シエナ・ハリスは両親が嫌いである。いや、それでは生温い。殺してやりたいほどに忌み嫌っている。もしも、目の前にいたらあらゆる手段を行使して残虐に殺していたであろう。
彼女は昔を思い出す。記憶に残っているのは、暴力を振るうだけの癇癪持ちの父親と、性に溺れて子供の面倒を見ない堕落者の母親の存在。そんな親たちに毎日蹴られたり、殴られたりした。今でも身体には無数のアザが残っている。
「そんな人間は殺したほうが良いに決まっています」
しかし、それは出来ない。彼女は既に帝国の伯爵家から追放されており、両親に会うことなど出来ないからだ。
何故、彼女が伯爵家から追放されたのか。それは子どもが産めないためだ。貴族に取って女など子どもを産む道具としか見ていない。しかし、私は生殖機能が壊れていたので永遠に子供など産めない。だから、13歳の時に伯爵令嬢からスラム街の子供になったのだ。
「はあ〜。殴られて、母親の痴態を見せられて…幼い私はどうすればよかったのでしょうか」
しかし、今はハイリヒ王国の魔法騎士団にいる。人生なにがあるか分からないものだ。彼女は自分自身の部屋に飾られている国から貰った勲章や感謝状を見る。
「本当に…姫様には感謝しております」
そんな彼女を救ったのはリリアーナ・S・B・ハイリヒである。当時、15歳になった私はスラム街を抜け出して、冒険者として雑草の如く生活していた。そんな私に何故かこの国の王女様の護衛依頼が舞い込んだのだ。成功した時の報酬金額は平均賃金の三年分にも相当した。
「初めは困惑しましたね。私なんかに出来るようなものでもなかったことですし」
実際、罠か何かだと疑った。冒険者協会で渡された護衛依頼書のおかしな点をずっと探す作業をしていた。しかし、おかしな点などなかった。むしろ、清々しいほど懇切丁寧に依頼者は書かれていた。
「結果的に、私が選ばれたのは頭の回転が早くて、礼儀マナーが出来ていたから…昔取った杵柄ですね」
皮肉なものである。忌み嫌っていた両親がいる伯爵家の勉強が生かされてしまったのだから。嫌で嫌で仕方がない。
「まあ、お金になるので護衛依頼は受けましたが…」
その後、盗賊の襲撃や毒殺されそうなリリアーナ王女を助けたことで、褒美として魔法騎士団に入ることとなった。
「本当にあの時は怒涛のような展開でしたね」
私は思い出して苦々しく笑う。それでも、彼女はどこか嬉しげである。
「そして、次は戦争でしたね」
初陣のことを思い出す。あの時は確か…聖教教会とハイリヒ王国軍が連合軍を組み、魔族に落とされた拠点を奪還する任務に就くことになったのだ。
「あの戦争は悲惨でした」
魔族1000人規模の灼熱の魔法を受けて教会と王国の連合軍は半壊し、壊滅的な被害を受けたことを思い出す。
「私は生き残れましたが…目を失明したのです」
現在、それを補うためにアーティファクトの眼鏡をつけている。アーティファクトとは何か。簡単に言えばオーパーツであり、現代では再現できないモノのことである。そんな貴重なものを私は王国から頂いた。
「まあ、これが頂けたのは戦争の敗退について情報規制するためでしょうが……貰えるものは貰います」
腐った上層部のことを思い浮かべて、顔を歪ませる。もしも、上層部がまだマシな人達で組まれていたら、戦争の被害は少なかったはずだ。まあ、そんなありもしないことを考えても仕方ない。
その後、私は怪我の治療と眼鏡を身体に馴染ませるために休暇を頂いていた。しかし、急に呼び出されて新しい指令を告げられた。それには、少し憤りを感じたが、指令が来た以上は拒否など存在しない。
「なるほど……エヒト様に選ばれた勇者様達の1人を指導ですか。かしこまりました」
私は渡された司令書を見る。
「担当する人物は……なるほど、谷口 翔さまですね」
なんとも不思議な名前である。上位世界の方々はこのような名前が普通なのであろうか。私の頭に疑問が生まれてしまう。
(まあ、些細な疑問です。気にしないでいいでしょう)
ステータス値は平凡、おまけに何故かステータスプレートが壊れている技能の箇所がある。
(ステータスプレートが壊れることがあるのですね…初耳です)
そして顔合わせ当日になったとき、私は翔さまに一目惚れした。普通なようで普通と違う雰囲気を纏い、儚げな印象がある人。エキゾチックな黒い髪に黒い瞳。つい、守りたくなるような雰囲気に母性愛が刺激された。
(私は子どもが産めないので、母性愛かどうかは判断が難しいですけどね)
何はともはれ、谷口 翔という人物に一目惚れしたのだ。私は彼を死なせたくなかった。唯一の希望のように感じたのだから当然である。
だから、私は…翔さまの訓練を激しくした。軍隊以上のノルマを彼に与えた。途中で諦めたら私が守ってあげようとも思っていた。
「まさか、訓練に全て食らいつくなど思ってはいませんでした。アレは鋼の精神といえばよろしいのでしょうか」
なにがあっても諦めずに私の言葉に切り返してくる翔さまを思い浮かべて顔を緩める。心にポカポカした暖かいものを感じる。
「本当に楽しかったです。このピアスも本当に嬉しくて…だから、無事に帰ってきてくださいね」
白い装束を纏って、黒い杖を右手に持ち、上から白いフードマントを羽織っている翔さまを後ろから見つめる。
少しずつ、少しずつ、小さくなっていく姿を見てチクリっと胸が痛くなる。だから、私は両手を胸の辺りで合わせて恋敵に祈る。
「雫さま任せましたよ。私は軍の人間ですので、命令がない以上ここから動けないのです」
呟いた言葉は空へと吸い込まれて、霞のように消えていく。