからだぞ? 少しは……」
「デビッドさん、少し静かにしていてもらえますか?」
「うっ……承知した……」
しかし、愛子に"黙れ"と言われるとシュンとした様子で口を閉じる。その姿は、まるで忠犬だ。亜人族でもないのに、犬耳と犬尻尾が幻視できる。今は飼い主に怒られて、シュンと垂れ下がっている様だ。
「常磐さん。黒ローブの男の事ですが……」
どうやら、それが本題の様だ。愛子の言葉に苦悩が滲み出ている。
「正体を確かめたいのだろう? 見つけても、殺さないでくれと?」
「……はい。どうしても確かめなければなりません。その……常磐さんには、無茶な事ばかりを……」
「取り敢えず、連れて来てやる」
「え?」
「黒ローブを貴様の下へ。五体満足かどうかは保証出来んがな」
「常磐さん……ありがとうございます」
愛子はソウゴの予想外に協力的な態度に少し驚いた様だが、未だ振り向かないソウゴの様子から、今は集中したいのだろうと思い、その厚意を有り難く受け取り口を閉じる事にした。つくづく自分は無力だなぁと内心溜息をつきながら、愛子は苦笑いしつつ礼を言うのだった。
愛子の話が終わったのを見計らって、今度はティオが前に進み出てソウゴに声をかけた。
「ふむ、よいかな。妾もご主……ゴホンッ! お主に話が……というより頼みがあるのじゃが、聞いてもらえるかの?」
「ティオか」
何だかんだで町に戻ってから、ほぼほぼ口を開かなかったティオの言葉に、ソウゴは聴覚を戻して耳を傾ける。
「お主は、この戦いが終わったらウィル坊を送り届けて、また旅に出るのじゃろ?」
「ああ、そうだ」
「うむ、頼みというのはそれでな……妾も同行させてほし…」
「それについては先程言った筈だぞ」
「む?」
「既に貴様は私の物だ。今更貴様が何と言おうが無理矢理でも連れていく、異論も反論も認めん」
両手を広げ、頬を薔薇色に染めながら同行を願い出るティオに、とっくにそのつもりだとはっきり言い切ったソウゴ。その発言に、そこまで求められた事の無いユエもシアも羨ましそうに目を向け、愛子や優花達はソウゴの物言いに驚いて開いた口が塞がらない。
「ま、まるで王様みたいな考えね……」
優花がそう言った途端、ふと疑問を覚えたソウゴの注意は愛子に向いた。
「なぁ先生殿、彼女等に私の事を言ってないのか?」
「えっ、いいんですか?」
「ここまできたんだ、別に構わんよ」
驚いた愛子はソウゴの了承を得ると、生徒と騎士達に向けてソウゴが自分達ともこのトータスとも違う世界の人間である事、自分達より遥かに年上である事を説明した。途端、当然と言えば当然だが皆驚愕に包まれる。
「驚いたか? これでも貴様等の祖父母よりも年寄りよ」
そう言いながらソウゴは、自身のステータスプレートを愛子達に投げた。天職とステータス、技能欄は隠されているが、そこに書かれた年齢に皆驚くしかない。
「そ、それじゃあ、あの戦い方とか技って……」
「長年の経験で積み、先達より学んだものだ」
恐る恐る訊く淳史に、ソウゴは当然の様に答える。と、そこで新たな疑問が生まれたのか、愛子が質問を投げてきた。
「あの、それでは常磐さん。そこまで凄い力を持って、自分の世界でどんな事をされていたのですか?」
愛子の質問に、ソウゴは「まだ言ってなかったか」と零しつつ、その質問に答えた。
「国王をしている。一応世界統一は済ませてあるぞ」
途端、彼等は更なる驚愕に包まれた。と同時に、愛子や生徒達はどこか納得したところがあった。これまでのソウゴの行動には、その端々にどこか上に立つ者としての振舞を感じさせるところがあった。それが気のせいではなく、長年の癖の様なものだと判明した。一つ謎が解けた気分だ。
するとどうだろうか。途端に過去の自分のソウゴに対する行いが凄まじく恐ろしいものに思えた。
なんてやり取りをしていると、ソウゴの答えを聞いてからずっと黙っていたティオが震えながら口を開く。
「う、嬉しいのじゃ……! ご主人様は、妾をこんな体にした責任をとってくれるのじゃな! 奴隷として飼ってくれるのじゃな!?」
全員の視線が「えっ!?」と言う様にソウゴを見る。それすら視線を向けず、言外に纏う雰囲気でどういう事かとティオに問うた。
「あぅ、またそんな全てを踏み潰す様な空気で……ハァハァ……ごくりっ……その、ほら、妾強いじゃろ?」
「そうか? まだウチの使用人達の方が強いが」
ソウゴにサラッと強さを否定され、それに愛子達が驚いているのを尻目に、ソウゴの奴隷宣言という突飛な発想に辿り着いた思考過程を説明し始めるティオ。
「里でも妾は一、二を争う位でな。特に耐久力は群を抜いておった。じゃから、他者に組み伏せられる事も、痛みらしい痛みを感じる事も今の今までなかったのじゃ」
近くにティオが竜人族と知らない護衛騎士達がいるので、その辺りを省略してポツポツと語るティオ。
「それがじゃ、ご主人様と戦って、初めてボッコボッコにされた挙句、組み伏せられ、痛みと敗北を一度に味わったのじゃ。そう、あの体の芯まで響く拳! 嫌らしいところばかり責める衝撃! それも手加減された上で! 体中が痛みで満たされて……ハァハァ」
一人盛り上がるティオだったが、彼女を竜人族と知らない騎士達は、一様に犯罪者でも見るかの様な視線をソウゴに向けている。客観的に聞けば、完全に婦女暴行である。「こんな可憐なご婦人に暴行を働いたのか!」とざわつく騎士達。あからさまに糾弾しないのは、被害者たるティオの様子に悲痛さが無いからだろう。寧ろ、嬉しそうなので正義感の強い騎士達もどうしたものかと困惑している。
「……つまり、ソウゴ様が新しい扉を開いちゃった?」
「その通りじゃ! 妾の体はもう、ご主人様無しではダメなのじゃ!」
ユエが嫌なものを見たと表情を歪ませながら既に尊敬の欠片も無い声音で要約すると、ティオが同意の声を張り上げる。そんなカオスな状況が大群が迫っているにも関わらず繰り広げられ、ソウゴが無視を決め込もうとし始めた時、遂にそれは来た。
「……来たか」
ソウゴが突然、目を開いて【北の山脈地帯】の方角へ視線を向ける。肉眼で捉えられる位置にはまだ来ていないが、ソウゴの"万里眼"にははっきりと見えていた。
それは、大地を埋め尽くす魔物の群れだ。
ブルタールの様な人型の魔物の他に、体長三、四メートルはありそうな黒い狼型の魔物、足が六本生えている蜥蜴型の魔物、背中に剣山を生やしたパイソン型の魔物、四本の鎌をもった蟷螂型の魔物、体の至る所から無数の触手を生やした巨大な蜘蛛型の魔物、二本角を生やした真っ白な大蛇──
大地を鳴動し、土埃が雪崩の如く巻き上がり、蠢く群れの光景は宛ら黒き津波の様。猛烈な勢いで進軍する悪鬼羅刹の群れは、その土埃の奥から赤黒い殺意に塗れた眼光を覗かせる。その数は、山で確認した時よりも更に増えている様だ。目算で五万、或いは六万に届こうかという大群である。
更に、大群の上空には飛行型の魔物もいる。敢えて例えるならプテラノドンだろうか。飛竜型の魔物に比べれば、その体躯は小さく見劣りするものの、体から立ち昇る赤黒い瘴気と尋常でない雰囲気が、嘗て見た【ライセン大迷宮】の飛竜ハイベリアよりは強力だろうと伺わせる。
そして。そんな何十体というプテラノドン擬きの中に一際大きな個体がいる。その個体の上には薄らと人影の様なものも見えた。恐らく、黒ローブの男。愛子は信じたくないという風だったが十中八九、清水幸利だろう。
「……ソウゴ様」
「ソウゴさん」
ソウゴの雰囲気の変化から来るべき時が来たと悟るユエとシアが、ソウゴに呼びかける。ソウゴは五感を戻すと立ち上がり、そして後ろで緊張に顔を強ばらせている愛子達に見たものを告げる。
「来たぞ。予定よりかなり早いが、到達まで三十分というところだ。数は六万弱。複数の魔物の混成だ」
魔物の数を聞き、更に増加していることに顔を青ざめさせる愛子達。不安そうに顔を見合わせる彼女達に、ソウゴは誰に聞かせるでも無くポツリと呟く。
「ふむ、これは予定通り……いや、プランCで行くか」
特に気にした風でも無く一人納得した様に頷くソウゴに、愛子は不思議がりつつも眩しいものを見る様に目を細めた。
「……、貴方をここに立たせた先生が言う事ではないかもしれませんが……どうか無事で……」
愛子はそう言うと、護衛騎士達の「本当に彼に任せていいのか」「今からでもやはり避難すべきだ」という言葉に応対しながら、町中に知らせを運ぶべく駆け戻っていった。
優花達も、愛子に続いて踵を返し駆け戻ろうとする。が、数歩進んだところで優花が立ち止まった。何かに迷う様に難しい表情をして俯き気味に突っ立っている。
優花が一緒に来ていない事に気が付いた奈々が、淳史達にも声を掛けて立ち止まった。そして訝しそうな表情をしながら、優花の名前を呼ぶ。
しかし優花は奈々達の呼び掛けに応じず、何かを振り切る様にグッと表情に力を入れると顔を上げ、踵を返し駆けだした。そう、魔物の群れの方へ視線を向けているソウゴの方へ。
「あ、あのさ! 常磐!……さん」
少し言葉に詰まりながら、それでも大きな声でソウゴに呼びかける優花。その呼び方が途中で変わった事まで聞こえていたソウゴは、「別に呼び方は変えんでもいいのだが……」と呟きながら肩越しに優花へ視線を向けた。ユエやシアも、何事かと振り返っている。
無言で用件を問うソウゴの視線に、優花は少なからずたじろぐ様な様子を見せたが……直後には、何故かキッと眦を吊り上げてソウゴを睨む様な眼差しで、
「あ、ありがとね! あの時助けてくれて!」
と言った。なんだか表情といい口調といい声量といい、傍から見ると喧嘩を売っている様にも見えるのだが、その言葉から分かる通り優花渾身のお礼だったらしい。それと、先程のソウゴの呟きが聞こえていたのか、口調が戻っている。
「あの、えっと、その……それで……」
再び言葉に詰まる優花だったが、一つ大きく深呼吸すると、
「無駄にしないから! 常磐にとってはどうでもいい事かもしれないけど、それでも無駄にしないから!」
そう叫んだ。このままではいけないと、心折れたままではいけないと、そう決心して再び立ち上がったあの日の想い。自分達が無能だと思っていたソウゴが、自分達の脅威をまるで意にも介さず焼き払ってくれたが故に、今自分達は生きている。
救ってくれた事。クラスメイトを逃がす為に、隠していた力を振るってくれた事。
決して無駄にはしない。たとえ、ソウゴと比べるべくもない程弱くても。そうだとしても、立ち止まる事だけはしない。
見れば、少し離れた場所にいて優花の言葉を聞いていた淳史達も、ソウゴを真っ直ぐに見ながら深く頷いている。優花と気持ちは同じだという事だろう。
そんな優花達にソウゴは、
「そうか、殊勝な事だな」
それだけ言って、あっさりと視線を彼方へと戻してしまった。
礼の言葉を受け取ってもらえたのか、もらえてないのか。決意は届いたのか、届いてないのか。それすらも分からず、少しの間優花は所在無さ気に立ち尽くすと、やがて奈々達の方へと引き返した。
「園部優花」
その背に突如、ソウゴが声を掛ける。まさか声を掛けられるとは思っていなかったらしい優花は、リアルに小さくピョンと跳ねる程驚きを露わにした。淳史達も驚いている中、ソウゴは告げる。
「私も長く生きてきたが、貴様の様に非力の身ながらその境地に至る者はそうおらん」
戦いとは縁の無い世界に生まれ、トラウムソルジャーに文字通り真っ二つにされかけるという想像もしたくない殺され方一歩手前を経験しておきながら、優花はその後奈々達やクラスメイト達を助ける為に直ぐ駆け出した。今尚トラウマに囚われている程の恐怖を抱えながら、それでも駆け出したのだ。ソウゴはその精神を、得難いものだと認識していた。
「え、えぇっと……?」
意図の分からないソウゴの言葉に、優花は戸惑った様に視線を彷徨わせる。だが直後、体を傾け自分を指差して告げられたソウゴの言葉にハッと息を吞んだ。
「私が断言してやろう。貴様は生き残る。生きて、帰りを待つ両親と必ず再会出来る」
「……」
優花は言葉も無く、まじまじとソウゴを見つめる。前方に視線を戻しながら「頭の片隅にでも留めておけ、気休めかもしれんがな」と付け足された、傍から見ると随分軽く聞こえる言葉。
しかし優花にとっては、まるでこびり付いて取れなかったヘドロを吹き飛ばされたかの様な、そんな力強い言葉だった。優花だけでなく、淳史達にとってもソウゴは『死』を認識させた核だ。だからこそ、そのソウゴから「生きて帰る」と言われたら、心を揺さぶられない訳が無かった。
「……ありがと」
風に攫われる程小さな、囁きの様な礼の言葉。優花は苦笑いにも似た笑みをソウゴの背に向けると、スッと踵を返して駆け出した。迎える淳史達は何とも言えない表情をしているが、そんな彼等に「行くわよ!」と元気に声を掛ければ──根性のある愛ちゃん護衛隊のリーダーの号令だ。淳史達は「応!」と強く返し、一緒に駆け出した。
その応えは、今までより少し力強さを増している様だった。
そうしてソウゴの下に残ったのは、ウィルとティオ。二人共何か用が残っていた様だが、空気を読んで静かにしていたらしい。
ウィルはソウゴに何か声を掛けようか掛けまいか迷っている様な様子を見せたが、もう時間も無いと頭を振り、ティオにだけ何かを語りかけると、ソウゴに頭を下げて愛子達を追いかけていった。
そんなウィルの様子に首を傾げて疑問を浮かべるソウゴに、ティオが苦笑いしながら答える。
「今回の出来事を妾が力を尽くして見事乗り切ったのなら、冒険者達の事、少なくともウィル坊は許すという話じゃ……そういう訳で助太刀させてもらうからの。何、魔力なら大分回復しておるし竜化せんでも妾の炎と風は中々のものじゃぞ?」
竜人族は教会等から半端者と呼ばれる様に、亜人族に分類されながらも魔物と同様に魔力を直接操る事が出来る。その為、ソウゴや天才であるユエの様に全属性無詠唱無魔法陣という訳にはいかないが、適性のある属性に関しては同様に無詠唱で行使出来るらしい。
「そうか。ならその魔力はもう少し後にとっておけ」
自己主張の激しい胸を殊更強調しながら胸を張るティオに、しかしソウゴはそう言って遠回しに助力は不要だと伝える。疑問顔のティオだったが、ソウゴは「ちょっとした予感の様なものだ。少々精霊達が騒いでいるのでな……」と曖昧な答えで濁すだけだった。
そうこうしていると、遂に肉眼でも魔物の大群を捉える事が出来る距離になってきた。壁際に続々と弓や魔法陣を携えた者達が集まってくる。大地が地響きを伝え始め、遠くに砂埃と魔物の咆哮が聞こえ始めると、そこかしこで神に祈りを捧げる者や、今にも死にそうな顔で生唾を飲み込む者が増え始めた。
近づく大群を見て、ソウゴはフワリと上空に飛び上がる。その腰には見慣れぬ物が巻き付いており、シアやティオは頭を傾げる。護衛騎士達や住人達はソウゴが宙を飛ぶ事自体に驚いている中、唯一それを見た事があるユエだけはその意味を理解した。即ち、ソウゴが本気を出すと。
突然不可能な筈の空の領域へと侵入した青年に、住民達の困惑した様な視線が集まる。
ソウゴは全員の視線が自分に集まっている事を認識しつつ、「ふぅ」と息を吐いて自身の半身に手を翳した。
「変身」
その瞬間。大地が、天が、世界が揺れた。
大地が悲鳴を上げ、血涙の様にマグマを噴き出す。大空が狂乱し、癇癪を起した様に大嵐を呼ぶ。そして世界そのものが混乱する様に、日没と夜明けを七度繰り返す。
その様は宛ら世界の終わり。終末の予兆だと騒いだ人々が、恐怖と狂乱の渦に包まれる。
そして、その全てがエネルギーとしてソウゴを中心に収束し、絶対無敵の黄金の鎧へと変化する。
天変地異すらも従え己の力へと変え、常磐ソウゴはこの世界に来て二度目の魔王の姿を解放した。
宙に立つオーマジオウに変身したソウゴを見たその瞬間、シアが、ティオが、愛子が、優花達が、護衛騎士達が、住民が、果ては魔物達が。その場の神羅万象全てが理解した。
自分達とは、次元が違うと。
勝てる勝てないではない、そもそも勝負を挑もうと思う事それ自体が間違いだ。もっと言えば、自分達の尺度で図る事は最早罪だ。もし機嫌を損ねれば、それだけで命を奪われてもおかしくない。否、最早彼の機嫌を損ねたら死んで詫びるのが当然とまで思える。
生物として、生命として、存在そのものの格が違う。あれが、あれこそが神だ。否、そんなものではない。それすらも過小評価だ。神をも超越した何か、言い表す事の出来ない、完成された完全完璧にして絶対と究極の存在。
歓喜も恐怖も忘却の彼方に消え去り、人々はオーマジオウから目を離す事が出来なくなった。本能に忠実な魔物達すら、逃げる事を忘れ最早生存を諦めたかの様にその歩を止める。
すると突如ソウゴは振り返り、遥か下に広がる町と住人達に向かって口を開いた。
「美しき【ウルの町】の諸君。私は常磐ソウゴ、只今を以てこの町を統治する事になる者だ」
ソウゴの突然の宣言にも、住人達はその王威に当てられ疑問すら浮かばない。ソウゴは言葉を続ける。
「私は統治者として、皆の不安を退ける務めがある」
その言葉と共に、ソウゴは再び魔物達に目を向ける。ソウゴの覇気と視線を本能で感じ取った魔物達は、操られているにも関わらず地面に縫い留められた様にその場に静止している。
「よって先ずは今この町に迫る脅威を退け、私が皆の安心出来る強き王である事を証明しよう」
そう告げるソウゴの手に、ゴルトバイザーが現れる。その逆の手には、六枚のカードが握られている。ソウゴはそれを順にバイザーに装填していく。
『TRICK VENT』
そのカードを読み取った瞬間効果を発揮し、ソウゴは五人に増える。続けて二枚使用し、二十五人、百二十五人と数を増やしていく。
『STRANGE VENT』
続けて任意のカードに変化する効果を三枚発揮し、625、3125、15625と更に数を増やす。
ゴルトバイザーをしまい、交換する様にギャレンラウザーを手にする。即座にカードトレイを開き、ラウズカードを読み込ませる。
『GEMMNI』
それで更に倍になり、その数は31250人。だがまだ終わらない。
『ATTACK RIDE ILLUSION』
アタックライドカードをドライバーに読み込ませ、187500、1125000と数を増やす。
更にルナメモリ、ブランチシェード、スーパーブランチシェード、デュープ、ミッドナイトシャドー、ロビン眼魂、分身のエナジーアイテム、四コマ忍法刀、子豚三兄弟でどんどん数を増やしていった。
その総数、233兆2800億人。
空一面を埋め尽くす程のオーマジオウ、その全員が一斉に行動を起こす。
全員がドライバーを操作し必殺のエネルギーを迸らせ、その暴威の一端を披露する。
「"
その言葉を合図に全員の背後の空間が揺らめき、世界最古の英雄王の宝物庫を改造した異空間の扉が開かれる。空間から生えている様に先端を覗かせた無数の武器が、ソウゴのエネルギーに反応して黄金の輝きを放っていく。
そして力が最大限高められ、その矛先が魔物群を捉えた。
「さぁ、逃げ果せてみろ。"
その号令を以て、嘗て玉座から一歩も動かずに一夜にして数百の世界を滅ぼした黄金の死兆星が降り注いだ。
(何だよ、これは……何なんだよ、これは!!)
【ウルの町】を襲う数万規模の魔物の大群の遥か後方で、即席の塹壕を堀り出来る限りの結界を張って必死に身を縮めている黒ローブの男──清水幸利は、目の前の惨状に体を震わせながら言葉を失った様に口をパクパクさせていた。
ありえない光景、信じたくない現実に、内心で言葉にもなっていない悪態を繰り返す。
そう、魔物の大群をけし掛けたのは紛れもなく行方不明になっていた愛子の生徒──清水幸利だった。
とある男との偶然の末に交わした契約により、【ウルの町】を愛子達ごと壊滅させようと企んだのだ。しかし、容易に捻り潰せると思っていた町や人は全く予想しなかった凄絶な迎撃により未だ無傷であり、それどころか現在進行形で清水にとっての地獄絵図が生み出されていた。
キィィィィィィィン……ドォォォンッ!!!
キィィィィィィィン……ドォォォンッ!!!
そんな独特の音を戦場に響かせながら、無数の閃光が殺意をたっぷりと乗せて空を疾駆する。
瞬く暇も無く目標へと到達した閃光は、死を悟り微動だにしない魔物達を認識する間も与えずに一瞬で唯の肉片に変えた。
嘗てただ一投でオラリオを滅ぼした流星が、毎秒京や垓は下らない無慈悲な"壁"となって迫り、一発で一体など生温いと云わんばかりに目標を貫通し、背後の数百、数千匹を纏めて貫いていく。
更にその後を追う様に魔術、呪術、精霊術、陰陽術、重火器砲の嵐。ありとあらゆる術が展開され、様々な属性の破壊の雨が降り注ぐ。そしてその衝撃が肉片を焼き、最早塵も残さずこの世から消滅させる。
その閃光が直ぐ近くに着弾し、清水は結界も破壊されて中空に投げ出され意識を手放した。
大地を消し抉る衝撃が生む風が、戦場から蹂躙され僅かに残った魔物の血の匂いを町へと運ぶ。強烈な匂いに吐き気を抑えられない人々が続出するが、それでも人々は現実とは思えない"圧倒的な力"と"蹂躙劇"に湧き上がった。町の至る所から「ワァアアアアアッーーー!!!」と歓声が上がる。
町の重鎮やデビッド達騎士は、初めて見るソウゴの力に魅了されてしまったかの様に狂喜乱舞の坩堝。優花や淳史達は改めてその力を目の当たりにし、下手をすればこの殺戮の嵐が自分達に向けられたかもしれないと心底震え上がった。と同時に、比べる事自体が間違いだと自覚しながらも自分達との"差"を痛感して複雑な表情になっている。
本来、あの様な魔物の脅威から人々を守る筈だった、少なくとも当初はそう息巻いていた自分達が、ただ守られる側として町の人々と同じ場所から"無能"と見下していたクラスメイトの背中を見つめているのだ。複雑な心境にもなるだろう。
愛子は、ただ只管祈っていた。そして同時に、今更ながらに自分のした事の恐ろしさを実感し表情を歪めていた。目の前の凄惨極まりない戦場が、まるで自分の甘さと矛盾に満ちた心をガツンと殴りつけている様に感じたのだ。
やがて数分ともたず全ての魔物が死に絶え、ソウゴの視界の遠くの方で何やら伸びている人影が見えた。まるで叩きつけられた様に寝そべっているので一瞬死体かと見間違えるが、ソウゴの目には微かに動き出したのがはっきり見えた。その人物の頭は、黒いローブで覆われていた。
黒いローブの男──清水は倒れた体を起こし、全滅した魔物に癇癪を起こす子供の様に喚くと、王宮より譲り受けたアーティファクトの杖を翳して何かを唱え始めた。勿論、そのまま詠唱の完了を待ってやる義理などソウゴには無い。
「"スカーレット・ニードル"」
ソウゴの放った深紅の衝撃はその両手足を打ち抜き、その感覚を奪う。
「痛ぇっ! ……って、腕が動かねぇ!? 足も!? 一体何だよ! 何なんだよ! ありえないだろ! 本当なら、俺が勇グペッ!?」
「"諸行断罪"」
悪態を付きながら這いつくばる清水を羂索で骨が折れる程の強さで縛り、"鎮星"を使い蹴り飛ばして再び意識を刈り取る。
「薄々分かっていたが、案外呆気なく終わったな。壁も薔薇も無駄になってしまった……」
ソウゴはそんな事を独りごちながら、念動力で清水を捕らえてそのまま町へと踵を返した。
清水幸利にとって異世界召喚とは、まさに憧れであり夢であった。
ありえないと分かっていながら、その手の本やWeb小説を読んでは夢想する毎日。夢の中で何度世界を救い、ヒロインの女の子達とハッピーエンドを迎えたか分からない。
清水の部屋は壁が見えなくなる程に美少女のポスターで埋め尽くされており、壁の一面にあるガラス製のラックには、お気に入りの美少女フュギュアがあられもない姿で所狭しと並べられている。本棚は漫画やライトノベル、薄い本やエロゲーの類で埋め尽くされていて、入りきらない分が部屋のあちこちにタワーを築いていた。
そう、清水幸利は真性のオタクである。但し、その事実を知る者はクラスメイトの中にはいない。それは清水自身が徹底的に隠したからだ。理由は、言わずもがなだろう。クラスメイトの言動を間近で見て、オタクである事をオープンに出来る様な者はそうはいない。
クラスでの清水は、彼のよく知る言葉で表すなら正にモブだ。
特別親しい友人もおらず、いつも自分の席で大人しく本を読む。話しかけられればモソモソと最低限の受け答えはするが、自分から話す事は無い。元々性格的に控えめで大人しく、それが原因なのか中学時代はイジメに遭っていた。当然の流れか登校拒否となり自室に引きこもる毎日で、時間を潰す為に本やゲームなど創作物の類に手を出すのは必然の流れだった。
親はずっと心配していたが、日々オタクグッズで埋め尽くされていく部屋に兄や弟は煩わしかった様で、それを態度や言葉で表す様になると清水自身家の居心地が悪くなり居場所というものを失いつつあった。鬱屈した環境は、表には出さないが内心では他者を扱き下ろすという陰湿さを清水にもたらした。そして、益々創作物や妄想に傾倒していった。
そんな清水であるから、異世界召喚の事実を理解した時の脳内は正に「キターー!!」という状態だった。愛子がイシュタルに猛然と抗議している時も、光輝が人間族の勝利と元の世界への帰還を決意し息巻いている時も、清水の頭の中は何度も妄想した異世界で華々しく活躍する自分の姿一色だ。ありえないと思っていた妄想が現実化したことに舞い上がって、異世界召喚の後に主人公を理不尽が襲うパターンは頭から追いやられている。
そして実際、清水が期待したものと現実の異世界ライフには齟齬が生じていた。
先ず、清水は確かにチート的なスペックを秘めていたが、それは他のクラスメイトも同じであり、更に"勇者"は自分ではなく光輝である事、その為か女が寄って行くのは光輝ばかりで、自分は"その他大勢の一人"に過ぎなかった事だ。
これでは、日本にいた時と何も変わらない。念願が叶ったにもかかわらず、望んだ通りではない現実に陰湿さを増す清水は、内心で不満を募らせていった。
何故自分が勇者ではないのか。何故光輝ばかりが女に囲まれていい思いをするのか。何故自分ではなく光輝ばかり特別扱いするのか。自分が勇者ならもっと上手くやるのに。自分に言い寄るなら全員受け入れてやるのに……。そんな都合の悪い事は全て他者のせい、自分だけは特別という自己中心的な考えが清水の心を蝕んでいった。
そんな折だ。あの【オルクス大迷宮】への実戦訓練が催されたのは。
清水はチャンスだと思った。誰も気にしない、居ても居なくても同じ、そんな背景の様な扱いをしてきたクラスメイト達も、遂には自分の有能さに気がつくだろうと。そんな何処までもご都合主義な清水は……しかし、漸く気がつく事になる。
自分が決して特別な存在などではなく、ましてご都合主義な展開等もなく、ふと気を抜けば次の瞬間には確かに"死ぬ"存在なのだと。トラウムソルジャーに殺されかけて、遠くでより凶悪な怪物と戦う"勇者"を見て、抱いていた異世界への幻想がガラガラと音を立てて崩れた。
そして、奈落へと落ちて"死んだ"クラスメイトを目の当たりにし、心が折れた。自分に都合のいい解釈ばかりして、他者を内心で下に見る事で保ってきた心の耐久度は当然の如く強くはなかったのだ。
清水は、王宮に戻ると再び自室に引き篭る事になった。だが、日本の部屋の様に清水の心を慰めてくれる創作物はここにはない。当然の流れとして、清水は自分の天職"闇術師"に関する技能・魔術に関する本を読んで過ごす事になった。
トータスの闇系統の魔術は、相手の精神や意識に作用する系統の魔術で、実戦等では基本的に対象にバッドステータスを与える魔術と認識されている。清水の適性もそういったところにあり、相手の認識をズラしたり、幻覚を見せたり、魔術へのイメージ補完に干渉して行使しにくくしたり。更に極めれば、思い込みだけで身体に障害を発生させたりという事が出来る。
そして、浮かれた気分などすっかり吹き飛んだ陰鬱な心で読んだ本から、清水はふとある事を思いついた。
──闇系統魔法は、極めれば対象を洗脳支配出来るのではないか?
清水は興奮した。自分の考えが正しければ、誰でも好きな様に出来るのだ。そう、好きな様に。清水の心に暗く澱んだものが蔓延る。その日から一心不乱に修練に励んだ。
しかし、そう簡単に行く訳もなかった。先ず、人の様に強い自我のある者には十数時間という長時間に渡って術を施し続けなければ到底洗脳支配など出来ない。当然、無抵抗の場合の話だ。流石に術をかけられて反応しない者など普通はいない。それこそ強制的手段で眠らせるか何かする必要がある。人間相手に隠れて洗脳支配するのは環境的にも時間的にも厳しく、バレた時の事を考えると非常にリスクが高いと清水は断念せざるを得なかった。
肩を落とす清水だったが、ふと召喚の原因である魔人族による魔物の使役を思い出す。即ち、人とは比べるべくもなく本能的で自我の薄い魔物ならば洗脳支配出来るのではないか。
清水はそれを確かめる為に、夜な夜な王都外に出て雑魚魔物相手に実験を繰り返した。その結果、人に比べて遥かに容易に洗脳支配出来る事が実証できた。尤も、それは既に闇系統魔術に極めて高い才能を持っていたチートの一人である清水だから出来た事だ。以前イシュタルの言った様に、この世界の者では長い時間をかけてせいぜい一、二匹程度を操るのが限度である。
王都近郊での実験を終えた清水は、どうせ支配下に置くなら強い魔物がいいと考えた。ただ、光輝達について迷宮の最前線に行くのは気が引けた。そしてどうすべきかと悩んでいた時、愛子の護衛隊の話を耳にしたのだ。それに付いて行き遠出をすれば、丁度いい魔物とも遭遇出来るだろうと考えて。
結果、愛子達と【ウルの町】に来る事になり、北の山脈地帯という丁度いい魔物達がいる場所で配下の魔物を集める為姿を眩ませたのだ。次に再会した時は、誰もが自分の成した偉業に畏怖と尊敬の念を抱いて、特別扱いする事を夢想して。
本来なら僅か二週間と少しという短い期間では、いくら清水が闇系統に特化した天才でも、そして群れのリーダーだけを洗脳するという効率的な方法をとったとしても、精々千に届くか否かという群れを従えるので限界だっただろう。それも、おそらく二つ目の山脈にいるブルタールレベルを従えるのが精々だ。
だが、ここでとある存在の助力と偶然支配できたティオの存在が、効率的に四つ目の山脈の魔物まで従える力を清水に与えた。と同時に、そのとある存在との契約と日々増強していく魔物の軍勢に、清水の心の箍は完全に外れてしまった。そして遂に、やはり自分は特別だったと悦に浸りながら、満を持して大群を町に差し向けたのだった。
そして、その結果は……
見るも無残な姿に成り果てて、愛子達の前に跪かされるというものだった。
因みに場所は町外れに移しており、この場にいるのは愛子と優花達の他、護衛隊の騎士達と町の重鎮達が幾人か、それにウィルとソウゴ達だけである。流石に、町中に今回の襲撃の首謀者を連れて行っては騒ぎが大きくなり過ぎるだろうし、そうなれば対話も難しいだろうという理由だ。町の残った重鎮達が、現在事後処理に東奔西走している。
未だ白目を向いて倒れている清水に、愛子が歩み寄った。黒いローブを着ている姿が、そして何より戦場から直接連行して来られたという事実が、動かぬ証拠として彼を襲撃の犯人だと示している。信じたくなかった事実に愛子は悲しそうに表情を歪めつつ、清水の目を覚まさせようと揺り動かした。
「愛子、危険だ!」
デビッド達が危険だと止めようとするが、愛子は首を振って拒否する。拘束も同様だ。それではきちんと清水と対話できないからと、ソウゴに頼んで外してもらってある。愛子はあくまで先生と生徒として話をするつもりなのだろう。
やがて、愛子の呼びかけに清水の意識が覚醒し始めた。ボーっとした目で周囲を見渡し、自分の置かれている状況を理解したのかハッとなって上体を起こす。咄嗟に距離を取ろうして立ち上がりかけたのだが、まだ蹴り飛ばされたダメージが残っているのか、ふらついて尻餅をつきそのままズリズリと後退りした。警戒心と卑屈さ、苛立ちがない交ぜになった表情で、目をギョロギョロと動かしている。
「清水君、落ち着いて下さい。誰もあなたに危害を加えるつもりはありません……先生は、清水君とお話がしたいのです。どうして、こんな事をしたのか……どんな事でも構いません。先生に、清水君の気持ちを聞かせてくれませんか?」
膝立ちで清水に視線を合わせる愛子に、清水のギョロ目が動きを止める。そして、視線を逸らして顔を俯かせるとボソボソと聞き取りにくい声で話、……というより悪態をつき始めた。
「何故? そんな事もわかんないのかよ。だからどいつもこいつも無能だっつうんだよ。馬鹿にしやがって……勇者、勇者うるさいんだよ。俺の方がずっと上手く出来るのに……気付きもしないで、モブ扱いしやがって……ホント、馬鹿ばっかりだ……だから俺の価値を示してやろうと思っただけだろうが……」
「てめぇ……自分の立場わかってんのかよ! 危うく、町がめちゃくちゃになるところだったんだぞ!」
「そうよ! 馬鹿なのはアンタの方でしょ!」
「愛ちゃん先生がどんだけ心配してたと思ってるのよ!」
反省どころか周囲への罵倒と不満を口にする清水に、淳史や奈々、昇が憤りを露わにして次々と反論する。その勢いに押されたのか、益々顔を俯かせだんまりを決め込む清水。
愛子は、そんな清水が気に食わないのか更にヒートアップする生徒達を抑えると、なるべく声に温かみが宿る様に意識しながら清水に質問する。
「そう、沢山不満があったのですね……でも清水君。皆を見返そうというのなら、尚更先生にはわかりません。どうして、町を襲おうとしたのですか? もしあのまま町が襲われて……多くの人々が亡くなっていたら……多くの魔物を従えるだけならともかく、それでは君の"価値"を示せません」
愛子の最もな質問に、清水は少し顔を上げると薄汚れて垂れ下がった前髪の隙間から陰鬱で暗く澱んだ瞳を愛子に向け、薄らと笑みを浮かべた。
「……示せるさ……魔人族になら」
「なっ!?」
清水の口から飛び出したまさかの言葉に愛子のみならず、ソウゴ達を除いたその場の全員が驚愕を露わにする。清水はその様子に満足気な表情となり、聞き取りにくさは相変わらずだが、先程までよりは力の篭った声で話し始めた。
「魔物を捕まえに、一人で【北の山脈地帯】に行ったんだ。その時、俺は一人の魔人族と出会った。最初は勿論警戒したけどな……その魔人族は、俺との話しを望んだ。そしてわかってくれたのさ、俺の本当の価値ってやつを。だから俺は、そいつと……魔人族側と契約したんだよ」
「契約……ですか? それは、どの様な?」
戦争の相手である魔人族と繋がっていたという事実に愛子は動揺しながらも、きっとその魔人族が自分の生徒を誑かしたのだとフツフツと湧き上がる怒りを抑えながら聞き返す。
そんな愛子に、一体何がおかしいのかニヤニヤしながら清水が衝撃の言葉を口にする。
「……畑山先生……あんたを殺す事だよ」
「……え?」
愛子は一瞬、何を言われたのかわからなかった様で思わず間抜けな声を漏らした。周囲の者達も同様で、一瞬ポカンとするものの、愛子よりは早く意味を理解し激しい怒りを瞳に宿して清水を睨みつけた。
清水は、生徒達や護衛隊の騎士達のあまりに強烈な怒りが宿った眼光に射抜かれて一瞬身を竦めるものの、半ばヤケクソになっているのか視線を振り切る様に話を続けた。
「何だよ、その間抜面。自分が魔人族から目を付けられていないとでも思ったのか? ある意味、勇者より厄介な存在を魔人族が放っておく訳無いだろ。"豊穣の女神"……あんたを町の住人ごと殺せば、俺は、魔人族側の"勇者"として招かれる。そういう契約だった」
清水はその時の事を思い出す様に口元をひくつかせながら、次第に声高になりつつ続ける。
「そいつが言ったんだ、俺の能力は素晴らしいって。勇者の下で燻っているのは勿体無いってさぁ。やっぱり、分かる奴には分かるんだよ。実際、超強い魔物も貸してくれたし、それで想像以上の軍勢も作れたし……だから、だから絶対、あんたを殺せると思ったのに! 何だよ! 何なんだよっ! 何で、六万の軍勢が負けるんだよ! 何で異世界にあんな兵器があるんだよっ! お前は、お前は一体何なんだよっ!」
最初は嘲笑する様に生徒から放たれた"殺す"という言葉に呆然とする愛子を見ていた清水だったが、話している内に興奮してきたのか、ソウゴの方に視線を転じ喚き立て始めた。その眼は陰鬱さや卑屈さ以上に、思い通りにいかない現実への苛立ちと、邪魔したソウゴへの憎しみ、そしてその力への嫉妬などがない交ぜになってドロドロとヘドロの様に濁っており、狂気を宿していた。
どうやら清水は、目の前の黄金の鎧の人物をクラスメイトの常磐ソウゴだとは気がついていないらしい。顔が隠れているので当たり前と言えば当たり前だが……。
清水は今にも襲いかからんばかりの形相でソウゴを睨み罵倒を続け、ソウゴは変身を解いて生身を晒す。突然明かされた正体に清水は「お前……常磐、か?」と呟き、その後ソウゴが自分に向ける視線が冷め切っている事に気づいた。まるで道端のゴミや汚物を見る様な目が言外に「視界に入れる事すら不快」だと如実に物語っており、更に清水を激昂させていた。
ソウゴに注意が向いたお陰か、衝撃から我を取り戻す時間が与えられた愛子は一つ深呼吸をすると、激昂しながらも立ち向かう勇気はない様でその場を動かない清水の片手を握り、静かに語りかけた。
「清水君。落ち着いて下さい」
「な、何だよっ! 離せよっ!」
突然触れられた事にビクッとして咄嗟に振り払おうとする清水だったが、愛子は決して離さないと云わんばかりに更に力を込めてギュッと握り締める。
「清水君……君の気持ちはよく分かりました。"特別"でありたい、そう思う君の気持ちは間違ってなどいません。人として自然な望みです。そして、君ならきっと"特別"になれます。だって方法は間違えたけれど、これだけの事が実際にできるのですから……でも、魔人族側には行ってはいけません。君の話してくれたその魔人族の方は、そんな君の思いを利用したのです。そんな人に、先生は大事な生徒を預けるつもりは一切ありません!」
清水は愛子の真剣な眼差しと視線を合わせることが出来ないのか、徐々に落ち着きを取り戻しつつも再び俯き、前髪で表情を隠した。そんな清水へ、愛子は願いを込めて言葉を重ねる。
「……清水君、もう一度やり直しましょう? 皆には戦って欲しくはありませんが、清水君が望むなら、先生は応援します。君なら絶対、天之河君達とも肩を並べて戦えます。そしていつか、皆で日本に帰る方法を見つけ出して、一緒に帰りましょう?」
清水は愛子の話しを黙って聞きながら、いつしか肩を震わせていた。優花や淳史達も護衛隊の騎士達も、清水が愛子の言葉に心を震わせ泣いているのだと思った。実はクラス一涙脆いと評判の園部優花が、既に涙ぐんで二人の様子を見つめている。
が、そんなに簡単に行く程現実というのはいつだって甘くない。
肩を震わせ項垂れる清水の頭を優しい表情で撫でようと身を乗り出した愛子に対して、清水は突然握られていた手を逆に握り返しグッと引き寄せ、愛子の首に腕を回してキツく締め上げたのだ。
思わず呻き声を上げる愛子を後ろから羽交い絞めにし、何処に隠していたのか十センチ程の針を取り出すと、それを愛子の首筋に突きつけた。
「動くなぁ! ぶっ刺すぞぉ!」
裏返ったヒステリックな声でそう叫ぶ清水。その表情はピクピクと痙攣している様に引き攣り、眼はソウゴに向けていた時と同じ狂気を宿している。先程まで肩を震わせていたのは、どうやら嗤っていただけらしい。
愛子が、苦しそうに自分の喉に食い込む清水の腕を掴んでいるが引き離せない様だ。周囲の者達が、清水の警告を受けて飛び出しそうな体を必死に押し止める。清水の様子から、やると言ったら本気で殺るという事が分かったからだ。皆、口々に心配そうな、悔しそうな声音で愛子の名を呼び、清水を罵倒する。
因みに、ソウゴは未だ動いていなかった。実は薄々こんな状況になると感づいていたのだが、清水と愛子の醜悪さと甘さにソウゴは呆れて動く気になれなかったのだ。だがそこはソウゴも慣れたもので、即座にこの状況を解決する策に思考を割き始めた。
「いいかぁ、この針は北の山脈の魔物から採った毒針だっ! 刺せば数分も持たずに苦しんで死ぬぞ! 分かったら全員、武器を捨てて手を上げろ!」
清水の狂気を宿した言葉に、周囲の者達が顔を蒼褪めさせる。完全に動きを止めた生徒達や護衛隊の騎士達にニヤニヤと笑う清水は、その視線をソウゴに向ける。
「おい、常磐! お前もだ! さっきから馬鹿にしやがって、クソが! これ以上ふざけた態度とる気なら、マジで殺すからなっ! 分かったら武器を寄越せ! お前の持ってるやつ全部だ!」
清水の余りに酷い呼び掛けに、つい鬱陶しくなり聞こえてないふりをしてみるが無駄に終わり、面倒そうに溜息を吐くソウゴ。緊迫した状況にも拘らず全く変わらない態度で平然としている事に、またもや馬鹿にされたと思い清水は癇癪を起こす。そしてヒステリックに、ソウゴの持つ武器群を渡せと要求した。
ソウゴはそれを聞いて、非常に冷めた眼で清水を見返した。
「醜悪なだけでなく、魂の果てまで腐りきっている愚物とはな。最早三流の小悪党にも及ばん害悪に等しい。よくもまぁ今まで誰も気づかなかったものだな」
「う…うるさい、うるさい、うるさい! いいから黙って全部渡しやがれ! お前らみたいな馬鹿どもは俺の言う事聞いてればいいんだよぉ! そ、そうだ、へへ、おい、お前のその奴隷も貰ってやるよ。そいつに持ってこさせろ!」
最早地べたに捨てられたゴミと同等だと言われ、更に喚き散らす清水。追い詰められすぎて、既に正常な判断が出来なくなっている様だ。その清水に目を付けられたシアは、全身をブルリと震わせて嫌悪感丸出しの表情を見せた。
「下卑た虫けら程口と悪知恵は回るから質が悪い……それよりシア、気持ち悪いからといって私の後ろに隠れるな。アレの視線で汚れるだろう。主に目に見えない何かが」
「だって、ホントに気持ち悪くて……生理的に受け付けないというか……見て下さい、この鳥肌。有り得ない気持ち悪さですよぉ」
「それはそうだろうよ。古来より英雄やら勇者というのは、なろうと思った時点で既にその資格を失うと決まっている。自称する輩は大概名声欲に駆られた阿呆だが、アレはそれ以下の虫けらだからな」
態と聞こえる様に会話する二人の声は、嫌悪感のせいでより声が大きくなり全員に聞こえていた。清水は口をパクパクさせながら次第に顔色を赤く染めていき、更に青色へと変化して、最後に白くなった。怒りが高くなり過ぎた場合の顔色変化がよくわかる例である。
清水は虚ろな目で「俺が勇者だ、俺が特別なんだ、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ、アイツ等が悪いんだ、問題ない、望んだ通り全部上手くいく、だって勇者だ、俺は特別だ」等とブツブツと呟き始め、そして突然何かが振り切れた様に奇声をあげて笑い出した。
「……し、清水君……どうか、話を……大丈夫……ですから……」
狂態を晒す清水に愛子は苦しそうにしながらもなお言葉を投げかけるが、その声を聞いた瞬間、清水はピタリと笑いを止めて更に愛子を締め上げた。
「……うっさいよ。いい人ぶりやがって、この偽善者が。お前は黙って、ここから脱出するための道具になっていればいいんだ」
暗く澱んだ声音でそう呟いた清水は、再びソウゴに視線を向けた。興奮も何も無く、負の感情を煮詰めた様な眼でソウゴを見て、次いで腰に佩かれた剣を見る。言葉は無くても言いたい事は伝わった。ここで渋れば自分の生死を度外視して……いや、都合のいい未来を夢想して愛子を害しかねない。
ソウゴはチラリと清水の遠く背後に視線を向けると溜息をつき、「どうやらここらが限界らしい」と呟いた。ソウゴはその視線を清水……ではなく愛子に向けて言葉を発する。
「先生殿、どうやら貴様の願いは果たせないらしい」
「…………?」
ソウゴの言葉の意味が理解出来ず、苦しみながら疑問を浮かべる愛子。
清水が自分を無視して話を進めようとするソウゴに、またも何やら喚きたてる。ソウゴもそれを無視し、どこからか取り出した苦無を二本上空へ投げる。
それに皆が目を奪われた途端、事は動いた。
「"シャンブルズ"」
ソウゴの言葉が響いた途端、愛子は突如自分の首を圧迫する感覚が無くなった事を認識した。そして、その場の全員が目にした。
宙を進む苦無の一本が、清水と入れ替わったのを。そして、いつの間にもう一本の苦無に近くに、ソウゴが飛んでいた事を。
「はっ、え……な、何なんだよ! どこだよここ!?」
"飛来神の術"で移動したソウゴは、突如空中に投げ出されて混乱する清水と──その奥にいる飛行型の魔物とその上にいる魔人族の狙撃手を視界に収めながら己の両腕を構える。
「貴様の恩師の顔を立てて控えていたが、最早見るに堪えん」
その瞬間、周囲の空間が歪む程の熱量が集中し、両手に超々高温の火炎球が生成される。それを見て、全員が察した。具体的な事は分からないが、ソウゴは清水を始末するつもりだと。
「駄目! やめて下さい!!」
愛子の必死の懇願が耳に入るが、空中にいるソウゴを止められる筈も無く、そんな制止で止まる程ソウゴも甘くない。
「"バーニングサン・エクスプロージョン"」
ソウゴの放った太陽の如き業火の柱は、断末魔を上げる暇も無く清水と魔人族の男を飲み込み灰すら残さず焼き払った。地上の面々は、高々人間一人を殺すには過剰な火力とそれを躊躇い無く行われた事に、ただただ目を背け、または震えるばかり。
それを尻目に全てを焼き尽くした事を確認したソウゴは、振り返らずに地上に降りた。
「……どうして?」
地上に戻ったソウゴに対する最初の言葉が、愛子のその問いだった。呆然と、死出の旅に出た清水の面影を見つめながら、そんな疑問の声を出す。
ソウゴは愛子を見る。同時に、愛子もまたソウゴに視線を向ける。その瞳には、怒りや悲しみ、疑惑に逃避、あらゆる感情が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
「こうするのが最適だったからだ」
そんな愛子の疑問に対するソウゴの答えは実に簡潔だった。
「そんな! 清水君は……」
「戻れた筈だと? フッ、それこそ無いな。覚えておけ、世の中には生まれた時から性根の腐っている、救いようの無い邪悪というものが存在する。奴はその中でも特に酷い、害悪の類だった。生かした方が不都合になる。それは必ず、貴様の願いから遠ざかる結果になるぞ」
愛子の言わんとする事を一笑に付し、ソウゴは清水が生きている方がデメリットが大きいと告げた。最早最初から更生の余地は無かったと愛子に説明する。
唇を噛み締め、俯く愛子。言葉が続かない。ソウゴはそんな愛子を見て、ここでのやるべきことは終わったと踵を返した。
その時だった。
「っ!? 伏せろ!」
即座に振り返り、ユエも聞いた事が無い様なソウゴの焦った叫びが響いたのは。
瞬間、空間を衝撃が支配する。
「チッ!」
突然の衝撃に反応できないユエ達以外の面々に舌打ちしつつ、ソウゴは"界時抹消"を発動し全員を衝撃の範囲外へ逃がす。
「え……、えっ?」
「何が起きたんだよ……俺達いつの間に……」
「ど、どうしたんですか!?」
突然の視界の変化に戸惑う一同。それに取り合う事も無く、ソウゴは先程まで自分達がいた場所を睨む。その視線の先には……
「……何あれ? 魔力は感じないけど……」
「魔物……ですかね? 気配もありませんよ?」
「妾は見た事無いのぉ」
そこにあったのは、突起の生えた紫の球体だった。直径は一メートル半ぐらいだろうか。見聞きした事も無く、記憶にも無いその存在に、ユエもシアもティオも首を傾げる。
「何故ここに……今はその時期では無いぞ! ……精霊達が騒いでいたのはこれが原因か、嫌な予感ばかり当たるものだな……!」
だがソウゴは目の前の存在に心当たりがあるのか、苛立たし気に顔を歪めていた。その珍しさに、ユエが質問を投げる。
「……ソウゴ様は、あれが何か知ってるの?」
「あぁ、年に一度相手にするからな」
心底面倒そうな顔をしながら、しかし視線を逸らす事無く球体を睨みつけたまま手短に伝える。
「奴は虚空怪獣グリーザ、生物か非生物かも分からん虚無の化身だ。自我のある災害とでも思えばいい。兎に角面倒の一言に尽きる」
その場の全員を庇う様に腕を出しながら前に立つソウゴ。その腰には、再びドライバーが巻かれている。その見た事の無いソウゴの様子に不安になりつつ、優花が口を開いた。
「あいつも、清水の操ってた魔物なの? そんなに強そうに見えないけど……」
「それならどれだけ良かったか。生憎とあれは人の手で操れるものではない。それと見た目で判断するのはやめておけ。私が先生殿と同じ頃、奴の攻撃で腹に大穴を開けられた」
ソウゴの言葉に、シアやティオ、ユエまでもが目を見開く。今より若く力も無かったのだろうが、二つの大迷宮を、暴走したティオを、六万の軍勢を無傷で退けたソウゴが大怪我を負わされたなど、俄かに信じられなかった。
「ユエ、シア、ティオ。貴様等は先生殿達を守れ。私が戦う」
「そんな!? そこまで強いなら私達も!」
ソウゴが一人で戦うと言い、それにシアが一緒に戦うと抗議する。だが、
「己惚れるなっ!! 貴様等の実力では戦っても死ぬだけだ!」
声を荒げ、決して手を出すなと伝えるソウゴ。今目の前にいる敵は、ユエ達程の力があっても足手纏いにしかならない存在。ソウゴの言葉からそれを感じ取り、三人とも悔し気に顔を歪めていた。
「……必ず戻る、頼んだぞ。……変身!」
『オーマジオウ!!』
再びオーマジオウの鎧を纏い、ソウゴはグリーザに突撃する。
すると、今まで不自然な程静寂を保っていたグリーザは、ソウゴの接近を感じ取ったのか姿を変え始めた。紫色の球体の第一形態から、成人と同程度のサイズの、不規則な残像を残す人型の第二形態へと。
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ」
まるで笑い声の様な不快な鳴き声を発しながら、グリーザはソウゴの突き出した拳に合わせる様に自身も拳を振るった。
その拳がぶつかり合った瞬間。
「メタフィールド展開!」
ソウゴの叫びと共に、ソウゴとグリーザの姿が消えた。ソウゴによって、外部から認識する事も干渉する事も不可能な空間へとグリーザを引きずり込んだのだ。
愛子や優花達は勿論、ユエ達ですら、ソウゴの無事を願いただ祈るしかなかった。
「はっ!」
「ヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ」
自分達を外界から遮断した途端、ソウゴは膝蹴りを浴びせてグリーザを後退させて距離を取る。それでダメージが通ったのか否か、グリーザは即座に反撃に出る事は無く、その場で不規則に揺れるのみだった。
赤い空と岩肌の荒野だけが広がる異空間"メタフィールド"の中で、短くも激しい戦いが幕を上げた。
最初に動いたのはグリーザだった。
「ヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ、ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハ!」
奇怪な声を漏らしながら、グリーザはその体を徐々に大きくしていく。そのままサイズを変えながら、グリーザは瞬時にソウゴの目の前に飛び踏み潰しにかかる。
「ふんっ!」
それにソウゴは逢魔剣を抜き放ち対応する。迎え撃つ技は"絶剣技初ノ型・紫電"。振り抜きの速度を優先した高速剣でグリーザの足を弾く。それと同時にソウゴは飛び退き、大きく後方へ着地する。
ソウゴは胸の前で両腕を交差させ、全身の力を集中させる。するとその体を光が包み、ソウゴもその体を巨大化させた。
「今度はこちらから行くぞっ!」
ソウゴは言葉と共に、逢魔剣に光を纏わせながらグリーザに迫る。亜光速の斬撃の嵐、"光陰剣撃五徳"がグリーザを襲う。
ソウゴの持つ全ての武器の特性を兼ね備えた逢魔剣は、当然だがグリーザに特攻を持つ"エクスラッガー"や"べリアロク"の性質も持つ。その斬撃が当たれば、勿論グリーザとて大ダメージだろう。
だがそれをグリーザも感じ取ったか、その全てを予測不能な動きで以て致命的な場所への直撃を避ける。だがグリーザが避ける事はソウゴも予測していたのか、最後の斬撃を躱したグリーザの眼前にはソウゴの掌が構えられている。
「吹き飛べ!」
"神羅天征"を発動し、そこへ不完全ながらも"グレートホーン"を相乗させる。意図しない衝撃と動きによって、グリーザはリズムを崩す。グリーザから距離が離れると、ソウゴは逢魔剣を振りかぶると同時に飛来神の印を付けた苦無を投げる。
ソウゴは"飛来神の術"で苦無の側まで飛び、確実な距離で振りぬいた。
「"空裂斬"!」
「ヒャッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ」
目に見えないもの、実体無きものを斬り裂く"空裂斬"。すれ違い様に放たれた一振りは、ここで初めてグリーザに有効打を与える。少しよろめいた様に動きを乱すグリーザだが、直ぐに振り返り怪音波"グリーザアクオン"を繰り出す。
「! ふっ!」
ソウゴは即座にナギナギの無音障壁"サイレント"を使い音波を遮断する。音波が効かないと見るや、グリーザは直ぐに対応を変える。
「ホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」
頭部に見える部位から"グリーザボルテックス"を放ち、ソウゴを狙い撃つ。ソウゴは"アトミック・サンダーボルト"で相殺し、続けて放たれた"グリーザダブルヘリックス"を叩き落とす。
ソウゴは瞬間移動でグリーザの背後に転移し、間髪入れずに"破邪百獣剣"を叩き込む。それにグリーザも瞬間移動する事で掠める程度に留め、上半身を輝かせる。
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」
虚無を破壊光線にして放つ“グリーザダークライトニング”を、ソウゴは逢魔剣で受け止める。
「ぐっ、光あれ!」
ソウゴは逢魔剣を輝かせ破壊光線を払い除け、これで最後とばかりに逢魔剣に力を込める。グリーザの撒き散らすビームや電撃をノーガードで駆け抜け、虹色の輝きと黄金の雷を纏った刀身を叩き込む。
「"ゼスディオン・デルタエックス"!」
渾身で放たれたXとZを描く光の五連斬撃に、グリーザの揺らめきが徐々に収まっていく。
「ヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ…………」
そしてその動きが完全に停止し……グリーザは爆発に飲み込まれた。
グリーザがいなくなった空間の中で、元のサイズに戻ったソウゴの誰に聞かせるでもない呟きが響いた。
「……偶然の産物か、のどかの思惑か知らんが……思わぬ面倒事に遭遇したものだ」
徐々に消えていく空間で、ソウゴは変身を解きながら溜息を吐いた。
ソウゴがユエ達の所に戻り、移動しようとする背中に声をかけたのは愛子だった。
「常磐さん! ……先生は……先生は……」
言葉は続かなくとも、"先生"の矜持がソウゴの名を呼ぶ。ソウゴは少し立ち止まると、肩越しに愛子に告げる。
「……すまんな。だが、貴様の理想は既に幻想だ。ただ……出来れば、折れてくれるな」
そして、今度こそ立ち止まらず周囲の輪を抜けると「住民に勝利の報告をせねばな」と言って【ウルの町】の方へ去ってしまった。
後には何とも言えない微妙な空気と、生き残った事を知らされ喜ぶ町の喧騒だけが残った。
数時間後。
【北の山脈地帯】を背に真紅のハイパーカー『トライドロンMrk.XX』が砂埃を上げながら南へと街道を疾走する。何年もの間、何千何万という人々が踏み固めただけの道であるが、【ウルの町】から【北の山脈地帯】へと続く道に比べれば遥かにマシだ。超高性能四輪は、振動を最小限に抑えながら快調にフューレンへと向かって進んでいく。
尤も、後ろの座席で窓を全開にしてウサミミを風に遊ばせてパタパタさせているシアは四輪より二輪の方が好きらしく、若干不満そうだ。何でも、ウサミミが風を切る感触やソウゴにギュッと抱きつきながら肩に顔を乗せる体勢が好きらしい。
運転は当然ソウゴ。その隣は定番の席でユエだ。後部座席にウィルを挟む様にティオとシアが乗っている。
すると、ソウゴが少しの間だけ運転を自動にし、他のメンバーにハンバーガーを手渡した。
「食べておけ。準備で何も腹に入れてなかっただろう」
「あ、ありがとうございまーす」
「ど、どうも……」
それぞれの返事をしながら、ソウゴから食事を受け取る一同。ソウゴはそのまま、ティオに挨拶を促した。
「おいティオ、確か正式な挨拶はまだだったろう? これから共に旅する仲間だ、ユエとシアにしておけ」
「む、そういえばそうじゃの。うむ! では、これから宜しく頼むぞ! ご主人様、ユエ、シア。妾の事はティオでいいからの! ふふふ、楽しい旅になりそうじゃ!」
新たな仲間、竜人族ティオが加わり、一行は【中立商業都市フューレン】へと向かう。
そこに待つ新たな出会いを、当然ソウゴ達は知らない。そして【フューレン】の更にその先に、奇跡の様な再開が待っている事も。
ソウゴ達が去って三日経ったウルの町。
六万にも及ぶ魔物の軍団に迫られ、それでも町も人も無傷という起きた事態に対してまさに奇跡としか言い様のない結果。
その吉報は、直ちに避難した住民達や周辺の町、王都に伝えられた、戻ってきた住人達は、再会した家族や恋人、友人達と抱きしめ合い、互いの無事を喜び合って【ウルの町】はさながらお祭りのような喧騒に包まれていた。
町の周囲にはソウゴが残していった防壁がそのまま残っており、戦いの一部始終を見届けた者達は如何に常識を超えた戦いだったのかを身振り手振りで、防壁から荒れた大地に視線をやりながら神話の語り部の如く語って聞かせた。
避難していた人達、特に子供達はそんな彼等の話に目をキラキラさせている。抜け目のない商人達は、既にソウゴの防壁を【ウルの町】の新たな名物として一儲けする算段を付けていた。
そして町の人々は、戦時のソウゴの威光に当てられ、ソウゴを『神を超える真なる王』、"真王陛下"と崇め奉り、ソウゴの防壁に"真王の盾"と名づけて敬った。
また、それと同時に愛子の"豊穣の女神"の名もより力をつけていった。ソウゴは愛子の願いにより地上に降り立ったと噂されている為、愛子を神聖視する声もより強くなったのだ。
それからというもの、愛子は町を歩けば全ての人間の視線が集まっているのではという程の集中砲火を受け、中には「ありがたや~」と拝み始める人までいる。この町で確かに目に見える形で人々を救った愛子は、正しく"女神"だった。その噂は既に周辺へと伝播を始めている。少なくとも、【ウルの町】では既に聖教教会の司教さえも愛子の、延いてはソウゴの言葉の方に重きを置いているので、その影響力は聖教協会を超えているのは間違いないだろう。
一方その愛子はというと……町の復興支援やら重鎮達への対応を無難にこなしつつ、それでも親しい人には丸分かりな位あからさまに心此処に在らずという有様だった。
原因は、言わずもがなだろう。戦いの前にソウゴから伝えられた数々の衝撃の事実の事もあるが何より、ソウゴが清水を殺した事が、その瞬間の光景が、愛子の脳裏から離れず心を蝕んでいるのである。
その日も一日の役目を終えて夕食時となり、“水妖精の宿”でいつのもの様に優花達や護衛隊の騎士達と食事をとっていたのだが、愛子は機械的に料理を口に運びつつも、どこかボーとした様子で会話の内容にも気のない返事をするばかりだった。
「愛ちゃん先生……やっぱり、愛ちゃん先生の魔法は凄いですよね! あんなに荒れてた大地もどんどん浄化されていって……あと一週間もあれば元に戻りそうですもんね!」
「……そうですね……よかったです」
優花が、愛子の心此処に在らずな様子に気がつきつつも、殊更明るい様子で話しかける。愛子の変調の原因を理解している為に何とか励ましたいのだ。しかし優花の明るさを含んだ言葉にも、愛子はまるで定型文をそのまま言葉にした様な気の無い返事しか返さない。
優花自身、恩人によるクラスメイトの殺害という衝撃の光景が未だ小さくない動揺を齎している為、愛子を励ます姿に無理している雰囲気が滲んでいる。そんな優花であるから、本心から場を明るくする事など出来る筈も無く、愛子への気遣いもあまり効果は出ていなかった。当然、それは淳史達も同じだった。
「愛子……今日も町長や司教様から何か言われたのか? 本当に困ったら俺に言ってくれ。例え、司教様が相手でも愛子を困らせる様な真似は俺が許さない。俺が愛子の騎士なんだからな。いつでも、俺だけは愛子の味方だ」
「……そうですね……よかったです」
デビッドが、励ましたいのか口説きたいのかよくわからない言葉を愛子に贈る。
神殿騎士でありながら司教に楯突くという発言はかなり危ないのだが、既に愛の戦士と成り果てているデビッドには関係ないのだろう。
やたらと"俺"という部分が強調されており、周囲の騎士達はさり気なく抜け駆けしようとしている自分達の隊長に鋭い牽制の視線を送っている。
しかし、そんなデビッドのさり気ないアピールは某お昼の長寿番組の相槌の如き同じ言葉であっさり流された。聞いていたかも怪しいところだ。淳史達が肩を落とすデビッドに「ざまぁ~」という表情をする。一部の騎士達も同じ表情をしている。
そんな生徒達や騎士達のやり取りにも気がついていないのか、愛子は特に反応する事も無く淡々と食事を続けていた。
(……私が、もっときちんと清水君とお話が出来ていれば……あの子の思いにもっと早く気がついていれば……そうすればこんな事にはならなかった。……それに、年長者とはいえ同じ生徒である彼に、あんな事を頼まなければ……あの時、人質になんかならなければ……。私が……死んでいれば……彼も清水君を殺す必要なんて……どうして、殺したの……同じクラスメイトなのに……最初から手遅れだったって……それだけであんなにあっさり? ……人を殺すってそんなに簡単な事なの? ……そんな簡単に出来てしまう事なの? ……そんなのおかしい……人は魔物ではないのに……あんな躊躇わずに……彼は……簡単に人を殺せる人間? ……放っておけば他の子達も……彼は危険? ……彼がいなければ清水君も死ななかった? ……彼がいなくなれば他の子達は安全? ……彼さえいなければ……、ッ!? 私は何を! ……ダメ、これ以上考えてはダメ!)
今の愛子の心の内は、後悔と自責を延々と繰り返している状態だった。……そして下手をすればソウゴへの恐れと恨みが芽生えそうで、それを慌てて打ち消し、再び最初の思考に戻るという事を繰り返していた。
考える事が多すぎて、考えたくない事も多すぎて、愛子の心はまるで本棚が倒壊した図書館の様に整理されていない情報が散乱しグチャグチャの状態だった。
そんな時、スっと心に響く様な穏やかで温かみのある声音が愛子に届く。
「愛子様。本日の料理は、お口に合いませんでしたか?」
「ふぇ?」
"水妖精の宿"オーナーのフォス・セルオだ。彼の声は決して大きくはないどころか、寧ろ小さいくらいだ。だが、この宿にいる者でフォスの言葉を聞き逃す者はいない。彼の深みがあって落ち着いた声音は、必ず相手に届くのだ。今も心を思考の渦に囚われていた愛子へあっさり言葉を届け、その意識を現実へと回帰させた。
変な声を出してしまった事に気がつき、愛子は少し頬を染めつつ穏やかに微笑むフォスに視線を向ける。
「え、えっと何でしょう? すいません、ちょっとボーっとしてました」
「いえいえ、お気になさらず。何やら浮かないお顔でしたので、料理がお口に合わなかったのかと。宜しければ他をお出ししますが……」
「い、いえ! お料理はとっても美味しいですよ。ちょっと考え事をしていたもので……」
とても美味しいと言いながら、食べた料理の味が思い出せない愛子。周囲を見渡せば、優花達やデビッド達も、どこか心配そうな眼差しを自分に向けている。
自分が相当思考の坩堝に嵌っている事に気がつき、これではいけないと気を取り直し食事を再開するが、少し慌てていた為気管に入り盛大に咽た。
涙目でケホッケホッと咽る愛子に、生徒達や騎士達があわあわとする。そんな様子を視界に収めつつ、さり気なくナプキンと水を用意するフォス。
「す、すみません。ご迷惑を……」
「迷惑など、とんでもない」
愛子の失態を見ても穏やかな微笑みを崩さないフォスに、安心感を抱きつつも恐縮する愛子。そんな愛子に、フォスは目を細めると少し考える素振りを見せて、やはり静かな落ち着いた声音で語りかけた。
「ふむ。愛子様、僭越ながら一つ宜しいでしょうか?」
「え? えぇ、はい。なんでしょうか?」
「愛子様の信じたい事を信じてみてはいかがでしょう?」
「へ?」
フォスの脈絡のない言葉に愛子は頭に"?"を浮かべて首を傾げる。それに「言葉足らずでした」と苦笑いしながらフォスが話を続ける。
「どうやら愛子様の心は今、大変な混乱の中にある様に見受けられます。考えるべき事も考えたくない事も多すぎて、何をどうすればいいのかわからない。何が最善か、自分がどうしたいのか、それもわからない。わからない事ばかりで、どうにかしなければと焦りばかりが募り、それがまた混乱に拍車をかける悪循環。違いますか?」
「ど、どうして……」
今の愛子の心の内をドンピシャで言い当てられて、思わず言葉を詰まらせる愛子。そんな愛子に、フォスは「色々なお客様を見てきていますので」と穏やかに微笑む。
「そういう時は取り敢えず、"信じたいものを信じてみる"というのも手の一つかと。よく人は信じたいものだけを信じて真実を見逃すと、そう警告的に言われる事があります。それは確かにその通りなのでしょう。しかし、人の行動は信じるところから始まると私などは思うのです。ならば、"動けない"時には逆に"信じたいものを信じる"というのも悪くない手だと、そう思うのです」
「……信じたい事を信じる」
フォスのその言葉を、愛子は反芻する。愛子の心は今、後悔と罪悪感と、芽生えそうなソウゴへの疑心、恨みでぐるぐると渦巻いている。ソウゴは確かに愛子の大切な生徒ではあったが、同じく大切な生徒である清水を殺害し、場合によっては他の生徒の命をも奪いかねない存在であると理解した瞬間、ソウゴを自分の大切なものを奪おうとする脅威であると認識してしまったのだ。
それでも、本人が以前言っていた通りソウゴもまた生徒である以上、完全に切り捨てられない。大量虐殺をしようとした清水を見捨てられなかった様に。だからこそ、どうすればいいのかわからず混乱する。難儀な性格であると愛子自身も思うが、こればっかりは仕方ない。それが畑山愛子"先生"なのだから。
フォスは愛子に何があったのかを知らない。彼女がある意味、信じたい事を信じ過ぎたが為に今の状態にあるとは知らない。それでも信じていたものが尽く崩れ去って身動きが取れなくなっている状態で盛大に失態を演じた今では、見え方も異なり有効かもしれなかった。
そう思った愛子は、食事の手を止めて思考に没頭し始める。
(信じたいものを信じる。私が信じたい事……何でしょう? 一つは、生徒達と皆で日本に帰る事です。でも、それはもう叶わない。今は、これ以上欠ける事無く皆で帰れるという事を信じたい。……彼の話、檜山君に攻撃されたという話。それは信じたくありません……彼が、邪魔すれば私達でも殺すと言った事、人殺しを躊躇わない人間に…生徒達を脅かす敵に……これも信じたくありません。でも実際、彼はあの子を……清水君を躊躇わず殺した。ならもう彼は……いえ、信じたい事を信じるのです)
再び黒い感情が浮かびそうになるのを、瞑目して押さえ込む愛子。周囲の者達は、微動だにせず何かを考え込む愛子を心配そうに見ている。
(彼は言っていました、"生きている方が不都合になる"と。それに"私の願いから遠のく"とも。つまり、清水君を生かせば、後々私達が帰還する事の障害になると危惧したから殺した。それは、私達を思っての事。実際、ただの冷酷な人間ならユエさんやシアさんがあんなに信頼を寄せる筈がありません。それに彼は、"すまん"と謝っていた。つまり、私が、清水君をどうにか出来れば、ギリギリまで殺すつもりは無かった。いずれではあっても、あの時ではなかったしれない。……実行したという事は、あの時点で私が説得出来るとは思えなかったのですね……清水君を生かしたければ、改心させられると確信出来るくらいの何かを私が見せなければならなかった……結局は、私が無力なばかりに……清水君は……それでも、あんな風に殺すなんて……)
清水を焼き殺したソウゴにも、そうするだけの明確な理由があった。だから人殺しを何とも思わない壊れた人間などではなく、理解できない化け物でもなく、闇雲に生徒達を害する敵でもなく、未だ自分の言葉が届く"生徒"なのだと信じようとする愛子。
するとその思考過程で、ソウゴの行動の不自然さに気付いた。
(そういえば何故、彼は態々空中に飛んだのでしょう? 恐らく彼なら、直接清水君の後ろに行く事も出来た筈……確かあの時、彼は直前まで私でも清水君でもなく、その後ろを見ていた様な……。それに、清水君が焼かれた時、その後ろに誰か……魔人族! そうです、確か魔人族がいました。……清水君が言ってました、私も魔人族に狙われていると。もしあの魔人族が清水君の仲間だとしたら……)
愛子は、目を大きく見開いた。今更気がついた事実に愕然とする。
(……あのままなら、清水君ごと、私が攻撃されていた? 彼は……私を守る為に、態々清水君を遠ざけた? ……だとすれば、清水君に捕まらなければ、彼は私を気にする必要も無く、清水君を殺す必要も無かった! 私は何という事を!)
自分の軽率さのせいで、自分こそが生徒を殺したのだと、愛子は一瞬で青ざめる。
生徒という存在は、愛子を支える根幹だ。だからこそ自分がその大切な生徒の死の遠因という事実は、愛子の心を打ち砕く。あまりの衝撃に、心が本能的な防衛機構を働かせ、愛子の意識を奪おうとする。視界が暗闇に閉ざされていく。
だが愛子がそのまま闇に身を委ねようかと思った瞬間、脳裏にソウゴの去り際の言葉がふと蘇った。
──"出来れば、折れてくれるな"
あの時は衝撃の連続に心がついて行かず、碌に考えぬまま面倒事が多いだろうけど頑張れ位の意味だろうとあっさり流した言葉だ。
(もし……もしあの言葉が、今の私を予測しての事なら……彼は心配してくれたのでしょうか? ……私が、清水君の死の原因は私自身だと気がついて"折れてしまう"事を。だから……彼自身が直接手を下した……私が、罪悪感に折れてしまわない様に……先生でいられる様に……)
愛子とて、ソウゴの価値観は理解しつつあった。だから、全てが自分の為だとは思わない。
しかしそれでも、ソウゴが愛子に思考を割いて行動を起こしたという考えは否定できそうになかった。たとえ勘違いだとしても。
愛子の閉じかけた心の扉が、完全に閉まる寸前で動きを止める。そして、再びゆっくりと開き始めた。狭まった視界は、再び広がり始める。心はまだ極寒の如き冷たさを感じているが、同時に小さくとも確かな火が灯った事も感じた。
(私は、彼に守られていたのですね……いえ、彼だけでなく他にも多くの人に守られている。今も傍らのこの子達が私を守ってくれている。守る事ばかり考えて、守られている事実に気がつかないなんて……未熟ですね。ならば、勝手に自己完結している場合ではありません……)
愛子が決然とした表情をする。
きっと、清水を自分のせいで殺したという思いは一生消える事は無いだろう。それでも、自分を先生と慕って頼ってくれる生徒がいる限り勝手に立ち止まる訳にはいかないし、立ち止まりたいとも思わない。
愛子は、例え世界が変わっても"先生"として出来る事をしようと改めて誓う。但し、今度は自分の理想に踊らされない様に心掛けて。もうソウゴに対する疑心や恐怖、恨みは無かった。
(彼も不器用な人ですね……私に恨まれるかもしれない、敵対する事になるかもしれない、そう分かっていながら……そう言えば、私の言葉を受け取って、力を貸してくれたのでしたね……もしかするとお返しの意味もあったのでしょうか? 思えば、彼には助けられてばかりです。教えてもらった真実もそうですし、結局町も救ってくれて、その上、あれだけの戦いの中、約束を守って清水君を連れてきてくれました。思い返すと、私は滅茶苦茶ですね。あれもこれもと理想ばかり追いかけて……それを彼に押し付けてしまった……本当に未熟の極みです。それでも、彼が助けてくれたのは……)
改めて、ソウゴの世話になりっぱなしだと内心で苦笑いする愛子。先生として情けない限りだと我が身の未熟を恥じつつも、すっかり様変わりしたと思っていたソウゴにも、記憶の中にある彼の心が垣間見える事に嬉しさも感じる。
と、そこまで考えたところで、愛子は突然赤面したかと思ったら、いきなりテーブルをペシペシと叩き始める愛子。
因みに、愛子とて大人。恋愛経験が皆無というわけではない。だがしかし、見た目や言動の愛らしさに反して本気の恋愛とは縁が極めて薄いというのが実情だったりする。
何故なら、日本において見た目十代前半の少女である愛子に本気になるのは大抵"紳士"だけだからだ。愛子の中身を知っていいなぁと思う男は多くいるが、誰も不名誉さ爆発の"ロ"で始まるレッテルを貼られたくないので、大抵いい友達で終わる。
この世界では十代前半で嫁ぐのは珍しくもなんともないので、愛子の童顔低身長という少女の見た目でも気にする者はいない。故にデビッド達は本気なのだが……恋愛経験の少なさと、自分の様なチンチクリンに興味を持つ男なんていないと割り切ってしまっている為、異世界の男性陣から送られるラブコールにも一切気がつかないのだ。
という訳でソウゴのここ一連の行為は、愛子にとってかなり衝撃的だった。心が落ち着いて、一度思い出してしまうと脳裏にこびりついて離れないくらいには。
(……大体、彼にはユエさんとシアさんという恋人が……二人もいるなら今更一人増えたところで……って私は一体何を言っているの! 私は教師! 彼は生徒! ……でも、彼は年上だし……って、そもそもそういう問題じゃない! 別に、私は何とも思ってませんし! それに何故か普通に受け入れてましたけど二股ですよ! 不純異性交遊は禁止です! 不誠実です! 恋愛は一途であるべきです! ……二人いっぺんに何て……ッ、ハレンチな! そんなふしだらな関係は許しません! ええ、許しませんとも!)
テーブルを叩く音がペシペシからバシバシに変わる。
テーブルを叩き出したかと思えば、顔を両手で押さえてイヤイヤをし始め、またテーブルを叩き、またイヤイヤをし、最終的には「私は教師ぃー!」と言いながらテーブルに額を打ち付け始めた。
流石の愛子大好き集団である優花達やデビッド達護衛隊の面々も、彼女の奇行ぶりにドン引き状態だ。愛子が一人百面相と奇行を始めたきっかけとなったフォスは「おや、元気が出てきましたね」と変わらず穏やかに微笑んでいる。大物だ。
愛子はその後、ソウゴに対して感じたあれこれを、情緒不安定になっていた故の一時的な気の迷いという事で自己完結した。所謂吊り橋効果というやつだ(実際そうなのだが)。如何せんソウゴの容姿が整っているだけに余計に話が拗れてしまっただけだ。
そしてソウゴも生徒である事に変わりはない以上、ソウゴの情報が伝わった王国や聖教教会の上層部から万一に備えてソウゴの事を守らねばならないと、王国に戻る事を決意した。
愛子は気がついていない。ソウゴの事が自己完結ではなく、ただの棚上げである事を。
生徒達を心の中で呼ぶ時、"あの子"等と指示語で表すのに対して、ソウゴの事は"彼"と呼んでいる事を。
そして、芽生え始めた気持ちにも。その事に愛子が気がつくのは、もう少し先の話。
まさかその時が、高度八千メートル上空でのドッグファイトの最中だとは、この時の愛子には想像するべくもなかった。
没案
もしここで清水が死ななかった場合、王国襲撃の辺りでどさくさに紛れて始末するつもりでした。