ソウゴがリュウソウ族ばりに相手の事情やらルールやらに対して「知るかんなもん」とばかりに力づくで叩き潰す無双系の話が書きたい。
淡い緑色の光だけが頼りの薄暗い地下迷宮に、激しい剣戟と爆音が響く。その激しさは苛烈と表現すべき程のもので、時折姿が見えない遠方においても迷宮の壁が振動する程だ。
銀色の剣閃が虚空に美しい曲線を無数に描き、炎弾や炎槍、風刃や水のレーザーが弾幕の如く飛び交う。強靭な肉体同士がぶつかる生々しい衝撃音や仲間への怒号、裂帛の気合を込めた雄叫びが、本来静寂で満たされている筈の空間を戦場へと変えていた。
「万象切り裂く光、吹きすさぶ断絶の風、舞い散る百花の如く渦巻き、光嵐となりて敵を刻め! "天翔裂破"!」
聖剣を腕の振りと手首の返しで加速させながら、自分を中心に光の刃を無数に放つのは、天職"勇者"を持つ天之川光輝だ。
今正に襲いかかろうとしていた体長五十センチ程の蝙蝠型の魔物は、十匹以上の数を一瞬で細切れにされて碌な攻撃も出来ずに血肉を撒き散らしながら地に落ちた。
「前衛! カウント十!」
「「「了解!」」」
ギチギチと硬質な顎を動かす蟻型の魔物、宙を飛び交う蝙蝠型の魔物、そして無数の触手をうねらせる磯巾着型の魔物。それらが直径三十メートル程の円形の部屋で、無数に蠢いていた。部屋の周囲には八つの横穴があり、そこから魔物達が溢れ出しているのだ。
場所は【オルクス大迷宮】の八十九層。前衛を務めるのは"勇者"光輝の他、幼馴染である"拳士"坂上龍太郎、"剣士"八重樫雫、そして"重闘士"永山重吾、"軽戦士"檜山大介、"槍術士"近藤礼一だ。更に、どこかで遊撃を務めている"暗殺者"遠藤浩介がいる。
なんとか後衛に襲い掛かろうとする魔物達を、鍛え上げた武技を以て打倒し弾き返していく彼等に、後衛からタイミングを合わせた魔術による総攻撃の発動カウントが告げられる。
厄介な飛行型の魔物である蝙蝠型の魔物が前衛組の隙を突いて後衛に突進するが、頼りになる"結界師"が城壁となってそれを阻む。
「刹那の嵐よ、見えざる盾よ、荒れ狂え、吹き抜けろ、渦巻いて、全てを阻め──"爆嵐壁"!」
天職"結界師"を持つ谷口鈴の攻勢防御魔術が発動する。
呪文を詠唱する後衛達の一歩前に出た彼女の突き出した両手の先に微風が生じた。見た目の変化はない。蝙蝠型の魔物達も鈴の存在など気にせず、警鐘を鳴らす本能のままに大規模な攻撃魔法を仕掛けようとしている後衛組に向かって襲いかかった。
しかしその手前で、突如魔物の突進に合わせて空気の壁とでも言うべき物が大きく撓む姿が現れる。何十体という蝙蝠擬きが次々と衝突していくが、空気の壁は撓むばかりでただの一匹も通しはしない。
そうして突進してきた蝙蝠擬き達が全て空気の壁に衝突した瞬間、撓みが限界に達した様に凄絶な衝撃と共に爆発した。
その発生した衝撃は凄まじく、それだけで肉体を粉砕された個体もいれば、一気に迷宮の壁まで吹き飛ばされてグシャ! という生々しい音と共に拉げて絶命する個体もいる程だ。
「ふふん! そう簡単には通さないんだからね!」
クラスのムードメーカー的存在である鈴の得意気な声が、激しい戦闘音の狭間に響く。と同時に、前衛組が一斉に大技を繰り出した。敵を倒す事よりも衝撃を与えて足止めし、自分達が距離を取る事を重視した攻撃だ。
「後退!」
光輝の号令と共に、前衛組が一気に魔物達から距離を取る。
次の瞬間、完璧なタイミングで後衛六人の攻撃魔術が発動した。
巨大な火球が着弾と同時に大爆発を起こし、真空刃を伴った竜巻が周囲の魔物を巻き上げ切り刻みながら戦場を蹂躙する。足元から猛烈な勢いで射出された石の槍が魔物達を下方から串刺しにし、同時に氷柱の豪雨が上方より魔物の肉体に穴を穿っていく。
自然の猛威がそのまま牙を向いたかの様な壮絶な空間では、生物が生き残れる道理などありはしない。ほんの数十秒の攻撃、されどその短い時間で魔物達の九割以上が絶命するか瀕死の重傷を負う事になった。
「よし! いいぞ! 残りを一気に片付ける!」
光輝の号令で前衛組が再び前に飛び出していき、魔術による総攻撃の衝撃から立ち直りきれていない魔物達を一体一体、確実に各個撃破していった。全ての魔物が殲滅されるのに、五分もかからなかった。
戦闘の終了と共に、光輝達は油断なく周囲を索敵しつつ互いの健闘を称え合った。
「ふぅ、次で九十層か……この階層の魔物も難無く倒せる様になったし……迷宮での実戦訓練ももう直ぐ終わりだな」
「だからって気を抜いちゃダメよ、この先にどんな魔物やトラップがあるかわかったものじゃないんだから」
「雫は心配しすぎってぇもんだろ? 俺等ぁ、今まで誰も到達した事の無い階層で余裕持って戦えてんだぜ? 何が来たって蹴散らしてやんよ、それこそ魔人族が来てもな!」
感慨深そうに呟く光輝に雫が注意をすると、脳筋の龍太郎が豪快に笑いながらそんな事を言う。そして、光輝と拳を付き合わせて不敵な笑みを浮かべ合った。
その様子に溜息を吐きながら、雫は眉間の皺を揉み解した。これまでも、何かと二人の行き過ぎをフォローして来たので苦労人姿が板に付いてしまっている。まさか皺が出来たりしてないわよね? と最近鏡を見る機会が微妙に増えてしまった雫。それでも結局、光輝達に限らず周囲のフォローに動いてしまう辺り、真性のお人好しである。
「檜山君、近藤君、これで治ったと思うけど……どう?」
周囲が先程の戦闘について話し合っている傍らで、香織は己の本分を全うしていた。即ち"治癒師"として、先程の戦闘で怪我をした仲間を治癒しているのである。
一応迷宮での実戦訓練兼攻略に参加している十五名の中には、もう一人"治癒師"を天職に持つ女子がいるので、今は二人で手分けして治療中だ。
「……ああ、もう何ともない。サンキュ、白崎」
「お、おう、平気だぜ。あんがとな」
香織に治療された檜山が、ボーっと間近にいる香織の顔を見ながら上の空な感じで返答する。見蕩れているのが丸分かりだ。近藤の方も、耳を赤くし言葉に詰まりながら礼を言った。前衛職である事から、檜山達は度々香織のヒーリングの世話になっている筈なのだが……未だに香織と接する時は平常心ではいられないらしい。
近藤の態度はある意味思春期の子供といった様子であり、微笑ましいとも言える。しかし檜山の香織を見る目は……普通ではなかった。瞳の深い所に、暗いヘドロの様な澱みが溜まっていた。それは日々色濃くなっているのだが……近藤の他、仲の良い筈の中野信治や斎藤良樹を含め、気がついている者はそう多くはなかった。
二人にお礼を言われた香織は「どういたしまして」と微笑むと、スっと立ち上がり踵を返した。
周囲を見渡せば、少し離れた場所でもう一人の"治癒師"、いつも髪留めで立派なおでこを出している辻綾子が、丁度永山の治療を終えているところだった。その巨体を以て仲間の盾となる事が常である永山の治療は中々骨が折れる様で、おでこに掻いた汗を「ふぅ」と息を吐いて拭っている。
後衛の"土術師"野村健太郎や、"付与術師"吉野真央にも怪我は無い様だ。永山パーティも全員無事の様……
辻の袖がクイクイと引かれた。影の薄さでは誰にも負けない遠藤が、涙目で小さな傷のある腕を見せている。きっと、見た目に反して凄く痛いのだろう。ずっと順番待ちしているのに気が付いてもらえず、そのまま治療終了! みたいな空気を出されたからでは無い筈だ。辻が「しまった!?」みたいな表情をしていても、きっと忘れられていた訳ではない筈である。
そんな仲の良い(?)永山パーティに微笑みつつ、香織は他に治療が必要な人がいない事を確認すると、目立たない様に小さく溜息を吐いた。そして、奥へと続く薄暗い通路を、憂いを帯びた瞳で見つめ始めた。
「……」
その様子に気がついた雫には、親友の心情が手に取る様に分かった。香織の心の内は今、不安でいっぱいなのだ。あと十層で迷宮の最下層(一般的な見解)に辿り着くというのに、未だソウゴの痕跡は僅かにも見つかっていない。
それは希望でもあるが、遥かに強い絶望でもある。自分の目で確認するまでソウゴの死を信じないと心に決めても、階層が一つ下がり、何一つ見つからない度に押し寄せてくるネガティブな思考は、そう簡単に割り切れるものではない。まして、ソウゴが奈落に落ちた日から既に四ヶ月も経っている。強い決意であっても、暗い思考に侵食され始めるには十分な時間だ。
自身のアーティファクトである白杖を、まるで縋り付く様にギュッと抱きしめる香織の姿を見て、雫はたまらず声をかけようとした。
と、雫が行動を起こす前に、ちみっこいムードメイカーが、不安に揺れる香織の姿など知った事かい! と言わんばかりに駆け寄ると、ピョンとジャンプし香織の背後からムギュッと抱きついた。
「カッオリ~ン!! そんな野郎共じゃなくて鈴を癒して~! ぬっとりねっとりと癒して~」
「ひゃわ、鈴ちゃん! どこ触ってるの! っていうか、鈴ちゃんは怪我してないでしょ!」
「してるよぉ! 鈴のガラスのハートが傷ついてるよぉ! だから甘やかして! 具体的には、そのカオリンのおっぱおで!」
「お、おっぱ……ダメだってば! あっ、こら! やんっ! 雫ちゃん、助けてぇ!」
「ハァハァ、ええのんか? ここがええのんか? お嬢ちゃん、中々にびんかッへぶ!?」
「……はぁ、いい加減にしなさい鈴。男子共が立てなくなってるでしょが……」
ただのおっさんと化した鈴が、人様にはお見せできない表情でデヘデヘしながら香織の胸を弄り、雫から脳天チョップを食らって撃沈した。序に、鈴と香織の百合百合しい光景を見て一部男子達も撃チンした。
頭にタンコブを作ってピクピクと痙攣している鈴を、いつもの様に中村恵里が苦笑いしながら介抱する。
「うぅ~、ありがとう、雫ちゃん。恥ずかしかったよぉ……」
「よしよし、もう大丈夫。変態は私が退治したからね?」
涙目で自分に縋り付く香織を、雫は優しくナデナデした。最近よく見る光景だ。
雫は香織の滑らかな髪を優しく撫でながら、こっそり顔色を覗った。
しかし香織は困った表情で、されど何処か楽しげな表情で恵里に介抱される鈴を見つめており、そこには先程の憂いに満ちた表情はなかった。どうやら、一時的にでも気分が紛れたようだ。ある意味、流石クラスのムードメーカー鈴(おっさんバージョン)と、雫は内心で感心する。
「あと十層よ。……頑張りましょう、香織」
雫が香織の肩に置いた手に少々力を込めながら、真っ直ぐな眼差しを香織に向ける。それは親友が折れない様に、活を入れる意味合いを含んでいた。香織もそんな雫の様子に、自分が少し弱気になっていた事を自覚し、両手で頬をパンッと叩くと、強い眼差しで雫を見つめ返した。
「うん。ありがとう、雫ちゃん」
雫の気遣いがどれだけ自分を支えてくれているか改めて実感し、瞳に込めた力をフッと抜くと目元を和らげて微笑み、感謝の意を伝える香織。雫もまた目元を和らげると、静かに頷いた。
……傍から見ると百合の花が咲き誇っているのだが本人たちは気がつかない。光輝達が何だか気まずそうに視線を右往左往させているのも、雫と香織は気がつかない。だって、二人の世界だから。
「今なら……守れるかな?」
「そうね……きっと守れるわ。あの頃とは違うもの、レベルだって既にメルド団長達を超えているし。……でも、ふふ、もしかしたら彼の方が強くなっているかもしれないわね? あの時だって結局、私達が助けてもらったのだし」
「ふふ、もう。雫ちゃんったら……」
ソウゴの生存を信じて、今度こそ守れるだろうかと今の自分を見下ろしながら何となく口にした香織に、雫は冗談めかしてそんな事をいう。実はそれが事実であり、後に色んな意味で度肝を抜かれるのだが……その事を知るのはもう少し先の話だ。
尚、メルド団長率いる王国騎士達が実力的にリタイアし、三十階層へ繋がる七十階層の転移陣の警護を務める様になってから、自分達の力だけで完全踏破目前まで来た光輝達だが、その実力はこのトータスにおいて(人間にしては)最高位と称すべき段階にまで至っている。
天之河光輝 17歳 男 レベル:72
天職:勇者
筋力:880
体力:880
耐性:880
敏捷:880
魔力:880
魔耐:880
技能:『全属性適正』『光属性効果上昇』『発動速度上昇』『全属性耐性』『光属性効果上昇』『物理耐性』『治癒力上昇』『衝撃緩和』『複合魔術』『剣術』『剛力』『縮地』『先読』『高速魔力回復』『気配感知』『魔力感知』『限界突破』『言語理解』
坂上龍太郎 17歳 男 レベル:72
天職:拳士
筋力:820
体力:820
耐性:680
敏捷:550
魔力:280
魔耐:280
技能:『格闘術』『身体強化』『部分強化』『集中強化』『浸透破壊』『縮地』『物理耐性』『金剛』『全属性耐性』『言語理解』
八重樫雫 17歳 女 レベル:72
天職:剣士
筋力:450
体力:560
耐性:320
敏捷:1110
魔力:380
魔耐:380
技能:『剣術』『斬撃速度上昇』『抜刀速度上昇』『縮地』『重縮地』『震脚』『無拍子』『先読』『気配感知』『隠業』『幻撃』『言語理解』
白崎香織 17歳 女 レベル:72
天職:治癒師
筋力:280
体力:460
耐性:360
敏捷:380
魔力:1380
魔耐:1380
技能:『回復魔術』『効果上昇』『回復速度上昇』『イメージ補強力上昇』『浸透看破』『範囲効果上昇』『遠隔回復効果上昇』『状態異常回復効果上昇』『消費魔力減少』『魔力効率上昇』『連続発動』『複数同時発動』『遅延発動』『付加発動』『光属性適性』『発動速度上昇』『効果上昇』『持続時間上昇』『連続発動』『複数同時発動』『遅延発動』『高速魔力回復』『瞑想』『言語理解』
中でも、香織の回復魔術と光属性魔術が極まっていた。特に回復魔術の方が、それはもう物凄い感じで極まっていた。本来の技能数だけを見るなら、香織は四人の内で最も少ない。にも拘らず、現在の総技能数は勇者たる光輝すら超える程だ。
それもこれも、全ては二度と約束を違えない様にする為。生存を信じて、今度こそ想い人を守る為。寝る間も惜しんで、只管自分の出来る事を愚直に繰り返してきた結果だ。
「そろそろ、出発したいんだけど……いいか?」
光輝が、未だに見つめ合う香織と雫におずおずと声をかける。以前、香織の部屋で香織と雫が抱き合っている姿を目撃して以来、時々挙動不審になる光輝の態度に、香織はキョトンとしているが、雫はその内心を正確に読み取っているのでジト目を送る。その目は如実に「いつまで妙な勘違いしてんの、このお馬鹿」と物語っていた。
雫の視線に気づかないふりをしながら、光輝はメンバーに号令をかける。既に八十九層のフロアは九割方探索を終えており、後は現在通っているルートが最後の探索場所だった。
出発してから十分程で、問題無く一行は階段を発見した。トラップの有無を確かめながら慎重に薄暗い螺旋階段を降りていく。そうして体感で十メートル程降りた頃、遂に光輝達は九十階層に到着した。
一応、節目ではあるので何か起こるのではと警戒していた光輝達。しかし見たところ、今まで探索してきた八十層台と何ら変わらない造りの様だった。早速マッピングしながら探索を開始する。迷宮の構造自体は変わらなくても、出現する魔物は強力になっているだろうから油断はしない。
警戒しながら、変わらない構造の通路や部屋を探索してく光輝達。探索は特に問題無く、順調に進んだ。……進んだのだが、やがて、一人また一人と怪訝そうな表情になっていった。
「……どうなってる?」
かなり奥まで探索し大きな広間に出た頃、遂に不可解さが頂点に達し表情を困惑に歪めて光輝が疑問の声を漏らした。他のメンバーも同じ様に困惑の表情を晒しつつ、光輝の疑問に同調して足を止める。
「……何で、これだけ探索しているのに唯の一体も魔物に遭遇しないんだ?」
既に探索は、細かい分かれ道を除けば半分近く済んでしまっている。
今迄なら、散々強力な魔物に襲われてそう簡単には前に進めなかった。ワンフロアを半分ほど探索するのに平均二日はかかるのが常であったのだ。
にも拘らず、光輝達がこの九十層に降りて探索を開始してからまだ三時間程しか経っていないのに、この進み具合。それは単純な理由だ。未だ一度も、魔物と遭遇していないからである。
最初は、魔物達が光輝達の様子を物陰から観察でもしているのかと疑ったが、彼等の感知系スキルや魔術を用いても一切索敵にかからないのだ。魔物の気配すらないというのは、いくら何でもおかしい。明らかな異常事態である。
「………なんつぅか、不気味だな。最初からいなかったのか?」
龍太郎と同じ様に、メンバーが口々に可能性を話し合うが答えが見つかる筈も無い。困惑は深まるばかりだ。
「……光輝。一度戻らない? 何だか嫌な予感がするわ。メルド団長達なら、こういう事態も何か知っているかもしれないし」
雫が警戒心を強めながら、光輝にそう提案した。
雫の提案に、光輝は逡巡する様子を見せた。何となく嫌な予感を覚えているのは光輝も同じだ。慎重を期するなら、確かに一度戻るのがベターだろう。
しかし何らかの大きな障害があったとしても、何れにしろ打ち破って進まなければならず、漠然とした不安感だけで撤退するのには僅かな抵抗感があった。また、八十九層でも余裕のあった自分達なら何が来ても大丈夫ではないかとも思う。
そうして光輝が迷っていると、不意に周囲を注意深く探っていた遠藤が、緊張を滲ませた声を上げた。
「これ……血……だよな?」
地面に這わせていた指先を見せながら、そう言った遠藤。光輝達はその言葉に、地面や壁を注意深く観察し始めた。すると、
「薄暗いし壁の色と同化してるから分かりづらいが……あちこち付いているな」
「おいおい……これ……結構な量なんじゃ……」
険しい表情で警戒感を露わにする永山と、引き攣り顔で周囲に視線を巡らせる野村。
他のメンバーも、今更ながらに気付いた周囲に飛び散る夥しい量の血痕に、顔色を青くする。
「天之河、八重樫さんの提案に従った方がいい。……これは魔物の血だ、それも真新しい」
指に付いた血を擦ったり嗅いだりして分析していた遠藤が、普段に無い強い口調で訴えた。光輝は少し唸りながら小さな反論をする。
「そりゃあこれだけ魔物の血があるってことは、この辺りの魔物は全て殺されたって事だろうし、それだけ強力な魔物がいるって事だろうけど……。いずれにしろ倒さなきゃ前に進めないだろ?」
光輝の反論に、首を横に振ったのは永山だった。永山は、龍太郎と並ぶクラスの二大巨漢ではあるが、龍太郎と違って非常に思慮深い性格をしている。また、遠藤とは付き合いも長く親友であるが故に、その言葉には大きな信頼を寄せていた。
故に、遠藤の発する極度の緊張と言葉から即座に事態を読み解き、同じ様に臨戦態勢になりながら、光輝に自分の考えを告げた。
「天之河、よく聞いてくれ。魔物は何も、この部屋だけに出る訳ではないだろう。今まで通って来た通路や部屋にも出現した筈だ。にもかかわらず、俺達が発見した痕跡はこの部屋が初めて。それはつまり……」
「……何者かが魔物を襲い、その痕跡を隠蔽したって事ね?」
後を継いだ雫の言葉に永山が頷く。光輝もその言葉にハッとした表情になると、永山と同じ様に険しい表情で警戒レベルを最大に引き上げた。
「それだけ知恵の回る魔物がいるという可能性もあるけど……人であると考えた方が自然って事か。……そしてこの部屋だけに痕跡があったのは、隠蔽が間に合わなかったか、或いは……」
──ここが終着点という事さ。
光輝の言葉を引き継ぎ、突如聞いた事の無い女の声が響き渡った。男口調のハスキーな声音だ。光輝達はギョッとなって、咄嗟に戦闘態勢に入りながら声のする方に視線を向けた。
コツコツと足音を響かせながら広い空間の奥の闇からゆらりと現れたのは、燃える様な赤い髪をした妙齢の女。その女の耳は僅かに尖っており、肌は浅黒かった。
光輝達が驚愕した様に目を見開く。女のその特徴は、光輝達のよく知るものだったからだ。実際には見た事は無いが、イシュタル達から叩き込まれた座学において、何度も出てきた種族の特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵。そう……
「……魔人族」
誰かの発した呟きに、魔人族の女は薄らと冷たい笑みを浮かべた。
光輝達の目の前に現れた赤い髪の女魔人族は冷ややかな笑みを口元に浮かべながら、驚きに目を見開く光輝達を観察する様に見返した。
瞳の色は髪と同じ燃える様な赤色で、服装は艶のない黒一色のライダースーツの様なものを纏っている。体にピッタリと吸い付く様なデザインなので彼女の見事なボディラインが薄暗い迷宮の中でも丸分かりだ。
どこか艶かしい雰囲気と相まって、そんな場合ではないと分かっていながら近藤や中野、斎藤等は頬が赤く染まるのを止められなかった。
「勇者はアンタでいいんだよね? そこのアホみたいにキラキラした鎧を着ているアンタで」
「ア、アホ……う、煩い! 魔人族なんかにアホ呼ばわりされる謂れは無いぞ! それより、何故魔人族がこんな所にいる!」
あんまりと言えばあんまりな物言いに軽くイラっと来た光輝が、その勢いで驚愕から立ち直って魔人族の女に目的を問い質した。
しかし魔人族の女は、煩そうに光輝の質問を無視すると呆れた様に頭を振った。
「なんとまぁ直情的な……これが勧誘対象の勇者様? 本当に有用なのかねぇ……。まぁ、命令がある以上是非も無いんだけど」
そして、どこか物凄く嫌そうな雰囲気を漂わせつつ、意外な言葉を放った。
「アンタ。そう、無闇にキラキラしたアンタ。アタシ等の側に来ないかい?」
「な、何? 来ないかって……どう言う意味だ!」
「呑み込みが悪いね。そのまんまの意味だよ。勇者君を勧誘してんの。あたしら魔人族側に来ないかって。色々優遇するよ?」
光輝達としては完全に予想外の言葉だった為に、その意味を理解するのに少し時間がかかった。そしてその意味を呑み込むと、クラスメイト達は自然と光輝に注目し、光輝は呆けた表情をキッと引き締め直すと魔人族の女を睨みつけた。
「断る! 人間族を……仲間達を……王国の人達を裏切れなんて、よくもそんな事が言えたな! やはり、お前達魔人族は聞いていた通り邪悪な存在だ! 態々俺を勧誘しに来た様だが、一人でやって来るなんて愚かだったな! 多勢に無勢だ、投降しろ!」
光輝の啖呵が響き渡る。そこには些かの揺るぎも無かった。
しかし、断固拒否の回答を叩きつけられた当の女魔人族は僅かに目を細めて観察する様な眼差しを向けただけで、特に気にした様子も無かった。それどころか、更に譲歩した条件を提示する。
「一応、お仲間も一緒でいいって上からは言われてるけど? それでも?」
「答えは同じだ! 何度言われても、裏切るつもりなんて一切無い!」
やはり微塵の躊躇いも無く光輝が答える。そして、そんな勧誘を受ける事自体が不愉快だとでも言う様に、聖剣に光を纏わせた。これ以上の問答は無用、投降しないなら力づくでも! という意志を示す。
そんな光輝の行動に焦りを見せたのは女魔人族ではなく、寧ろ永山と雫だった。
二人は内心で舌打ちしつつ、女魔人族より周囲に最大限の警戒を行う。永山がさり気無く後ろ手に出した指示で、同じく警戒をしていた遠藤の気配が音も無く消える。
永山も雫も、場合によっては一度嘘をついて女魔人族に迎合してでも場所を変えるべきだと考えていた。しかし、その考えを伝える前に光輝が答えを示してしまったので、仕方なく不測の事態に備えているのだ。
普通に考えて、いくら魔術に優れた魔人族とはいえ、こんな場所に一人で来るなんて考えられない。この階層の魔物を無傷で殲滅し、剰えその痕跡すら残さないなどもっと有り得ない。そんな事が出来るくらい魔人族が強いなら、ハナから人間族は為す術無く魔人族に蹂躙されていた筈だ。
加えて、この階層に到達出来る程の人間族十五人を前にしても、魔人族の女は全く焦った様子が見られない。戦闘の痕跡を隠蔽した事も考えれば、最初に危惧した通りここで待ち伏せしていたのだと推測すべきで、だとしたら地の利は彼女の側にあると考えるのが妥当だ。
──自分達は今、大迷宮にいるのではない。敵のテリトリーにいるのだ!
そんな雫達の危機感は、直ぐに正しかったと証明された。
「……そう。なら、アンタに用はない。言っておくけど、アンタの勧誘は絶対って訳じゃないよ。命令は"可能であれば"だ、状況によっては排除の命令も出てる。殺されないなんて甘い事は考えない事だね。ルトス、ハベル、エンキ、餌の時間だよ!」
女魔人族が三つの名を呼ぶのと、バリンッ! という破砕音と共に雫と永山が苦悶の声を上げて吹き飛ぶのは同時だった。
「ッ!?」
「ぐぁっ!?」
二人を吹き飛ばしたものの正体は不明。女魔人族の号令と共に、突如光輝達の左右の空間が揺らいだかと思うと、"縮地"もかくやという速度で"何か"が接近し、光輝と女魔人族のやり取りに意識を囚われていた後衛組に襲いかかったのだ。
最初から最大限の警戒網を敷いていた雫と永山だけが、その奇襲に辛うじて気がついた。
雫は揺らぐ空間に対して抜刀した剣と鞘を十字にクロスさせて防御しつつ、衝撃の瞬間を見計らい自ら後方に飛ぶ事で威力を殺そうとした。しかし、相手の攻撃力が想像の遥か上であった為防御を崩され、腹部を浅く裂かれた上に肺の空気を強制的に排出させられる程強く地面に叩きつけられた。
永山は"身体硬化"という肉体の強度そのものを向上させる技能と、魔力による強化外装である"金剛"を習得しており、両技能を重掛けした場合の耐久力は鋼鉄の盾よりも遥かに上だ。自らの巨体も合わせれば、その人間要塞とも言うべき防御を突破するのは至難と言っていい。
だがその永山でさえ、"何か"の攻撃により防御を突破されて深々と両腕を切り裂かれ血飛沫を撒き散らしながら吹き飛び、後方にいた斎藤達にぶつかって辛うじて地面への激突という追加ダメージを免れるという有様だった。
硝子が割れる様な破砕音は、鈴が本能的な危機感に従って咄嗟に展開した障壁が砕け散った音だ。
場所はパーティの後方。そこに"何か"あると感じた訳では無く、何となく雫と永山の位置からして自分は後方に障壁を展開するべきだと、これまた本能的、或いは経験的に悟ったのだ。
その行動は、結果的に極めて正しかった。鈴の障壁がなければ、三つ目の空間の揺らめきは容赦なく辻や吉野達を切り裂いていただろう。
だが味方を見事に守った代償に、障壁破砕の衝撃をモロに浴びて鈴もまた後方へ吹き飛ばされた。
運良く後ろに恵里がいて受け止める事に成功した為に事無きを得たが、衝撃に痺れる鈴の体は直ぐには言う事を聞いてくれない。
三つの揺らめきが、間髪を容れず追撃にかかる。吹き飛ばされ手傷を負わされたばかりの雫や永山、鈴は勿論の事、突然の襲撃に対応しきれていない後衛組には為す術が無い。
仲間の命が散る──と思われた、その瞬間。
「護光で満たせ! ──"回天"、"周天"、"天絶"!」
香織が殆ど無詠唱かと思う程の詠唱省略で同時に三つの光属性魔術を発動した。
一つは、切り裂かれて吹き飛び地面に叩きつけられた雫と永山を即座に癒す、光属性中級回復魔術"回天"。複数の離れた場所にいる対象を同時に治癒する魔術だ。
痛みに呻きながら何とか起き上がろうと藻掻く二人に白菫の光が降り注ぎ、尋常でない速度で傷が塞がっていく。
次いで、少しでも気を逸らせば直ぐに見失いそうな姿なき揺らめく三つの存在に、雫達に降り注いだのと同じ白菫の光が降り注ぎ纏わりつく。すると、その光はふわりと広がって空間に光の輪郭が出現した。
光属性中級回復魔術"周天"。
回復量は小さいが一定時間毎に回復魔術が自動で掛かり、発動中は対象に魔力光が纏わりつくという特徴のある魔術だ。香織はその特徴を利用し、回復効果を最小にして正体不明の敵に使用する事で間接的に姿を顕にしたのだ。
白菫の光により現れた姿は、ライオンの頭部に竜の様な手足と鋭い爪、蛇の尻尾と、鷲の翼を背中から生やす奇怪な魔物だった。命名するならやはりキメラだ。恐らく、迷彩の固有魔術を持っているのだろう。姿だけでなく気配も消せるのは相当厄介な能力ではあるが、行動中は完全には力を発揮出来ない様で、空間が揺らめいてしまうという欠点があるのは不幸中の幸いだ。
何せ、クラスメイトの中でもトップクラスの近接戦闘能力を持つ雫と永山を一撃で行動不能に陥れたのだ。その上、完全に姿を消せるとあっては、とても太刀打ち出来ない。今までの階層の魔物と比較すると明らかにこの階層の魔物のレベルを逸脱している。
「「「グルァアアアアアッ!!!」」」
その三体のキメラは纏わりつく光など知った事かと絶叫しながら、体勢を立て直し切れていない雫達へ追撃の凶爪を繰り出した。
凄まじい速度で死神の鎌の如く振るわれたその凶爪はしかし、雫達の命を刈り取る寸前であらぬ方向へ流されてしまった。虚空にふわりと出現した幾枚もの輝く盾が、冗談の様に滑らかにその軌道のみを逸らしてしまったのだ。
光属性中級防御魔術"天絶"。"光絶"という光の障壁を展開する光属性初級防御魔術の上位版で、複数枚を一度に出す魔術だ。
"結界師"である鈴などはこの魔術を応用して、壊される端から高速で障壁を補充し続け、弱く直ぐに破壊されるが突破に時間がかかる多重障壁という使い方をしたりする。
この点香織は、光属性全般に高い適性を持つものの結界専門の鈴には及ばない為、その様な使い方は出来ない。だがそれでも、完璧な角度で最適位置に最速で障壁を展開し、まるで合気でも行ったかの様に攻撃を逸らすなど……正に絶技というに相応しい技だった。
全ては二度と失わない為に積み上げた研鑽の賜物。香織の血反吐を吐く様な努力が、この危機的状況で全ての命を守り切った。
攻撃をいなされた三体のキメラは、やや苛立った様に再度攻撃に移ろうとした。稼げた時間は一瞬。所詮、弱き者の無意味な足掻きでしかないと。
しかし一瞬とはいえ、貴重な時間を稼げた事に変わりはない。その時間を光輝達が無駄にする筈がなかった。
「雫から離れろぉおおっ!!」
永山はいいのか? とツッコミを入れてはいけない。
光輝は憤怒を孕んだ雄叫びを上げながら、刹那の間に"縮地"によって雫に迫るキメラの下へと踏み込んだ。光輝の移動速度が見る者の焦点速度を超えて、背後に残像を生じさせる。振りかぶられた聖剣が、一刀の下にキメラの首を跳ねんと輝きを増す。
同時に、
「させっかよ!」
龍太郎も永山を襲おうとしていたキメラへと空手の正拳突きの構えを取った。直接踏み込んで攻撃するより、篭手型アーティファクトの能力である衝撃波を飛ばした方が早いと判断したからだ。龍太郎から裂帛の気合が迸り、篭手に魔力が収束していく。
更に、
「呑み込め、紅き母よ──"炎浪"!!」
鈴を抱き抱えたままの恵里が片手を突き出し、今迄見せた事も無い詠唱省略された強力な魔術を発動させた。"炎浪"という名の炎属性中級魔術は、文字通り炎の津波を操る魔術で、分類するなら範囲魔術だ。素早い敵でもそう簡単には避けられはしない。
光輝の聖剣が壮絶な威力と早さをもって大上段から振り下ろされる。龍太郎の正拳突きが、これ以上無い程美しいフォームから繰り出され、それにより凄絶な衝撃波が砲弾の如く突き進む。恵里の死を運ぶ紅蓮の津波が目標を呑み込み灰塵にせんと迸った。
だがしかし……
「「ルゥガァアアア!!」」
一体どこに潜んでいたのか、光輝達の攻撃が正に直撃しようかというその瞬間三つの影が咆哮を上げながら光輝達へと襲いかかった。
「ッ!?」
「何だっ!?」
突然の事態に光輝と龍太郎の背筋を悪寒が襲う。
二体の影は、それぞれ光輝と龍太郎に猛烈な勢いで突進すると、手に持った金属のメイスを凄まじい勢いで振り抜いた。
咄嗟に光輝は剣の遠心力を利用して身を捻る事で躱し、龍太郎は突き出した右手の代わりに引き絞った左腕を振り上げて、眼前まで迫っていたメイスを弾く。
光輝はバランスを崩し地面をゴロゴロと転がり、龍太郎はメイスを弾いた後の敵の拳撃による二撃目を受けて吹き飛ばされた。
光輝と龍太郎に不意を打ったのは、体長二メートル半程の見た目はブルタールに近い魔物だった。
しかし、所謂オークやオーガと言われるRPGの魔物と同様に、ブルタールが豚の様な体型であるのに対して、その魔物は随分とスマートな体型だ。正に、ブルタールの体を極限まで鍛え直し引き絞った様な体型である。実際、先程の不意打ちからしても膂力・移動速度共に、ブルタールの比ではなかった。
「何だコイツ等!?」
「クソッタレ、一体何処から湧いて来やがったっ!?」
光輝と龍太郎が今迄見た事の無い、そして明らかに強力な魔物の突然の出現に悪態混じりの疑問の声を上げる。
「ぐぁっ!?」
苦悶の声を上げて、二人の丁度中間辺りに遠藤が地面をバウンドしながら吹き飛んできた。
「遠藤!?」
「ぐっ、気を付けろ皆! 見えている奴だけじゃない! そこかしこにいるぞ!」
光輝が驚きながら遠藤の名を呼ぶが、遠藤は負傷したらしい脇腹を抑えながらも警告を響かせた。
遠藤は永山の指示を受けて気配を消した後、暗殺者の技能である隠形をしながらこっそりと女魔人族の背後を取ろうと動いていたのだ。
完全に後ろを取る前に事態が動き出し、動揺の為気配を駄々洩れにしながらも仕方なく一気に距離を詰めようとしたところで、横合いから凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされた。その時見たのだ。自分を吹き飛ばした相手が、光輝達を吹き飛ばしたのと同じ手合いである事を。そして、そのブルタール擬きの傍らにキメラがいて、自分を吹き飛ばした後にブルタール擬きがキメラに触れて再び姿を消したところを。
つまり、敵はキメラの隠形能力を借りてそこかしこに潜んでいるのだ。それこそ、九十階層の魔物を全滅させられるだけの戦力が。
遠藤の警告を証明する様に、恵里の方にも新手が出現していた。
ヒュオオオ! という音と共に、恵里が展開していた炎の津波がみるみる一点へと収束し消えていく。まるで空間にでも穴が開いていて、そこに全てが吸収されているかの様だ。
「嘘でしょ……?」
範囲魔術が無効化されるというあまりの事態に、心理的衝撃から思わず固まってしまった恵里の視線の先で、炎と熱気が完全に消える。
そうして晴れた空間からは、その犯人が姿を現した。それは、体から六本の足を生やした亀の様な魔物だった。背負う甲羅は、先程まで敵を灰に変えようと荒れ狂っていた炎と同じ様に真っ赤に染まっている。
次の瞬間、多足亀が炎を吸収しきって一度は閉じていた口を、再びガパッと大きく開いた。同時に背中の甲羅が激しく輝き、開いた口の奥に赤い輝きが生まれる。まるでエネルギーを収束し、発射寸前となったレーザー砲の様だ。
「ま、まずいっ!」
その様子を見た恵里が、表情に焦りを浮かべた。魔術を放ったばかりで対応する余裕が無かったのだ。だがその焦りは、腕の中の親友がいつも通りの元気な声で吹き飛ばした。
「にゃめんな! 守護の光は重なりて、意志ある限り蘇る──"天絶"!」
刹那、鈴達の前に二十枚の光の障壁が重なる様に出現した。その障壁は全て斜め四十五度に設置されており、障壁の出現と同時に多足亀から放たれた超高熱の砲撃は障壁を粉砕しながらも上方へと逸らされていった。
それでも、継続して放たれる砲撃の威力は先程のキメラの攻撃の上を行く壮絶なもので、一瞬にしてシールドを食い破っていく。
鈴は歯を食いしばりながら詠唱の通り次々と新たな障壁を構築していき、“結界師”の面目躍如というべきか、障壁の構築速度と多足亀の砲撃による破壊速度は拮抗し辛うじて逸らし続ける事に成功した。
逸らされた砲撃は、激震と共に迷宮の天井に直撃し周囲を粉砕しながら赤熱化した鉱物を雨の如く撒き散らした。
「畜生! 何だってんだ!」
「何なんだよ、この魔物は!」
「クソ、とにかくやるぞ!」
そこまでの事態になって漸く檜山達や野村達が悪態を付きながらも混乱から抜け出し完全な戦闘態勢を整える。
「永山君、斬り込むわ! 後衛の守り頼むわよ!」
「ああ任された! 行け八重樫!」
傷を負っていた雫や永山も完全に治癒されて、其々眼前の見える様になったキメラに攻撃を仕掛け始めた。
雫が残像すら見えない超高速の世界に入る。風が破裂するようなヴォッ! という音を一瞬響かせて姿が消えたかと思えば次の瞬間にはキメラの真後ろに現れて、これまたいつの間にか納刀していた剣を抜刀術の要領で抜き放った。
"無拍子"による予備動作の無い移動と斬撃。姿すら見えないのは単純な移動速度というより、急激な緩急のついた動きに認識が追いつかないからだ。更に、剣術の派生技能により斬撃速度と抜刀速度が重ねて上昇する。鞘走りを利用した素の剣速と合わせれば、普通の生物には認識すら叶わない神速の一閃となる。
先程受けた一撃のお返しとばかりに放たれたそれは、八重樫流奥義が一"断空"。鞘の持ち手を親指で鍔を押さえつつ反動を溜め込み、抜刀の瞬間には逆に弾いて極限まで抜刀族度を上昇させる技だ。
空間すら断つという名に相応しく、銀色の剣線のみが虚空に走ったかと思えば、次の瞬間にはキメラの蛇尾が半ばから断ち切られた。
「グゥルァアア!!」
怒りの咆哮を上げて振り向きざまに鋭い爪を振るうキメラ。しかし、その攻撃は虚しく空を切る。既に雫は反対側へと回り込んでいたからだ。そして、二の太刀を振るい今度はキメラの両翼を切り裂いた。
「くっ!」
速度で翻弄し着実にダメージを与えていく雫。しかし雫の表情は晴れず、それどころか苦虫を噛み潰した様な表情で思わず声を漏らした。
それは、思惑が外れた事が原因だった。雫は本当なら、最初の一撃でキメラの胴体を両断するつもりだったのだが、寸でのところで蛇尾が割って入り斬撃が届かなかったのだ。二太刀目も胴体を切り裂くつもりが、斬撃が届くより一瞬早く身を屈められて両翼を切り裂くに留まってしまった。
キメラは、雫の速さに付いてこられていない。しかし、全く対応出来ないという訳でも無かったのだ。姿が消せる上、辛うじてとは言え雫の本気の速さに対応してくる反応速度。悪夢の様な難敵である。さっさと倒して仲間の救援に向かいたい雫としては、厄介な事この上なかった。
その後も三太刀目、四太刀目と剣を振るい、キメラの体に無数の傷をつけていくが、どれも浅く致命傷には遠く及ばない。それどころか、キメラは徐々に雫の速度を捉え始めている様だった。雫の表情に焦りが生まれ始める。
更に雫にとって、いや、雫達にとって悪い事は続く。
「キュワァアア!!」
突然部屋にそんな叫びが響いたかと思うと、雫の眼前で両翼と蛇尾を切断されていたキメラが赤黒い光に包まれて、みるみる内に傷を癒していったのだ。
香織の"周天"は、殆ど意味が無い程に効果を落としてあるので、いくら浅い傷といえどそう簡単に治ったりはしない。雫は目を見開き、癒されていくキメラに注意しながら叫び声の方へチラリと視線を向けた。
すると高みの見物と洒落こんでいた女魔人族の肩に、いつの間にか双頭の白い鴉が止まっており、一方の頭が雫の方を……正確には、雫の眼前にいるキメラに向いていたのだ。
「回復役までいるって言うの!?」
難敵にやっとの思いで傷を与えてきたというのに、それを即座に癒される。唯でさえ時間が経てば経つ程順応されて勝機が遠のくというのに、後方には優秀な回復役が待機している。あまりの事態に、思わず雫が悲鳴を上げた。
見れば雫だけでなく、他の場所でも同じ様に悲痛な叫びを上げる仲間達がいた。
光輝の方も支援を受けつつブルタール擬きと戦っていた様で、ブルタール擬きの一体に致命傷級の傷を与えていたのだが、その傷も白鴉の一方の頭が見つめながら叫び声を上げる事で、まるで逆再生でもしているかの様に癒されていく。
龍太郎や永山の方も同じだ。龍太郎が相手取っていた二体目のブルタール擬きは腹部が破裂した様に抉れていたり片腕が折れていたりした様だが、白鴉の頭が同じ様に鳴くとみるみる癒されていき、後衛を守る永山を襲っていたキメラも陥没した肉体の一部が直ぐ様癒されていった。
「だいぶ厳しいみたいだね。どうする? やっぱりアタシ等の側についとく? 今ならまだ考えてもいいけど?」
光輝達の苦戦を腕を組んで余裕の態度で見物していた女魔人族が、再び勧誘の言葉を光輝達にかけた。尤も、答えなど分かっているとでも言う様にその表情は冷めたままだったが。そして、その予想は実に正しかった。
「ふざけるな! 俺達は脅しには屈しない! 俺達は絶対に負けはしない! それを証明してやる! 行くぞ──"限界突破"!」
女魔人族の言葉と態度に憤怒の表情を浮かべた光輝は、再びメイスを振り下ろしてきたブルタール擬きの一撃を聖剣で弾き返すと、一瞬の隙をついて"限界突破"を発動した。
"限界突破"は、一時的に魔力を消費しながら基礎ステータスの三倍の力を得る技能だ。但し、文字通り限界を突破しているので長時間の使用も常時使用も出来ず、使用した後は使用時間に比例して弱体化してしまう。酷い倦怠感に襲われ、また本来の力の半分程度しか発揮出来なくなるのだ。故に、ここぞという時の切り札として使用する時と場合を考えなければならない。
光輝は魔物の強力さと回復が可能という事実に、このままでは仲間の士気が下がり押し切られると判断し、"限界突破"を発動して一気に敵を倒そうと決断したのだ。
光輝の"限界突破"の宣言と共に、その体を純白の光が包み込む。同時にメイスの一撃を弾かれたブルタール擬きが光輝の変化など気にも留めず、再び襲いかかった。
「刃の如き意志よ、光に宿りて敵を切り裂け──"光刃"!」
光輝はブルタール擬きにより振るわれたメイスを屈んで躱すと、聖剣に光の刃を付加させて下段より一気に切り上げた。
先程も"光刃"を使って袈裟斬りにしたのだが、その時は深手を与えるに留まり戦闘不能にする事は出来なかった。しかし今度は、"限界突破"により三倍に引き上げられたステータスと光の刃の相乗効果もあってか、まるでバターを切り取る様にブルタール擬きの胴体を斜めに両断する事が出来た。
一拍遅れて、ブルタール擬きの胴体が斜めにずれ、ドシャ! という生々しい音と共に崩れ落ちる。光輝は踏み込んだ足をそのままに、一気に加速すると猛然と女魔人族の下へ突進した。
光輝と女魔人族を隔てるものは何もない。いくら魔人族が魔術に優れた種族といえど、今更何をしようとも遅い。このまま、白鴉共々切り裂いて終わりだ。誰もがそう思った。
その瞬間、
「「「「「グゥルァアアア!!!」」」」」
「なっ!?」
空間の揺らめきが五つ。咆哮を上げながら光輝に襲いかかった。四方を囲む様に同時攻撃を仕掛けてきたキメラに、光輝は思わず驚愕の声を上げ眼を大きく見開いた。
咄嗟に急ブレーキをかけつつ、身を屈め正面からの一撃を避けると同時に右から襲い来るキメラを聖剣の一撃で切り伏せる。そして、身に纏った聖鎧の性能を信じて、背後からの攻撃を胴体部分で受けて死の凶撃を耐え凌ぐ。
だが、出来たのはそこまでだった。左から迫っていたキメラの爪に肩口を抉られ、その衝撃に吹き飛ばされているところへ包囲の外にいた最後の一体が飛びかかり、両足の爪を光輝の肩に食い込ませて押し倒した。
「ぐぅう!!」
食いしばる歯の隙間から苦悶の声を漏らしながら、止めとばかりに首筋へ牙を突き立てようとするキメラの顎門を聖剣で辛うじて防ぐ。
両肩に食い込む爪が顎門を支える力を奪っていき、限界突破中であるにも拘らず上手く力を乗せられず、徐々に押されていく。
「寵華で満たせ──"焦天"! "封禁"!」
光輝のピンチを見た香織が、すかさず光属性魔術を行使した。
"焦天"──一人用の中級回復魔術だ。先程使った複数人用の回復魔術"回天"より高い効果を発揮する。しかし光輝の両肩にはキメラの爪が食い込んでおり、このままでは癒す事が出来ない。
故に同時発動により、光属性中級捕縛魔術"封禁"を行使する。"封禁"は対象を中心に、光の檻を作り出して閉じ込める魔術だ。香織は、その魔術を
両肩から爪が抜けた事により、“焦天”が効果を十全に発揮して瞬時に光輝の傷を癒していった。
同時に、鈴達を襲っていたキメラと多足亀の相手をしていた後衛組の何人かが光輝を襲おうとしているキメラ達に向かって攻撃魔術を放った。ただ、それなりに距離がある事と、香織の"周天"が施されていない為に動いていても見えにくい事から狙いは甘く、大したダメージは与えられなかった。
それでも体勢を立て直す時間は稼げた様で、聖剣を構え直すと治癒されながら唱えていた詠唱を完成させ反撃に出た。
「"天翔剣四翼"!」
振るわれた聖剣から曲線を描く光の斬撃が、揺らめく空間四つに飛翔する。狙われたキメラ達は、"限界突破"により強化された光輝の十八番に危機感を抱いたのか、咄嗟にその場を飛び退いて回避しようとした。
だがそこで、
「──"縛煌鎖"!」
今や香織の十八番となった、光属性捕縛魔術"縛煌鎖"が発動する。回避しようとしたキメラ達の足元から光の鎖が無数に飛び出し、首、足、胴体に絡みついた。キメラの力なら引き千切る事も難しくはないが、一瞬動きを止められる事は避けられない。
結果、四体のキメラは光輝の"天翔剣"の直撃を受けて血飛沫を撒き散らしながら絶命する事になった。
光輝は女魔人族に向き直ると、聖剣を突きつけながら睨みつける。
「残念だったな。お前の切り札は俺達には通用しなかった。もうお前を守るものは何も無いぞ!」
光輝の言葉を受けた女魔人族は、そんな光輝に怪訝そうな、或いは呆れた様な表情を向けた。内心「何故今更そんな事を宣言する必要がある? そのまま即行で切りかかればいいじゃない」と思っていたからだ。
光輝の方は、追い詰められている筈なのに余裕の態度を崩さない魔人族の女に苛立っていた。
最初のキメラ、次のブルタール擬き、そして今のキメラ。その全てが奇襲であった事も、光輝を苛立たせる原因だ。「不意打ちばかり仕掛けて正々堂々と戦おうとしない、自分は高みの見物、何て卑怯な奴だ!」と。
「……別に、切り札って訳じゃないんだけど」
「強がりを!」
「まぁ、強がりかどうかはコイツ等を撃退してからにしたら? こっちは"異教の使徒"とやらの力もある程度確認出来たから、本当にもう用はないしね」
「何を言っ──」
「キャアアア!」
女魔人族が面倒そうに髪を掻き上げながらそんな事を言い、それに対して光輝が問い質そうとしたその時、後方から悲鳴が響き渡った。
思わず振り返った光輝の目に映ったのは、更に五体のブルタール擬きとキメラ、そして見た事の無い黒い四つ目の狼、背中から四本の触手を生やした体長六十センチ程の黒猫が一斉に仲間に襲いかかり、辻を庇った野村が黒猫の触手に脇腹を貫かれている光景だった。
「健太郎! くそっ、調子に乗るな!」
「真央、しっかりして! 私が回復するから!」
野村の惨状を見て、遠藤が黒猫の触手をダガーで切り裂き、憤怒の感情を隠しもせずに逆襲に出る。
野村が苦悶の声を上げながら崩れ落ちた事に茫然としている辻に、吉野が叱咤の声を張り上げながら回復魔術を促した。辻は吉野の声にハッと我を取り戻し、丁度遠藤が受けた脇腹の負傷を癒そうと詠唱していた回復魔術を発動する。
「なっ、まだあんなに!」
後方を振り返って、いつの間にか現れた大量の新手に光輝が驚愕の声を漏らす。
「キメラの固有魔法"迷彩"は、触れているものにも効果を発揮するのさ。さっきそこの坊やが警告していただろう? まぁ具体的な戦力までは測れなかっただろうけどさ。さぁ、そろそろ終幕と行こうか!」
「ッ!?」
いきなり現れた大量の魔物に、劣勢を強いられる仲間。それを見て光輝が急いで引き返そうとする。そんな光輝に、キメラの"迷彩"効果で隠れていただけだとタネ明かしをしながら、更に魔物を嗾ける女魔人族。彼女の背後から、四つ目狼と黒猫が十体ずつ光輝目掛けて殺到する。
「くっ、ぉおおおおおっ!」
黒猫の触手が途轍もない速度で伸長し、四方八方から光輝を襲った。
光輝は聖剣を風車の様に回転させ襲い来る触手の尽くを切り裂き、接近してきた黒猫の一体目掛けて横薙ぎの一撃を放った。
光輝の顔面を狙ったせいか、空中に飛び上がっていた黒猫には避ける術は無い筈だった。光輝も「先ず一体!」と魔物の絶命を確信していた。
しかし次の瞬間、その確信はあっさり覆される。
何と、黒猫が空中を足場に宙返りし、光輝の一撃を避けたのだ。そしてその体格に似合わない鋭い爪で、光輝の首を狙った一撃を放った。
辛うじて頭を振りギリギリで回避した光輝だったが、体勢が崩れた為背後からの四つ目狼による強襲に対応出来ず、鎧の防御力と"限界突破"の影響で深手は負わなかったものの、勢いよく吹き飛ばされ元いた場所辺りまで戻されてしまった。
それに合わせて、明らかに逸脱した強さを持つ魔物達が追い詰める様に光輝達を包囲していく。
香織と辻という"治癒師"が二人がかりで味方を治癒し続けているからこそ何とか致命的な戦線の崩壊は避けられているが、状況を打開する決定打を打つ事が出来ない。
光輝が"限界突破"の力を以て敵を蹴散らそうとするが、魔物達も光輝に対しては常に五体以上が連携してヒット&アウェイを繰り返し、決して無理をしようとしないので攻めきる事が出来ない。
雫の"無拍子"による高速移動も、速度に優れた黒猫と"先読"の固有能力をもつ四つ目狼の連携により対応され、手傷は負わせても致命傷を与えるには至らない。
「やばい……これ、マジでやばいぞ!」
「クソがっ、どうすんだよ!?」
必死に応戦しながらも、次第にクラスメイト達の表情に絶望の影がちらつき始めた。そしてその感情は、女魔人族の参戦により更に大きくなる。
「地の底に眠りし金眼の蜥蜴、大地が産みし魔眼の主、宿るは暗闇見通し射抜く呪い、齎すは永久不変の闇牢獄。恐怖も絶望も悲嘆もなく、その眼を以て己が敵の全てを閉じる。残るは終焉、物言わぬ冷たき彫像。ならば、ものみな砕いて大地に還せ!──"落牢"!」
その詠唱が完了した直後、女魔人族の掲げた手に灰色の渦巻く球体が出来上がり、放物線を描いて光輝達の方へ飛来した。
速度は決して早くはない。今の光輝達の中に回避できない者などいない。一見、何の驚異も感じない攻撃魔術だったが、それを見た先程腹を触手で貫かれた野村が、血を吐きながらも蒼褪めた表情で、焦燥を露わにして叫んだ。
「ッ!? ヤバイッ! 谷口ィ!! あれを止めろぉ! バリア系を使え!」
「えぇ!? りょ、了解! ここは聖域なりて、神敵を通さず! ──"聖絶"!」
切羽詰った野村の指示に、鈴が詠唱省略した光属性上級防御魔術を発動する。輝く障壁がドーム状となって光輝達全員を包み込んだ。尤も、"聖絶"に敵味方の選別機能など無いので、ドーム状の障壁の中には多くの魔物も取り込んでしまっている。
"聖絶"は強力な魔術なだけあって消費魔力が大きい。故に、普段ならこんな無意味な使い方はしない。しかし野村の叫びが女魔人族から放たれた魔術の危険性をこれでもかと伝えていたので、鈴は咄嗟に"聖絶"を選んだのだ。
"聖絶"が展開された直後、灰色の渦巻く球体が障壁に衝突した。灰色の球体、障壁を突破しようと見かけによらない凄まじい威力で圧力をかける。鈴は突破させてなるものかと、自身の魔力がガリガリと削られていく感覚に歯を食いしばりながら必死に耐えた。
その時、女魔人族から命令でも受けたのか、魔物の動きが変化する。複数体が一斉に鈴を狙い始めたのだ。
「鈴!」
「谷口を守れ!」
恵里が鈴の名を呼びながら魔術を放って接近するブルタール擬きを妨害する。鈴を中心に恵里とは反対側でキメラや四つ目狼と戦っていた斎藤良樹と近藤礼一が、野村の呼びかけに応えて鈴の傍に駆けつけようとする。
が、"聖絶"の維持で動けない鈴に、隙間を縫う様にして黒猫が一気に接近した。野村が咄嗟に地面から石の槍を射出して串刺しにしようとするが、黒猫は空中でジグザグに跳躍すると身を捻りながら石の槍を躱し、触手を全本射出した。
「谷口ぃ!」
「ぁ!?」
野村が鈴の名を呼んで警告するが、時すでに遅し。
触手は咄嗟に身を捻った鈴の腹と太腿、右腕を貫通した。更に捉えたまま横薙ぎに振るって鈴の小柄な体を猛烈な勢いで投げ捨てた。
鈴は血飛沫を撒き散らしながら、背中から地面に叩きつけられて息を詰まらせる。そして、呼吸を取り戻すと同時に激痛に耐え兼ねて悲鳴を上げた。
「あぁああああああっ!!?!?」
「鈴ちゃん!」
「鈴!」
その苦悶の声を聞いて、香織と恵里が思わず悲鳴じみた声で鈴の名を呼ぶ。直ぐ様香織が回復魔術を行使しようと精神を集中するが、それより鈴の施した光り輝く結界が消滅する方が早かった。
「全員、あの球体から離れろぉ!」
野村が焦燥感に満ちた声で警告を発する。だが、鈴の鉄壁を誇った"聖絶"と今の今まで拮抗していた魔術だ。今更その警告は遅過ぎた。
結界が消滅し、勢いよく飛び込んできた灰色の渦巻く球体はそのまま地面に着弾すると、音も無く破裂し猛烈な勢いで灰色の煙を周囲に撒き散らした。
傍には、倒れて痛みに藻掻く鈴と駆けつけようとしていた斎藤と近藤、それに野村。灰色の煙は一瞬で彼等を包み込む。魔物の影はない。着弾と同時に一斉に距離を取ったからだ。
灰色の煙は尚も広がり、光輝達をも包み込もうとする。
「来たれ、風よ! ──"風爆"!」
光輝が咄嗟に突風を放つ風属性の魔術で灰色の煙を部屋の外に押し出す。
魔術で作り出された煙だからか、通常のものと違って簡単に吹き飛びはしなかったが、“限界突破”中の光輝の魔術は威力も上がっているので、僅かな拮抗の末迷宮の通路へと排出する事に成功した。
だが、煙が晴れたその先には……
「そんな、鈴!」
「野村くん!」
「斎藤! 近藤!」
完全に石化し物言わぬ彫像となった斎藤と近藤、下半身を石化された鈴、その鈴に覆い被さった状態で左半身を石化された野村の姿があった。
斎藤と近藤は、何が起こったのか分からないという様なポカンとした表情のまま固まっている。鈴は下半身を石化された事で更なる激痛に襲われた様で、苦悶の表情を浮かべたまま意識を失っていた。
一方鈴を庇いながら、それでも尚一番被害が軽微だった野村だが、やはり激痛に襲われているらしく食いしばった歯の奥から痛みに耐える呻き声が漏れていた。
野村の被害が軽かったのは、彼が"土術師"の天職持ち故に、土属性の魔術に対する高い耐性も持っているからだ。女魔人族が発動した魔術を瞬時に看破したのも、あの魔術が土属性の魔術で、野村も勉強していたからである。
土属性上級攻撃魔術"落牢"。石化する灰色の煙を撒き散らす厄介な魔術だ。ほんの僅かでも触れれば、そこから徐々に侵食され完全に石化してしまう魔術で、対処法としてはバリア系の結界で術の効果が終わるまで耐えるか、煙を強力な魔術で吹き飛ばすしかない。しかも、バリア系は上級レベルでなければ結界そのものが石化されてしまう上、煙も上級レベルの威力がなければ吹き飛ばす事が出来ないという強力なものだ。
「貴様! よくも!」
光輝が仲間の惨状に憤怒の表情を浮かべる。光輝を包む"限界突破"の輝きがより一層眩い光を放ち始めた。今にも、女魔人族に突貫しそうだ。
だが、そんな光輝をストッパーの雫が声を張り上げて諌める。
「待ちなさい光輝! 撤退するわよ! 退路を切り開いて!」
「なっ!? あんな事されて、逃げろっていうのか!」
仲間を傷つけられた事に激しい怒りを抱く光輝は、キッと雫を睨みつけて反論した。
光輝から放たれるプレッシャーが雫にも降り注ぐが、雫は柳に風と受け流し、険しい表情のまま光輝を説得する。
「聞きなさい! 香織ならきっと治せる、でもそれには時間がかかるわ。治療が遅くなれば、手遅れになる可能性もある。一度引いて態勢を立て直す必要があるのよ! それに三人欠けた上に、今あんたが飛び出したら、次の攻勢に皆はもう耐えられない! 本当に全滅するわよ!」
「ぐっ、だが……」
「それに"限界突破"もそろそろヤバイでしょ? この状況で光輝が弱体化したら、本当に終わりよ! 冷静になりなさい! 悔しいのは皆一緒よ!」
理路整然とした幼馴染の言葉に、光輝は唇を噛んで逡巡するが、雫が唇の端から血を流している事に気がついて、茹だった頭がスッと冷えるのを感じた。
雫も悔しいのだ。思わず、唇を噛み切ってしまう程に。大事な仲間を傷つけられて、出来る事なら今すぐ敵をぶっ飛ばしてやりたいのだ。
「わかった……全員、撤退するぞ! 雫、龍太郎! 少しだけ耐えてくれ!」
「任せなさい!」
「応よ!」
光輝は聖剣を天に突き出す様に構えると、長い詠唱を始めた。今迄は詠唱時間が長い上に状況の打開にならないので使わなかったが、撤退の為の道を切り開くには丁度いい魔術だ。
但し、詠唱中は完全に無防備になるので身の守りを雫と龍太郎に託さねばならない。それは、光輝が引き受けていた魔物も彼等が相手取らなければならないという事だ。当然、雫と龍太郎の二人に対応しきれる筈もなく、必死に応戦しながらもかなりの勢いで傷ついていく。
「撤退なんてさせると思うかい?」
そんな事を呟きながら、魔人族の女が光輝達の背後にある通路にも魔物を回し退路を塞いでいく。そして、何やら詠唱を始めた光輝を標的に自らも魔術を唱え出した。
だがそこで、始めて女魔人族にとって不測の事態が起こる。
「「「「「ガァアア!!」」」」」
「ッ!? 何故!」
何と、味方の筈のキメラが五体、女魔人族を襲ったのである。驚愕に目を見開きながら、咄嗟に放とうとしていた魔術を詠唱省略して即時発動する。高密度の砂塵が女魔人族を中心に渦巻いて刃となり、襲い来るキメラ二体を切り裂いた。残りのキメラの攻撃は、砂塵に自らを吹き飛ばさせる事で何とか回避する。
女魔人族は「何故アタシを!?」と動揺しながら襲いかかってきたキメラを凝視する。そして気がついた。どのキメラも体を激しく損壊しているという事に。
「コイツ等……」
そう。女魔人族が気がついた様に、彼女を襲ったのは光輝に切り捨てられた五体のキメラだったのだ。絶命した筈のキメラが立ち上がり、生を感じさせない雰囲気で自分を襲ってくるという事態に、女魔人族はとある魔術を思い出し「まさか……」と呟いた。
「あなたに光輝君の邪魔はさせない!」
そんな事を叫びながら、手をタクトの様に振るって死体のキメラに女魔人族を包囲させたのは恵里だった。
「チッ! 降霊術の使い手か! そんな情報なかったのに!」
女魔人族は光輝達を待ち伏せる上で、一応事前調査を行っていた。その中に降霊術などと言う超高難度魔術を使う者がいるなどという情報は無かった為、完全に予想外の事態だった。
恵里が"降霊術師"という天職を持っていながら、精神的な意味で降霊術を苦手として実戦では使っていなかった事が、ここに来ていい方向に働いた様だ。
恵里は「苦手なんて、今克服する!」とでも言う様に強い眼差しで女魔人族を睨むと、
「鈴ちゃん頑張って! 絶対に治してみせるから!」
その間に香織が鈴に向かって"焦天"と"万天"を行使する。
メンバーの中で一番危険な状態なのは鈴だった為、先ずは鈴に集中して治す事にしたのだ。"万天"は光属性の中級回復魔術の内、状態異常を解除する魔術だ。
しかし石化の魔術はかなり強力な魔術の様で、解除は遅々としている。腹と腕に空いた穴は直ぐに塞がったが、流した血の量は既に相当なものだ。今すぐ安静が必要な重体である。石化が解けた瞬間に改めて足の穴も塞がなければならない。
左半身が石化している野村には、辻がついて状態異常の解除に勤しんでいた。辻の回復魔術適性が高い事もあるが、野村の土属性魔術に対する耐性が高い事も相まって、かなりの速度で解除が進んでいる。既に足の石化は解除出来ていた。
しかし、それでも白杖を振るう香織をチラリと見やって辻は唇を噛んだ。同じ"治癒師"なのに、術者としての技量は明らかに香織の方が上だった。
香織は野村より遥かに重傷の鈴を魔術の同時行使で治癒しながら、更に光輝を守って戦う雫や龍太郎にも回復魔術をかけつつ、"縛光刃"や"縛煌鎖"を操って援護すらしているのである。辻には、とても真似できない芸当だ。
(白崎さん……凄すぎるよ。それに比べて私は……っ、今はそんな場合じゃない!)
辻はこんな状況で十全に味方を癒せない事が悔しくて、同時にとても情けなかった。
そんな唇を噛み締めながら必死に自分を治癒してくれている辻を見て、野村は何か言いたげな表情をしたが、今はそんな場合ではないと思い直し痛みを堪えながらブツブツと詠唱を紡ぎ出した。
自戦力の減少と光輝の戦闘中断により、相対する魔物が多すぎて満身創痍になりつつある檜山と中野、それに永山と遠藤、恵里は二人の治癒師を守りながら、限界が近い事を悟っていた。このまま行けば数分で自分達は力尽きると。
光輝の聖剣に集まる輝きがなければ、今にも泣きそうな中野あたりはパニックになって自殺行為に走っていたかもしれない。
そうして、誰もが今か今かと待っていたその時は……遂に訪れた。
「行くぞ! ──"天落流雨"!」
光輝の掲げた聖剣から一条の閃光が打ち上げられたかと思うと、その光は天井付近で破裂するように飛び散り周囲の魔物達に流星の如く降り注いだ。
この"天落流雨"は、敵の直上からピンポイントで複数同時に攻撃するという光属性の攻撃魔術だ。威力は分散している為そこまで高くはなく、本来は多数の雑魚敵掃討に用いるものだが、それでも"限界突破"中に使えば、五十階層クラスの魔物位なら十分効果を発揮する爆撃の様な魔術である。
ただやはり、異常な強さを持つ女魔人族の魔物達には然程ダメージにならなかった様で、精々吹き飛ばして仲間達から引き離すくらいの効果しか発揮しなかった。
だが、光輝にとってはそれで十分だった。隙を作り、仲間が撤退出来る状況を作る事ができればそれでよかったのだ。
女魔人族の方は、まだ恵里が操るキメラに手間取っている。
光輝はそれを確認すると、馬鹿みたいに詠唱の長いこの魔術の本領を発揮させた。
「──"集束"!」
天より降り注ぎ魔物達を一時的に後退させた光の雨は、光輝の詠唱によって再び聖剣に収束していく。流星が尾を引いて一点に集まる光景は中々に幻想的だった。
光輝は収束させた光を纏って輝く聖剣を、真っ直ぐ退路となる通路とその前に陣取る魔物達に向けて突き出し、裂帛の気合と共に一連の魔術の最後のトリガーを引いた。
「──"天爪流雨"!」
直後、突き出された聖剣から無数の流星が砲撃の如く撃ち放たれる。同じ砲撃でも光輝の切り札である"神威"には遠く及ばない威力であり、当然退路を塞ぐ魔物達を一掃する事など叶わない。
本来なら"神威"を使いたいところだが、詠唱が長すぎてとても盾となってくれている雫と龍太郎が保つとは思えなかったので仕方ない。
しかしそれでも、"天爪流雨"は今の状況では最適の手だった。
流星となって退路上の魔物達に直進した光の奔流は、着弾と同時に無数の爆発を引き起こした。砲撃を構成する無数の光弾がクラスター爆弾の様に破裂したのだ。それによって衝撃が連続して発生し、魔物達は体勢を崩され大きく吹き飛ばされた。
「「「「ガァアアア!!」」」」
魔物達がきつく目を閉じたまま悲鳴を上げる。
"天爪流雨"の副次効果、閃光による視覚へのダメージだ。間近で発生した強烈な光によって眼を灼かれたのである。混乱した様に目元を手で擦りながら、闇雲に暴れる魔物達。
彼等は既に、退路上にはいない。通路に向かって一直線に道が開かれた。
「今だ! 撤退するぞ!」
光輝の号令で全員が一斉に動き出す。石化している近藤と斎藤は永山が一人で肩に担ぎ、気絶している鈴は遠藤が背負った。野村はまだ左腕が石化したままだったが、激痛を堪えながらも自力で立ち上がり、通路に向かって走り始める。
「チッ! 逃がすな! 一斉にかかりな!」
魔人族の女が残り二体のキメラを相手取りながら、無事な魔物達にそう命令する。魔物達はその命令に忠実に従い、即座に追撃に移った。キメラといい四つ目狼といい黒猫といい足の早い魔物が多く、光輝達が引き離した距離は瞬く間に詰められていく。
と、そこで野村が身を翻し、痛みに顔をしかめながらも不敵な笑みを浮かべて右手を突き出した。
「土系統で負けるわけにゃあ行かねぇんだよ! お返しだ! ──"落牢"!」
先程の女魔人族と同じく、灰色の渦巻く球体が野村の手より放たれる。
石化の煙を孕んだ魔術球が迫り来る魔物達の手前に着弾した。先程の女魔人族の"落牢"が放たれた時、女魔人族が何も言わなくても魔物達は即座に距離をとっていた。なので野村は、この魔術の危険性を教え込まれているのではないかと考え、撤退時の追撃に備えて詠唱しておいたのだ。
野村のその推測は正しかった。灰色の球体が放たれた瞬間、突進して来ていた魔物達が一斉に急ブレーキをかけて、その場を飛び退き距離を取り始めたのだ。同時に、煙は煙幕にもなって撤退する光輝達の姿を隠した。
それに合わせて、遠藤が魔力の残滓や臭い等の痕跡を魔術で消していく。"暗殺者"の派生技能の一つ、"隠蔽"だ。
既に後方で小さくなった部屋の入口から、気のせいか悔しそうな魔物達の咆哮が響いた。
光輝達は、ボロボロの体と目を覚まさない仲間に悔しさ半分、生き残った嬉しさ半分の気持ちで口数少なく逃げ続けた。
突然自分語りします。
作者はニチアサが好きですが、物語的にはある程度犠牲ありきの所謂ビターエンドが好きです。敵サイドは出来るだけコロコロしたいです。
それと二次創作的性癖の話ですが、作者は推しキャラの扱いには二パターンあって、基本的になろう系主人公の如く超強化するか、死んだ方がマシじゃねえかなと思う程心身共に痛めつけたいタイプです。
代表例は以下の通り。
前者 常磐ソウゴ、夢原のぞみ
後者 星空みゆき、相田マナ、野乃はな、花寺のどか
中間 愛乃めぐみ