『さぁついにこの時がやってきました。長い前哨戦をくぐり抜けて、この場所に立つことを許された19人のウマ娘が出そろいました』
およそ4万人がこのレースを待ち望んだと集まった中山レース場。多くのファンの期待と夢を乗せて、ついに大一番を迎えていた。この場所に立つことが許されたのは19人、彼女らは全国で4000人以上いるこの世代のウマ娘の中で、頂点に挑むことが許されたウマ娘達だ。
『さぁでは注目ウマ娘を紹介しましょう。前走の結果からも大きく人気を落としていますがこのウマ娘を無視はできません!! 大外からのレースになります、11番人気プレストウコウ』
芦毛の髪を綺麗に編み込んで青を基調とした着物をアレンジした勝負服を纏ったプレストウコウが片手を挙げることで実況に答える。
「芦毛は走らない」
この大一番、彼女の人気が低い理由の一つが耳にたこができるほど聞いてきたそんな定説だった。自分を縛ってきたそんなくだらない思い込みを覆すためにも、必要なのは大一番での実績。彼女の闘志は燃え上がっていた。
『前走では衝撃的な末脚を披露しました。毎日杯の勢いそのままに皐月賞を狙います。内枠から8番人気ハードバージ』
綺麗な栗毛の髪をハーフアップにして、ドレスをアレンジした勝負服を来たハードバージは集中している様子で、特にパフォーマンスを見せることはなかった。両手を胸の前で合わせて、目を閉じて集中する。そのまぶたの裏にイメージする勝利を現実の物にするために、彼女は大きく深呼吸をした。
『前走、弥生賞での見事なレコード勝ちで勢いに乗っています。このレースも逃げてくるのでしょうか? 注目です4番人気ラッキールーラ。重戦車の異名に恥じないレースを期待しましょう』
ここに集まった中でも頭一つ大きいラッキールーラは青と黄色を基調にしたどこか軍服をイメージさせる勝負服を身に纏っていた。これは前走、弥生賞の結果からついた重戦車という異名からデザイナーが作った物だった。本人は余り気に入っていないようだが、周囲からの評価は非常に好評だった。
『弥生賞ではラッキールーラに負けた物の、その実力は疑う余地はありません。3番人気、カネミノブです』
赤と青の身軽そうな勝負服に身を包んだカネミノブは、一度二度とジャンプして身軽さと調子の良さを示した。未だに底知れぬ実力を感じさせるこのウマ娘は不気味な迫力を持っていた。
『そして観客はこのウマ娘を一番人気に推しました。前走の敗北の借りを返せるか。大歓声に答えますヒシスピード!!』
プレストウコウと同じように着物をアレンジした勝負服を来たヒシスピードは右腕を高く突き上げた。例え前走を敗れていようと、ジュニア級で王者になれていなくとも、この舞台で最も高く評価されていたのはこのウマ娘だった。
全員がゲートに入り、ついに勝負の時が来る。
『さぁゲートが開き、一斉にスタートを切った』
各ウマ娘が一斉にスタートを切ると、それぞれが自分の勝利を信じて走りだした。
『さぁ、行った。ラッキールーラが上がっていきます』
逃げ馬、先行馬がハナを奪い合う中、内側からすーっとラッキールーラが上がっていく。ほかの逃げや先行といった作戦を選んだウマ娘達にあっという間に並ぶと、ペースを握った。
『ヒシスピードとプレストウコウは集団の外側を回っています。このロスは最後に響いてくるでしょうか?』
名前を挙げられた両名は外枠からのスタートとなり、上手く自分たちのポジションを見つけられずにいた。それでも彼女たちは外側からうちを伺いながら、理想的ではなくとも自分たちのポジションを取っていく。
外側から出た彼女たちとは違い、内枠からでたハードバージはじっくりと足を貯めながら、最短距離で内側すれすれを走っている。
このレースの理想的なポジションを現時点で抑えているのは3番人気、カネミノブ。彼女は周りの様子を把握しながらこのレースをある程度予想していたとおりに進めていた。
それぞれが自分のスタイルでレースに臨む。この大舞台にぶっつけ本番で奇策をぶつけてくるようなウマ娘もトレーナーもいなかった。だからこそ、ここから先の展開はある程度予想できる。
第2コーナーを回った時点でヒシスピードが動いた。
『おっと、ヒシスピードが動いたか!? 動いている少し前目にポジションを移しています』
レースの3分の1程度を消化して、ここまでの展開や直前のレース結果から考えて、まずいと感じ取ったヒシスピードは少しポジションを前目に持ってきた。
彼女は直前のレースで雨の降った重い芝に対応できなかった。足を取られて、スタミナを奪われ、最後のスパートに伸びがなかった。その敗北の原因は雨だと考える人間が多かったが、トレーナーとヒシスピード本人は距離の不安を感じていた。
彼女のベストはおそらく1200からから1600の短距離からマイル。2000メートルという距離にはスタミナの不安がつきまとう。大外ぶん回してのレースではおそらく足が持たない。
短い距離をなで斬りにするイメージで、前目についていく。ヒシスピードのとった位置に合わせて状況が変わりだす。
ヒシスピードが3番手、プレストウコウが5番手ほどに、ハードバージは完全に集団の中に取り込まれておりレースから消えている。
レースの展開を先頭からある程度推測しながら運んでいるラッキールーラだが、元々逃げるという選択をした時点で半分自分との戦いだ。
誰が来ようと最後の最後まで逃げ切ってやる。
皐月賞をとる自分の姿、最初にあのゴール板の前を駆け抜ける自分の姿を明確に想像できた瞬間、ラッキールーラは仕掛けた。第3コーナー入りのタイミングでぐんぐんと伸びていき、2番手との距離を開けていく。
『さぁ、ラッキールーラ抜け出した。先頭に立った!!』
早めに仕掛けたラッキールーラに呼応するように、各ウマ娘が一斉にスパートをかけていき、そこでスパートがかけられなかったウマ娘は先頭争いから脱落していく。プレストウコウは正面のウマ娘が壁になったことで抜け出せず、先頭争いに関わることができなかった。自分の状況判断の悪さに唇をかみしめる。何とか彼女たちの間を割っていったとき、先頭集団との距離もスピードの差も圧倒的な物だった。
外側、3番手で走っているヒシスピードは遠心力をそのままに加速していく。
「私の前で、逃げ切れると思うなぁ!!」
凄まじい集中力で先頭ラッキールーラを捉えると、第4コーナーを終える頃には先頭に立った。
最後の直線、僅か310メートル。中山の直線は短く、急坂が待ち構える。何度も同じ条件で戦ってきた。この僅かな距離でここまでの4ヶ月間、全ての結果が出る。勝者は1人、栄光のステージのセンターにヒシスピードが指をかけた。間違いなくその指はかかっていたが、するするとその指の間から抜け落ちていった。
カクン
そう擬音が突いているように、ヒシスピードの加速が止まった。限界が来たのだ。ヒシスピードにとって初めての2000メートル、果敢に攻めた先行策。もしもこのレースが1800メートルなら……もしもラッキールーラが逃げなければ、そして何よりヒシスピードがもっと速ければ……このレースに勝ったのはヒシスピードだっただろう。
完全に失速するヒシスピード、距離適性の壁の前に落ちていく彼女を横目にパワーシンボリが外から、内側から完全にノーマークのアローヴァンガードが強襲する。
『だめか、ヒシスピード落ちていく。もう伸びない!! 外からパワーシンボリ、内側はアローヴァンガードだ』
弥生賞のときと同じようにラッキールーラが逃げる、逃げる。
例え背後から強襲を受けてももろともせずに前進する。その姿は正しく重戦車、その巨体から出るパワー、それは大型ウマ娘にしか出せない彼女だけの武器。決して落ちずに最後まで、急坂を登りきったとき、背後で何かが爆ぜた。
『それでも先頭はラッキールーラ、ラッキールーラ。大内から何か来た!! 誰か来たぞ!!』
芝が巻き上がり、土が宙をまう。
スタミナが尽きてきてスピードが落ちてきたウマ娘を掻き分けて、第4コーナーの遠心力で振り回されたウマ娘たちをすり抜けてハードバージが飛んできた。
4番手から最後の勝負を仕掛けたカネミノブ、彼女の背後から最後の刺客がやってきた。
『ハードバージだ!! ハードバージとラッキールーラ、二人の競り合いだ!!』
あっという間に躱されたカネミノブはその目でしっかりと見た。目の前を走るアローヴァンガード、その外側にいるラッキールーラ、彼女らを抜くためにはほんの僅かなタイムロスも命取りになる。自分を内側から躱した彼女に道はない。そのはずだった。何の迷いもなく、人1人分のスペースもないようなギリギリの所にスピードを上げて突っ込んだ。
恐怖はないのか、もしもぶつかったら交通事故以上の衝撃が体を襲うというのに、何故そこに突っ込んでいけるのか。カネミノブには理解できない理屈、常に自分の中にセーフティを作り、最善の安全策をとる彼女の正反対にいるウマ娘がハードバージだった。
すべての強襲を耐えてきた重戦車と、最後に内から突き抜けようとする刺客の最後の追い比べは一瞬で決着がついた。
完璧な仕掛け時、ルート取り、お転婆なお嬢様は強面のトレーナーに導かれてこの日の主役になった。
『ハードバージ!! ハードバージです!! 何という走りだ、まるでラチの上を走ったとしか思えない走りで、ハードバージが皐月賞を制しました!!』
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜びを表現するハードバージは、六平が喜んでいるのを確認すると泣き始めてしまった。
泣いて喜ぶ王者、ハードバージ。呆然と立ち尽くすしかないラッキールーラ、後ろから見ていたウマ娘達とは違い、彼女は唯一ハードバージの走りを見ていない。皆、あのときこうしていれば、もっとこうしていればと悔いを残すが時間の流れは止まらず、戻らない。
これで、1つ目の戦いは終わった。だがすぐに次の戦いが来る。
それがクラシック。NHK杯、日本ダービー、そしてあのスーパーカー、マルゼンスキーも動き出す。クラシックの舞台はまだ始まったばかり。