入学初日早々、深雪の心の平穏は荒れ狂っていた。
新入生代表として入学式を終え、クラス分けが発表された。そこにいたのは、とても見知った顔だ。
「お、みゆきちゃーん、おなじクラスなんだね」
精巧な人形のように美しく整った顔が、それこそ人形のようにピクリとも動かない。それでいてその少女の動作は一般家庭で育った少年のような上品ではない軽薄さとコミカルさがある。見知った顔ではあるが、この顔と動作のギャップに慣れ親しむことは、彼女には無かった。
「あ、あら、蘭さん、同じクラスでしたか。一年間よろしくお願いしますね」
「くろば」と「しば」で、五十音順が近いせいで、席もそれなりに近いのがまた不幸である。
そして追加で悲しいことに、今の会話で、二人は異様に目立ってしまっていた。
まず、深雪単体ですでに目立つ。新入生代表で、その見た目も動作も最上級。立てば美少女、座れば美少女、歩く姿も美少女と言う具合だ。
そしてそんな注目される深雪に対して、蘭が話しかけた。深雪と比べてもさほど劣らないレベルの美少女だが、表情が動かず、それと相反するかのように動作は品のなさを感じさせて「いいとこ」の出が多い魔法科高校生の中では浮いていて、何よりもその口から発せられる声は数十年前の読み上げソフトのように平坦で機械的だ。事情を知らない周囲からしてみれば、彼女は変わっているを通り越して、すでに「異質」である。
(ああ、すでに高校生活の空模様が不安になってきました……)
助けてお兄様、と心の中で世界一敬愛する兄の姿を思い浮かべて表面上の平穏を保ちながら席に着く。幸い、蘭と深雪の間に挟まる名字の生徒が存在するようで、指定された席は一人分空いていた。
当然、蘭はそれだと話しにくい。彼女は深雪が席に着くや否や、蘭の一つ前に座る北山雫という少女にも話しかけている。見た限りこの女の子も表情があまり動かないが、蘭に比べたら天地の差だ。実際、蘭の声に驚いていたところにさらにいきなり話しかけられたものだから、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
こんな調子があと一年も続くのか。「一年間よろしくお願いします」という先ほどの自分の言葉が深く突き刺さる。
その後も、校内見学を中心に、蘭は積極的に深雪たちに絡んできた。深雪としては中々気が合う雫とほのかという新しい友達がすぐにできて気分は上々になるはずだったが、蘭に関する気苦労でそれどころではなかった。しつこくお声をかけてくる男子をあしらうことなど、それに比べたら何の手間でもなかった。余計に面倒を増やしてくれるな、と男子に恨み節を吐きたくなる一方で、あしらう瞬間は蘭から考えを逸らせるので少しの感謝も覚えたほどである。ちなみに深雪たち三人があしらっている間、蘭はと言うと対応を完全に三人に任せてどこ吹く風と言った具合によそ見していた。深雪がもう少し我慢できない性格だったら氷漬けにしていただろう。
(助けてお兄様……)
本日二度目の切実な独白とともに、深雪は我慢していた携帯端末を取り出して、兄に蘭が同じクラスであることをメールで伝えた。
☆
妙なことになった。
入学初日に、柴田美月はいきなりトラブルに巻き込まれたのであった。
入学式の前に千葉エリカという同じクラスの女の子に話しかけられて、性格的に合わなさそうな雰囲気の子だと思ったら、むしろ不思議と気が合って仲良くなった。そのあとにクラスメイトの司波達也や西城レオンハルトという体格の良い男子とも仲良くなった。
達也はあの新入生代表の綺麗な女の子の兄――双子ではなく年子らしい――で、今日はその妹さんも一緒に帰るらしい。その子を待っていたら、やはりあれほどの美人さんだからか、熱心に一科生の男子からアプローチを受けていた。
そしてそれが一科・二科の差別の話へと発展していき、嫌な気分になったところで、血の気が多いらしい一科の男子とエリカが一触即発の雰囲気になっていた。
先に魔法師の銃ともいえるCADを抜いたのは向こうだ。だがそれに対して警棒を抜き弾き飛ばすという本格的な暴力を振るったのはエリカ。喧嘩の火蓋は切って落とされたと言っても過言ではない。
大人しそうな雰囲気の一科生の可愛い女の子が魔法行使の兆候を見せたと同時に、他もほんの少し遅れて応戦の気配を見せる。そんな中で美月は、おろおろとしているだけであった。
「おっとあぶないですよ」
そして魔法が弾ける直前、自分との間に誰かが割って入った。
身長はさほど高くはない自分よりもさらに少し低いぐらいで、線も細くて、見た目としては頼れる雰囲気ではない。トラブルの当事者ではあるが、少し離れたところから口も手も出さず無表情で見ているだけだった、お人形のような一科生の子。
その子が、魔法発動兆候が見えるや否や、あのエリカよりも素早く動いて、そばにいた美月の肩を抱いて、守ってくれたのだ。
(え、え?)
深雪にもさほど劣らないほどのクールな美少女が、いきなり肩を抱いて守ってくれた。距離は一気に近くなるし、そして何よりも、顔が非常に近い。間近で見れば余計に、その顔立ちが整っていることがはっきりと分かって、見惚れてしまうほどだった。そのせいで美月は、乱入した生徒会長によって魔法が不発に終わったことに気づくのに数十秒遅れた。
「だいじょうぶでしたか?」
「ふえ!? あ、は、はい!」
意識が引き戻されたきっかけもまた、この少女だ。接近した距離のまま、気遣うような言葉をかけてくる。ぼんやりしていたところに声をかけられたことで美月の意識は覚醒したが、それと同時に、強烈な違和感に襲われた。
そう、この少女の声とトーンが、古い読み上げ機械ボイスのようなのだ。
人形のような美少女からそのような声が発せられるという、違和感を通り越した明確な「異物感」。美月は急に、その少女に強い恐怖を感じた。
「何アンタ、ふざけてんの?」
まだ血の気が収まらないエリカが、自分と少女の間に割って入る。彼女からすれば、この女の子もまた一科生であり、喧嘩を吹っかけてきて魔法をかけようとしてきたイヤミな連中の仲間だ。美月を守りはしたが、そのあげくにこんな声を出されては、怒るのも無理はないかもしれない。
「あー、わたしに、てきいはないですよ。あとこれも。ふざけてるわけじゃなくて」
氷のように無表情のまま、そう言ってやたらとコミカルなポーズで両手を上げる。降参のポーズだ。だが、やはりこの声と喋り方、見た目と表情、軽い動作、この三つがあまりにも「合わない」せいで、嫌悪感、異物感、恐怖感など、「異質なもの」に抱くあらゆる悪感情が湧いて出てしまう。
「あにきは、つれていかれちゃいましたね」
おびえたように見てしまう自分と、敵意満々で睨むエリカ。それをまるで気にせず彼女は、生徒会長に「参考人」として達也が連れていかれた方向を見ながら呟いた。
「兄貴……なに、あんたも達也君の妹なの? もしかして深雪と双子?」
「いえ、親戚ですよ。お兄様の方が少し先に生まれたので、ちょっとした冗談でそう呼んでるだけです」
そう説明を付け加える深雪は表情こそ穏やかだが、眼鏡越しでもその体からは、感情の揺らぎともいえるプシオンが酷く漏れ出ているように見えた。
☆
結局、達也が戻ってくるのを待つということで、適当な空き教室で時間を潰すことになった。メンバーは美月とエリカとレオの二科生組、それに深雪と蘭を加えた形だ。
「改めて、先ほどはすみません。私たちの都合でトラブルに巻き込んでしまって」
教室入って落ち着いて早々、自己紹介もすることなく、深雪がいきなり頭を下げてきた。
「い、いえいえそんな!」
美月は慌てて否定する。確かにトラブルの中心は達也と深雪だったわけだが、二人は全く悪くない。さらに言えば達也は丸く収めてくれた方だ。悪いのは口汚くののしってきた男子と、応戦したエリカ、あとは魔法を発動しようとした一科生の大人しそうな女の子ぐらいだろう。
「その、ほのかのことは悪く思わないであげてくださいね? 優しくて大人しい子なのですが、あの時は喧嘩を止めようと驚かせるための発光魔法を使おうとしたようで……本人もだいぶ落ち込んでいまして……」
「ほのかちゃんていうのは、あのおさげの、おっぱいがおおきいこのことです」
そう言ってお人形みたいな子――黒羽蘭は、胸の前で大げさに両手で弧を描く。その動作は実に品がなく、達也や深雪の親戚とは思えなかった。レオは気まずくて顔を逸らしている。
あの魔法を使おうとした子は、そういうわけだったらしい。深雪や蘭と仲良しらしいが、魔法を使おうとした手前気まずいとのことで、一緒にいた細身の子と一緒に先に帰って、ここにはいない。
「ふーん、なるほどねえ、ま、そういうことならいいわ。この後の態度次第だけど許してあげる」
エリカは大げさにため息を吐く。当人不在の場でこれ以上話すつもりはないのだろう。竹を割ったさっぱりした性格に見せかけてそこそこ根に持つタイプに見えるので、トラブルの種にならなければよいが。
そんな話をしてから、改めて自己紹介タイムになる。深雪、エリカ、美月、レオ(唯一の男子なので居心地悪そうだ)、と紹介が進んで、最後が蘭だ。
「あらためて、くろばらんです。みゆきちゃんとおにいさまとは、おないどしの、しんせき。よろしく」
人差し指と中指をくっつけて立て、おでこのあたりで、ピッ、と振る。見た目に似合わないその俗っぽい動作には、やはり違和感を覚えた。
「で、そうよあんたよあんた! それ何、ふざけてんの?」
こうして改めて、エリカの怒りが再燃した。先ほどはふざけてるわけではないとは言っていたが、とてもそうとは思えない。これには、美月もレオも、怪訝な目を向けていた。
「えーっと、その」
何か説明しようと蘭が口を開きかけたところに、深雪が言いにくそうながらも割って入る。
「生まれつきで表情筋と声帯に障害を持ってまして……表情はほとんど動かせず、声もこのように平坦な、その機械のようなものしか出せないのです」
「あー、えっと、その……悪かったわね」
一気に場を気まずい空気が支配した。
ふざけていると敵意をあらわにしたのが一人、怪訝な顔をしたのが二人。だが実際その事情は、生まれつきの障害だという。初対面を相手にこれで、気まずくならないほうがおかしいだろう。
「きにしてませんよー」
だが、当人の蘭はどこ吹く風と言った具合だ。両手の人差し指を立てて頬に軽く当てて、首をかしげる。アイドルのような可愛らしい動作で、表情が動いていなくても、その整った見た目でそれをやると、似合ってはいないが、とても絵になった。
そしてその顔に、にへら、と笑みを浮かべた。
直後、背中に氷を突っ込まれたように、全身に怖気が立つ。
蘭はみんなの注目を集めた状態でその顔に、初めて表情を出した。
笑顔。
だが、はっきりいってそれは――あまりにも、「気持ち悪い」。
身長こそ小さいがすらりとしたスタイル、艶やかで肩のあたりで丁寧に切りそろえられている綺麗な黒髪、匠の技術を結集して作られたお人形のような整った顔。
その顔に、あまりにも間抜けな笑顔が、浮かび上がっている。
これがデフォルメされたキャラクターだったら愛嬌があったかもしれない。だが、リアルに存在するれっきとした人間の見た目で、しかも美しい顔だからこそ、それがその笑顔を浮かべることは、あまりにも「異質」であり「異常」。
美月自身も、エリカも、レオも、その笑顔に、自分の中にある「普通」を、ぐちゃぐちゃにかき乱された。
心の安寧を保つ、それぞれが持つ「常識」「普通」「普遍」。それがこの笑顔一つで、大きく揺るがされたのである。
「…………これも表情筋障害の一つで、笑顔は浮かべられるのですが、このようになってしまうんです」
深雪の声は、どこか疲れていた。
☆
「そ、そうなの……あーじゃあ、やっぱ小学校とか中学校で苦労したんじゃない? 大変だったわね」
「んー、しょうがっこうも、ちゅうがっこうも、ずっとふとうこうだったので、わからないですねえ」
気まずくなった空気を何とかしようとしたエリカがさらに地雷を踏んだあたりで、居ても立ってもいられず、美月はついに踏み込んだ。
「そ、その、でも、わかりますよ! 私もその、こうして眼鏡をかけているのは体質で……霊子放射光過敏症っていうんですけど」
仲間がいる。そう伝えることで、蘭に少しでも気休めを与える狙いだ。本当はそう初対面に話すことではないが、向こうはもっと苦しい事情をこちらのせいで話す羽目になったのだ。こうなったらこうしてでも歩み寄るしかない。
「ほー、ほー、それはたいへんですね」
それに対して蘭は、今までよりも幾分か大きく反応した。どのような感情かは分からないが、興味を示したらしいことは確かだ。もしかしたら、違うところこそ多いが、生まれつきの体質と言う点にシンパシーを感じたかもしれない。
「じゃあ、これなんかもよくみえます?」
そう言って、蘭は人差し指を立てた。
そしてそこから光がゆっくりと湧いてきて、だんだんと秩序だった文字が出来上がってくる。
「11万4514、です」
眼鏡越しでもそれなりに見える、密度の高いプシオンだ。
「え、何してるんだ?」
エリカも少し驚いているが、一番反応したのはレオだ。確かに傍から見ると、意味の分からない会話である。なにせ、過敏症である自分以外には、これは「見えない数字」なのだから。
「めがねごしで、これがみえるとなると、けっこうよくみえますね」
蘭の言葉は説明になっていないが、深雪がレオにフォローを入れてくれている。
非魔法師にはサイオンもプシオンも見えない。魔法師はそれを感知する力があり一定以上の密度や流れの強さといった活性状態があれば、感知能力に違いはあれど、サイオンもプシオンも「光」として見える。美月はその中でも、プシオンの光が人よりも圧倒的にはっきりと見えてしまうのだ。それは、非活性状態のこの世に溢れるプシオンの光すらも見えてしまうほどで、こうして今時特殊なレンズの分厚い眼鏡で視界を制限しなければ生活が成り立たないほどである。
だがそんな話よりも、美月は、蘭に驚いていた。
まずあの数字は、美月には眼鏡越しでも見えたが、エリカたちには全く見えていない。つまり、それほど絶妙な活性状態だったということだ。
それともう一つ。プシオンもサイオンも要は素粒子であり、非常に細かい流体である。それを操作して、はっきりと秩序だった文字として軽く空中に浮かべて見せたこと。
つまり蘭は、ちょうどよい活性状態で、しっかりとした形で、空中に浮かべて見せられるほどに、プシオンの操作能力が高いということだ。
現代の魔法は、サイオンで出来た魔法式をエイドスに投射して情報改変する。魔法師は全員、サイオンと言う素粒子を、精密な式として固定していると言えよう。故に、サイオンでなら、これぐらいは魔法師ならば子供の遊びである。
だがプシオンは、そうはいかない。普段の魔法で全く使わないからだ。その操作をできる魔法師は少ない。ましてやこれほど軽く精密に操作できるというのは、体質の都合上プシオンの研究にそれなりに関わってきた美月ですら、聞いたことがなかった。
(達也さんと深雪さんの親戚…………)
妙な勘繰りをしてしまう。
新入生代表の才色兼備の妹。その兄でありながら二科生であるいわば劣等生だが、妹に慕われている達也。二人とも、行動の端々に、自然すぎるが故の少し不自然な、何かしらの事情を垣間見えるような何かを感じる。
そしてその親戚の蘭。プシオンの操作が見たことないほどに上手い。
プシオン。サイオンと同じく情報次元に属する非物質粒子だ。サイオンは物的・物理的な情報に関する粒子なのに対して、プシオンは精神的・情動的な情報に関する粒子と言う説が有力である。
つまりそのプシオン操作が上手と言うことは――
――魔法界で禁忌に近しい扱いを受けている、精神干渉系魔法に優れることを意味している。
(……色々、訳ありそうだな)
無表情な蘭の顔をぼんやりと見つめながら、美月は、初日から色々と考えさせられていた。
☆
「どういうつもりだ」
今日出会った友人たちと別れて十歩ほど進んだところで、達也は先ほどまでとは打って変わった殺意の籠った声で、同行している少女を問い詰めた。
当然、相手は深雪ではない。同じ方向に行くことになっている、黒羽蘭だ。
「なんのことです、おにいたま?」
それに対して、相変わらずふざけた呼び名――アニキやらお兄様やらお兄ちゃんやら兄君さまやらにいさまやら兄チャマやら12通りの呼び方で毎回ふざけて変えている――だが、問い返す内容はふざけているわけでもとぼけているわけでもない。蘭のことになると少し感情的になりやすい達也が、唐突すぎただけだ。
「本家からもお前の家からも、お前は俺たちに積極的に関わるなと言いつけられているはずだろ。なのになぜ、あそこまで関わってくる?」
それを自覚しているのか、達也は荒立ちそうな息を整えながら、改めて問いかけなおした。
そう、蘭は、何の理由があるのか知らないが、かたくなに第一高校を受験しようとして、それに貢が折れてしまった。その条件として、蘭と達也たちは互いに深くかかわりすぎないようにと厳命されている。深雪は次期当主で、達也は四葉が抱えた特大地雷、そして蘭は異端児でありその特大地雷をつっつく存在だ。同じ高校に行くのすら本来許されるはずがない。水と油ではなく、火種とガソリンの関係である。
だというのに、蘭は、深雪に絡み、達也の友人グループとも絡み、さらにこうして一緒に帰っている。入学直後の友人関係はまだ変わりやすいが、一方で今後も続く関係にもなりやすい。四葉家全体の意向に、間違いなく反しているのだ。
「わたしとにいやたちは、しんせきですし、そういうことにもなっています。まったく、はなさないほうが、ふしぜんですよ」
そんな蘭からの返事は、至極まっとうなもの。接触を控えることは重要だが、周囲に怪しまれないことも重要、それはその通りだ。親戚関係として見たら、蘭の接触の仕方は、むしろ自然と言える。全国から集まる人気校で元から知り合いの関係が少ない中で初日は親戚関係を頼りにする高校生。なんの違和感もないだろう。
そう、何も間違っていない。もし達也と深雪自身が彼女のことを嫌っていなかったら、ここで納得して折れていたほどだ。だが、これは理屈ではない。二人とも心の底から、蘭には接触してほしくないのだ。理屈ですぐに折れるわけにはいかなかった。
「まあ、おたがい、いろいろありましたが」
言い返そうとした。だがそこに、蘭から追撃が入った。
トトッ、と少し歩調を速めて二人の前に立ち、くるりと振り返る。道を塞ぐように、正面に立って二人の視界に無理やり入るように。
「こっちも、わるいことはしましたが、そっちもそっちですからね。こっちにじじょうがあったし、そっちもじじょうがあった。ここらで、みずにながしませんか?」
思わず歩みを止めて、黙り込んでしまう。
押しのけて通り、拒絶し通すことは簡単だ。
だが、二人にはそれができない。それをするには少しばかり、我儘さが足りなかった。
「痛いところをついてくるな」
そもそもの原因は蘭にある。
「事情があった」という言い方をした時点で、あの時の悪行――四葉本家で初めて会った時に二人の得意魔法を会話にちりばめたこと――は故意だったことが確定した。この時点で即抹殺してもおかしくないほどに。
だが、達也は、四葉は、蘭にもっと悍ましいことをしようとした。訓練事故に見せかけて、幼い少女を殺そうとしたのだ。結果としてそれは回避されたとはいえ――それで蘭の罪は、清算されたとするべきなのは確かなのだ。
別に一度罰めいたことを受けたところで、蘭がとんでもない知識をどこからか得たという根本的な問題は変わっていない。罪とかではなく、四葉のメリットデメリットの話だ。だが、それでも、達也と深雪が正面から蘭を拒絶し続ける正当な理由は、もう失われている。あれ以降、蘭に過失や責任がある形で、二人に危害は加えられていない。最初から嫌っていたことによって生まれた悪感情だけなのだ。
「まあ、なかよくしてね、とはいいませんが。せっかく、こうこうせいになったんですし、おりあいつけて、たのしみましょーや」
こちらが黙り込んで言い返せない中、蘭は一方的にそう言って、またくるりと180度回転し――まだ動けないこちらに平然と「背中を向けて」、そのまま歩き出した。
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