(視野が狭くなる…か。)
走っている時は視野が狭くなる、ユノハナブルームに言っておきながら、自分もそうであった事を思い出す。
(新品のツナギで走るとコケるってジンクス。だから走る前に、地面に寝転がって泥を付ける。アホみたいなゲン担ぎだが、それすらも忘れていた。)
マン島レース。友との約束の場所に立てた事で、舞い上がっていた。
(それだけで死んだとまでは思わないが、そこに気が回らない程の状態で走り出した。あのまま走り続けたとして…。)
やっぱり、怖い。
(フラッシュバック、か?)
誤魔化すように、震える手でタバコに火を付ける。
(ジュッ!)
マン島のギャップで跳ね、首から壁に突っ込んだあの時。アドレナリンが出ていたから冷静でいられた。しかし今は、思い出して呼吸が浅くなる。
(……。)
廊下を歩く足音。ユノハナブルームが焼酎とグラス、割り材を乗せたお盆を手に戻って来る。
「…おや?顔色がすぐれませんね。悪酔いしてしまいましたか?」
「いや、酒のせいじゃない。思い出しただけだ。」
「芥瀬様にも、怖い瞬間があったのですね?」
「ああ。」
タバコを吸いながら、考える。
(ここで死んで転生したなんて言ったら、酔っ払いの不謹慎な冗談としか思われないだろうな。)
「ゆっくりで、大丈夫ですよ?」
「まぁ、レースの世界に長く居れば、怖かった事の1つや2つはある…それだけだ。」
「そうですね…。飲みながら行きましょう。水割りと炭酸割り、どちらにしますか?」
「炭酸割りで頼む。」
(トクトク…シュワ。)
焼酎を作るユノハナブルームを見ながら言う。
「だが。恐怖心というのは、無くしちゃいけないんだよな。」
「そうなんですか?」
「ああ。恐怖心がある事で、事前に危険を察知出来る事もある。あとコレは漫画の受け売りだが…。」
(カランッ…。)
焼酎に氷を落とす音と、沈黙。
「その漫画では、何と?」
「今日死ぬかもしれない。そう思わないヤツがみんな死んでいる…と。いつも思っている訳じゃないがな。」
「私達とは少し、違いますね…どうぞ。」
(コトッ。)
焼酎の炭酸割りが置かれる。
「ありがとう。とりあえず飲もうか。シラフで言うには、お互い重い話だろ?」
タバコを消して、焼酎を一口飲む。焼酎の辛味と炭酸の刺激が気持ち良い。
「私もレースで怖い瞬間はあったのですが、死を意識するほどの事はありませんでした。」
「そうか。まぁ、まだスピードが乗り物よりは遅いからかな。」
「…かもしれませんね。ところで。」
「ん?」
「芥瀬様がレースから降りきれないのは、トレーナーになる上では必要な部分もありますが、何か理由があるのでしょうか?」
(グビグビ…コトッ。)
焼酎を少しあおり、グラスを置く。
「ちょっと、忘れ物があるもんでね…まぁ、俺が勝手に思ってるだけなんだが。」
「それは、どういう?」
「……。昔死んだ仲間のやりたかったであろう事を、勝手に受け継いで来た。」
「勝手に、ですか?」
「ああ。別に託された訳でもないのにな。」
「どうしてそこまで?」
「アイツが死んだ時。最後に峠をもう一回走ろうと、誘ったのは俺だからだ。」
「贖罪、でしょうか?」
「それだけじゃ、止まっちまうから走って来たつもりだが、実際はどうだったんだかな…。」
ユノハナブルームは焼酎を飲み、答える。
「…慌てて答えを出さなくても、良いんじゃないでしょうか?女将も言っていたじゃないですか。」
「慌てて答えを出すと、中途半端になる。か。」
「ええ。芥瀬様は、誰かの目標を背負いながら、進めていると思います。」
「そう、言ってくれるか。」
「きっとそれは、トレーナーになる上でも必要になるかもしれません。」
「……ありがとう。」
焼酎を飲み干す。
「次は、どうしますか?」
「そろそろ、日本酒を貰おうか。」
「熱燗にしますか?」
「いや、冷たい方が好きだな。」
「では、準備して来ます。」
再び厨房に戻るユノハナブルームを見送る。