新劇場版 急・結   作:スターゲイザー

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今話のタイトルは『劇場版 Air/まごころを、君に』より




シンじゃないよ、結だよ!
第10話 Air


 

 

 

 

 碇シンジは知らないどこかの山に作られた山小屋の一室で横になって夢を見ていた。

 父には道具のように扱われ、アスカに罵倒され、綾波は無関心な灰色の世界。あわれみの視線ですらそのシンジには貴重だった。それに縋るように自分の存在を価値として他者に評価を求める毎日。触れ合いたいが恐ろしい。いらないと言われるのが恐ろしい。不安をイヤホンで繰り返し聞く音楽に溶かそうと努める日々。

 涙が溢れて来る。何故、なぜ生きているのがここまで辛い。

 

『次の世界では補正がかかる。シンジ君に些か辛い世界になるのだろう』

 

 脳内に目の前で死んだはずの渚カヲルの声が響く。

 

『その前の世界はシンジ君に上手く行きやすいようになっていた。この世界では補完計画が有利になるように舞台が整えられている。バランスを取っているんだよ』

 

 あの日、サードインパクトを起こした後からシンジにだけ聞こえる声は世界の成り立ちを語る。

 

『本来ならば、この世界こそがそうなる予定だったんだ。それを思えばまだマシというものさ』

 

 今の状況がマシだとはとても思えなかった。その旨を口に出すのではなく、想いとしてカヲルに伝える。

 

『心配してくれる人がいる。君を想ってくれる人がいる。それで十分じゃないかな』

 

 マリが自分の世話をしてくれていること、アスカが乱暴な対応をしながらも自分を気にかけてくれていることをシンジは良く理解していた。そのことを煩わしくも嬉しく感じていることもまた事実。

 しかし、為した罪を覚えている。怨嗟の声が耳から離れてくれない。何を食べても血の味しかしない。生きているのが辛い。こんなに苦しいのに、どうして分かってくれないのかと切々に訴える。

 

『君は本当に変わらない』

 

 カヲルが苦笑を浮かべている姿が脳裏に思い浮べられる声だった。

 

『記憶の蓄積は不可逆的だ。一度発生した影響は、何度繰り返しても…………いや、繰り返すほどにより強固になっていく。起点となっているシンジ君を除いて。そういう意味ではどの世界であってもシンジ君だけはそのままだ』

 

 時折、カヲルはシンジに理解できないことを言う時がある。今がそうだった。

 そうなった時はシンジが何を言っても聞こえない。失声症を患っているシンジの口から放たれる物理的な声ではなく、カヲルだけが聞こえる心の声が何故か伝わらない。

 

『大洪水から再び世界は再生される。計画が成し得るまで何度でも。世界は環の中、原罪を解くその時まで外と繋がることはない』

 

 原罪とは何か、その答えは何時も人類補完計画だけが浄化できるとだけ返される。

 

『今、世界は新たな舞台の構築に踏み入っている。繰り返される現在の時環から次こそ世界が解き放たれんことを』

 

 まるで何かに憑りつかれたかのようにカヲルが言葉を繰り続ける。

 第五の少年にして、ネルフの代理司令であった渚カヲルはシンジの目の前でDSSチョーカーによって爆破されたはずだった。なのに、こうやって脳内で会話が出来る。

 

『僕とシンジ君には絆がある。そうは思えないかい?』

 

 スイッチが切り替わるようにカヲルはシンジに分かる言葉で伝えて来る。

 絆を信じるには出会ってから接していた期間が短すぎる。寧ろシンジの頭がイカレて妄想の友人を作り上げたと言われた方が信じられる。そしてそういうことをする人間はフツウ(・・・)ではない。

 

『そんなに自分が嫌いかい?』

 

 嫌いだ。この世で最も信じられない人間が誰かと聞かれれば自分自身だとシンジは即答できる。

 いなくなるべきだ。存在するべきではない。死んだ方が世の中の為になると疑いもしない。

 

『シンジ君が死ぬと、この僕も消えることになる。僕は構わないよ、シンジ君が望むことが僕の望みでもある』

 

 それ以上に況して脳内にしか存在しない友人が消えることが恐ろしい。

 脳内で会話できるこのカヲルはフれてしまった自分が生み出してしまった妄想の産物か。他者に伝える術を持たない以上は、判断すべき材料はシンジしか持っていない。

 

『変化を求めず、虚無と無慈悲な深淵の世界を好む。君らしいよ』

 

 隣にいるかのようにこうして話が出来ることが全てなのかもしれない。

 

『また、星が見たいね』

 

 シンジは小さい頃から宇宙の大きさを感じていると安らぎを覚えた。広大さが自らの矮小さを思い知らせてくれて、小さな悩みを呑み込んでくれることに安心感と落ち着きを覚えた。

 日中は赤く染まったままの空も夜だけはあらゆる色を呑み込む黒と彼方で瞬く星の輝きだけは変わらないでいてくれる。

 

『ありがとう。また一つ、シンジ君を知ることが出来た』

 

 本当に嬉しそうに言ってくれるカヲルに、生きている時に共に夜空を見れたらどれだけ良かっただろうかと後悔を覚える。

 

『過去への後悔は、今が充実していることの裏返しだ。こうして共に在れる。今はこれ以上のことはないよ』

 

 ただ、今を受け入れることだとカヲルに告げられたシンジは安らぎと共に眠る。

 外からはマリやアスカが、内からカヲルに癒され、少しずつ精神が立ち直っていく。その姿をレイ№トロワが何時までも見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人が生きていくには衣食住があってこそ。山小屋で住を得て衣類も幾らかの用意があったので困ることは無かった。問題は備蓄はあったが消費するばかりの食料にあった。

 セカンドインパクトで食料不足が大きな問題となった教訓もあって山小屋にも相応の備蓄はあったが、四人が無制限に食べられる量は流石に置かれていなかった。早々に食料の捜索に取り掛かり、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、三ヵ月が過ぎた頃には探索にも慣れてきた。

 

『で、毎回アタシ達二人だけが探索に行くのは何故?』

『私が残ったら姫はトロワに怒る。私とトロワが行っても姫が怒るから』

 

 命令されない限り全く動こうとしないトロワに怒り、かといってアスカが残ると無気力なシンジにイラついて怒るのだから、毎回探索班に回されるのもむべるなかな。アスカが探索班に回されれば強制的に相方にされるマリの方が文句を言いたいぐらいだった。

 シンジ達がいる山を中心として、日帰り出来る範囲で見つけた村と町の中間のような集落を見つけたアスカ達は誰もいないのだから遠慮せずに乗り込んだ。

 まだガソリンが残っていた軽トラックを無断借用。無免許のまま運転して来たアスカはスーパーらしき店の前に止めて降りる。

 

「美味い物、残ってるかニャ?」

「今までの経験上、期待はしないでおくことね」

 

 反対側から車を降りたマリが茶々を入れるのに鼻を鳴らすアスカは視線をスーパーから横にずらす。

 

「赤赤赤赤赤…………どこを見ても同じ色だと流石に飽きが来るわね」

「へぇ、赤が大好きな姫は大喜びするものだと思ったけど?」

「限度があるに決まってるでしょ」

 

 比較的、標高の高い場所にある集落を染めるのは赤。建物が赤一色に染まり、地面も赤ならば空も赤、何もかもが赤色に染まった状況は幾らその色が好きな人間であっても嫌になる。

 近くの建物や家の中から突如としてそこに出現したかのように屋根を突き破った首のない人型が姿を覗かせている。そしてそんな光景はここだけではなく、この三ヶ月で見慣れてしまっていた。

 

「エヴァと使徒の戦いも大概ファンタジーの部類だったんだろうけど、今はもう神話の一説みたいな状況じゃない。この風景を見ていると偶に現実感を失くしそうになるわ」

「まあ、確かに。月まであんな近くになっちゃって」

 

 マリがアスカの見ている方向を見れば、そこにあるのは昼間だというのにその反射光で地上に影が生まれそうなほど大きな天体、変わり果てた月の姿があった。

 巨大になった月。影の側に無数の赤い亀裂の走った凶暴な姿。徐々に距離を詰めて来る月はまるで地球に落ちてくるようで、人々をパニックに陥れたことは想像に難くない。

 誰もが抱いたその心象は、あながち外れてはいない。もうその軌道は地球から三十万㎞を割りつつある。見かけ上の変化は人々をおかしくするには十分すぎた。月を見て狂う。古い時代、世界のあちこちで言われたこの言葉が現実になったように。

 月よりかは目立たないが地上から幾つも天に向かって伸びている巨大な十字架もある。その十字架は雲を突き抜けるほど高い。

 

「大雨が長期間振り続けるよりも、月が異常接近したことによる潮位の上昇の方が問題だよね。このまま潮位が上がり続ければ、いずれ大地の全てが海に呑み込まれる」

「前の所は最初から足元まで浸かってたけど、たった一ヶ月で完全に沈んじゃうぐらいだから、ここも何時まで持つか」

「神話に乗っ取るなら半年後には全て海の底じゃない」

 

 神様とやらの啓示も受けてないし箱舟もないのに、創世記のような状況になっているだけに現実感は乏しい。だが、事実としてこうして標高の高い場所を除けば大体、潮位を増した赤い海に沈んでしまった。

 

「それ以前に接近し過ぎた月がぶつかるんじゃないの」

「ぶつかりはしないよ。月と地球は次の補完計画の準備をしているだけだから」

 

 他の世界の経験もあるアスカでも初めて体験する事態に戸惑うのに対して、もっと酷い状況を知っているマリはあっけらかんとしたものだった。

 

「本当ならインパクトが起きた時点で補完は完了している。そうなっていないのはカヲルが自らの命を以って猶予を作ったから。それもそう遠くない未来に潰える」

「この結果で補完計画は完成したと言えるの?」

「成功か失敗かで語るべきじゃないよ。今はまだ次への準備段階」

 

 リリンは自らを人工的に進化させる為に人類補完計画を立てた。古の生命体を贄とし、生命の実を与えた新たな生命体を作り出す為に。全てが太古よりプログラムされていた絶滅行動に過ぎない。

 

「出来損ないの群体として、既に行き詰まった人類を完全な単体としての生物へ人工進化させる補完計画。狂人の戯言だと言いたいところだけど」

「現実として目の前にあるのなら受け止めないとね」

 

 マリが早くスーパーに入ろうとアスカを促して、壊されている入り口に向かって背中を押す。

 中に入っていれば直ぐに食べられる物は残っておらず、中には既に腐っている物もあった。今のアスカ達と同じく食料を捜索しに来たものがいるらしく、よほど慌てたのか床にぶちまけられたそれらを避けて食料を探す。

 幸いにも奥まった所に保存が利く缶詰の類が量はそれほどでもないが見つかったので当座の目的は果たしたといえる。後は住民のいなくなった家々を回って集めに行くことにした。

 

「まさかこのアタシが他人の家の家探しをする羽目になるとは…………人生何があるか分からないものだわ」

 

 何件目かを回り、セカンドインパクトを教訓として保存食を保管しておく家庭もあって数少ないながらも缶詰類を確保することが出来たアスカは我が身を振り返って嘆いた。

 

「生きていくには必要なことだと諦めるしかないんじゃない? これも経験経験」

 

 反対に嬉々として人の家に乗り込んでいくマリにアスカが呆れたのは言うまでもない。

 一通り食料その他を見つけたのならば後は車に乗せるのみだが、一々車に戻る時間が勿体ないとある程度の場所に分散して集め、後で順番に回収していく方針であった。

 アスカが車を運転してマリが順次乗せていく中、やはり目に着くのは見た目だけで言えば首のないエヴァンゲリオンのような姿。何かから逃げるように四方八方に手を伸ばし、建物に埋もれた姿は哀れとはまた違った感情を抱く。

 元は人間だったはずのそれらは自分が変わることに恐怖していることがその姿から感じ取れる。

 

「エヴァもどき…………インフィニティが街中にいる風景は、なんとも一昔前のアニメっぽいにゃ」

 

 数えられないほどいるのでマリ達は首のないエヴァンゲリオンをもどきを便座上、インフィニティ(無限)と呼んでいた。

 

「そのアニメのことは分からないけど、意味は伝わるわ」

 

 セカンドインパクト後の娯楽の少ない時代の中でも、世間一般の観点から言えば殺風景な子供時代を過ごしたアスカにもマリの言いたいことはなんとなく理解出来る。

 

「大地のコア化による変成。これを人類の進化した姿だとは思いたくないわね」

 

 集めた雑貨を纏めていたマリは軽トラックの荷台に腰かけてインフィニテイを見上げるアスカの言葉を否定しなかった。

 

「インフィニテイはあくまで器に過ぎないのよん。箱舟を造って洪水を乗り越えるのではなく、洪水に耐えられるようにリリンという種を作り変えようとしたんだ」

「『わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります』って? 創世記よりも状況を悪くしてどうすんのよ」

「アッシに言われても」

 

 赤に浸食されることは、悪意でも敵意でもなく意志や思想などの怖さでもなかった。

 巨大な時計の歯車のように運行し、決してこちらの事情など考えず、ただ無情に正確に世界を刻む構造。例えるなら四季や自然、宇宙、油断すると何の躊躇もなく殺しにかかってくる美しくも残酷な天の法則の恐怖だった。

 その天の法則に影響されていない者達を除いて。

 

「赤い雨に打たれてもアタシ達は変わんないのよね」

 

 降り始めた頃から居住地を見つけるまでの間と、山小屋が赤く染まってもアスカ達に変化は見られなかった。機械計測はしていないがL結界密度はリリンが存在できない数値を示しているだろう。

 

「姫一人なら左目のそれ(・・)があるからって言えるけど、私達四人に共通する項目として考えられるとしたらエヴァの祝福じゃない?」

 

 現状に対する仮説に過ぎないと前置きして、荷台に乗せた荷物の整理を終えたマリはそろそろ帰ろうとアスカに言った。

 赤い空の所為で分かり難いが軽トラックの時計を確認すれば、そこそこの時間が経過している。何時どこで道が水没してもおかしくないので余裕を以って帰路につくことにして、軽トラックに乗り込んで走らせる。

 

「インフィニテイにならないことがエヴァの祝福って、どういうこと?」

 

 法定速度を守る意味もないから物凄い速度でぶっぱなしながら聞くアスカに、いい加減に慣れたマリは窓の向こうの山々の間を歩く『ハイカイ』と呼称しているインフィニティから視線を戻す。

 

「機体とシンクロするってことはエヴァに身も心も近づける行為に等しいじゃん。普段からコアと接しているから耐性が出来ているとも考えられない?」

 

 ハイカイは辺りを歩き回るだけで、進路上にある全てを壊すことはあっても自らの意志を持って破壊行動を取ることは無い。

 進行方向に注意を払う必要はあるが一挙手一投足まで気にする必要はないといっても、やはり気になるのか運転を行うアスカは時折視線を向けていた。

 

「普通とは違うのだから、祝福というより呪縛じゃない」

「見方の違いに過ぎないよ。要は気持ちの持ちようってこと」

 

 ニヤリと明らかに含みを持たせる笑みを浮かべているマリが何を言いたいのか分からないほどアスカは鈍くなかった。これもまた慣れた展開でもあった。

 

「バカシンジの状態も見方の違いに過ぎないってこと?」

「もちのロン!」

「馬鹿は放っておくとして」

 

 真面目に相手をしているのが馬鹿らしくなり、アスカは窓を開けて流れる風に身を任せて髪を風に靡かせる。

 

「喋らない、自分からは何もしない、そのクセして人に何か言われれば大人しく従う。生きたくもないけど死にたくもない。隅っこに寝っ転がってるだけで自分は辛いってアピールしてるだけ。誰かに構ってほしいだけじゃない」

 

 特に酷かったサードインパクト直後のシンジの姿を思い出し、アスカは吐き捨てるように言い切った。

 何時も泣いて、最初は何を食べても吐いた。落ち着いてきたと思ったら、アスカ達のDSSチョーカーには反応して元に戻る。

 ようやく最近になって状態は一定を保つようになったが、マリに甲斐甲斐しく世話されるシンジの姿はアスカにはとても見れるものではなかった。

 

「最初に比べれば大分、マシにはなってきたでしょ。俯いた顔も上がって来た。傷ついたのなら治すのに一番良いのは時間と優しさなのさ」

「ガキが立ち直るのに、なんで私達が苦労しなきゃいけないのよ」

「ワンコ君のことは私に全部任せてくれてもいいけど」

 

 アスカは口では文句を言おうとも決して見捨てようとはなかった。別にシンジの世話をしたというわけでもない。寧ろ苛立ち交じりに食べ物をシンジの口に無理やり押し込んで嘔吐させた前歴すらある。

 あまりにも不器用過ぎるアスカにその辺りのことを突っ込んでも無駄と知っているマリは苦笑を浮かべるだけ。

 

「一人が嫌なのは姫も同じじゃん」

 

 お荷物(シンジ)がいて苛立つなら離れればいい。今の世界は一人で生きていくなら、それほど苦労はしないのだから。

 

「救援シグナルを出してる8号機から離れられないだけよ」

「三ヵ月も経つのに反応一つないんだから、生き残りがいるかどうかも分からないのに?」

 

 8号機の内部電源の残された時間は左程なかったので、極短時間だけ不定期で発せられている救援シグナルに答える者がいないことは現状が示している。三ヵ月が経過している現状で救援が来てくれることを期待するのは流石に無理があるというもの。

 

「いい加減に気になる男の子を放っておけないと言っちゃったら?」

 

 僅かに運転が乱れた。

 

「…………ガキに必要なのは恋人じゃないわ、母親よ」

「でも、私は母親じゃない。男の子が男になったら恋人になることも出来る」

 

 窓の外を見ているマリの横顔に注がれるアスカの視線。

 眼帯で塞がれているはずなのに明らかに見られていると分かる感覚に、素直になれない頑なな女の子(アスカ)に発破をかけたマリは思惑通りと笑う。

 

「趣味悪っ。あんなガキを恋人なんて」

「そう? 私はきっと良い男になると思うよ。何しろ匂いが違うんだから」

 

 まんまと挑発に乗せられて、吐き捨てるように口にしたアスカにマリは独自の理屈で答える。

 

「匂いって、また訳の分からないことを……」

 

 マリが意味の分からないことを言うことは今に始まったことではない。

 

「あんな状態のガキシンジに何を期待してるのよ」

 

 ああなってしまったシンジが立ち直る時は全てが終わった後と知るアスカだからこそ言える言葉だった。

 

「生きてるなら何時かは立ち上がるよ。だって、生きてるんだもの」

「訳分かんない」

「姫も人生経験が足りないなあ」

 

 自身が体験をしてきたことを知る他人(マリ)に侮られたように感じてアスカもムッとした。

 

「アンタも同い年でしょ。第一、今のアタシに人生経験を語るならもうニ、三度世界を繰り返してからにしなさい」

 

 アスカが想起するのは、こことは違う流れの、だけど本質的には同質な世界でのこと。

 

「同じ時を繰り返しているのと、ほぼ別人として時を重ねた私と比べられてもな。人生経験豊富なのだよ、私は」

 

 つまりはオバさんね、と言いかけたアスカは見方を変えれば自分も同じと気づいたので口にするのは流石に控えた。精神年齢はともかくとして、肉体年齢は紛れもなく十四歳なのだから。

 アスカの内心の葛藤など知る由もないマリは窓枠に頬杖をついて、異常接近している月を見上げる。

 

「まあ、私は次の世界では異物として排除されてるだろうしね。今回限りのイレギュラーに過ぎないよ」

 

 必然であるシンジやアスカ達と違って、マリは奇跡のような幾つもの偶然の果てに存在している。以前に成り立ちを聞いたアスカが嘘と疑うぐらいに。

 

「補完計画を退けた世界か。想像も出来ないわね」

「きっと今も太陽の向こう側で元気にやってるんじゃないかにゃ」

 

 その世界での記憶は朧気にしかないマリの言うことは適当にも感じられる。或いは元気にしているだろうと確信している誰かを信頼しているのか。恐らく後者だろうと判断したアスカは目的地に着いたので軽トラックを止める。

 ここから先は山道なので軽トラックでは進めない。確保してある二輪車に乗り換えるので、荷物を積み替える必要があった。

 

「あれもこれも汚染されていて赤くなってるにゃあ。味は変わらないはずなのに、美味しくないと感じるのはなんでなんで?」

 

 何度かに分けて運ぶことになる荷物の内の一つである缶詰を手に取ったマリの疑問にアスカは眉をピクリと動かした。

 

「気分の問題よ。食事なんて出来合いの物で十分」

「人は食べる為に生きるのにあらず。生きる為に食べるものって? どうせなら美味しい物を食べたいじゃない」

 

 ふとアスカは初めて食べたシンジの料理を思い出した。雑な言い方をすれば機能性だけを求めていた食事を楽しむようになったことはあの時からだった。

 

「ワンコ君が復活するのを期待しよう。料理上手なんでしょ?」

 

 保存食は似た物が採用されているケースが多い。以前に毎日単調な味に飽き飽きした時にアスカが無意識に零した呟きを覚えていたマリ。

 

「まさかこんなことでガキシンジの復活を求めることになるなんて」

 

 色んな面で認め難いアスカをして、シンジの料理が上手いことは渋々ながらも認めざるを得ないことであった。

 忸怩たる思いを抱きつつも二輪車に荷物を載せ終えたアスカは、軽トラックの荷台の中に異物を見つけて目を細めた。

 

「ってこら、また本入れて。部屋に溢れんばかりにあるんだから断捨離しなさいよ」

「本は人の英知の集合体、古今東西の全ての本を読み漁ることが私の叶わぬ夢なのさ」

 

 本をその辺に捨てようとしたら素早く動いたマリによってパッと奪い取られてしまった。

 

「人生経験豊富はどうした」

 

 マリが集めた雑貨の中に本を潜り込ませたのは一度や二度ではない。何度も繰り返したやり取りで徒労に終わると知っているので、取り返すことに意固地になる意欲も湧かない。

 

「豊富だから、他のワタシが知らない知識を得たい。未知を知りたいってのは人の正常な欲求なのさ」

 

 ああ言えばこう言う。口では敵わないと知っているアスカは早々に諦めた。

 

「正常な欲求、ね。エヴァパイロットをやってるのも欲求に従ってるってこと?」

「エヴァに乗ることで体験する全てが余人には計り知れない未知じゃない? アッシがエヴァに乗る理由は欲求を満たす一環に過ぎないのよん」

 

 変わっているというよりは奇特な人物という表現が正しいマリを推し量ることを、アスカは随分と前に止めてしまった。諦めたとも言う。

 

「さあ、我が家に帰ろう」

 

 荷物を纏め終えて、軽トラックの荷台が雨ざらしにならないように、これまた勝手に拝借したブルーシートを掛けたマリが二輪車に跨ってアスカに向けて言った。

 

「我が家って、ただの山小屋でしょうが」

「どんな豪邸だろうがボロ屋だろうが、生きて行こうと思えばどこだって天国になるにゃ」

 

 前向きなマリの発言にアスカが否定の言葉を口にしようとしたところで、ヘルメットを被っていないこともあって遠くから異音が聞こえて来ることに気づいた。

 

「これは……」

 

 何度も聞いたことのある音を良く聞こうと二人は身動きを止めて耳を澄ます。 

 音の聞こえていた方角に見当をつけてそちらを見ると、最初は黒い点に過ぎなかったそれ(・・)は徐々に輪郭を明らかにして、異音も大きくなって正体がプロペラ音だと気づく。

 

「――――UH-60ブラックホーク。どうやら生き残りはアタシ達だけじゃなかったようね」

「安穏とした時の終わりか。長かったのか、短かったのか」

 

 赤に染まっていないブラックホークが向かっている先には、断続的に救援シグナルを発している8号機がいる山がある。何の目的にここまで来たか、考えるまでもないことだった。

 

「盗人の真似事をしないですむようになるだけマシよ」

 

 さっさと戻るわよ、と一人先に二輪車を走らせるアスカに遅れてマリも後をついていく。

 

「ワンコ君の面倒を見るのはそんなに嫌じゃないんだ」

 

 素直じゃない、とアスカが聞けば絶対に否定することを呟きながらマリも二輪車で風を切って走る。

 先回りして山小屋に戻り、8号機の下で待っていたらブラックホークから降りてきた戦略自衛隊の特殊部隊に拘束されて連行されることになるとは、この時の二人には知る由もなかった。

 

 

 

 

 

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