今話タイトルは旧劇場版タイトル『DEATH&REBIRTH』より
未だ開発途上のジオフロントはあちこちで工事が行われている。その様子を車でゲヒルン施設から遠出して眺める二人の人影。
『マリちゃん』
二人の内、年長と見られる女性が隣に立って工事風景を共に眺める長身の女性――――真希波マリへと話しかけた。
『ユイ先輩、私ももう十代ではないんですからちゃん付けは止めて下さい』
『はは、ごめんね。私にとってはマリちゃんはマリちゃんだから』
ゲヒルンで再会してから何度言っても改めようとしない先輩にマリは諦めたように溜息を吐く。
『それで、忙しいこの時期にわざわざこんな辺鄙な場所にまで人を連れ出した理由は何ですか?』
自然溢れる場所ではあるがその全てが植樹した人工物である。各種施設は未だ建設途上で、お世辞にも良い場所とはマリには思えない。
『辺鄙な場所って…………私のお気に入りの場所なのに』
人の喧騒も、工事の音も遠い。静かで穏やかな場所を辺鄙と言われて先輩は少し傷ついている様子だった。
『良い大人が拗ねないで下さいよ。自分の年を考えましょうよ』
『うぐっ!?』
『…………先輩はあの頃と全然変わってませんけどね』
そろそろ自分の若さを信じられなくなった年齢になってしまった先輩は心に槍を刺されたように胸を抑え、マリが呟いた小声は聞こえていない様子だった。
結婚して子持ちになるも、仕事に邁進する姿は大学時代と比べても円熟味を増して魅力的に映るなんて、本心を開けっ広げに語るには自身はヒネくれていると自負しているマリは改めて伝える気はなかった。
こんなやり取りも嘗てと変わらないとマリはある種の懐かしさを覚えながらも、このままでは話が進まないと自身から口火を切ることにした。
『で、用件は?』
端的に用件を訊ねると、先輩は傷ついた姿は演技だったのかのように表情を真面目に変える。
『――――――私が戻らなかったらあの人とシンジのこと、あなたにお願いしたいの』
一瞬、マリは何を言われたのか分からないかのように目を瞬かせた。やがてその意味を飲み込んで、目尻をきつくする。
『それはエヴァから戻る気がない、と受け取っていいんですか?』
『ええ』
マリはつい癖になっていた今はしていない眼鏡を直す仕草をしようとして空振り、代わりに動揺を抑えるように目元を強く抑えた。
大学時代に先輩に眼鏡姿を褒められてから一時はつけていたが、流石に成人してからはつけなくなっていたが癖は一度ついたらなかなか消えない。
『何故、と聞いても?』
安易に否定したところで一度決めたことを覆す人ではないことは身を持って良く知っている。なので、まずはその理由を聞いた。
『死海文書の解読の結果によれば、使徒の侵攻は確実。それはベタニアベースで封印されている第3の使徒がその証明よ』
セカンドインパクトの本当の真実、未来に予測される悲壮な現実はマリも知るところであった。
『人類を守る矛であり盾でもあるエヴァが実用段階には未だ遠いのは事実です。でも、使徒来訪まではまだ10年の余裕があります』
『もう10年しかないわ』
10年を直ぐとみるか遠いとみるか、マリは後者だったが人の主観にもよるだろう。
『この前、ドイツに視察に行った時に感じたの。このままではいけないって』
先輩がゲヒルンのドイツ支部に一家で行ったことはマリも知っている。
視察で得たデータはマリも目を通しており、精々がパイロットの育成面においてだけはドイツの方が進んでいるというだけの特筆したモノは何もなかったと記憶している。
支部の中で日本に次ぐと言われるドイツのエヴァンゲリオンの開発データが二歩も三歩も劣る物でしかなかったことを気にしているのか。
『他の所を見て一時的に不安になっているだけでは? 一過性のものですよ』
『…………エヴァはアダムとリリスのコピー。体は作れても魂がなければ動くことは出来ない』
『その役目を担うのがパイロットでしょう?』
エヴァンゲリオンは南極で拾ったモノをコピーした所謂、人造人間。マリ達の役目は体にある部分を作り上げ、動くようにすること。しかし、プロトタイプとテストタイプを作ったにも関わらず、その体は一度も動いたことがない。
制御システムに当たる根幹の部分、人が魂と呼ぶ部分がエヴァンゲリオンにはない。その部分を操縦者が担うとしても何かが足りないことは分かっている。その何かが分からないとしても。
『まだ試していないことが山ほどあります。良く分からないモノを動かそうとしてるんですから、早々に上手く行かないのも無理はないです』
『何時か、ではダメなのよ』
問題の先送りでしかないと、如何なる方法を試すよりも最適解であると内心で判断したマリを見透かしたように言い切る。
『起動すればそれで終わりじゃない。実際に動かして使徒に勝たないと人類に未来はない』
今までに例のない兵器を造り出そうとしているのだ。それも訳の分からないモノを使って行おうとしているのだから時間は幾らあっても足りないぐらい。
先輩の理屈が良く分かるだけに、たった一点だけマリには分からないことがあった。
『どうして、私に言うんですか?』
マリに言う必要なんてなかったはずだ。本心を隠して実験を行えば、こうしてマリに止められることもなかったのだから。
『あの人とシンジのことを頼むなら、全てを話すべきと思ったから』
『冬月先生でも良かったはずです。いえ、あの人の方が私なんかよりもきっと』
研究者としての実績も人としての信用も、自分は冬月コウゾウには決して及ばないと知っている。
卑下ではなく、事実として受け止めているマリに先輩は緩く笑う。
『マリちゃん、ゲンドウさんのこと好きでしょ?』
先輩の口から放たれた言葉はマリの心臓を止めかねない程の衝撃を与えた。
『な、なにを……』
『最初はそうでもなかったけど、付き合いを続けていく内にって感じかな。理由は聞かないでね。なんとなくそう感じただけだから』
マリはユイが好きである。それは大学時代に好意を伝えたことからも事実ではあるが、ゲンドウに対して好意はないと否定しようとしたが言葉が続かない。
『別にあの人のことを好きになることが悪いって責めてるわけじゃないのよ』
動揺するマリの姿を面白そうに見つめていた先輩は手を小さく振る。
『未来の為なの、マリちゃん。人類の未来の為、シンジと未来の子供達の為にエヴァに残るって決めた時、残すことになる二人のことがやっぱり心配で、でもあの人の隣に私以外のヒトがいることが、私以外のヒトがシンジにお母さんと呼ばれるのも嫌だったんだ』
母としての顔、妻としての顔、その両方を違和感なく両立させる先輩がマリは好きだった。強く美しく、だからこそ汚れ無き意志であってほしいとも思うこの矛盾。
『変かな?』
『…………いえ、それが普通ではないかと』
きっと先輩はエヴァンゲリオンに残る決意を翻したりはしないだろうという確信がマリにはあった。
『でもね、マリちゃんならいいかなって思えるんだ。不思議だよね』
この世で最も敬愛し尊敬し好意を抱いている相手にそこまで言われたマリに何か言えるはずもなく、止められるはずもない。
『分かりました…………約束は出来ませんが最善を尽くします』
マリに言えることだけはそれだけだった。
『ありがとう』
『いえ、でもいいんですか? ゲンドウくんや冬月先生に何も言わないで』
聞いておいて、その場面を想像したマリにも二人がどういう反応をするのか簡単に予測がついてしまった。
『だって言ったら絶対に止めるでしょう? 二度とエヴァに近づけてももらえなくなる』
予測通りの想像をしたらしい先輩の苦笑に、マリも同じ笑みを返す。
『だからお願いね、マリちゃん』
碇ユイが実験でエヴァに消える数日前の出来事。
交わした約束は呪いとなり、真希波マリが死んで真希波・マリ・イラストリアスに受け継がれても消えることは無かった――――――――その形を変えても、ずっと。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジオフロント内にあるネルフ本部の司令室に近い、今はエヴァパイロットしかいない実質的な隔離区画。
食事プレートを持ってとある一室の前に来た真希波・マリ・イラストリアスは、扉にかかっていたドアプレートをひっくり返したところで手を止めた。
「なんじゃこりゃ」
ドアプレートには『Keep out private conference between mari makinami illustrious & sinzi ikari do not enter』、つまりは『立ち入り禁止 マリ真希波イラストリアスと碇シンジによる個人的会合中 進入を禁ず』と書かれていた。
「また大袈裟な」
誰が作ったのかは知らないが大仰なことをしたものだと、
スイッチを押して部屋の扉を開けると、室内は昼前だというのに真っ暗。
「電気ぐらい点けなよ」
部屋の位置的に外界の光を取り入れることが出来ない一室は灯りをつけなければ一寸先も見えない闇。入室者に反応して自動的に電灯が点いてマリの目に室内の状況を映し出す。
「あぁあ、荒らしちゃって」
床に投げ捨てられていたSDATを拾い上げながら思わずと言った様子で本音が口から零れ落ちる。
昨夕に持って来た夕飯のプレートが壁際に落ちていて、中身が壁と床にシミを作っている。朝用に置いておいた水の入ったペットボトルと菓子パンも壁に投げられたようだが幸い中身はぶちまけられていない。
こちらは袋入りとペットボトル入りが原因なだけだが。
掃除は後回しにするとして、部屋の主に目を向けると昨夕にマリが帰る時から何も変わっていない。さっきまで灯り一つ点けていなかった部屋に備え付けられているベッド上で壁を向いて蹲るように座っている。
「ワンコ君、ご飯を持って来たよ」
料理を持って部屋を訪れたマリが声をかけても動かない。
「食べないと死んじゃうよ」
寧ろそれこそシンジの望みなのかもしれない。
生きる意欲を持たないが積極的に死ぬのも怖い。痛いのも辛いのも嫌だから緩慢的な死を選ぶ。
(本人にその自覚はないだろうけど)
これも一種の甘えに過ぎないことをマリは見抜いている。
本当に死にたければ人は手段を択ばない。人に世話をしてもらっている時点で本気で死ぬ気があるのかは大いに疑問であった。
「しゃあない」
食事も取らないシンジ。本当に切羽詰れば食事も取るようになるかもしれないが、そうなる前に行動しておいた方が楽だろう、どんなことでも。
どうするかを決めれば拙速に勝る物はない。マリは考えるよりも先に行動に移すことを好む。今回もそう。なので、早速行動に移す。
マリはSDATと食事プレートを近くの机に置いて、ベッドで座ったままのシンジの肩に手を伸ばす。
「ぐっ」
シンジを力任せにベッドに引き倒す。今までどれだけ声をかけ、どんな言葉をかけても無気力だった目も流石に驚きに瞠られてる。
「多分、初めてだろうし言っておくよ、私もだけど――――いただきます」
今は停滞よりも変化を。ついでに趣味と実益を。
スカートをフワリとさせてシンジの腰の上に乗って、最後に手を合わせて宣言する。
「ま、狐にでも化かされたと思って」
誰に対する言い訳なのか、マリはそんな言葉を漏らして自身の非常食にとポケットに入れていた栄養ゼリーを取り出し、口に含む。
嫌な予感でもしたのか、抵抗しようとしたシンジの両手を左手一本で纏めて頭の上で拘束。栄養ゼリーを飲み込むのではなく含んだまま、右手でシンジの両頬を掴んで口を開けさせてそのまま自分の口を接近させる。
一般的に見ればキス。シンジにしてみれば突然の出来事。
「うむっ!?」
シンジが塞がれた口の中で上げた唸り声は、マリの舌に押し出された栄養ゼリーによって遮られる。仮に栄養ゼリーがなかったとしてもシンジの声はマリの口に反響するに留まっただろうが
ゴクン、と反射的に行われた呑み込む音。嚥下音を確認したマリは口を離した。
「ちょむっ……!?」
一度離れても再度補充された栄養ゼリーをまた口移しで呑ませる。シンジが何かを言おうとしたが無視。
暴れるシンジを抑え込んで喉の奥にゼリーを押し込み続ける。
二度、三度、四度と幾度も繰り返して、栄養ゼリーの全てを飲ませる。
「んな、ちょ……むぁ……っ!?」
マリの耳にペチャクチャと湿っぽい音とシンジの喘ぎ声のようなものが聞こえた。
とっくの昔に栄養ゼリーは無くなったが、なんか楽しくなってきたマリは唾液を送り込んで舌を絡めさせ続ける。合間にシンジかマリのどちらかがぷはぁと息を息を吸う音が部屋に響く。そしてまた湿っぽい音と二人が零した声が続く。
どれだけそうしたか、流石に息が続かなくなったマリがようやく口を離しても唾液の糸が二人を繋ぐ。
「うぅぁ……ぇぇぅィ…………」
はぁはぁ、と顔を赤らめて息を荒げているシンジの姿に背筋がゾクッと来たマリが口元を拭う。
(やばい、癖になりそう)
自分にそんな趣味嗜好があったことに驚きだが唇を舐めたところで目的を思い出した。
「ちゃんと食事を取らないと何度も同じことをするよ。それともまたされたい?」
「…………なんで放っておいてくれないんだ」
司令室以来、ようやく返って来た言葉にマリはニンマリと表情が動きそうになるのを抑えて真面目な顔を貫く。実際には頬は赤いわ、目は潤んでいるわで意味はないのだが。
「本当に放っておいてほしいの?」
「僕なんか……」
「私はワンコ君を放っておけないよ」
一瞬泣きそうになったシンジは瞼を強く閉じて顔を見られないように手で隠す。
「嘘だ。僕なんて世界にいない方が良いんだ」
「思い込みだよ。世の中にはもっと悪いことをしてもノウノウと生きてる悪い奴らが五万といる」
自罰に囚われたシンジに届く理屈ではないだろうが視野狭窄を少しでも広げる一助になればいいと続ける。
「地下に籠ってるから悪い方向に思考がいくんだって。一日一回、陽の光を浴びないと干からびるよ」
日光を浴びないことによる健康へのデメリットは意外に多い。地下にあるこの室内には一切日光は入らず、身動きすら殆どしないのだから精神的に内に裡に向かってしまって当然。
「出来ないよ。誰かに会ったらどうするんだ」
泣き言を漏らすシンジ。
実際、涙声のシンジの体が小さく震えていた。宥めるようにマリの手がシンジの頬を撫でる。
「別に会ったらいいじゃない。幹部級とは接近禁止令が出てるけど、他の人に会うのは禁止されてないんだから」
使徒襲来等の有事の際は別として、シンジ達エヴァンゲリオンパイロットは幹部級との接触を禁止されている。シンジ、アスカ、レイが外に出る時には必ず警護という名の監視が付く。例外は司令代理である渚カヲルと技術局に協力しているマリぐらい。
「会っても良いことなんて何もないよ」
「責められると思ってる?」
「…………」
頬を撫でていた手がビクリとした震えを教え、シンジの感情を伝えて来る。
初号機がニア・サードインパクトを起こしたことはネルフ内では周知の事実だとマリから聞いたシンジが部屋に引き籠る理由の一つでもあった。
「いっそ、責められるなら責められた方が楽じゃない?」
「放っておいてよ」
マリがこの部屋を訪れたのは一度や二度ではないのだから完全に外との関わりを断ちたいなら扉に鍵をかければいい。無気力を理由に行動に移していないのは心の奥では他者との関わりを求めているとも取れる。
「僕を放っておいてよ!」
頬を撫でていたマリの手を振り払って叫んだシンジの目が涙に濡れていた。
力一杯振り払われた腕にはジンジンと熱と痛みが走る。シンジから発せられた明確な意志の発露にマリは唇を笑みの形に作って言葉を続ける。
「イ・ヤッ!」
極々単純な、小さな子供でも分かるような相手の要求を拒絶する言葉。
笑顔であっさりと貯めてまで放たれた言葉に、流石にシンジも唖然とした顔で絶句している。
「…………どうしてそこまでするのさ」
十数秒後に再起動を果たしたシンジはようやく素直な心情を吐露する。
「ワンコ君が好きだからじゃダメ?」
信じたい、だけど信じられない。今の自分ほど信じられないものはないシンジは惑うように瞳を揺らす。何かを言おうとして、言葉に出来なくて口をパクパクとさせるに留まる。
そんなシンジの腕を引っ張って座らせたマリが一足先にベッドから下りる。
「ほら、行くよ」
「で、でも……」
未だ逡巡しているシンジは手を引っ張られて立たせられると、急激な姿勢の変化に眩暈が起こってふらつく。
腕を豊満な胸の間に挟みこんで支えたマリが近づいたシンジの耳元に口を近づける。
「辛い目にあったら慰めてあげるから安心して」
「慰めるって」
チュッと頬に当たったマリの唇の感触と音。腕を覆うような形で接触している胸の柔らかさに頬を赤らめるシンジ。
「さっきの続きをしちゃおうって話」
耳元で艶っぽく囁かれたその意味を理解したシンジの頭の中は真っ白になり、腕を引っ張られるままに外に出たことにも気づかない程だった。