今話のタイトルは旧劇場版の劇中挿入歌より
第三駐屯地に向かって侵攻する
長時間に及ぶ戦闘で集中力を欠いた2号機が
「ぐっ!?」
宙を舞った巨体は着地ざま強く威嚇するように構える。
2号機から離れた場所で高機動型である04Aがポジトロンライフル20Xの直撃によって十字光の爆発が空気を震わせ、再度の突進を仕掛けようとした04ダッシュが爆煙の中に紛れる。
「はぁはぁ……っ!! これで何体目!」
「さあ、百を超えたら数えるのは止めたっにゃ!」
2号機が湧き上がる煙の奥へと走り去ると、飛行型の44A目掛け海自戦艦の火力が火を噴いて飽和攻撃の雨の中で肉片に変えた。
「キリがない」
自身もまた04ダッシュを屠り、もう何度目かも分からない十字光の閃光に機体を揺さぶられたアスカは荒くなりつつある息を整えつつ零す。
1対1ならば何が来ても負けはしないと豪語しても、相手が消耗戦を仕掛けてきているのだとしたら限りのある方が負けるのは道理。
真っ先に問題が起こったのは最も使用率の高いポジトロンライフル20Xだった。
「マズい。ポジトロンが壊れた。姫、得物変えるから援護なくなるよ!」
「はぁっ!?」
連射も可能とはいえ、撃ち過ぎによる故障か。未だネーメズィスシリーズが間断なく襲撃している中では逡巡している時間的余裕はないので武器を変えるしか選択肢は残されていない。つまり、その間はアスカの2号機と海自戦艦による援護だけで前線を支えなくてはならないことを示している。
「ちょ、こっちもっ!?」
44Aの突進を弾いたスマッシュホークの柄が真っ二つに折れた。そこにタイミングを見計らったように向かって来る04A。
「ぐっ」
避ける間もなかった2号機はソニックグレイブはとっくの昔に折れていたのでブログナイフを抜き放ち、04Aの円盤状の本体の平面に生やされている二本の爪による体当たりを受け止める。
下半身にも似た爪が回転し、2号機が展開しているブログナイフ前のATフィールドに突き刺さる。そして、独楽のよう回転すると2号機のATフィールドを中和するのでもなく浸食していく。
「アンチATフィールド!?」
空を飛ぶ04Aと44Aはマリがポジトロンライフルで撃ち落としていたから気がつかなかったが、起こしている現象はロンギヌスの槍とほぼ同質であると看破したアスカ。ブログナイフを横に動かして、04Aの二本の爪が左右に開いてATフィールドを引き裂いて散弾を撃つ前に2号機を横に飛び退かせていた。
そこへ迫る44A。体勢が崩れている2号機には避けることは出来ない。
「っ!」
咄嗟に肩のマイクロウェーブレクテナを外すと、その大きな十字形を投射して44Aの進路上に出しながら自身は反動で大きく横に避ける。
「レクテナを焼いて!」
地面に手を付いて2号機を側転させているアスカからの突然のオーダーに、ヴンダーで日向マコトは慌ててコンソールを操作する。
送電タワーからレクテナめがけて一斉にメーザーが飛んだ。
機体から離れてコントロールを失ったレクテナにマイクロ波が集中、あっという間に過充電になり、次の瞬間内臓キャパシタの超伝導格子が崩壊した。側転途中の2号機の視界がホワイトアウトする。
数テラワットの電磁爆発。地中の水分が一気に蒸発して、巻き込まれた44Aごと地面が砕けた。五百メートル半径の大地がゴッと盛り上がり次の瞬間大爆発した。
「これで私が動けるのは後5分…………向こうは限りがないっての?」
ゼロへ向かってカウントダウンし始めた内臓電源越し、稲妻が走るキノコ雲の中からもうもうと湯気を上げる向こうから新たな髑髏の巨人が現れるのが見えた。
「お待たせ、姫!」
「遅い!」
超長距離ライフルに得物を変えたマリの援護が突進してきた04ダッシュの軌道を逸らし、2号機が拳で髑髏を叩き潰した直後、髑髏の巨人の背中に張り付いてた存在がその機能を発揮する。
「なっ!?」
割れた仮面から何かが広がり、2号機の移動を阻む。
最初はサイコロの面を展開したように上下に広がり、寸瞬で2号機の周囲を覆い尽くしてまるで触手のようになり物理的に動きを封じにかかる。
「この!」
2号機もブログナイフで触手を切り裂こうとするが、切り裂いても切り裂いても別の触手と再接合を行い、増殖のスピードの方が圧倒的に早い。
「姫!」
阻もうとした超長距離ライフルの弾丸は幾重にも重なる触手を突破できる破壊力はない。ポジトロンライフル20Xであれば、と思っても後の祭り。
2号機を取り囲んだ触手が円環状になり、小さな光を発して瞬く間に周囲を輝きに染めるほどに輝度を増していく。
「ひっ!?」
最大に膨れ上がった光が一点に集中して2号機の顔を焼き付けるように照らした。エントリープラグの中にいるアスカの左目にもその影響が伝播する。
「うわっちっちっちっち、なにこの光!ATフィールドが中和してない!」
LCLで満たされたエントリープラグ内に、アスカが左手で抑えている左目から噴き出した気泡が溢れ出す。
「触手の本体をやらないと……」
マリの救援も意味を為さないとなれば、この状況を脱するには最初に触手に沿って移動していた本体らしきナニかを破壊しなければならないと判断する。
「あっ、逃げんなゴラァー!」
判断した直後に視界の端で近くの触手の本体らしき姿を捉えたが、直ぐに移動してしまって見失ってしまった。
2号機を助けようと、8号機のマリが触手の本体を狙おうとしたところで、更なる新型の反応がセンサーに現れてアラームを鳴らす。
「また新型?」
滞留していた爆煙の中から現れたのは一体だけではなかった。
ドリルと触手を混ぜたような脚部を有する砲台らしき物を有した巨大なタイプを中心として、胸から下しかないエヴァンゲリオン2体が何かの機械で繋がった異様な姿をした機体が十から二十近い個体達を背後に従えている。背後に従えた個体達がまるで行進するかのように足を上げて、地で拘束される2号機に向かってくる姿は異様の一言。
「踏み潰そうっての? いや、違うあれは――」
後ろの個体群が足を止め、間の機械が唸りを上げる。同時に先頭の砲台を有する巨大タイプにナニかが注がれる。
「この高エネルギー反応…………あれは絶対にヤバい!」
アスカには悪いが、今は砲台タイプを優先しなければマズいと判断したマリは超長距離ライフルを向けて撃った。
「ちっ」
44Aが砲台タイプの盾になり、思わずマリは結果を見て舌打ちする。時間を置かずに連射するも今度は04Aが盾となって攻撃を防ぐ。
次こそはと超長距離ライフルに弾丸を再装填したところで、8号機が乗っている海に浮かぶヴンダーが大きく揺れる。
マリが視線を横に動して突如発生した大きな波の発生源を見れば、赤い海から伸びる巨大な赤い光の柱が立っていた。赤い光の先端が開き、まるで目玉のような形になる。一つだけではない。一定の間隔を開けて幾つもの目玉が開き、隣の柱に光が伸びて繋がっていく。
「こっちにも新型だって?」
網目のように繋がった赤い光の柱が水飛沫を上げながらヴンダー目掛けて海面を進む。
完全に殺しにかかってきている世界に、さしものマリも頬を引きつらせるしかなかった。そして丁度その瞬間、2号機を攻撃していた収束した光が臨界点を超えて大爆発を起こした。
「うあっ!」
触手に絡まれていた2号機は脱出せんと足掻いていた。大爆発は頭部を右側に大きく寄せていた時に起こった所為か、2号機の左肩から先が完全に失われていた。
「ぐうううぅぅぅ……」
高シンクロ状態にある2号機のダメージはパイロットであるアスカにフィードバックされる。自身が左手を吹き飛ばされたかのような痛みに呻くアスカ。更に追い打ちをかけるように次々と仮称・04Bの放つ光が襲い掛かる。
痛みに耐えながらATフィールドを全開にして耐えるも、突破口の見えない状況と爆発の衝撃に揺れ続ける機体の中で思わずアスカは口を開いた。
「何とかしなさいよ、バカシンジ――ッ!!」
時間を少し遡る。
元は戦略自衛隊の軍事基地である第三駐屯地には当たり前の話ではあるが民間人の避難を想定したシェルターといった施設はない。
サードインパクト後に多くの民間人を抱えることとなった第三駐屯地は、敵性存在の襲来に大して一番広い建物に区画中の者を集約することで守る領域を限定して対応するしかなかった。
「振動が続くな……」
地震を軽減、または抑制といった機能がない緊急的に作られた避難所は地震が連続して起きているような揺れに襲われていた。
倒れないように座り込んだ人々は不安げに過ごすしか出来ることは無い。
「使徒は全部倒したんじゃないのか?」
「俺達に分かるもんか。上の人間は何も教えちゃくれない」
「下手に騒げばこっちの命がないだろうよ。もう法律なんて意味ないんだから」
日本という国体は既に存在せず、人類最後の生存圏である第三駐屯地を実際に統率しているのは寄せ集めの集合体であるヴィレ。日本国憲法は既に機能を発揮していないが、基本的な通念はそのまま適用されているといっても、サードインパクト前ならば法律などで抑制されるが集団の規律を乱す者を罰するよりも排除した方が遥かに簡単なのだから。
「一体、何と戦ってるんやろう」
使徒はもう現れない。公式情報として知らされていた鈴原トウジは何もやることがなくて暇を持て余していた。
田んぼでの出来事から同じ緊急避難所にはいても、洞木ヒカリやその父である洞木ブンザエモンと少し離れた場所にいる妹のサクラの姿を飽きもせずに見ながら後頭部をコツンと軽く壁に当てる。
「さあな。もしかしたらヴィレにも分かってないのかもしれない」
民間人には情報は入って来ない。手に入れる方法もなく強引に入手しようとすれば良くない結果にしかならないと知っている相田ケンスケが思案気に呟く。
「どういうことや?」
トウジはケンスケの仕事内容を知らないが少なくとも自分達よりは情報通であることは知っている。話の内容が内容だけに壁に並んで座っている親友に顔を近づける。
「勘だよ。ヴィレが想定していたのはネルフとネルフが建造するであろうエヴァンゲリオンだ。でも、今この時期に戦いを仕掛ける意味がない」
「自分達の邪魔をするヴィレを倒すんやないんか?」
顔を寄せて相手にしか聞こえない声量で話す。
この数ヶ月で初めての襲撃に誰も彼も気が立っている。下手な行動をすれば排除されかねないから、大人しくしている中で場を荒らすような行動は慎まなければならなかった。
「シンジ達が見つかる前なら簡単じゃないか。まあ、
「情報が少な過ぎて、よう分からんちゅうことかいな」
「守られるだけの人間に出来るのは、怯えるか、祈るか、考えるかだよ」
「で、考えるってか」
「怯えているだけよりはマシさ」
第三新東京市にいた時よりも現状の危険度は遥かに高い。誰もが不安に苛まれる中で、自身もまた床が揺れる度に荒れる心臓の高鳴りを自覚しながらケンスケは努めて平静を保つように重い息を吐く。
ケンスケが横目で隣で三角座りをしている碇シンジを見れば傍目には平然としているように感じる。
(やっぱ、パイロットは違うのかねぇ)
この緊急避難所にいる誰もが大なり小なり落ち着きを失っていたり、平静を装うとしていた。
周囲を窺う者、何度も姿勢を変える者、落ち着いているようで瞬きを繰り返している者…………表面上だけでも常と変わらない者は少ない。ニアサーやサードインパクトで何かを失った者は特に。
ケンスケが周囲を観察することで気を紛らわしていると、護衛ではなく監視の名目で立っている戦自の制服を着た数名を除いて避難民が座っている中から一人が立ち上がった。
その人物はケンスケ達よりは年上だが大人というには垢抜けていない。恐らく高校生ぐらいだと想像する。
(トイレか?)
警報は唐突で、ケンスケ達は追い立てられるようにこの場に集められた。時間の間隔は曖昧だが生理現象は抑えられない。実際、何人かは戦自制服に伝えてトイレに行って戻って来ている。
女子高校生らしきその人物もそうだろうと思っていたが、監視の戦自制服の下には向かわず何故か人を避けながら壁際のケンスケ達の方へと歩いて来る。いや、正確にはその目はケンスケの隣にいるシンジを見ていた。
嫌な予感を感じたが彼女を止める合理的な理由がケンスケにはない。トウジも同じ予感を抱き、やはり合理的な理由が無くて動けないようだった。
そうこうしている間に女子高生は三人の直ぐ傍に来ていた。やはりその目はシンジに注がれている。
「アンタが碇シンジ?」
シンジの事情もあって目立つ真似は避けるべきとトウジは考えていたが、名前を出されたことで立ち上がって二人の間に入る。
「なんやお前? シンジに何の用や」
座ったままのシンジを見下ろすその目に温かい感情は微塵も感じられない。年上であろうと傷つき疲れ果てている今のシンジに変な干渉をするようなら遠慮する必要はなかった。
「コイツが碇シンジで間違いないようね」
「おいっ!?」
騒動を起こせば監視の戦自制服達が黙っていないと分かっていても、トウジは自身を無視する女子高生に掴みかかろうとした。
その眼前に、女子高生がポケットから出した銃の銃口が突き出される。
頭に血が登っているトウジを落ち着かせようと立ち上がりかけたケンスケが明確な凶器に目を見開き、近くにいた誰かが悲鳴の声を上げる。騒動を起こそうとしている二人を迷惑そうに見ていた戦自制服達が騒然として自動小銃を構えようとした。
「う、動くな!」
下手な刺激を与えればそれだけで引き金を引いてしまいそうな状態で、自動小銃を構えようとした戦自制服も、周りの避難民達も動きを止めざるをえなかった。
「アンタもどきなさいよ……! う、撃つわよ!」
「どかん!」
通せんぼするトウジに対する脅しではあるが、ガクガクと揺れる手で持っている所為で本人も意図せずに撃ってしまう可能性をミドリ自身が否定しきれなかった面もある。しかし、この脅しに対して銃に恐怖を覚えながらもトウジは決して動こうとはしなかった。
「何なんやお前は! シンジに何の恨みがあってこんなことを」
「トウジ!」
銃を向けられて冷静さを失ったトウジの勢い任せの発言をケンスケが途中で遮る。碇シンジには恨まれる理由があることを二人は知っている。
「恨み? 恨みならあるわよ!」
湧き上がる怒りがとんでもないことをしているという気持ちを上回り、ミドリの手の震えが止まる。
銃口は過たず、自身を見上げるシンジに向けられていた。
「碇シンジ…………コイツが起こしたニアサーの所為で家族がみんな死んだっていう理由がね!!」
遠方での爆発音以外の静寂が緊急避難所に下りる。
真実を知るトウジ達は顔を歪め、誰もがミドリの発言の意味を租借しようとした。
「違うシンジは!」
「違わない!」
ハァハァと感情の昂りで息を乱しながらミドリは暗い想いを爆発させる。
「アンタがあのエヴァンゲリオンのパイロットで、どうやってインパクトを起こしたかなんてどうだっていい」
経緯なんて知ったところで結果が変わるわけではない。
「ニアサーとサードインパクトのお蔭で私達の人生メチャメチャ……」
同情できる理由があれば納得が出来るのか、失った者が帰って来るのか、地獄となってしまった世界が元に戻るのか…………誰もが、絶望していた。希望なんてないと知っていた。
「――――疫病神…………アンタは疫病神よ!!」
ミドリの泣きながらの糾弾を、避難民の真実を求める無言の追及を、シンジは諦めと共に全てを受け止めた。
来るべき時が来たのだと。
「世界がこうなってしまった全ての元凶、アンタだけは絶対に許さない!」
拳銃を向けられていたシンジは立ち上がり、ミドリを刺激しないようにゆっくりと移動する。
「し、シンジ……!?」
トウジはシンジが周りを巻き込まないように誰もいない場所に動こうとしているのだと察したが、緊張で強張った体は手を動かしただけでバランスを崩して倒れ込んでしまう。同じように気づいたケンスケもシンジに手を伸ばしたが一歩届かない。
『シンジ君、本当にそれでいいのかい?』
自分の命を奪うことで彼女の気が済むのなら、命の使い道としては上等な物だとシンジは心の中でカヲルに答える。
狭い緊急避難所内で人のいない場所はないはずだが、ミドリが銃を取り出した時点でシンジ達の周りから人は離れていた。とはいえ、それにも限度がある。精々が大人の大股の五,六歩程度の歩幅のエアポケットでしかない。
「何よ――何か言ってみたらどうなのよ!! みっともなく命乞いをしなさいよ! そしてみんなに謝れ!」
トウジ達から二、三歩程度離れた手を伸ばしても届かない距離。抗弁することなく自身に向き直ったシンジに苛立ったミドリの眼が烈火を宿す。
「シンジは喋れへんのや!」
考えるな考えるな考えるな…………ミドリの中で碇シンジは酷い奴であるべきなのだ。
自分よりも年下の、どこにでもいそうなこの線の細い少年がニアサーやサードインパクトを独力で起こすことが可能であるかなど考えるべきではない。
「――――死になさい! 死んでみんなに詫びろ!!」
勢いのままにトリガーが引かれ、銃が火を噴いて弾を吐き出すその寸前、トウジがせめて自分が盾になろうと射線に飛び出すよりも早くシンジの前に躍り出た者がいた。
「トロワ!?」
銃弾をその身に受けた綾波レイ№トロワが飛び出した勢いのまま床に倒れ込む。
ケンスケが駆け寄る。トウジが呆けているミドリから拳銃を奪い、その辺に捨てる。床を転がった銃がサクラの近くへ。
「どうしてそんな奴を庇うのよ!」
トウジによって取り押さえられたミドリが吠える。
シンジは目の前で倒れ、ケンスケが抱き起したトロワのプラグスーツの胸元から溢れる
「命令……碇君、を…………守る……」
ミドリに律儀に答えるトロワの言葉が途中で何度も途切れる。
銃弾は左胸付近に命中しており、防弾など想定していないプラグスーツの穴を抑えるケンスケの手の隙間から赤い血が夥しく流れていく。相当の痛みがあるはずなのに、トロワの人形染みた表情は全く揺らがない。
「……命令を、果たした…………私の……役目は、これで…………終わり……」
数少ない医者を呼ぶ声が幾つも上がる中で、トロワのただでさえ白い顔から急速に血の気が引いていく。
駆け付けたヒカリが血を止めようとケンスケの手の上に自身のを重ねる。それでも血は止まらない。ハンカチがあれば良かったのだが、限られた水の為に洗濯物を増やすわけにはいかないので持ち歩いていなかった。
「トロワさん、死なないで!!」
「死、ぬ? …………死ぬ、って……何?」
誰かが服を脱いで止血に使えと言ってくれた。手の代わりに服で抑えるも、白いTシャツは瞬く間に赤く染まっていく。
恐怖だった。この赤く染まった人の生きられない地獄のような世界のように、『死』がトロワに迫ってくるようで。
「生きて!」
ヒカリが叫ぶ。ただ叫ぶことしか出来ない。
周りの反応が、ヒカリの叫びの意味がトロワには理解できない。ネルフでしか生きることが出来ないトロワは知らないことだから。
「 …… ……貴方、の……眼から…………出て、いる……のは、何……?」
人形染みていた顔から色さえ失っていく。誰の目にも死相が浮かんでいると分かるトロワは自身の顔に落ちて来た水滴の正体を問う為に初めてヒカリを見た。
「涙、よ」
息が苦しい。胸から生まれた痛みすらも他人事のように感じていたトロワが初めて表情を僅かに変える。
「な、みだ? …………泣いて、いるのは……私?」
自身の目からも同じように水滴が流れていることに気づいた。
「な、に? 体の……内側から、広がる…………この……気持ち悪いモノ、は…………何?」
徐々に感覚が薄くなっていくのに比例して、トロワの内側から今まで感じたことのない何かが生まれて大きくなっていく。それが人が感じる『恐怖』だと、山小屋で三ヵ月の四人生活で真希波・マリ・イラストリアスに読まされた本の中で得た知識が該当する感情に名前を付けてしまった。
「…………怖い怖い怖い怖い怖い!?」
体が動かなくなっていく恐怖、少しずつ意識が薄れていく恐怖、自身の全てが徐々に失われて行く恐怖にトロワは口から血と共に叫んだ。
「トロワ! しっかりするんだ!」
生きていることを証明する痛み、自分という存在が消えていく恐怖が、あるかどうかも分からなかったトロワの自我を急成長させたなど、専門家ではないケンスケに分かるはずもない。
「……戻して!」
どこにそんな力があるのか。確かな自我の宿ったその目でシンジを見るトロワが叫ぶ。
「私を、何も知らなかった頃に――――戻して!!」
助けを求めるトロワの手がシンジにゆっくりと伸びる。
「死にたくない。消えたく、ない」
答えるように、彼女の手を掴もうと伸ばされたシンジの手。
「ここにいた――」
い、と最後まで言えずにトロワがLCL化する。
シンジの伸ばされた手は何も掴めなかった。ただ、トロワだったモノのLCLの雫だけがシンジの手の中に微かに残った。
ヒトの体はどこにもない。赤い血すらLCLと混ざって痕跡が消えていく。嘗てはあったことを証明するのはトロワが着ていたプラグスーツだけだった。
「あっ」
ヒトだったモノが傍目には水にしか見えないモノに変化したことに誰もが目を疑う中、トロワが着ていた黒いプラグスーツが白に変わっていく。まるでトロワという不純物が消えたことで本来の色を取り戻したかのように。
手の中のLCLの雫を見ていた、俯いていたシンジの顔がゆっくりと上がる。
「――――――トウジ、ケンスケ」
時が止まったような空間に男の声が広がる。
初め、その声がシンジから発せられていると名を呼ばれた二人は気付かなかった。何か月も聞いていなかったからではない。記憶にあるシンジの声は、中性的な外見に合う男子としては高めの声だったから。なのに、今放たれたシンジの声は以前より低くなったように聞こえたからこそ戸惑った。
「エヴァがどこにあるか、知ってるなら教えてほしい」
二度目は確かにシンジの口から放たれたと分かり、放心しているミドリの拘束を他の大人に任せたトウジが立ち上がる。
「そんなこと知ってどないすんねん?」
「エヴァに乗るよ」
揺るぎない意志を乗せた言葉。
トロワの消滅がシンジに何がしかの決心を決めさせたと確信したトウジの顔が歪む。
何も言えなくなったトウジから視線を動かしてヒカリの前で屈むシンジ。
「洞木さん、トロワのプラグスーツを預かっていてほしい。頼まれてくれるかな?」
白くなったトロワのプラグスーツ。
ずっとあの黒いプラグスーツを着ていたから、トロワを思い出す時は必ずセットになっている。今となってはこの世界にトロワが存在したことを唯一証明するプラグスーツを、シンジはヒカリに任せようとしていた。
「うん」
綾波レイ№トロワがヒトでなかったことなどヒカリは気にしない。確かにこの一ヶ月を共に過ごした人をヒカリは友人と思っていたのだから。
ヒカリが了承してくれたので立ち上がったシンジの目を見据えたケンスケが口を開く。
「本気なのか、碇?」
決意を確かめるように、或いは今なら引き返せると伝えるように問う。
「自分の仕出かしたことの、ケジメをつけたいんだ」
シンジは薄く、しかしもう戻れない線を超えてしまった微笑みを浮かべた。
もう駄目なのだと、万言を費やしても無駄なのだと悟らせるには十分な微笑みに、ケンスケは諦めたように肩を落とした。
「――――分かった。俺がエヴァまで案内しよう」
「ケンスケ!」
「最初から決めていたことだろう、トウジ。碇がその気になったのなら協力しようって」
ケンスケの選択に異を唱えようとしたトウジだったが、シンジが見つかった後に二人で決めたことを持ち出されて一瞬言葉に詰まった。
「そやかて、シンジは喋れへんようになるまで苦しんだんや! もうええやろ。もう十分に戦ったやないか!!」
ニアサーの前の使徒と戦っている時も、再会する前は食事すら受け付けなかったこともアスカから聞いて、喋ることも出来なくなっていて、夜中に悪夢で飛び起きていることも知っていて――――。
また傷つくかもしれない親友に何も出来ないことがこんなにも辛い。
「いいんだ、トウジ。ありがとう、二人とも。僕は、行くよ」
「あかん!」
シンジが告げた瞬間、二人には止められないと悟ったサクラが立ち上がった。その手には棄てられたはずの拳銃がある。
「行かさへん……!」
誰もが意識を向けなかったサクラは小学生の手には負担のかかる拳銃を何とか持ち上げる。
「撃つで! 嘘やないからな!」
ガタガタと震えても、銃口はシンジを向いている。
「サクラ! 何しとんねん!」
「邪魔せんといて!」
バン、と銃口が火を吹く。
言葉よりも雄弁な銃声に、サクラを止めようとしたトウジの足が埋まる。銃弾は直前に天井に銃口が向けられたから誰にも当たってはいない。だが、撃った。人を容易く殺せる銃を。トロワが消滅するきっかけである銃をサクラは撃ったのだ。
今度こそ誰も動けない。サクラは撃つと誰もが思った。もう一度、撃ってしまっているのだから。
「――――碇さんはエヴァに乗って、みんなを不幸にして、自分自身も不幸になったんや…………だからもう、エヴァに乗らんでもええ」
息を乱し、体を震わせ、涙を浮かべながらもサクラは言い切った。
そんな彼女を、シンジはこの場にいる誰よりも凪いだ目で見据える。
「怪我したら、もう乗らんで済みます。痛いですけど、エヴァに乗るよりはマシですから我慢してください」
間違いであればいいと願ったのに、妹が本気の目で言っていることにトウジは気付いた。
「アホか! そんな震えた手で撃ったらシンジを殺してしまうやろが!!」
兄の本気の怒声に、ビクンと震えるサクラとシンジが一歩を踏み出すのは同時だった。
「こ、来んといて!? 撃つで!」
シンジが動いたことに気付いたサクラが銃を構え直す。
二人の間には十歩ほどの距離しかない。サクラの静止の声に、しかしシンジは一瞬たりとも躊躇を見せずに足を進める。
「撃つ……! 撃つからな!!」
言いながらも引き金に掛けた人差し指は、シンジを殺してしまうと言ったトウジの言葉を聞いてから硬直していた。
止まらない。銃口を向けられているのにシンジは止まらない。
淀みなく歩を進めたシンジが近づき、サクラから拳銃を取り上げようと手を伸ばす。
サクラの足は棒になったようにちっとも動いてくれなくて、それでもシンジから逃れようとしたのがいけなかった。足から力が抜けて尻餅をつき、その動作で硬直していた動いた手に連動して人差し指が反応した。
「っ!?」
サクラの意図しない発砲。膝から崩れ落ちて尻餅をついて跳ね上がった手に持つ銃から放たれた弾丸はシンジの頬を掠めた。
「ぁ」
シンジの頬を流れ落ちる一筋の血がサクラに現実を突きつける。
「ごめん、ありがとう」
自身の傷に頓着せずに尻餅をついたサクラから拳銃を取り上げたシンジはそれだけを言い、消えたトロワがいた場所を見つめ続けるミドリの下へ向かう。
未だ地に伏せたままのミドリに視線を近づけようと片膝をつく。
「僕の全てを使って責任を果たすよ。もしも全てが終わった後にまだ僕が生きていたのなら、その時は撃つといい」
銃をミドリの前に置いたシンジが立ち上がり、背を向ける。
ミドリの行動を妨げるモノは何もない。
銃を取ってシンジを撃つことも出来るが一人の人間の消滅を前に、ミドリにはもうその気概は残っていない。サクラの横を通って緊急避難所を出て行こうとしているシンジの背を見送ることしか出来なかった。
「あかん! 行ったらあかん!」
通せんぼするように両手を広げたサクラに、シンジはまだ小さなその身体を抱きしめる。
「迷惑をかけてごめん。今までありがとう」
「違う。違う! 碇さんはアホや! 大アホや! 私は――」
抱擁を解いてシンジは硬直したサクラの横を通り過ぎていく。
何かを言うべきだった。しかし、サクラの口から続く言葉はない。続けられる言葉をサクラは持っていなかった。
「うわぁああああああああああああ」
今のシンジには何を言っても届かない。それが分かってしまったから。