大分時間が空きました。
話は進む様な、進まない様な……。
「パパー! 朝なのー! 起きるのー!」
【海上の町エリセン】の一角、とある家の二階で幼子の声が響き渡る。時刻はそろそろ早朝を過ぎて、日の温かみを感じ始める頃だ。窓から本日もいい天気になる事を予報する様に、朝日が燦々と差し込んでいる。
「朝から元気だな」
そんな朝日に照らされるベッドに腰掛けながら、読書に耽っていたはソウゴだ。そして、そんなソウゴをパパと呼び、元気な声で起こしに来たのは勿論ミュウである。
ミュウはベッドの直前で重さを感じさせない見事な跳躍を決めると、そのままパパたるソウゴの膝の上に十点満点の着地を決めた。
「パパ、おはようなの。ごはんなの」
「そうか。ではそろそろ行こうか」
ニコニコと笑みを溢しながら、ミュウはその小さな紅葉の様な手でソウゴの頬をペチペチと叩く。ソウゴは本を閉じミュウに目を向け、優しくそのエメラルドグリーンの髪を梳いた。気持ちよさそうに目を細めるミュウに、ソウゴの頬も緩む。何処からどう見ても親子だった。
ソウゴ達が【メルジーネ海底遺跡】を攻略し、町に戻ってから六日が経っていた。帰還した日から、ソウゴ達は、ずっとレミアとミュウの家に世話になっている。
エリセンは海鮮系料理が充実しており波風も心地良く、中々に居心地のいい場所だったので半分はバカンス気分でもあった。
ただ、それにしても六日も滞在しているのは少々骨休めが過ぎると感じるところだ。その理由は、言わずもがなミュウである。
ミュウを、この先の旅に連れて行く事は出来ない。ソウゴの娘として認められているとはいえ、四歳の何の力も無い幼女を東の果ての大迷宮に連れて行くなど以ての外だ。
まして、【ハルツィナ樹海】を除く残り二つの大迷宮は更に面倒な場所にある。
一つは魔人族の領土にある【シュネー雪原】の【氷結洞窟】。そしてもう一つは、何とあの【神山】なのである。どちらも大勢力の懐に入り込まねばならないのだ、そんな場所にミュウを連れて行くなど絶対に出来ない。
なのでこの町でお別れをしなければならないのだが、何となくそれを察しているのかソウゴ達がその話を出そうとすると、ミュウは決まって超甘えん坊モードになりソウゴ達に「必殺! 幼女の無言の懇願!」を発動するので中々言い出せずにいた。
「それでも、いい加減出発せねばな。……ミュウに何と言うべきか……泣かれるかな、泣かれるよな……憂鬱だなぁ」
ソウゴは桟橋に腰掛けて釣り糸を垂らしながら、憂鬱そうに独り言を呟く。思わず素が出てしまっている。
視線を向ければ、海人族の特性を十全に発揮して、チートの権化達から華麗に逃げ回る変則的な鬼ごっこ(ミュウ以外全員鬼役)を全力で楽しんでいるミュウがいる。その屈託無い笑顔に、別れを切り出せばあの笑顔が泣き顔になるかと思うと自然と溜息が漏れる。
直後そんなソウゴの悩みを察した様に、桟橋から投げ出した両足の間から突然人影がザバッと音を立てて現れた。海中から水を滴らせて現れたのは、ミュウの母親であるレミアだ。
レミアはエメラルドグリーンの長い髪を背中で一本の緩い三つ編みにしており、ライトグリーンの結構際どいビキニを身に付けている。ミュウと再会した当初は相当やつれていたのだが、現在は以前の健康体を完全に取り戻しており、一児の母とは思えない……否、そうであるが故の色気を纏っている。
町の男連中がこぞって彼女の再婚相手を狙っていたり、母子セットで妙なファンクラブがあるのも頷ける位のおっとり系美人だ。ティオとタメを張る程見事なスタイルを誇っており、体の表面を流れる水滴が実に艶かしい。
そんなタダでさえ魅力的なレミアがいきなり自分の股の間に出てきたというのに、ソウゴは面倒そうに目を向け「……レミアか。何の用だ」とぼやく様に返して視線を戻した。愛妻家恐るべしである。
しかし、肉体の放つ色気とは裏腹にレミアの表情は優しげで、寧ろソウゴを気遣う様な色を宿していた。
「有難うございます。ソウゴさん」
「何の事だ?」
いきなりお礼を述べたレミアに、ソウゴは視線を向けずにとぼける。
「うふふ、娘の為にこんなにも悩んで下さるのですもの……母親としてはお礼の一つも言いたくなります」
「"父親として"娘の事を気にするのが不自然な事か?」
「あらあら……ミュウは本当に素敵な人達と出会えましたね」
レミアは肩越しに振り返って、ミュウの悪戯で水着を剥ぎ取られたシアが手ブラをしながら必死にミュウを追いかけている姿を見つつ笑みを溢す。そして再度ソウゴに視線を転じると、今度は少し真面目な表情で口を開いた。
「ソウゴさん。もう十分です。皆さんは、十分過ぎる程して下さいました。ですから、どうか悩まずに、すべき事の為にお進み下さい」
「……」
「皆さんと出会って、あの子は大きく成長しました。甘えてばかりだったのに、自分より他の誰かを気遣える様になった……あの子も分かっています。ソウゴさん達が行かなければならない事を……まだまだ幼いですからついつい甘えてしまいますけれど……それでも、一度も"行かないで"とは口にしていないでしょう? あの子もこれ以上、ソウゴさん達を引き止めていてはいけないと分かっているのです。だから……」
「……誰に似たのやら。しかし…………そうか、……レミア」
「はい、何でしょう?」
「子供の成長とは早いものだな。ついこの間まで自分の足で立つ事もままならんと思ったら、いつのまにやら我等の手の届かん所へ駆けていく」
「ふふっ。えぇ、まったくです」
ミュウの無言の訴えが、行って欲しくないけれど、それを言ってソウゴ達を困らせたくないという気遣いの表れだったと改めて言われ、ソウゴは眩しいものを見る目でしみじみと呟く。そんなソウゴに、レミアは再び優しげな眼差しを向けた。
「では、今晩はご馳走にしましょう。ソウゴさん達のお別れ会ですからね」
「そうだな、精々賑やかに送り出してくれ」
「うふふ、はい。期待していて下さいね、あ・な・た♡」
「その呼び方はやめろと言ったろう」
どこかイタズラっぽい笑みを浮かべるレミアに、ソウゴは呆れた様に訂正を促す。そこへ、ブリザードの様な冷たさを含んだ声音が割り込んだ。
「……レミア、いい度胸」
「レミアさん、いつの間に……油断も隙もないよ」
「ふむ、見る角度によっては、ご主人様にご奉仕している様にも見える……露出プレイ……素晴らしいイィ!」
「あの、ミュウちゃん? お姉ちゃんの水着、そろそろ返してくれませんか? さっきから人目が……」
いつの間にかソウゴの下に戻ってきていたユエ達が、半眼でレミアを睨んでいた。まさか本当にソウゴを再婚相手として狙っているんじゃあるまいな? と警戒している様だ。ここ数日、よく見られる光景である。変態はスルーだ。四歳の幼女に水着を取られて半泣きのウサミミもスルーだ。
一方、睨まれている方のレミアはというと、「あらあら、うふふ」と微笑むばかりで特に引いた様子は見られない。そのゆるふわな笑みが、レミアの本心を隠してしまうので、ソウゴに対する時折見せるアプローチが本気なのか冗談なのか区別が付きにくい。これが、未亡人の貫禄だとでもいうのか……。
その日の晩、夕食前にソウゴ達はミュウにお別れを告げた。それを聞いたミュウは、着ているワンピースの裾を両手でギュッと握り締め、懸命に泣くのを堪えていた。暫く沈黙が続く中、それを破ったのはミュウだった。
「……もう、会えないの?」
「まさか」
ミュウの不安そうな言葉を、ソウゴは一笑に伏して一蹴する。
「……パパは、ずっとミュウのパパでいてくれる?」
「当然だ。私はいつでも、ミュウの父だ」
そう答えるとミュウは、涙を堪えて食いしばっていた口元を緩めてニッと笑みを作る。
「なら、いってらっしゃいするの。それで今度は、ミュウがパパを迎えに行くの」
「ほう、ミュウが私を?」
「うん、パパが行けるなら、ミュウも行けるの。だって……ミュウはパパの娘だから」
ソウゴの娘たる自分が、出来ない事など無い。自信有りげに胸を張り、自分から会いに行くと宣言するミュウ。勿論ミュウは、ソウゴが世界を越えている事を正確に理解している訳ではない。ましてミュウが迷宮を攻略して全ての神代魔術を手に入れ、ソウゴの手を借りず世界を超えてくるなどほぼ有り得ない。
それ故に、それは幼子の拙い発想から出た、凡そ実現不可能な目標だ。
だが一体誰が、その力強い宣言を笑えるというのだろう。一体誰が、彼女の意志を馬鹿馬鹿しいと切り捨てられるのだろう。出来はしない。してはならない。
何故ならそれは、他の誰でもないソウゴ自身を否定する事になるからだ。
夢を掲げ、不可能を可能にしてきたソウゴだからこそ、ミュウの瞳に確かな『覚悟』を見た。
だからこそ、ソウゴは決断した。今ここで、娘の新たな旅路に祝福を送ろうと。
「ならばミュウ、少し贈り物をしよう」
「パパ?」
ソウゴの雰囲気が変化したのを感じ取ったのかミュウが不思議そうな顔をして首を傾げる。
ソウゴはミュウから一度視線を外し、宝物庫に手を入れる。
そして取り出したのは、一本の槍。海の様に蒼い三つ首の竜を模した、蒼穹の三叉槍。
それを見た瞬間、ユエ達は背筋に氷を入れられた様な悪寒を覚えた。
目の前にあるのは、あくまで一つの武器だ。
なのに、この明瞭に焼き付けられるイメージは何だ。
全てを飲み込む怒涛の激流。荒れ狂う嵐の大海。それを制する、大いなる存在の雄叫び。
勇者の持つ聖剣など目ではない、明らかに格が違う。ソウゴや白織に次ぐ、破格の気配を直感する。
──あの槍は大いなる意思を持った、生きた武器なのだと。
「"
「……ホント?」
「ああ、本当だ。いつかこれを使いこなし、私に追いついてこい」
ソウゴの言葉と共に槍を受け取り、わなわなと瞼を揺らすミュウ。ソウゴは、そんなミュウの髪を優しく撫でる。
「その時は我が国で、姉達と共に私を手伝ってくれるか?」
「! パパの生まれたところ? みたいの! おねいちゃんにも、会ってみたいの!」
「楽しみか?」
「すっごく!」
ピョンピョンと飛び跳ねながら喜びを表現するミュウ。
ソウゴは宝物庫の指輪も渡しつつ、そんな二人のやり取りを微笑みながら見つめていたレミアに視線で謝罪する。「勝手に決めて済まない」と。
それに対し、レミアはゆっくり首を振ると、確りソウゴと視線を合わせて頷いた。「気にしないで下さい」と。その暖かな眼差しには責める様な色は微塵もなく、寧ろ感謝の念が含まれていた。
そんなパパとママのアイコンタクトに気がついたのか、ミュウがソウゴとレミアを交互に見つつ、槍を宝物庫に入れソウゴの服をクイクイと引っ張る。
「パパ、ママも? ママも一緒?」
「当然構わんが……どうだ?」
「はい。勿論、私だけ仲間はずれなんて言いませんよね?」
「腹は決まっている様だな」
「あらあら。娘と旦那様が行く場所に、付いていかないわけないじゃないですか。うふふ」
娘の頭を撫でるソウゴと、それに寄り添うレミアの図。傍から見れば、普通に夫婦だった。香織達が「させるかぁー!」と言わんばかりに割り込み喧騒が広がる。最初のしんみりした空気は何処に行ったのか。香織達とレミアが笑顔の戦争を繰り広げていると、いつの間にか蚊帳の外に置かれたソウゴに、ユエがトコトコと歩み寄った。
「……連れて行くの?」
「不服か?」
ユエの質問にソウゴがそう返すと首を振り、どこか優しげな眼差しでソウゴを見つめ返した。
「……それがソウゴ様の決めた事なら」
「そうか」
そんなやり取りをしていると、ミュウはソウゴパパに再度抱っこを要求した。再会の約束をしたとはいえ、暫くのお別れである事に変わりは無い。最後の夜は精一杯甘える事にした様だ。
その翌日、ソウゴ達はミュウとレミアに見送られ、遂に【海上の町エリセン】を旅立った。
赤銅色の世界に再び足を踏み入れて数時間。
ソウゴ達は砂埃を盛大に巻き上げつつトライドロンを駆りながら、一路【アンカジ公国】を目指していた。無論、ランズィ親子との約束を果たす為だ。
そして現在、アンカジの入場門が見え始めた所なのだが、何やら前回来た時と違って随分と行列が出来ていた。大きな荷馬車が数多く並んでおり、雰囲気からしてどうも商人の行列の様だ。
「随分と大規模な隊商だな……」
「……ん、時間かかりそう」
「多分、物資を運び込んでいるんじゃないかな?」
香織の推測通り、長蛇の列を作っているのは【アンカジ公国】が【ハイリヒ王国】に救援依頼をし、要請に応えてやって来た救援物資運搬部隊に便乗した商人達である。王国側の救援部隊は当然の如く先に通されており、今見えている隊商も余程アコギな商売でもしない限り、アンカジ側は全て受け入れている様だ。
何せ水源がやられてしまったので、既に収穫して備蓄していたもの以外作物類も安全の為廃棄処分にする必要があり、水以外に食料も大量に必要としていたのだ。相手を選んでいる余裕は無いのである。
ソウゴは吹き荒ぶ砂と砂漠の暑さに辟易した様子で順番待ちをする隊商を尻目に、トライドロンを操作して直接入場門まで突入した。順番待ちをする気は更々無い。
突然脇を走り抜けていく赤い物体に隊商の人達がギョッとした様に身を竦めた。「すわっ、魔物か!?」等と内心で叫んでいる事だろう。それは門番も同じ様で、砂煙を上げながら接近してくるトライドロンに武器を構えて警戒心と恐怖を織り交ぜた険しい視線を向けている。
しかし、俄かに騒がしくなった門前を訝しんで奥の詰所から現れた他の兵士がトライドロンを目にした途端、何かに気がついた様にハッと目を見開き、誰何と警告を発する同僚を諌めて、武器も持たずに出迎えに進み出てきた。更に他の兵士に指示して、伝令に走らせた様である。
ソウゴ達は門前まで来ると周囲の注目を無視してトライドロンから降車した。周囲の人々はいつも通りユエ達の美貌に目を奪われ、次いで粒子になって消えたトライドロンに瞠目している。
「ああ、やはり使徒様方でしたか! 戻って来られたのですね」
兵士は香織の姿を見ると、ホッと胸をなで下ろした。恐らくビィズを連れてきた時か、ソウゴ達が【グリューエン大火山】に"静因石"を取りに行く時にトライドロンを見た事があったのだろう。
そしてそれが、"神の使徒"の一人としてアンカジで知れ渡っている香織の乗り物であると認識していた様だ。間違っているが特に訂正はしないソウゴ達。知名度は香織が一番なので、代表して前に出る。
「はい。実は、オアシスを浄化できるかもしれない術を手に入れたので試しに来ました。領主様に話を通しておきたいのですが……」
「オアシスを!? それは本当ですかっ!?」
「は、はい。あくまで可能性が高いというだけですが……」
「いえ、流石は使徒様です。と、こんな所で失礼しました。既に領主様には伝令を送りました。入れ違いになってもいけませんから、待合室にご案内します。使徒様の来訪が伝われば、領主様も直ぐにやって来られるでしょう」
やはり、国を救ってもらったという認識なのか兵士のソウゴ達を見る目には多大な敬意の色が見て取れる。VIPに対する待遇だ。ソウゴ達は好奇の視線を向けてくる商人達を尻目に、門番の案内を受けて再び【アンカジ公国】に足を踏み入れた。
領主であるランズィが息せき切ってやって来たのは、ソウゴ達が待合室にやって来て十五分程だった。随分と早い到着である。それだけランズィ達にとってソウゴ達の存在は重要なのだろう。
「久しい……という程でもないか。無事な様で何よりだ、ソウゴ殿。ティオ殿に静因石を託して戻って来なかった時は本当に心配したぞ。貴殿は既に我が公国の救世主なのだからな、礼の一つもしておらんのに勝手に死なれては困る」
「ランズィ、貴様は随分と心配性だな。私があの程度のぬるま湯で死ぬと思っていたのか? ……と、それはさておき。どうやら救援要請は届いたらしいな」
「ああ。備蓄した食料と、ソウゴ殿が作ってくれた貯水池のおかげで十分に時間を稼げた。王国から援助の他、商人達のおかげで何とか民を飢えさせずに済んでいる」
そう言って、少し頬がこけたランズィは穏やかに笑った。アンカジを救う為連日東奔西走していたのだろう。疲労が滲み出ているが、その分成果は出ている様で表情を見る限りアンカジは十分に回せていけている様だ。
「領主様。オアシスの浄化は……」
「使徒殿……いや、香織殿。オアシスは相変わらずだ。新鮮な地下水のおかげで、少しずつ自然浄化は出来ている様だが……中々進まん。このペースだと完全に浄化されるまで少なくとも半年、土壌に染み込んだ分の浄化も考えると一年は掛かると計算されておる」
少し憂鬱そうにそう語るランズィに、香織が今すぐ浄化できる可能性があると伝える。
それを聞いたランズィの反応は劇的だった。掴みかからんばかりの勢いで「マジで!?」と口調すら崩して唾を飛ばして確認するランズィに、香織は完全にドン引きしながらコクコクと頷く。ソウゴの影に隠れる香織を見て、取り乱したと咳払いしつつ居住まいを正したランズィは、早速浄化を頼んできた。
元よりそのつもりだと頷き、ソウゴ達一行はランズィに先導されオアシスへと向かった。
オアシスには、全くと言っていい程人気が無い。普段は憩いの場所として大勢の人々で賑わっているのだが……その事を思い出し、ランズィが無表情ながらも何処か寂しそうな雰囲気を漂わせている。
オアシスの畔に立って再生魔術を行使するのは香織だ。
一番適性が高かったのは香織で、次がティオ、その次がユエだった。ユエの場合、相変わらず自前の固有魔術"自動再生"があるせいか、任意で行使する回復作用のある魔術は苦手な様だ。反対に、"治癒師"である香織は回復と"再生"に通じるものがある様で一際高い適性を持っており、より広範囲に効率的に行使出来る様だ。
尤も、詠唱も陣も必要な時点でユエの方が実戦では使えるのが悲しいところである。更に言えば、元から使えるソウゴには月と鼈の如き差があるのも目を瞑らなければならない。
香織が詠唱を始める。長い詠唱だ。エリセン滞在中に修練して、最初は七分もかかっていた魔術を今では三分に縮めている。たった一週間でそれなのだから、十二分にチートであるのだろう。
しかしソウゴ達がバグキャラとも言うべき存在なので霞んでしまうのだ。本人は既に割り切っている様だが。
静謐さと、どこか荘厳さを感じさせる詠唱に、ランズィと彼の部下達が息を呑む。決して邪魔をしてはならない神聖な儀式の様に感じたのだ。緊張感が場を支配する中、いよいよ香織の再生魔術が発動する。
「──"絶象"」
瞑目したままアーティファクトの白杖を突き出し呟かれた魔術名。
次の瞬間、前方に蛍火の様な白菫の淡い光が発生し、スっと流れる様にオアシスの中央へと落ちた。するとオアシス全体が輝きだし、淡い光の粒子が湧き上がって天へと登っていく。それは、まるでこの世の悪いものが浄化され天へと召されていく様な神秘的で心に迫る光景だった。
誰もがその光景に息をするのも忘れて見蕩れる。術の効果が終わり、オアシスを覆った神秘の輝きが空に溶ける様に消えた後も、ランズィ達は暫く余韻に浸る様に言葉も無く佇んでいた。
少し疲れた様子で肩を揺らす香織を支えつつ、ソウゴがランズィを促す。ハッと我を取り戻したランズィは、部下に命じて水質の調査をさせた。部下の男性が慌てて検知の魔術を使いオアシスを調べる。固唾を呑んで見守るランズィ達に、検知を終えた男は信じられないといった表情でゆっくりと振り返り、ポロリと溢す様に結果を報告した。
「……戻っています」
「……もう一度言ってくれ」
ランズィの再確認の言葉に部下の男は、息を吸って今度ははっきりと告げた。
「オアシスに異常なし! 元のオアシスです! 完全に浄化されています!」
その瞬間、ランズィの部下達が一斉に歓声を上げた。手に持った書類やら荷物やらを宙に放り出して互いに抱き合ったり肩を叩きあって喜びを露わにしている。ランズィも深く息を吐きながら、感じ入った様に目を瞑り天を仰いでいた。
「後は土壌の再生だな……ランズィ、作物は全て廃棄したのか?」
「……いや、一箇所にまとめてあるだけだ。廃棄処理に回す人手も時間も惜しかったのでな……まさか……それも?」
「ユエとティオも加われば出来るだろう」
「……ん、問題無い」
「うむ。折角丹精込めて作ったのじゃ、全て捨てるのは不憫じゃしの。任せるが良い」
ソウゴ達の言葉に本当に土壌も作物も復活するのだと実感し、ランズィは胸に手を当てると人目も憚らず深々と頭を下げた。領主がする事では無いが、そうせずにはいられない程ランズィの感謝の念は深かったのだ。公国への深い愛情が、そのまま感謝の念に転化した様なものだ。
ランズィからの礼を受けながら、早速ソウゴ達は農地地帯の方へ移動しようとした。
「……ふん。どこにでもいるものだな、良いムードに水を差す輩は」
だが不意に感じた不穏な気配に、ソウゴの呆れた様な言葉でその歩を止められる。
視線を巡らせば、遠目に何やら殺気立った集団が肩で風を切りながら迫ってくる様子が見えた。【アンカジ公国】の兵士とは異なる装いの兵士が隊列を組んで一直線に向かってくる。
ソウゴが確認してみれば、どうやらこの町の聖教教会関係者と神殿騎士の集団の様だった。
ソウゴ達の傍までやって来た彼等は、直ぐ様ソウゴ達を半円状に包囲した。そして神殿騎士達の合間から、白い豪奢な法衣を来た初老の男が進み出てきた。
物騒な雰囲気に、ランズィが咄嗟に男とソウゴ達の間に割って入る。
「ゼンゲン公……こちらへ。彼等は危険だ」
「フォルビン司教、これは一体何事か。彼等が危険? 二度に渡り、我が公国を救った英雄ですぞ? 彼等への無礼は、アンカジの領主として見逃せませんな」
フォルビン司教と呼ばれた初老の男は、馬鹿にする様にランズィの言葉を鼻で笑った。
「ふん、英雄? 言葉を慎みたまえ。彼等は既に異端者認定を受けている、不用意な言葉は貴公自身の首を絞める事になりますぞ」
「異端者認定……だと? 馬鹿な、私は何も聞いていない」
ソウゴに対する"異端者認定"という言葉に、ランズィが息を呑んだ。
ランズィとて、聖教教会の信者だ。その意味の重さは重々承知している。それ故に、何かの間違いでは? と信じられない思いでフォルビンに返した。
「当然でしょうな。今朝方、届いたばかりの知らせだ。このタイミングで異端者の方からやって来るとは……クク、何とも絶妙なタイミングだと思わんかね? きっと、神が私に告げておられるのだ。神敵を滅ぼせとな……これで私も中央に……」
最後の欲塗れな呟きはソウゴ以外聞こえなかったが、どうやらソウゴが異端者認定を受けた事は本当らしいと理解し、思わず背後のソウゴを振り返るランズィ。
しかし当のソウゴは特に焦りも驚愕も無く、「少しは空気を読めんのか……」と言わんばかりの表情を浮かべるのみだった。そして視線で「どうする?」とランズィに問いかけている。
ソウゴの視線を受けて眉間に皺を寄せるランズィに、如何にも調子に乗った様子のフォルビンがニヤニヤと嗤いながら口を開いた。
「さぁ、私は、これから神敵を討伐せねばならん。相当凶悪な男だという話だが、果たして神殿騎士百人を相手に、どこまで抗えるものか見ものですな。……さぁさぁ、ゼンゲン公よ、そこを退くのだ。よもや我ら教会と事を構える気ではないだろう?」
ランズィは瞑目する。そしてソウゴの力や性格、その他あらゆる情報を考察して何となく異端者認定を受けた理由を察した。自らが管理できない巨大な力を教会は許さなかったのだろうと。
しかしソウゴ達の力の大きさを思えば自殺行為に等しいその決定に、魔人族と相対する前にソウゴ一行と戦争でもする気なのかと中央上層部の者達の正気を疑った。そしてどうにもキナ臭いと思いつつ、一番重要な事に思いを巡らせた。
それは、ソウゴ達がアンカジを救ってくれたという事。毒に侵され倒れた民を癒し、生命線というべき水を用意し、オアシスに潜む怪物を討伐し、今再び戻って公国の象徴たるオアシスすら浄化してくれた。
この莫大な恩義に、どう報いるべきか頭を悩ましていたのはついさっきの事だ。ランズィは目を見開くと、丁度いい機会ではないかと口元に笑みを浮かべた。そして黙り込んだランズィにイライラした様子のフォルビンに領主たる威厳をもって、その鋭い眼光を真っ向からぶつけ、アンカジ公国領主の答えを叩きつけた。
「断る」
「……今、何といった?」
全く予想外の言葉に、フォルビンの表情が面白い程間抜け顔になる。そんなフォルビンの様子に、内心聖教教会の決定に逆らうなど有り得ない事なのだから当然だろうなと苦笑いしながら、ランズィは揺るがぬ決意で言葉を繰り返した。
「断ると言った。彼等は救国の英雄。例え、聖教教会であろうと彼等に仇なす事は私が許さん」
「なっ、なっ、き、貴様! 正気か! 教会に逆らう事がどういう事か分からん訳では無いだろう! 異端者の烙印を押されたいのか!」
ランズィの言葉に、驚愕の余り言葉を詰まらせながら怒声をあげるフォルビン。周囲の神殿騎士達も困惑した様に顔を見合わせている。
「フォルビン司教。中央は、彼等の偉業を知らないのではないか? 彼は、この猛毒に襲われ滅亡の危機に瀕した公国を救ったのだぞ? 報告によれば、勇者一行もウルの町も彼に救われているというではないか……そんな相手に異端者認定? その決定の方が正気とは思えんよ。故に、ランズィ・フォウワード・ゼンゲンは、この異端者認定に異議とアンカジを救ったという新たな事実を加味しての再考を申し立てる」
「だ、黙れ! 決定事項だ! これは神のご意志だ! 逆らう事は許されん! 公よ、これ以上その異端者を庇うのであれば貴様も、いやアンカジそのものを異端認定する事になるぞ! それでもよいのかっ!」
どこか狂的な光を瞳に宿しながら、フォルビンはとても聖職者とは思えない雰囲気で喚きたてた。それを冷めた目で見つめるランズィに、いつの間にか傍らまでやって来ていたソウゴが面白そうに笑みを浮かべて問いかける。
「……いいのか? 王国と教会の両方と事を構える事になるぞ。領主として、その判断はどうかと思うが?」
ランズィはソウゴの言葉には答えず、事の成り行きを見守っていた部下達に視線を向けた。ソウゴも誘われる様に視線を向けると、二人の視線に気がついた部下達は一瞬瞑目した後、覚悟を決めた様に決然とした表情を見せた。瞳はギラリと輝いている。明らかに「殺るなら殺ったるでぇ!」という表情だ。
その意志をフォルビンも読み取った様で、更に激高し顔を真っ赤にして最後の警告を突きつけた。
「いいのだな? 公よ、貴様はここで終わる事になるぞ。いや貴様だけではない、貴様の部下も、それに与する者も全員終わる。神罰を受け尽く滅びるのだ!」
「このアンカジに、自らを救ってくれた英雄を売る様な恥知らずはいない。神罰? 私が信仰する神は、そんな恥知らずをこそ裁くお方だと思っていたのだが? 司教殿の信仰する神とは異なるのかね?」
ランズィの言葉に怒りを通り越してしまったのか無表情になったフォルビンは、片手を上げて神殿騎士達に攻撃の合図を送ろうとした。
と、その時。ヒュ! と音を立てて何かが飛来し、一人の神殿騎士のヘルメットにカン! と音を立ててぶつかった。足元を見れば、そこにあるのは小石だった。神殿騎士には何のダメージも無いが、何故こんなものが? と首を捻る。しかしそんな疑問も束の間、石は次々と飛来し、神殿騎士達の甲冑に音を立ててぶつかっていった。
何事かと石が飛来して来る方を見てみれば、いつの間にかアンカジの住民達が大勢集まり神殿騎士達を包囲していた。
彼等はオアシスから発生した神秘的な光と、慌ただしく駆けていく神殿騎士達を見て何事かと野次馬根性で追いかけて来た人々だ。
彼等は神殿騎士が自分達を献身的に治療してくれた“神の使徒”たる香織や、特効薬である静因石を大迷宮に挑んでまで採ってきてくれたソウゴ達を取り囲み、それを敬愛する領主が庇っている姿を見て、「教会の奴等乱心でもしたのか!」と憤慨し、敵意も露わに少しでも力になろうと投石を始めたのである。
「やめよ! アンカジの民よ! 奴等は異端者認定を受けた神敵である! 奴等の討伐は神の意志である!」
フォルビンが殺気立つ住民達の誤解を解こうと大声で叫ぶ。彼等はまだ、ソウゴ達が異端者認定を受けている事を知らないだけで、司教たる自分が教えてやれば直ぐに静まるだろうとフォルビンは思っていた。
実際、聖教教会司教の言葉に住民達は困惑を露わにして顔を見合わせ、投石の手を止めた。
そこへ、今度はランズィの言葉が、威厳と共に放たれる。
「我が愛すべき公国民達よ。聞け! 彼等はたった今、我等のオアシスを浄化してくれた! 我等のオアシスが彼等の尽力で戻ってきたのだ! そして、汚染された土地も! 作物も! 全て浄化してくれるという! 彼等は、我等のアンカジを取り戻してくれたのだ! この場で多くは語れん。故に、己の心で判断せよ! 救国の英雄を、このまま殺させるか、守るか。……私は、守る事にした!」
フォルビンは「そんな言葉で、教会の威光に逆らう訳がない」と嘲笑混じりの笑みをランズィに向けようとして、次の瞬間その表情を凍てつかせた。
──カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
住民達の意思が投石という形をもって示されたからだ。
「なっ、なっ……」
再び言葉を詰まらせたフォルビン司教に住民達の言葉が叩きつけられた。
「ふざけるな! 俺達の恩人を殺らせるかよ!」
「教会は何もしてくれなかったじゃない! なのに、助けてくれた使徒様を害そうなんて正気じゃないわ!」
「何が異端者だ! お前らの方が余程異端者だろうが!」
「きっと、異端者認定なんて何かの間違いよ!」
「香織様を守れ!」
「領主様に続け!」
「香織様、貴女にこの身を捧げますぅ!」
「冒険者さん! 今の内に逃げて下さい!」
「おい、誰かビィズ会長を呼べ! "香織様にご奉仕し隊"を出してもらうんだ!」
どうやら住民達は、ランズィと香織、そして静因石を採ってきたソウゴ達に深い感謝と敬愛の念を持っているらしい。
信仰心を押しのけて、目の前のランズィと香織一行を守ろうと気勢を上げた。否、きっと信仰心自体は変わらないのだろう。ただ自分達の信仰する神が、自分達を救ってくれた"神の使徒"である香織を害す筈が無いと信じている様だ。
要するに、"信仰心"がフォルビンへの信頼を上回ったという事だろう。元々信頼があったのかは分からないが……
事態を知った住民達が、続々と集まってくる。彼等一人一人の力は当然の如く神殿騎士には全く及ばないが、際限なく湧き上がる怒りと敵意にフォルビンや助祭、神殿騎士達はたじろいだ様に後退った。
「司教殿、これがアンカジの意思だ。先程の申し立て……聞いてはもらえませんかな?」
「ぬっ、ぐぅ……ただで済むとは思わない事だっ!」
歯軋りしながら最後にソウゴ達を煮え滾った眼で睨みつけると、フォルビンは踵を返した。その後を、神殿騎士達が慌てて付いていく。フォルビンは激情を少しでも発散しようとしているかの様に、大きな足音を立てながら教会の方へと消えていった。
「呵々、随分と思い切ったものだな?」
当事者でありながら、最後まで蚊帳の外に置かれていたソウゴが笑いながらランズィに問いかける。一方香織達は、自分達のせいでアンカジが今度は王国や教会からの危機に晒されるのではと心配顔だ。
だがそんなソウゴ達に、ランズィは何でもない様に涼しい表情で答えた。
「なに、これは"アンカジの意思"だ。この公国に住む者で貴殿等に感謝していない者などおらん。そんな相手を、一方的な理由で殺させたとあっては……それこそ、私の方が"アンカジの意思"に殺されてしまうだろう。愛すべき国でクーデターなど考えたくもないぞ」
「成程。別にあの程度の連中に殺されたりはしないが……どうやら貴様は、確りと民の声を聴いているという事らしい」
ランズィの言葉に、機嫌がよさそうにソウゴがそう言うと、ランズィは我が意を得たりと笑った。
「そうだろうな。つまり君達は、教会よりも怖い存在という事だ。救国の英雄だからというのもあるがね、半分は君達を敵に回さない為だ。信じられない様な魔法を幾つも使い、未知の化け物をいとも簡単に屠り、大迷宮すらたった数日で攻略して戻ってくる。教会の威光を微風の様に受け流し、百人の神殿騎士を歯牙にもかけない。万群を正面から叩き潰し、勇者すら追い詰めた魔物を瞬殺したという報告も入っている……いや、実に恐ろしい。父から領主を継いで結構な年月が経つが、その中でも一、二を争う英断だったと自負しているよ」
ソウゴとしては、ランズィが自分達を教会に引き渡したとしてもどうこうするつもりは無かったのだが、ランズィは万一の可能性も考えて教会とソウゴ達を天秤にかけ後者を取ったのだろう。確かに国の為とは言え、教会の威光に逆らう行為なのだ。英断と言っても過言ではないだろう。
「……ならば、その決断には対価を払わねばな」
「ソウゴ殿?」
するとふとそんな事を言ったソウゴに、ランズィは疑問を浮かべて問いかける。そのソウゴの視界の先には、先程フォルビン達が消えていった教会がある。
「ランズィ。私は貴様を、このアンカジを気に入った。そして先程の貴様の言葉と民達の勇気に応えて、褒美を出す事にした」
片手を天に向けながらそう説明するソウゴが何をする気か、ユエ達は何となく予想がついた。
何故なら、先程から自分達の遥か頭上の空にて、何か巨大なエネルギーが溜まっていくのを感じたからだ。
「今回の件で貴様等が余計な面倒事に巻き込まれるのも気に喰わんのでな、先ずは貴様等の翻意が大本に伝わらん様口封じをするとしよう」
その言葉と共に、ソウゴは手を振り下ろした。
「──"
その言葉と共に、オルクスのヒュドラやグリューエンで遭遇した白竜を容易く凌駕する光の柱が教会を飲み込んだ。
それは、幾条もの落雷を束ねた光の暴力。神の名を冠する怒りの鉄槌。
恐らくフォルビン達は、自分達が死んだ事すら気付かなかっただろう。目の前でその光景を見ていたユエ達やランズィ、いつの間にか合流していたビィズですら理解出来なかった様で、漸く理解した時には既に教会は底の見えない大穴に変わっていた。“雷龍”を得意としているユエですら、あんぐりと口を開けて呆然としている。
「罰だの裁きだのとほざいていたが、神罰とはこういう事を言うのだ」
そう言うソウゴは、既に踵を返して歩を進めていた。ソウゴ以外、誰も動く事が出来なかった。それだけ、ソウゴが一瞬で齎した破壊と殺戮は凄まじかった。
この時、ランズィは心の底から思った。
──もし司教に従っていたら、自分達も死んでいたと。
「さてと。ビィズ、民達にこの場に留まっている様伝えてくれ。ランズィ、安置してある遺体を一つ残らずここに運んでくれ、ユエ達も使って構わん」
するとソウゴにそう指示され、ランズィ達は慌てて足を動かした。
数分後。
「取り敢えず死者達はここに集めているが……どうするつもりだ?」
ランズィ親子によってアンカジの民衆はオアシス周辺に留められ、今回の一件で亡くなった死者達の遺体も全てオアシス周辺に移送された。人々はその中に家族や友人を見つけ、その胸に悲しみと寂寥感を思い出す。
その姿に心を痛めながら、ランズィはソウゴの意図が読めず疑問符を浮かべている。ユエ達も同様だ。
ソウゴはランズィの問いに答えず、数歩前に踏み出す。すると案の定、人々の注目はソウゴに集まる。
「今から少し皆を驚かせるが、害の無い事は約束しよう。故に、静かに見ていてくれ」
ソウゴはそう前置き、地面に片膝を付いてとある術の印を結んだ。
「"外道・輪廻天生"」
途端、オアシスの底から巨大な鬼の様な首が出現する。勿論、突然そんな物が現れて民衆は動揺する。ユエ達もランズィ達もソウゴが何をするのか分からないまま、巨大な鬼の首に視線を向ける。
するとその鬼は徐に顎を開き、大量の青白い炎の様なものを吐き出した。
その炎は暫く宙を漂った後、地面に並べられた遺体に落ちた。その光景に誰もが困惑の声を上げ……次の瞬間には驚愕に固まった。
「……んぅ、あれ? 俺は……」
「私、何で……」
「おかあさん……?」
何と遺体が、先程まで遺体だった筈の人々が目を開けた。声を上げた。体を起こした。ある程度の時間差はありつつも、皆炎が落ちて数秒後、まるでただ眠っていただけの様に起き上がった。その姿からは、病に侵された弱った様子は一切無い。オアシスが汚染される以前の、健常な姿だった。
その光景を見た人々は数瞬の沈黙の後……
──歓声に包まれた。
皆、もう会えぬと思っていた大事な存在を抱き締め、涙を流している。先程まで死んでいた者達もまた、自分達は死んだ筈という記憶と目の前の光景が嚙み合わず、何が何やら分からないながらも笑顔を浮かべて抱き返す。
「こんな……こんな奇跡が!」
目の前で繰り広げられた有り得ない奇跡に、ランズィ達は驚愕で声を大に涙を流す。これは夢ではない、夢の様な現実だ。
神の所行とは、正しくこの様な事を言うのだ。ソウゴは神に遣わされた救世主ではなく、正にアンカジを救う為に地上に立った神なのだと本気で思った。
民も、兵も、医者も。皆再会の喜びと共にソウゴへの感謝を口にする。ソウゴを神だと崇めだす者も現れ始めた。
その視線の先で、ソウゴに異変が起きた。
ソウゴの陽光を反射する栗色の茶髪が、急激に白く変色していく。よく見れば、ユエ達ですら見た事が無い程汗を掻いている。
片膝を付いた姿勢を解き、立ち上がろうとしたソウゴは──ふらりとよろけて倒れかけた。
「ソウゴ様っ!!」
「ソウゴさん!!」
「ご主人様っ!」
「ソウゴくんっ!」
咄嗟に飛び出たユエ達がソウゴの体を支え、ソウゴはどうにか己の両足で立ち上がる。突然倒れかけたソウゴに、ランズィ達やアンカジの人々も心配そうな表情で駆け寄る。
「ソウゴ殿っ! 大丈夫か!?」
「あぁ、すまんな……少し、張り切り過ぎた」
すっかり白髪になった髪の奥で冷や汗を掻きながらも、ソウゴは笑みを浮かべて大丈夫だと告げる。
だがその言葉に反して、その脚は震え、息も荒く声が途切れ途切れだ。
肩を貸しているシアとティオも、ソウゴの腕に力が入っていないのが分かった。
「ご主人様、一体何をしたのじゃ!?」
「"外道・輪廻天生の術"……早い話が、超広範囲死者蘇生術だ……。本来なら、あまり時間が経っていると……蘇生は難しいが、……私が得意とするのは時間操作、多少遡る程度なら……無茶も通せる」
「そんな凄い術が……」
「代償に、術者の命を持っていくのが……難点だが……、私は不死だ……急激な老化で済んでいる」
本来なら術者の命と引き換えに発動すると聞き、周囲は驚愕の声を上げる。と同時に、そんな術を使って尚ふらつきながらも翳りの見えないソウゴの迫力と、自分達の為に躊躇い無く使ってくれたという事実に、最早感謝の念しか浮かばない。
「ランズィ。暫く休む、一時間程部屋を貸せ……それで回復する」
「それで済むなら、幾らでも使ってくれ!」
ランズィの快諾を受け、ソウゴはシア達の肩を借りながら歓声を背に歩き出した。
教会との騒動から三日。
農作地帯と作物の汚染を浄化したソウゴ達は、輝きを取り戻したオアシスを少し高台にある場所から眺めていた。
視線の先、キラキラと輝く湖面の周りには、笑顔と活気を取り戻した多くの人々が集っている。湖畔の草地に寝そべり、水際ではしゃぐ子供を見守る夫婦、桟橋から釣り糸を垂らす少年達、湖面に浮かべたボートで愛を語らい合う恋人達。訪れている人達は様々だが、皆一様に笑顔で満ち満ちていた。
ソウゴ達は今日、アンカジを発つ。
すっかり回復したソウゴは、その後も磁遁で砂金を集めて金塊を鋳造したり、魔術が付与された属性武器を兵士全員に配布して自ら指導したり、ランズィ親子に磁遁を教授したりと色々サービスをして二日を過ごした。
アンカジにおけるソウゴ達への歓迎ぶりは凄まじく、放っておけば出発時に見送りパレードまでしそうな勢いだったので、ランズィに頼んで何とか抑えてもらった程だ。見送りは領主館で終わらせてもらい、ソウゴ達は自分達だけで門近くまで来て最後にオアシスを眺めているのである。
「さて、そろそろ発つか。……だから貴様等、いい加減着替えるか上に何か羽織れ」
ソウゴはそろそろ門に向かおうと踵を返しつつ、傍にいるユエ達にそんな事を言った。
「……ん? 飽きた?」
「え? そうなの? ソウゴくん」
「いや、ユエ、香織よ。ご主人様の目はそう言っておらん。単に目立たぬ様にという事じゃろう」
「まぁ、門を通るのにこの格好はないですからね~」
シアがその場でくるりと華麗にターンを決めながら"この格好"と言ったのは、所謂ベリーダンスで着る様な衣装だった。チョリ・トップスを着てへそ出し、下はハーレムパンツやヤードスカートだ。非常に扇情的で、小さなお臍が眩しい。この衣装を着て踊られたりしたら目が釘付けになる事請け合いだ。
アンカジにおけるドレス衣装らしい。領主の奥方からプレゼントされたユエ達がこれを着てソウゴに披露した時、ソウゴの目が一瞬点になった。
今まで碌な反応をしてこなかったソウゴである。味を占めたシア達は、基本的に一日中その格好でソウゴに侍る様になった。当然そうなればユエも脱ぐ訳にいかず、常にソウゴに魅惑的に迫った。
だが悲しいかな、ソウゴの胸中に浮かんだのは「年相応の羞恥心は無いのか」や「未婚の子女がこれでいいのか」等の、ユエ達の理想とはかけ離れた事だけだった。
そして、アンカジを出発して二日。
そろそろホルアドに通じる街道に差し掛かる頃、トライドロンを走らせるソウゴ達は賊らしき連中に襲われている隊商と遭遇した。
そこでソウゴと香織は、意外すぎる人物と再会する事になった。
【ハイリヒ王国】の王宮敷地内にある騎士や兵士用の食堂に、どこかイライラとした雰囲気の女子生徒──園部優花の姿があった。
優花はただでさえ切れ長な目元をギンッと吊り上げながら、睥睨する様に食堂内を見渡す。幾人かの兵士と思われる青年達が、そんな優花の視線を受けてビクッと体を震わせた。
「ここにもいない……か、あぁもうっ! アイツ等、肝心な時に限ってっ!」
栗色の髪を少々乱暴に掻き上げつつ、優花は苛立ちを露わにする。そして更に兵士達をビクッとさせつつ踵を返した。
「訓練場にも、隊舎にも、食堂にもいない。……やっぱり、街に出たって事?」
独り言を呟きながら、優花は王宮正門の門番詰所へと進路を取る。ズンズンと音が聞こえてきそうな足取りだ。
「優花っち!」
進撃するかの様な勢いの優花に声が掛けられた。パタパタと走って来たのは宮崎奈々だ。
「こっちにはいなかったよ。そっちは?」
「食堂にはいなかったわ。さっき玉井くんと妙子にも会ったけど、やっぱりいないみたい。二人共、他の施設を見に行ってくれてるけど……多分王宮内にはいないんじゃない?」
「だよねぇ。私も相川君達とさっき会ったけど、やっぱりいなかったって。あぁもう! こんな時にアイツ等、何処ほっつき歩いてんのかなぁ! 愛ちゃん先生の護衛失格だよ!」
奈々が頭を抱えて「うがーっ!」と叫んだ。
二人──正確には愛ちゃん護衛隊のメンバーが探しているのは、同じ愛子の護衛隊であるデビット率いる神殿騎士達だった。
三日前、生徒達との夕食の席に現れなかった愛子。代わりにやって来た教皇イシュタルによれば、ソウゴの異端者認定について「覆す事が出来るかもしれない」と急遽本山に入ったのだと言う。審議や手続き等で直ぐには戻れないが、二~三日もすれば顔を見せるだろう、と説明を受けた。
事前に愛子と接触していた雫から、愛子より重要な話があると聞いていたので当然優花達は訝しんだ。取り敢えず愛子の所へ行こうと本山入りを訴えたのだが、異端者認定の対象である人間と親交のある者をこのタイミングで入山させる訳にはいかないと断られ、不安に思いながらも二~三日ならと待つ事にしたのだ。
しかし三日目の今日。既に昼を過ぎたこの時間になっても、愛子に関する情報が何も手に入らない。
本山行きのリフトは停止したままで、教会関係者も要領を得ない説明しかしない。痺れを切らした優花達は一先ず、デビット達神殿騎士に現状を尋ねようとしていた訳だ。
しかし、昨日の夕方までは姿を確認していたデビット達まで今日の朝には姿を晦ませてしまった。
何処を探してもいないのだ。最早街に行ったとしか考えられないのだが、この状況で愛子溺愛者である彼等が街中をふらつくとも思えない。
「……嫌な、感じね」
歯噛みしながら、優花はここ最近の王宮内の異様な雰囲気と、姿を消していく身近な人々を思い、まるで背筋に虫が這っているかの様な恐怖を覚えた。
するとそこへ、
「優花? それに奈々も……?」
やって来たのは雫だった。優花達へ呼びかけながら、しかし誰かを探している様に周囲へチラチラと視線をやっている。
「デビットさん達は……その様子だと、まだ見つかってないみたいね」
「うん。そっちも、団長さんとは会えなかったみたいだね」
優花の言葉に、雫は憂いを帯びた表情で目を伏せる。
あの日から姿を見せなくなったのは愛子だけではない。
メルドやリリアーナを筆頭に、雫の専属侍女兼友人であるニアを始めとした幾人かの使用人達。他にも訓練等で親しくなった騎士や兵士等も、何かと理由をつけて会えなくなっている。
「ねぇ……優花っち、雫っち。……大丈夫、だよね?」
「「……」」
奈々が、どこか怯えた様子で問うた。だが二人共、いつもの様に「大丈夫!」と即答する事が出来なかった。
──何かが起きている。
漠然とした不安感が、二人から余裕を奪い去ろうとしていた。
(こんな時に、彼がいてくれたら……)
(こんな時に、アイツがいてくれたら……)
無意識に、雫と優花は同じ方向を見た。
それは遥か西の空。思い浮かべた人物は同じ。
滅茶苦茶で理不尽で恐ろしいが、疑い無く頼りになる一人の王の背中だった。
暗い何処かの部屋。それなりの広さがあるその場所に、幽鬼の様に立つ無数の人影があった。誰も彼も微動だにせず、ただ佇んでいる。
そんな人間味の無い集団が整然と並ぶ部屋の奥に、更に二人の人影があった。こちらは生気に溢れ、間違い無く人間だと言える。
だが、"真面な"という形容詞をつけられるかと問われれば、答えは"否"だろう。
真面と言うには、瞳に宿る狂気の色が強過ぎた。
「さて、漸く準備も整ったね。あぁ本当に、ワクワクするよ。あの時から、ずっと思い焦がれていた瞬間が、もう直ぐやって来る! この世界へ喚ばれて……本当に良かったっ! 僕は今、とっても幸せだよ!!」
哄笑が響き渡る。幸せだと正の言葉を口にしながら、そこに込められたのは圧倒的なまでの悪意と嘲笑。捻じれて狂った感情の欠片。
その様子を、隣の人影は冷めきった眼差しで見つめている。仲間意識が皆無なのは明白だ。だが冷めていながらも口元にうっすらと浮かぶ笑みは、哄笑を上げる人影と同じくたっぷりの悪意と嘲笑に塗れていた。
同時刻。大陸の果ての王国にて、凄まじい光景が広がっていた。
圧倒的な数の魔物が、整然と並んでいるのだ。その数、裕に十万は超えているだろう。どれもこれも【オルクス大迷宮】の深層レベルの力を有している事は、その身に纏う禍々しい気配が示している。正に蹂躙という言葉が、形を持って顕現したかの様な光景だ。
驚いた事にその何体かには、人が騎乗している様だった。この集まりが、単なるスタンピードでない事は明白だ。
「神託が降りた。神の代弁者である我等の魔王陛下から、勅命が下った。──異教徒共を滅ぼせと」
厳かで、しかしどうしようもない程狂的な使命感を帯びた声音が地に降り注ぐ。その声には、どこか個人的な怒りや憎しみが見え隠れしていた。
そして、爆発的で熱狂的な歓声と共に長と思しき者の声が響く。
「知らしめてやろう。神意を、我等の強さを。我が物顔で北大陸を闊歩する愚か者共に、身の程というものを!」
踏み鳴らされた大地が揺れ、狂気の絶叫が大気を震わせた。
奇しくも薄暗い部屋の人影と、南の果てで大群を統べる男が宣言したのは同時だった。
──さぁ始めよう! 僕が幸せになる為の、僕の為の物語を!
──さぁ、雄叫びを上げろ! 我等が神に勝利を! 開戦の時だ!
標高八千メートル。【神山】の山頂に聳え立つ鋼鉄の塔。その最上階の牢獄に、小さな呻き声が上がった。
指先から血を流し、顔を顰めているのは──愛子だ。
愛子は滴る血で床に魔法陣を描き、何度も呪文を唱える。しかしどれだけ唱えても、何度挑戦しても、手首に嵌った枷が魔力の流出を妨げ発動させない。
がくりと肩を落とした愛子の手には、試みと同じ数だけ自傷の痕があった。
「無駄だという事が、まだ分からないのですか?」
「っ」
突然かけられた無機質な声に、愛子はビクッと肩を震わせる。視線を転じれば、そこにはいつの間にかフードを目深に被った修道女がいた。手にはトレーに載せられた質素な食事がある。
愛子は修道女の背後で、この牢獄の鉄扉が開いているのを見た瞬間一目散に駆け出した。
「だから、無駄だと言っているのです」
「あぐっ!」
修道女の脇を抜けようとした瞬間、腹部に衝撃が走った。認識する事も出来ない何らかの攻撃を受け、愛子は悲鳴を上げながら部屋の奥へと吹き飛ばされる。
「こ……ここから出して下さいっ! 私を閉じ込めて、生徒達に何をするつもりですか!?」
息を詰まらせながらも気丈に言葉を投げつける愛子だったが、修道女の気配は微塵も揺らがない。まるで機械の如く無機質なまま、食事を置くとあっさり踵を返した。
「待って、待って下さい! せめて、生徒達の無事をっ!」
縋りつく様に問いかける愛子だったが、無情にも扉は閉じられていく。そして一筋程の隙間を残して一度止まると、
「全ては主の御心のままに。盤上より退場した貴女には、知る由の無い事です」
そんな言葉だけを残して、扉は完全に閉じられた。
膝立ちのまま、愛子は己の無力を噛み締める。大切な生徒に、何かが起きようとしている。なのに自分は。彼等の先生なのに、何も出来ない。
ふと脳裏に過ったのは、【ウルの町】で理不尽を更なる理不尽で叩き潰した王者の姿。
愛子は格子の嵌った小さな天窓から覗く月を見上げながら、ポツリと呟いた。
「常磐さん……」
扉の向こうの小さな呟きを聞いた修道女は、無表情のままスタスタと牢獄の前を去る。そして通路の脇にある物見用のテラスに出ると、地上を睥睨し呟いた。
「来るなら来なさい、イレギュラー。その時が、貴方の終焉です」
狂人も魔人も、修道女も気づかない。自分達の行動が、思惑が、欲望が、その全てが異界の魔王イレギュラーに筒抜けだという事に。自分達が、彼の掌の上で踊っている事に。
異界の魔王は進む。運命に導かれる様に。
神意と狂気と裏切りで彩られた
ミュウの成長にこうご期待。