荘厳な往生の広い廊下を、一人の男が歩いていた。カッ、カッ、と乱暴に踏み鳴らされる足音と男の険しい表情に、すれ違った者達はギョッとした表情をしている。
「フリード様っ!」
荒れ狂う内心を自覚無く垂れ流していた男に、張り詰めた様な声が掛かった。
「ミハイルか」
「フリード様っ! カトレアが……カトレアがやられたと! 任務から戻ったら、他の連中が話していて! ……嘘ですよね? カトレアが死んだなんて、そんなのある訳が無い! だって、アイツにはフリード様のアハトドだってついて───」
フリードと呼ばれた男は取り乱した様子の部下──ミハイルの肩に手を置いた。ぐっと、何かを堪える様な力強さで。それだけでミハイルは悟った。【オルクス大迷宮】への任務に旅立った大切な存在が、永遠に帰らぬ人になったという事を。
「何故……そんな。勇者は、それ程に強力だったのですか? あれ程の魔物を従えても歯が立たない程に? そんな事が……」
「落ち着けミハイル、事前の調査に間違いは無い。今の勇者にカトレアを退ける程の力は無い筈だ」
「ではっ、では何故っ!」
瞳に絶望を映し、フリードへ掴みかからんばかりの勢いで尋ねるミハイル。フリードは頭を振ると、徐に関係無さそうな、されど重大な問題を口にした。
「ウルの町での任務が、失敗に終わった」
「なっ。……それはやはり、対象が裏切らなかったと?」
「いや、そうではない。作戦は成功し、六万の魔物がウルの町ごと豊穣の女神を蹂躙する筈だった。だが──イレギュラーに潰されたのだ」
「イレ、ギュラー?」
何の事だと首を傾げるミハイルに、フリードはまるで見えない敵を睨みつけるが如く、虚空へ鋭い視線を向けた。
「たった一人に、魔物の軍勢を殲滅されたのだ。おまけに、任務に当たっていたレイスも消息を絶った」
「馬鹿な、レイスまで……。それにフリード様の強化を受けていない魔物のとはいえ、その数をたった一人で? 有り得ない……、それは一体の冗談ですか?」
慄く様にふらついたミハイルへ、フリードは視線を戻す。
「冗談であれば良かったのだがな……。どうやらその怪物、ウルの町を去った後オルクス大迷宮に駆け込んだらしい。丁度、カトレアが勇者と接触する頃だ」
「っ! では、カトレアはソイツに……!」
ポタリと、廊下に真っ赤な水滴が落ちた。それは、ミハイルが握り締めた拳より流れ落ちたもの。湧き上がる憤怒の発露。
フリードはミハイルの肩に手を置きつつ、鋭い声音で口を開いた。
「敵は想像以上に強大だ。私はこれより、大火山に向かう。新たな神代魔法を手に入れ、更に力をつける。何としてもだ」
「フリード様……」
自分達が信頼する最強の将が、そこまで言う相手。戦慄を隠せないミハイルに、フリードは味方をして心胆寒からしめる眼差しを向けた。
「全ては我等が陛下の為、そして我等の信ずる神の為。留守を任せるぞミハイル、決戦の時は近い。私がいない間、憤怒を以て牙を研ぎ澄ませておけ」
「っ、了解です。カトレアの仇は必ず討ちます」
決然と頷くミハイルに頷き返したフリードは、サッと踵を返した。
背後でミハイルが敬礼するのを感じながら、相棒が待機している場所へと向かう。
部下の前故に、抑えられていた感情が徐々に溢れ出す。その表情は既に、狂気を感じさせる程に歪んでいる。
「我が神より賜った崇高な使命の悉くを潰してくれた代償──高くつくぞ、まだ見ぬ敵よ。私と相対したその時が、貴様等の終わりだ。異教徒共に、この世界で生きる資格は無い」
憎悪と憤怒に彩られたフリードは怨嗟にも似た呟きを残し、一刻後夥しい数の魔物を従えて国を後にした。
魔人族の王国──魔国ガーランドを。
人間と魔人の戦力的均衡をたった一人で崩した最強の魔人。
奇しくも、向かった先は異界の魔王と同じ場所。
果たしてフリードは、知らず知らずの内に迫る死神の鎌から逃れられるのか……
赤銅色の世界。
【グリューエン大砂漠】は、正にそう表現する以外にない場所だった。砂の色が赤銅色なのは勿論だが、砂自体がキメ細かいのだろう。常に一定方向から吹く風により易々と舞い上げられた砂が大気の色をも赤銅色に染め上げ、三百六十度見渡す限り一色となっているのだ。
また、大小様々な砂丘が無数に存在しており、その表面は風に煽られて常に波立っている。刻一刻と表面の模様や砂丘の形を変えていく様は、砂漠全体が"生きている"と表現したくなる程だ。
照りつける太陽と、その太陽からの熱を余さず溜め込む砂の大地が強烈な熱気を放っており、四十度は軽く超えているだろう。舞う砂と合わせて、旅の道としては最悪の環境だ。
尤も、それは"普通の"旅人の場合である。
現在、そんな過酷な環境を知った事ではないと突き進む赤い箱型の乗り物──"トライドロン"が、砂埃を後方に巻き上げながら爆走していた。道なき道だが、それは運転手が解決してくれる。
「……外、凄いですね……普通の馬車とかじゃなくて本当に良かったです」
「全くじゃ。この環境でどうこうなる程柔い心身ではないが……流石に、積極的に進みたい場所ではないのぉ」
車内の後部座席で窓にビシバシ当たる砂と赤銅色の外世界を眺めながらシアとティオがしみじみした様子でそんな事を呟いた。いくらティオが被虐主義者の変態でも、流石にこの環境は鬱陶しいだけらしい。
「前に来たときとぜんぜん違うの! とっても涼しいし、目も痛くないの! パパはすごいの!」
「そうだね~。ソウゴパパは凄いね~。ミュウちゃん、冷たいお水飲む?」
「飲むぅ~。香織お姉ちゃん、ありがとうなの~」
前部の窓際の席で香織の膝の上に抱えられる様にして座るミュウが、以前誘拐されて通った時との違いに興奮した様に万歳して、快適空間を生み出したソウゴにキラキラした眼差しを送る。
それも当然と言えば当然の反応だろう。
海人族であるミュウにとって、砂漠の横断はどれ程過酷なものだったか。四歳という幼さを考えれば、寧ろ衰弱死しなかった事が不思議なくらいだ。そんな環境を耐えてきたミュウからすれば、ギャップも相まって驚きも一入だろう。なにせトライドロンには、冷暖房が完備されているだけでなく耐衝撃障壁や遮音機能、遊興用のゲーム類やドリンクサーバーも備えられているのだから。
そして、ソウゴを称えるミュウに賛同しながら、砂漠では望める筈も無い冷たい水を普通に差し出したのは、【ホルアドの町】でソウゴに対する衝撃的な告白とユエに対する宣戦布告を行い、ソウゴの意見をスルーした挙句、いつの間にか仲間になっていた香織である。因みにこの水は、車内備え付けの冷蔵庫から取り出した物だ。
「おい香織、貴様にその呼び方を許した覚えは無いぞ。今すぐ止めろ」
「? でも、ミュウちゃんには普通に呼ばれてるよね?」
「いや、ミュウは娘なのだから当たり前であろう? 貴様は旅の同行者ではあるが、赤の他人だろう」
生来の面倒見の良さから何かと積極的にミュウの世話を焼く香織は、ミュウが傍にいる時大抵ソウゴの事をソウゴパパと呼称する。香織にパパと呼ばれるのはどうにも抵抗感があるらしく、物凄く微妙な表情をするソウゴ。
因みにソウゴが香織を名前呼びしているのは、当然だが生まれつきの性分だ。若い頃から初対面だろうが年上だろうが、大抵の相手は大体名前で呼び捨てにしていたのだから。
「そう? なら呼ばないけど……でも、私もいつか子供が出来たら……その時は……」
「私に不倫させる気か」
ソウゴをチラチラと見ながら、頬を真っ赤に染めてそんな事を言う香織。車内にミュウを除いて、妙な雰囲気が漂う。ソウゴが鬱陶し気に答えるが、香織に答えたのはユエだった。
「……残念。先約は私。約束済み」
「!? ……ソウゴくん、どういう事?」
「勝手に事実を捏造するな」
ユエがさも事実かの様に有りもしない事を宣い、ソウゴが面倒そうに訂正する。
その後も最早恒例であるかの様に言い争いを始め、ソウゴが「これ以上続けるなら外に放り出すぞ」と言いながら手を伸ばそうとするが、ソウゴより先に二人の言い争いを止めに入ったのは、意外な事にミュウだった。
「……う~、ユエお姉ちゃんも香織お姉ちゃんもケンカばっかり! なかよしじゃないお姉ちゃん達なんてきらい!」
そう言ってミュウは香織の膝から移動すると、後部座席に座るシアの膝に座り込んでプイッと顔を背けてしまった。途端にオロオロしだすユエと香織。流石に、四歳の幼女から面と向かって嫌いと言われるのは堪えるらしい。
「もうっ! お二人共、ミュウちゃんの前でみっともないですよ。というか、教育に悪いです。ソウゴさんの事で熱が入るのは私も分かりますけど、もう少し自重して下さい」
「! ……不覚。シアに注意されるなんて……」
「ご、ごめんなさい。ミュウちゃん、シア」
シアから注意されるというまさかの事態に、肩を落とす二人。
ユエにとって、シアは友人兼妹分みたいな存在だ。ソウゴに好意を寄せる者ではあるが、同時にユエ自身の事も求められているので、明確に恋敵という認識が既にない。ティオはソウゴ自身が求めた存在だが、ただの変態だ。
故に、真正面から宣戦布告した香織こそが、正に初めて現れた恋敵なのだ。
ユエはソウゴとの間に、絶対の絆があると確信している。自分がソウゴの"特別"に選ばれるだろうという事に、根拠不明の揺るぎない自信を持っている。だから、香織が告白し宣戦布告した時も、挑戦者を正面から倒してやる位の余裕ある気持ちだった。
ただ、余裕と自信があるのは変わらないのだが、深刻にならない程度の言い争いが絶えないという状況になり、本日ついにミュウやシアに怒られてしまったという事なのである。
本来なら、ソウゴが喧嘩両成敗で終息させるのがセオリーなのだが、運転中で手が離せないので我関せずを貫くのだった。
「ん? 何じゃあれは? ご主人様よ、三時方向で何やら騒ぎじゃ」
ユエと香織がミュウの機嫌を直す為に仲良しアピールを必死に行い、シアが苦笑いしながらミュウを宥めていると、不意にそんな様子を面白げに見ていたティオがソウゴに注意を促した。窓の外に何かを発見したらしい。
ソウゴが言われるままにそちらを見ると、どうやら右手にある大きな砂丘の向こう側にサンドワームと呼ばれるミミズ型の魔物が相当数集まっている様だった。砂丘の頂上から無数の頭が見えている。
このサンドワームは平均二十メートル、大きいものでは百メートルにもなる大型の魔物だ。この【グリューエン大砂漠】にのみ生息し、普段は地中を潜行していて、獲物が近づくと真下から三重構造のズラリと牙が並んだ大口を開けて襲いかかる。察知が難しく奇襲に優れているので、大砂漠を横断する者には死神の如く恐れられている。
幸いサンドワーム自身も察知能力は低いので、偶然近くを通る等不運に見舞われない限り、遠くから発見され狙われるという事は無い。なので、砂丘の向こう側には運の無かった者がいるという事なのだが……
「……アレ等、何故あの様な不可解な動きをしている?」
そう。ただサンドワームが出現しているだけなら、ティオも疑問顔をしてソウゴに注視させる事はなかった。ソウゴの感知系技能ならサンドワームの奇襲にも気がつけるし、トライドロンの速度なら直前でも十分攻撃範囲から抜け出せるからだ。
異常だったのは、サンドワームに襲われている者がいるとして、何故かサンドワームがそれに襲いかからずに様子を伺う様にして周囲を旋回しているからなのである。
「まるで、食うべきか食わざるべきか迷っている様じゃのう?」
「確かにそう見えるな。その様な事はありえるのか?」
「妾の知識には無いのじゃ。奴等は悪食じゃからの、獲物を前にして躊躇うという事は無い筈じゃが……」
被虐趣味の変態であるティオだが、ユエ以上に長生きな上にユエと異なり幽閉されていた訳でも無いので、この世界に関する知識はこの中で一番深い。なので、魔物に関する情報等では頼りになる。その彼女が首を傾げるという事は、何か異常事態が起きているのは間違いないだろう。
しかし、態々自分達から関わる必要も無い事なので、ソウゴは深く確認せず巻き込まれる前にさっさと距離を取る事にした。
と、その時。
「! 掴まれ!」
ソウゴはそう叫ぶと、一気にトライドロンを加速させた。直後、砂色の巨体が後方より飛び出してきた。大口を開けたそれは件のサンドワームだ。どうやら、不運なのはソウゴ達も同じだったらしい。
ソウゴは更に右に左にとハンドルを切り、砂地を高速で駆け抜けていく。Sの字を描く様に走るトライドロンが駆け抜けた瞬間、二体目、三体目とサンドワームが飛び出してきた。
「きゃぁあ!」
「ひぅ!」
「わわわ!」
香織、ミュウ、シアの順に悲鳴が上がる。強烈な遠心力に振り回され、後部座席のミュウを気にして座席に膝立ちとなり後ろを向いていた香織は、バランスを崩して倒れ込んだ。そして、ユエの膝の上にお尻を置いた状態で仰向けにソウゴの膝上へと着地する。
パチクリと目を瞬かせた香織はそのまま頬を薄らと染めると、上体を捻りギュウッとソウゴの腰にしがみついた。位置的に非常に邪魔くさく、ソウゴの頬が引き攣る。因みに、香織の下半身は未だユエを下敷きにしている。
「ふざけている場合か!」
「危ないから! 危険が危ないから! しがみついてるの!」
「……おのれ香織、私を下敷きにして奇襲とは……やってくれる」
サンドワームの奇襲を受けながら、チャンスとばかりにソウゴにしがみつく香織のお尻を、ユエが忌々しいとばかりにペシペシと平手打ちするが、香織は頬を染めたままソウゴの腹部に顔を押し付けて動こうとしない。
そうこうしている内に現れた三体のサンドワームが、地中より上体を出した状態で全ての奇襲を躱したトライドロンを睥睨し、今度はその巨体に物を言わせて頭上から襲いかかろうとした。
これが唯の馬車であったなら、その攻撃で終わっていたかもしれない。しかしこれは、クリム・スタインベルトが作り出し、光の国やソウゴがスカウトした様々な世界の天才達の技術が加えられたハイパーカーだ。ただ食らいつかれたくらいではビクともしない。
それに……
「……もうその姿勢のままでいい、動くなよ!」
そんな事を言いながらソウゴは、トライドロンをドリフトさせて車体の向きを変え、窓を開いていつの間にかその手に握っていた銃──ショットライザーの引き金を引く。
『ウェーブ・スプラッシング・ブラスト!』
機械音が響き渡るのと同時に、その銃口から大海の激流が圧縮された弾丸となって飛び出し、迫り来るサンドワームの口内に飛び込み正確に撃ち抜いた。サンドワームの真っ赤な血肉が洗い流される様に後方へ飛び、砂漠に赤い花を咲かせる。
ソウゴはそれを見届ける事無く、素早くライザー内のプログライズキーを入れ替えて再び引き金を引く。
『バースト・ダイナマイティング・ブラスト!』
更に迫り来るサンドワームに連鎖爆発弾を放つソウゴ。
一方、ミュウには刺激が強いだろうと考えたシアは、ミュウを対面方向で胸元に抱きしめて見えない様にしていた。
そして、未だソウゴの腰元に顔をうつ伏せにして抱きついていた香織だったが、ユエによって遂に引っぺがされ座席にシートベルトで固定されてしまった。流石に、衝動に負けて相当はしたない事をしてしまったという自覚がある様で、耳まで真っ赤に染めて顔を俯けている。
「あ、あの、ソウゴくん。ごめんさない。その、つい衝動的に……決してエッチな目的があった訳じゃないの。ただ、ちょっと、抱きついてみたかったというか……」
「……そして、あわよくば、そのままソウゴ様を堪能しようと?」
「うん、そうなんだ……って違うよ! ユエ、変な事言わないで。私は、ユエみたいにエッチじゃないよ」
「……私をエッチと申したか……確かに、ソウゴ様と二人っきりだと否定は出来ない」
「……貴様等、言い争う余裕があるなら対処しろ」
『ブロー・クラッシング・ブラスト!』
サンドワームを瞬殺したソウゴは、その爆音と衝撃を感知したのか砂丘の向こう側のサンドワーム達が動き出したのを見てもう一発撃ち込む。
だがその横合いで普段通りの掛け合いをする香織とユエに、ついうんざり気味に注意する。
ソウゴはそのまま砂丘の上へとトライドロンを走らせる。下方に地中の浅い部分を移動してくるサンドワームの群れが見えた。微妙に砂が盛り上がっており、隠密性が無い。向こうもソウゴ達が気付いている事を察して、奇襲よりも速度を重視しているのだろう。
ソウゴはショットライザーを仕舞い、術で対処する事にした。
「"砂瀑柩"」
ソウゴが手を翳すと共に、サンドワーム達が周囲の砂ごと浮き上がり拘束される。締め付けられる様にギチギチと音が鳴り、サンドワーム達も耳障りな悲鳴を上げる。
「"砂瀑送葬"」
直後、グチャッという音と共に拘束する砂塊が一気に縮み、その砂が吸い切れなかった体内水分が外へと溢れ出る。サンドワームはその身を赤い雨に変え、不毛の大地への細やかな栄養として還っていった。
「ソウゴくん! あれ!」
「……白い人?」
ソウゴが術を解除して赤い砂が落ちるのと、香織が驚いた様に声を上げ前方に指を差すのは同時だった。
香織が指を差した先には、ユエが呟いた様に白い衣服に身を包んだ人が倒れ伏していた。恐らく先程のサンドワーム達は、あの人物を狙っていたのだろう。しかし何故食われなかったのかは、この距離からでは分からず謎だ。
「お願い、ソウゴくん。あの場所に……私は"治癒師"だから」
懇願する様な眼差しをソウゴに向ける香織。ソウゴとしても、何故あの状態で砂漠の魔物に襲われないのか興味があったので香織の頼みを了承する。
何か魔物を遠ざける方法や、アイテムでもあるのかもしれない。実際、樹海にはフェアドレン水晶という魔除けの効果を持つ石がある。魔物が寄り付きにくくなるという程度の効果しかないが、もしかしたらより強力なアイテムがある可能性は否定できない。
そんな訳で、トライドロンを走らせ倒れている人の近くまでやって来た。
その人物は、ガラベーヤ(エジプト民族衣装)に酷似した衣装と、顔に巻きつけられるくらい大きなフードの付いた外套を羽織っていた。顔は分からない。うつ伏せに倒れている上に、フードが隠してしまっているからだ。
トライドロンから降りた香織が、小走りで倒れる人物に駆け寄り仰向けにした。
「! ……これって……」
フードを取り露わになった男の顔は、まだ若い二十歳半ばくらいの青年だった。だが、香織が驚いたのはそこではなく、その青年の状態だった。
苦しそうに歪められた顔には大量の汗が浮かび、呼吸は荒く脈も早い。服越しでも分かる程全身から高熱を発している。しかも、まるで内部から強烈な圧力でもかかっているかの様に血管が浮き出ており、目や鼻といった粘膜から出血もしている。明らかに尋常な様子ではない。ただの日射病や風邪という訳ではなさそうだ。
ソウゴはまるでウイルス感染者の様な青年の傍に皆を近寄らせる事に危機感を覚えたが、治癒の専門家が診察しているので大人しく様子を見る事にした。
香織は"浸透看破"を行使する。これは魔力を相手に浸透させる事で対象の状態を診察し、その結果を自らのステータスプレートに表示する技能である。
その結果……
「……魔力暴走? 摂取した毒物で体内の魔力が暴走しているの?」
「何がわかった?」
「う、うん。これなんだけど……」
そう言って香織が見せたステータスプレートには、こう表示されていた。
状態:魔力の過剰活性 体外への排出不可
症状:発熱・意識混濁・全身の疼痛・毛細血管の破裂とそれに伴う出血
原因:体内の水分に異常あり
「恐らくだけど、何かよくない飲み物を摂取して、それが原因で魔力暴走状態になっているんだと思う。……しかも外に排出できないから、内側から強制的に活性化・圧迫させられて、肉体が付いてこれてない……このままじゃ、内蔵や血管が破裂しちゃう。出血多量や衰弱死の可能性も……。天恵よ、ここに回帰を求める──"万天"」
香織はそう結論を下し、回復魔術を唱えた。使ったのは"万天"。中級回復魔術の一つで、効果は状態異常の解除だ。
しかし……
「……殆ど効果が無い……どうして? 浄化しきれないなんて……それ程溶け込んでいるという事?」
どうやら"万天"では、進行を遅らせる事は出来ても完全に治す事は出来なかった様だ。体内から圧迫されているせいか、青年は苦しそうに呻き声を上げている。粘膜から出血も止まらない。香織は今の段階では明確な治療法が思いつかなかったので、歯噛みしながら応急措置を採る事にした。
「光の恩寵を以て宣言する、ここは聖域にして我が領域、全ての魔は我が意に降れ──"廻聖"」
光系の上級回復魔術"廻聖"。これは、一定範囲内における人々の魔力を他者に譲渡する魔術だ。基本的には自分の魔力を仲間に譲渡する事で、対象の魔力枯渇を一時的に免れさせたり、強力な魔術を放つのに魔力が足りない場合に援護する事を目的とした術だ。
また、譲渡する魔力は術者の魔力に限らないので、領域内の者から強制的に魔力を抜き取り他者に譲渡する事も出来る。謂わばドレイン系の魔術としても使えるのだ。但し、他者から抜き取る場合はそれなりに時間が掛かり、一気に大量にとは行かず実戦向きとは言えない。
尤も、香織は本来十小節は必要な詠唱を僅か三小節まで省略し、実戦でもある程度使えるレベルに仕上げていたりする。如何に香織の技量が凄まじいか分かるというものだ。
苦しむ青年にこの魔術を使ったのは、勿論体内で荒れ狂い体を圧迫する魔力を体外に排出する為だ。ステータスプレートには"体外への排出不可"と表示されているが、上級魔術による強制ドレインならば「或いは」と試す事にしたのだ。
白菫色の光が青年を中心に広がり、蛍火の様な淡い光が湧き上がる。
神秘的な光景だ。目を瞑り、青年の胸に手を起きながら意識を集中する香織の姿は、淡い光に包まれている事もあって、どこか神々しさすら感じる。
香織がいとも簡単に上級魔術を行使した事に、魔術に精通するユエやティオが思わず「ほう……」と感嘆の声を漏らす程だった。ミュウはシアに抱っこされながら、「きれい……」とうっとりした表情で香織を見つめている。
周囲で新たな仲間達が感嘆の声を上げている事に気がついた様子もなく、香織は青年から取り出した魔力をソウゴより譲り受けた神結晶の腕輪に収めていった。どうやら、上級魔術による強制ドレインは有効だった様だ。
因みに指輪でないのは、過去二回の誤解を繰り返さない為である。
徐々に青年の呼吸が安定してきた。体の赤みも薄まり、出血も収まってきた様だ。香織は"廻聖"の行使をやめると、初級回復魔術"天恵"を発動し青年の傷ついた血管を癒していった。
「取り敢えず……今すぐどうこうなる事は無いと思うけど、根本的な解決は何も出来てない。魔力を抜きすぎると今度は衰弱死してしまうかもしれないから、圧迫を減らす程度にしか抜き取っていないの。このままだと、また魔力暴走の影響で内から圧迫されるか、肉体的疲労でもそのまま衰弱死する……可能性が高いと思う。勉強した中では、こんな症状に覚えは無いの……ユエとティオは何か知らないかな?」
青年が危機を脱した事に一応の安堵を見せるも、完全な治療は出来なかった事に憂いを見せる香織が知識の深いユエとティオに助けを求めた。
二人も記憶を探る様に視線を彷徨わせるが、該当知識はない様だった。結局、原因不明の病としか言い様がないという状況だ。
「今の香織では手に余るか……。なら仕方ない、私が対処しよう」
「どうにか出来るの?」
「まぁ、本来の使い方ではないのだがな」
ソウゴの言葉を聞き、疑問を浮かべつつも任せようと身を引く香織。
交代する様に前に出たソウゴはしゃがみ込み、青年の額に手を伸ばす。そのまま頭を掴み、その手を引き上げる。
するとその手には、まるで青年の体から引き出した様に半透明の人型が出現する。それを見て、香織が質問を口にした。
「ソウゴくん、それは一体……?」
「これは"人間道"、魂を抜き取る技だ。触れた相手の魔力を喰らう"餓鬼道"でもいいんだが、今回はこちらの方が適していると思ってな。……この斑点が見えるな?」
「う、うん」
ソウゴの返答と確認に香織は頷く。その視線の先には、ソウゴの言葉通り人型の中に幾つか紫色の染みの様なものが浮かんでいた。
「この斑点が症状の原因、恐らく何かしらの術由来の毒であろうな。そして、原因がそうであるならば……」
ソウゴはそう説明し、魂を掴んでいるのとは逆の腕を翳して異界の呪文を唱える。
「"ゴール・ゴル・ゴルド"」
ソウゴが唱えると、斑点は蒸発する様に煙に変わって宙に溶けていった。それを確認したソウゴは、掴んでいた魂を青年の体に戻す。
すると青年の血色が良くなり、脈動が正常なものへと変化していた。呼吸も安定し、傍目から見ても健常者がただ眠っている様に見える。
「凄い……こんな事が出来るなんて……」
「あくまで応用だ。先程言った通り、本来の使い方でもなければ回復術でもない」
「それでも凄いよ、"万天"でも治せない症状を一瞬で治すなんて」
いとも簡単に自分でも治せなかった病状を治療したソウゴに、香織が感嘆の声と共に畏敬の目を向ける。
そうこうしていると、青年が呻き声を上げてその瞼がふるふると震えだした。ゆっくりと目を開けて周囲を見わたす青年は、自分の間近にいる香織を見て「女神? そうか、私は召し上げられて……」などと口にした。
そして今度は違う理由で体を熱くし始めたので、ソウゴは頭を冷やせという意味を込めて、香織に手を伸ばそうとしている青年の頭にサッカーボール大の水球を落とした。
「わぶっ!?」
「ソ、ソウゴくん!?」
砂漠のど真ん中で溺れるという珍体験をした青年と、驚いた様に声を上げる香織を尻目にソウゴは青年に何があったのか事情を尋ねる。
青年の着ているガラベーヤ風の衣服や外套は、【グリューエン大砂漠】最大のオアシスである【アンカジ公国】の特徴的な服装だったとソウゴは記憶している。王国に滞在していた時、退屈しのぎに調べたのだ。青年がアンカジで何かに感染でもしたのだというなら、これから向かう筈だった場所が危険地帯に変わってしまう。是非ともその辺の事を聞いておきたかった。
ソウゴの水球で正気を取り戻した青年は、自分を取り囲むソウゴ達と背後の見た事も無い赤い物体に目を白黒させて混乱していたが、香織から大雑把な事情を聞いている内に冷静さを取り戻した様だ。
「最早私も公国もこれまでかと思ったが、どうやら神はまだ私を見放してはいなかったらしい……」
青年がそう呟く。
人助けをする様な善意溢れる神などこの世界に存在しないと知れば、青年はどう思うだろうか。そんな事を頭の片隅で思いつつ、深刻そうな青年の様子に「この巡り合わせもよもや神の悪戯か?」とソウゴは赤銅色の空を仰ぎ見て口角を歪めた。
「ソウゴくん、取り敢えず車内に入ってもらう方がいいんじゃないかな?」
香織の意見は最もだ。これから事情説明を受けるというのに、こんな砂漠の真ん中では落ち着いて話も出来ないだろう。砂漠の気温も相まって既に相当な量の発汗もあった為、脱水症状の危険もあり得る。
「ふむ……いいだろう。おい小僧、中で話すぞ」
ソウゴの言葉でトライドロンの後部座席に招かれた青年は、車内の快適さに思わず「やはり神の領域か!?」と叫ぶ。先程まで死にかけていたというのに案外元気なものだ。
尤も、冷たい水を飲んで一息つくと自分が使命を果たせず道半ばで倒れた事を思い出した様で、直ぐに表情を引き締めた。
「まず、助けてくれた事に感謝する。あのまま死んでいたらと思うと……アンカジまで終わってしまうところだった。私の名は、ビィズ・フォウワード・ゼンゲン。アンカジ公国の領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲン公の息子だ」
驚いた事に、ビィズと名乗った青年はとんだ大物だったらしい。
【アンカジ公国】は【海上の町エリセン】より運送される海産物の鮮度を極力落とさないまま運ぶ為の要所だ。そして、エリセンからの海産物の供給量は北大陸全体の八割に及ぶ。
つまり、北大陸における一分野の食料供給において、ほぼ独占的な権限を持っているに等しいという事だ。単なる名目だけの貴族ではなく、【ハイリヒ王国】の中でも信頼の厚い屈指の大貴族という事である。
ビィズの方も、香織の素性("神の使徒"として異世界から召喚された者)やソウゴ達の冒険者ランクを聞き、目を剥いて驚愕を露わにした。そして「これは神の采配か! 我等の為に女神を遣わして下さったのか!」といきなり天に祈り始めた。
この場合、女神とは当然香織の事なのだが、当の本人はキョトンとしている。
ソウゴは少し呆れつつ「話が進まん」と事情説明を促すと、ビィズは冷や汗を流しながら咳払いしつつ語りだした。
ビィズ曰く、こういう事らしい。
四日前、アンカジにおいて原因不明の高熱を発し倒れる人が続出した。それは本当に突然の事で、初日だけで人口二十七万人のうち三千人近くが意識不明に陥り、症状を訴える人が二万人に上ったという。直ぐに医療院は飽和状態となり、公共施設を全開放して医療関係者も総出で治療と原因究明に当たったが、香織と同じく進行を遅らせる事は何とか出来ても完治させる事は出来なかった。
そうこうしている内にも、次々と患者は増えていく。にも関わらず、医療関係者の中にも倒れるものが現れ始めた。進行を遅らせる為の魔術の使い手も圧倒的に数が足りず、何の手立ても打てずに混乱する中で、遂に処置を受けられなかった人々の中から死者が出始めた。発症してから僅か二日で死亡するという事実に絶望が立ち込める。
そんな中、一人の薬師がひょんな事から飲み水に"液体鑑定"をかけた。
その結果、その水には魔力の暴走を促す毒素が含まれている事が判明したのだ。直ちに調査チームが組まれ、最悪の事態を想定しながらアンカジのオアシスが調べられたのだが、案の定オアシスそのものが汚染されていた。
当然、アンカジの様な砂漠のど真ん中にある国においてオアシスは生命線であるから、その警備・維持・管理は厳重に厳重を重ねてある。普通に考えれば、アンカジの警備を抜いてオアシスに毒素を流し込むなど不可能に近いと言っても過言ではない程に、あらゆる対策が施されているのだ。
一体どこから、どうやって、誰が……。首を捻る調査チームだったが、それより重要なのは、二日以上前からストックしてある分以外使える水が失くなってしまったという事だ。そして結局、既に汚染された水を飲んで感染してしまった患者を救う手立てが無いという事である。
ただ、全く方法が無いという訳では無かった。一つ、患者達を救える方法が存在していたのだ。
それは、“静因石”と呼ばれる鉱石を必要とする方法だ。
この静因石は、魔力の活性を鎮める効果を持っている特殊な鉱石で、砂漠のずっと北方にある岩石地帯か【グリューエン大火山】で少量採取できる貴重な鉱石だ。魔術の研究に従事する者が、魔力調整や暴走の予防に求める事が多い。この静因石を粉末状にしたものを服用すれば体内の魔力を鎮める事が出来るだろう、という訳だ。
しかし、北方の岩石地帯は遠すぎて往復に少なくとも一ヶ月以上はかかってしまう。また、アンカジの冒険者、特に【グリューエン大火山】の迷宮に入って静因石を採取し戻ってこられる程の者は既に病に倒れてしまっている。生半可な冒険者では、【グリューエン大火山】を包み込む砂嵐すら突破できないのだ。
それに。仮にそれだけの実力者がいても、どちらにしろ安全な水のストックが圧倒的に足りない以上王国への救援要請は必要だった。
その救援要請にしても、総人口二十七万人を抱えるアンカジ公国を一時的にでも潤すだけの水の運搬や、【グリューエン大火山】という大迷宮に行って戻ってこられる実力者の手配など容易く出来る内容ではない。公国から要請と言われれば無視する事は出来ずとも、内容が内容だけに一度アンカジの現状を調査しようとするのが普通だ。しかし、そんな悠長な手続きを経てからでは遅いのだ。
なので、強権を発動出来るゼンゲン公か、その代理たるビィズが直接救援要請をする必要があった。
「父上や母上、妹も既に感染していて、アンカジにストックしてあった静因石を服用する事で何とか持ち直したが、衰弱も激しくとても王国や近隣の町まで赴く事など出来そうもなかった。だから私が救援を呼ぶため、一日前に護衛隊と共にアンカジを出発したのだ。その時症状は出ていなかったが……感染していたのだろうな、恐らく発症までには個人差があるのだろう。家族が倒れ、国が混乱し、救援は一刻を争うという状況に……動揺していた様だ。万全を期して静因石を服用しておくべきだった。今こうしている間にも、アンカジの民は命を落としていっているというのに……情けない!」
力の入らない体に、それでもあらん限りの力を込めて拳を己の膝に叩きつけるビィズ。アンカジ公国の次期領主は、責任感の強い民思いな人物らしい。護衛をしていた者達もサンドワームに襲われ全滅したというから、その事も相まって悔しくてならないのだろう。
僥倖だったのは、サンドワーム達が恐らくこの病を察知して捕食を躊躇った事だ。病にかかったが故に力尽きたがそれ故にサンドワームに襲われず、結果ソウゴ達と出会う事が出来た。人生、何が起きるかわからないものである。万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
「……君達に、いや、貴殿達にアンカジ公国領主代理として正式に依頼したい。どうか、私に力を貸して欲しい」
そう言って、ビィズは深く頭を下げた。車内にしばし静寂が降りる。
窓に当たる砂粒の音がやけに大きく響いた。領主代理がそう簡単に頭を下げるべきでない事はビィズ自身が一番分かっているのだろうが、降って湧いた様な僥倖を逃してなるものかと必死なのだろう。
全員の視線がソウゴに向く。決断はソウゴに任せるという事なのだろうが、ユエとティオ以外は皆、その眼差しの中に明らかに助けてあげて欲しいという意思が含まれていた。特に香織は、"治癒師として"この事態を見逃したくないのだろう。懇願する様な眼差しを向けている。ミュウはもっと直接的だ。
「パパー、たすけてあげないの?」
そんな事を物凄く純真な眼差しで言ってくる。ソウゴなら何だって出来ると無条件に信じている様だ。ミュウにとってソウゴは、紛れもなくヒーローなのだろう。そんなミュウと、どこか期待する様な香織の眼差しに、ソウゴは「迷う必要もあるまい」と笑みを浮かべながらミュウの頭に手を置く。
「ビィズ・フォウワード・ゼンゲン。貴様の願い、我々が責任を持って引き受けよう」
元々【グリューエン大火山】には行く予定であったし、その際ミュウはアンカジに預けていこうと考えていた。いくら何でも、四歳の幼子を大迷宮に連れて行くのは妥当ではない。なので、大迷宮攻略序に静因石を確保する事は全くもって問題無かったし、ミュウは亜人族の子であるから魔力暴走という今回の病因は関わりがないので危険も無い。どちらにしろ、ソウゴの道程の中で処理できる問題だった。
「ソウゴ殿が"金"クラスなら、このまま大火山から静因石を採取してきてもらいたいのだが、水の確保の為に王都へ行く必要もある。この移動型のアーティファクトは、ソウゴ殿以外にも扱えるのだろうか?」
「生憎とこれは私以外には扱えんが……態々王都まで行く必要も無かろう。水の確保はどうとでもなる、一先ずアンカジに向かうぞ」
「どうとでもなる? それはどういう事だ?」
数十万人分の水を確保できるという言葉に、訝しむビィズ。当然の疑問だ。しかし、水は何も運搬しなくとも手に入る方法がある。それは水系技能で大気中の水分を集めて作り出すという方法だ。
勿論普通の術師ではおよそ不可能だろうが、ここには魔術に関して稀代の天才がいる。そう、ユエだ。
しかも彼女ならば、魔力を直ぐ様回復する手段も多数持ち合わせている。ビィズなりランジィなりがアンカジに残っている静因石をしっかり服用し体調を万全に整えて、改めて王国に救援要請をしに行く位の時間は十分に稼げる筈である。
それにソウゴも水遁を始めとした数々の技能を行使できる。以前にソウゴ本人は「水だの氷だの冷やす方面は不得手だがな」と語っていたが、それはあくまで本人基準であり、星一つ水没させる程度は可能なのだ。
その辺りの事を掻い摘んで説明すると、最初は信じられないといった様子のビィズだったが、どちらにしろ今の自分の状態では真面に王国まで辿り着けるか微妙だったので、"神の使徒"たる香織の説得も相まってアンカジに引き返す事を了承した。
砂漠地帯を滑る様に高速で走り出すトライドロンに再び驚きながら、ビィズは何故"神の使徒"たる香織が単独で冒険者達と一緒にいるのか、何故海人族の幼子が人間族のソウゴをパパと呼ぶのか、兎人族と和気藹々としているのか、何故黒髪の妙齢の女性は罵られて気持ち悪い笑みを浮かべているのか等疑問に思いつつも、見えてきた希望に胸の内を熱くするのだった。
赤銅色の砂が舞う中たどり着いたアンカジは、【中立商業都市フューレン】を超える外壁に囲まれた乳白色の都だった。外壁も建築物も軒並みミルク色で、外界の赤銅色とのコントラストが美しい。
ただフューレンと異なるのは、不規則な形で都を囲む外壁の各所から光の柱が天へと登っており、上空で他の柱と合流してアンカジ全体を覆う強大なドームを形成している事だ。時折何かがぶつかったのか波紋の様なものが広がり、まるで水中から揺れる水面を眺めている様な、不思議で美しい光景が広がっていた。
どうやら、このドームが砂の侵入を防いでいる様だ。月に何度か大規模な砂嵐に見舞われるそうだが、このドームのお陰で曇天の様な様相になるだけでアンカジ内に砂が侵入する事は無いという。
ソウゴ達は、これまた光り輝く巨大な門からアンカジへと入都した。砂の侵入を防ぐ目的から、門まで魔術によるバリア式になっている様だ。門番はトライドロンを見ても少し目を見開く程度で、大した反応を見せなかった。
アンカジの現状が影響しているのか暗い雰囲気で気迫も無く、どこか投げやり気味だ。尤も、トライドロンの後部座席に次期領主が座っている事に気がついた途端、直立不動となり兵士らしい覇気を取り戻したが。
アンカジの入場門は高台にあった。ここに訪れた者がアンカジの美しさを最初に一望出来る様に、という心遣いらしい。
確かに美しい都だと、ソウゴ達は感嘆した。
太陽の光を反射してキラキラと煌めくオアシスが東側にあり、その周辺には多くの木々が生えていてい非常に緑豊かだった。オアシスの水は幾筋もの川となって町中に流れ込み、砂漠のど真ん中だというのに小船があちこちに停泊している。町のいたる所に緑豊かな広場が設置されていて、広大な土地を広々と利用している事がよく分かる。
北側は農業地帯の様だ。アンカジは果物の産出量が豊富という話を証明する様に、ソウゴの目には多種多様な果物が育てられているのが分かった。西側には一際大きな宮殿らしき建造物があり、他の乳白色の建物と異なって純白と言っていい白さだった。他とは一線を画す荘厳さと規模なので、あれが領主の住む場所なのだろう。その宮殿の周辺に無骨な建物が区画に沿って規則正しく並んでいるので、行政区にでもなっているのかもしれない。
砂漠の国でありながら、まるで水の都と表現したくなる……【アンカジ公国】はそんな所だった。
「これはまた……フェアベルゲンとは別種の美しさがあるな」
「……ん。綺麗な都」
思わず感嘆が漏れたソウゴに、ユエが同意する。他のメンバーも気持ちは同じ様で、「ほぅ……」と息を漏らしている。
「でも、なんだか元気がないの」
ぽつりと呟いたのはミュウだ。
その言葉通り、その壮観さに反してアンカジの都は暗く陰気な雰囲気に覆われていた。
普段はエリセンとの中継地である事や果物の取引で交易が盛んであり、また観光地としても人気のある事から活気と喧騒に満ちた都なのだが……今は通りに出ている者は極めて少なく、殆どの店も営業していない様だった。誰もが戸口をしっかり締め切って、まるで嵐が過ぎ去るのをジッと蹲って待っているかの様な、そんな静けさが支配していた。
「……使徒様やソウゴ殿にも、活気に満ちた我が国をお見せしたかった。すまないが、今は時間がない。都の案内は全てが解決した後にでも私自らさせて頂こう。一先ずは、父上の下へ。あの宮殿だ」
一行はビィズの言葉に頷き、原因のオアシスを背にして進みだした。
「父上!」
「ビィズ! お前、どうして戻ってきた!?」
ビィズの顔パスで宮殿内に入ったソウゴ達は、そのまま領主ランズィの執務室へと通された。衰弱が激しいと聞いていたのだが、どうやら治癒魔術と回復薬を多用して根性で執務に乗り出していたらしい。
そんなランズィは、一日前に救援要請を出しに王都へ向かった筈の息子が帰ってきた事に驚きを露わにする。
ソウゴによって病原を取り除かれたお陰で、確りと自身の足で立って事情説明を手早く済ませるビィズ。話はトントン拍子に進み、あっという間にソウゴ達の出番がやってくる。
「本格的に動く前に、少しここの者達の処置をしていく」
すると、ソウゴが一歩進み出て腕を出す。
「ソウゴ殿、一体何を?」
「香織の治療を受けさせる前に、症状の停滞と未感染者に免疫を作る。そうすれば症状が今以上進む事も患者が増える事も無い」
ソウゴの言葉に、香織やビィズ・ランズィ親子、その他使用人達が驚きに固まる中、ソウゴは呪文を唱える。
「"ゴンガ・ゴー・ルジュナ"、"ルーマ・ゴンガ・ルジュナ"」
言葉と共にソウゴの全身から光の胞子の様な物が放たれ、放射状に飛び散っていく。その粒子が触れた途端、ランズィ達は体が軽くなる様な感覚を覚えた。
驚く面々を見届けると、ソウゴは仲間達に振り返る。
「では動くか。香織はシアを連れて医療院と患者が収容されている施設へ向かえ、魔晶石も持っていって構わん。私達は水の確保だ。ランズィ、最低でも二百メートル四方の開けた場所はあるか?」
「む? うむ、農業地帯に行けばいくらでもあるが……」
「なら香織とシア以外は其方だ。シアは魔晶石が溜ったらユエに届けに来い」
ソウゴがメンバーに指示を出す。ソウゴ達のやる事は簡単だ。香織が"廻聖"と"万天"でソウゴの補強を行い、取り出した魔力は魔晶石にストックしてはそれをユエに渡して水を作る魔力の足しにする。
ソウゴは貯水池を作るユエに協力した後そのままオアシスに向かい、一応原因の調査をする。分かれば解決してもいいし、分からなければそのまま【グリューエン大火山】に向かう。そういうプランだ。
ソウゴの号令に、全員が元気よく頷いた。
現在、領主のランズィと護衛や付き人多数、そしてソウゴ、ユエ、ティオ、ミュウはアンカジ北部にある農業地帯の一角に来ていた。二百メートル四方どころかその三倍はありそうな平地が広がっている。普段は、とある作物を育てている場所らしいのだが、時期的なものから今は休耕地になっているそうだ。
未だ半信半疑のランズィは、この非常時に謀ったと分かれば即座に死刑にしてやると言わんばかりの眼光でソウゴ達を睨んでいた。
藁をも掴む思いで水という生命線の確保を任せたが、常識的に考えて不可能な話なのでランズィの眼差しも仕方のないものだ。
尤も、その疑いを孕んだ眼差しはユエが魔術を行使した瞬間驚愕一色に染まったが。
風も無く、ユエの黄金の髪がふわりと靡く。圧倒的な魔力が大気を慄かせ、溢れ出る黄金の魔力光が周囲を塗り替える。
行使されるのは神代の魔術。一切合切を圧壊させる超常の力。
「──"壊劫"」
スッと伸ばされた白く嫋やかな手の先、農地の直上に黒く渦巻く球体が出現する。
その球体は農地の上で形を変え薄く四角く引き伸ばされていき、遂に二百メートル四方の薄い膜となった。そして一瞬の停滞の後、音も立てずに地面へと落下し、そのまま何事も無かったかの様に大地を圧し潰した。凄まじい圧力により盛大に陥没する大地。局地的な地揺れが発生し地響きが鳴り響く。それは宛ら、大地が上げた悲鳴の様だ。
一瞬にして超重力を掛けられた農地は二百メートル四方、深さ五メートルの巨大な貯水池となった。
ソウゴがチラリとランズィ達を見ると、護衛も含めて全員が顎が外れんばかりにカクンと口を開けて、目も飛び出さんばかりに見開いていた。
誰もが衝撃が強すぎて声が出ていない様だが、全員が内心で「なにぃーー!?」と叫んでいるのは明白だ。
神代魔術を半分程の出力で放ったユエは「ふぅ」と息を吐く。魔力枯渇という程ではないが、一気に大量に消費した事に変わりはなく僅かだが倦怠感を感じたのだ。
魔晶石からストックしてある魔力を取り出してもいいのだが、この後【グリューエン大火山】に挑む事を考えれば、出来るだけ魔晶石の魔力は温存しておきたい。なので、ユエはもう一つの魔力補給方法を実行しようとする。
フラリと背後に体を倒れさせるユエだったが、体を支えようと藻掻く仕草は見せない。自分からした事であるし、そんな事をしなくても倒れない事は分かりきっているからだ。案の定、ポスンと音を立ててユエの体はソウゴの腕の中に収まった。
ソウゴは「場所を用意できただけでも十分だ」と労いながらユエの頭を撫でる。するとソウゴはそのままティオにユエを預けてしまった。「あうっ」というユエの残念そうな声が響く。
ユエの思惑的には、このまま吸血からの"血力変換"という名目でソウゴに甘えようと思ったのだが、ソウゴ的にはここでユエの役割は終了らしい。
ソウゴは貯水池の淵に立つと、両腕を前に出す。すると何処からか「ザァー……」という音が聞こえ始める。その音が気になって皆が目を周囲に向けると、アンカジどころかグリューエン大砂漠のいたる所から黒い柱の様な物が立ち上がっていた。よく見るとそれは一つの物体ではなく、無数の細かい粒だと分かった。
それらがアンカジを囲む光のドームを透過し、徐々に貯水池の上に集まっていく。そこへソウゴの声が響いた。
「"磁遁・砂鉄豪雨"」
その声と共に無数の黒い粒……砂鉄が技名通りゲリラ豪雨の様に降り注いだ。降り注ぐ大量の砂鉄を今度は薄く広く展開し、ソウゴは続けて砂鉄に向かって炎を放つ。砂鉄を溶かして鉄の壁にする事で、水が吸収されない様に貯水池の表面をコーティングしているのだ。
そしてコーティングを終えると、最後に水を行使する。
「"水遁・滝壺の術"」
その声と共に、虚空に巨大な水塊が現れ文字通り滝の様に流れ落ちる。
"滝壺の術"は水脈の無い場所で湧き水を起こし、その流れを操る事で滝を作り出す術だ。その水源・滝・滝壺は術者の技量によっては無限に拡大出来、ソウゴ程にもなれば【グリューエン大砂漠】どころか
魔術の天才を自称するユエですら上級魔術を何度も行使しなければ満たせない貯水池を、ソウゴはたった一度の術の行使で満杯にした。お陰で、シアが香織の手伝いで手に入れた魔晶石が一つも使われる事無く余ってしまった。
「……こんな事が……」
ランズィは有り得べからざる事態に呆然としながら、眼前で太陽の光を反射してオアシスと同じ様に光り輝く池を見つめた。最早言葉も無い様だ。
「取り敢えず、これで当分は保つだろう。後はオアシスを調べてみて……何も分からなければ、稼いだ時間で水については救援要請すればいい」
「あ、ああ。いや、聞きたい事は山程あるが……ありがとう。心から感謝する。これで、我が国民を干上がらせずに済む。オアシスの方も私が案内しよう」
ランズィはまだ衝撃から立ち直りきれずにいる様だが、それでもすべき事は弁えている様でソウゴ達への態度をガラリと変えると誠意を込めて礼をした。
ソウゴ達は、そのままオアシスへと移動した。
オアシスは相変わらずキラキラと光を反射して美しく輝いており、とても毒素を含んでいる様には見えなかった。
しかし……
「……ん?」
「……ソウゴ様?」
ソウゴが眉を顰めてオアシスの一点を凝視する。様子の変化に気がついたユエがソウゴに首を傾げて疑問顔を見せた。
「……ランズィ、調査団はどの程度まで調べた?」
「……確か、資料ではオアシスとそこから流れる川、各所井戸の水質調査と地下水脈の調査を行った様だ。水質は息子から聞いての通り、地下水脈は特に異常は見つからなかった。尤も、調べられたのはこのオアシスから数十メートルが限度だが。オアシスの底まではまだ手が回っていない」
「オアシスの底には、何かアーティファクトでも沈めてあるのか?」
「? いや、オアシスの警備と管理にとあるアーティファクトが使われているが、それは地上に設置してある。結界系のアーティファクトでな、オアシス全体を汚染されるなどありえん事だ。事実、今までオアシスが汚染された事など一度も無かったのだ」
ランズィの言うアーティファクトとは"真意の裁断"と言い、実はこのアンカジを守っている光のドームの事だ。
砂の侵入を阻み(先程のソウゴの磁遁は例外)、空気や水分等必要な物は通す作用がある便利な障壁なのだが、何を通すかは設定者の側で決める事が出来る。そして、単純な障壁機能だけでなく探知機能もあり、何を探知するかの設定も出来る。その探知の設定は汎用性があり、闇属性の魔術が組み込まれているのか精神作用も探知可能なのだ。
つまり、『オアシスに対して悪意のあるもの』と設定すれば、"真意の裁断"が反応し設定権者であるランズィに伝わるのである。勿論、実際の設定がどんな内容かは秘匿されており領主にしかわからない。
因みに、現在は調査などで人の出入りが多い上既に汚染されてしまっている事もあり警備は最低限を残して解除されている。
「……では、"これ"は何であろうな?」
【アンカジ公国】自慢のオアシスを汚され悔しそうに拳を握り締めるランズィの姿を尻目に、ソウゴは不審そうな声音で呟いた。ソウゴの探知は、魔力を発する"動く何か"をオアシスの中央付近の底に確かに捉えたのだ。
ある筈の無い物があると言われ、ランズィ達が動揺する。
ソウゴはオアシスのすぐ近くまで来ると、自らのスタンド"オーヴァー・クォーツァー"を発動しオアシスに潜らせた。
そのまま座り込み、結跏趺坐の姿勢で目を瞑るソウゴ。皆が疑問顔を向けるが、ソウゴは何も答えない。そして、スタンドが見えていない為当然だがいい加減痺れを切らしたランズィが、ソウゴに何をしているのか問い詰めようとしたその瞬間、
シュバッッ!
風を切り裂く音と共に、水が無数の触手となってソウゴ達に襲いかかった。慌てるランズィ達を他所に、ソウゴは全員の足下の砂を操り触手を防ぐ。
何事かとオアシスの方を見たランズィ達の目に、今日何度目かわからない驚愕の光景が飛び込んできた。何かに引っ張られる様に水面が突如盛り上がったかと思うと、重力に逆らってそのまませり上がり十メートル近い高さの小山になったのである。
「何だ……これは……」
ランズィの呆然とした呟きが、やけに明瞭に響き渡った。
"オーバー・クォーツァー"に引っ張り出されてオアシスより現れたそれは、体長約十メートル、無数の触手をウネウネとくねらせ、赤く輝く魔石を持っていた。その姿はスライム……そう表現するのが一番分かりやすいだろう。
だが、サイズがおかしい。通常、この世界のスライム型の魔物はせいぜい体長一メートル位なのだ。また、周囲の水を操る様な力も無かった筈だ。少なくとも触手の様に操る事は、自身の肉体以外では出来なかった筈である。
「なんだ……この魔物は一体何なんだ? バチェラム……なのか?」
呆然とランズィがそんな事を呟く。バチェラムとは、トータスにおけるスライム型の魔物の事だ。
「コレの正体については主題ではあるまい。重要なのは、オアシスが汚染された原因は恐らくコレだという事だろう。大方、毒素を出す固有魔術でも持っているのだろうな」
「……確かに、そう考えるのが妥当か。だが倒せるのか?」
ソウゴとランズィが会話している間も、まるで混乱している様に触手攻撃をしてくるオアシスバチュラム。ユエとティオは魔術で対処し、ソウゴも会話しながら磁遁で自分とランズィ達への攻撃を防いでいる。
その様子を見て、ランズィがソウゴの持つアーティファクトやユエ達の魔術にもう驚いていられるかと投げやり気味にスルーする事を決めて、冷静な態度でソウゴに勝算を尋ねた。
「もう捉えた」
ランズィの質問に対してただ一言宣言し、一瞬の内にその手に"ライジングペガサスボウガン"を出現させノータイムで撃つ。
シュパァンッ!!
乾いた破裂音と共に空を切り裂き駆け抜けた一条の雷矢は、カクっと慣性を無視して進路を変えた魔石をまるで磁石が引き合う様に、或いは魔石そのものが自ら当たりにいったかの様に寸分違わず撃ち抜いた。
雷の熱量によって魔石は一瞬で消滅し、同時にオアシスバチュラムを構成していた水も力を失ってただの水へと戻った。ドザァー……と大量の水が降り注ぐ音を響かせながら、激しく波立つオアシスを見つめるランズィ達。
「……終わったのかね?」
「ああ、仕留めたとも。原因を排除した事が浄化に繋がるかは……分からんがな」
ソウゴの言葉に、自分達アンカジを存亡の危機に陥れた元凶があっさり撃退された事にまるで狐に抓まれた様な気分になるランズィ達。それでも元凶が目の前で消滅した事は確かなので、慌ててランズィの部下の一人が水質の鑑定を行った。
「……どうだ?」
「……いえ、汚染されたままです」
ランズィの期待する様な声音に、しかし部下は落胆した様子で首を振った。オアシスから汲んだ水からも人々が感染していた事から予想していた事ではある。だが、オアシスバチュラムがいなくても一度汚染された水は残るという事実にやはり皆落胆が隠せない様だ。
「まぁ、そう気を落とすでない。元凶がいなくなった以上、これ以上汚染が進む事は無い。新鮮な水は地下水脈からいくらでも湧き出るのじゃから、上手く汚染水を排出してやればそう遠くない内に元のオアシスを取り戻せよう」
ティオが慰める様にランズィ達に言うと、彼等も気を取り直し復興に向けて意欲を見せ始めた。ランズィを中心に一丸となっている姿から、アンカジの住民は皆がこの国を愛しているのだという事がよく分かる。過酷な環境にある国だからこそ、愛国心も強いのだろう。
(……さて、どうしたものか。オアシスの毒素を取り除く事は出来る、が……)
そんなランズィ達を見つつ、ソウゴは未来視も使いつつオアシスをどうするか思案していた。
ソウゴならば、今この場でオアシスを元の状態に戻す事は造作もない。
だがソウゴの視界には、香織が次の大迷宮【メルジーネ海底遺跡】で手に入れた神代魔術によってオアシスを浄化する様子が見えていた。
先程かけた術によってこれ以上感染者が増える事も重症化する事も無いし、見たところ死者が新たに出る様子も無い。つまりこの場でソウゴが治そうと、後で香織が治そうと大局的には誤差の範囲なのだ。
(何もかも私が出張って成長の機会を奪ってもいかんな、今回は香織に一任するか)
そこまで考えたところで、折角の香織のチャンスを奪うのもどうかと思い、オアシスに関してはこれ以上手を出さない事にしたソウゴだった。
「……しかし、あのバチュラムらしき魔物は一体なんだったのか……。新種の魔物が地下水脈から流れ込みでもしたのだろうか?」
一方、気を取り直したランズィが首を傾げてオアシスを眺める。
それに答えたのは、思考を纏めたソウゴだった。
「恐らくだが……魔人族の仕業であろうな」
「!? 魔人族だと? ソウゴ殿、貴殿がそう言うからには思い当たる事があるのだな?」
ソウゴの言葉に驚いた表情を見せたランズィは、しかし直ぐ様冷静さを取り戻しソウゴに続きを促した。水の確保と元凶の排除を成し遂げたソウゴにランズィは敬意と信頼を寄せている様で、最初の胡乱な眼差しは最早微塵もない。
ソウゴはオアシスバチュラムが、魔人族の神代魔術による新たな魔物だと推測していた。それはオアシスバチュラムの特異性もそうだが、【ウルの町】で愛子を狙い、オルクスで勇者一行を狙ったという事実があるからだ。
恐らく、魔人族の魔物の軍備は整いつつあるのだろう。そしていざ戦争となる前に、危険や不確定要素、北大陸の要所に対する調査と打撃を行っているのだ。愛子という食料供給を一変させかねない存在と、聖教教会が魔人族の魔物に対抗する為異世界から喚んだ勇者を狙ったのがいい証拠だ。
そしてアンカジは、エリセンから海産系食料供給の中継点であり、果物やその他食料の供給も多大である事から食料関係において間違いなく要所であると言える。しかも襲撃した場合、大砂漠のど真ん中という地理から救援も呼びにくい。魔人族が狙うのもおかしな話ではないのだ。
その辺りの事をランズィに話すと、彼は低く唸り声を上げ苦い表情を見せた。
「魔物の事は聞き及んでいる。こちらでも独自に調査はしていたが……よもや、あんなものまで使役できるようになっているとは……見通しが甘かったか」
「まぁ仕方なかろう、王都でも恐らく新種の魔物の情報は掴んでおらん。何せ、勇者一行が襲われたのもつい最近だ。今頃あちこちで大騒ぎだろうよ」
「愈々本格的に動き出したという事か。……ソウゴ殿、貴殿は冒険者と名乗っていたが……その見識といい、強さといい、やはり香織殿と同じ……」
「ただの事情通だよ、少しばかり"目"がいいものでね」
ソウゴがそう嘯くと、ランズィは何か事情があるのだろうとそれ以上の詮索を止めた。どんな事情があろうとアンカジがソウゴ達に救われた事に変わりはない。恩人に対しては、無用な詮索をするよりやるべき事がある。
「……ソウゴ殿、ユエ殿、ティオ殿。アンカジ公国領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲンは、国を代表して礼を言う。この国は貴殿等に救われた」
そう言うと、ランズィを含め彼等の部下達も深々と頭を下げた。
領主たる者がそう簡単に頭を下げるべきではないのだが、ソウゴが"神の使徒"の一人であるか否かに関わらず、きっとランズィは頭を下げただろう。ほんの少しの付き合いしかないが、それでも彼の愛国心が並々ならぬものであると理解できる。だからこそ、周囲の部下達もランズィが一介の冒険者を名乗るソウゴに頭を下げても止めようとせず、一緒に頭を下げているのだ。この辺りは、息子にもしっかり受け継がれているのだろう。仕草も言動もそっくりである。
そんな彼等に、ソウゴはまるで関係無い様な質問を始めた。
「ランズィ。ビィズから死者が出ていると聞いたが、その死体はもう埋葬したのか?」
「……は?」
「必要な事だ、答えてくれ」
「……いや、その時点では魔法が原因だと判明していなかったから、未知の病である可能性も考慮して弔いも出来ていない」
ランズィの答えに、ソウゴは顎に手を当てる。
「ならば好都合、掘り起こす手間が省けるな。……その死体、何処でも構わんから一所に集めておけ。だが、出来るだけ死体が傷まない場所が好ましい」
「? あ、あぁ、了解した。……それで、アンカジには未だ苦しんでいる患者達が大勢いる……それも、頼めるかね?」
政治家として、或いは貴族として、腹の探り合いが日常とかしているランズィは、意図の読めないソウゴの言葉に少し戸惑った様子だったが、取り敢えず指示に従う様に頷いた。そして感染者たちを救う為、静因石の採取を改めて依頼した。
「元々【グリューエン大火山】に用があって来た。それに死体の移動の手間をかけるのだ、その駄賃とでも思えばいい。ただ、どの程度採取する必要がある?」
あっさり引き受けたソウゴにホッと胸を撫で下ろし、ランズィは部下に資料を持ってこさせ、現在の患者数と必要な採取量を伝えた。相当な量が必要そうだ。
「かなりの量が必要だ、荷物持ちぐらいならこちらから出すが?」
「いや、必要無い。その程度なら私一人でも事足りる」
「……もう何でもありだな、これも神の御導きか」
ランズィは最早呆れ顔だ。目の前の男に出来ない事はあるのだろうか? と乾いた笑みすら浮かびそうである。
一方医療院では、香織がシアを伴って獅子奮迅の活躍を見せていた。
緊急性の高い患者から魔力を一斉に抜き取っては魔晶石にストックし、半径十メートル以内に集めた患者の病の進行を一斉に遅らせ、同時に衰弱を回復させる様回復魔術も行使する。それでもソウゴの術で進行が止められている為かなりマシだが。
シアは、動けない患者達をその剛力をもって一気に運んでいた。馬車を走らせるのではなく、馬車に詰めた患者達を馬車ごと持ち上げて、建物の上をピョンピョン飛び跳ねながら他の施設を行ったり来たりしている。緊急性の高い患者は、香織が各施設を移動するより集めて一気に処置した方が効率的だからだ。
尤もこの方法、非力な筈のウサミミ少女の有り得ない光景に、それを見た者は自分も病気にかかって幻覚を見始めたのだと絶望して医療院に駆け込むという姿が多々見られたので、余計に医療院が混乱するという弊害もあったのだが。
医療院の職員達は、上級魔術を連発したり複数の回復魔術を当たり前の様に同時行使する香織の姿に驚愕を通り越すと深い尊敬の念を抱いた様で、今や全員が香織の指示の下患者達の治療に当たっていた。
そんな香織を中心とした彼等の元に、ソウゴ達がやって来る。医療院のスタッフや患者達が一緒にやって来たランズィに頭を垂れようとした。それを手で制止しながら、ランズィは彼等の前に出ると、
「皆の者、聞け! たった今、オアシスを汚染していた原因が排除された! 時間はかかるかもしれないが、我等のオアシスが戻ってくるぞ! 加えて水の確保も成った! 救援が来るまで十分に保つ量だ。更に、ここにいる金ランクの冒険者達が静因石の採取依頼を引き受けてくれた! 後数日だ、踏ん張れ! 気力を奮い立たせ、この難局を乗り切ろう!」
耳に心地よいランズィのバリトンボイスが響く。流石は北大陸の要所を治める貴族と言うべきか、その演説には力があった。
誰もが一瞬、何を言っているんだろうと戸惑った様に硬直していたが、領主の晴れやかな表情で言葉の意味が浸透したのだろう。
次の瞬間、建物が震える程の大歓声が上がった。多くの人が亡くなり、砂漠の真ん中で安全な水も確保できず、絶望に包まれていた人達が笑顔を取り戻し始める。患者やその家族達は互いに抱き合い、安堵に涙し、医療院のスタッフは仲間と肩を叩きあい気合を入れ直している。幾人もの人々がソウゴ達の協力に感謝を捧げた。
その時、ランズィがチラリとソウゴを見た。視線に気が付いたソウゴは、その意図を察して小さく鼻を鳴らす。
「ランズィ、貴様……」
「そう気にしないでくれ。なに、ソウゴ殿が帰ってこなければ、"ちょっと"絶望するだけだ」
言外に「助けてくれないと私達死んじゃうからね? マジで頑張ってね? マジで依頼達成して帰ってきてね?」と言っているのだ。頼るしかなく感謝もしているが、数万人が死ぬかもしれないのだ。こんなに喜んでいる人達が、感謝している人達が死に絶える……「その罪悪感を味わいたくは、ないよね?」という、ある意味脅しとも言えるものだった。あくまで良心に訴えて、逃亡等を極力防ごうという程度のものだが。
しかしソウゴは目を細めて一言、
「……舐められたものよな」
その言葉に、ランズィは背筋が凍る感覚を覚えた。今までの人生で感じた事の無い、それこそ明確な死を覚悟する程の恐怖を。
「高々都市が滅びかける程度の危機、幾度となく乗り越えてきた。ましてや既に原因の排除された事案、解決出来ん方がおかしかろう」
さも当然の事の様に告げるソウゴにランズィは目を見開き、ソウゴはランズィから視線を外して香織に声を掛ける。
「香織、これから【グリューエン大火山】に挑む。貴様はどうする?」
「ソウゴくん……」
香織はソウゴの姿を見て嬉しそうに頬を綻ばせるが、直ぐに真剣な表情となって虚空を見つめた。
「ソウゴくん。私は、ここに残って患者さん達の治療をするね。静因石をお願い。ごめんね……ソウゴくんがこの世界の事に関心が無いのは分かっているけど……」
「いずれ我が領土となるかもしれんのだ、民を救うのは当然の事であろう? 私は私の務めを果たすだけだ」
「ふふ……そうだね、頼りにしてる。ミュウちゃんは私がしっかり見てるから」
香織はアンカジに来るまでの道中でソウゴから狂った神の話は聞いており、更にソウゴの身の上や暇潰しの為にこの世界に留まっているという事も聞いている。それに納得出来ないなら、光輝達の下へ帰れとも。全てを聞いた上で香織は、それでもソウゴに付いてくという意志を曲げなかった。
今回の事も、もしソウゴがアンカジを見捨てる決断をしていたなら、多少の意見はしただろうが諦めていただろう。
だが、出来る事ならアンカジの人々の力になりたいと思っていた事は事実で、ソウゴについ懇願する様な眼差しを向けてしまった。
なので香織は、まるで自分の我儘にソウゴを付き合わせた様な複雑な気持ちを抱いていた。
だがつい謝罪を口にした香織に、ソウゴは意にも介さない態度で答える。香織の気持ちを見透かした様に、自分にとって当然の事なのだから気にするなと。香織はそんなソウゴの気高さに、これがソウゴ流の"
「私も頑張るから……無事に帰ってきてね。待ってるから……あうっ!?」
「貴様が私の心配なぞ百年早いわ、己惚れるな」
香織の愛しげに細められた眼差しとまるで戦地に夫を送り出す妻の様な雰囲気に、思わず「生意気だ」と言わんばかりに乱暴に頭を撫でるソウゴ。それはまるで燥ぐ子供を窘める親の様だ。
ソウゴは拗ねた様に頬を膨らませる香織の視線を背に、【グリューエン大火山】へと向かう事にした。事前に話は通してあったが、医療院で忙しい香織だけでなくランズィにもミュウの世話を改めて頼んでおく。
予め言い聞かせてあったものの、ソウゴが出発すると雰囲気で察した途端寂しそうに顔を俯かせるミュウに、ソウゴは膝をついて目線を合わせゆっくり頭を撫でた。
「ミュウ、少し冒険に行ってくる。もうすぐお姉さんになるんだ、いい子で留守番してるんだぞ?」
「……ミュウが、お姉ちゃん? ……うぅ、いい子してるの、だから早く帰ってきて欲しいの、パパ」
「勿論だとも」
服の裾をギュッと両手で握り締め泣くのを我慢するミュウと、それを優しく宥めるソウゴの姿は種族など関係無く、誰が見ても親子だった。ソウゴはミュウの背中を押し、香織の方へ行かせる。そしてユエ、シア、ティオに出発の号令をかけた。
踵を返そうとするソウゴに、香織が声をかけた。
「あ、ソウゴくん……その、いってらっしゃい」
「うむ、ミュウの事を頼んだぞ」
「うん……それで、その……キス、ダメかな? いってらっしゃいのキス……みたいな」
「発情期も大概にしておけよ淫乱娘」
香織が頬を染めてもじもじしつつ頼んでみると、明確な拒絶の言葉と共にデコピンが香織を襲った。「あぅ~」と呻きながら額を押さえて蹲る香織を尻目に、一行は【グリューエン大火山】へと出発するのだった。
【グリューエン大火山】
それは【アンカジ公国】より北方に進んだ先、約百キロの位置に存在している。見た目は直径約五キロメートル、標高三千メートル程の巨石だ。普通の成層火山の様な円錐状の山ではなく、所謂溶岩円頂丘の様に平べったい形をしており、山というより巨大な丘と表現する方が相応しい。その標高と規模が並外れているだけで。
この【グリューエン大火山】は七大迷宮の一つとして周知されているが、【オルクス大迷宮】の様に冒険者が頻繁に訪れるという事は無い。それは内部の危険性と厄介さ、そして【オルクス大迷宮】の魔物の様に魔石回収の旨みが少ないから……というのもあるが、一番の理由は、まず入口に辿り着ける者が少ないからである。
その原因が、
「まるで赤の世界にある竜巣だな」
「……竜巣?」
思わず以前訪れた世界で見た空飛ぶ竜達の巣を思い出して呟いたソウゴに、ユエ達の疑問顔が向けられる。それに適当に返すソウゴは、トライドロンの車内から前方の巨大な渦巻く砂嵐を見つめた。
そう。【グリューエン大火山】は巨大積乱雲の様に、巨大な渦巻く砂嵐に包まれているのだ。その規模は【グリューエン大火山】をすっぽりと覆って完全に姿を隠す程で、砂嵐の竜巻というより流動する壁と行った方がしっくりくる。
しかも、この砂嵐の中にはサンドワームや他の魔物も多数潜んでおり、視界すら確保が難しい中で容赦なく奇襲を仕掛けてくるというのだ。並みの実力では【グリューエン大火山】を包む砂嵐すら突破出来ないというのも頷ける話である。
「つくづく徒歩でなくて良かったですぅ」
「流石の妾も、生身でここは入りたくないのぉ」
ソウゴと同じく窓から巨大砂嵐を眺めるシアとティオも、トライドロンに感謝感謝と拝んでいる。
ソウゴは「これぐらい生身で突破出来んと私についてこれんぞ」と呆れ半分に言いながら、トライドロンを一気に加速させた。
今回は悠長な攻略をしていられない。表層部分では静因石はそれ程採れない為、手付かずの深部まで行き大量に手に入れなければならない。深部まで行ってしまえば、恐らく今迄と同じ様に外へのショートカットが有る筈だ。それで一気に脱出してアンカジに戻るのだ。
ソウゴは脳内である程度の算段を立てつつ、巨大砂嵐に突撃した。
砂嵐の内部は、正しく赤銅一色に塗り潰された閉じた世界だった。【ハルツィナ樹海】の霧の様に殆ど先が見えない。物理的影響力がある分、霧より厄介かもしれない。ここを魔術の障壁なり体を覆う布なりで魔物を警戒しながら突破するのは、確かに至難の業だろう。
太陽の光も殆ど届かない薄暗い中を、ヘッドライトが切り裂いていく。時速は百二十キロ程度、事前の情報からすれば約十五秒で突破出来る筈である。
そんなこの世界で追いつくもののいない速度と、不要な遭遇戦を避ける為に"覇気"を発動しながら駆け抜けた事もあり、サンドワームの襲撃も無く、数多の冒険者達を阻んできた巨大砂嵐を易々と突破したのだった。
「ボバッ!」とそんな音を立てて砂嵐を抜け出たソウゴ達の目に、まるでエアーズロックを何倍にも巨大化させた様な岩山が飛び込んできた。砂嵐を抜けた先は静かなもので、周囲は砂嵐の壁で囲まれており直上には青空が見える。まるで竜巻の目にいる様だ。
【グリューエン大火山】の入口は頂上にあるとの事だったので、進める所までトライドロンで坂道を上がっていく。露出した岩肌は赤黒い色をしており、あちこちから蒸気が噴出していた。活火山であるにも関わらず一度も噴火した事が無いという点も、大迷宮らしい不思議さだ。
やがて傾斜角的にトライドロンでは厳しくなってきたところで、ソウゴ達はトライドロンを降りて徒歩で山頂を目指す事になった。
「うわぅ……あ、暑いですぅ」
「ん~……」
「この程度で音を上げる様ではまだまだ未熟な証だ、修行が足らんぞ」
「ふむ、妾は寧ろ適温なのじゃが……それにしてもご主人様は流石じゃのぉ、汗一つ掻いておらん」
「古い知り合いが火山に住んでいた事があってな。会いに行く内に慣れたよ」
外に出た途端襲い来る熱気に、ソウゴとティオ以外の二人がうんざりした表情になる。冷房の効いた快適空間にいた弊害で、より暑く感じてしまうというのもあるだろう。異世界の冒険者、或いは旅人だというのに、引き籠りの様な苦悩を味わっているのは……自業自得としか言い様がない。
時間が無いので暑い暑いと文句を言う二人を急かしながら素早く山頂を目指し、岩場をひょいひょいと重さを感じさせずどんどん登っていく。結局ソウゴ達は、十分もかからずに山頂に辿り着いた。
頂上は無造作に乱立した、大小様々な岩石で埋め尽くされた煩雑な場所だった。尖った岩肌や、逆につるりとした光沢のある表面の岩もあり、奇怪なオブジェの展示場の様な有様だ。砂嵐の頂上がとても近くに感じる。
そんな奇怪な形の岩石群の中でも群を抜いて大きな岩石があった。歪にアーチを形作る全長十メートル程の岩石である。
ソウゴ達はその場所に辿り着くと、アーチ状の岩石の下に【グリューエン大火山】内部へと続く大きな階段を発見した。ソウゴは階段の手前で立ち止まると、肩越しに背後に控える仲間の顔を順番に見やり、澄ました表情で大迷宮挑戦の号令をかけた。
「行くぞ」
「んっ!」
「はいです!」
「うむっ!」
【グリューエン大火山】の内部は、【オルクス大迷宮】や【ライセン大迷宮】以上にとんでもない場所だった。
難易度の話ではなく、内部の構造が、だ。
まず、マグマが宙を流れている。亜人族の国【フェアベルゲン】の様に空中に水路を作って水を流しているのではなく、マグマが宙に浮いてそのまま川の様な流れを作っているのだ。空中をうねりながら真っ赤に赤熱化したマグマが流れていく様は、まるで巨大な龍が飛び交っている様だ。
また当然、通路や広間のいたる所にマグマが流れており、迷宮に挑む者は地面のマグマと頭上のマグマの両方に注意する必要があった。
しかも、
「うきゃ!」
「大丈夫か?」
「はぅ、有難うございますソウゴさん。いきなりマグマが噴き出してくるなんて……察知出来ませんでした」
シアが言う様に、壁のいたる所から唐突にマグマが噴き出してくるのである。本当に突然な上に、事前の兆候も無いので察知が難しい。正に天然のブービートラップだった。
尤もそれはユエ達目線の話であり、ソウゴからすれば未来視を使わずとも探せばいくらでも兆候は分かるとの事だ。
だがその境地に達しているのがソウゴ一人の為、他のメンバーをフォローする以上攻略スピードは下がらざるを得なかった。
そして何より面倒なのが、茹だる様な暑さ──基熱さだ。通路や広間のいたる所にマグマが流れているのだから当たり前ではあるのだが、まるでサウナの中にでもいる様な、或いは熱したフライパンの上にでもいる様な気分である。【グリューエン大火山】の最大限に厄介な要素だった。
ユエ達がダラダラと汗をかきながら天井付近を流れるマグマから滴り落ちてくる雫や噴き出すマグマを躱しつつ進んでいると、とある広間であちこち人為的に削られている場所を発見した。ツルハシか何かで砕きでもしたのかボロボロと削れているのだが、その壁の一部から薄い桃色の小さな鉱石が覗いている。
「む? ……ティオ、あれが静因石か?」
「うむ。間違いないぞ、ご主人様よ」
ソウゴの確認する様な言葉に、知識深いティオが同意する。どうやら砂嵐を突破して【グリューエン大火山】に入れる冒険者の発掘場所の様だ。
「……小さい」
「他の場所も小石サイズばっかりですね……」
ユエの言う通り、残されている静因石は殆どが小指の先以下の物ばかりだった。殆ど採られ尽くしたというのもあるのだろうが、サイズそのものも小さい。やはり表層部分では回収効率が悪すぎる様で、一気に大量に手に入れるには深部に行く必要がある様だ。
ソウゴは一応他の静因石の有無を調べ、簡単に採取できるものだけ“宝物庫”に収納するとユエ達を促して先を急いだ。
暑さに辟易するユエ達を促しながら、七階層程下に降りる。記録に残っている冒険者達が降りた最高階層だ。そこから先に進んだ者で生きて戻った者はいない。気を引き締めつつ、八階層へ続く階段を降りきった。
その瞬間。強烈な熱風に煽られたかと思うと、突如ソウゴ達の眼前に巨大な火炎が襲いかかった。オレンジ色の壁が螺旋を描きながら突き進んでくる。
「そう言えば小腹が空いたな……」
そんな火炎に対し、そう発されたソウゴの言葉。その言葉と共にソウゴが口を開くと、途端に人など簡単に消し炭に出来そうな死の炎は吸い込まれていった。ソウゴは余波すら呑み込み、閉じられた口からは「ゴキッ、ゴキッ」という固い物を嚙み砕く様な咀嚼音が響く。
目を丸くして頭上に疑問符を浮かべる一同を気にも留めず、ソウゴは「ゴクンッ」という嚥下音と共に口の中の何かを飲み込んだ。
「たとえ魔物でもやはり牛は牛だな、牛肉と変わらん味だ」
そしてソウゴは、何事も無かった様にそう言った。
実は、ソウゴ達の進む先には先程の炎を放ったマグマを纏う雄牛が居たのだが、それを視界に捉えたソウゴが"暴食"の技能でその炎と雄牛、挙句その周囲のマグマごと自らの胃に収めてしまったのだった。
それに気付かないユエ達を「惚けてないで行くぞ」と現実に引き戻し、ソウゴは三人を促して先を急いだ。
その後、階層を下げる毎に魔物のバリエーションは増えていった。マグマを翼から撒き散らす蝙蝠型の魔物や壁を溶かして飛び出てくる赤熱化したウツボ擬き、炎の針を無数に飛ばしてくる針鼠型の魔物、マグマの中から顔だけ出し、マグマを纏った舌を鞭の様に振るうカメレオン型の魔物、頭上の重力を無視したマグマの川を泳ぐやはり赤熱化した蛇等……。
生半可な魔術では纏うマグマか赤熱化した肉体で無効化してしまう上に、そこかしこに流れるマグマを隠れ蓑に奇襲を仕掛けてくる魔物はユエ達にとって厄介極まりなかった。何せ、魔物の方は体当りするだけでも人相手なら致命傷を負わせる事が出来る上に、周囲のマグマを利用した攻撃も多く、武器は無限大と言っていい状況。更に、いざとなればマグマに逃げ込んでしまえばそれだけで安全を確保出来てしまうのだ。
たとえ砂嵐を突破できるだけの力をもった冒険者でも、魔物が出る八階層以降に降りて戻れなかったというのも頷ける。しかもそれらの魔物は、倒しても魔石の大きさや質自体は【オルクス大迷宮】の四十層レベルの魔物のそれと対して変わりがなく、貴重な鉱物である静因石も表層の物と殆ど変わらないとあっては、挑戦しようという者がいないのも頷ける話だ。
そして何より厄介なのは、刻一刻と増していく暑さだ。
「はぁはぁ……暑いですぅ」
「……シア、暑いと思うから暑い。流れているのは唯の水……ほら、涼しい、ふふ」
「むっ、ご主人様よ! ユエが壊れかけておるのじゃ! 目が虚ろになっておる!」
暑さに強いソウゴとティオ以外がダウン状態だ。止めどなく滝のように汗が流れ、意識も朦朧とし始めているユエとシアを見て、ソウゴは少し休憩が必要かと考えた。
ソウゴは少し待てと三人を立ち止まらせ、自身は少し進む。そして何を思ったかしゃがみ込み……マグマに手をつけた。一切躊躇無く。
「ご主人様!?」
驚愕に顎が外れそうなティオを見やる事も無く、「冷やすのは苦手なんだがなぁ」とぼやく様に呟きつつ一言。
「"
その瞬間、マグマが氷海に変化する。
熱風は凍える風に、滴るマグマは氷柱に、生息する魔物達は氷像に。
ティオは勿論、意識朦朧とするユエとシアですらその絶技に目を見開く。ソウゴはただ一度の行使によって、この階層を氷河期に変えたのだ。
立ち上がったソウゴは、適当な壁を殴り横穴を空けた。それこそ氷を砕く様に簡単に開いた穴に歩を進め、三人に告げる。
「休憩は四十分、その間に水分補給と間食を済ませておけ。火山で凍死など、笑い話でしかないからな」
ソウゴは冗談めかしてそう言うと、簡易食糧と水筒を手渡して奥に進んでいった。
二十分後。食事を済ませ、先程とは正反対に毛布に包まって眠るユエとシアを他所に、ティオがソウゴに話かける。
「先程のは驚いたぞ、まさかマグマごと凍らせるとは。それにしても、ご主人様はまだ余裕そうじゃの?」
「この程度で音を上げる程、軟な人生は送っとらん」
「流石じゃのぅ……。それは兎も角、恐らくこの状況は、この大迷宮のコンセプトなのじゃろうな」
ティオからの賛辞に適当に返しつつ、前おいて推測する様に言われたティオの言葉にソウゴが首を傾げる。
「コンセプトだと?」
「うむ。ご主人様から色々話を聞いて思ったのじゃが、大迷宮は試練なんじゃろ? 神に挑む為の……なら、それぞれに何らかのコンセプトでもあるのかと思ったのじゃよ。例えば、ご主人様が話してくれた【オルクス大迷宮】は、数多の魔物とのバリエーション豊かな戦闘を経て経験を積む事。【ライセン大迷宮】は魔術という強力な力を抜きに、あらゆる攻撃への対応力を磨く事。この【グリューエン大火山】は暑さによる集中力の阻害と、その状況下での奇襲への対応といったところではないかのぉ?」
「……成程、特に考えた事は無かったが……試練そのものが解放者共の"教え"になっているという事か」
ティオの考察に、「成程」と頷くソウゴ。
若干被虐癖はあるが知識深く、思慮深くもあるティオ。「思わぬ拾い物をしたな」と、内心少し得した気分になるソウゴだった。
「……ところでご主人様よ、この氷はどれ位保つのじゃ?」
「少なく見積もって……、十年程度か」
【グリューエン大火山】、恐らく五十層辺り。
それが現在、ソウゴ達のいる階層だ。何故"恐らく"なのか。それはソウゴ達の置かれた状況が少々特異なので、はっきりと現在の階層が分からないからである。
具体的には、ソウゴ達は宙を流れる大河の如きマグマの上を輝く氷で出来た小舟の様な物に乗ってどんぶらこと流されているのだ。
「懐かしいな、グラン達との旅を思い出す」
かつて共に旅をした騎空士の団長を思い浮かべ、そんな事を呟くソウゴ。
何故、こんな状況になっているかというと……端的に言えばソウゴの気分である。
というのも、少し前の階層で攻略しながらも静因石を探していたソウゴ達は、相変わらず自分達を炙り続けるマグマが時々不自然な動きを見せている事に気がついた。
具体的には、岩等で流れを邪魔されている訳でも無いのに大きく流れが変わっていたり、何も無いのに流れが急激に遅くなっていたり、宙を流れるマグマでは一部だけ大量にマグマが滴り落ちていたりというものである。
大抵それは通路から離れたマグマの対岸だったり、攻略の障害にはならなかったので気にも止めていなかったのだが、偶々探知の効果範囲にその場所が入り、その不自然な動きが静因石を原因としている事が判明したのである。マグマそのものに宿っているらしい魔力が静因石により鎮静されて、流れが阻害された結果だったのだ。
ソウゴ達は、「ならばマグマの動きが強く阻害されている場所に静因石は大量にある筈」と推測し探した結果、確かに大量の静因石が埋まっている場所を多数発見したのである。マグマの動きに注意しながら相当な量の静因石を集めたソウゴ達は、予備用にもう少しだけ集めておこうととある場所に向かった。
そこは宙に流れるマグマが、大きく壁を迂回する様に流れている場所だった。ソウゴが錬成を使って即席の階段を作成して近寄り、探ってみれば充分な量の静因石が埋まっている事が分かった。
早速分解系の技能を使い静因石だけを回収するソウゴだったが、余裕からか壁の向こう側の様子というものに注意を向けていなかった。
静因石を宝物庫に収納しその効力が失われた瞬間、静因石が取り除かれた壁の奥からマグマが勢いよく噴き出したのである。
咄嗟に飛び退いたソウゴだったが噴き出すマグマの勢いは激しく、まるで亀裂の入ったダムから水が噴出し決壊する様に穴を押し広げて一気になだれ込んできた。
だからと言って問題があるかというとそうでもなく、先程と同じく凍結させるなり時間停止なり対処方法はいくらでもあったのだが、「偶には川下りでもしてみるか」と思ったソウゴが"フリージング・コフィン"の要領で氷の小舟を作り出し、それに乗って事無きを得たのである。
そして流されるままにマグマの上を漂っていると、いつの間にか宙を流れるマグマに乗って階段とは異なるルートで【グリューエン大火山】の深部へと時に灼熱の急流滑りを味わいながら流されていき現在に至るという訳だ。
「あっ、ソウゴさん。またトンネルですよ」
「そろそろ標高的には麓辺りじゃ、何かあるかもしれんぞ?」
シアが指差した方向を見れば、確かにソウゴ達が流されているマグマが壁に空いた大穴の中に続いていた。マグマ自体に照らされて下方へと続いている事が分かる。今までも洞窟に入る度に階層を下げてきたので、普通に階段を使って降りるよりショートカットになっている筈だ。
ティオの忠告に頷きながら、いざ洞窟内に突入するソウゴ達。マグマの空中ロードは、広々とした洞窟の中央を蛇の様にくねりながら続いている。すると暫く順調に高度を下げていたマグマの空中ロードだが、カーブを曲がった先でいきなり途切れていた。否、正確には滝といっても過言ではないくらい急激に下っていたのだ。
「またか、全員振り落とされるなよ」
ソウゴの言葉にユエ達も頷き、凍傷を負わない様に小舟の縁やソウゴの腰にしがみ付く。ジェットコースターが最初の落下ポイントに登るまでのあのジワジワとした緊張感が漂う中、遂にソウゴ達の小舟が落下を開始した。
轟々と風の吹き荒れる音がする。途轍もない速度で激流と化したマグマを、念動力で制御しながら下っていく。マグマの粘性など存在しないとばかりに、速度は刻一刻と増していった。
ソウゴは道中適当に拾った小石を手の中で転がしつつ、周囲を警戒する。何故ならこういう時に限って……
「まぁ、当然湧くわな……」
ソウゴは予想がついていた様に呟き、手中の小石を指で弾いた。周囲に響く反射音。それが三度続くと共に目標を貫通し撃破する。ソウゴ達に襲いかかってきたのは、翼からマグマを撒き散らす蝙蝠だった。
このマグマコウモリは、一体一体の脅威度はそれ程高くない。かなりの速度で飛べる事とマグマ混じりの炎弾を飛ばす位しか出来ない。ソウゴ達にとっては、雑魚未満の敵である。
だがマグマコウモリの厄介なところは、群れで襲って来るところだ。「一匹見つけたら三十匹はいると思え」というゴキブリの様な魔物で、岩壁の隙間等からわらわらと現れるのである。
今も三羽のマグマコウモリを瞬殺したソウゴだったが、案の定激流を下る際の猛スピードが齎す風音に紛れて、夥しい数の翼が羽搏く音が聞こえ始めた。
「……ソウゴ様、左と後ろ、任せて」
「任せる。シア、ティオ、不用意に動くなよ」
「はいです!」
「うむ」
ソウゴとユエが小舟の上で対角線上に背中合わせになった直後、マグマコウモリの群れがその姿を見せた。
それはもう、一つの生き物といっても過言ではない。夥しい数のマグマコウモリは、まるで鳥類の一糸乱れぬ集団行動の様に一塊となって波打つ様に動き回る。その姿は、傍から見れば一匹の龍の様だ。翼がマグマを纏い赤く赤熱化しているので、さながら炎龍といったところだろう。
一塊となってソウゴ達に迫ってきたマグマコウモリは途中で二手に分かれると、前方と後方から挟撃を仕掛けてきた。いくら一体一体が弱くとも、一つの巨大な生き物を形取れる程の数では、普通は物量で押し切られるだろう。
だが、ここにいるのはチート集団。単純な物量で押し切れる程甘い相手でない事は、【ウルの町】で大地の肥やしとなった魔物達が証明済みだ。
「分かり易いが、火には水と氷だ」
ソウゴは"魔海銃バッシャーマグナム"と"水勢剣流水"を召喚し、その猛威を振るう。
水塊の弾丸と水流の斬撃は、恐るべき威力と速度を両立した嵐となって有無を言わせず貫き裂く。洞窟の壁を破砕するまでの道程で射線上にいたマグマコウモリは、一切の抵抗も許されず貫断され地へと落ちていった。
更にソウゴは"木腕の術"で両腕を二対複製し、その内の一対で"水龍弾"の印を結んで龍を模した激流を吐き出す。もう一対には"ウォータードラゴンウィザードリング"をスキャンした"ウィザーソードガン"を取り出し四方八方にばら撒く様に連射する。
追加で"修羅道"で機械の腕を召喚、搭載された重火器やレーザーを放ち、おまけとばかりに氷属性を付与した"ランチャーモジュール"のミサイルと"ギガント"を乱発する。
結果は明白。木っ端微塵に砕かれたマグマコウモリの群れは、その体の破片を以て一時のスコールとなった。
後方から迫っていたマグマコウモリも同じ様なものだ。
「──"嵐龍"」
ユエが右手を真っ直ぐ伸ばしそう呟いた瞬間、緑色の豪風が集まり球体を作った。そして瞬く間に、まるで羽化でもするかの様に球形を解いて一匹の龍へと変貌する。緑色の風で編まれた"嵐龍"と呼ばれた風の龍は、マグマコウモリの群れを一睨みするとその顎門を開いて哀れな獲物を喰らい尽くさんと飛びかかった。
当然マグマコウモリ達は炎弾を放ちつつも、"嵐龍"を避ける様に更に二手に分かれて迂回しようとした。しかしユエの"龍"は、その全てが重力魔術との複合魔術だ。当然"嵐龍"も唯の風で編まれただけの龍ではなく、風刃で構成され自らに引き寄せる重力を纏った龍であり、一度発動すれば逃れる事は至難だ。
マグマコウモリ達はいつか見た"雷龍"や"蒼龍"の餌食となった魔物達の様に、抗う事も許されず"嵐龍"へと引き寄せられ風刃の嵐に肉体を切り刻まれて血肉を撒き散らし四散した。
因みにユエが"雷龍"や"蒼龍"を使わなかったのは、マグマコウモリが熱に強そうだった事と、翼を切り裂けば事足りると判断した為である。
最後に"嵐龍"は群れのど真ん中で弾け飛ぶと、その体を構成していた幾百幾千の風刃を全方向に撒き散らし、マグマコウモリの殲滅を完了した。
「う~む、ご主人様とユエの殲滅力は、いつ見ても恐ろしいものがあるのぉ」
「流石ですぅ」
ソウゴとユエの攻撃の余波を受けない様に身を屈めつつ、ティオとシアが苦笑い気味に称賛を送る。それを気にした様子も無く、ソウゴは武装を解き、得意気に胸を張るユエを「気を抜くな」と叱り、前方に視線を戻した。ユエはぷぅーっと頬を膨らませながら視線を周囲の警戒に戻す。
マグマの激流空中ロードを魔物に襲われながら下っているというのに、結構余裕のあるソウゴ達。だがその空気に釘を刺したかったのか、今まで下り続けていたマグマが突然上方へと向かい始めた。
勢いよく数十メートルを登ると、その先に光が見えた。洞窟の出口だ。だが問題なのは、今度こそ本当にマグマが途切れている事である。
「もう一度だ、掴まれ」
ソウゴの号令に再び小舟にしがみつくユエ達。小舟は激流を下ってきた勢いそのままに猛烈な勢いで洞窟の外へと放り出された。
襲い来る浮遊感に、ソウゴは即座に小舟の造形を変えながら素早く周囲の状況を把握する。
ソウゴ達が飛び出した空間は、嘗て見た【ライセン大迷宮】の最終試練の部屋よりも尚広大な空間だった。
【ライセン大迷宮】の部屋と異なり球体ではなく、自然そのままに歪な形をしている為正確な広さは把握しきれないが、少なくとも直径三キロメートル以上はある。地面は殆どマグマで満たされており、所々に岩石が飛び出していて僅かな足場を提供していた。
周囲の壁も大きくせり出している場所もあれば、逆に削れている所もある。空中にはやはり無数のマグマの川が交差していて、その殆どは下方のマグマの海へと消えていっている。
グツグツと煮え立つ灼熱の海と、フレアの如く噴き上がる火柱。「嘗て見た地獄の釜そのものだな」と、ソウゴ達はごく自然にそんな感想を抱いた。
だが何より目に付いたのは、マグマの海の中央にある小さな島だ。
海面から十メートル程の高さにせり出ている岩石の島。それだけなら他の足場より大きいというだけなのだが、その上をマグマのドームが覆っているのである。まるで小型の太陽の様な球体のマグマが、島の中央に存在している異様はソウゴ達の視線を奪うには十分だった。
飛び出した勢いそのままに姿を変えた氷の小舟、基ドラゴンは翼を羽搏かせ空中で立て直し、誰一人落とす事無く小島近くの空中で停止する。明らかに今までと雰囲気の異なる場所に、もう一段警戒度を上げるソウゴ達。
「……あそこが住処?」
ユエが、チラリとマグマドームのある中央の島に視線をやりながら呟く。
「階層の深さ的にも、そう考えるのが妥当であろうな。だがそうなると……」
「最後のガーディアンがいる筈……じゃな? ご主人様よ」
「ショートカットして来たっぽいですし、とっくに通り過ぎたと考えてはダメですか?」
ソウゴの考えをティオが確認し、僅かな異変も見逃さないと変態とは思えない鋭い視線を周囲に配る。そんなソウゴ達の様子に気を引き締めながらも、シアがとある方向を見ながら楽観論を呟いてみた。
ソウゴがシアの視線を辿ると、大きな足場とその先に階段があるのが見えた。壁の奥から続いている階段で、恐らく正規のルートを辿ればその階段から出てくる事になるのだろう。
「……いや、それは無いだろうな。余程甘く見積もっても、裏道で正規ルートをスルー出来た程度だろう」
しかし、いくらマグマの空中ロードに乗って流れてくる事が普通は有り得ない事だとしても、大迷宮の最終試練までショートカット出来たと考えるのは楽観が過ぎるというものだ。シアもそうだったらいいなぁ~と口にしつつも、ソウゴの言葉に頷きその鋭い表情は自身の言葉をまるで信じていない事を示している。
そのソウゴ達の警戒が正しかった事は、直後宙を流れるマグマからマグマそのものが弾丸の如く飛び出してくるという形で証明された。
「むっ、任せよ!」
ティオの掛け声と共に魔術が発動し、マグマの海から炎塊が飛び出して頭上より迫るマグマの塊が相殺された。
しかし、その攻撃は唯の始まりの合図に過ぎなかった様だ。ティオの放った炎塊がマグマと相殺され飛び散った直後、マグマの海や頭上のマグマの川からマシンガンの如く炎塊が撃ち放たれたのだ。
「散開して離れるぞ」
このままでは氷竜ごと囲まれると判断したソウゴは、即座に氷竜を内側から破裂させその礫の弾丸で炎塊を相殺しつつ、その衝撃に乗って近くの足場に散開する様に指示を出した。
ソウゴ達は其々別の足場に着地し、尚追ってくるマグマの塊を迎撃していった。迎撃そのものは切羽詰るという程のものでは無かったのだが、いつ終わるともしれない波状攻撃に鬱陶し気な表情を見せるソウゴ達。それはマグマの海の熱せられた空気により、景色が歪んでいる事も原因だろう。
そんな状況を打開すべく、ソウゴはプテラノドンに似た紫の翼"エクスターナルフィン"を展開、更に"醒杖レンゲルラウザー"を召喚。間髪入れず"トルネード"と"ブリザード"のラウズカードをスキャンし、フィンと共に冷気を伴った暴風を起こす。それによって炎塊を凍らせると共に真空刃によって粉々に破壊した。
その意図を言葉は無くとも正確に読み取ったユエは、一瞬出来た隙をついて重力魔術を発動させる。
「──"絶禍"」
響き渡る術名と共にソウゴ達四人の中間地点に黒く渦巻く球体が出現し、飛び交うマグマの塊を次々と引き寄せていった。黒き小さな星は、呑み込んだ全てを超重力のもと押し潰し圧縮していく。
吹雪とユエの魔術により炎塊の弾幕に隙ができ、ソウゴは"月歩"で宙を駆けると一気にマグマドームのある中央の島へと接近した。
ソウゴ達を襲う弾幕で一番厄介なのは、止める手段が目に見えない事だ。場所的に明らかに【グリューエン大火山】の最終試練なのだが、今までの大迷宮と異なり目に見える敵が存在しないので、何をすればクリアと判断されるのかが分からない。その為最も怪しい中央の島に乗り込むのが一番だとソウゴは考えたのである。
ソウゴは、中央の島へと宙を駆けながら"念話"を使う。
『中央の島を調べる、適当に切り上げてついてこい』
『んっ、了解』
ユエの"絶禍"の効果範囲外からマグマの塊がソウゴを襲うが、ソウゴは振り返る事無く指先に生成したミニサイズの"螺旋丸"を飛ばして迎撃し、シアもドリュッケンを戦鎚に展開せずショットガンモードで迎撃していく。ユエは"絶禍"を展開維持しながら、ティオと同じく炎弾をマグマの海より作り出して迎撃に当たった。
一直線に中央の島へと迫ったソウゴは、最後の加速を行い飛び移ろうとした。
だが、その瞬間、
「ゴォアアアアア!!!」
そんな腹の底まで響く様な重厚な咆哮が響いたかと思うと、宙を飛ぶソウゴの直下から大口を開けた巨大な蛇が襲いかかってきた。
全身にマグマを纏わせているせいか、周囲をマグマで満たされたこの場所では熱源感知にも気配感知にも引っかからない。また、マグマの海全体に魔力が満ちている様なので魔力感知にも引っかからなかった事から、完全な不意打ちとなった巨大なマグマ蛇の攻撃。
「"神羅天征"」
しかしソウゴは焦る事も無く"天道"を発動し、"神羅天征"でマグマ蛇を弾き潰す。
「ほぅ……」
しかし上がった声はマグマ蛇の断末魔ではなく、ソウゴの興味深げな声だった。
当然その原因はマグマ蛇にある。
なんと、マグマ蛇は確かに弾け飛んだのだが、それはマグマの飛沫が飛び散っただけであり、中身が全くなかったのだ。今までの【グリューエン大火山】の魔物達は基本的にマグマを身に纏ってはいたが、それはあくまで纏っているのであって肉体がきちんとあった。断じてマグマだけで構成されていた訳ではない。
どうやら、このマグマ蛇は、完全にマグマだけで構成されているらしい。
「ふぅむ、遠隔操作か何かか」
ソウゴは思案しつつも、"月歩"と"文曲"で中央の島へ再度迫る。
だが、マグマ蛇の攻撃はまだ終わっていなかったらしい。
ソウゴの軌跡を追う様にしてマグマの海からマグマ蛇が次々と飛び出し、その巨大な顎門をバクンッ! バクンッ! と閉じていった。
『ドラゴンフルーツエナジー!』
ソウゴは"ソニックアロー"を召喚し、回避しながらマグマ蛇を"ソニックボレー"で撃ち抜き後退すると近くの足場に着地する。その傍にユエ達もやって来た。ソウゴが襲われている間に、炎塊の掃射は一時止んだ様だ。
「……ソウゴ様、無事?」
「ああ、問題ない。それより、漸く本命が現れた様だ」
ソウゴの腕にそっと触れながら安否を気遣うユエに、ソウゴは前方から目を逸らさずそっと触れ返す事で応える。そのソウゴの目には、ザバァ! と音を立てながら次々と出現するマグマ蛇の姿が映っていた。
「やはり、中央の島が終着点の様じゃの。通りたければ我らを倒していけと言わんばかりじゃ」
「でもさっきソウゴさんが潰したのに、すぐに補充されてますよ? 倒しきれるんでしょうか?」
遂に二十体以上のマグマ蛇がその鎌首をもたげ、ソウゴ達を睥睨するに至った。最初にソウゴから攻撃を受けたマグマ蛇も、先程撃ち抜かれた二体も含めて既に代打が姿を晒している。
シアが眉を顰めてその点を指摘した。冷静に攻略方法を考えている様で、それを示す様にウサミミがピコピコと忙しなく動き回っている。ソウゴは纏う覇気を強めつつ、自分の推測を伝えた。
「恐らくバチュラム系の魔物と同じく、マグマを形成する為の核……魔石があるのだろうな。それを破壊すればよかろう」
ソウゴの言葉に全員が頷くのと、総数二十体のマグマ蛇が一斉に襲いかかるのは同時だった。
マグマ蛇達はまるで、太陽フレアの様に噴き上がると口から炎塊を飛ばしながら急迫する。二十体による全方位攻撃だ。普通なら逃げ場もなく大質量のマグマに呑み込まれて終わりだろう。
「久しぶりの一撃じゃ! 存分に味わうが良い!」
そう言って揃えて前に突き出されたティオの両手の先には、膨大な量の黒色魔力。それが瞬く間に集束・圧縮されていき、次の瞬間には一気に解き放たれた。竜人族のブレスだ。
恐るべき威力を誇る黒色の閃光はティオの正面から迫っていたマグマ蛇を跡形も無く消滅させ、更に横薙ぎに振るわれた事によりあたかも巨大な黒色閃光のブレードの様にマグマ蛇達を消滅させていった。
一気に八体ものマグマ蛇が消滅し、それにより出来た包囲の穴からソウゴ達は一気に飛び出した。
流石に跡形もなく消し飛ばされれば、魔石がどこにあろうとも一緒に消滅しただろうと思われたが、そう簡単には行かないのが大迷宮クオリティだ。
ソウゴ達が数瞬前までいた場所に着弾した十二体のマグマ蛇は、足場を粉砕しながらマグマの海へと消えていったものの、再び出現する時にはきっちり二十体に戻っていた。
「魔石が吹き飛んだ瞬間は確認したが……"群にして個"という事か?」
ソウゴが試す様に口角を上げる。ティオのブレスがマグマ蛇に到達した瞬間、その超人的な視力で確かにマグマ蛇の中に魔石がありブレスによって消滅した瞬間を確認したのだ。
ソウゴが迷宮攻略の方法に疑問を抱いていると、シアが中央の島の方を指差し声を張り上げた。
「ソウゴさん、見て下さい! 岩壁が光ってますぅ!」
「む?」
言われた通り中央の島に視線をやると、確かに岩壁の一部が拳大の光を放っていた。オレンジ色の光は先程までは気がつかなかったが、岩壁に埋め込まれている何らかの鉱石から放たれている様だ。
ソウゴが確認してみると、保護色になっていて分かりづらいが、どうやらかなりの数の鉱石が規則正しく中央の島の岩壁に埋め込まれている様だと分かった。中央の島は円柱形なので、鉱石が並ぶ間隔と島の外周から考えると……ざっと百個の鉱石が埋め込まれている事になる。そして現在、光を放っている鉱石は十一個……先程ティオが消滅させたマグマ蛇及び、ソウゴが倒した数の合計と同数だ。
「成程、数をこなせという訳か」
「……この暑さで、あれを百体相手にする……迷宮のコンセプトにも合ってる」
ただでさえ暑さと奇襲により疲弊しているであろう挑戦者を、最後の最後で一番長く深く集中しなければならない状況に追い込む。大迷宮に相応しい嫌らしさと言えるだろう。
確かにユエ達は相当精神を疲労させている。しかしその表情には疲労の色はなく、攻略方法を見つけさえすればどうとでもしてやるという不敵な笑みしか浮かんでいなかった。
そうして全員がやるべき事を理解して気合を入れ直した直後、再びマグマ蛇達が襲いかかった。マグマの塊が豪雨の如く降り注ぎ、大質量のマグマ蛇が不規則な動きを以て獲物を捉え焼き尽くさんと迫る。
ソウゴ達は再び散開し、其々反撃に出た。
ティオが竜の翼を背から生やし、そこから発生させた風でその身を浮かせながら真空刃を伴った竜巻を砲撃の如くぶっ放す。風系統の中級攻撃魔術"砲皇"だ。
「これで九体目じゃ! 今のところ妾が一歩リードじゃな。ご主人様よ! 妾が一番多く倒したら
九体目のマグマ蛇を吹き飛ばし切り刻みながら、そんな事を宣うティオ。「出来たらな」と呆れた表情で返したソウゴだったが、シアがそれを遮る。
「なっ、ティオさんだけ狡いです! 私も参戦しますよ! ソウゴさん、私も勝ったら一晩ですぅ!」
そんな事を叫びながら、シアは跳躍した先にいるマグマ蛇の頭部にドリュッケンを上段から振り下ろした。インパクトの瞬間淡青色の魔力の波紋が広がり、次いで凄絶な衝撃が発生。頭部から下にあるマグマの海まで一気に爆砕した。弾け飛んだマグマ蛇の跡にキラキラした鉱物が舞っている。"魔衝波"の衝撃により砕かれた魔石だ。
一体のマグマ蛇を屠った空中のシアに、背後からマグマの塊が迫る。シアはドリュッケンを激発させ、その反動で回避した。しかしそれを狙っていたかの様に、シアが落ちる場所にマグマ蛇が顎門を開いて襲いかかる。
しかしシアは特に焦る事も無く、魔力をショートブーツへと流し込んだ。途端、靴底に仕込まれた金属板に付与された能力が発動し、シアの足下で淡青色の波紋を広げる。シアはその足場をトンッ、と重さを感じさせずに蹴りつけ、再度宙を舞った。
このショートブーツは、未だ"月歩"や"文曲"、"舞空術"等の空中移動手段を習得していないシアの為に作られた物で、魔力を通す事で同様の効果を得られるという一品だ。これにシア自身の体重操作が加われば、正に"宙を舞う"という戦闘が可能になる。
目測を外されシアの下方を虚しく通り過ぎるマグマ蛇に、シアは変形させたドリュッケンの銃口を向けてトリガーを引いた。撃ち放たれたのはいつもの散弾ではなく、スラッグ弾だ。
但し普通のスラッグ弾ではない。ソウゴ特製の“魔衝波”が付与された特殊鉱石を使った弾丸で、着弾と同時に込められた魔力が衝撃波に変換される。威力だけならグレネード弾を遥かに凌ぐレベルだ。
ドリュッケンの咆哮と共に飛び出した炸裂スラッグ弾は、狙い違わず背後からマグマ蛇に直撃し、頭部から胴体まで全てを巻き込んで大爆発を起こした。その衝撃で、再び砕け散った魔石がキラキラと宙を舞う。
「……なら、私も二人っきりで一日デート」
ユエも討伐競争に参戦の意を示した。最近仲間が増えてめっきりと減ってしまった二人っきりの時間を丸一日ご所望らしい。
ユエは楽しみという雰囲気を醸し出しながら、しかし術についてはどこまでも凶悪なものを繰り出した。最近十八番の“雷龍”である。
熟練度がどんどん上がっているのか、出現した"雷龍"の数は七体。それをほぼ同時に、其々別の標的に向けて解き放った。雷鳴の咆哮が響き渡る。ユエに喰らいつこうとしていたマグマ蛇達は、逆にマグマの塊などものともしない雷龍の群れに次々と呑み込まれ、体内の魔石ごと砕かれていった。
その光景を見て、「やっぱりユエさんが一番の強敵ですぅ!」とシアが、「ユエはバグっとるよ! 絶対おかしいのじゃ!」とティオが其々焦りの表情を浮かべて悪態を吐きつつ、より一層苛烈な攻撃を繰り出し、討伐数を伸ばしていった。
「やる気が出る分には構わんが……、それなら私より多く倒すんだな」
ソウゴは自分が景品になっている競争に闘志を燃やす女子三人を一瞥しつつ、背後から襲いかかってきたマグマ蛇を逢魔剣で切り捨てる。
放たれた技は"グランド・オブ・レイジ"。横薙ぎに放たれた必滅の斬撃は、一振りで部屋全体に及ぶ大破壊を齎し現出しているマグマ蛇全てを魔石ごと消滅させる。
「……反則過ぎる」
「一番の強敵はソウゴさんでしたぁっ!!」
「いきなり難易度上がり過ぎではないかのっ!?」
無論、ユエ達から非難の声が上がったのは言うまでもない。
気が付けば中央の島の岩壁、その外周に規則正しく埋め込まれた鉱石はその殆どを発光させており、残り八個というところまで来ていた。本格的な戦闘が始まってからまだ五分も経っていない。
【グリューエン大火山】のコンセプトが悪環境による集中力低下状態での長時間戦闘だというソウゴ達の推測が当たっていたのだとしたら、ソウゴ達に対しては完全に創設者の思惑は外れてしまったと言えるだろう。
ティオのブレスが、マグマ蛇をまとめて薙ぎ払う。
──残り六体
シアのドリュッケンによる一撃と、ほぼ同時に放たれた炸裂スラッグ弾がマグマ蛇をまとめて爆砕する。
──残り四体
ユエに対し、直下のマグマの海から奇襲をかけて喰らいつこうとしたマグマ蛇と直上から挟撃をしかけたマグマ蛇が、蜷局を巻いてユエを包み込んだ“雷龍”に阻まれ立ち往生する。そして次の瞬間、その二体のマグマ蛇を四体の“雷龍”が逆に挟撃し喰らい尽くす。
──残り二体
ソウゴに急速突進してきたマグマ蛇がマグマの塊を散弾の如く撒き散らす。しかしソウゴは、“文曲”を使ってマグマの飛沫を足場にして躱していき、マグマ蛇が喰らいつこうとした瞬間交差しながら逢魔剣を振るう。魔石を正確に捉え、その体ごと真っ二つに両断した。
遂に最後の一体となったマグマ蛇が、直下のマグマの海から奇襲をかけた。ソウゴは逢魔剣を鞘に戻し、真下からガバッと顎門を開いて迫るマグマ蛇の口内に向けて“雷の羽ケリードーン”で光線の雨を降らせ魔石を砕く。
「これで終いか」
それを視界の端に捉えながら、ソウゴは適当な足場に着地する。
──刹那、
頭上より、極光が降り注いだ。
「五十点……だな」
ソウゴの眩し気に細められた視界が、その全てを塗り潰す様に光で覆われる。
まるで天より放たれた神罰の如きそれは、【オルクス大迷宮】最深部に居たヒュドラ擬きのソレより遥かに強力かも知れない。大気すら悲鳴を上げるその一撃は、戦闘終了直後最も無防備な一瞬を狙って放たれ──ソウゴを呑み込んだ。
冗談の様にソウゴの姿が消える。圧倒的な破壊の嵐の中へ。
「ソ、ソウゴ様ぁ!!!」
ユエの絶叫が響き渡る。ソウゴが極光に飲み込まれる光景を、少し離れた場所から呆然と見ている事しか出来なかったシアとティオだったが、出会ってこの方一度も聞いた事の無いユエの悲痛な叫び声にハッと我を取り戻した。
轟音と共にソウゴの真上から降り注いだ極光は灼熱の海に着弾し、盛大に周囲を吹き飛ばしながら一時的に海の底を曝け出す。極光は暫くマグマの海を穿ち続けたが、次第に細くなっていき、遂にはスっと虚空の中へと溶け込む様に消えていった。
必死にソウゴの下へ飛んでいくユエの目に……全身から黒い靄を発しながら佇むソウゴの姿が映った。その身に傷の様なものは見られないが、先程までと違い少々表情が歪んでいる。
「まさかこの能力を使わされるとはな……」
ソウゴのその呟きが耳に入りつつも、ユエは決死の表情で翔び寄り近くの足場に着地した。
「ソウゴ様っ! 無事!?」
顔にこれ以上ない程の焦燥感を滲ませて駆け寄るユエ。それに不機嫌そうにしつつソウゴは答える。
「強いて言うなら気分を害された。ったく……戦場に品性を求める様な性質じゃないんだが、よりによってこんな下品な能力を……」
ソウゴが苛立たし気に、しかし誰に向けているのかよく分からない愚痴を吐いたその時、
「馬鹿者! 上じゃ!!」
ティオの警告と同時に無数の閃光が豪雨の如く降り注いだ。それは、縮小版の極光だ。先程の一撃に比べれば十分の一程度の威力と規模、されど一発一発が確実にその身を滅ぼす死の光だ。
ユエはソウゴに気を取られすぎて上空から降り注ぐ数多の閃光に気が付いておらず、警告によって天を仰いだ時には魔術の発動がユエを以てして間に合わない状況だった。後三秒、いや一秒あれば……引き伸ばされた時間の中で、ユエは必死に防御魔術を頭の中で構築する。ティオが必死の形相で駆け寄り魔術を行使しようとしたが……
──当然と言うべきかソウゴの対処の方が早かった。
「この程度で狼狽えるなヒヨッコ共」
ソウゴは宝物庫から二振りの剣──"闇黒剣月闇"と"魔剣レプラザン"を取り出し、身体から発する靄を刀身に纏わせ閃光を防ぐ様に交差させる。
その途端、閃光はまるで吸い寄せられる様に交差した二振りに集中し、その刀身に飲み込みこまれていった。光を飲み込めば飲み込む程、それに比例する様に刀身は妖しい輝きを増していく。
十秒か、それとも一分か。
永遠に続くかと思われた極光の嵐は最後に一際激しく降り注いだ後、漸く終わりを見せた。周囲は最初に一撃を除き、一切変化は無い。全て闇黒剣とレプラザンに喰い尽くされたらしい。それを証明する様に、刀身は輝きを増して稲妻を迸らせる。
背後のユエもティオも、合流したシアも呆気に取られる。
同時に、上空から感嘆半分呆れ半分の男の声が降ってきた。
「……看過できない実力だ、やはりここで待ち伏せていて正解だった。お前達は危険過ぎる。特にその男は……」
ソウゴ達はその声がした天井付近に視線を向ける。そしてユエ達が驚愕に目を見開いた。何故ならいつの間にかそこには夥しい数の竜と、それらとは比べ物にならない程の巨体を誇る純白の竜が飛んでおり、その白竜の背に赤髪で浅黒い肌、僅かに尖った耳を持つ魔人族の男がいたからだ。
「まさか、私の
ティオに似た黄金色の眼を剣呑に細め上空より睥睨する魔人族の男は、警戒心を露わにしつつ睨み返すユエ達にそんな質問をした。ソウゴ達の力が、何処かの大迷宮をクリアして手に入れた神代魔術の恩恵だと考えた様だ。
そんな魔人族の男に対しソウゴは、溜息を一つ吐いた後に呟いた。
「……不意打ちに関してはまぁいい。卑怯だなんだと文句を言うのは三流のする事だからな。だが……」
ソウゴは言葉を切り……、
ゾクリ、と。仲間のユエ達でさえ恐怖の湧き上がる様な覇気を放出した。
「天に仰ぎ見るべき私を見下ろすとは、頭が高いにも程があるぞ?」
「うぐぉっ!!?!?」
ソウゴがそう告げた途端、灰竜と呼ばれた小型竜やウラノスと呼ばれた白竜ごと、魔人族の男が吸い寄せられる様に下方へ叩きつけられた。灰竜とその背に乗っていたらしい亀型の魔物は悉くマグマの海に沈み、白竜も魔人族の男も張り付いた様に地面から動けない。
「直に見た上で、更に一撃入れても互いの力量差が分からん様なら……そうして地に這い蹲っているのがお似合いだ色男」
"色男"と称しつつも、ソウゴはつまらなそうな視線を魔人族の男に向ける。魔人族の男は端正な表情に憤怒を表して怒鳴る。
「これも神代魔法かっ!? 貴様、一体何をしたぁ!!」
「何もしておらんよ、ただ貴様の不敬不遜を無礼だと
「ッ!? 貴様、何処でそれを!?」
怒鳴る魔人族の男……フリードと反対に、ソウゴは嘲笑混じりに揶揄う様な言葉をぶつける。序に名前を呼んでやれば、動揺した様に語気を強めるフリード。浅黒い肌を真っ赤にして吼える。
「なに、貴様が子飼いにしていた………」
ソウゴはそこまで言ったところで一度言葉が切れる。心なしか視線が彷徨っている様に見える。ソウゴはユエ達に振り向き「……あの娘は何という名だったか」と訊いてきたが、ユエ達は青い顔をして首を横に振るばかりだ。それを見てソウゴも「まぁいいか」と自己完結させてフリードに向き直る。
「貴様の忠犬が教えてくれたよ。貴様が魔人族の総司令である事も、【シュネー雪原】を攻略し"変成魔法"を手に入れた事も。一から十まで懇切丁寧にな」
「それはカトレアの事か!! 奴がそんな事を言う訳が無いだろうっ!! それに、【ウルの町】でレイスを殺したのも貴様だな!?」
「ほぅ、あの小娘はカトレアというのか。……まぁ興味も無いんでどうでもいいが。それと、レイスというのは知らんな。以前殺した蝿か何かがそんな名前だったのかもしれんが……」
ソウゴの煽る様な言葉に、フリードの顔は最早赤を通り越して青くなってきている。
「ところで、いつまで転がっているつもりだ? 先程から吠えるばかりで指先一つ動かさんではないか。……あぁそうか、貴様自慢の蜥蜴共々処断されたいのか。ならば最初からそう言え。貴様と私は友ではないのだ、以心伝心など出来ないからな」
「貴様ァッッ!!」
そこまで言われて遂に火事場の馬鹿力でも発揮したのか、フリードは四肢に力を込めて立ち上がる。
しかし次の瞬間、一瞬で移動したソウゴの蹴りがフリードの顔面を捉える。丁度叫んだ瞬間を狙った様で、その爪先は口内を蹂躙し頭蓋を揺らしてフリードを蹴り飛ばす。
「術師が冷静さを欠いては世話ないな。お陰で私の靴が貴様の唾で汚れたではないか」
手加減した様で、その身が四散する事も無く壁面に叩きつけられて転がるフリード。血を吐き倒れ伏すフリードから視線を外さないまま、近くで必死に体を動かそうとしている白竜の首を無造作に斬り飛ばす。断末魔を上げる暇も無く絶命した白竜を顎で示しながら、尚もフリードを刺激する様な内容を口にするソウゴ。
「ユエ、シア。その蜥蜴を
「「は、はいっ!」」
「ティオ。貴様は天井の穴から、採取した静因石を持って先にアンカジに戻れ。そして香織とミュウに合流したら『私達は攻略が済んだらそのままエリセンに向かう。貴様達は先に向かっていてくれ』と伝えておけ。それと序に、ランズィにも伝言だ。『少し寄り道してくるが、信じて待っていろ』とな」
「わ、分かったのじゃ!」
突然の言葉に動揺しつつも指示に従って動き始める面々を確認した後、自分を射殺さんばかりの視線を向けるフリードに対し、ソウゴは再び馬鹿にする様な言葉をぶつける。
「さて、お坊ちゃん。貴様の頼りにしていた蜥蜴は使い物にならなくなった訳だが……まだやるかね? 何なら貴様の詠唱を待ってやる位のハンデをつけてやってもいいが?」
「キ、サマ……!」
フリードは満身創痍になりつつも、壁に手をついて立ち上がる。
「おーおー、どうやら立ち上がる気力はあったらしいな」
「いいだろう……! 貴様のその油断、直ぐに後悔させてやる! 私が新たに手にした、神代の力でな!!」
そう言うとフリードは極度の集中状態に入り、微動だにせずブツブツと詠唱を始める。新たに手に入れたと言っていた事から、恐らくこの【グリューエン大火山】の神代魔術なのだろう。それを見たソウゴは、ビックリ箱の中身を予想する様な愉快気な表情を浮かべる。
するとそんなソウゴの背中に声をかける者が一人。白竜解体作業中のシアであった。
「あの、ソウゴさん。……いいんですか? 態々神代魔術の詠唱を見逃して」
「あぁ構わんよ。奴がどうやら魔人族の最高戦力らしいからな、魔人族の戦力とここの神代魔術を測るいい機会だ。ほれ、貴様は作業に戻れ」
そうこうしていると、フリードの詠唱が完成する。
「──"界穿"!」
その言葉と共にフリードの新たな切り札、"空間魔法"のよる転移でソウゴの背後に移動した。
…………筈だった。
「ふん、よりによって空間転移とは……。運が無かったな」
ソウゴの言葉と共に齎された結果。
それはフリードは先程の位置から一歩も動いておらず、ソウゴのレプラザンによって胸部を貫かれる光景。その刃は、正確に心臓を捉えていた。
フリードは口と傷口から多量の血を流しながら、困惑の表情で口を開く。
「ガフッ!! ッ、…ッ!? ……フー、フー! ……な、何故……何故魔法が、発動…しな、い……!?」
「若い頃に似た様な事が出来る男に散々引っ掻き回されてな、その手の対策は幾つもあるのだよ」
そう語るソウゴの脳裏に浮かぶのは、いつも澄ました顔をしていた"破壊者"と呼ばれた男。ソウゴは即座にフリードが使った術があの男のソレと同系統である事を見抜き、フリードの術式を乱して転移座標指定に干渉、術の行使そのものを妨害したのである。
更にエネルギーを喰らう性質を持つレプラザンで"リボルクラッシュ"を発動し貫く事で、フリードの魔力・生命力を吸い尽くして余計な抵抗が出来ない様に無力化したのだ。
「情報を得た時は多少の期待もしたものだが、所詮は井の中の蛙だったか」
そう言うとソウゴはフリードを刺しているレプラザンを振るい、フリードを中空に放り投げる。
そしてソウゴはレプラザンと闇黒剣の柄を融合させると、その刀身の輝きを一層強めてとどめの一撃の式句を告げる。
「オルトリアクター臨界突破。我が暗黒の光芒で、素粒子に還れ」
言い終えると共に、ソウゴは空中のフリード目掛けて駆け出した。一瞬で肉薄し、ソウゴは必殺の剣閃を振るった。
「"
放出した魔力を意図的に過剰暴走状態にして放つ滅多斬り。赤紫の閃光が駆け巡り、闇黒剣とレプラザンを分離して着地するソウゴ。数秒遅れて、先程までフリード
「魔人族の将軍というのも、口程にも無かったな。名は確か……何と言ったろうか?」
そう言って武器を仕舞うソウゴの表情は、実に退屈そうだった。
フリード・バグアー。
本来、この先に起こる大戦において重要な役割を持つ筈だった魔人の将は、ただ一つの判断ミス、『常磐ソウゴに歯向かう』という致命的なミスが原因で命を落としたのだった。
「さて、進捗はどうだ?」
「……んっ、解体終わった」
「ティオさんもソウゴさんの指示通り、天井の穴から先にアンカジに向かって飛んでいきました」
戦闘を終えたソウゴは、ユエとシアから任せていた作業の進捗を聞く。どうやらソウゴがフリードをあしらっている間に解体作業を終えたらしい。ソウゴは二人を労い、褒美も兼ねて二人を抱えながら再び島の中央に向かった。
そこには最初に見たマグマのドームは無くなっていて、代わりに漆黒の建造物がその姿を見せていた。その傍らには、地面から数センチ程浮遊している円盤がある。天井の穴がショートカット用出口だったので、本来はこれに乗って地上に出るのだろう。
一見扉など無い唯の長方体に見えるが、壁の一部に毎度お馴染みの七大迷宮を示す文様が刻まれている場所があった。ソウゴ達がその前に立つと、スっと音もなく壁がスライドし、中に入ることが出来た。ソウゴ達が中に入るのと、再びスっと音もなく閉まる。
「ん……ソウゴ様、あれ」
「魔法陣ですね」
そして直ぐ様、傍らのユエが指を差す。その先には、複雑にして精緻な魔法陣があった。神代魔術の魔法陣だ。ソウゴ達は互いに頷き合い、その中へ踏み込んだ。
【オルクス大迷宮】の時と同じ様に、記憶が勝手に溢れ出し迷宮攻略の軌跡が脳内を駆け巡る。そしてマグマ蛇を全て討伐したところで攻略を認められた様で、脳内に直接神代魔術が刻み込まれていった。
「やはり空間転移の魔術だったか」
どうやら、【グリューエン大火山】における神代魔術は"空間魔術"らしい。「たかが転移如きが神代とは、この世界の程度が知れるな」とはソウゴの談。
ユエ達が空間魔術を修得し、魔法陣の輝きが収まっていくと同時にカコンと音を立てて壁の一部が開き、更に正面の壁に輝く文字が浮き出始めた。
『人の未来が 自由な意思の下にあらん事を 切に願う。 ──ナイズ・グリューエン』
「……シンプルだな」
そのメッセージを見て、ソウゴが抱いた素直な感想だ。周囲を見渡せば、【グリューエン大火山】の創設者の住処にしてはかなり殺風景な部屋だと気が付く。オルクスの住処の様な生活感がまるで無いのだ。本当にただ魔法陣があるだけの場所だ。
「……身辺整理でもしたみたい」
「ナイズさんは術以外、何も残さなかったみたいですね」
「以前オスカーの手記にナイズという名が出ていたな。寡黙な男だった様だが」
ソウゴ達は拳サイズに開いた壁の所に行き、中に入っていたペンダントを取り出した。今まで手に入れた証と少々趣が異なる意匠を凝らしたサークル状のペンダントだ。それにソウゴが眼魔紋を走らせ、現れた眼魂をウォッチに変換する。
「……さて、目的は達成した訳だが」
「……脱出方法、どうするの?」
「考えがあるんですよね?」
ソウゴは二人の視線を受けながら脱出方法を話す。
「ただ脱出するだけなら一番手っ取り早いのは、貴様等二人を抱えて私が出口まで行く事だろうな」
「……ん。確かに」
「それが一番確実そうですねぇ」
賛同する二人に対し、ソウゴは指を立てて制止する。
「まぁ待て。今言ったのは、『ただ脱出するだけなら』だ。先も言ったが我々はこのままエリセンに向かう、故に向かうべきは『下』だ」
「「下?」」
ソウゴの言葉にユエとシアは揃って疑問符を浮かべる。二人に向けて、ソウゴは下方を指差して説明する。
「先程少し覗いてみたのだが、どうやらここのマグマの底にある抜け道を通るとエリセン近郊の海底に出るらしい。そこでここは、"神威"で貴様等を異空間に収納して私が潜る事にした」
そんなソウゴの言葉に、二人は唖然とする。
「……それはつまり……泳ぐ? マグマの中を?」
「えっと、正気ですか?」
「私は至極真面目に言っているのだが」
未だ信じられない様な表情を浮かべる二人を他所に、ソウゴは"万華鏡写輪眼"を発動する。
「先ずは貴様等を異空間に送る。殺風景な所だが、暫く休んでいろ」
その言葉と共に、ソウゴの眼を中心に発生した渦の中に引き込まれる二人。
そして二人を収納した事を確認したソウゴは、"万華鏡写輪眼"を解除し部屋を出る。すると視界に広がるのは、赤々と熱を発するマグマの海。
ソウゴは軽く準備運動をし、躊躇い無くマグマの中に飛び込んだ。
(気分は熱めの浴槽に入った様だな……)
とてもマグマの中にいるとは思えない程呑気な感想を抱くソウゴ。その身はおろか、身に纏う物すら燃える気配も無い。その粘性を気にした様子も無く、ソウゴは目当ての抜け穴目掛けて進んでいく。
ほんの四、五秒で穴の前まで到達したソウゴは、そのまま凄まじい速度でその穴を潜っていった。
一方。マグマ溢れる地下道をソウゴが着衣水泳していた頃、赤銅色の砂が吹き荒ぶ【グリューエン大砂漠】の上空をフラフラと飛ぶ影があった。
言わずもがな、竜化状態のティオである。
『むぅ、ご主人様は無事…………であろうな、うむ。負ける姿が全く思い浮かばないのじゃ。案外もう終わらせてエリセンに向かっとるかもしれんのぉ、妾も共に行きたかったが……いや、気持ちを入れ替えるのじゃ! 当初の目的を思い出せ、静因石を届ける事が最重要だった筈じゃ。それにミュウ達への伝言も頼まれておる、信頼の証と捉えねば!』
あれやこれや思いつつも飛ぶ事数十分、漸く前方にアンカジの姿が見えてきた。これ以上飛行を続ければ、アンカジの監視塔からもティオの姿が見えるだろう。ティオは一瞬竜化を解いて行くべきかと考えたが、恐らく今後ソウゴの旅について行くなら竜化が必要な場面はいくらでもあるだろうと考えて、すっぱり割り切る事にした。
隠れ里はそう簡単に見つかる事は無いし、万が一見つかっても竜人族はそう簡単にやられはしない。それに、五百年前の悪夢が襲いかかったとしても、ティオが助けを求めればきっとソウゴは力を貸してくれる筈である。本人も自覚しているが、ソウゴは身内には甘いのだ。
そんな考え事をしている内に、遂にアンカジまで数キロの位置までやって来た。見れば、監視塔の上が何やら非常に慌ただしい。勘違いで攻撃を受けても面倒なので、ティオは入場門の方へ迂回し少し離れた場所に着地した。
ズドオオン!! と、砂塵を巻き上げながら着地したティオの下へ、アンカジの兵士達が隊列を組んでやってきた。見れば、壁の上にも大勢の兵士が弓や魔法陣の刻まれた杖等を持って待機している。
濛々と巻き上がる砂埃が風に攫われて晴れていく。兵士達が緊張にゴクリと喉を鳴らす音が響く。しかし、砂埃が晴れた先にいるのが黒髪金眼の美女だと分かると、一様に困惑した様な表情となって仲間同士顔を見合わせた。
そんな混乱する兵士達の隙間を通り抜けて、一人の少女が飛び出す。ティオと同じ黒髪の少女……香織だ。
後ろから危険だと兵士達やビィズが制止の声をかけるが、まるっと無視して猛然とティオの下へ駆け寄った。
監視塔からの報告があった時点で、香織はティオが竜人族であると知っていた為ソウゴ達が帰ってきたと察し、急いで駆けつけたのだ。
「ティオ! 大丈夫!?」
「むっ、香織か。うむ、ちと疲れたが大事無いのぉ」
あっけらかんとしたティオの表情から本当に心配ない事を察すると、香織は肩の力を抜いて安堵の笑みを浮かべる。そしてキョロキョロと辺りを見回し、次第に不安そうな表情になった。
「ティオ……あの、ソウゴくん達は? 一人なの?」
「落ち着くのじゃ、香織。全部説明する。まずは後ろの兵達を落ち着かせて、話せる場所に案内しておくれ」
「あっ、うん、そうだね」
背後で困惑にざわつく兵達に今更ながらに気がつき、香織は不安そうな表情をしながらも力強く頷いた。ティオが困った様な笑顔を浮かべていた事も、落ち着きを取り戻した要因だ。
香織はビィズや駆けつけたランズィ達の下へ戻り、事情説明をしながらティオを落ち着いて話の出来る場所に案内した。
「それじゃあ、ソウゴくん達は……」
「うむ、後に合流する筈じゃ。……どうやらあの魔人族の男では役不足だった様での、暴れ足りんというか……兎に角ご主人様にとって満足出来る相手ではなかったのじゃろうな」
【グリューエン大火山】で何があったのかを聞いた香織は、呆気に取られた顔で背凭れに体を預ける。ソウゴの破天荒さというか、その無敵ぶりにはただ圧倒される。安堵で体から力が抜けるのを感じる。
しかし、先にランズィ達に渡しておいた大量の静因石が粉末状にされ患者達に配られている頃だと判断し、衰弱した人々を癒す為に再びグッと力を入れて立ち上がった。
その後、宮殿で領主の娘であるアイリー(十四歳)に構われているミュウとも合流し、事情説明が行われた。ソウゴパパがいない事に泣きべそを掻くミュウだったが、ソウゴパパの娘はそう簡単に泣いたりしないとティオに言われて、頬をプクッと膨らませながら懸命に泣くのを堪えるという事があった。
ミュウは海人族ではあるが、"神の使徒"たる香織の連れである事と少し関われば分かってしまうその愛らしさに、アンカジの宮殿にいる者達はこぞってノックアウトされていたらしく、特にアイリーに至っては病み上がりで外出禁止となっている事もあり、ミュウを構い倒している様だ。
ティオが竜人族であるという事についても、ランズィ達は思うところがある様だったが、命懸けで静因石を取ってきてくれた事から公国の恩人である事に変わりはなく、そう大きな騒ぎにはならなかった。
そして香織達は患者達を次々と癒して必要な処置を施した後、ソウゴの伝言に従って【海上の町エリセン】へと向かう事にした。
ランズィや熱っぽい眼差しで香織を見つめるビィズに見送られながら、竜化したティオの背に乗って香織達は西の空へと飛び立った。背後で盛大な感謝や香織を称える人々の声が砂塵をものともせず響き渡る。
香織は再び逸れてしまった愛しい人を想い、真っ直ぐ前を向いた。
香織達が【海上の町エリセン】を目指して旅立った頃、【ハイリヒ王国】では光輝達が訓練に明け暮れていた。
と言っても、それは実力を向上させる為のものというよりは、【オルクス大迷宮】で突き付けられた現実的問題──戦争に突入した場合に、果たして自分達は"人を殺す"事が出来るのか、という心の問題を解決する為の迷走じみた我武者羅なものだった。
実戦ですらない"訓練"如きでその様な大きな問題が解決する事など出来る筈も無く、当然の事として光輝達に進捗は見られなかった。
ある意味現実逃避とも言える事を、本人達も自覚している。故に焦燥は募り、しかし踏み出す事も出来ず、彼等の心には鬱屈としたものが日々溜まっていく状態だ。
ましてや、自分達を率先して率いてくれていた勇者がその様な状態の筆頭格であるから、必然居残り組の生徒達のストレスも相当溜まっている様だった。
そんな暗い雰囲気の漂う王宮の片隅──訓練時間も終わった上、普段から殆ど使用されていない別の訓練場に、短くも鋭い呼気が響いた。
「はっ、疾っ!」
併せて、宙に無数の剣閃が走る。綺麗な黒色の円を描くそれは、しかし残像が消えるよりも早く微かな音と共に鞘へと納められる。刹那、再び抜く手も見せずに抜刀される。
空間そのものを引き裂く様な鋭い斬撃。それが振るわれる度に、少しだけひゅるんと揺れるのはポニーテールの毛先だ。
誰もいない訓練場でただ一人。贈られた漆黒の刀を振り続けるのは、クラスの良心にして他の追随を許さない苦労人こと、八重樫雫その人だった。
雫は連続して繰り出していた抜刀術を止めると、一度ゆっくりと深呼吸して瞑目した。
脳裏に浮かぶのは一人の女。赤い髪に浅黒い肌、自分達を壊滅まで追いやった人間族の宿敵。数多の魔物と、土属性の強力な魔法を操る魔人族。
自分を殺しかけた女の事だ、イメージは鮮烈過ぎる程明確。抜刀体勢のまま、そっと添えられた右手は無意識の内に震えを帯びた。
(斬る、必ず斬る、斬らないと、殺さないと、今度こそ仲間が殺されるっ!!)
必死に己を叱咤する。あの時は奇跡が起きた。まるで物語の様な救いがあった。だが、そんな奇跡が何度も続く訳が無い。そんな不確定なものに縋ってはならない。そうでなければ、今度こそ自分は大切なものを失う。
だから、
「ッ、ハアッ!!」
気合一発、殺意を乗せた斬撃が放たれる。イメージの中の女魔人族を、雫は確かに斬った。だが、それだけでは止まらない。一瞬顔を出した自分の弱気が、剣閃を鈍らせたという自覚がある。敵の傷は浅い、甘えは許されない。故にもう一撃。
「セアァッ!!」
返す刀。幻想の中の女魔人族を、今度こそ切り捨てた。直後、
「うっ、ぁ……」
僅かな呻き声が上がる。雫は慌てて訓練場の隅に走ると、そこで胃から込み上げてきたものを吐き出した。
「ぅ! はぁ、はぁ、……まったく。訓練する度にこれじゃあ、食事が勿体ないわね。かと言って見た目も味も適当過ぎる栄養食ばっかりじゃ、人として駄目になりそうだし……」
大きく溜息を吐くと、雫はそんな独り言を呟いて苦笑いを浮かべた。
そうして、水筒や用意してもらったサンドイッチが置いてある木陰へフラフラと歩きだす。訓練をすればこうなる事は分かっていた。食欲は無くても、吐き出したなら補給しなければ体が保たない。無理をしてでも補給は必要だ。
訓練場の外れに並んだ木の根元に腰を下ろし、先ずは水を一杯。しっかり冷やしてある水が、火照った体と苦い口の中をさっぱりとさせてくれる。
「はぁ……」
知らず溜息が漏れる。視線は陽の落ちかけている西の空を見上げている。すっかり夕暮れ時だ。
するとふと、雫は以前何処かで聞いた地球の事柄を思い出す。
家族から教わったのかテレビで知ったのか、はたまた教師や級友のこぼれ話だったか。
──日の落ちる夕暮れ時は、人ならざる者達が現れる。不思議も怪異も、地に紛れる落陽を門にやって来る。
──故にその時間を……"逢魔ヶ時"と呼ぶのだと。
その時、不意に鳴き声が響いた。
「にゃ~」
「え?」
驚いて視線を落とせば、そこにはいつの間にか栗毛色の猫がいた。姿形は地球と同じ。トータスにも存在する普通の猫だ。
「あなた、何処から入って来たの?」
ここは王宮。高い壁と堀、そして背後の山が鉄壁を約束する場所。猫の子一匹入れる筈が無い。雫がそっと手を伸ばしてみれば、猫は警戒する様子も見せずされるがままに撫でられる。栗毛は艶やかで、よく手入れされているのが分かった。
「どこかの貴族の飼い猫かしらね。ご主人のところから逃げて来たの?」
「うにゃぁ~」
首筋をなでなで。猫はゴロゴロと喉を鳴らして雫に擦り寄った。雫の“撫で”がお気に召したらしい。自分に甘えてくる栗色の猫に雫は、
「……か、可愛い」
だらしなく頬を緩めた。先程までの殺伐とした空気も沈んだ気持ちも霧散し、"ごろにゃ~ん"する猫に夢中になる。
疲れているのだろう。クールビューティで通っており、貴族の令嬢からは"お姉様"等と呼ばれる雫は──禁忌に手を出した。
「可愛いにゃ~。でも、飼い主さんから逃げてくるなんていけない子にゃ、そんな子は、雫さんがお仕置きしちゃうにゃぁよぉ~」
そう、禁忌"猫語で会話しちゃう"だ。格好いい雫しか知らない令嬢達が今の雫を見たら、きっと己の正気を疑うか……鼻から幸福感を垂れ流して血の海に沈む事だろう。
"動物会話"のスキルがある訳でもないのに、にゃんにゃん言いながら人懐っこい猫を愛でに愛でまくる雫。
大切な事なのでもう一度。──雫は、疲れているのだ。
暫く撫でられるままだった猫は徐に歩き出すと、サンドイッチが入ったバスケットに鼻をつけてふんふんと嗅ぎ出した。
「どうしたのにゃ? サンドイッチが欲しいにゃ?」
猫は視線で訴える。「超欲しいにゃ」と。
可愛らしいおねだりに、雫はデレる。デレデレにデレる。勿論拒否などしない。ただ用意したサンドイッチは、そのままでは大きすぎて猫が食べるには適さない。
「ちょっと待つにゃ~、今雫さんが切り分けてあげるにゃ~」
手で千切れよ、とツッコミを入れる者はこの場にいない。そして、想像とはいえ人を斬った刀で食品を切ろうとする事にツッコむ者もいない。
三度目だが敢えて言おう、しずにゃんは疲れているのだ。
猫さんにいいところを見せちゃった、と思っているらしい雫はキメ顔で言った。
「また、つまらぬ物を斬ってしまったにゃ」
そしてキメ顔のまま振り返り──
「……」
「……」
目が合った。猫とではない、生暖かい眼差しをした……リリアーナ王女と。
キメ顔のまま固まる雫。無言の王女様。静寂が場を支配する。いつの間にかサンドイッチが一つ無くなっていて、猫の姿も無い。
ひゅるりと風が吹き、そして沈黙が破られた。
「……つまらぬ物を、斬ってしまったですにゃ?」
王女様が尋ねる。しずにゃんの返答は、
「う……うにゃああああああああああああっ!?」
勿論、猫語の絶叫だった。
雫は気づいていなかった。先程の猫がいつの間にか、その目を紫色に変化させていた事に。
二人は気づいていない。猫が鴉に姿を変え、何処へともなく飛び去って行った事を。
「見ないでぇ、こんな私を見ないでぇ! いっそ殺してぇ!」
「ま、まぁまぁ。いいじゃないですか……フフ、とっても可愛かったですよ雫」
訓練場の片隅で、羞恥で崩れ落ちている雫。リリアーナはそんな彼女の傍らに腰を落とし、クスクスと笑いながら慰めている。
雫の復活には暫く時間がかかった。どうにか精神を立て直した雫は、少し恨めしそうな眼差しでリリアーナに尋ねる。
「それで? リリィはどうしてここに? こんな人気の少ない訓練場に態々来るなんて、私に用があったのでしょう?」
その言葉に、リリアーナは少し表情を引き締めて口を開いた。
「用があったのは確かですが、……光輝さん達の傍に姿が見えなかったもので」
どうやら、仲間と一緒にいなかった事で心配をかけたらしい。雫はリリアーナの心遣いに笑みを浮かべる。
「心配してくれたのね、ありがとうリリィ。でも、私は大丈夫よ?」
「ですが……どうしてこんな所で、それも一人で……」
無性に一人になりたい時がある──そんな言葉を、雫は悟られぬ様グッと呑み込んだ。だが、幼い頃から権力者同士の権謀術数を相手取ってきたリリアーナ相手には誤魔化し切れなかったらしい。
「雫、貴女は無理をし過ぎです。国の為に頼っている私が言うのは、烏滸がましいかもしれませんが……」
「烏滸がましいなんて思ってないわよ。私達の為にリリィがどれだけ心を砕いてくれているか、私達はよく知っているんだから。それに、私も無理なんてしてないわ。ただ……今の光輝達は色々複雑だから、時にはこうして距離を取る事も必要なのよ」
リリアーナには、その言葉が全てだとは到底思えなかった。だが「大丈夫」と笑顔で言い切る雫に、これ以上は逆に困らせるだけかと思い話題を転換する事にした。
「やはり、光輝さん達は相当参っていますか?」
「そうね、オルクスでの敗戦はそう簡単に割り切れないでしょう。特に光輝に関しては、香織の事もあるから」
想い人と旅立っていった親友を想い、雫は西の空を眺める。
「寂しいですか?」
雫の横顔に寂寥を感じた訳ではない。ただなんとなく、その眼差しに感じるものがあってリリアーナはそう尋ねた。
「別に、寂しくはないわよ? ここにいなくても香織とは繋がってる、そう信じているし。……それに、こうして探しに来てくれる心配性なお姫様もいるしね?」
ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべながらそんな事を言った雫に、リリアーナは思わず雫の"妹"を自称する者達と同じ様に頬を染めてしまった。
「流石、皆のお姉様」
そう言った途端、雫がリリアーナの頬をむにぃと摘んだ。お姉様呼びに対するお仕置きらしい。きっと自称"妹"達からすればご褒美だろう。リリアーナの耳に「妬ましいぃ! 羨ましいぃ!」という令嬢達の怨嗟の声が響いた。
「それで? 肝心の用の方は何だったの?」
自分の話題はもう十分だと、雫がリリアーナに当初の用件を尋ねる。頬摘みの刑を受けたリリアーナは、先程とは別の意味で頬を染めながら答えた。
「魔人族の変化と、常磐さんの事です」
「やっぱりその話ね。それで、陛下や教会側は何て?」
【オルクス大迷宮】より帰還してから今まで、王宮は相当荒れていた。無理もない話だ。雫達の報告によれば、魔人族は強力無比な魔物の軍勢を保有しつつあり、勇者パーティが一度は敗北したというのだ。人間族滅亡の危機である。
同時に、人間族の希望となる筈だった勇者をして追い詰められた相手を理不尽とも言うべき圧倒的な力を以て駆逐したソウゴの事も、王国と教会を騒がせた原因だった。
早馬により、【ウルの町】での事件については簡単な報告はなされている。だが、事が事だけに誰もが半信半疑だったのだ。【オルクス大迷宮】での事件は、その疑いを晴らすに足るものだった。
嘗て"無能"と呼ばれていた男の圧倒的な力の秘密も、"聖剣"を容易く凌駕する未知のアーティファクト群も、魔人族の脅威から人間族を救い得る可能性が多分にある。興味を抱かずにはいられないもの。
にも拘わらず、当の本人は帰還するどころか独自に行動しており、剰え自分の意にそぐわないなら王国や教会を滅ぼすと脅したという。
当然、上層部からすれば面白くないどころか腸の煮えくり返る話であり、その処遇についてどうするべきかはここ数日の話題の種だった。正に『会議は踊る、されど進まず』という状態だったのだ。
そんな状況にも遂に終わりが来て何らかの結論が出たのと期待した雫だったが、リリアーナは珍しくも溜息を吐きながら頭を振った。
「結論という程のものは何も出ていません。魔人族に関しては、一刻も早く勇者──光輝さん達に対抗出来る力をつけさせろとか、魔物の大群を操れる生徒がいたなら他にもいるかもしれないから天職を調べ直そうと、そういう話ばかりです。……問題は実力よりも心の方にあるというのに、教会の方々はそれが分からないのです。『神の使徒に選ばれておいて、何故敵を討つ事に悩むのか?』、『何故与えられた使命に喜びを感じないのか?』と」
リリアーナとて聖教教会の敬虔な信者だ。その彼女が教会の人間に対しその様な物言いをする事に、雫が不思議そうな表情をする。
雫の疑問を察して、リリアーナは苦笑いを浮かべた。
「現実的問題に対して、思想や感情を切り離すのは得意ですから」
王女の神髄此処に見たり。まだ十四歳という年齢を考えると、雫としては微妙な表情をせざるを得ない。
「まぁそうは言っても、教会の方々も以前はここまで極端ではなかったと思うのですが……やはり、余裕が無くなってきているのかもしれませんね。兎に角、教会側から無理のあるアプローチがなされるかもしれません。光輝さん達が不安定な今、何が切っ掛けで危ない方向へ転がるか分かりませんから、一応事前に話しておこうと思った訳です」
「そういう事ね……うん、分かったわ。ありがとうリリィ」
心構えが有るのと無いのでは全く違う。事前に知っていれば、何か吹き込まれてもある程度は受け流して自分の頭でしっかり考えられるだろう。
「それで……常磐君については?」
雫の質問に、リリアーナは一瞬だけ言葉に詰まった。雫の中に嫌な予感が過る。そして、その予感は当たっていたらしい。
「常磐さんに、異端者認定の話が出ました」
「……冗談、ではないのね」
リリアーナの言葉に、雫は思わず天を仰いだ。何なら両手で顔を覆ってしまった。
──異端者認定。
全ての人間に、法の下の討伐が許されるという教会の有する強力な権力の一端。神敵であるが故に、認定を受けた者に対しては何をしても許される。また、認定を受けた者に対する幇助目的の一切の行為が禁じられる。それは即ち、この世界で生きる事を許さないという決定だ。
以前されたその説明を思い出し、雫は思わず背筋が凍り付いた。
それはつまり、あの常磐ソウゴに、勇者である光輝を一撃で生死の境に送り込んだあの男に、
雫は【オルクス大迷宮】での極短い邂逅で、少なくとも直感出来た事が一つある。
常磐ソウゴは、戯れに街や国を滅ぼせる程の力を持っていると。
もし本当に異端者認定されたなら、討伐隊も派遣されるだろう。そうなればその急先鋒に抜擢されるのは十中八九自分達だ。つまり、あの圧倒的な力が一切容赦無く自分達に向けられるという事だ。
それを思い、雫は無意識の内に全身の血の気が引くのを感じた。
「あくまでそういう話が出たというだけです、まず認定が下される事はありませんよ。『教会に従わないから』なんて理由で発令される程、軽い認定ではないのです。ただ、人の口は決して閉ざせないもの。会議の中での勢い余った発言であったとしても、一度そういう話が出たという噂は流れるかもしれません。そして異端者認定の候補に挙がったというだけで、常磐さんに対する認識はあまりいいものにはならないでしょう」
「……つまり、"流されるな"と言いたいのねリリィは」
頭の中を駆け巡る最悪の未来を片隅に追いやり、雫は冷静に返す。
「はい。人間族存続の危機ですから、発言が過激になるのはやむを得ない面もあります。そのせいで、そういう話が出たというだけです。雫達がこの話を耳にしても、どうかそれぐらいの認識でお願いしますね。常磐さんに対してどういう方針を取るべきかは、愛子さん達が帰ってきて報告を聞いてからになります」
真剣な眼差しでそう忠告するリリアーナの真意を、雫は正確に読み取った。リリアーナは、ソウゴが戻ってきた時の居場所を守ろうとしているのだ。ソウゴ自身の為、という事もあるだろうが、一番は彼に付いていった香織の為だろう。親友の下に戻っても、そこに想い人の居場所が無いというのは、きっと辛い事だ。
……まぁ、あの傲岸不遜を絵に描いた様な男だ、自分の居場所ぐらい力づくで作る事も出来るだろうが。
それはさておき。
「本当に、ありがとうリリィ」
雫は親愛の情をたっぷりと込めて礼をした。
「……神の御意志とは言え、こちらの事情に巻き込んでいるのです。出来る事ぐらいはしませんと、それこそ神に顔向け出来ません。それに……雫も香織も、私の大切なお友達ですから」
そう言ってリリアーナは、少し照れた様に顔を背けた。雫は思わずリリアーナを抱き締めて、「お友達じゃなくて親友でしょ!」と訂正する。リリアーナの頬は真っ赤に染まった。
その後、話し合う事を話し合った二人は、ガールズトークへと突入した。王女という立場のリリアーナと、クラス一の苦労人という立場の雫は、互いに気苦労が絶えない。それ故に、友達同士の何でもないお喋りの時間というのが何よりも心癒す一時だったのだ。
但し。二人が楽しむ代償として、幾人かの尊厳が犠牲になっていたりする。
例えば、香織に恋心を抱いていたランデル殿下がショックで寝込んだ挙句、ここ最近は毎晩リリアーナに泣きついてくるという話。
そのランデル殿下が復活したと思ったら、いきなり光輝の下へ行き「香織を取られるとは何たる体たらく! 男として恥ずかしくないのか!?」などと叫び、光輝が胸を押さえて四つん這いになった話。
自分の言葉がブーメランになって返り、同じ様に四つん這いになったランデル殿下の話。
いずれも本人達が聞いたら、数日は寝込むだろう黒歴史な話。
そしてソウゴの話。
もし本人が聞いたら「こんな年寄りを話題にして何が面白い?」と首を傾げそうだが、それを想像した雫は思わず笑いが込み上げる。
生のガールズトーク。それは、古来よりこの世の知るべきではない事柄の一つ。男子禁制の
「それでは雫、私は戻りますね。本当に無理をしては駄目ですよ?」
「えぇ、分かってるわ。今日は私も部屋に戻る。色々ありがとう、リリィ」
日もとっぷりと暮れ、夜の帳が降り始めた頃。漸く犠牲を強いるお喋りに区切りをつけた二人は、互いに少しはストレスが発散された様な朗らかな笑みを浮かべ合った。
廊下の分かれ道まで来て、自室へ戻るリリアーナの背を見送る雫。暫く、異世界で出来た優しい親友の王女様を見つめる。そしてどこか暖かい気持ちを抱きながら、雫自身も別の廊下へと一歩を踏み出して——
「ッッッ!!?」
一瞬、背筋に氷塊を流し込まれた……様な気がした。
黒刀に手をかけ、抜刀体勢で振り返る。油断無く視線を巡らせるが、そこには王宮の明かりと薄暗い廊下しかない。
「気のせい、かしら……?」
息を殺して気配を探るが、結局周囲には何も無い様だった。警戒態勢を解いた雫は、「リリィの話で私も少しナーバスになっているのかも……」と自己診断して溜息を吐いた。
踵を返して雫は歩みを再開する。仲間の下へと戻るその足は、いつもより少し足早だった。
まるで、何かに追い立てられる様に。
そんな雫の背を、一匹の鴉が見つめていた。
次回、ソウゴの家族について言及があるかも?