10月30日 午後9時半時頃 深層洋館 正面玄関ホール前
天井に輝くきらびやかなシャンデリア。毛先の長い赤い絨毯が続く階段を中心にした左右対称の建築様式は玄関をくぐった来訪者の心を一目で奪う。
しかし、そんな芸術的な洋館の内装に感動する余裕はノラには残されていない。毛先の長い赤絨毯の上でへなへなとへたり込み
嗚咽する。
「ひぐっ……ひっ!若セバス。そんな……」
まだ若くうかつな発言などもあったが、頼もしい先輩だった。それがこんな形で……。
「ノラちゃん。大丈夫?少し休む」
背中をさする寧々丸の角は引っ込んでいる。余裕な顔をしつつも緊張は隠せない。守るべき令嬢ですら気丈に振る舞っているのに見習いとはいえセバスチャンの自分がいつまでもくよくよしてはいられないと、涙を拭って立ち上がる。
「いえ、平気です!若セバスから託されたお嬢様方の救出。必ず成し遂げて見せます……!」
涙を拭って気丈な顔で立ち上がるノラに食堂方面の探索を任せて寧々丸は二階の探索を担当する。
「わっ!お寿司ぃ♥」
食堂の長テーブルに並ぶのは赤貝にぼたんえびに縁側など高級寿司の数々。洋館の雰囲気にはそぐわないと思いきやキラキラと輝くネタの数々はまるで宝石のよう。つい数時間前までここで定例会議と言う名の寿司パーティーが催される予定だったのだ。
「じゅるり……はっ!ダメダメ!お嬢様方の探索が先決!」
弾切れになったベレッタの代わりにサバイバルナイフを片手に館の探索を開始する。水を打ったような静寂の合間から、どこからともなく聞こえてくるうめき声や銃声が館内が尋常ではない事態であることをノラにまざまざと見せつけてくる。
「どういうこと?寿司の表面はそんなに乾いてなかったから少し前まで人がいたはず……それなに他のセバスもお嬢様方も一人も見当たらないなんて……」
闇雲に動いて若セバスの二の舞になるわけにはいかず、途方に暮れていると犬耳もとい癖毛が赤子の泣き声を捉えた。
「おんぎゃぁぁぁっ!ばぶぅ!ふぎゃぁぁぁぁぁっっっ!!!」
ハイハイで必死に逃げる赤子を知性のない白濁した眼球で認め、うめき声を上げながら追うのは爛れた肉体に死臭を纏った生ける屍―ゾンビ。的が小さすぎる為、胃酸を吐き散らしながら執拗に追跡する。
「あれはみるくお嬢様!今、お助けいたします!」
廊下の曲がり角の向こうに消える深層7女の窮地に893の血が騒いだノラはナイフ一本で果敢にゾンビに立ち向かおうとしたその時、みるくを追ってゾンビが曲がり角を曲がると同時に、強烈な爆発音が鳴り響きゾンビが神のように吹っ飛んだ。
何故か白衣姿のゾンビの前身は一瞬で赤黒く染まりぼろ雑巾同然となり、床に仰向けに倒れ伏す。
「これは一体……」
さっきの泣き声が嘘のように不敵な笑みを浮かべて廊下の真ん中で小さい中指を立てる小城夜みるくをノラは抱え上げる。
「大丈夫ですか?!みるくお嬢様」
「だいじょーぶ。ノラちゃん。クレイモア地雷うまくいった」
みるくよりさらに廊下の先には三脚の上にスチール製の弁当箱のような長方形の箱が白煙を上げている。
「クレイモア地雷……有効射程まで誘導したんですね」
通常のクレイモア地雷の半分ほどの大きさの深層組謹製ミニチュア・クレイモア。小柄さを活かして誤爆を防ぐ計算高さとゾンビ相手に臆さない豪胆さに改めて執事見習いとして敬意を払う。
「他の御姉妹型やセバスチャンの行方を知りませんか?」
「バブ、わかんない。気づいたら館中、ゾンビだらけになっとった」
おぉぉぉぉぉぉっ
クレイモア地雷の炸裂によって周囲のゾンビが集まり出した。ドアを叩く音、引きずるような足音にノラの血の気が一気に引く。
「ひぇぇ。とりあえずおんぶ紐!あと武器もナイフ一本じゃ話にならない!」
みるくを抱えたままではろくに戦闘はできないと、あわてて食堂まで引き返す。
「ひぇぇ……ナイフ一本じゃとてもしのぎ切れません……!」
「きゃぅ~~♥」
途方に暮れるノラに抱えられたみるくがテーブルに所狭しと並べられた寿司に目を輝かせる。ぱたぱたと小さい両手をぱたぱたと動かす可愛らしい姿にノラの理性が飛んだ。
「ふぅおぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!みるく!みるくみるく!」
原神配信のように警察を呼ばれる心配こそないが、ノラの奇声にぎょっとするみるくの頭頂部のちょんまげを卑しい音を立てておしゃぶりのようにすすり上げる。
ぶちゅるっ♥じゅるるるるっ♥じゅちゅるるるるるるるるるっ♥♥♥
「うきゃぁぁぁぁっ!」
涙目になって変質者と化したノラから逃れようとするが、バブシコ状態となったノラの魔手からは逃れられない。
おぉぉぉぉぉぉっ……!
ノラが狂っている間、食堂に侵入したゾンビがノラににじり寄る。クレイモアの起爆とノラの奇声を聞きつけて寧々丸が食堂に駆け付けた。
「あっ!ノラちゃん、てっ、何してんの!ほら後ろ後ろ!」
「寧々丸お嬢様!?後ろ……いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
寧々丸の声にはっと我に返ったノラは、みるくに夢中で肩に手が届きそうなほどに接近しているゾンビに気づくとかな切り声を上げて泡を食ってほうほうの体で逃げ出す。
「うわっ!めっちゃうるせー!」
ノラの絶叫とみるくのギャン泣きに呆れた寧々丸はわりかし冷静にゾンビにマグナムの狙いを定める。
ズドン!
「うぉ!一発じゃ止まんねーし!これならどーだ!おりゃー!」
強力無比な44マグナム弾の直撃を耐えたゾンビは寧々丸にターゲットを変えてにじり寄る。寧々丸は改めて照準を合わせて二発お見舞いする。
ズドン!ズドン!
生ける屍もマグナム弾3発の直撃には耐えられず、今度こそ絶命して今度こそただの屍になるゾンビだが、マグナム
弾の直撃で破砕した肉片や血煙、臓物が寿司に盛大にトッピングされ見るに堪えない惨状。
「はぁはぁはぁ、助かりました。!みるくお嬢様?!」
「あっあっあっ!お寿司……たびりない……!ふぎゃぁぁぁぁん!」
ぐずりだしたみるくにオロオロする見習いらしい情けない姿のノラが見ていられずゾンビの肉片スプリンクラーを免れた赤貝の寿司を口に含むと適度に咀嚼する。
「バブちゃん、あーん」
「!?あーん」
なかなか泣き止まない子供に飴を与えるようにみるくのおしゃぶりを取りぬいて赤貝を口移しで食べさせる寧々丸にまたしてもノラの理性が飛ぶ。
「ほあぉぉぉ!バブノラてぇてぇ!てぇてぇ!」
興奮のあまり今度は寧々丸の髪を舐めようと飛び掛かってくるノラをさっと躱すと、赤貝の味に夢見心地のみるくにおしゃぶりを返す。
「たぅぅぅ♥赤貝……おいちぃ……♥」
大好きな寿司ネタにぽぉーと頬に赤味がさし、赤貝のぷりぷりの感触をおしゃぶりをちゅぅちゅぅと吸って反芻するみるくの頭を撫で擦り、寧々丸ははにかむ。
「ははは。現金だね」
「ありがとうございます。ボク一人ならどうなっていたか……」
「気にすんなって。それより、これ上げる」
寧々丸が差しだしてきたのはベレッタの弾倉が二つとダガーナイフ一本。ナイフ一本で丸腰に近いノラにはまさに砂漠で口にする水の一杯のようなありがたさ。
「感謝します!これでみるくお嬢様をお守りできます」
ベレッタに弾を込め、ダガーナイフを懐に収める姿を見ながら、寧々丸はアイコスを吸って気分を落ち着ける。
「ふぅ、この状況で吸っても経費とか殿のかなぁ」
「ボクが愛妻家セバスに掛け合ってみます」
「サンキュ。それじゃ探索に戻ろっか。早くみんなの顔見たいし」
セバスチャン見習いと深層第一養子。立場は違えど深層家に対する思いは一緒。決して一人ではないとノラは力強く頷き返す。
「はい!御武運を!お嬢様方を助け出して!一緒に寿司パです!」
横顔に笑みを浮かべた寧々丸は食堂を後にする姿を見送り、自分も探索に戻ろうとしたところで玄関ホールの方からわずかながら異質な唸り声が耳に届き旋律が走る。
うぅうううぅぅうううぅぅぅぅっ……!
「ひぃぃぃ……今度はなんなんですかぁ……!」
若い女の声だが苦悶に満ちた地を這うような声にノラはゾッとして駆け足で食堂を去った。
つづく