ーー 英傑というものに憧れたことはあるかしら?
誰よりも気高く、誰よりも凛々しく、誰よりも崇高。全ての栄光を手にして、全ての災いを退けてしまうような運命を背負う人。そんな人類の希望になりたいと望んだことはないかしら。
私はそんなモノを望んだことは無いわ。だって、大した価値を感じないもの。そんなモノよりもネコさんやウサギさんのお人形を頂戴。もしも、私にお人形をプレゼントしてくれるなら、一日中……いいえ、ずっと胸の中で抱きしめて生活しているから。
ーー どんな存在にも勝利する強靭な力を欲したことはあるかしら?
全ての悪人を断罪し、破壊という災禍を齎す怪物を己の一撃で葬り去り、例え悪しき神ですら粉砕してしまうような無慈悲な力を欲したことはないかしら。
私はそんなモノを欲したことは無いわ。軋む身体から汗と血を呪いのように出した上で掴み取った強さなんて必要ない。そんなモノよりも、愛する人から可愛いアクセサリーが欲しいわ。例えば、指輪とか良いわね。貰った指輪を左手の薬指に着けて愛を誓い合うの。
ーー 何事にも揺るがない鋼の魂を持ちたいと思ったことはあるかしら?
苦痛を苦痛とも感じず、乗り越えられない障壁すら己の心を奮い立たせて飛び越え、得たいものは必ず掴み取るよう克己心の塊のような魂。そんな特別な魂になってみたいと考えたことはないかしら。
私はそんなモノ持ちたいと思ったことは無いわ。私が欲しいものは普遍的な女性としての幸せよ。いいえ、こう言ったら怒られるわね。なら、こう表現しようかしら? ありきたりな一人の女性として生活がしたいの。
でもね、もしもよ。それらが大切な人のために必要と言うのなら……私は刀を愛する人に捧げて、あらゆる敵を切り払うわ。だって、守られるだけは嫌だから。どんな時も愛する人と一緒にいたいから。
「それは本当ですね、雫様? でしたら、私は信じましょう。さあ、夢から覚める時間ですよ」
海に揺蕩う流木のような私に向かって誰かの声が聞こえてきた。
おそらく、これはきっと……。
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地球の建物で例えると天井がないコロッセオのような構造をしているハイリヒ王国の訓練場に私は無理やり連れてこられていた。
朧げにしか見えない視界で目の前の人物を見る。
すると、茶髪のセミロングや垂れ目の茶眼、眼鏡を掛けているのが特徴のシエナ・ハリスがいる。その他にも彼女の特徴を挙げるなら160cm程の小柄な身長だったり、私よりも豊かな胸を持っていたり、優しげなおっとりとした印象を漂わせていたりする。私から見て彼女はとても女性らしい人だった。故に、憎らしくて仕方がない。
(何で私が欲しいものをシエナさんは沢山持っているの? 170cmも身長は要らないし、胸だって私よりも一つサイズが大きいE以上はあると思うし、私のようなキツイ印象も持っていない。ふざけないでよ、理不尽じゃない…)
シエナさんだけは見たくなかった。私の劣等感が狂わされて仕方がなかったからだ。それに、私の夢の世界を壊して此処に連れてきた人でもある。兎に角、目の前から消えて欲しくて仕方がない。だから、全力で彼女を睨んで威嚇をする。
だけど、彼女は私の挑発には全く乗らなかった。それどころか、敵対的な私を見ても無表情で眼鏡を拭いている。まるで、ロボットのように日常的な動作を行う彼女に感情の起伏というものが一切なくて怖さで硬直してしまう。
でも、ずっとこうしては要られない。だから、自身の身体に喝を入れてシエナさんに声を掛ける。
「私をこんな場所に連れてきた理由は何? 今は訓練をする気持ちにはなれないの。悪いけど帰っても良いかしら?」
「ダメですよ。雫様が夢の世界に籠る限りはここから出ることは認められません」
ああ、何故目の前の人は私の心を読めてしまうのだろうか。恐ろしいと感じると共に、喜びが脳の中を駆け巡る。きっと、そうなってしまうのは共感してくれるのが嬉しいからだろう。ずっと、上手くいかなかったから。成功なんてしたことがなかったから。そんな劣等感だけで私は構成されている。だから、等身大の私を知ってくれている人がいるのは嬉しくて仕方がない。
(剣術が得意なのは凄い? スポーツが出来て羨ましい? 高身長が憧れる? 女性からカッコいいと褒められる? 数え切られないほどの男性からカッコよくて美しいところが好きだと告白される? ええ、それを成功と言ってもいいかもしれないわね。でもね、私はそれを欲していない。私は香織みたいに可愛いと言われたいし、可愛いモノを貰いたい)
だけど、貰えるのは武術の技術や竹刀、動きやすい服類だけだった。いえ、正確に言うなら可愛い髪飾りを家族や香織から貰っていた。だけど、それは私が稽古で邪魔にならないように普段から髪を括っているのを見ていたからだろう。本当の意味で可愛いものを私に渡してくれた訳ではない筈だ。
だから、稽古以外の用途に使う可愛いモノをくれた谷口 翔という人物に惚れ込んだ。あの時の公園でどうしようもないほどに好きという感情が身体と心に刻み込まれた。いえ、それでは形容しきれていないかも知れない。
(翔は私の希望で癒しで何よりの宝物。身体と心に刻み込まれたなどという言葉で形容しきれている訳ないわ)
そんな愛する人が目の前で死んでしまった時、私の刀は真っ二つに修復不可能な程に折れてしまったのだ。私の乾いた心に豊穣の雨のように降り注いでくれた存在は追い求めても届かない場所に旅立ってしまった。ああ、星はロマンチックで綺麗だけど彼の星だけは探したくはない。
(嫌、辞めて、死んだなんて考えてはいけないのに…ええ、だから意地でも認めないわよ絶対に!)
私はそれだけは認めたくはない。だから、私の拠り所は見えない翔になった。それは現実主義者の私からすれば道理が通らなくて可笑しいことだというのは分かっている。それでも、そうしなければ生きていけなかった。
そんな思考の円環をグルグルと回っている私にシエナが話しかけて来る。
「雫様、再度お伝え致します。翔様は亡くなっていませんよ。生存しております。安心してください。その情報を私は掴んでおりますし、雫様も見ることが出来ます」
「嘘よ! あんな場所から落ちてしまったら生きている筈がないわよ。ねえ、シエナさん嘘をつかないでよ…お願いだから私に希望を持たせないでよ! もう、懲り懲りなの。馬鹿みたいに何かを信じて縋って零れ落ちていくのは…あの時、翔は死んでしまった。私の大事な人はいなくなった。だから、せめて夢だけでも翔のことを感じさせて…」
紛れもない私の本心を曝け出して、シエナさんに犬のように吠えて言い返す。だけど、シエナさんは私の言葉に臆することなく言葉を紡いでいく。
「嘘ではありませんよ。いえ、信じて頂けないのなら仕方ありませんね。ええ、それでは架空の話をしましょうか。もしも、翔様が生きていた場合、私の夫となって頂いても問題ありませんね? 恋人も結婚もその後の生活も……全て私が手に入れても問題ないですね? 貴方はずっと夢という過去の翔様を見たいのですから問題ないですよね?」
その内容は私が絶対に認めたくないことであった。なんで、初めて本気で付き合ってほしい、傍で一生涯添い遂げたいと思い焦がれた相手を取られなければいけないのか……許せる筈がない。
故に、私は身体を震わせて激怒しながらシエナに反論した。
「何を言っているの!? そんなのはダメ、翔は私の大事な人よ…許すわけないじゃない!」
「ですが、生きている訳がないのなら別に良いのではありませんか? 雫様自身で"翔は死んでしまった"と仰っていましたよね? それなら、此処で断言してしまっても変わらないのでは? "私は翔が死んだことを認めて、夢の中の翔と一生涯を添い遂げます"と…」
「それは……だけど……でも……」
言い返せなかった。でも、"私は翔が死んだことを認めて、夢の中の翔と一生涯を添い遂げます"とも言いたくはなかった。だって、そんなことをすれば本当に彼との縁が壊れてしまうような気がしてから。
気づけば、私の口から弱音が溢れていた。
「どうすれば良いのよ…教えて、翔」
「それは過去の翔様に対して宛てたものですか? それとも今の翔様に対して宛てたものですか?」
「どういうことよ…」
シエナさんが何を言いたいのか言いたいの分からない。きっと、彼女は私に何か伝えたいことがあるのだろう。だけど、それなら翔が生きているなんて嘘は辞めて欲しい。神経を逆撫でないで欲しい。
ああ、もう考えるのは辞めましょう。人の悩みを聞くのも、誰かの期待に応えるのも疲れてしまった。だから、今だけは夢の世界から現実に戻ってシエナを倒そう。そんな私を見たシエナは何故か無関心だった表情から嬉しげな微笑みに変わる。
(計画通りのような態度はムカつくわね…)
私は苛ついた心から激流のように流れてくる水を元栓を閉めることで止める。そして、最後にシエナが退いてくれるか確認する。これが私の最後の老婆心…もし、退いてくれないなら切るしかない。
「シエナ退いて頂戴。私はそろそろ寝たいの。貴方にとやかく言われるような必要はないわ」
「お断りします…といったらどうされるのですか?」
「それなら仕方ないわね。ええ、仕方ないわ…それなら切るしかないわね」
「吠えましたね。たかが迷宮に一回しか潜ったことがない人が軍人に勝てるとでも?」
何処までも私を苛立たせてくる人。私とは対極に位置するような人だからこそ、本当にムカついてしまう。
(でも、そんな感情なんてどうでも良いことよ。早く夢の為に倒そう)
よく見えるようになった視界でシエナの一挙一動を観察する。そして、初めて自分自身の譲れないモノを貫く為に武器を抜刀する。
もう、引き返す段階は過ぎている。シエナのよく分からない前座は幕を下ろした。だったら、今からは私の時間だ。
さあ、"別れのワルツ"を飛ばして"大円舞曲"を奏でて踊りましょう。初めから奏でて踊るような体力なんて今の私には既にないのだから…。