今話のタイトルはTV版エンディング曲より
2週間前に起こったネーメズィスシリーズによる混乱からは抜け出して日常に戻ったはずなのに、第三駐屯地は常ならぬ雰囲気にあった。
原因は今まで民間人では見ることすら出来なかった人類最後の希望たる戦艦が出航間近だったから。
「あれがヴンダーかいな。やっぱりでっかいのう」
今日に限っては課されている仕事も特別に免除され、遠目ではあってもその巨大さだけに勇壮を示しているヴンダーを一党で見に来た鈴原トウジは感嘆の息を漏らす。
「確かに大きいが……」
「なんや、ケンスケ。鼻に物が詰まったみたいな言い方して」
「鈴……トウジ、それを言うなら奥歯に、よ」
「細かいこと気にすんなや、委員……ヒカリ」
互いに身内がいるので苗字や既に意味のない役職ではなく名前呼びをもう何か月もしているのに、未だに前の名残を振り切れない二人に挟まれた相田ケンスケが微妙な顔をしていることに気づいた鈴原サクラがその肩に手を伸ばしてポンポンと叩く。
「何?」
「頑張って」
「何を……?」
分かってはいるが認めたくはないこの感情。
親友と違って終わりゆくこの世界でラブロマンスは無かった一人の漢は小学生に慰められたくなくて惚けた。
「移管希望者が下船している、いよいよ決戦か」
逃げた――――わけではない。言ったように、これからヴンダーは人類の命運を賭けた決戦に赴くと知らされていた。具体的に何と戦うのか、決戦に勝利すればこの地獄のような世界が前に戻るのか、詳しいことは何も分からない。
分かるのはどこかに戦いに行くこと、何かと戦うこと、負ければヒトは終わるということだけ。
「やっぱネルフと戦うんかの?」
「さあな、軍人さん達は俺達にはなんにも教えてくんないよ」
文民統制など既に過去の物。人を傷つける力をある者が最も大きな権力を持つ。
弱肉強食とまではいかないが一民間人の力は限りなく小さい。
身勝手に不平を訴えれば人の輪を乱す行為だとして排斥されかねない空気が第三駐屯地にはある。地獄のような世界で生きるには必要な措置ではあるが昔を知るだけに思うことがない者はいない。
「シンジ達は行くんやろうな」
つい少し前まで共に暮らしていた親友の姿を何日も見ていない。
エヴァンゲリオンに乗ったのは間違いなく、その直ぐ後に戦闘は終わったので無事なのは間違いないだろうが何故か戻って来ない。
「エヴァは最大の力だ。パイロットである碇達が残る理由の方がないって」
「嫌だって言ってもか?」
「サードインパクト前なら本人の意思が優先されたかもしれないけど、こんな世界だぜ? 認められるはずがない。どんな手段を使ってもYesって言わせるだろうよ」
家族、友人、その他諸々を使っての人質か。男が相手なら色仕掛けを使ったっていい。最悪、洗脳も選択肢にはあり得る。その場合の人質として
「ま、三人とも望んで戦うだろうけど」
第三駐屯地でシンジと再会する前に事情を説明しに来た真希波・マリ・イラストリアスとアスカ・ラングレーのことを思い出す。
「パイロットは他にも二人いるんやからシンジさんは戦わんでもええやん」
ケンスケが二人の
トウジも先の戦闘の際に妹がシンジを傷つけてまでエヴァンゲリオンに乗せまいとしたことを知るだけに、手頃な位置にある頭にポンと手を置いて撫でる。
「シンジは自分で戦うことを選んだんや。男の決意は見守ってやらなあかん」
銃を撃ったのは戦闘による心神喪失によるものとして保護観察扱いになったサクラ。こういう状況だからこそ子供に甘い大人達や、センチメンタルな感傷を押し付けて来る兄の手を払いのける。
「うちは女やから、そんなこと言われても分からんもん。な、ヒカリさん」
「ああ、うん……」
ヒカリとしても男の決意云々は分からないが、消滅前のトロワに触れていたからシンジが戦うことを選んだことには一定の理解があった。しかし、サクラを説得できる自信もなかったので曖昧な言葉に終始してしまう。
察しの良いケンスケはヒカリの表情からある程度の内心を読み取り、話題の転換を図ろうとする。
「そういえば洞木、ヴィレ経由で碇に何を渡そうとしたんだ?」
「トロワさんの荷物にあったSDAT。碇君が学校で持っているのを見たことがあったから」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
出航したAAAヴンダーの艦内。重力制御によって空を飛びながらも揺れはなく、波の影響を受ける海上よりも過ごしやすい。
「まさか宇宙に上がる日が来るとは、現実は小説より奇なりとは言うけれど人生とは分からないものだわ」
背後に伊吹マヤを従えた赤木リツコがAAAヴンダーの廊下を進む。
「現在位置は地球の大気圏の外、重力制御のお蔭で宇宙にいる実感が湧きませんね。これで
「ただでさえ通路も狭いのだから、外が見える窓なんて
配線が剥き出しになっている廊下は人が行き来するにも苦慮するほど狭い。
設計思想的に多人数での運用など想定していないのだから、廊下の狭さや宇宙空間を見られる窓がないことに文句を言うこともお門違いでしかないことをリツコは勿論、伊吹も知っていた。
「宇宙に上がってからはネーメズィスシリーズの襲撃はありません。ネーメズィスシリーズが大地を介して現れると予測した8号機パイロットの予測は正しいんでしょうか?」
「さあ、実証出来ない予測に意味はないわ。停止信号プラグの組み立てとエヴァは最低限形になったのは助かったけど、それより報告は?」
「……………下船したクルーのカバーは問題ありません。懸案だった2号機のJAパーツとの接続テストも無事に終了。7号機の慣熟訓練も兼ねている艦外作業は
「予備パーツがもう無かったから接続テストが上手くいったのは僥倖ね。2号機の現場がいけてるなら、艦外特化のエヴァ関連作業がトータルで約3%遅れているからそっちに回しましょう。良い訓練になるわ。スピード優先、チェックの1/5は巻いていくわよ」
「了解です、副長先輩。7号機、やはり初号機のようにはいきませんね」
リツコの指示に伊吹は手元の携帯端末を操作して部下に命令を伝えながらボソリと呟く。
「まともに動くだけで有難いと言いたいところだけど、全て仕組まれている可能性もあるわ」
「分かっています。最悪のケースも想定し、備えは怠っていません」
ヴィレの中である意味で最も信頼されていない
「そのこと、
ニア・サードインパクト、サードインパクト前のことを思い出して一瞬、表情を曇らせた伊吹に気づいたリツコは知らぬ顔をする。
「伝えています。具体的に何をどこに仕掛けたかは情報漏洩の可能性も考えて言っていませんが」
「なら、良いわ」
当然の処置とリツコは頷く。
「伝えた時、何か反応は?」
「…………当たり前のことですと言って、笑っていました」
「そう」
沈鬱そうに表情を歪める伊吹と違って、話題の
廊下を進んでいると、二又に別れる通路でリツコが想定とは違う方に向かおうとしていることに伊吹も気が付いて足を止めた。
「どちらへ?」
「艦長の所。サインが必要な書類が溜まっているのよ」
一度も振り返ることなく、リツコは艦長室がある方ではない二又の片方の通路を進んでいく。伊吹も指摘することなく、見えなくなるまで背中を見送った後、自らの足下を見るかのように俯きながらもう片方の通路に足を進めた。
リツコが向かうのはAAAヴンダーの中枢であり、戦闘艦としてはそぐわない機能を持つブロック。
「ミサトが一人の時は、何時もここね」
ブロックに足を踏み入れたリツコは室内で芒洋と壁を見上げている葛城ミサトに声をかける。
このブロックへの入室には艦長か副長の許可が必要で、今のところ二人は余人にその必要性を感じていない。よって自分以外に入ってくるとしたらもう一人ということになるので、ミサトは顔をリツコに向けることすらしない。
「部屋が狭いって苦情が多いんだから、艦長室がいらないなら他に譲って頂戴」
つまりは寝床をこの無味乾燥のブロックに移せと言うに等しい言葉に、流石に無視は出来なくなったミサトがリツコに視線を移す。
「冗談よ。簡単にはリョウちゃんへの思いは断ち切れないわね」
「加持は関係ない。ここが落ち着くだけ」
部下達に冷血と称される赤木リツコは冗談を言わない。ミサトが反応しなければ本当にリツコは実行に移していたことだろう。
「嘘をつくならもっとマシな内容にしなさい。自分すら騙せない嘘で他人を納得させることは出来ないわ」
「今の私にそんなことを言うのはアンタだけよ」
「残存人類最大組織の副長として職責を果たしているだけ」
副長の上司である艦長に言うようなことではない。きっとサードインパクトによって超希少品となった煙草が手元にあれば吸う姿が実に様になっていたことだろう。
立場を面倒そうに溜息を吐いたリツコがミサトの隣に立ち、同じ壁一面に仕掛けられた仕掛けを見上げる。
「このブロックが強奪して改修された本艦本来の運用目的だったわね。あらゆる生命の種の保存、その守護の為の半永久稼働可能な無人式全自動型の箱舟がリョウちゃんが望んだAAAヴンダー本来の姿」
「事前に集められた生命の種が冷凍保存されて区分けされて入れられるはずだった。その前に戦闘艦として改修されたことで、ここには何もない」
器だけが作られた段階で奪取し、それ以降の作業は無駄だと断じたミサトによって半ば放置されたブロックは、実のところ他の用途にも使われていないので無駄でしかない。
リツコが言うように別の用途に使ってしまった方が遥かに有意義と理解していながらも、ミサトは艦長権限でその全てを跳ねのけている。
「加持にとって、人類という種の存続は大した問題ではなかった。補完計画の巻き添えで消えてしまう、多様な生命体の自然のままこの世界に残すことが最重要だった……」
「その為には可能な限りの生命の種を、地球圏外に避難させる必要があったから補完計画実現を目指し建造中だったこの船をゼーレから強奪した。人の力では補完計画の阻止は不可能と考えていたのね」
「でも、最後は自らの命を捨てて、サードを止めた。自己矛盾で自分勝手に死んだ、チョー迷惑な男よ」
ミサトは口調だけは軽々しく、しかしその表情は軍帽とサングラスで殆ど伺い知れない。
「結果、彼はここにいない。ならば私はこの船をネルフ殲滅、人類補完計画阻止の為に使わせてもらう」
余人にはミサトが何を考えているかは察することも出来ない。だが、長年の親友であり今では名実共に片腕であるリツコには全てお見通しであった。
「あなたの復讐の為?」
「いいえ、命を残す箱舟ではなく、命を救う戦闘艦として…………らしくないとは自分でも分かってるけど」
「母親のセリフだと実感あるわね」
「私にそんな資格、一ミリもないわよ」
「それでも命は育まれている。この過酷な時代、胎ろすという選択肢が正しいと知りながら」
母親の資格はないと自らを見切りながらも、宿る命を切り捨てられないことをリツコは甘さと断じる。
どんな時でもミサトの甘さを指摘し続けて来たリツコは、この件での更なる追及をする無意味さを良く理解していたから別の話題へと話を移す。
「で、葛城艦長、仮称碇シンジ君はどうするの? 精神的には安定してるらしいけど」
活動許可を出した張本人であるミサトも、こと碇シンジのことには無関心ではいられない。
「自ら戦うことを選び、能力があるならばヴィレには断る理由がない。DSSチョーカーを装着しており、戦力となるならば他エヴァパイロットと同じ扱いで問題はない」
慣熟も兼ねての艦外活動を行っているエヴァンゲリオン7号機。今となっては専属操縦者となった碇シンジは初号機とは勝手が違う機体に悪戦苦闘しながら作業を行っている。
「会って話す気はないと?」
「必要性を感じない」
部下からは鉄血と噂されるミサトは、リツコには見えないとしても眉一つ動かさず答えた。
「ミサトがそう言うなら無理に勧めはしないけど、我々自身がインパクトを起こし得る可能性は残るわ」
「碇ゲンドウは初号機の覚醒を目論んでいた。そのパイロットを放置してネルフに利用される可能性を残すよりはマシよ」
「どちらを取ってもリスクは残るなら、覚醒時にはマギの判断でどれだけ離れていても起爆が行えるわけだし、自分達の
エヴァンゲリオンとヴンダーのマギは常にリアルタイムでデータリンクしている。
加持がサードインパクトを止める為にその身命を賭けざるを得なかった反省から、パイロットが覚醒状態に陥れば自動的にDSSチョーカーが起爆するシステムが発案者である赤木リツコの手によって構築された。寧ろ在野に放置して利用する可能性よりは手元に置いておいた方が危険性が低いとマギも示している。
「このことを7号機パイロットには?」
「伝達済みよ。寧ろ安心したとすら言われたわ。横で聞いていたマヤの方が動揺するぐらい平静過ぎて逆に怖いぐらい……」
以前の内向的なシンジの姿を知るだけに、その変化は今の時点では有難いが人間性としては如何なものかと他人事として考えるリツコ。
「罪は自分の意思で償わないと贖罪の意味がない」
「経験者は語るという奴かしら?」
「…………」
ミサトに譲れないナニかがない限り、リツコには口で勝つことは絶対に出来ない。逆に言えば譲れないナニかがある限りリツコはミサトに負けることになるのだが、今回は数少ない例外ではなかった。
痛い所を突かれたという様子のミサトに、リツコは冷ややか目を向ける。
「2号機、8号機にも同様のシステムが搭載されているから、少なくとも我々がインパクトを起こすことはない。当初の予定よりは戦力が増えたことは素直に喜ばしいが」
「何か問題でも?」
含むモノがあると暗に示されたが、ミサトには今のところ問題があるとは思えなかった。
「想定してたエヴァは2機だけだからN2リアクターが2機分しかないのよ。今からもう1機分作るなんてことは時間的に不可能よ」
「ということは、デビルキャリアーも?」
「ええ、当然ないわ。時間も資材も有限だから」
サードインパクトによって第三駐屯地を除いた地球全域がL結界によって汚染された現状では多くは望めない。有限の中からやりくりするにも限界があった。
「諸々の事情と低いシンクロ率を考慮すると、戦闘艦と言っても名ばかりの本艦の砲塔代わりをしてもらうのが最適じゃないかしら」
「そう、ね。その方がいいでしょうね」
思案気に腕を組んでいるミサトはどこか安心しているようでもあったから、リツコは釘を刺さざるをえない。
「…………ミサト、そうやって格好つけてるけど、本心では戻ってきてくれたと喜んでるでしょ。情動で動くと碌な目に合わない、あなたの経験よ」
「何時もながら、きついわね」
「ミサトを甘やかすとろくな目に合わない、これが私の経験」
左腕に巻かれた青いバンダナに無意識なのか触れるミサト。
ネルフ内戦を始める前に敵味方を識別する為に使ったのが青いバンダナ。赤くなった海を青に取り戻すという願いを色に込めた誓いの印は、今となってはミサトを縛る呪いでもあった。
「そのバンダナがリョウちゃんの形見となったわね」
サードインパクトが始まった時、加持は半ば押し付けるようにしてミサトに青いバンダナを渡した。
ある意味ではAAAヴンダーも加持の遺産と言えるかもしれないが、本人の血が染みていることもあって直接的に形見と言えるのはこのバンダナだけ。
「あの時、本当は私も加持と一緒に行きたかった」
ヴンダーの艦長として残存人類のトップに立たざるをえなかったミサトの弱音だった。
「でしょうね、ミサトのお腹に子どもがいなかったら、私も許したかもしれない」
「子供がいるなんて加持の嘘だったかもしれないのに?」
「現実として子供はいたじゃない」
加持の嘘だったのか、はたまた彼には何がしかの根拠があったのかは、今はもう故人となった男に語る口はないので分かることは無いだろう。
「本当か嘘かだなんてことはどっちでも良かったのよ。誰かが犠牲になる必要はあったけど、二人いる必要はなかった。だけど、アナタとリョウちゃんが復縁していたのは分かっていたから
男と女はロジックじゃないから分からない、とは大分前にリツコ自身が口にしたこと。
「貴方以外にヴィレのトップは務まらない。今ではその判断は間違っていないと断言できるわ」
「…………私は私の職責を果たすだけよ」
ミサトの目が見ているのは人類の明日だとしても、その手が無意識に触れていたのは加持との子が育まれいている日に日に大きくなっていく自身のお腹だった。