鬼舞辻無惨の妹は魔法少女   作:029

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マギレコ未履修なので、ぼちぼちプレイしながら書いていきたいです。

平安時代スタートなので、まどマギの用語を
魔法少女→仙女
ソウルジェム→魂魄石
グリーフシード→慟哭果
と変更しています。


私の、願いは

雪が降っていた。

年の暮れも差し迫った、寒い夜だった。

目に映るのは、闇に舞う雪華と、己の吐き出す息の白のみ。

 

……人生には空模様があると、誰かが言った。

ずっと晴れ続けることもなければ、ずっと雪が降り続けることもない。

人生に浮き沈みはつきもの、目先の幸不幸に囚われてはならないという事だがーーはたして私に、陽光が燦々と照る晴れやかな日があっただろうか?

いつもいつも、うすら寒く陰鬱な曇天を見上げるような心持ちで過ごしてきた気がする。

 

そして今は。

 

獣のように咆哮し、暴れ狂う兄を抱えて、夜の大路を当てどなく走っている今は。

 

骨まで凍てつく無明の闇が、どこまでも続いていた。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

鬼舞辻の血筋は呪われていると、誰もが噂している。

私もそう思う。

 

兄は生まれたときには死産だと言われ、脈もなく呼吸もしていなかった。

荼毘に付されようという際に漸く産声を上げたものの、病弱で二十歳まで生きられないと言われている。

 

それから数年後に生まれた私自身は健常であったが、母は難産で苦しみながら死んでいった。

死んで生まれてきた兄と、母親を殺して生まれてきた妹。

 

ーー気味が悪い。

ーーまるで鬼だ。

 

そんな周囲の囁きを聞き続けて、早十数年。

兄様(あにさま)、中納言様からお文をいただきました。どのようにお返事したら良いと思いますか?」

床の中から青白い手を伸ばし、兄ーー鬼舞辻無惨は受け取った紙をつまらなそうに一瞥する。

「……捻りのない、ありきたりな歌だ。適当に返せばよかろう」

「あはは」

兄は口が悪い。誰に対しても棘のある言葉遣いで、人を褒めるのを聞いたことがない。

「だいたい、なぜ私に訊く? 祖母や女房連中に訊けばよかろう」

「……私、おばあ様キライです。乳母(うば)やたちもキライです」

祖母はいつも、娘に先立たれたこと、孫息子が病弱な体であることを嘆いては、神仏に我が身の不幸を訴えている。泣きたいのは死んでしまった母や、日々床から出ることもままならない兄だろうに。

女房たちは、口では「お可哀想な姫様」などと阿っているが、不吉な娘だと気味悪く思っているのが態度の端々に透けて見えている。

私が安らげるのは、この部屋だけだ。

病を恐れて、使用人も最小限しか近寄らない、薬湯や祈祷の護摩の匂いが粘っこく染み付いた、薄暗い部屋。私と同じように、周囲の者から忌み嫌われた兄がいるこの部屋だけが、この世で唯一私の好きな場所だ。

けれど、ここへ出入りできるのも、きっともう僅かな間だろう。

年が明ければ裳着が待っている。成人すれば、実兄とはいえ男の部屋に軽々しく出入りすることは許されない。

「……この中納言、歳はたしか四十だったか」

「五十だそうです」

正妻が亡くなって、私ははて、三番目の妻になるのか、四番目の妻になるのだったか。

「無駄に歳ばかり重ねたつまらん男だな。お前も、こんな男と縁付くより、早々に死んだほうがマシではないか?」

「……別に、悪いことばかりではありませんよ」

母が身罷って以来、父親も家にやって来ることはなくなった。年寄りだろうが後妻だろうが、それなりの地位のある家と結びつかなければ待っているのは没落のみだ。

婚姻が成立すれば、兄の治療に費やす金の心配もせずに済む。

「ねえ兄様、新しい医者殿はどうですか?」

「何も変わらぬ。役立たずだ」

「でも、今までの者と違って新しい薬をたくさん試しているのでしょう? ……あの薬は兄様の運命を変えるーーそんな気がします」

噂をすればなんとやら。

部屋の向こうから、穏やかな初老の男の声がした。

「若様、本日の薬をお持ちいたしました」

そっと立ち上がって、医者と顔を合わせぬよう反対の出入り口から部屋を出る。

「それじゃ、新年はきっと、一緒にお祝いしましょうね」

「……」

兄と気兼ねなく交流できる正月は、多分次が最後だ。せめて少しでも元気になった無惨の姿が見たい。

(……大丈夫、きっと大丈夫)

あの医者は善良だ。これまでのように、通り一遍の治療をしてあっさり諦めた薬師や、仰々しい祈祷で御布施をせしめることしか考えていないまじない師とは違う。

 

ーーだから、鬼舞辻無惨の運命が、悪い方に変わるなんて予感は、気のせいだ。

 

 

 

(そういえば、大晦日には追儺(ついな)があるんだった)

自分の部屋に戻って、女房たちが外の廊下をせわしなく行き来する足音を聞きながらぼんやりと考える。

鬼やらいとも呼ばれる、悪しきものーー疫病や魑魅魍魎を追い払う儀式だ。生まれたときから無惨に取り憑いている病魔も、いい加減追い払ってくれないものか。

……否。

「私に、兄様の体を治す力があればいいのに……」

親子ほども年の離れた相手と結婚なんて嫌。

私を顧みない周囲の者たちも嫌。

なによりもーー不満ばかりで、何も出来ない自分が嫌だ。

兄の容態に不安を抱くのも、ただ医者に任せる以外自分に出来ることが無いせいなのだろう。

呪われた血筋も、不幸な運命も打ち砕けるような、そんな力が私にあればーー

 

『それが君の願いかい?』

 

不意に、声変わり前の少年めいた声が頭に響いた。

「だ、誰?」

『僕の名前はキュゥべえ。君にお願いがあって来たんだ』

……ソレは猫ほどの大きさの、見たことのない動物だった。

どこからともなく、突然私の目の前に現れて、行儀良くちょこんと座っている。南天の実を二つ嵌め込んだような赤い瞳でこちらを見上げると、大きな尻尾を親しげにひとつ揺らした。

 

『ーー鬼舞辻(れん)、僕と契約して、仙女になってよ!』

 

 

 

キュゥべえと名乗った白い小動物は、自らを〝魔法の使者“であると語った。

願い事を叶える代わりに、世に災いをなす魔女と戦う仙女となるーーそれがキュゥべえの求める契約だった。

『憐、君には素晴らしい才能がある。君が戦いの運命を受け入れるなら、どんな奇跡だって起こしてあげるよ』

「奇跡……どんな願いでも、本当に?」

『もちろんさ、契約さえしてくれればね』

願い。願いならある。

戦いの運命? 何も出来ない無力な自分にはもううんざりだ。

ならば拒む理由は無い。

「ええ、私、仙女になーー」

ダメだ。

(……!?)

舌が口蓋に張り付いたように、言葉が紡げなくなった。

心臓が不規則に脈打つ。

周囲の色が、音が、匂いが遠ざかる。

五感全てがその機能を放棄して、そのくせ頭が燃えるように熱い。

コイツの言うことを信じてはいけない。

『憐? どうかしたのかい?』

キュゥべえがこてんと首を傾げる。

一片の邪気も感じない無垢な仕草。

新雪のように真っ白な身体は、絵巻物に出てくる神獣そのものだ。

こんな清らかで可愛らしい存在を疑う必要なんて無い。

契約を拒む理由なんて無いはずなのにーー

違う、違う、違う、違う。

「……キ、キュゥべえ。あなたは、隠しごとをしてる。契約について、話してないことが、ある」

『ーー』

震える声で問いただす私を見つめる赤い双眸は、どこまでも澄み切っていた。

 

 

 

「それで、魂魄石というのはーー」

 

「じゃあ魔女はーー」

 

「つまりーー」

 

頭の異様な熱が冷める頃……質問責めにされたキュゥべえが、伏せていた情報を全て明らかにしたと確信できる頃には、すっかり日が落ちて室内は薄暗くなっていた。

「なるほどね……よくわかった」

かたわらに置いてあった香炉を掴んで、私は白いバケモノの頭を叩き潰した。

『ーー君たちの犠牲がどれだけ素晴らしい物をもたらすか、理解して貰いたかったんだが、どうやら無理みたいだね』

「……っ」

やれやれ、とでも言いたげな口調とともに、今しがた殺したのと寸分違わぬ姿が部屋の隅に浮かび上がる。薄闇の中でも、不思議にくっきりと目に映る白い輪郭がより一層不気味だった。

「わ、私は、仙女になんてならない……!」

相手は人を唆し魂を奪う魔物だ。神の使いと見紛う外見も、正体を知った後ではこちらを油断させるための擬態としか感じられない。

勇を奮って拒絶するも、魔物はあくまでも穏やかに語りかける。

『君には、叶えたい願いがあったんじゃないのかい?』

「……」

『僕たちはあくまで、君たちの合意を前提に契約しているから、無理強いはできない。だけど君はそれで後悔しないのかな?』

感情を理解しない存在の問いには、悪意も非難もない。

責められているように感じるのは、自身に罪の意識があるせいなのだろう。

「ーー無い、自分の魂と引き換えにしてまで叶えたい願いなんて私には無い。わかったら消えてちょうだい」

きっぱりと言う。今この瞬間も、病に苦しめられている兄の姿を脳裏から追い払って。

キュゥべえはじっとこちらを見つめていたが、私が考えを変える素振りがないと判断したのか、ゆっくりと背を向けた。

『君の気持ちはわかった。残念だけど仕方ないね』

几帳の反対側に回った四足の影が遠ざかる。

『でも、鬼舞辻憐ーーこの宇宙のために死んでくれる気になったら、いつでも声をかけて。待ってるからね』

最後にそんな巫山戯た言葉を残して、影はようやく姿を消した。

「……」

静寂が部屋に戻ってくる。

殺したはずの“一匹目”の死骸も、いつの間にか消え失せていた。過ぎ去ってみれば、悪夢か幻覚としか思えないような魔物との邂逅ーーしかし、傍らに転がる香炉と、そこから撒き散らされた灰が、確かな現実の出来事であったのだと伝えてくる。

知らぬうちに汗をかいていたらしい、這い寄ってきた夜の冷気にぶるりと身が震えた。

「これで……これで良かったんだ……」

自分に言い聞かせるように呟く。

今日のことは忘れよう。兄の身体は医者が治してくれる。特別な力が欲しいなどと愚かな夢を見るから、あんな魔に付け込まれるのだ。

違う。鬼舞辻無惨の運命は変わらない。鬼舞辻無惨はーー

(ああ、まただ。また、熱い)

脳を焼く不可視の業火から逃れるように、私はふらふらと歩きだしていた。

 

夢と現の間をさまよう心地で、薄暗い廊下を進む。

その足は自然と、通いなれた兄の居室へと向かっていた。

ーー不安の予感が、ますます強くなる。

熱のせいか霞む視界の中で、自分の手が戸をもたもたと引き開けるのを、他人事のように眺めている。

そして。

 

「!? ーーあ、兄様ぁ!」

戸を開けた先に、刃物を振り上げた無惨の後ろ姿を見て、朦朧としていた意識が瞬時に覚醒した。

 

「ぐ……うう……」

「い、医者殿! しっかりなさって!」

部屋に飛び込んで、恐る恐る医者の様子を窺う。

不幸中の幸いというべきか、私が声を上げたことで兄の凶刃は僅かに狙いが逸れて、肩口に食い込んでいた。

それでも大怪我に変わりはなく、着物がじわじわと赤く染まっていくさまに怖気をふるう。

「と、とにかく手当を……兄様、人を呼んで来ーー」

 

言葉が途切れた。

振り返った視界に、俯いた無惨の姿が映る。

「ハァッ……ハァッ……」

瘧に罹ったように震える身体。荒い息遣い。

言葉にするならただそれだけ。

けれどもその有り様に、今すぐ何もかも放りだして逃げたいほどの恐怖が沸き上がった。

彼が怖い。

何か別の生き物に変わりつつあるような、鬼舞辻無惨が怖い。

ーー本能が打ち鳴らすけたたましい警鐘を、“兄をこのままにしておけない”という感情が僅かに押しとどめた。

「どう、したんですか、あにさ……」

 

ぼたり。

 

(えっ……?)

床に粘りのある水滴が落ちる。

それは無惨の顎を伝って、大きく開いた口元からーー

「ガアアアアァッ!!」

両足が地を離れる。同時に、首に強烈な圧迫感。

「……っ……っ!?」

苦痛にもがき、混乱しながら私はようやく無惨の顔を見た。

爛々と光る、瞳孔が縦に裂けた紅梅色の双眸。

涎を溢れさせる口腔から、鋭い牙が覗いている。

首を締め上げる腕は網目状に血管が浮かび、見つめる間にも筋肉が肥大していく。

気道が、血管が圧迫され、頭蓋を再びあの灼熱が襲う……その苦悶の最中、私は唐突に無惨の変貌の理由を理解した。

 

嗚呼、兄は、鬼舞辻無惨は、鬼になったのだーーと。

 

理屈もなにもない、ただの勘。あるいは、天啓とでも呼ぶべきモノ。

それが、死に瀕した意識に遙か先の未来を見せる。

鬼舞辻無惨はこの先、人の血肉を欲する悪鬼として生きる。

数え切れない人間を殺し、嘆きと不幸を撒き散らす災厄の化身となる。

 

それら一切に、私は何の干渉もできない。

だって私は、ここで死ぬのだから。

悪鬼・鬼舞辻無惨の記憶に毛筋ほども留まることのない、ただ偶々最初に殺したというだけの命。

それが私だ。

 

変えようのない運命。

覆しようのない結末。

 

ーー奇跡か、魔法でも無い限り。

 

(キュゥべえ……!)

人外の握力が、頸の骨を折り砕くまでの数秒にも満たない猶予。

追い詰められた精神が極限まで引き延ばした刹那の時の中で、二度と顔を見せるなと思っていた相手に呼びかける。

 

ーーやあ、どうやら考えなおしてくれたみたいだね。

 

うるさい。さっさとしろ。

 

ーーわかってるよ。鬼舞辻憐、君はどんな願いで、魂魄石を輝かせるんだい?

 

宙吊りにされてほとんど感覚のない身体が、僅かに震える。

これは、決して引き返すこと能わぬ魔道への誘いだ。

永劫不滅であるはずの魂を、宇宙にくべる薪に貶める禁断の魔術。

最後の躊躇が、迫り来る死を前にしてなお、そこへ踏み出すのを阻む。

それでも、

(……兄様)

 

鬼舞辻無惨。

お世辞にも性格が良いとは言えぬ男である。

お世辞にも仲睦まじいとは言えぬ兄である。

 

それでも、この十数年の生涯でもっとも関わりの深い相手は誰かと訊かれたら、私は間違いなく彼の名を答えるだろう。

だから。

(私の、願いはーー)

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

「ああ、雪がやんだみたいですね」

「グゥウゥゥウゥ……」

屋敷を飛び出して、無我夢中で走った先で見つけた荒れ果てた寺。壁や屋根の穴から隙間風が入り込むが、とりあえず身を休めることはできそうだ。

「あの医者、大丈夫でしょうか。死にはしないと思うのですが」

「ガアァァァッ……!」

半ば割れた格子戸を閉めながら思い出す。騒ぎを聞きつけた使用人たちの声が近づいていたようだから、救護は間に合っただろう。そのかわり、自分は変貌した兄の姿を人目に晒さないために遁走を余儀なくされたわけだが。

理性を失い暴れる兄を担いで市中から外れたこの廃寺まで走り続けられたのは、偏に契約によって得た魔力の恩恵である。代償として失うものの大きさを思えば、手放しに喜ぶことはできないものの。

「……」

軽く頭を振って、思考を切り替える。

今考えるべきは無惨のことだ。

「これからどうしましょうね」

「グァウゥ! フーッフーッ……!」

「……兄様、ちょっと静かにしてくれませんか?」

ため息とともに振り返る。

廃堂の奥。魔法の鎖で雁字搦めにされたまま、無惨は休みなく踠き、唸り声を上げていた。

己の自由を奪う鎖が私の仕業だと本能的に察しているのか、私が向き直るとその咆哮はより一層大きくなった。

「キュゥべえ、あなた、兄様が今どんな状態なのかわかる?」

『わかるわけないじゃないか。こんな風になった人間の前例を、僕たちは知らないよ』

呼びかけに応じてひょっこりと現れた生き物の顔は、相変わらずパッと見は可愛く見える無表情だ。

私と兄を襲った運命の激変など、コイツにはどうでもいいことなのだろう。

「ーー推測ぐらいはできるでしょう。話してみなさい」

『……極度の飢餓状態だね。おそらく肉体が急激に変化したことによる消耗を、食事によって補おうとしているんだろう』

「うん、私もそう思う」

ガチガチと鎖を噛む兄の口からは絶え間なく唾液が滴り、私を睨む紅梅色の双眸には、憤怒とともに明確な飢えが宿っていた。そして人ならざるものと化した無惨の求める食事とは、おそらくーー

(竹か何かで口枷を作ったら……ダメだ、一瞬で噛み砕かれる未来しか見えない)

その後しばらく話しかけて宥めたり、子守唄を歌ってみたりもしたが、兄の狂態は収まらない。己の欲求を満たす、それだけのために有り余る力を使わんとする意思は、こちらが何をしようと微塵も衰えないだろう。

じつに強靭な精神力の持ち主であった。悪い意味で。

(せめて、話ぐらいはできるようになってもらわないと……)

途方に暮れて、視線を自らの手元に落とす。

 

「…………」

 

左手の中指に光る、銀の指輪。嵌っているのは、熟れた柘榴を思わせる深紅の宝石だ。

契約によって生み出された魔力の源であり仙女の証ーーそして、私自身。

「……念のためもう一度確認するけど」

立ち上がって、堂の隅に放置されていた薪割り用らしい斧を拾い上げる。随分錆びているが、まあ大丈夫だろう。

「仙女の本体は魂魄石、ゆえに心臓が潰されようとありったけの血を抜かれようと、肉体は魔力で修復できるーーこれに間違いはない?」

『そうさ。魂魄石が砕かれない限り、君たちは無敵だよ』

「それは結構……」

新羅には“割股”という文化がある。病気の肉親に、自身の腿肉を薬として食させるという孝行。書物で読んだときには馬鹿げているとしか思わなかったがーー今の無惨に、妹としてできることは他になさそうだ。

床に足を投げ出して、袴の裾をめくる。

手にした斧を大きく振り上げようとして、初めて持った刃物の重さに断念した。……あと、流石に少し怖い。

仕方なく、右手で柄を握り、左手を刃の背に乗せて太腿に押し当てる。

ぶつり、と何とも嫌な手応えと同時に、錆の浮いた刃が皮膚に食い込んだ。

「痛っ……くない! 痛くない痛くない痛くないぃぃ……っ!!」

背を丸め、震える手で斧を握り直し、声を張り上げて、神経を駆け巡る衝撃を紛らわす。

この身体は既に魂無き抜け殻。

ならば痛みなど感じる筈が無い。

……何度も脂汗でぬめる柄を取り落とし、薄紙一枚分ずつ肉を切り進んで、刃が骨に当たる頃。ようやく金属の冷たさと、血の生暖かさしか感じなくなった。

魔力で強化した腕力で、太い骨を断ち、左脚を完全に切り離す。

着物も床も真っ赤に濡れて、血の匂いが噎せ返るほど堂内に満ちている。

 

ーーうん、次からは先に血流を止めてやった方が良さそうだ。

 

 

 




原作の描写では、医者殺害から鬼化まですこし日数が経っている様子でしたが、拙作ではもっとも栄養となる血縁者が近くにいたことで急激に鬼化が進行した……ということでお願いします。
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