チームアトラスの軌跡   作:鈴見悠晴

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第二話

「悔しい──っっっっっです!!」

 レースを終え、ウイニングライブも終わった後、トレーナーと顔を合わせた直後放った第一声。ラッキールーラはため込んだ物を吐き出した。

 ゴールタイムには0.1秒の差も生まれなかった。しかし僅かな差、頭一つ分もない程度の差でヒシスピードに負けていた。

 

 勝ちきれなかったことは残念だが、得るものはあった。中山レース場の名物とも言える急坂への対応はできていたし、プレストウコウを意識して普段よりも高い位置取りでレースを行なったがスタミナ的にも問題はなさそうだった。最も本人はしっかりと狙い通りのレース展開で事が運べただけに悔しさもひとしおだったようだ。

 

「大丈夫だ、ラッキールーラ。お前は一歩ずつでも成長してる。プレストウコウにも今日は勝てた。次はヒシスピードにも勝てる」

「ヒシスピードさんは強いです。今のままじゃ勝てませんよ」

「勝てるよ、だから泣かないで帰ろう」

 目に大粒の涙を浮かべて瞳を潤ませるラッキールーラの頭を軽く撫でて、帰ることを促した。

「……泣いてないです」

 恨めしそうな声で反論するラッキールーラを連れてトレセン学園への帰路についた。

 

 

 勝敗はほんの僅かな差だ。ただこの差は大きい。できることならこのまま2月のレースは休んで、3月の弥生賞に目標を置きたかった。大柄のウマ娘は大成しにくいと言われるのには別に根拠がないわけじゃない。

 

 大きな体という事は単純により大きな力が出るし、必要になる。時速60キロ以上で走る彼女の両足からはそれを可能にするだけのパワーが出力されているが、小柄なウマ娘と比較するとより大きな力が使われている。

 

 その上、体重だって平均的なウマ娘よりもある(はずだ。実際の数字は知らないが)。それだけの負荷が彼女の膝や足首と言った関節部分にかかっている。

 ウマ娘につきまとう怪我のリスク。彼女をはじめとして大柄なウマ娘はそのリスクが跳ね上がってしまう。普段の練習からレースのマネジメントまで慎重さが求められる。

 

 現在最大の目標として掲げている日本ダービーを今のスタイルのままとることは難しい。それは彼女とも話し合ってきた事で、元々考えていたアイデアを試す良いチャンスが生まれた。

 

 そう考えればあの敗北にも意味が生まれる。カレンダーと向き合って2月13日に赤いペンで印を入れる。次の目標は東京クラシック級ステークス、東京1800メートル。200メートルの距離延長、新しいやり方を試すこのレースは今後の試金石になる。

 

オフを挟んで練習日、トレーナーは少し練習に遅れてやってきた。

「今日からこれもって練習してもらうから」

 ラッキールーラは突然ストップウォッチを手渡された。おそらく使用されたことのないであろう真新しい、とてもかわいらしいストップウォッチを見て首をかしげた。

「ああ、新しいのを買ったんですね。ようやくそのボロボロのを卒業ですか」

「いや俺はこれを使う。それはお前の」

「私の?」

 

 全く理解が追いついていない私を置いて、トレーナーさんはホワイトボードに1ハロンの目標タイムなど、細かい情報を書いて説明してくれているがそれでも私がこれを持たないといけない理由は掴めない。それが表情に出ていたのかトレーナーさんは一つ息をつくとペンをしまった。

 

「つまり、毎年20人以上が出場するダービーを見越して、次のレースから逃げてもらう」

「はい!?」

 

 この日から練習メニューは大きく変化した。これまでの練習はとにかく能力を上げていくというところに重点を置かれていたが、この日から今の限界ギリギリでレースを運べるようにするための練習が圧倒的に増えた。自分の感覚と実際の時間とのズレを修正しろと渡されたストップウォッチで表示される1ハロンのタイムが、目標値に向かって収束し始めた頃、2月13日を迎えた。

 

 京成杯の時とは違い不安な気持ちでいっぱいになるレース前、控え室で我慢できなくなってその気持ちを吐き出した。

「あんまり上手くやれる自信はありません」

 普段とは違う緊張感を纏った言葉だったが、トレーナーさんの言葉は余りにもいつも通りだった。

「そうだな。今日は逃げの感覚を実際のレースで感じられればそれでいい」

「本当にそんな感じになっちゃいますよ」

 このレースにはヒシスピードもプレストウコウも出ている。今の付け焼き刃のやり方で勝てるとは到底思えなかった。

「それでいい」

 にっこりと微笑んで送り出してくれたトレーナーさんの笑顔に背中を押されて、レース場に足を踏み入れた。

 

 ゲートの中、とにかく自分への不安感からラッキールーラはこのレースへと集中できていなかった。ほかのウマ娘がどんな走りをこれまでしてきたのか? それを調べるような余裕もなかったし、どこかライバルになるのはヒシスピードかプレストウコウだと思っていた。

「各ウマ娘揃って綺麗なスタートを切りました。7番のワールドサバンナ、2番ラッキールーラ、ハナを争います」

 スタートからハナを奪いレースを進める予定だったが、外枠からワールドサバンナにハナを奪われた。自分以外に逃げ馬がいたのかどうかも確認していなかった。ワールドサバンナも驚いたような表情をしているが、逃げる作戦を採用したウマ娘が2人いた場合どうすれば良いのかラッキールーラも分かっていない。

 

 ひとまずかなりのペースで逃げを打つワールドサバンナを無理に抜こうとはせずにその後ろでレースを運んでいく。自分のスタミナが予想よりも減っていることが分かる。今までこんなスピードで序盤から飛ばしたこともない。

 

 自分のペースでレースが運べないことがここまでストレスを感じるとは、後ろからじりじりとプレストウコウとヒシスピードが上がってきている事が分かる。背後から詰め寄られてくることがこんなにも怖いとは。

 後ろから迫ってくる集団にのまれたらそのまま終わってしまう。そう感じたラッキールーラは3コーナーの入りで勝負を仕掛けることを決めた。目の前のワールドサバンナはかなり疲れているのかスピードが落ちてきている。彼女が疲れから遠心力で大きく回ってしまった隙を突いて内側から最短距離で先頭に躍り出た。

 

 いつだって見ることが大変な先頭の景色。それがなんとも簡単に先頭に出ることができて、トレーナーさんの意図をある程度察する。あれぐらい前目にポジションが取れていれば、仕掛けるのが容易く、先頭争いに参加することができる。

 

 負けるときはいつだって集団からなかなか抜け出せずに無駄に力を使ってしまっていた。それでレース慣れしていないと言われていたのも知っているし、トレーナーが併走トレーニングができるようにといろんなトレーナーに頼んでいたのも知っている。

 

 これが20人以上が参加するダービーなら人が壁になってしまい仕掛けられないと言うことも想像できる。そう言った事故の要素を減らすことで勝つ確率を上げようと言うことだろう。最も運の良い物が勝つと言われる日本ダービーから運の要素をできるだけなくそうというのだ。トレーナーさんの意図を察したラッキールーラだが、逃げの難しさも同時に痛感していた。

 

 背後から迫ってくる気配。この気配には覚えがあった。最後の直線に入ったが、確認しなくても分かるプレストウコウとヒシスピードがすぐそばまで迫っている。東京の直線は長い。500メートルを超える直線にラストスパートが鈍ってくる。その瞬間にプレストウコウとヒシスピード、更にもう一人彼女たちについて行っているウマ娘がいた。

 

 彼女はパワーシンボリ、ヒシ家と同じような名家シンボリ家の出。トレセン学園に所属し、こうしてオープンレースに出ている時点で皆その実力は証明済み。ジュニア級ではマルゼンスキーとヒシスピードが結果を出したかもしれないが、クラシック・シニアではそうはいかないと全員が思っていた。それを忘れていたことがこの日のラッキールーラの敗因だった。

 

 長い長い東京の直線はヒシスピードの独壇場だ。直線一気、それを阻む物なし。中山の坂もなければ、マルゼンスキーもここにはいない。ヒシスピードにとってこの場所で誰にも負けるわけにはいかなかった。ぐんぐんとスピードを上げていき、前に立つプレストウコウとパワーシンボリの間を割って正面に躍り出た。

 

 プレストウコウも負けじとスピードを上げていくが、その加速力トップスピードともに大きな差がある。既に分かっていたことだがその能力に関してはプレストウコウよりもヒシスピードの方が数段優れている。そのために普段よりも前めなポジションを取り、一度は外に出てくるタイミングを潰したはずだった。レース展開は狙い通りの物にできたし、ヒシスピードは大外をぶん回されたはず。それでも立て直し、追いつき追い越そうとしてくる。実力差を感じざるを得ないその加速にヒシスピード、パワーシンボリ両名は追いすがることしかできなかった。

 

 観客席からはヒシスピードとパワーシンボリの差は徐々につまってきているように見え、ざわめきが巻き起こる。ジャイアントキリングがあるかという疑惑を打ち消すようにヒシスピードはそこから更に加速して見せた。“私を見ろ”そう言わんばかりに両手を広げて自分の勝利をアピールするその姿は一体誰に向けての物か? 

 

 この世代の王者は誰なのか、私はマルゼンスキーと戦えるんだとそう主張しているかのようなヒシスピードの鬼気迫る表情は彼女の決意の表れだろう。

 

 ここにいるメンバーの多くはこのままクラッシック前哨戦、弥生賞に舞台を移す。お前達は私に勝てるのかと問いかけるその背中は、ルールに阻まれてクラシックに参加できないマルゼンスキーを王者として有マ記念で待つんだという余りにも大きすぎる誓いを背負っていた。

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