ありふれぬ魔王が世界最強   作:合将鳥

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積尸気使いなら余裕だって(作者は牡羊座)。

後半ちょっと駆け足気味でしたね。



第二十話 ジオジオの愉快な海底探索

 

 見渡す限りの青。

 

 空は地平の彼方まで晴れ渡り、太陽の光は燦々と降り注ぐ。しかし、決して暑すぎるという事は無く、気候は穏やかで過ごしやすい。時折優しく吹く微風が何とも心地いい。ただ、周囲をどれだけ見渡しても何一つ"物"が無いのは少々寂しいところだ。

 

 尤も、それも仕方の無い事だろう。何せ、ここは大海原のど真ん中なのだから。

 

 そんな大海のド真ん中で、ぷかぷかゆらゆらと波間に漂うのは一隻の小舟だ。

 

 

 言わずもがな、乗っているのは【グリューエン大火山】のマグマの中をあろう事か悠々と泳ぎ、浮上と同時に木遁でこの小舟を造ったハイスペック老魔王ことソウゴである。

 

 

 そんな波間に浮かぶ小舟から釣り竿を垂らし、大自然を目一杯堪能しているソウゴ。既に幾つかの釣果を得ており、ソウゴの背の向こうには秋刀魚や鯖に似た魚が積み上げられている。そこから一匹ずつ手に取り、"モーフィングパワー"で適度に火を通してつまむ。

 

 因みに。ソウゴに同行していたユエとシアは未だソウゴの瞳術"神威"の異空間にいる為、ソウゴは火を通した魚を時折異空間に送っている。

 

「……そろそろ甘味が欲しいところだな」

 

 ソウゴがそう溢しながら、宝物庫から適当な果実を取り出し齧る。暖かな日差しと揺り籠の様な小波に揺られているソウゴからは、ここに至るまでの経緯など一切予想出来なかった。

 

 

 

 【グリューエン大火山】で小石に躓く様なトラブルを解決した後、マグマに飛び込んだソウゴ。その後は特にトラブルも無く、程なくしてソウゴは何処かの海底に飛び出した。

 そのまま海面に浮上しようとしたソウゴだったが、そこで大火山以来のトラブルが発生する。海の魔物達が襲い掛かってきたのだ。

 

 巨大な烏賊擬きに、竜巻を纏う鮫擬きの群れ、角が回転するカジキマグロに、機雷の様に糞を撒き散らす亀等。

 

 いずれも一流の冒険者でも苦戦する魔物だったのだろうが、生憎目の前にいるのは"アルテミット・ワン"とも称される男。その悉くが一瞬で海の藻屑となっていった。

 

 

 

 ……という経緯を特に思い出す事も無く、ソウゴは念動力で小舟を進める。時折襲ってくる魔物を腹に収めつつ、進む事丸一日。満天の星の下走り抜け朝日が世界を照らす頃、遂にソウゴの視界が陸地を捉えた。

 

 昨夜に見た星の位置からすれば、ソウゴ達のいる場所はエリセンの北である。なので後は陸地を左手側に南下すれば、少なくともエリセンと【グリューエン大砂漠】を繋ぐ港が見えてくる筈だ。

 進行方向を微調整しつつ、ソウゴは南へ小舟を進める。

 

 そして太陽が中天を越えた頃。ソウゴは傷まない様に凍らせていた魚を解凍調理し、波に揺られながら昼食をとっていた。確りユエ達二人の分も忘れず調理し、"神威"で異空間に送る。

 するとその時、少し飽きを覚え始めた魚の丸焼きを供に酒を呷っていると、不意に魚や魔物とも違う気配を感じ視線を動かした。

 

 直後、小舟を囲む様にして複数の人影が現れた。「ザバッ!」と音を立てて海の中から飛び出した人影は、三叉槍を突き出してソウゴを威嚇する。

 

 数は二十人程、その誰もがエメラルドグリーンの髪と扇状の鰭の様な耳を付けていた。どう見ても海人族の集団だ。彼らの目は、いずれも警戒心に溢れ剣呑に細められている。

 その内の一人、ソウゴの正面に位置する海人族の男が槍を突き出しながら問い掛けた。

 

「お前は何者だ? 何故ここにいる?」

 

 ソウゴは一瞬を目を向けつつ、昼食を続ける。敵対するつもりは無いのだが、ソウゴは食事の邪魔をされるのを嫌う。その為、ソウゴは早く食事を終わらせる事にした。

 

 

 ソウゴとしては至って真面目に接しようとするつもりなのだが、どう見ても槍を突きつけられ包囲までされているのに余裕の態度で食事を優先している太々しい奴にしか見えなかった。

 

 尋問した男の額に青筋が浮かぶ。どうにもただ海にいる人間を見つけたにしては殺気立ち過ぎている様に思える。その事に疑問を抱きつつも、尚もソウゴは食事の手を止めない。

 

「食事中だ、食べ終えるまで待て」

「黙れ!さっさと我々の質問に答えろ!」

 

 まるで苦情を訴える様な物言いで答えるソウゴに、そう怒鳴り返す男。妙に殺気立っている事もあり、舐めた態度を取るソウゴ(海人族にはそう見える)に答えさせたいという意地の様なものもあるのだろう。槍の矛先が勢いよく突き出された。

 

 突き出された槍は、躱さなければ浅く頬に当たっている位置だ。恐らく少し傷を付けて警告しようとしたのだろう。やはり、少々やりすぎ感がある。以前読んだ文献では、海人族はこれ程苛烈な種族では無かった筈だ。

 

 結果として、その一撃はソウゴを傷つける事は出来ず、その手に持った焼き魚を弾くのみだった。

 

 

 そしてそれが、彼等の運命を決めた。

 

 例えどんな事情があろうと、それは完全に悪手だった。

 

 

 彼等は知らぬ事だろうが、ソウゴ(と王妃や子供達もだが)は彼等の想像する以上に食事の邪魔をされるのが嫌いなのだ。それはもうかなり、とても、物凄く、恐ろしい程。

 その上彼等は、ソウゴが決して破ってはならない禁として定めている"食べ物を粗末にする"行為をしてしまった。

 

 

 結果、一瞬にして槍を向けた男の上半身が消し飛んだ。

 

 

 唖然とした表情で、音も無く海底に沈んでいく残りの下半身を見つめる海人族達。

 その彼等を視界に収めながら、ソウゴはふらりと立ち上がる。

 

「食べ終えるまで待てと言った筈だが……死にたいのなら話は別だ」

 

 その呟きと同時、空気が破裂した様な強烈な音と共にザシュッ! という肉を貫く音が響く。

 すると、海人族達の大半が突如血を吐いた。刺されなかった者達も含めて、どうやら何も知覚出来なかった様で皆が何故自分が吐血したかも分からないと困惑顔だ。だが数秒程して漸く気づいたのか、彼等は自身の胸部に違和感を覚えた。

 そして恐る恐る視線を下に向けてみれば……

 

 皆一様に、細く鋭い何かでその体を貫かれていた。

 

 その何かは、よく見れば機械で出来た虫……蜘蛛の脚の様だった。一本につき一人が刺さっており、それが計十六。その全てがソウゴの背から生えていた。その蜘蛛脚がダメ押しの様に一層深く突き刺さり、刺された者達は少し痙攣した後動かなくなる。最初は二十人いた海人族達は、ほんの一分も経たない内に三人になってしまった。

 貫いた海人族達が事切れたのを確認したソウゴは、興味を無くした様にその死体を投げ捨てる。

 その途端、

 

「……ゼ、ゼェアア!!」

 

 恐慌状態に陥ったのか、三人の内の一人が本能の警鐘に従って槍を突き出す。

 しかし槍が到達するよりも、ソウゴの掌から伸びた木の根が残る二人ごと男を圧殺する方が早かった。

 

 そしてソウゴは溜息を一つ吐き、頭を押さえながら座り込んだ。

「……歳は取りたくないものだな、どうにも気が短くなっていかん」

 そうぼやきつつ、ソウゴは再び小舟を進め始めた。

 

 

 そうして海の上を走る事一時間弱。

 

「あっ、ソウゴさん! 見えてきましたよ! 町ですぅ! やっと人のいる場所ですよぉ!」

「そう騒がずとも見えている、舟が小さいのだから揺らすでない」

 "神威"の異空間から外に出されたシアが、瞳を輝かせながら指を指し【エリセン】の存在を伝える。窘めるソウゴの目にも、確かに海上に浮かぶ大きな町が見え始めた。

 

 ソウゴは桟橋が数多く突き出た場所へ向かう。そして、来た方向から考えると有り得ない程簡素な小舟でやって来たソウゴ達に目を丸くしている海人族達や、観光やら商売でやって来たであろう人間達を尻目に空いている場所に停泊した。

 すると、すぐ傍に来た事で完全武装した海人族と人間の兵士が詰めかけてきた。予想外という訳でもなかった為、ソウゴ達は特に気にするでもなく上陸する。狭い桟橋の上なので、あっという間に包囲されるソウゴ達。

「随分大仰な歓迎だな」

「大人しくしろ。お前達を拘束する、事情を話してもらうぞ」

「我々に従う義理があると?」

「勿論だ」

 にべもない態度と言葉。ソウゴはイラっとしつつも、ミュウの故郷だと自分に言い聞かせ先程の様な浅慮を自制する。

「ここには連れとの合流序に仕事で寄っただけなんだが?」

「それが嘘でないとどう証明出来る? この町を荒らしに来た賊の可能性は否定出来まい。それに、哨戒に出ていた海人族達が戻ってこない。お前達が何かしたのではないのか?」

「知らんな。それより早く道を空けてくれ、私は今……虫の居所が悪いんだ」

 道中で全員海の藻屑にした事はおくびにも出さず、ソウゴは剣呑に目を細めた。目の前の兵士達のリーダーらしき人間族の男は、ソウゴから溢れ出る重い空気に眉を顰める。

 

 

 彼の胸元のワッペンには【ハイリヒ王国】の紋章が入っており、国が保護の名目で送り込んでいる駐在部隊の隊長格であると推測出来る。それ故に、本気でないソウゴの睨み付け程度ならぎりぎり耐えられるのだろう。海人族側の……恐らく自警団と思われる者達も、ソウゴの雰囲気に及び腰になりながらも引かない様子だ。

 

 

 ソウゴとしては、ミュウの故郷である為エリセンで問題を起こしたくはない。しかし食事の邪魔をされた事もあり、どうにも堪忍袋の緒に切れ目が入っている。今にもここにいる全員の首を刎ねかけない勢いだ。それをどうにか理性で堪えている状態なのが今のソウゴだ。その怒気はユエとシアにも伝わっており、二人は理由を知らないながらもソウゴの怒りに触れぬ様口を噤んでいる。

 

 正に、一触即発。

 

 緊張感が高まる中、ソウゴが「死体が残らなければ問題無いか」と思い全員を始末しようとしたその時、

 

「ん? 今何か……」

 

 シアがウサミミをピコピコと動かしながら、キョロキョロと空を見渡し始めた。

 ソウゴは動かしかけた手を止め、「どうした?」と尋ねる。だが、それにシアが答える前に、ソウゴにも声と気配が届いた。

 

「──ッ」

「……」

「──パッ!」

「……ほう」

「──パパぁー!!」

 

 ソウゴが空を見上げると、遥か上空から小さな人影が落ちてきているところだった。

 両手を広げて、自由落下しているというのに満面の笑みを浮かべるその人影は……

 

 

「元気そうで何よりだが……どうやらティオめ、余程無茶をしたらしいな。まさか一日で到着とは……」

 

 

 ミュウだった。ミュウがスカイダイビングしている。パラシュート無しで。

 よく見れば、その背後から慌てた様に急降下してくる黒竜姿のティオと、その背に乗ったやはり焦り顔の香織の姿が見えた。

 

 ソウゴは落ちてくるミュウを確認すると、黒炎で構成された翼を展開し飛翔する。その衝撃で桟橋が吹き飛び、兵士達が悲鳴を上げながら海に落ちたが知った事ではない。なんなら何人かの兵士がバラバラになったが知る訳が無い。

 

 一気に百メートル以上飛んだソウゴは、一度大きく炎翼を羽搏かせてミュウの落下速度を殺し、速度がゼロになった瞬間を狙って確実にミュウを腕の中に収める。

 そして、ミュウを抱きしめたまま地上へと戻る。その表情には、先程までの怒気は何処にも見られなかった。

 

「パパッ!」

 

 そんなソウゴの経緯等露程にも知らず、満面の笑みでソウゴの胸元に顔をスリスリと擦りつけるミュウ。恐らく、上空で真下にソウゴがいると教えられたのだろう。

 そして、事故かあるいは故意かは分からないが、ソウゴ目掛けて落下した。落下中の笑顔を見れば、ソウゴが受け止めてくれるということを微塵も疑っていなかったに違いない。

 だからといって、フリーフォールを満面の笑みで行うなど尋常な胆力ではない。「将来は大成するかもなぁ」と思いながら、ソウゴはミュウの頭を撫でるのだった。

 

 

「パパぁ、会いたかったのぉ!」

 ボロボロになった桟橋の近くで、幼い少女の喜色満面の声が響く。野次馬やら兵士達やらで人がごった返しているのだが、喧騒など微塵も無く、妙に静まり返っていた。

 

 それは、攫われた筈の海人族の女の子が天から降ってきた事や、人間である筈の青年が空を飛びキャッチした事、更にその上空から少女を背に乗せた黒竜が降りてきた事も原因ではあるのだろう。

「私も会いたかったぞミュウ。アンカジでは良い子にしていたか?」

「うん!」

「呵々、ならば重畳。それにしても、まさかあの高さから飛び降りるとはな。流石我が娘、あれぐらいの胆力が無ければな」

「パパにほめられたの~!」

 笑顔を浮かべるミュウと、彼女を抱き上げながら穏やかな表情で話すソウゴの姿は……普通に親子だった。ミュウが連呼する"パパ"の呼び名の通りに。

 

 攫われた筈の海人族の幼子が、単なる"慕う"を通り越して人間の青年を父親扱いしている事態に、そしてそれを受け入れてミュウを娘扱いしているソウゴに、皆意味が分からず唖然としている。内心は皆一緒だろう。即ち、「これ、どうなってんの?」と。

 

 

 ソウゴがよしよしとミュウの背中をポンポン叩いていると、漸く周囲の人々も我を取り戻した様で盛大に騒ぎ始めた。

 そんな周囲の困惑に満ちた喧騒を尻目に、ソウゴがミュウをあやしていると背後からトンと抱きついてくる感触が……ソウゴが肩越しに振り返ると、そこにはソウゴの肩口に額を当てて小刻みに震える香織の姿があった。

 

「よかった……。本当によかったよぉ~! ぐすっ」

 

 今度は、香織が泣き出してしまった。気丈に振舞っていても、内心死ぬ程不安だったのだろう。ソウゴの生存を確信していたが、それでも心配な気持ちを感じなくなる訳ではない。しかも、漸く再会出来たというのに直ぐ様二度目の行方不明だ、相当堪えたに違いない。

「すまんな、急に予定を変えて。あまりに呆気無かったんで、ついな」

「うっ、ひっぐ……」

 ソウゴは大して悪気を感じてない様な口振りで謝罪する。しかし香織は涙が止まらないのか、顔を見せない様に益々ソウゴの肩口に顔をうずめた。両手も後ろからソウゴの腹部に回されギュッと締め付けている。

 

「おいお前っ! 一体どういう事か、説めッぷげらっ!?」

「むっ? すまぬ」

 

 そんな中、先程ソウゴの飛翔の余波で吹き飛ばされ海に落ちた隊長らしき人物が全身から水を滴らせつつ、空気を読まずソウゴに詰め寄ろうとした。が、その後ろから小走りでソウゴに駆け寄ったティオ(竜化は着地と同時に解いた)とぶつかってしまい、再び海に叩き落とされた。

 大して気にもせず、ティオはソウゴの傍に寄ると、その頭を抱き抱え自らの胸の谷間に押し付けた。

「どうしたティオ、子供に戻りたくなったのか?」

「そういう訳じゃないのじゃが……やはり、こうして再会すると……暫し時間をおくれ、ご主人様よ」

 

 ソウゴが特に咎めるでもなく胸の谷間から顔を覗かせティオの顔を見れば、大切なものが腕の中にある事を噛み締める様な表情をして、目の端に涙を溜めていた。ほんの一日程度しか離れていないというのに、随分焦がれている様な顔だ。しかし今回は自分の我儘に付き合わせた結果なので、ティオの好きにさせる。

 

 そうこうしている内に、ミュウが「ミュウもギュ~する~」と言いながらソウゴの首筋に抱きつき、いつの間にか傍に来ていたユエが側面から、シアが香織とは反対側の肩口に抱き付き始めた。

 

 

 衆人環視の中、美幼女・美少女・美女を体が見えなくなるくらい全身に纏わりつかせたソウゴ。周囲の視線が、困惑から次第に生暖かなものへと変わっていく。既に殺気立っていた海人族の自警団や人間族の兵士の生き残り達も、毒気を抜かれた様に武器を下げていた。

 

「貴様等……一度ならず二度までも……! 王国兵士に対する公務妨害で捕縛してやろうか!?」

 

 再び桟橋から這い上がってきた隊長(仮)が、怒りの形相でソウゴ達を睨んだ。武器を手に、今にも襲いかかってきそうな勢いだ。一応、攫われた本人であるミュウが尋常でない位懐いている事から誘拐犯の可能性は余り考えていない様だが、それにしても理解不能な点が多すぎるので、しょっぴいて事情聴取をしたいのだろう。

 

 ミュウに関しては、元より【中立商業都市フューレン】のギルド支部長であるイルワからの正式な護送依頼であるので、ソウゴも事情説明はするつもりだった。ただ、それを平和的に証明する物が無かった訳だが、今はそれが手元にある。

 ソウゴは大迷宮で紛失しない様香織に預けていたイルワからの依頼書を取り出し、序に自らの懐からステータスプレートも取り出して隊長に提示した。

「……何だ? 今更素性など明かしても──って"金"ランクだとぉ!? しかも、フューレン支部長の指名依頼ぃ!?」

 イルワの依頼書の他、事の経緯が書かれた手紙も提出した。これはエリセンの町長と目の前の駐在兵士のトップに宛てられたものだ。それを食い入る様に読み進めた隊長は盛大に溜息を吐くと、少し逡巡した様だがやがて諦めた様に肩を落として敬礼をした。

「……依頼の完了を承認する。常磐殿」

「疑いが晴れた様で何よりだ。他にも色々尋ねる事はあるんだろうが、生憎こちらも忙しい。故に何も聞かないでくれ……一先ず、ミュウと母親を会わせたい。よいな?」

「勿論だ。しかし、先程の竜の事や貴方の先程の飛翔……王国兵士としては看過出来ない」

 先程の高圧的な態度とは一転し、ソウゴに対して一定の敬意を払った態度となった隊長は、それでも聞くべき事は見逃せないとソウゴに強い眼差しで訴える。

「ならば事が済んでから話す。……まぁ尤も、本国に知らせても無駄だと思うがな。恐らくメルド辺りが報告しているだろうからな」

「むっ、そうか。兎に角話す機会があるならいい。その子を母親の元へ……その子は母親の状態を?」

「いや、まだ知らないが問題無い」

「そうか、わかった。では、落ち着いたらまた尋ねるとしよう」

 隊長の男、最後にサルゼと名乗った彼は、そう言うと野次馬を散らして騒ぎの収拾に入った。中々職務に忠実な人物である。

 

 

 ミュウを知る者達が声を掛けたそうにしていたが、そうすれば何時まで経っても母親の所へ辿り着けそうになかったので、ソウゴは視線で制止した。

「パパ、パパ。お家に帰るの。ママが待ってるの! ママに会いたいの!」

「そうだな。早く会いに行こう」

 ソウゴの手を懸命に引っ張り、早く早く! と急かすミュウ。彼女にとっては約二ヶ月ぶりの我が家と母親なのだ、無理もない。道中もソウゴ達が構うので普段は笑っていたが、夜寝る時等にやはり母親が恋しくなる様で、そういう時は特に甘えん坊になっていた。

 

 ミュウの案内に従って彼女の家に向かう道中、顔を寄せて来た香織が不安そうな小声で尋ねる。

「ソウゴくん。さっきの兵士さんとの話って……」

「いや、命に関わる様なものではないらしい。ただ、怪我が酷いのと後は……精神的なものだそうだ。精神の方はミュウがいれば問題ない、怪我の方は詳しく見てやってくれ。手に余る様なら私が処置しよう」

「うん。任せて」

 そんな会話をしていると、通りの先で騒ぎが聞こえだした。若い女の声と、数人の男女の声だ。

 

「レミア、落ち着くんだ! その足じゃ無理だ!」

「そうだよ、レミアちゃん。ミュウちゃんならちゃんと連れてくるから!」

「いやよ! ミュウが帰ってきたのでしょう!? なら私が行かないと! 迎えに行ってあげないと!」

 

 どうやら家を飛び出そうとしている女性を、数人の男女が抑えている様である。恐らく、知り合いがミュウの帰還を母親に伝えたのだろう。

 そのレミアと呼ばれた女性の必死な声が響くと、ミュウが顔をパァア! と輝かせた。そして玄関口で倒れ込んでいる二十代半ば程の女性に向かって、精一杯大きな声で呼びかけながら駆け出した。

「ママーーッ!!」

「ッ!? ミュウ!? ミュウ!」

 ミュウはステテテテー! と勢いよく走り、玄関先で両足を揃えて投げ出し崩れ落ちている女性──母親であるレミアの胸元へ満面の笑顔で飛び込んだ。

 

 もう二度と離れないという様に固く抱きしめ合う母娘の姿に、周囲の人々が温かな眼差しを向けている。

 レミアは何度も何度も、ミュウに「ごめんなさい」と繰り返していた。それは目を離してしまった事か、それとも迎えに行ってあげられなかった事か、或いはその両方か。

 

 娘が無事だった事に対する安堵と守れなかった事に対する不甲斐なさにポロポロと涙をこぼすレミアに、ミュウは心配そうな眼差しを向けながらその頭を優しく撫でた。

「大丈夫なのママ、ミュウはここにいるの。だから大丈夫なの」

「ミュウ……」

 まさかまだ四歳の娘に慰められるとは思わず、レミアは涙で滲む瞳をまん丸に見開いてミュウを見つめた。

 

 ミュウは真っ直ぐレミアを見つめており、その瞳には確かにレミアを気遣う気持ちが宿っていた。攫われる前は人一倍甘えん坊で寂しがり屋だった娘が、自分の方が遥かに辛い思いをした筈なのに再会して直ぐに自分の事より母親に心を砕いている。

 

 驚いて思わずマジマジとミュウを見つめるレミアに、ミュウはニッコリと笑うと今度は自分からレミアを抱きしめた。体に、或いは心に酷い傷でも負っているのではないかと眠れぬ夜を過ごしながら自分は心配の余り心を病みかけていたというのに、娘は寧ろ成長して帰って来た様に見える。

 

 その事実にレミアは、つい苦笑いを溢した。肩の力が抜け涙も止まり、その瞳にはただただ娘への愛おしさが宿っている。

 

 再び抱きしめ合ったミュウとレミアだったが、突如ミュウが悲鳴じみた声を上げた。

「ママ! あし! どうしたの! けがしたの!? いたいの!?」

 どうやら、肩越しにレミアの足の状態に気がついたらしい。彼女のロングスカートから覗いている両足は包帯でぐるぐる巻きにされており、痛々しい有様だった。

 

 これがサルゼが言っていた事だ。ミュウを攫った事もだが、母親であるレミアに歩けなくなる程の重傷を負わせた事も、海人族達があれ程殺気立っていた理由の一つだったのだろう。

 ミュウはレミアと逸れた際に攫われたと言っていたが、海人族側からすれば目撃者がいないなら誘拐とは断定できない筈であり、彼等がそう断言していたのはレミアが実際に犯人と遭遇したからなのだ。

 

 レミアは逸れたミュウを探している時に、海岸の近くで砂浜の足跡を消している怪しげな男達を発見したらしい。嫌な予感がしたものの、取り敢えず娘を知らないか尋ねようと近付いたところ……いきなり襲われたそうだ。

 彼等がミュウを拐かしたのだと確信したレミアは、襲撃を必死に搔い潜りどうにかミュウを取り戻そうと何度も名前を呼んだ。しかし戦う術を持たない彼女がそう長く逃げられる筈も無く、遂には男の一人が放った炎弾の直撃を足に受けてそのまま海へと吹き飛ばされたのだという。

レミアは痛みと衝撃で気を失い、気が付けば帰りの遅いレミア達を捜索しに来た自警団の人達に助けられていたという訳だ。

 

 一命は取り留めたものの時間が経っていた事もあり、レミアの足は神経をやられもう歩く事も今迄の様に泳ぐ事も出来ない状態になってしまった。当然娘を探しに行こうとしたレミアだが、そんな足では捜索など出来る筈もなく、結局自警団と王国に任せるしかなかった。

 

 

 そんな事情があり、レミアは現在立っている事も儘ならない状態なのである。

 レミアはこれ以上娘に心配ばかりかけられないと笑顔を見せて、ミュウと同じ様に「大丈夫」と伝えようとした。しかしそれより早く、ミュウはこの世でもっとも頼りにしている"パパ"に助けを求めた。

「パパぁ! ママを助けて! ママの足がいたいの!」

「えっ!? ミ、ミュウ? 今、なんて……」

「パパ! はやくぅ!」

「あら? あらら? やっぱり、パパって言ったの? ミュウ、パパって?」

 混乱し、頭上に大量の"?"を浮かべるレミア。

 

 

 周囲の人々もザワザワと騒ぎ出した。

 あちこちから「レミアが……再婚? そんな……バカナ」「レミアちゃんにも、漸く次の春が来たのね! おめでたいわ!」「ウソだろ? 誰か、嘘だと言ってくれ……俺のレミアさんが……」「パパ…だと!? 俺の事か!?」「きっとクッ○ングパパみたいな芸名とかそんな感じのやつだよ、うん、そうに違いない」「おい、緊急集会だ! レミアさんとミュウちゃんを温かく見守る会のメンバー全員に通達しろ! こりゃあ、荒れるぞ!」等、色々危ない発言が飛び交っている。

 

 どうやらレミアとミュウは、かなり人気のある母娘の様だ。レミアはまだ二十代半ばと若く、今はかなり窶れてしまっているがミュウによく似た整った顔立ちをしている。復調すればおっとり系の美人として人目を惹くだろう事は容易く想像できるので、人気があるのも頷ける。

 

 

 刻一刻と大きくなる喧騒を、ソウゴは鬱陶し気に手を振りつつ無視して進む。

「パパぁ! はやくぅ! ママをたすけて!」

 ミュウの視線ががっちりソウゴを捉えているので、その視線を辿りレミアも周囲の人々もソウゴの存在に気がついた様だ。

「パパ、ママが……」

「そう急くなミュウ、ちゃんと治る。だから泣くな」

「はいなの……」

 ソウゴが泣きそうな表情で振り返るミュウの頭を撫でながら、視線をレミアに向ける。レミアはポカンとした表情でソウゴを見つめていた。

無理もないかと思いつつも、ソウゴの登場で益々騒ぎが大きくなったので、治療の為にも家の中に入る事にした。

「悪いが中に入れてもらうぞ」

「え? ッ!? あらら?」

 ソウゴはヒョイッと全く重さを感じさせずにレミアを抱き上げると、ミュウに先導してもらいレミアを家の中に運び入れた。レミアを抱き上げた事に背後で悲鳴と怒号が上がっていたが無視だ。当のレミアは、突然抱き上げられた事に目を白黒させている。

 

 

 家の中に入るとリビングのソファーが目に入ったので、ソウゴはレミアをそっと下ろした。そしてソファーに座り、ソウゴの事を目をぱちくりさせながら見つめるレミアの前に傅き、香織に見せる。

「どうだ?」

「ちょっと見てみるね……レミアさん、足に触れますね。痛かったら言って下さい」

「は、はい? えっと、どういう状況なのかしら?」

 突然攫われた娘が帰ってきたと思ったら、その娘がパパと慕う男が現れて、更に見知らぬ美女・美少女が家の中に集まっているという状況に、レミアは困った様に眉を八の字にしている。

 そうこうしている内に香織の診察も終わり、レミアの足は神経を傷つけてはいるものの香織の回復魔術で一応治癒出来る事が伝えられた。

「ただ、少し時間が掛かるみたいで……後遺症無く治療するには、三日位掛けてゆっくりやらないと駄目みたい」

「なら、私の担当か」

 香織の報告を受け、入れ替わる様に今度はソウゴがレミアの足に触れる。その掌から光が漏れた途端、レミアは満足に動かなかった足に熱が通うのを感じた。

「取り敢えず、これで歩けるだろう」

「……!」

 ソウゴの言葉に驚きながら、レミアは確かめる様に足を動かす。

 

「凄い……ソウゴくん、こんな繊細な回復も出来るの?」

「いや、今のは怪我を負う前に時間を戻しただけだ。治癒系統ではない」

「……それはもっと凄いんじゃ……」

 

 困惑する香織を他所に、レミアは状態を確かめながら頭を下げる。

「あらあら、まあまあ。もう歩けないと思っていましたのに……何とお礼を言えばいいか……」

「ふふ、いいんですよ! ミュウちゃんのお母さんなんですから!」

「えっと、そういえば皆さんは、ミュウとはどの様な……それにその、……どうしてミュウは、貴方の事を"パパ"と……」

 

 レミアの当然と言えば当然の問いかけに、ソウゴ達は経緯を説明する事にした。フューレンでのミュウとの出会いと騒動、そしてパパと呼ぶ様になった経緯など。全てを聞いたレミアはその場で深々と頭を下げ、涙ながらに何度も何度もお礼を繰り返した。

 

 

「本当に、何とお礼を言えばいいか……娘とこうして再会できたのは、全て皆さんのおかげです。このご恩は一生かけてもお返しします。私に出来る事でしたら、どんな事でも……」

 

 気にするなとソウゴ達は伝えたが、レミアとしても娘の命の恩人に礼の一つもしないでは納得できない。するとソウゴが今日の宿を探すと聞き、レミアはこれ幸いと自分の家を使って欲しいと訴えた。

 

「どうかせめて、これ位はさせて下さい。幸い家はゆとりがありますから、皆さんの分の部屋も空いています。エリセンに滞在中は、どうか遠慮なく。それにその方がミュウも喜びます。ね、ミュウ? ソウゴさん達が家にいてくれた方が嬉しいわよね?」

「? パパ、どこかに行くの?」

 レミアの言葉に、レミアの膝枕でうとうとしていたミュウは目をぱちくりさせて目を覚まし、次いでキョトンとした。どうやらミュウの中でソウゴが自分の家に滞在する事は物理法則より当たり前の事らしい。何故レミアがそんな事を聞くのか分からないと言った表情だ。

「呵々、まぁ確かに態々離れて寝るのも妙な話だ。では暫く相伴に与ろう」

「はい、どうぞ存分に」

「それで先程話した通り、ミュウの今後だが……」

「はい、これ以上旅に付いていくのは危険だからエリセンに留まる様に、ですよね?」

「あぁ、頼む。あの年頃は母親と共にいるのが一番だ」

「うふふ、別にずっと"パパ"でもいいのですよ? 先程"一生かけて"と言ってしまいましたし……」

 

 

 そんな事を言って、少し赤く染まった頬に片手を当てながら「うふふ♡」と笑みを溢すレミア。おっとりした微笑みは、普通なら和むものなのだろうが……ソウゴの周囲にはブリザードが発生している。

 

 しかしソウゴはそのブリザードを気にしたのでもなく、自然にレミアの額に諫める様に指を当てる。

 

「これでも妻子持ちだ、ミュウの父親ではあるつもりだがな。ウチの国でも重婚は認めているが、私はあくまで王妃一筋なんでな」

「あらあら、お熱いですわね。ですが、私も夫を亡くしてそろそろ五年ですし……ミュウもパパ欲しいわよね?」

「ふぇ? パパはパパだよ?」

「うふふ、だそうですよ。パパ?」

 

 ブリザードが激しさを増す。冷たい空気に気が付いているのかいないのか分からないが、おっとりした雰囲気で、冗談とも本気とも付かない事をいうレミア。「いい度胸だ、ゴラァ!」という視線を送るユエ達にも「あらあら、うふふ」と微笑むだけで、柳に風と受け流している。意外に大物なのかもしれない。

 

 

 取り敢えず言葉に甘え、レミア宅に世話になる事になった。部屋割りで「夫婦なら一緒にしますか?」とのたまうレミアとユエ達が無言の応酬を繰り広げたりしたが、「パパとママと一緒に寝る~」というミュウの言葉にソウゴが「そうするか」と許可した為レミアと共に寝る事にした。

 

 明日からは大迷宮攻略に出航、捜索をしなければならない。暫く離れる事になるミュウとの時間も蔑ろには出来ないと考えながら、ベッドに入ったソウゴの意識はまだ見ぬ海底遺跡に向いていた。

 

 

 それから二日後。

 

 妙にレミアとの距離が近いソウゴに海人族の男連中が嫉妬で目を血走らせたり、ソウゴに突っかかって返り討ちになったり、ご近所達がソウゴとレミアの仲を盛り上げたり、それにユエ達が不機嫌になってソウゴへのアプローチが激しくなったり、夜のユエが殊更喧しくなって海に投げ落とされたりしながらも、準備を万全にしたソウゴは遂に【メルジーネ海底遺跡】の探索に乗り出した。

 

 暫しの別れに、物凄く寂しそうな表情をするミュウ。だがソウゴが「一生の別れでもあるまいし、笑って送ってくれ」と微笑めば、ミュウが手を振りながら「パパ、いってらっしゃい!」と気丈に叫ぶ。そして、やはり冗談なのか本気なのか分からない雰囲気で「いってらっしゃい、あ・な・た♡」と手を振るレミア。

 傍から見れば仕事に行く夫を見送る妻と娘そのままだ。背後のユエ達からも周囲の海人族からも鋭い視線が飛んでくるが、ソウゴは無視して懐から何かを取り出す。

「ブレイブ・イン」

『ガブリンチョ! プレズオン!』

 ソウゴが掌に収まる様な円柱形の物体──"獣電池"のスイッチを押して、銃口が二つ備えられた黄色の大型銃"ガブリボルバー"に装填し海中に撃ち込めば、そこから機械仕掛けの巨大な紫竜が現れる。

 

 驚くエリセンの住民達を他所に、ソウゴ達はプレシオサウルスを模して造られた恐竜型マシン・獣電竜の一匹、基地内蔵型宇宙航行潜水艦(スペースベースサブマリン)でもあるプレズオンに乗り込んだ。

 

 

 【海上の町エリセン】から西北西に約三百キロメートル。

 

 そこが、嘗てミレディ・ライセンから聞いた七大迷宮の一つ【メルジーネ海底遺跡】の存在する場所だ。

 だがその時はミレディが臍を曲げていた為、後は"月"と"グリューエンの証"に従えとしか教えられず、詳しい場所は分かっていなかった。

 

 

 そんな訳でソウゴ達は、取り敢えず方角と距離だけを頼りに大海原を進んできたのだが、昼間の内にポイントまで到着し海底を探索したものの特に何も見つける事は出来なかった。海底遺跡というくらいだから、それらしき痕跡が何かしらあるのではないかと考えたのだが、それだけでは見通しが甘かったらしい。

 

 ただ、周囲百キロメートルの水深に比べるとポイント周辺の水深が幾分浅い様に感じたので、場所自体は間違えていないと思うソウゴだった。

 

 仕方なく探索を切り上げ、ミレディの教えに従い月が出る夜を待つ事にした。今は丁度日没の頃。地平線の彼方に真っ赤に燃える太陽が半分だけ顔を覗かせ、今日最後の輝きで世界を照らしている。空も海も赤と山吹に染まり、太陽が海に反射して水平線の彼方へと輝く一本道を作り出していた。

 

 どこの世界でも、自然が作り出す光景は美しい。

 ソウゴは停泊させたプレズオンの甲板で、沈む太陽を何となしに見つめながらそんな事を思う。だがそれでも、やはり自分の国の自分の城から見る景色の方が美しいと己惚れるソウゴであった。

 

「どうしたの?」

 

 そんなソウゴの様子に気がついて声を掛けてきたのは香織だった。

 先程まで艦内でシャワーを浴びていた筈で、その証拠に髪が湿っている。その後ろには、ユエやシア、ティオもいる。

 

 全員、ソウゴが大昔に改修して取り付けた艦内シャワーを浴びてきた様で、頬は上気し湿った髪が頬や首筋に張り付いていて、実に艶かしい姿だ。備え付けのシャワールームは天井から直接温水が降ってくる仕様なので、四人全員で入っても問題ない。

 

 ソウゴはそんな女性陣の姿に何か思うでもなく、香織の質問に答えた。

「特に何も。ただ夕暮れというのは美しいものだと思っただけだ」

「……そっか。うん、そうだね」

「まぁ私の国の方が美しいがな」

「ふふっ、そうなんだ」

 ソウゴの隣に座った香織が、どこか遠い目をしながらソウゴの言葉に同意する。きっと、日本で過ごしてきた日々でも懐かしんでいるのだろう。そしてソウゴの返答に苦笑を浮かべる。

 

 二人にしか通じない(様に見える)話題に寂しさを感じたのか、ユエは火照った体でトコトコとソウゴに歩み寄ると、その膝の上に腰を下ろし背中をソウゴの胸元に凭れかけさせ、真下から上目遣いで見つめ始めた。

 その瞳は明らかに、自分も話に入れて欲しいと物語っている。寂しさと同時にソウゴの故郷の事を聞きたいという気持ちがある様だ。

「私もソウゴさんの話聞きたいです! ご家族の事とか!」

 すると今度は、反対側にシアが寄り添いその目をキラキラさせる。明らかに構って欲しいという合図だ。

「妾も聞きたいのじゃ、詳しい事は知らんからのぉ」

 背中には、ティオが凭れかかった。体重のかけ具合から心底リラックスしている事が分かった。

 

 広大な海の上で、小さく寄り添い合うソウゴ達。夜天に月が輝き出すまでは今暫く時間が掛かる。「そういえば詳しい事は話してなかったか」と思ったソウゴは、暇潰し序に家族の事を語り始めた。

 

 

「さて、先ずは何から話そうか……」

 ソウゴはそう前置き、四人の前に飲み物と軽食を並べる。ユエ達は目を輝かせながら、ソウゴの言葉を待つ。

「そうだな、先ずは我が妻の事を話そうか」

 その言葉に、ユエ達はいきなり本命が来たなと感じた。自分達を差し置いてソウゴに愛される女という存在が、四人は興味津々だった。

「私の妻、つまり我が国の王妃だな。王妃の名は常磐望、旧姓は夢原のぞみ。我が国にいる数少ない神の一柱だ」

 

「神様なの!?」

 

 真っ先に発言したのは香織だ。まさか神を娶っているとは思ってなかったらしい。ユエ達三人も驚愕の表情を浮かべているが、それと同時に納得もした。ソウゴに選ばれるのだから、それ位でなければ釣り合わないと言えるかもしれない。

 だが、次のソウゴの発言には三人も驚愕オンリーに染まった。

 

「初めて会った時は、まだ13の年端もいかぬ人間の少女だったがな」

「人間が神になるんですかっ!?」

 

 シアの叫びに、ユエ達は首が千切れんばかりの勢いで激しく首を縦に振る。この世界の常識から鑑みても、一人間が神に成るなど有り得ないらしい。

 

 ソウゴ的には異世界探索をすれば、数十回に一回の確率でそういう人間に出会うとの事だが。

 

 ソウゴの答えに一同が再び驚きに包まれつつ、今度はティオが話を振る。

「その奥方とは、いつ頃出会ったのじゃ?」

「あれは、大体四千年程前だったか。王妃は私とはまた別の世界の人間でな、その世界には予言を基に向かったのだ。『運命の相手に出会う』という予言にな」

「……どんな人?」

 ソウゴの言葉にムッとする様な表情でユエが尋ねれば、ソウゴは喜々としてその人柄を語る。

 

「眉目秀麗で健啖家、聡明で気高く、万人に優しく接する様な女性でな。いざという時の決断力や人の才覚を見抜く目は私も一目置く程よ。そして何より、彼女は戦士や将としてカリスマ性が飛びぬけていた。こと戦場においては、ゲイツ達に勝るとも劣らぬ程背中を任せられる頼りになる存在だ。簡潔に述べればこんな所だが、王妃の事を話せば百年でも話し尽くせんぞ?」

 

 途中でユエ達には分からない名前が出たがそれはさておき、ソウゴが今迄聞いた事が無い程褒めちぎっている。その見た事の無い光景に、四人は開いた口が塞がらなくなる。暫く硬直する面々だが、真っ先に復帰した香織が次の質問を投げる。

「え、えっと……のぞみ、さん? の人柄は分かったから……。えっと、何の神様なの? ほら、こういうのって色々あるって聞くし」

 この世界には無い多神の概念を知る香織だからこそ出る質問に、ソウゴは説明しながら答える。

 

「王妃は複合神性、所謂多数の神々が合一した存在でな。司るものは多岐に渡る。だが『本来司っているもの』と言うのなら、真っ先に挙がるのは"生命"だな」

「……生命、つまり命の神様?」

「その通りだ。王妃が司っているものは他にも『蝶』や『光』に『水晶』、『剣』、『薔薇』、『眼』、『夢』、『教育』、『情報』、『玉座の守護』等があるが、最も象徴となるのは生命だろうな」

 ソウゴの答えに全員がギブアップと言わんばかりの表情になり、「今度は、娘さん達の事教えて?」と香織が話をのぞみから娘達に向ける。

 

「おぉ、そうだそうだ。我が愛娘達の事も教えねばな。先ず前もって言っておくと、長女から四女までの四人は、皆養子でな。血のつながりは無い。それは本人達も知っているが、一様に私を慕ってくれている。嬉しい限りだよ」

 

 そう言ってソウゴは、これまた喜々として五人の娘達の事を語り始めた。

 

 

「先ずは長女の真琴だな。元気が取り柄で、アイドルと女優、軍人を兼業している。物心つく前に両親を事故で失ってな、それを知人経由で引き取ったのだ。少々サボり癖があるのと頭が足らんのが玉に瑕だが、剣の腕は中々のもので、いざという時の判断は出来るし長女として妹達の事も見てくれている。とても優しい自慢の娘だ」

 

 

「次に次女の恵。姉妹一の働き者で知恵者、私や王妃の仕事の補佐も出来る優秀な子だ。度々私の代理として公務に出席した事もあるし、めぐみの立案した作戦や作り上げた発明品に助けられた事も少なくない。愚痴を溢しながらも真琴の尻拭いをしてくれたり、成人祝いに贈った物を今も大事に使っていたり、愛い所もある。まぁ、滅多に笑わないのと人を選ぶ気があるのが少々アレだが、頼りになる自慢の娘よ」

 

 

「三女の言葉(ことは)は少々特殊でな、種族としては半神半精になる。初めの頃は、掌に収まる程の小さな赤子の姿だった。そこからすくすく成長して、今でも子供の様に天真爛漫を絵に描いた様に笑うのだ。丁度ミュウがそのまま大きくなった様な感じと言えばいいか。そして特徴として挙げるなら、生まれながらの魔術の天才である所か。親としての贔屓目ではなく、素質ではユエ以上だ。将来有望な明るい自慢の娘よ」

 

 

「そして四女の響。真琴達上の三人が王妃と同じ世界の出身であるのに対し、響は世界が違う上に歳もかなり離れている。それとまぁ、元の世界であまり話せん様な目に遭ってな。引き取ってこの方、ほぼほぼ部屋に引き籠ってばかり。だが本来は考えるより前に体が動く性分で、何より人助けと歌が好きな娘でな。だからだろうな、今でも時折部屋の前を通った時に歌が聞こえるのだよ。実に可愛い自慢の娘だ」

 

 

「最後に五女の侑。私と王妃の唯一の実子だ。今は高校二年、香織と同い年だ。腕っ節に関しては……良く言っても発展途上がいいところだな。今のシアに一歩劣る程度だ。それでも王妃に似てカリスマ性がある故、人脈には困らんだろうよ。そして……これがまぁ我が事ながら情けない話だが、小学校入学と同時に家出してな。しかも最近同級生との間に子供を作ったと連絡が来た。まさか姉達より先に、しかも学生の身で子供など驚いたよ」

 

 

 

 そんなこんなと話していると、あっという間に時間は過ぎ去り日は完全に水平線の向こう側へと消え、代わりに月が輝きを放ち始めた。

 

 そろそろ頃合かとソウゴは懐から【グリューエン大火山】攻略の証であるペンダントを取り出した。サークル内に女性がランタンを掲げている姿がデザインされており、ランタンの部分だけが刳り抜かれていて穴開きになっている。

 

 エリセンに滞在している時にもこのペンダントを取り出して月に翳してみたり、魔力を流してみたりしたのだが特に何の変化も無かった。

 

 

 もしや場所が関わっているのか? と内心首を捻りながら、ソウゴは取り敢えずペンダントを月に翳してみた。丁度ランタンの部分から月が顔を覗かせている。

 

 暫く眺めていたが、特に変化はない。

 ソウゴが他の手段を考え始めたその時、ペンダントに変化が現れた。

 

「わぁ、ランタンに光が溜まっていきますぅ。綺麗ですねぇ」

「ホント……不思議ね。穴が空いているのに……」

 

 シアが感嘆の声を上げ、香織が同調する様に瞳を輝かせる。

 

 

 彼女達の言葉通り、ペンダントのランタンは少しずつ月の光を吸収する様に底の方から光を溜め始めていた。それに伴って、穴開き部分が光で塞がっていく。ユエとティオも興味深げにソウゴが翳すペンダントを見つめた。

 

「どうやら本当に場所が関わっていた様だな……」

「ふむ、どうやらその様じゃの」

 

 やがてランタンに光を溜めきったペンダントは全体に光を帯びると、その直後ランタンから一直線に光を放ち、海面のとある場所を指し示した。

「……中々粋な演出。ミレディとは大違い」

「言ってやるな。あれは奴なりに寂しさを紛らわそうとしたのだろう」

 "月の光に導かれて"という何ともロマン溢れる道標に、ユエ達が「おぉ~」と感嘆の声を上げた。特にミレディの【ライセン大迷宮】の入口を知っているシアは、ユエ同様感動が深い。

 

 ペンダントのランタンが何時まで光を放出しているのか分からなかったので、ソウゴ達は早速プレズオンの艦内に戻り、導きに従って潜航を開始した。

 

 

 夜の海は暗い、というよりも黒いと表現した方がしっくりくるだろうか。海上は月明かりでまだ明るかったが、導きに従って潜行すればあっという間に闇の中だ。プレズオンの眼光とペンダントの放つ光だけが闇を切り裂いている。

 

 因みにペンダントの光は、プレズオンの眼差し越しに海底の一点を示している。

 

 その場所は、海底の岩壁地帯だった。無数の歪な岩壁が山脈の様に連なっている。昼間にも探索した場所で、その時には何もなかったのだが……プレズオンが近寄りペンダントの光が海底の岩石の一点に当たると、ゴゴゴゴッ! と音を響かせて地震の様な震動が発生し始めた。

 

 その音と震動は、岩壁が動き出した事が原因だ。岩壁の一部が真っ二つに裂け、扉の様に左右に開き出したのである。その奥には冥界に誘うかの様な暗い道が続いていた。

 

「成程……道理でいくら探しても見つからない訳だ」

「……暇だったし、楽しかった」

「そうだよ。異世界で海底遊覧なんて、貴重な体験だと思うよ?」

 ソウゴはプレズオンに念じ海底の割れ目へと侵入していく。ペンダントのランタンはまだ半分程光を溜めた状態だが、既に光の放出を止めており暗い海底を照らすのはプレズオンの眼光だけだ。

「う~む、海底遺跡と聞いた時から思っておったのだが、この"ぷれずおん"? がおらねば、まず平凡な輩では迷宮に入る事も出来なさそうじゃな」

「……強力な結界が使えないと駄目」

「他にも空気と光、後は水流操作も最低限同時に使えんと駄目だろう」

「でもここにくるのに【グリューエン大火山】攻略が必須ですから、大迷宮を攻略している時点で普通じゃないですよね」

「……もしかしたら、空間魔術を利用するのがセオリーなのかも」

 

 

 道なりに深く潜行しながら、ソウゴ達は潜水手段が無い場合の攻略方法について考察してみた。確かにファンタジックな入口に感心はしたのだが、普通に考えれば超一流レベルの魔術士が幾人もいなければ侵入すら出来ないという時点で、他の大迷宮と同じく厄介な事この上ない。

 

 ソウゴ達は気を引き締め直し、プレズオンの目から送られる映像越しに見える海底の様子に更に注意を払った。

 とその時、

 

『グォオオオオンッ!!』

 

「むっ」

「んっ!」

「わわっ!」

「きゃっ!」

「何じゃっ!?」

 

 突如横殴りの衝撃が船体を襲い、プレズオンの鳴き声と共に一気に一定方向へ流され始めた。

 しかしプレズオンはただの潜水艦ではない、れっきとした自我を持った海竜なのだ。直ぐ様姿勢を立て直し、安定した体勢に戻る。

「ふむ、何かしらの海流に乗った様だな。プレズオン、取り敢えずは流れに乗って進んでくれ」

『グゥン』

 ソウゴはプレズオンに海流に逆らわずに進む様に指示しつつ、映像から外の様子を観察する。眼光が洞窟内の暗闇を払拭し、その全体像を露わにしている。

 取り敢えず流されるまま進むソウゴ達。暫くそうしていると、プレズオンの索敵範囲内に生物を捉えたのか、接近を知らせるアラームが鳴り響く。

「招かれざる客か。……いや、状況的にそれは我々の方か」

「……殺る?」

 ソウゴがそう呟くと、隣の座席に座るユエが手に魔力に集めながら可愛い顔でギャングの様な事をさらりと口にする。

「いや、プレズオンに任せよう」

 ソウゴがプレズオンに迎撃する様指示を出す。するとプレズオンの雄叫びと共に、全身に搭載された機関銃や機砲が火を噴き、その顎門から荷電粒子砲が唸る。

 荒ぶる激流すらものともせず、海流を引き裂いて流星の如く一直線に海底を走る。

 

 やがて、赤黒い魔力を纏って追いかけてくる魔物──トビウオの様な姿をした無数の魚型の魔物達に、科学の暴力が襲い掛かる。

 

 ドォゴォオオオオン!!!

 

 盛大に爆発が発生し、大量の気泡がトビウオ擬きの群れを包み込む。そして衝撃で体を引きちぎられバラバラにされたトビウオ擬きの残骸が、赤い血肉と共に泡の中から飛び出し、文字通り海の藻屑となって激流に流されていった。

「久々の出番とあって、随分張り切っているらしいな」

「うわぁ~、ソウゴさん。今、画面の端を死んだ魚の様な目をした物が流れて行きましたよ」

「シアよ、それは紛う事無き死んだ魚じゃ」

「改めて思ったのだけど、ソウゴくんのアーティファクトって反則だよね」

 それから度々トビウオ擬きに遭遇するソウゴ達だったが、容易く蹴散らし先へ進む。

 

 どれくらいそうやって進んだのか。

 

 代わり映えの無い景色に違和感を覚え始めた頃、ソウゴ達は周囲の壁がやたら破壊された場所に出くわした。よく見れば、岩壁の隙間にトビウオ擬きの千切れた頭部が挟まっており、虚ろな目を海中に向けている。

「ここはもしや、先程通った場所か?」

「……そうみたい。ぐるぐる回ってる?」

 どうやら、ソウゴ達は円環状の洞窟を一周してきたらしい。大迷宮の先へと進んでいるつもりだったので、まさかここはただの海底洞窟で、道を誤ったのかと疑問顔になるソウゴ。結局、今度は道なりに進むのではなく、周囲に何かないか更に注意深く探索しながらの航行となった。

 その結果、

 

「あっ、ソウゴくん。あそこにもあったよ!」

「これで五ヶ所目か」

 

 洞窟の数ヶ所に、五十センチ位の大きさのメルジーネの紋章が刻まれている場所を発見した。メルジーネの紋章は五芒星の頂点の一つから中央に向かって線が伸びており、その中央に三日月の様な文様があるというものだ。それが、円環状の洞窟の五ヶ所にあるのである。

 ソウゴ達はじっくり調べる為、最初に発見した紋章に近付いた。

「まぁ、五芒星の紋章に五ヶ所の目印、それと光を残したペンダントとくれば……」

 

 そう呟きながら、ソウゴは首から下げたペンダントを取り出し映像越しに翳してみた。すると案の定ペンダントが反応し、ランタンから光が一直線に伸びる。そしてその光が紋章に当たると、紋章が一気に輝きだした。

 

「これ、魔術でこの場に来る人達は大変だね……直ぐに気が付けないと魔力が持たないよ」

 

 香織の言う通り、この様なRPG風の仕掛けを術で何とか生命維持している者達にさせるのは相当酷だろう。【グリューエン大火山】とは別の意味で限界ギリギリを狙っているのかもしれない。

 

 その後更に三ヶ所の紋章にランタンの光を注ぎ、最後の紋章の場所にやって来た。ランタンに溜まっていた光も、放出する毎に少なくなっていき、丁度後一回分位の量となっている。

 

 ソウゴがペンダントを翳し最後の紋章に光を注ぐと、遂に円環の洞窟から先に進む道が開かれた。ゴゴゴゴッ! と轟音を響かせて、洞窟の壁が縦真っ二つに別れる。

 特に何事もなく奥へ進むと、真下へと通じる水路があった。プレズオンを進ませるソウゴ。すると突然、ソウゴ達を浮遊感が襲い掛かった。

 

「おぉ?」

「んっ」

「ひゃっ!?」

「ぬおっ」

「はうぅ!」

 

 それぞれ、四者四様の悲鳴を上げる。

 ソウゴは特に慌てるでも無く、プレズオンに後方の噴進機構(ブースター)を噴かせる様指示を出して落下速度を徐々に落としていく。直後、ズゥゥゥゥン……と小さくも重い音を響かせながらプレズオンが硬い地面に着陸する。僅かながら衝撃が船内に伝わり、特に体が丈夫な訳ではない香織が呻き声を上げる。

「大事無いか?」

「うぅ、だ、大丈夫。それより、ここは?」

 

 香織が顔を顰めながらも映像で外を見ると、先程までと異なり外は海中ではなく空洞になっている様だった。取り敢えず、周囲に魔物の気配がある訳でも無かったので外に出るソウゴ達。

 

 

 潜水艇の外は大きな半球状の空間だった。頭上を見上げれば大きな穴があり、どういう原理なのか水面が揺蕩っている。水滴一つ落ちる事無くユラユラと波打っており、ソウゴ達はそこから落ちてきた様だ。

「何かしらの術で海水の侵入を防いでいる様だな。……それはさておき、どうやらここからが本番らしい。海底遺跡というより洞窟だが」

「……全部水中でなくて良かった」

 ソウゴはプレズオンを宝物庫に戻しながら、洞窟の奥に見える通路に進もうとユエ達を促す……寸前で手で制す。

 

「"三日月形砂丘(パルハン)"」

 

 刹那、頭上からレーザーの如き水流が流星宛らに襲いかかる。圧縮された水のレーザーは、直撃すれば容易く人体を穿つだろう。

 

 しかし、ソウゴの手に触れた途端その激流は飲み込まれていった。今のソウゴはスナスナの能力を使用した砂漠人間、乾期の砂漠にどれだけ水を注ごうと渇きは変わらない。底無し沼の様に水分を奪い勢いを殺していった。

 その上もう片方の手で術式を宙に描き、防御系闇術"青の護法印(ブルーへクス)"を発動、自分以外の四人分の障壁を展開する。ユエ達も慣れたもので、ソウゴが対応したなら大丈夫だと一切身構えずに任せていた。

 

 だが、香織はそうはいかなかった。

 

 

「きゃあ!?」

 

 

 余りに突然かつ激しい攻撃に、思わず悲鳴を上げながらよろめく。咄嗟にソウゴが念動力で引っ張り上げる。

「ご、ごめんなさい」

「いや、気にするな」

 見向きもせず自身を助けたソウゴをチラ見しながらも、香織の表情は優れない。助けられた事よりも、自分だけが醜態を晒した事に少し落ち込んでいる様だ。

 

 そしてそれ以上に、ソウゴの引き出しの多彩さと技術力の高さに改めてショックを覚える。

 

 

 光輝達といた時は、鈴の守りを補助する形でそれなりに防御魔術は行使してきた。沢山訓練をして、発動速度だけなら“結界師”たる鈴にだって引けを取らないレベルになったのだ。それでもユエや、ましてやソウゴと比べると自分の防御魔術など児戯に等しいと思わせられる。

 

 【オルクス大迷宮】でソウゴ達に助けられた時から感じていた"それ"──分かってはいたが、それでもソウゴの傍にいる為にはやるしかないのだと自分に言い聞かせて心の奥底に押し込めてきた──劣等感。

 自分は、足手纏いにしかならないのではないか?

 その思いが再び、香織の胸中を過る。

 

「どうした?」

「えっ? あ、ううん。何でもないよ」

「……そうか」

 

 香織は咄嗟に誤魔化し、無理やり笑顔を浮かべる。ソウゴはそんな香織の様子に少し目を細めるが、特に何も言わなかった。

 その事に香織が少しの寂しさと安堵を感じていると、ユエがジッと自分を見ていることに気がついた。その瞳がまるで香織の内心を見透かそうとしているようで、香織は咄嗟に眼に力を込めて睨む様な眼差しを返す。

 

 いつかの様に、自分の気持ちを嗤わせる訳にはいかない。そんな事になれば、現状ソウゴの最も信頼の篤い目の前の美貌の少女は、香織を戦うべき相手とすら認識しなくなるだろう。

 

 それだけは……我慢ならない。

 

 香織の強い眼差しを受けたユエは、少し口元を緩めると再び頭上に視線を戻した。同時に、ソウゴが指先に火球を生成し天井を焼き払う。それに伴って、ボロボロと攻撃を放っていた原因が落ちてきた。

 

 それは、一見するとフジツボの様な魔物だった。天井全体にびっしりと張り付いており、その穴の空いた部分から水系中級魔術"破断"を放っていた様だ。中々に生理的嫌悪感を抱く光景である。

 

 水中生物であるせいかやはり火系には弱い様で、ソウゴの"フィンガーフレアボムズ"により直ぐに焼き尽くされた。

 

 フジツボ擬きの排除を終えると、ソウゴ達は奥の通路へと歩みを進める。通路は先程の部屋よりも低くなっており、足元には膝位まで海水で満たされていた。

 

「ちと歩きにくいな……」

「……むぅ」

 

 ポチャポチャと足音を響かせながら(・・・・・・・・・)、ソウゴが窮屈そうに愚痴を溢す。ソウゴが上体を屈めながらさも当然の様に水面を歩いている事には敢えて触れず、ユエが可愛らしい唸り声を上げた。視線を向ければ、身長の低いユエは腰元まで浸かっており相当歩き辛そうだ。

 ソウゴは小さく鼻を鳴らすと、ひょいとユエを抱き上げてそのまま脇に抱えてしまった。まるで荷物の様に。

「……ソ、ソウゴ様! これは流石に、ちょっと恥ずかしい……!」

「そう思うんなら身長を伸ばす術でも身に着けるか、水上歩行をマスターしろ」

「むぅ……」

 

 波紋を作りながら歩を進めるソウゴがそう言えば、ユエは羞恥で頬を染めた。チラリとシア達を見てみれば、そこにあるのは羨ましいというよりも、どちらかと言えば微笑ましいという感情に見える。視線が生温かい。

 ユエは益々恥ずかしそうに小さくなった。中々レアな光景かもしれない。

「うっふっふっ、ユエさん、なんだか可愛いですよ~?」

「……うぅ」

「ミュウよりも子供扱いかもしれんのぉ」

「……ぅ」

「ふふ~ん! じゃあこれからは、ユエちゃんって呼んだ方がいいかなぁ?」

「果てろ香織」

「なんか私だけ辛辣!?」

 益々シア達の視線に頬を染めつつ、しかし香織にだけは石でも投げつけそうな眼差しで辛辣に返すユエに、ソウゴは小さく嘆息した。

 

 だがそんな余裕ある和気藹々とした空気も、直後には魔物の襲撃により集中を余儀なくされる。

 

 現れた魔物は、まるで手裏剣だった。高速回転しながら直線的に、或いは曲線を描いて高速で飛んでくる。ソウゴはスっと何本か苦無を投擲し空中で全て撃墜した。体を砕けさせて、プカーっと水面に浮かんだのは海星らしき何かだった。

 更に足元の水中を海蛇の様な魔物が高速で泳いでくるのを感知し、ユエが氷の槍で串刺しにする。

 

「……弱いな」

 

 ソウゴの呟きに、香織以外の全員が頷いた。

 

 大迷宮の敵というのは基本的に単体で強力、複数で厄介、単体で強力かつ厄介というのがセオリーだ。だが海星にしても海蛇にしても、大火山から海に出た時に襲ってきた海の魔物と大して変わらないか、或いは弱い位である。とても大迷宮の魔物とは思えなかった。

 

 大迷宮を知らない香織以外は皆首を傾げるのだが、その答えは通路の先にある大きな空間で示された。

 

 

「……何だ?」

 

 

 ソウゴ達がその空間に入った途端、半透明でゼリー状の何かが通路へ続く入口を一瞬で塞いだのだ。

「私がやります! うりゃあ!!」

 咄嗟に最後尾にいたシアがその壁を壊そうとドリュッケンを振るった。だが表面が飛び散っただけで、ゼリー状の壁自体は壊れなかった。そして、その飛沫がシアの胸元に付着する。

 

「ひゃわ! 何ですか、これ!」

 

 シアが困惑と驚愕の混じった声を張り上げた。ソウゴ達が視線を向ければ、何とシアの胸元の衣服が溶け出している。衣服と下着に包まれた、シアの豊満な双丘がドンドン曝け出されていく。

「シア、動くでない!」

 咄嗟にティオが絶妙な火加減でゼリー状の飛沫だけを焼き尽くした。少し皮膚にもついてしまった様で、シアの胸元が赤く腫れている。どうやら、出入り口を塞いだゼリーは強力な溶解作用がある様だ。

 

 

「油断するな、また来るぞ」

 

 警戒してゼリーの壁から離れた直後、今度は頭上から無数の触手が襲いかかった。先端が槍の様に鋭く尖っているが、見た目は出入り口を塞いだゼリーと同じである。だとすれば、同じ様に強力な溶解作用があるかもしれないと、ソウゴは"火遁・豪火球"で正面の触手を、"氷塊・両棘矛(アイスブロック・パルチザン)"で両側から迫る触手を迎撃する。更にユエが氷を、ティオが炎を繰り出して触手を排除しにかかった。

 

「私が出る必要も無かったか?」

 

 迎撃すればそれが更なる攻撃の引き金になるかと警戒して二種の攻撃を放ったが、特にその様な様子も無くただ凍って焼かれるのみ。ソウゴがそう呟くのも仕方ない。

 

 それを余裕と見たのか、シアがソウゴの傍にそろりそろりと近寄り、露になった胸の谷間を殊更強調して、頬を染めながら上目遣いでおねだりを始めた。

「あのぉ、ソウゴさん。火傷しちゃったので、お薬塗ってもらえませんかぁ」

 あざとい。流石ウサミミ少女、実にあざとい。ソウゴは呆れ顔でシアの頭を掴む。

「ふざけとらんで貴様も前に出ろ、覇気の練習だ」

 "ライデイン"、"ベギラマ"、"イオラ"を雨の様に降らせながら、その只中にシアを放り投げる。

 シアは「ひょえ~! ソウゴさんの鬼~!」と叫びながらもドリュッケンを構えて駆け回る。

 すると、

 

「む? ……ソウゴ様、このゼリー、魔術も溶かすみたい」

 

 ユエのその言葉に視線を向けてみれば、ユエとティオの放った魔術が悉く直撃と同時に分解される様に消えていくのが分かった。

「ふむ、やはりか。先程から妙に炎が勢いを失うと思っておったのじゃ。どうやら、炎に込められた魔力すらも溶かしているらしいの」

 ティオの言葉が正しければ、このゼリーは魔力そのものを溶かす事も出来るらしい。中々に強力で厄介な能力だ。正に大迷宮の魔物に相応しい。

 

 尤も、ソウゴの攻撃を一切無効化出来ていないので意味が無いのだが。

 

 そんなソウゴの内心が聞こえた訳では無いだろうが、遂にゼリーを操っているであろう魔物が姿を現した。

 

 天井の僅かな亀裂から染み出す様に現れたそれは、空中に留まり形を形成していく。半透明で大雑把な人型、但し手足は鰭の様で全身に極小の赤いキラキラした斑点を持ち、頭部には触覚の様な物が二本生えている。

 まるで宙を泳ぐ様に、鰭の手足をゆらりゆらりと動かすその姿はクリオネの様だ。尤も、全長十メートルのクリオネはただの化け物だが。

 

 その巨大クリオネは何の予備動作も無く全身から触手を飛び出させ、同時に頭部からシャワーの様にゼリーの飛沫を飛び散らせた。

 

「──っ! 防御は私が! "聖絶"!」

 

 香織は、派生技能"遅延発動"で予め唱えておいた"聖絶"を発動する。それにコクリと頷いたユエはティオと一緒に巨大クリオネに向けて火炎を繰り出した。シアもドリュッケンを砲撃モードに切り替え、焼夷弾を撃ち放つ。更にソウゴも"メラミ"と"ドルクマ"を追加して駄目押しする。

 

 全ての攻撃は巨大クリオネに直撃し、その体を消滅させ、或いは爆発四散させる。「いっちょ上がり!」とばかりに満足気な表情をするユエ達だったが、それを諫める様にソウゴが警告の声を上げる。

「気を抜くな馬鹿者、反応はまだ消えとらんぞ」

 ソウゴの感知系能力は、部屋全体に魔物の反応を捉えていた。まるで部屋そのものが魔物であるかの様だった。この世界では未だ嘗て遭遇した事の無い事態に、自然ソウゴの頬は吊り上がる。

 

 

 するとその予感は当たっていた様で、四散した筈のクリオネが十分の一サイズではあるが瞬く間に再生した。しかも、よく見ればその腹の中に先程まで散発的に倒していた海星擬きや海蛇がおり、ジュワー……と音を立てながら溶かされていた。

 

 

「ふむ、どうやら弱いと思っておった魔物は本当に唯の魔物で、此奴の食料だった様じゃな……ご主人様よ、無限に再生されては敵わん。魔石はどこじゃ?」

「そういえば、透明のくせに魔石が見当たりませんね?」

 

 ティオの推測に頷きつつシアがソウゴを見るが、ソウゴは五属性の魔術を放ちつつ面白そうに驚きの事実を告げる。

 

「それだがな、彼奴はどうやら魔石が無いらしい」

 

 その言葉に、全員が目を丸くする。

「ソ、ソウゴくん? 魔石が無いって……じゃあ、あれは魔物じゃないって事?」

「さあな。だが事によっては、ここは既に腹の内かもしれんぞ?」

 

 ソウゴが愉快気に推測を話すと同時に、再び巨大クリオネが攻撃を開始した。今度は触手とゼリーの豪雨だけでなく、足元の海水を伝って魚雷の様に体の一部を飛ばしてきてもいる。

「"鏡火炎・放電(ヴァーリー)"」

 ソウゴは最前列に移動しながら腕を燃え盛る炎に変え、全方位に向けて火炎と雷撃を放つ。「熱っ!?」だの「痺れるのじゃ~!!」だの、何やら巻き込まれた様な悲鳴が聞こえるが無視する。

 

 狙うのは巨大クリオネ本体や触手や飛沫だけでなく、周囲の"壁"全てだ。

 

 巨大クリオネには擬態能力まであるのか、何の変哲もないと思っていた壁がソウゴの炎雷によって壁紙が剥がれる様にボロボロと燃え尽きていく。どうやら壁そのものが巨大クリオネという訳では無い様で、少しガッカリするソウゴ。

 

 しかし半透明のゼリーは全て出ていた訳ではないらしく、燃やしても燃やしても壁の隙間や割れ目から際限なく出現し、遂には足元からも湧き出した。ユエ達の靴底がジューッと焼ける様な音を立てる。

 

 ユエ達による攻撃も激しさを増し、巨大クリオネも愈々本気になってきたのか壁全体から凄まじい勢いで湧き出してきた。しかもいつの間にか水位まで上がってきており、最初は膝辺りまでだったのが、今や腰辺りまで増水してきている。ユエに至っては、既に胸元付近まで水に浸かっていた。

 

 

 ユエ達は何度も巨大クリオネを倒しているのだが、直ぐにゼリーが集まり終わりが見えない。

 

 ユエ達にとって、戦闘力を削がれる水中に没するのは非常に不味い。

 

 何せ、巨大クリオネには籠城が通用しないのだ。術で障壁を張ろうとも、殲滅方法が無くては何れ溶かされてしまう。

 

 

 故に、ここは一度離脱するべきかとソウゴは判断した。

 

 ソウゴからすれば自身の攻撃は通る上に水面を歩け、仮に水中でも全く問題は無い。しかし、この迷宮がライセンのミレディと同じ様に解放者本人が見ているという確証が無い以上、ソウゴだけで事を済ませて他の四人が認められなければ意味が無い。

 

 しかし離脱しようにも、全ての出入口はゼリーで埋まっている。ソウゴは周囲を見渡し、地面にある亀裂から渦巻きが発生しているのを発見した。

「一度態勢を立て直す。地面の下に空間があるが、どこに繋がっているかは知らん。覚悟を決めろ」

 

「んっ!」

「はいですぅ!」

「承知じゃ!」

「わかったよ!」

 

 全員の返事を受け取り、ソウゴは襲い来るゼリーを焼き払いながら、渦巻く亀裂に向かって"ソニックボレー"を放つ。

 

 

 次の瞬間、貫通した縦穴へ途轍もない勢いで水が流れ込んでいった。腰元まで上がってきていた海水がいきなり勢いよく流れ始め、ユエ達も足をさらわれて穴へと流されて来る。

 ソウゴは激流の中、まるで地上と変わらぬ様にユエ達と共に地下の空間へと流されていった。

 序に振り返り、空中に五行の式句を描く。

 

 炎系第五階梯闇術──"黒縄地獄(ブラックゲヘナ)"。

 

 地獄の黒炎を濃縮した火球を、巨大クリオネに向けて投げつける。

 

 背後でくぐもった爆音が響く。巨大クリオネの追撃が無くなった事を確認し、ソウゴは直ぐ様振り返り流されたユエ達の後を追った。

 

 

 

「けほっ、けほっ、うっ」

「無事か?」

「う、うん。何とか……皆は……」

 

 結構な量の海水を飲んでしまい咽ながら周囲を見渡す香織の目には、自分の腰に手を回して抱きしめるソウゴの姿と真っ白な砂浜が映っていた。

周囲にはそれ以外何もなく、ずっと遠くに木々が鬱蒼と茂った雑木林の様な場所が見えていて、頭上一面には水面が揺蕩っていた。広大な空間である。

 

「逸れたらしいな……まぁ自分でどうにでもするだろう」

「……うん」

 

 香織の腰から手を離して興味が無い様に軽く言うソウゴだったが、香織はどこか沈んだ表情だ。

 

 香織は隣で立ち上がり何処からか焼き魚を取り出すソウゴの姿を見ながら、つい先程の出来事を思い出していた。

 

 

 

 巨大クリオネから戦略的撤退を図ったソウゴ達。

 

 彼等が落ちた場所は巨大な球体状の空間で何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海水が噴き出し、或いは流れ込んでいて、まるで嵐の様な滅茶苦茶な潮流となっている場所だった。

 

 その激流に翻弄されながらも何とか近くにいる仲間の傍に行こうとするユエ達だったが、潮流は容赦無く彼女達を引き離していった。ユエが魔術で水流操作を行うが、流れがランダム過ぎて思う様にいかない。シアが体重操作とドリュッケンの重さを利用して、何とかティオと合流したのはファインプレーと言えるだろう。

 

 

 本当なら即座に全員を回収するのは容易いが、最近甘やかし過ぎかと考えるソウゴ。激流の中とは思えない程に動かないソウゴは、緊急時の各々の行動を確かめる為視線を走らせる。

 

 その矢先、運良くユエが流れてくるのが見えた。このまま行けば、ソウゴとかち合い合流する事が出来るだろう。既にシアとティオは何処かの穴に流された様で、空間内に姿が見えない。

 そしてその視界に、下方を流れていこうとしている香織の姿を捉えた。苦しげな香織の視線とソウゴの視線が絡む。前方には手を伸ばした先にユエがいて、やはりソウゴと視線が絡んだ。

 

 二択だ。

 

 ユエを捕まえれば、香織は恐らく一人で何処かの穴に流されるだろう。そして、香織を捕まえた場合も然り。二人の実力差を鑑みれば、迷う必要は無かった。

 

 ソウゴは水を蹴り、一気に加速する。そして流れてきた香織を、確りとキャッチした。香織が驚いた様に目を見開くが、直ぐにそんな事をしていられない程の激流にさらされ、二人は一緒に一つの穴に吸い込まれるように流されていった。

 

 流されている間、ソウゴは腕の中に香織を庇いつつ、岩壁やら流れる障害物やらを利用して加速し続ける。そして水流が弱まったところで上方に光が見え、一気に浮上した。

 

 するとそこは、今現在いる真っ白な砂浜が広がるこの海岸線だったというわけだ。

 

 

「……ねぇ、ソウゴくん。どうして……私を助けたの?」

「……どうした急に」

 食事を続けるソウゴに香織がポツリと疑問を溢す。ソウゴは、いきなり何だ? と首を傾げた。

 

「どうして、ユエじゃなくて私を助けたの?」

「"貴様の方が弱いから"、という答えを態々聞きたかったのか?」

「そう、かも……信頼してるんだね、ユエの事」

「信頼か……、確かに私を裏切らないという意味ではそうだろうが、今回のは只の客観的事実だ。そして、私とユエの関係がそう見えるなら……それこそまだ未熟だという証拠だ」

「……」

 

 沈んだ表情で先程までの回想をしつつ質問をして、更に沈んだ香織。不意に、俯く香織に影が差した。

 「何だろう?」と香織が顔を上げると、間近い場所にソウゴの顔があった。本当に目と鼻の先だ。もうちょっと近づけばキスが出来そうな距離である。香織が吸い寄せられる様にソウゴの瞳を見つめていると、突然その両頬がグニィ~と引っ張られた。

 

「いふぁいよ! なにひゅるの!?」

 

 香織が涙目で抗議の声を上げる。

 しかしソウゴはそんな香織の抗議をさくっと無視して、暫くの間彼女の柔らかな頬を存分に弄んだ。漸く解放され、赤くなった頬を両手でさすりながら恨めしげに見上げてくる香織に、ソウゴは「はぁ…」と溜息を漏らす。

 

「理由は察せないでもないが、落ち込んでいる暇があったら行動を起こせ。ここは大迷宮だぞ、何時までその姿でいるつもりだ? 同情でも引けると思ったか?」

 

 ソウゴの辛辣とも言える言葉に香織の顔が一瞬で真っ赤に染まる。それは羞恥だ。言外に、やっぱりここにいるのは場違いじゃないか? と言われた気がしたのだ。

 

「そ、そんな訳無いよ! ちょっとボーッとしちゃっただけ。そ、その……すぐ着替えるから。ごめんね」

「……」

 

 香織は、急いで立ち上がり、エリセンを出る前にソウゴから全員に贈られた複製版宝物庫から替えの衣服を取り出して服を脱ぎ始めた。さりげなく目を瞑るソウゴ。普段の香織なら、恥ずかしくはあるものの「見てもいい」位の事は言ってアプローチするのだが、今は何だかそんな気になれず、そそくさと着替えを終える。

 

 因みに、何故かソウゴはあの激流にもまれたというのに一切濡れていなかった。

 

 

「で、出来たよ……それで、これからどうするの?」

「無論、進む以外の選択肢は無かろう。何の為にここに来たと思っている」

 遠くに見える密林を眺めながら、ソウゴが振り返る。香織は沈んだ心を悟られない様に、笑みを浮かべ頷いた。そんな香織の笑顔にソウゴは少し目を細めたが、結局小さく鼻を鳴らすだけで何も言わずに歩き出した。

 

 真っ白な砂浜をシャクシャクと踏み鳴らしながら暫く進み、二人は密林に入る。鬱蒼と茂った木々や草を、ソウゴがバッサバッサと切り裂いていく。香織はその後ろをついていくだけだ。

 とその時、ソウゴが突然立ち止まりくるりと香織に振り返ると、突然突き刺す様な速度で片手を香織に伸ばした。

 

「ソ、ソウゴくん!?」

 

 驚愕する香織だったが、直撃するかと思われたソウゴの手は顔のすぐ横を通り抜けた。香織は恐る恐るその先に視線を向け、一瞬で蒼褪めた。

 

 

 それは蜘蛛だった。手の平にすっぽり収まる程度の大きさで、合計十二本の足をわしゃわしゃと動かし紫の液体を滴らせている。足は通常のものと背中から生えているものがあって、「両面どちらでもいけます!」と言いたげな構造だ。激しく気持ち悪い。それが、ソウゴ赤く染まった爪に貫かれていた。

 

 

「油断するな。大迷宮はオルクスの表層とは訳が違う、同じ様な認識では痛い目をみるぞ?」

「う、うん。ごめんね。もっと気をつける」

「……」

 

 ソウゴが刺した蜘蛛は魔石を持っておらず、普通にキモくて毒を持っているだけの蜘蛛だった。魔物でもない生き物に殺されかけたという事実が、そしてその尻拭いをソウゴにしてもらったという事が、更に香織を凹ませた。

 

 

 光輝達といた時はそれはもう八面六臂の活躍だったのに、ソウゴ達のパーティでは、まるで役に立てていない。それが、少しずつ香織の中に焦りを生んでいく。

 

 香織は、今まで以上に集中した様子で辺りを警戒し、そのせいか会話も少なく、二人は微妙な雰囲気で密林を抜けた。

 

 その先は……

 

 

「これは……船の墓場か?」

「すごい……帆船なのに、なんて大きさ……」

 

 密林を抜けた先は岩石地帯となっており、そこには夥しい数の帆船が半ば朽ちた状態で横たわっていた。そのどれもが、最低でも百メートルはありそうな帆船ばかりで、遠目に見える一際大きな船は三百メートル位ありそうだ。

 

 香織は思わず足を止めてその一種異様な光景に見入ってしまった。しかしいつまでもそうしているわけにも行かず、香織は気を取り直すと、既に歩みを進めるソウゴを追って船の墓場へと足を踏み入れた。

 

 岩場の隙間を通り抜け、或いは乗り越えて、時折船の上も歩いて先へと進む。どの船も朽ちてはいるが触っただけで崩壊する程では無く、一体何時からあるのか判断が難しかった。

「それにしても……戦艦ばかりだな」

「うん。でも、あの一番大きな船だけは客船っぽいよね。装飾とか見ても豪華だし……」

 

 墓場にある船には、どれも地球の戦艦(十五~六世紀、所謂大航海時代のそれ)の様に横腹に砲門が付いている訳では無かった。しかし、それでもソウゴが戦艦と断定したのは、どの船も激しい戦闘跡が残っていたからだ。見た目から言って、魔術による攻撃を受けたものだろう。スッパリ切断されたマストや焼け焦げた甲板、石化したロープや網等が残っていた。

 大砲という物が無いのなら、遠隔の敵を倒すには魔術しかなく、それらの跡から昔の戦闘方法が想像出来た。

 

 そしてその推測は、ソウゴ達が船の墓場の丁度中腹に来たあたりで事実であると証明された。

 

 

 ──うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

 ──ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 

「急に騒々しくなったな……」

「ソウゴくん! 周りがっ!」

 

 突然大勢の人間の雄叫びが聞こえたかと思うと、周囲の風景がぐにゃりと歪み始めた。

 ソウゴ達が何事かと周囲を見渡すが、そうしている間にも風景の歪みは一層激しくなり──気が付けば、ソウゴ達は大海原の上に浮かぶ船の甲板に立っていた。

 

 そして周囲に視線を巡らせば、そこには船の墓場などなく、何百隻という帆船が二組に分かれて相対し、その上で武器を手に雄叫びを上げる人々の姿があった。

 

「ソ、ソ、ソウゴくん? 私、夢でも見てるのかな? ソウゴくん、ちゃんとここにいるよね? ね?」

「大規模な幻術の類か? 中々凝った仕掛けだな」

 

 香織は度肝を抜かれてしまい、何とか混乱しそうな精神を落ち着かせながら周囲の様子を見る事しか出来ない。一方ソウゴは、不安そうな香織の疑問を無視して目の前の光景の仕組みを看破する。

 

 そうこうしている内に大きな火花が上空に上がり、花火の様に大きな音と共に弾けると何百隻という船が一斉に進み出した。ソウゴ達が乗る船と相対している側の船団も花火を打ち上げると一斉に進み出す。

 そして一定の距離まで近づくと、そのまま体当たりでもする勢いで突貫しながら、両者とも魔術を撃ち合いだした。

 

「きゃあ!」

 

 轟音と共に火炎弾が飛び交い船体に穴を穿ち、巨大な竜巻がマストを狙って突き進み、海面が凍りついて航行を止め、着弾した灰色の球が即座に帆を石化させていく。

 ソウゴ達の乗る船の甲板にも炎弾が着弾し、盛大に燃え上がり始めた。船員が直ちに魔術を使って海水を汲み上げ消火にかかる。

 

 

 戦場──文字通り、この夥しい船団と人々は戦争をしているのだ。放たれる魔術に込められた殺意の風が、ぬるりと肌を撫でていく。ソウゴにとっては見慣れた光景だ。

 

 

 その様子を呆然と見ていた香織とソウゴの背後から再び炎弾が飛来した。放っておけばソウゴ達に直撃コースだ。

 

 たとえ直撃したとしても香織は兎も角ソウゴは痛痒も感じないだろうが、逆に言えば香織は大なり小なりダメージを受ける事になる為、ソウゴは炎弾を迎撃すべく適当にデコピンを放った。

 

 炸裂音と共に衝撃波となって飛翔した風圧は、しかし全く予想外な事に炎弾を迎撃するどころか直撃したにも関わらず、そのまますり抜けて空の彼方へと消えていってしまった。

 

「む? ……あぁ成程、そういう仕組みか。ならば……」

 

 一瞬疑問を覚えるが、直ぐにそのトリックを理解した様でその指先に蒼炎を灯し弾丸の様に飛ばすソウゴ。すると今度は寸分の狂い無く、炎弾を相殺する。

 

「えっと、ソウゴくん? 今のは……」

「どうやら、ただの幻覚では無いが、現実という訳でも無い様だ。実体のある攻撃は効かないが、魔力を伴う等の特殊攻撃は有効らしい。タネが分かればどうという事も無いな」

 

 ソウゴが香織につまらなそうに説明していると、すぐ後ろで「ぐぁああっ!」と苦悶の声が上がった。何事かと振り返ると、年若い男がカットラスを片手に腹部を抑えて蹲っていた。見れば足元に血溜りが出来ており、傍らには血濡れの氷柱が転がっている。恐らく被弾したのだろう。

 

 咄嗟に香織は、「大丈夫ですか!?」と声を掛けながら近寄り、回復魔術を行使した。彼女の放つ白菫の光が青年を包み込む。香織の"治癒師"としての腕なら瞬く間に治る筈だ……と思われたが、結果は予想外。青年は香織の回復魔術をかけられた瞬間、淡い光となって霧散してしまった。

「え? えっ? ど、どうして……」

 混乱する香織に、ソウゴは蒼炎を纏った四肢で攻撃を捌きながら告げる。

 

「魔力さえ伴っていれば、属性や効果は関係無いのだろう」

「……それじゃあ、わ、私……あの人を殺し……」

「馬鹿者、所詮は幻に過ぎん。それに、私の供をしたいなら慣れておけ」

「ソウゴくん……うん、そうだね。ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃったけど、もう大丈夫」

 ソウゴの淡々としながら香織を叱咤する言葉に、しかし香織はいつもの様に喜ぶでもなく、ただ申し訳なさそうに肩を落とした。そして、直ぐに笑顔を取り繕う。そんな香織に、ソウゴは思わず先程から思っていた事をポツリと呟いた。

 

「……辛気臭い表情を浮かべよって」

「えっ? 何か言った?」

「いや、何でもない」

 

 ソウゴが香織から視線を外す。

 

 

 香織との間に微妙な空気が流れそうだったからではなく、不穏な気配を感じたからだ。周囲を見渡せば、いつの間にかかなりの数の男達が暗く澱んだ目でソウゴと香織の方を見ていた。

 香織がソウゴの視線に気が付き同じ様に視線を巡らせた直後、彼等はソウゴ達に向かって一斉に襲いかかってきた。

 

「全ては神の御為にぃ!」

「エヒト様ぁ! 万歳ぃ!」

「異教徒めぇ! 我が神の為に死ねぇ!」

 

 そこにあったのは狂気だ。血走った眼に、唾液を撒き散らしながら絶叫を上げる口元。真面に見れたものではない。

 

 

 相対する船団は明らかに何処かの国同士の戦争なのだろうと察する事が出来るが、その理由も分かってしまった。

 

 ──これは宗教戦争なのだ。

 

 よく耳を澄ませば、相対する船団の兵士達からも同じ様な怒号と雄叫びが聞こえてくる。ただ、呼ぶ神の名が異なるだけだ。

 

 

 その狂気に気圧されて香織は呆然と立ち尽くす。

 

 ソウゴは香織を庇いつつ、指先の蒼炎を振るう。

 

 ソウゴが放ったのは、オルクスでトラウムソルジャーを焼いた"積尸気鬼蒼炎"。死霊系統の魔物であるトラウムソルジャーは勿論だが、この様な霊体の相手には積尸気は滅法有利なのだ。

 

 燃え盛る様に広がった蒼炎は、一瞬で狂気を瞳に宿しカットラスを振り上げる兵士達を飲み込む。

「香織、少し衝撃が来るが耐えろよ」

「えっ?」

 ソウゴは一言断りを入れ、指を鳴らして"積尸気魂葬波"を発動する。

 

 

 霊魂を火薬に見立てて爆破するこの技は、相手が霊的存在に近い程その破壊力が増すという特性がある。

 

 つまり、この様な状況ではこの上ない程有用な技なのだ。蟹座万歳である。

 

 

 四方八方から突如爆発が起こり、余りの勢いと衝撃に香織から悲鳴が上がる。

 

「きゃああああっ!?」

 

 ソウゴはさり気なく香織にダメージが行かない様に"赤の護法印(レッドヘクス)"を纏わせつつ、その体を抱き上げて跳び上がり、監視役の兵士を蹴り落とし四本あるマストの内の一本にある物見台に着地した。

 

 下方で、狂気に彩られた兵士達が血走った眼でソウゴ達を見上げている。

 

 今の今まで敵国同士で殺意を向け合っていたというのに、どういう訳か一部の人間達がソウゴと香織を標的にしている様だった。しかも、二人を狙う場合に限って敵味方の区別なく襲ってくるのだ。その数も、まるで質の悪い病原菌に感染でもしているかの様に次々と増加していく。

 一瞬前まで目の前の敵と相対していたというのに、突然動きを止めるとグリンッ! と首を捻ってソウゴ達を凝視し、直後に群がって来る光景は軽くホラーだ。狂気に当てられた香織など、既に真っ青になっている。

 

「さて、香織よ。この三文芝居が如き再現劇の終点はどこだと思う?」

「……どこかに脱出口がある……とか?」

「大海原の真っ只中にか?」

「……船のどれかが、脱出口になっていたりしないかな?」

 

 香織の答えを聞きつつ、ソウゴは周囲を見回す。

 

「総数は大体六百隻程度……一つ一つ探すのは手間だな。戦争が終わる方が早かろう」

「う~ん、確かに。沈んじゃう船もあるだろうし……じゃあ、戦争を終わらせる……とかかな?」

「終わらせる……まぁそれが妥当なところだろうな。では香織、今から私は広域殲滅を行う。余波を食らわん様に精々障壁を張っておけ」

「わ、分かったよ!」

 

 ソウゴの言葉に、震える体を叱咤して決然とした表情で詠唱を始める香織。狂気が吹き荒れる戦場は、香織の精神を掘削機のように削り取っているのだろうが、隣にいる想い人に無様を見せたくない一心で気丈に振舞う。

 

 そんな彼女を極力巻き込まない様に、ソウゴは空中に飛び周囲を睥睨した。

 

 眼下を見れば、そこかしこで相手の船に乗り込み敵味方混じり合って殺し合いが行われていた。ソウゴ達が攻撃した場合と異なり、幻想同士の殺し合いではきっちり流血するらしい。

 甲板の上には誰の物とも知れない臓物や欠損した手足、或いは頭部が撒き散らされ、かなりスプラッタな状態になっていた。誰も彼も、「神の為」「異教徒」「神罰」を連呼し、眼に狂気を宿して殺意を撒き散らしている。

 

 兵士達の鮮血が海風に乗って桜吹雪の様に舞い散る中、マストの上の物見台にいるソウゴ達にも……否、寧ろソウゴ達を狙って双方の兵士が襲いかかった。

 その途端、ソウゴから山吹色の閃光が爆発的に迸る。

 

「"スピアートリリオン"」

 

 それは雨の如く降り注ぐ、灼熱の死槍。

 

 

 灼熱系上級呪文"ベギラゴン"を圧縮し、それを千本の針として撃ち出す技・"ニードルサウザンド"。

 

 それをソウゴ流にアレンジしたのが"スピアートリリオン"。

 

 ギラ系最上位呪文である"ギラグレイド"を圧縮し一兆の槍として射出するこの技は、ソウゴの事前注意通り上下前後左右ありとあらゆる方向へ降り注ぎ、戦場の端から端まで兵士達を艦ごと焼滅させる。今回はおまけとばかりに積尸気も混ぜてあるので効果は抜群だ。

 

 

 物理攻撃が一切通用せずどの様な攻撃にも怯まない狂戦士の大群と船の上で戦わなければならないという状況は、普通なら相当厳しいものなのだろうがここにいるのはチートと、そのチートすら容易く凌駕する大魔王。

 

 

 二国の大艦隊は、その大魔王のたった一撃で殲滅されたのだった。

 

 

 

「……うっ、げほぉ、かふっ、ごめ──」

「いい、我慢するな」

 

 

 兵士達を消滅させた直後、再び周囲の景色がぐにゃりと歪み、気が付けばソウゴ達は元の場所に戻っていた。

 

 やはり殲滅で正解だったかと納得した直後、香織は近くの岩場に駆け込み胃の中のものを吐き出し始めた。夕食は消化された後なので吐けるものがなく、一層苦しそうに嘔吐いている。

 

 目尻に涙を溜めながら、香織は片手で「来ないで」とソウゴに制止をかけた。

 

 しかしソウゴはお構い無しに近寄り、香織の背を摩る。想い人に無様を見られたくない香織だったが、背中に伝わる優しく温かい感触が心地良くて、気づけば身を委ねていた。いつの間にか、荒れた精神も強烈な吐き気も静まっている。

 

 ソウゴが宝物庫から取り出したリンゴジュースの様な飲み物を受け取り、素直にコクコクと飲むと活力も戻ってきた様だ。甘く爽やかな味が、胃液の苦さを洗い流した。

「ごめんね……」

 面倒を掛けて申し訳ないと眉を八の字にして謝罪する香織に、ソウゴは目を細める。

「構わん。今回に限っては、慣れてなければああなるのも無理あるまい。……だがよく覚えておけ、神に縋り全てを委ねた人間の狂気を。私に付いてくる限り、あの様な人間を相手にする可能性がある事を」

「……うん。ねぇ、ソウゴくん。あれは何だったのかな? ここにある廃船と関係あるよね?」

 

 立ち上がり近くの岩場に腰掛けながら、香織が問いかける。ソウゴは適当な果実を齧りながら自身の推測を話した。

 

「恐らくだが、嘗ての戦争を再現したんだろう。そこへ迷宮の挑戦者を襲うという改良を加えたという形なら……、これがこの迷宮のコンセプトなのであろうな」

「コンセプト?」

「ああ。【グリューエン大火山】でティオが推測しておってな。『大迷宮には其々、その地の解放者達が用意したコンセプトがあるんじゃないか?』とな。その推測について、私は十中八九間違い無いと踏んでいる。ならばここは……」

「……"狂った神が齎すものの悲惨さを知れ"、かな?」

「そんなところだろう」

 

 ソウゴの言葉を引き継ぎ答えを呟いた香織は、先程までの光景を思い出して再び寒気に襲われた様に体をぶるりと震わせながら顔を蒼褪めさせた。

 

 香織が吐き気を催す程精神を苛んだのは、兵士達の狂気だ。"狂信者"という言葉がぴったり当て嵌まる彼等の言動が、思想が、そしてその果ての殺し合いが気持ち悪くて仕方なかったのだ。

 

 狂気の宿った瞳で体中から血を噴き出しながらも哄笑し続ける者や、死期を悟ったからか自らの心臓を抉り出し神に捧げようと天に掲げる者、ソウゴ達を殺す為に弟ごと刺し貫こうとした兄と、それを誇らしげに笑う弟。戦争は狂気が満ちる場所なのだろうが、それにしても余りに凄惨だった。その全てが"神の御為"というのだから、尚更……

 

 口元を抑えて俯く香織を見かねて、ソウゴは香織のすぐ隣に腰掛けるとその頭を撫でた。狂気に呑まれそうになっている人間を繋ぎ止めるには、こういう手段が最適だ。

 香織は少し驚いた様にソウゴを見ると、次いで嬉しそうに頬を緩めてギュッと手を握り返した。

 

「ソウゴくん、ありがと……」

「気にするな。迷う子を導くのは、大人の務めだからな」

「ふふっ、流石不老不死。でも、ソウゴくん自身は経験ある?」

「どうだろうな。失意で投げやりになった事はあるが、狂気に飲まれそうになった経験は覚えが無いな。無論、光景としては何度も見たが」

 

 ポケットの中を探る様に不思議そうな、そして苦い経験を思い出したのか渋い顔をするソウゴ。きっと、香織には想像もつかない様な壮大で長大な日々を思い出しているのだろう。その表情を見て、香織の胸が締め付けられる。

 

「強いなぁ。ソウゴくんについていけば、私もユエ達と同じ目線に立てるかと思ったけど……全然届かないや。って言っても、私じゃ最初から何が出来たか分からないけどね……。あ~、ユエ達は強敵だなぁ~」

 

 おどけた様に笑う香織に、ソウゴはまた目を細めた。香織の笑顔が、ソウゴの知る温和な笑みではなく、多分に自虐や自嘲が入ったものだったからだ。

 

「自覚が無いのか? ここに来てから、強がる様な笑みばかりしているぞ」

「え? えっと……」

 

 突然のソウゴの言葉に、香織は頭に"?"を浮かべる。しかし次ぐソウゴの言葉で、笑みが崩れ一気に表情が強ばった

 

「……なぁ、白崎香織。貴様、何故付いて来たんだ?」

「……それは、やっぱり邪魔だって事かな?」

 

 ソウゴは俯いてしまった香織に、溜息を吐くと質問にも答えながら話し出す。

 

「貴様が足手纏いなのは前提だ、今更気にしやしない。私が言っているのは貴様の心情の話だ。オルクスに潜る前日、私の居室で紅茶擬きを飲みながら話をした事は一応覚えている。だから正直、この私に好意を寄せる事が不思議でならない」

「ソウゴくん、私は……」

「否定するつもりは無い。私にだけ見えるものがある様に、きっと貴様にしか見えないものがあるのだろう。その上の決断を否定するなんぞ無粋だからな。私は既に答えを示した、"それでも"というなら好きにすればいい。ユエもシアも似た様なものだ」

 

 常日頃からしつこく狙ってくる二人が脳裏に浮かび、鬱陶し気な顔になるソウゴ。そんなソウゴを見て、香織は苦笑い気味になる。

「……ソウゴくんにとっては、あの二人も私と同じ扱いなんだ」

「あぁ。実のところ、私にとって足手纏いという意味では、貴様も他の三人も同列だ」

 そんな驚く様な言葉を吐きながら、ソウゴは三人の問題点を挙げる。

 

 

「ユエは術の向上や作成などは熱心ではあるが、やはりどこかに天才だという驕りが見える。余裕と油断の区別がついてないのだろうな。それに一番の課題である、近接戦の訓練がおざなりなのも一目で分かる。私の配下というには、二流未満が精々だ」

 

「シアは未だ満足に覇気すら使えん時点で話にならん。"八門遁甲"とは言わずとも"六式"や"獣拳"、"五星拳"の初歩程度使えなければ兵士どころか使用人すら務まらん。まだ学生達の方が一段も二段も上手な位だ」

 

「ティオも問題は多い。伸び代はあるが、やはり種族トップの実力という事実が腕を腐らせる。それに竜に変化したところで、奴は私から見れば小型サイズだ。上位の竜種や龍、ましてや古龍や騎士・貴族が相手では塵芥に等しい」

 

「……」

「だが奴等は、私が厳しく接しても、その事実を伝えても、それを理解した上であの調子だ。前を向くことを止めたりはしない。今の貴様の様に劣等感に苛まれて、卑屈になったりはしない」

「わ、私、卑屈になんて……」

 

 ソウゴの言葉を黙って聞いていた香織は、耐えかねた様に反論するが、それも力は無く直ぐに尻すぼみになっていく。

 

「気がついているか? ここに来てから、事ある毎に謝ってばかりだという事に。笑い方が、以前と全然違う事に」

「え?」

「下を向くな。顔を上げて私を見ろ」

 

 そう言われて香織は、自分がずっと俯いていた事に今更ながらに気が付いた。以前は話をする時は、きちんと相手の目を見て話していたというのに……

 香織はハッとしてソウゴと目を合わせた。

 

 

「いいか、もう一度言うぞ。私は、決して貴様等を選ばん。"追従"は許しても、"隣に立つ"事を許すのは永遠に王妃ただ一人よ。その事に辛さしか感じないなら、そして遠く及ばんユエすらも比べて卑屈にしかなれないなら……白崎香織、貴様は疾く失せよ」

「ッ……」

 

 はっきりと告げられた言葉に、香織は再び俯いてしまう。それを見ながら、ソウゴは言葉を重ねた。

 

「あの時貴様の同行を認めたのは、ユエ達と同じで、私の傍にいるという決断が香織にとって最善だと、貴様自身が信じていたからだ。私の言葉を理解した上で、"それでも"と願い真っ直ぐ前を向いたからだ。それなら構わないと、好きなだけ傍にいればいいと、そう判断した。気になる事もあった故な。……だが今は、とてもそう思えん」

 

 ソウゴは一度言葉を切ると、俯いてしまった香織から手を離し、最後の言葉を紡いだ。

 

「もう一度、よく考えろ。何故付いて来たのか、これからも傍にいるべきなのか……貴様は二人とは違う。奴等は、互いの事も好きだからな。……場合によっては、八重樫雫の下に送り返す」

「わ、私……」

 

 香織は離された手を見つめながら何かを言おうとするが、やはり言葉にならなかった。

 

 気まずい雰囲気のまま、それでも前に進まねばならないとソウゴは香織を促し、一番遠くに鎮座する最大級の帆船へと歩みを進めた。

 

 

 ソウゴと香織が見上げる帆船は、地球でもそうそうお目にかかれない規模の本当に巨大な船だった。

 

 全長三百メートル以上、地上に見える部分だけでも十階建て構造。そこかしこに荘厳な装飾が施してあり、朽ちて尚見る者に感動を与える程の豪華客船。

 香織はただ呆けている様だったが、ソウゴは「木造の船でよくもまぁ、これ程の船を仕上げたものだ」と、この手の物を思案・製造指示を出す目線から半感半呆の目を向けていた。

 

 ソウゴは香織を抱えると舞空術を使って飛び上がり、豪華客船の最上部にあるテラスへと降り立った。

 

 すると案の定、周囲の空間が歪み始める。

 

「またか……気をしっかり持て。どうせ碌な光景じゃない」

「……うん。大丈夫だよ」

 

 テンポの遅い香織の返事に、ソウゴは「先程の指摘は迷宮攻略中に言う事では無かったか」と軽く後悔した。

 

 

 明らかに、香織のテンションがダダ下がりである。言わなければならない事だったと確信しているが、もう少しタイミングというものがあったかもしれない。

 

 香織の浮かべる笑みが、ソウゴの認識しているものと余りに異なり見ていられなくなったのだが……

 

 せめて【メルジーネ海底遺跡】を攻略するまで我慢すべきだった……かもしれないとソウゴは頬をカリカリと掻きながら思った。

 

 

 常日頃から、幼少期より自分の事を知っている者達に囲まれて過ごしているソウゴの悪い癖だ。

 

 

 そうこうしている内に周囲の景色は完全に変わり、今度は海上に浮かぶ豪華客船の上にいた。

 

 時刻は夜で、満月が夜天に輝いている。豪華客船は光に溢れキラキラと輝き、甲板には様々な飾り付けと立食式の料理が所狭しと並んでいて、多くの人々が豪華な料理を片手に楽しげに談笑をしていた。

 

「パーティ……だよね?」

「ああ。随分と煌びやかだが……」

 

 予想した様な凄惨な光景とは程遠く肩透かしを食った様な気になりながら、その煌びやかな光景を二人は恐らく船員用の一際高い場所にあるテラスから、巨大な甲板を見下ろす形で眺めていた。

 

 するとソウゴ達の背後の扉が開いて船員が数名現れ、少し離れた所で一服しながら談笑を始めた。休憩にでも来たのだろう。

 

 その彼等の話に聞き耳を立ててみたところ、どうやらこの海上パーティは終戦を祝う為のものらしい。長年続いていた戦争が、敵国の殲滅や侵略という形ではなく、和平条約を結ぶという形で終わらせる事が出来たのだという。船員達も嬉しそうだ。よく見れば、甲板にいるのは人間族だけでなく、魔人族や亜人族も多くいる。その誰もが、種族の区別無く談笑をしていた。

 

「こんな時代があったんだね」

「終戦の為に奔走した者達の、血と努力の結晶というやつだろう。終戦からどの程度経っているか知らんが……」

「きっと、あそこに居るのは、その頑張った人達なんじゃないかな? 皆が皆、直ぐに笑い合えるわけじゃないだろうし……」

「まぁ、当事者なのは間違いあるまい」

 

 楽しげで晴れやかな人々の表情を見ていると、香織は自然と頬が緩んだ。しかしソウゴは、どこか目前の光景に胡散臭い気配を感じ、目を鋭く細める。

 

 

 暫く眺めていると、甲板に用意されていた壇上に初老の男が登り、周囲に手を振り始めた。それに気がついた人々が、即座におしゃべりを止めて男に注目する。彼等の目には一様に、敬意の様なものが含まれていた。

 

 初老の男の傍には側近らしき男と、何故かフードをかぶった人物が控えている。時と場合を考えれば失礼に当たると思うのだが……しかし、誰もフードについては注意しない様だ。

 

 やがて、全ての人々が静まり注目が集まると、初老の男の演説が始まった。

 

「諸君。平和を願い、その為に身命を賭して戦乱を駆け抜けた勇猛なる諸君。平和の使者達よ。今日この場所で、一同に会す事が出来た事を誠に嬉しく思う。この長きに渡る戦争を私の代で、しかも和平を結ぶという形で終わらせる事が出来た事、そしてこの夢の様な光景を目に出来た事……私の心は震えるばかりだ」

 そう言って始まった演説を誰もが身動ぎ一つせず聞き入る。

 

 演説は進み、和平への足がかりとなった事件やすれ違い、疑心暗鬼、それを覆す為にした無茶の数々、そして道半ばで散っていった友……

 

 演説が進むに連れて皆が遠い目をしたり、懐かしんだり、目頭を抑えて涙するのを堪えたりしている。

 

 

 どうやら初老の男は、人間族のとある国の王らしい。人間族の中でも、相当初期から和平の為に裏で動いていた様だ。人々が敬意を示すのも頷ける。

 

 

 演説も遂に終盤の様だ。どこか熱に浮かされた様に盛り上がる国王。場の雰囲気も盛り上がる。しかしソウゴはそんな国王の表情を見た途端、「成程、悪趣味な事だな……」と呟き目を伏せた。

 それに香織が疑問符を浮かべ質問しようとしたところで、国王の次の言葉が紡がれる。

 

 

「──こうして和平条約を結び終え、一年経って思うのだ。……実に、愚かだったと(・・・・・・)

 

 

 国王の言葉に一瞬、その場にいた人々が頭上に"?"を浮かべる。聞き間違いかと隣にいる者同士で顔を見合わせる。その間も、国王の熱に浮かされた演説は続く。

 

「そう、実に愚かだった。獣風情と杯を交わす事も、異教徒共と未来を語る事も……愚かの極みだった。分かるかね、諸君。そう、君達の事だ」

「い、一体、何を言っているのだ! アレイストよ! 一体、どうしたと言う──ッがはっ!?」

 

 

 国王アレイストの豹変に、一人の魔人族が動揺した様な声音で前に進み出た。そしてアレイスト王に問い詰めようとして……結果、胸から剣を生やす事になった。

 

 刺された魔人族の男は肩越しに振り返り、そこにいた人間族を見て驚愕に表情を歪めた。その表情を見れば、彼等が浅からぬ関係である事が分かる。本当に、信じられないと言った表情で魔人族の男は崩れ落ちた。

 

 場が騒然とする。「陛下ぁ!」と悲鳴が上がり、倒れた魔人族の男に数人の男女が駆け寄った。

 

「さて、諸君。最初に言った通り、私は諸君が一同に会してくれ本当に嬉しい。我が神から見放された悪しき種族如きが国を作り、我ら人間と対等のつもりでいるという耐え難い状況も、創世神にして唯一神たる"エヒト様"に背を向け、下らぬ異教の神を崇める愚か者共を放置せねばならん苦痛も、今日この日に終わる! 全てを滅ぼす以外に平和などありえんのだ! それ故に、各国の重鎮を一度に片付けられる今日この日が、私は堪らなく嬉しいのだよ! さぁ、神の忠実な下僕達よ! 獣共と異教徒共に裁きの鉄槌を下せぇ! ああ、エヒト様! 見ておられますかぁ!!!」

 

 膝を付き天を仰いで哄笑を上げるアレイスト王。彼が合図すると同時に、パーティ会場である甲板を完全に包囲する形で船員に扮した兵士達が現れた。

 

 甲板は、前後を十階建ての建物と巨大なマストに挟まれる形で船の中央に備え付けられている。なので、テラスやマストの足場に陣取る兵士達から見れば、眼下に標的を見据える事なる。海の上で逃げ場もない以上、地の利は完全に兵士達側にあるのだ。それに気がついたのだろう。各国の重鎮達の表情は絶望一色に染まった。

 

 次の瞬間、遂に甲板目掛けて一斉に魔術が撃ち込まれた。下という不利な位置にいる乗客達は必死に応戦するものの……一方的な暴威に晒され抵抗虚しく次々と倒れていった。

 

 何とか船内に逃げ込んだ者達もいる様だが、殆どの者達が息絶え、甲板は一瞬で血の海に様変わりした。ほんの数分前までの煌びやかさが嘘の様だ。海に飛び込んだ者もいるようだが、そこにも小舟に乗った船員が無数に控えており、やはり直ぐに殺されて海が鮮血に染まっていく。

 

 

「うっ!」

「……"ハイエスト・アルティテュード"」

 

 

 吐き気を堪える様に、香織が手すりに身を預け片手で口元を抑えた。余りに凄惨な光景だ。

 するとソウゴはそんな香織を気遣ったのか、それとも単に自身が気に喰わなかったのか、片手を掲げその手中に紫の雷を束ねる。

 

 

 その紫雷の光槍は部下を伴って船内へ向かうアレイスト王に向けて投げられ、一瞬で周囲の海域ごと衝撃に飲み込まれていく。

 

 

 その時ふと、フードの人物が甲板を振り返った。その拍子に、月の光を反射してキラキラと光る銀髪が一房、フードの裾から零れた──様にソウゴには見えた。

 

 そしてソウゴはそれを、つい最近どこかで見た気がした。

 

 

 

 再生の終わりを待たず、ソウゴの攻撃で周囲の景色がぐにゃりと歪む。どうやら先程の映像を見せたかっただけらしく、ソウゴと香織は元の朽ちた豪華客船の上に戻っていた。

 

「香織、少し休め」

「ううん、大丈夫だよ。ちょっと、キツかったけど……それより、あれで終わりかな? 私達、何もしてないけど……」

「この船の墓場は、ここが終着点だ。結界を超えて海中を探索して行く事は出来るが……普通に考えれば、深部に進みたければ船内に進めという事であろう。あの光景は、見せる事そのものが目的だったかもしれん。神の凄惨さを記憶に焼き付けて、その上でこの船を探索させるというな」

 

 この世界の人々はその殆どが信仰心を持っている筈であり、その信仰心の行き着く果ての惨たらしさを見せつけられては相当精神を苛むだろう。そして、この迷宮は精神状態に作用されやすい術の力が攻略の要だ。

 ある意味、【ライセン大迷宮】の逆なのである。異世界人であるソウゴ達だからこそ、精神的圧迫もこの程度に済んでいるのだ。

 

 香織は甲板を見下ろし、そこで起きた凄惨な虐殺を思い出して気の進まない表情になった。一方ソウゴは、見慣れている様に一切気にした風も無く進む。

 

 香織は意を決してソウゴに続き、アレイスト王達が入って言った扉から船内へと足を踏み入れた。

 

 

 船内は、完全に闇に閉ざされていた。外は明るいので、朽ちた木の隙間から光が差し込んでいてもおかしくないのだが、何故か全く光が届いていない。ソウゴは適当な術で掌に光球を作り出し闇を払う。

 

「さっきの光景……終戦したのに、あの王様が裏切ったっていう事かな?」

「であろうな。そしてそれを踏まえた上で、不自然な点がある。壇上に登った時は、随分と敬意と親愛の篭った眼差しを向けられていたのに、内心で亜人族や魔人族を嫌悪していたのだとしたら本当にあんなに慕われると思うか? まぁ、あれの演技力が王妃の部下(ラファエル)と同等なら知らんが」

「? う、うん……そうだね。あの人の口ぶりからすると、まるで終戦して一年の間に何かがあって豹変した、と考えるのが妥当かも。問題は何があったのかという事だけど……」

「ありえるのは、神本人かその末端が直接接触したのだろう」

 

 二人で先程の光景を考察しながら進んでいると、前方に向けられたソウゴの光球が何かを照らし出した。白くヒラヒラしたものだ。

 

 ソウゴと香織は足を止めて、光度を少しずつ上げていく。その正体は、幼い少女だった。白いドレスを着た少女が、俯いてゆらゆらと揺れながら廊下の先に立っていたのだ。

 

 猛烈に嫌な予感がする香織。その表情は引き攣りまくっている。ソウゴは生命反応が無い事を確認し、即座に積尸気を纏う。

 

 

 その瞬間、少女がペシャッと廊下に倒れ込んだ。

 そして手足の関節を有り得ない角度で曲げると、まるで蜘蛛の様に手足を動かし真っ直ぐソウゴ達に突っ込んで来た。

 

 ケタケタケタケタケタケタケタッ!

 

 奇怪な笑い声が廊下に響き渡る。前髪の隙間から炯々と光る眼でソウゴ達を射抜きながら迫る姿は、まるで王道の都市伝説の様だ。

 

「いやぁあああああああああああ!!!!」

「耳元で叫ぶな喧しい」

 

 テンプレだがそれ故に恐ろしい光景に、香織が盛大に悲鳴を上げてソウゴにしがみついた。耳元で叫ぶ香織にイラっとしながら、ソウゴは積尸気を纏う光速拳"鬼燐業拳"を放って少女を殴り飛ばす。

 

「ケギャッッッッ!?」

 

 瞬く間に足元まで這い寄った少女は、奇怪な悲鳴と共に盛大に吹き飛び壁や廊下に数回バウンドした後、廊下の奥で手足を更におかしな方向に曲げて停止しそのまま溶ける様に消えていった。

 

 ソウゴは溜息を吐くと、未だにふるふると震えながら腕にしがみつく香織の頭を拳で軽く叩く。ビクッとした後、香織は恐る恐るという感じでソウゴを見上げた。既に目尻には涙が溜まっており、口元はキュッと一文字に結ばれている。マジビビリだった。

 

「霊体相手は苦手か?」

「……得意な人なんているの?」

「そういうものだと思えばいいだろう」

「……ぐすっ、頑張る」

 

 香織はそう言って、ソウゴから離れた。手だけはソウゴの服の裾を掴んで離さなかったが。

 

 先程までソウゴに言われたことを気にしてどこか遠慮があったというのに、今は「絶対離れないからね!」という強靭な意志が濡れた瞳に宿っている。必死だ。告白した時と同じ位に。

 

 

 その後も、廊下の先の扉をバンバン叩かれたかと思うとその扉に無数の血塗れた手形がついていたり、首筋に水滴が当たって天井を見上げれば水を滴らせる髪の長い女が張り付いてソウゴ達を見下ろしていたり、ゴリゴリと廊下の先から何かを引き摺る音がしたかと思ったら、生首と斧を持った男が現れ迫ってきたり……

 

 その殆どは、ソウゴが積尸気で瞬殺したのだが……

 

 

「やだよぉ……もう帰りたいよぉ……雫ちゃんに会いたいよぉ~」

 

 船内を進む毎に激しくなる怪奇現象に香織が幼児退行を起こし、ソウゴの背に張り付いてそこから動かなくなった。

 

 因みに雫の名を呼ぶのは、小さい時から光輝達に付き合わされて入ったお化け屋敷で、香織のナイト役を勤めていたのは雫だったからだそうだ。決して、百合百合している訳では無い。

 

 

 【メルジーネ海底遺跡】の創設者メイル・メルジーネは、どうやらとことん精神的に追い詰めるのが好きらしい。ソウゴは特にどうとも思わないが、普通の感性を持つ者なら精神的にキツイだろう。

 

 

 先程までの人生の迷子的なシリアスな雰囲気は何処に行った? と、思わずツッコミを入れたくなる位ソウゴに引っ付き半泣きになりながら、それでもどうにか"縛光刃"のガトリング掃射で怪奇を撃退していく香織と、それを見守るソウゴ。途中何度か意識を飛ばしそうになる香織に、ソウゴは足を止めつつも先へ進む。

 

 そうこうしている内に、遂に二人は船倉まで辿り着いた。

 

 重苦しい扉を開き、中に踏み込む。

 船倉内には疎らに積荷が残っており、ソウゴ達はその積荷の間を奥に向かって進む。すると少し進んだところで、いきなり入ってきた扉がバタンッ! と大きな音を立てて勝手に閉まってしまった。

 

「ぴっ!?」

「……」

 

 香織がその音に驚いて変な声を上げる。

 ソウゴが溜息を吐きながらビクつく香織の肩を撫でて宥めていると、また異常事態が発生した。急に濃い霧が視界を閉ざし始めたのだ。

「ソソソソソ、ソウゴくん!?」

「狼狽えるな」

 

 ソウゴがそう答えた瞬間、ヒュ! と風を切る音が鳴り霧を切り裂いて何かが飛来した。咄嗟にソウゴが左腕を掲げると、ちょうど首の高さで左腕に止められた極細の糸が見えた。更に連続して風を切る音が鳴り、今度は四方八方から矢が飛来する

「ここに来て物理トラップか? 意外と考えて造っているではないか」

「守護の光をここに "光絶"!」

 ソウゴは邪眼で難なく捌き、香織も防御魔術を発動した。直後、前方の霧が渦巻いたかと思うと、凄まじい勢いの暴風がソウゴと香織に襲いかかった。

 

 ソウゴは素早く隣の香織を掴もうとしたが、運悪く香織の防御魔術が邪魔になり、一瞬の差で手が届かなかった。

 

「きゃあ!?」

 

 香織は悲鳴を上げて暴風に吹き飛ばされ霧の中へと姿を消す。ソウゴは舌打ちしつつ感知系能力を使い香織の居場所を把握する。大体の方向を掴み、その先を目指すソウゴ。

「チッ。香織、そこを動くなよ」

 舌打ちしつつ香織に呼びかけるソウゴに、今度は前方の霧を切り裂いて長剣を振りかぶった騎士風の男が襲いかかってきた。何かしらの剣技を繰り出してくる。

 

 ソウゴはそれを手刀で叩き折ると、"鬼燐嵐脚"を繰り出しその胴を真っ二つに斬り裂く。体を二つに分かたれた騎士風の男は、苦悶の声を上げる事も無くそのまま霧散した。

 

 しかし、同じ様な剣士や拳士、他にも様々な武器を持った武闘派の連中が霧に紛れて次々に襲いかかってきた。

 

「手応えの無い連中を次々と……」

 

 悪態を吐きつつ、ソウゴは小宇宙を高める。

 

 

 一方香織は、ソウゴの姿が見えなくなってしまった事に猛烈な不安と恐怖を感じていた。

 ホラーは本気で苦手なのだ。こればっかりは、体が勝手に竦んでしまうので克服するのは非常に難しい。ただでさえ劣等感から卑屈になっている点を指摘されてしまい、何とかそんな事は無いと示そうと思っていたのに、肝心なところで縋り付いてしまう自分がほとほと嫌になる。

 

 こんな事ではいけないと震える体を叱咤して、香織は何とか立ち上がる。とその時、香織の肩に手が置かれた。ソウゴが自分を見つけてくれたのかと、一瞬喜びが湧き上がった。

 

「ソウゴく……」

 

 直ぐに振り向こうとして、しかしその前に、香織は肩に置かれた手の温かみが妙に薄い事に気がついた。否、もっと正確に言うなら温かいどころか冷たい気さえする。

 

 香織の背筋が粟立った。自分の後ろにいるのは、ソウゴではない。直感で悟る。

 

 では、一体誰?

 

 油を差し忘れた機械の様にギギギと音がなりそうな有様で背後を振り返った香織の眼前には……

 

 

 目、鼻、口──顔の穴という穴の全てが深淵の様な闇色に染まった女の顔があった。

 

 

「あふぅ~」

 

 香織の精神は一瞬で許容量をオーバーし、防衛本能に従ってその意識を手放した。

 

 

 

「失せろ雑魚共、"天魔降伏"」

 

 その頃ソウゴはわずか一撃、ほんの数秒で五十体近い戦士の亡霊達を撃滅していた。全員がソウゴの光の圧力で霧散すると同時に、周囲の霧も晴れ始める。

「香織、どこにいる?」

 間髪入れず声を上げソウゴは香織の気配を感知しようとするが、香織はあっさり見つかった。

「ここだよ。ソウゴくん」

「傷は無い様だな……」

 微笑みながら歩み寄ってくる香織に、ソウゴは外傷の有無を確認する。香織は更に婉然と微笑むと、そっとソウゴに寄り添った。

「すごく、怖かった……」

「そうか」

「うん。だからね、慰めて欲しいな」

 そう言って、香織はソウゴの首に腕を回して抱きついた。そして、鼻と鼻が触れ合いそうな程間近い場所で、その瞳がソウゴの口元を見つめる。やがて、ゆっくりと近づいていき……

 

 

 ゴキャッッ!!

 

 

 と音を立てて、香織の顎を"鬼燐業拳"が正確に捉えた。

 

 ソウゴの拳は空き缶を潰す様に容易に骨を砕き、香織を船倉の壁にめり込ませる。その衝撃で抜けたのか、折れた香織の歯が数本宙を舞う。

 

「アギャッッ──!? な、何を……!?」

 

 血を吐きながらも狼狽した様子を見せる香織に、ソウゴは呆れた様な表情を向ける。

 

「何をだと? つまらん事を訊くな」

 

 そう言って、ソウゴは微塵も躊躇わず距離を詰め追い打ちをかける。破裂音を置き去りに、ソウゴの蹴撃が香織の鳩尾を撃ち抜く。

 

 

 カランッ──と音を立てて転がったのは錆び付いたナイフだ。香織の手から放り出された物であり、抱きつきながら袖口から取り出したものでもある。

 コツコツと足音を立てながら、倒れた香織に近寄るソウゴ。香織は体を起こし、怯えた様に震えた声でソウゴに話しかける。

「ソウゴくん、どうしてこんな事──ッ!?」

 しかし、ソウゴは取り合わず"指銃"を撃ち込んだ。

 

「ふん、貴様程度の怨霊に体を乗っ取られるなぞ……まだまだ未熟な証よ」

 

 そう。ソウゴの眼には、香織と重なる様にして取り憑いている女の亡霊の様なものが映っていた。正体がバレていると悟ったのか、香織の姿をした亡霊は壁に叩きつけられながら先程までの怯えた表情が嘘の様に、今度はニヤニヤと笑い出した。

 

「ウフフ、それが分かってもどうする事も出来ない……もう、この女は私のものッ!?」

 

 そう話しながら立ち上がろうとした亡霊だったが、ソウゴに頭を掴まれ床に叩きつけられる。

「待ってッッ! 何をするの!? この女は、あんたの女! 傷つけるつもりッ!?」

「私に付いてきたのだ、その程度覚悟の上だろう」

「私が消滅すれば、この女の魂も壊れるのよ! それでもいいの!?」

 

 その言葉に、ソウゴが少し首を傾げる。発足の可能性も十分にあるが、真偽を確かめるのも面倒である。普通なら、躊躇し手を出せなくなるだろう。亡霊もそう思ったのか、再びニヤつきながら、ソウゴに命令した。それに対するソウゴの返答は……

 

 

それがどうした(・・・・・・・)?」

 

 

 ──"オーヴァー・クォーツァー"を発動し、その顔を殴りつけた。

 

 亡霊の表情が驚愕と激痛に歪む。そして焦った表情で、近づくソウゴに怒声を上げた。

 

「あんた正気なの!? この女がどうなってもいいの!?」

「別に肉体的に死のうが魂魄が消滅しようが、蘇生手段は幾らでもある。それと同時に貴様と香織を分けてダメージを与える術もな。だが抑々……この程度で死ぬ様な軟弱者なら、我が供には必要無い」

 

 あまりに潔い発言に絶句する亡霊。そしてソウゴは背後の"オーヴァー・クォーツァー"を構えさせ、試す様な笑みを浮かべて足を止める。

 

「では、実験を始めようか。貴様の精神と香織の肉体、どちらが先に音を上げるか」

 

 その言葉と共に、二対の腕から拳の雨が降り注いだ。

 

 

 

 

 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄アァァァーーーーーーー!!!!!!

 

 

 

 暴風雨の様に降り注ぐ暴力の中で、亡霊はただ只管願った。

 

 一秒でも早く消えてしまいたいと。想像を絶する狂気と脅威を浴び、誰に向けてか分からぬ謝罪を浮かべた。少しでも早く消えてしまいたかった。

 

 

 亡霊の正体は元々、生に人一倍強く執着する思念が変質したものだったのだが、その思いすら吹き飛ばす程今の状況は恐ろしかったのだ。

 

 

 消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)

 

 

 

 ──殺してッッッ!!!!

 

 

 

 亡霊の叫びが木霊する中、香織の体が突然輝き出した。

 

 それは、状態異常回復の魔術"万天"の輝きだ。香織が万一に備えて、"遅延発動"用にストックしておいたものである。

 

 突然の事態に呆然とする亡霊に、内から声が響いた。

 

 

 ──大丈夫、ちゃんと送ってあげるから

 

 

 その言葉と共に、輝きが更に増す。白菫の光は亡霊を包み込む様に纏わりつくと、ゆらりふわふわと天へ向けて立ち上っていった。同時に亡霊の意識は薄れていき、安堵と安らぎの中、完全にこの世から消滅した。

 

 

 一拍の後、香織の瞼がふるふると振るえ、ゆっくり目を開いた。

 

 ソウゴが再びを足を進め香織を覗き込む。香織が輝き出してから、ソウゴは存在が薄れていく亡霊を認識していた為ラッシュを止めている。完全にその気配が消えた事を確認してから、ソウゴは香織の傍にしゃがみ込む。

 

 

 間近い場所にソウゴの顔があり、その視線は真っ直ぐ香織の瞳を射抜いている。びっくりするほど真剣で、同時に僅かながらも心配と安堵も含まれた眼差し。そんな瞳を見つめ返しながら、香織の体は自然と動いていた。

 

 スっと顔を持ち上げて、ソウゴの唇に自分のそれを重ねようとする。それは確かに香織のファーストキスだったのだが、ソウゴが咄嗟にそれを指で制した為未遂に終わった。

 

「……何のつもりだ?」

「答えかな?」

「答え?」

「うん。どうして付いて来たのか、これからも付いて行くのか……ソウゴくんの問い掛けに対する答え」

 

 そう言ってソウゴに向けられた香織の微笑みは、いつも見せていた温かな陽だまりの様な微笑みだった。ここに来てから見せていた、作り笑いの影は微塵もない。

 

 実のところ、とり憑かれている間香織には意識があった。まるで、ガラス張りの部屋に閉じ込められて外を見ている様な感じだった。それ故に、香織もしっかりと認識していたのだ。口では突き放す様な恐ろしい事を言いながらも、自分を傷つけない様に気遣いながら攻撃するソウゴを。一発攻撃する度に、肉体に与えたダメージと同じだけの回復を施していた事を。

 

 

 そのソウゴの姿を見た瞬間、香織の胸に耐え難い切なさが湧き上がった。そしてそれと同時に、告白した時のどうしようもない気持ちを思い出したのだ。

 

 

 それは、誰に何と言われようと、例えどれだけ迷惑を掛けようとも、この我儘だけは貫かせて欲しい。貫いてみせる。そんな気持ちだ。

 

 ソウゴを囲むユエ達の輪の中に、自分だけいない事が耐え難かった。自分だけソウゴの傍にいないという未来は想像もしたくなかった。自分の力量がユエ達に、ソウゴの求める基準に遠く及ばない事は重々承知していても、気持ちだけは負けていないと示したかった。

 

「好きだよ、ソウゴくん。大好き。だから、これからも傍にいたい」

「……辛くなるだけだぞ?」

「そうだね。嫉妬もするし、劣等感も抱くよ……辛いと感じる事もあるかも……でも少なくとも、ここで引いたら後悔する事だけは確かだから。確信してるよ。私にとっての最善はソウゴくんの傍にいる事だって……最初からそう思って付いて来たのに、実際に差を見せつけられて色々見失ってたみたい。でも、もう大丈夫」

 

 ソウゴの頬を両手で挟みながら、ふわりと微笑む香織。

 ソウゴは呆れた様な表情だ。香織が自分で決めて、その決断が最善だと信じているなら、ソウゴに言える事は何も無い。幸せの形など人それぞれだ。ソウゴに香織の幸せの形を決める事など出来ないし、するべきでもない。

「……そうか。貴様がそれでいいなら、私はこれ以上何も言わない」

「うん。いっぱい面倒かけるけど、嫌わないでね」

「今更だろう。私が言えた義理では無いが、貴様はトラブルメイカーだ」

「それは酷いよ!」

「そうか? 深夜に深い仲でもない男の部屋へネグリジェ姿でやって来る輩が、常識人と言えるのか?」

「うぅ、あの頃はまだ自覚が無くて、ただ話したくて……部屋に行ったのは、うん、後で気がついて凄く恥ずかしかった……」

 

 顔を赤くし両手で顔を覆う。ソウゴはそのまま香織を助け起こし、その肩をポンポンと叩いて霧が晴れてから倉庫の一番奥で輝き始めた魔法陣の方へ歩き出した。

 

 

 そのソウゴの袖をギュッと掴む香織。

 見れば、少しふらついてる。どうやらとり憑かれていたせいか、少し体の感覚が鈍いらしい。体に異常は無い様なので、直に元に戻るだろう。

「少し休憩するか?」

 それでも流石に初心者に無理をさせ過ぎたかと休憩を提案したソウゴに、香織はいい事を思いついた笑みを浮かべるとソウゴに背を向けさせその背中に飛び乗った。

「……何をしている」

「早く先に進んだ方がいいでしょ? いつまで魔法陣が機能してるか分からないし。ぼやぼやしてたら、また霧が出ちゃうかも。だから、ね?」

 

 確かに一理ある事なので、ソウゴは「しょうがないか……」と呟きつつ、香織を背負い直して魔法陣へと足を踏み入れた。

 

 

 淡い光が海面を照らし、それが天井にゆらゆらと波を作る。

 

 その空間は中央に神殿の様な建造物があり、四本の巨大な支柱に支えられていた。支柱の間に壁は無く、吹き抜けになっている。神殿の中央の祭壇らしき場所には精緻で複雑な魔法陣が描かれていた。また周囲を海水で満たされたその神殿からは、海面に浮かぶ通路が四方に伸びており、その先端は円形になっている。そして、その円形の足場にも魔法陣が描かれていた。

 

 その四つある魔法陣の内の一つが、俄かに輝き出す。そして一瞬の爆発する様な光の後、そこには人影が立っていた。無論、ソウゴと香織だ。

 

「……ここは……まさか、攻略したのか?」

「えっと、何か問題あるの?」

「いや、まさかもうクリアとは思わなくてな。他の迷宮に比べるとあまりに簡単過ぎる」

 

 どうやらメイル・メルジーネの住処に到着した様だとわかり、ソウゴは少し拍子抜けした様な表情になる。それに対して香織は、ソウゴの肩越しに顔を覗かせて苦笑いしながら答えた。

 

「あのね、ソウゴくん。十分大変な場所だったよ。最初の海底洞窟だって、普通は潜水艇なんて持ってないんだから、クリアするまでずっと沢山の魔力を消費し続けるし、下手をすればそのまま溺死だよ。クリオネみたいなのは有り得ない位強敵だったし、亡霊みたいなのは物理攻撃が効かないから、また魔力頼りになる。それで大軍と戦って突破しなきゃならないんだよ? 十分おかしな難易度だよ」

「そう言われればそうなんだろうが……」

「まして、この世界の人なら信仰心が強いだろうし……あんな狂気を見せられたら……」

「それだけで終わる事もあるか……」

 

 香織の指摘は、要するにソウゴが強すぎたという事だ。そこまで言われると、確かにそうかと納得するソウゴ。

 

 そして、そういえばユエ達と合流する前に到着してしまったが彼女達はどうしているだろうかと考えたその時、ソウゴの思考を読んだ様に右側にある通路の先の魔法陣が輝き出した。

 

 爆ぜる光が収まると、そこにはユエ、シア、ティオの三人の姿があった。絶妙なタイミングだった。

 

「計った様なタイミングだな。怪我は無さそうだな?」

「ん……そっちは……大丈夫じゃなかった?」

「あ、香織さん大丈夫ですかっ!?」

「む? 怪我でもしておるのか? 回復魔術はどうした?」

 ソウゴの呼びかけにそれぞれ元気な様子を見せつつ、ソウゴに背負われている香織に心配そうな視線を送っている。それに対する香織の返答は……

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ、半分は甘えているだけだから」

 

 実に朗らかな笑みを浮かべて堂々と宣言する香織にユエはスっと目を細め、シアは「羨ましいですぅ。代わって下さいよぉ」とアピールをし、ティオは面白そうに「ほほぉ」とニヤついた笑みを浮かべた。

 

「もう立てるのか?」

「えへへ、実は最初から歩く位なら問題無かったり……ごめんね?」

「……若いんだから自分で歩け、怠け者」

 少しバツが悪そうに笑う香織に、呆れた表情を見せながらソウゴは香織を降ろした。そして神殿へと向かいユエ達と合流する。

 

 

「で? 何があったんじゃ? ん? ほれ、言うてみよご主人様。香織と何かあったんじゃろ? ほれほれ、何があったんじゃあ? 隠さずに言うてッへぶぅ!?」

 

 ティオがニヤつきながら実にウザい感じで問い詰め出したので、鬱陶しかったソウゴは取り敢えずアッパーカットを繰り出した。天井に激突し、ピンポン玉の様に数度床と行き来しながら艶かしい姿勢で崩れ落ちたティオが、荒い息を吐きながら頬を染める。

「ひ、久しぶりの衝撃じゃぁ~、はぁはぁ、んっ、ご主人様よ、もっとお仕置きしていいんじゃよ? 寧ろ足蹴にしてくれていいんじゃよ?」

 どこか期待した雰囲気でそんな事を宣うティオを無視して、ソウゴ達は奥の祭壇へと向かった。背後から「あと一回、一回でいいのじゃ! お願い、妾をぶってぇ」と気持ち悪い言葉が聞こえていたが、全員がスルーした。

 

「……で? 何があったの?」

 

 ユエが、ティオと同じ質問をする。しかしその視線はソウゴではなく、香織に向いていた。香織はユエに視線を合わせるとニッコリと上機嫌に笑い、いつかの様に言葉の爆弾を落とす。

 

「ちょっとソウゴくんにキスしようとして、認められただけだよ」

「……ほぅ」

「えっ!? ホントですか!?」

 

 誤解を招く香織の言葉に、ユエの声が一段低くなり、シアが興奮した様に詰め寄った。

 

「……尻尾巻いて逃げるかと思ってた」

 ユエが、香織に探る様な眼差しを向ける。

 

 ユエは、香織が劣等感を感じて心を苛んでいる事に気がついていた。だから、香織にとって最初の大迷宮挑戦になる今回で、或いは挫折して逃げ帰る事もあるだろうと考えていたのだ。勿論、自分に宣戦布告した相手を慰めてやるつもりなど毛頭無かった。ここで引くなら、その程度の想いだったと勝利宣言すればいいだけだ。

 

 だが、香織はどうやら立ち直った様で、寧ろ前より決然としている雰囲気すらある。何があったのか気になるところだった。

 

「……そうだね。ソウゴくんにも、いっそそうした方がいいって言われたよ。でも、ユエとの色々な差とか……今更だしね」

「……開き直った?」

「そうとも言うかも。というかね、元々開き直って付いて来たのに、差を見せつけられてそれを忘れてただけなんだよ。情けないとこ見せちゃった」

「……そのまま諦めれば良かったのに」

「ふふ、怖い?先に行かれそうで?」

「……調子に乗るな、トラブルメイカー」

「……それ、ソウゴくんにも言われた。……私、そんなにトラブル体質なのかな……」

 

 

 辛辣なユエの言葉に、香織の頬が引き攣る。想い人と恋敵に揃ってトラブルメイカー呼ばわりされて若干落ち込みそうなるが、直ぐに気を取り直す。因みに、実はユエも、というかソウゴ達全員が割かしトラブル体質なのでかなりブーメランな言葉なのだが、ユエにその自覚はなかった。

 

 

「まぁ、ユエの言う通りかもしれないけど……少なくとも私はソウゴくんの"仲間"だから、頑張って"特別"を目指すって決めたの。誰になんと言われようと、ね」

「……そう。なら今まで通り受けて立つ」

「うん! あ、それと。ユエの事は嫌いじゃないからね? 喧嘩友達とか、そういうの、ちょっと憧れてたんだ」

「……友達? 私と香織が?」

「そう、友達。日本にはね、強敵と書いて友と表現する人がいるみたい。なら、恋敵と書いて友と読んでもいいんじゃないかな?」

「……日本……ソウゴ様の故郷の、昔の名前……聞けば聞くほど不思議な国。でも……いいセンスだと思う」

「だよね。うふふ、そういう訳で、これからも宜しくね?」

「……ん」

 

 何だかいい感じの雰囲気を放つユエと香織だったが、その傍らで迷惑そうな表情をしているソウゴには気づかなかった。

 

 

 

 祭壇に到着したソウゴ達は、全員で魔法陣へと足を踏み入れる。いつもの通り脳内を精査され、記憶が読み取られた。しかし今回はそれだけでなく、他の者が経験した事も一緒に見させられる様だった。つまり、ユエ達が見聞きしたものをソウゴと香織も共有したのである。

 

 

 どうやらユエ達は、巨大な地下空間で海底都市とも言うべき廃都に辿り着いた様だ。そこでソウゴ達と同じく空間が歪み、二国の軍隊と都内で戦争して来た様である。というのも、その都は人間族の都で魔人族の軍隊に侵略されているところだったらしく、結局ソウゴ達と同じ様に両者から襲われた様だ。

 

 都の奥には王城と思しき巨大な建築物があり、軍隊を蹴散らしながら突き進んだユエ達は、侵入した王城で重鎮達の話を聞く事になった。

 

 

 何でも、魔人族が人間族の村を滅ぼした事が切っ掛けで、この都を首都とする人間族の国が魔人族側と戦争を始めたのだが、実はそれは和平を望まず魔人族の根絶やしを願った人間側の陰謀だった様なのだ。気がついた時には、既に収まりがつかない程戦火は拡大し、遂に返り討ちに合った人間側が王都まで攻め入られるという事態になってしまった……という状況だったらしい。

 

 そしてその陰謀を図った人間とは、国と繋がりの深い光教教会の高位司祭だったらしく、この光教教会は聖教教会の前身だった様だ。

 

 更に、彼等は進退窮まり暴挙に出た。困った時の神頼みと言わんばかりに、生贄を捧げて神の助力を得ようとしたのだ。その結果、都内から集められた数百人の女子供が教会の大聖堂で虐殺されるという凄惨な事態となった。

 

 ユエ達もその光景を見た時は、流石にかなりキツかった様だ。魔法陣による記憶の確認により強制的に思い出し、顔を蒼褪めさせている。特に、シアは今にも吐きそうだ。

 

 

 漸く記憶の確認が終わり、無事に全員攻略者と認められた様である。ソウゴ達の脳内に新たな神代魔術が刻み込まれていった。

 

「ここでこの魔術か。随分捻た性格だな、メルジーネとやらは」

「……見つけた、"再生の力"」

 

 ソウゴが苦笑気味に呟く。それは、手に入れた【メルジーネ海底遺跡】の神代魔術が"再生魔術"だったからだ。

 

 

 思い出すのは、【ハルツィナ樹海】の大樹の下にあった石版の文言。先に進むには確かに"再生の力"が必要だと書かれていた。

 つまり、東の果てにある大迷宮を攻略するには、西の果てにまで行かなければならなかったという事であり、最初に【ハルツィナ樹海】に訪れた者にとっては途轍もなく面倒である。ソウゴ達は高速の移動手段を多数持っているから何とでもなるが。

 

 

 魔法陣の輝きが薄くなっていくと同時に、床から直方体がせり出てきた。小さめの祭壇の様だ。その祭壇は淡く輝いたかと思うと、次の瞬間には光が形を取り人型となった。どうやら、オスカー・オルクスと同じくメッセージを残したらしい。

 

 人型は次第に輪郭をはっきりとさせ、一人の女性となった。祭壇に腰掛ける彼女は、白いゆったりとしたワンピースの様なものを着ており、エメラルドグリーンの長い髪と扇状の耳を持っていた。驚いた事に、どうやら解放者の一人メイル・メルジーネは海人族と関係のある女性だった様だ。

 

 

 彼女はオスカーと同じく、自己紹介したのち解放者の真実を語った。おっとりした女性のようで、憂いを帯びつつも柔らかな雰囲気を纏っている。やがて、オスカーの告げた内容と同じ語りを終えると、最後に言葉を紡いだ。

 

『……どうか、神に縋らないで。頼らないで。与えられる事に慣れないで。掴み取る為に足掻いて。己の意志で決めて、己の足で前へ進んで。どんな難題でも、答えは常に貴方の中にある。貴方の中にしかない。神が魅せる甘い答えに惑わされないで。自由な意志の下にこそ、幸福はある。貴方に、幸福の雨が降り注ぐ事を祈っています』

 

 そう締め括り、メイル・メルジーネは再び淡い光となって霧散した。

 直後、彼女が座っていた場所に小さな魔法陣が浮き出て輝き、その光が収まるとメルジーネの紋章が掘られたコインが置かれていた。

 

 

「証の数も四つですね、ソウゴさん。これできっと、樹海の迷宮にも挑戦できます。父様達どうしてるでしょう~?」

 

 シアが、懐かしそうに故郷と家族に思いを馳せた。しかし脳裏に浮かんだのは「ヒャッハー!」する父親達だったので、頭を振ってその光景を霧散させる。ソウゴは、証のコインをいつもの行程を経て宝物庫にしまうと、シアと同じ様に「ヒャッハー!」するハウリア族を思い出し、「懐かしいな」と薄く笑みを浮かべた。

 

 だが証を仕舞った途端、神殿が鳴動を始めた。そして、周囲の海水がいきなり水位を上げ始めた。

 

 

「強制排出か。全員掴まれ」

「……んっ」

「わわっ、乱暴すぎるよ!」

「ここではこんなのばっかりですよぉ~」

「水責めとは……やりおるのぉ」

 

 凄まじい勢いで増加する海水に、ソウゴ達はあっという間に水没していく。咄嗟に、また別々に流されては敵わないとソウゴが鎖で四人を縛り、"バブル珊瑚"で包み込む。

 

 

 その直後、天井部分が【グリューエン大火山】のショートカットの様に開き、猛烈な勢いで海水が流れ込む。ソウゴ達もその縦穴に流れ込んで、下から噴水に押し出される様に猛烈な勢いで上方へと吹き飛ばされた。

 

 

 恐らく【メルジーネ海底遺跡】のショートカットなのだろうが、おっとりしていて優しいお姉さんといった雰囲気のメイル・メルジーネらしくない、滅茶苦茶乱暴なショートカットだった。しかも、強制的。意外に過激な人物なのかもしれない。

 

 

 押し上げられていくソウゴ達は、やがて頭上が行き止まりになっている事に気が付く。

 ソウゴが破壊しようとした瞬間、天井部分が再びスライドしソウゴ達は勢いよく遺跡の外、広大な海中へと放り出された。

 

 海中に放り出されたソウゴ達は、急いでプレズオンを呼び出そうとする。

しかしその目論見は、直前で阻止される。ユエ達にとって、一番会いたくなかった相手によって。

 

『全員プレズオンに乗り込みたいだろうが、その前に戦闘態勢だ』

 

 念話による警告が伝えられる。

 

 次の瞬間、ソウゴ達の眼前を凄まじい勢いで半透明の触手が通り過ぎ、勢いよく横薙ぎを振るった。

 

 

 ソウゴが向けた視線の先には、一見妖精の様な造形でありながら、全てを溶かし無限に再生し続ける凶悪で最悪の生物──巨大クリオネがいた。最初のアレは消滅を確認したので、恐らく別個体だろう。

 態々攻略が終わった後で現れた事にそれなりの知性を感じながら、ソウゴは迎撃態勢に入る。

 

『どうするんじゃご主人様よ!』

 

 念話石を使って通信してきたティオに、ソウゴが答える。

『全員海上を目指せ。今から多少危なっかしい技を使う、巻き込まれない様に全力で離れろ』

 ソウゴはそう言いながら、【グリューエン大火山】でも使用した黒い靄を全身から放出する。その濃度は、その時より明らかに黒い。

 ソウゴは靄を発生させながら、ガブリボルバーを撃ちプレズオンを召喚する。

 プレズオンはユエ達を回収し、ソウゴの急速離脱指令に従いその場から離れていく。

 

 それを確認したソウゴは、発動した能力の出力を高める。

 

 途端、ソウゴを中心として触手が、クリオネの本体が、そして周囲の海水(・・・・・)がソウゴに引っ張られ始める。まるで飲み込まれる様に。

 

 

 否、様にという表現は正しくない。正に吸い込まれているのだ。

 

 

 最初の個体と同じ様に片づける事も出来るが、同じ技で倒すのも芸が無い。だがだからと言って、消耗しているユエ達から長時間離れるのも心配である。それ故に選んだ短期決戦の方法が、この自分の肉体をブラックホールに変える技なのだ。

(この様な下品な能力、進んで使いたくはないのだがな……)

 ソウゴは心中でそう毒づきつつ、更に別の技を掛け合わせて必殺の一撃を繰り出す。

 

 

「"闇穴道・虚日落陽(ブラックホール・ドゥームズデイ)"」

 

 

 ソウゴが下品と評するヤミヤミの実の能力に、仮面ライダー王蛇と獣帝ジェノサイダーの必殺技、そして魔王アリエルの得意技だった『暴食』のスキル。その三つの合わせ技。

 

 全てを無に帰す闇黒の大渦が、周囲の海水ごとクリオネを喰らう。飲み込んだ全てを分子レベルで分解・圧縮し、自らのエネルギーへと変換、質量保存の法則を無視して消滅させていく。

 

 抵抗は一瞬。歯牙にもかけない程の僅かな足掻き。ソウゴを止めようと触手が伸びるが、その全てがブチブチと音を立てながら千切れ、ソウゴの養分へと変わっていく。

 無限に再生する筈のその肉体は、それより先に虚無に飲まれていく。

 

 

 大海を統べる"悪食"の名を持つ魔物が、異界の魔王の"暴食"の能力に敗れたのは、これ以上ない皮肉であった。

 

 体から発した闇を収め、ソウゴは戦いを振り返る事無くプレズオンの後を追った。

 

 

 

 それを以て、ソウゴ達の【メルジーネ海底遺跡】の攻略は終了したのだった。

 

 




常磐望

旧名・夢原のぞみ。ソウゴの妻。
ソウゴの世界においては数少ない神の一柱。基本的に正史通りの穏やかな性格だが、いざ覚悟して戦いに臨めばソウゴ以上に容赦無い事もある。
ローマ神話の女神フローラを中心として複数の神格が融合した複合神性であり、その能力は多岐に渡る。遠征で国を空けがちなソウゴに代わり国政を務めている。
人の世の治世を司る王妃モードと、戦闘用の神モードの二つの精神を持つ。普段は王妃モードで、彼女本来の性格と王妃としてのお淑やかさを併せ持つ心優しき精神。反して神モードはとても機械的で、一切感情が窺えない。
正反対の二つの精神ではあるが、多重人格という訳では無く記憶・思考も共通している。自己暗示、マインドセットの一種である。


常磐真琴

旧名・剣崎真琴。現在でも芸名として使っている。逢魔国第一王女。
アイドルと軍人を兼業している。修正史において、アン王女経由でソウゴに引き取られる事になった。明るい性格で楽観的だが広い視野を持ち、出来る事は出来る、出来ない事は出来ないと割り切れる冷静な性質もある。その為、意外に手段を選ばないところも。
彼女の不死性は、M78星雲人のDNAを取り込んだ事に由来する。両親も妹達も大好きで、すぐ抱きつきに行く。その度にめぐみにウザがられる。


常磐恵

旧名・愛乃めぐみ。逢魔国第二王女。
姉妹の中で最も性格が正史とかけ離れている。修正史において、居場所を失い暴れているところをのぞみに拾われた。冷静かつ神経質、でありながら沸点が低くすぐキレる。敵味方に関わらず奇跡や偶然等の不確定要素を嫌う。
明確な作戦立案の下に戦場へ臨むタイプで、確実に勝てると踏むまで戦いに姿を見せない。勝つ為なら卑怯・卑劣な手段も平気で選ぶ。
「人造逢魔時王計画」で作られた改造人間であり、最も完成度の高かった失敗作。それに由来した不死の肉体と、姉妹一の戦闘力を持つ。それ故に、周囲からはソウゴの後継者と目されている。冷たい様で家族愛は強く、特に妹への対応は真琴からも過保護と言われる程。無自覚なマザコン。


常磐言葉

旧名・花海ことは。逢魔国第三王女。
本史と同じく天真爛漫、天然な不思議ちゃん。修正史ではソウゴに拾われた事になっている。魔術方面では天才と呼ばれる。真琴に似たストレートな愛情表現をするタイプで、甘えたがり。神の転生体なので神性を持っているが、母と違い魔術の延長線程度の影響に留まる。不死性の獲得と、無から有を作る程度。


常磐響

旧名・立花響。逢魔国第四王女。
根暗、悲観的な引きこもり。一応不老不死の身体であり、大体二百歳前後。正史の立花響が出会ったイフの彼女とも違う、また別の並行世界の彼女。その来歴は、一言で言えば「立ち直れなかった修正史のめぐみ」である。
彼女の世界において彼女以外に奏者、及び二課に類する組織は存在せず、家族も既に離散していた為に国によって攫われ、本人の適性に関係無く聖遺物を体に埋め込まれた改造人間。


常磐侑

第五王女にして、姉妹唯一の実子。王位継承権第一位。
絶賛家出中で、高咲侑と名乗っている。血筋の上では正当な後継者だが、それでも周囲が求める水準には届かず、心無い者からは「血筋だけが取り柄の落ちこぼれ」と言われ、血のつながらない優秀な姉達と比べられてコンプレックスを抱いている。一応不死身。めぐみが度々様子を見に来る。自分が立案した催し物を家族全員が見に来ていたと最近知らされた。
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