高校入学式初日にトラブルに巻き込まれた。どうにも平穏な高校生活とはいかなさそうだ。
その予感は、見事に当たった。
例えば、剣道部の大きくて怖そうな先輩に、態度だけは紳士的に変な団体への入会を非科学的な誘い文句で迫られた。近くに蘭がいて助けてくれなかったらどうなっていたか分からない。
例えば、部活動勧誘期間。美術部に入ると最初から決めていたが、強引な勧誘が多くて大変だった。一緒に回ってくれたエリカや蘭がいなかったらきっと苦労しただろう。
例えば、校内で変な団体が放送室をジャックした。学生運動は100年以上前の歴史の教科書上の出来事だと思っていたが、なかなか活発らしい。生徒自治のためにと生徒会の権限が強いこう見えてかなり自由な校風なので、このような活動もしやすいのだろう。
ちなみにクラスメイトの達也は、もっと大変だったらしい。あのトラブルの後風紀委員にさせられ、剣道部と剣術部のトラブルに介入して大立ち回りさせられて、変な団体からも目をつけられて嫌がらせめいた攻撃をされ続けてるらしい。彼女が抱いていた「高校」のイメージは、この二週間ほどですっかり崩れ去った。
そして、そうしたトラブルが行きつくところまで行きついて、今は公開討論会が行われている。大人しく席に座って聞いている美月は、隣で舟を漕ぎ始めたエリカを肘でつつきながら、自分も退席したい気持ちを抑えきれなくなってきていた。
(蘭さんがいなかったらどうなっていたか……)
そんな自分にも振りかかるトラブルの数々を解決してくれた一人が、初日には何かと気まずい思いをした、黒羽蘭だった。未だに見た目と表情と声の異物感には慣れ親しめたわけではないが、少しずつ馴染みつつはある。
彼女は何かと美月を気にかけてくれていた。それなりにそばにいてくれたし、トラブルの時は積極的に助けてくれた。その話を達也にするとなぜか幽霊でも見たような顔をされたが、一方で「わがままだけど気が利くところもあるといえばあるからな」とも言っていった。言い回しからして、彼は蘭のことが苦手らしい。やはり親戚関係が複雑なのだろうか。
黒羽蘭は優しい。他のほとんどの一科生と違って人を見下すようなそぶりが全く見えないし、困っていたらすぐ声をかけてくれるし、魔法のことで何か悩んでいたら分かりやすくアドバイスもしてくれる。他の人にも当たり障りなくかかわっているが、美月に対しては特に親身だ。初日の気まずさを逆転するために自分の障害に関して話したから、シンパシーのようなものを感じてくれたのかもしれない。
そんな風に入学してからの短いながらも波乱の日々を思い出しながら、くだらない討論会を聞いている。生徒会長はかなり可愛くて弁も立ち、そんな彼女が今や独演会へと持ち込んだものだから観客は夢中になっているが、すでに集中力が切れてしまっていたのと、深雪と蘭という特大の美人二人と一緒にいることが多いため、それも聞き流すありさまだ。
だが――そのあとに鳴り響いた音には、意識を引き戻された。
ドオッ! と何かが爆発した轟音と、少し遅れて重いものが崩れる音が響いてくる。講堂に集められたまだまだ子供である高校生たちは、一様にその音に気を取られ、すぐにパニックへと移行した。
「え、え?」
人はパニックを起こした時、大きく分けて二種類に分類される。周囲の大半のように、とにかく動き出す者。そして美月のように、うろたえて周囲を見回すばかりで動けなくなるもの。
「おー、なんか鉄火場の雰囲気ね! ちょっと行ってくる! 美月は逃げなさい!」
「え、エリカちゃん!?」
そんなパニックの少女を置いて、今傍にいる唯一の頼れる友達が、いなくなってしまった。パニックになっていないくせに一番異常な行動をするものだから困りものだ。
高校生の集まりにしてはやけにスムーズに周囲の風紀委員や生徒会が避難誘導を行っている。これに何も考えず乗っかれば、安全だろう。だが彼女はパニックで、そこから動けなかった。
(ど、どうすれば……)
少し冷静になっている今の彼女は、元々賢いため、すぐに避難の波に乗ることができただろう。
だが、つい先ほど、親友ともいえる少女が、大きな音がしたほうへと向かってしまった。
心配。
優しすぎるがゆえに、彼女は、自分に何ができるわけでもないが、ここに釘付けになってしまっていた。
(誰か、誰か……)
立ち尽くしたまま、身を縮めて、目をギュッと閉じて、祈るようにすがる。今の彼女は、ただのか弱い少女に成り下がってしまっていた。
「おーい、だいじょうぶー?」
そこに、一筋の光が差し込む。
間抜けで平坦な合成機械ボイスのような声で、軽薄な言葉。
だが、今の美月にとってのそれは、神が手を差し伸べたにも等しかった。
「蘭さん!?」
「へい、げんき?」
バッと顔を上げる。涙でわずかに滲んだ視界でも分かるほどに整った無表情の顔。こんな時でもいつもの態度が崩れない、黒羽蘭だ。
「さっさと、ひなんしましょう。あしのたちっぱなしは、いみないので」
手を取ってくれる。握ってくれる。そして優しく引っ張ってくれる。
どうすればよいか分からなくなっていた美月を、蘭が導いてくれる。
それにただ従えば、なんと楽だろうか。ふらり、と無意識に、自分の身をゆだねてしまいそうになる。
それでも――
「そ、そのエリカちゃんが!」
――親友のことは、忘れられない。
蘭に言ったところで、普通に考えれば、何も変わらない。
だがそれでも、今この時唯一美月が頼れる相手に、なんとか伝えたかった。
「あー、ちのけがおおそうですからねえ」
たったこれだけの言葉で、何が起きているのか理解したらしい。にへら、と、いつもなら恐怖を、今はどこか安心感を覚える、異質な笑みを浮かべながら、蘭は呟いた。
「なんとかしますから、いまは、ひなんですよ」
気休めに等しい言葉だ。それでも、美月の不安を解きほぐして、床から足を離すことができた。
そうして誘導されて、安全な場所まで来た。ここからは教員や風紀委員や腕利きの部活連メンバーに保護されつつ、速やかに集団下校である。
「じゃ、なんとかしてあげますね」
「その、ありがとうございます!」
その波に逆らって、周りが気付かないほどに目にも止まらぬ速さで学校に戻り始めた蘭を見送る美月の心に、もうエリカが去った時のような不安はなかった。
☆
「へーい、もりあがってるかーい」
後ろから奇妙な声で奇妙なことを叫ばれたと同時に、目の前の敵の顔面に泥の塊が突き刺さった。
「あら、あなたも遊びに来たの?」
「血の気の多い女ばっかだぜ!」
エリカとレオが戦っているところに現れたのは、それなりに仲良くなってきた一科生・黒羽蘭だった。今の見事な魔法は、彼女によるものだ。エリカの見立てでは、プロ魔法師と遜色ない。とんだ牙を隠し持っていたものである。
元々一方的に近い戦いだったが、蘭が加わったことによって、完全な蹂躙と化した。蘭は高速で動き回って相手を攪乱しながら、地面の泥や小石を四方八方から飛ばして賊を戦闘不能にしていく。移動・加速系が得意な魔法師がソロで戦う時のお手本のような立ち回りだ。そうして攪乱してくれれば、エリカもレオも動きやすい。自分の近くに寄ってきた浮足立っている相手を確実に仕留めれば良いからだ。
数だけは無駄に多かった賊の波が、どんどん減っていく。気づけばあれだけいた賊が、パッと見半分以下になっていた。
もうすぐ終わる。
エリカは図書館をチラリと見やる。先ほど小野先生から情報がもたらされて、達也が向かった場所だ。そこには、エリカが今気にしている人物もいる。
「おー、としょかんがきになる?」
「っ、よく見てるじゃない。あたしが可愛くて見惚れてた?」
そんなエリカに、高速の通りすがりざまに蘭が話しかけてきた。内心がばれていることに驚いて心臓が跳ね上がったが、そんなことを表に出さず、平静を装う。
「ひきうけてあげますから、いってきていいですよ」
「さっすが一科生様、自信満々じゃない」
たとえ一科生だろうと上級生だろうと、凡百と判断したらエリカは自分の都合を優先せず、ここを任せることはない。だが、蘭は、「戦える」と見た。ならば、ここは任せても良いだろう。
迷わずエリカは駆けだす。前に立ちふさがる賊は助走をつけたタックルの一撃でまとめて吹き飛ばした。
あの先輩――紗耶香に関しては、自分でケリをつけたい。
「あ、みづきちゃんは、ちゃーんと、ひなん、させておきましたよー!」
「何から何までお気遣いどーも!!!」
そんなエリカの背中を押すように、後ろから、平坦な機械音声が、残ったわずかな不安と迷いを消しとばしてくれた。
☆
「あいつは一体何を考えてるんだ?」
紗耶香の退院祝いを済ませ、学校に戻ってレオたちの面倒を見て、帰宅して一息ついた。そうしてふつふつと浮かび上がってきたのが、苛立ちと疑問だった。
達也が漏らしたその独り言は、隣にくっついて座る深雪の耳にも当然入る。兄妹水入らずのくつろぎモードといきたかったが、それは許されないらしい。
テロリストが校内に侵入してきてそれの対応をして、そのあとにテロリストのアジトに突撃して潰してきた。それから時が経って、入院した紗耶香が退院。入学早々ビッグイベントがあったものだ。
そんなド派手なイベントの裏で、達也たちほどではないにしろ、一般生徒としては少し派手に、そして達也視点では、突撃の中心人物となった十文字克人や桐原よりも気になる動きをしていた人物がいる。
「本当、なんなんでしょうね、あの子は……」
達也にしなだれかかりながら、深雪も深いため息をついた。
あの時以来二人の心を惑わし続ける異端・黒羽蘭。
同じ高校に進学すると聞いた時はひっくり返りそうだったが、互いに過度な干渉は無しと決まっていたから安心していた。ところが、入学して早々同じクラスだったことが災いし、ガンガン絡む羽目になってしまった。これで一科生の中だけで済めばまだ良いが、なんと達也のクラスメイトにまで、いや、さらに達也のクラスメイトのある一人と特に、よく絡むようになってしまった。
『最初は戸惑いましたけど、すごくいい人ですよ』
特に仲が良いその人物とは、柴田美月。入学式の縁でお友達グループとなったわけだが、よりによって彼女と蘭が、なぜかは知らないが日に日に親交を深めている。美月は気弱な性格と見た目が災いして押しに弱いが、そうして起こるトラブルを蘭が解決してくれてるらしい。
『たまーにわけわからないこと言う以外はいいやつなんじゃない?』
『勉強もたまに見てくれるんだ! たとえ話はわけわからねえけど』
美月だけでなく、その縁で関わるようになったエリカとレオの評価も高い。
『魔法の手際がすごくいいと思う。お手本』
『行使の流れに無駄が少ないんですよ!』
初日はトラブルになったがなんやかんや仲良くなった雫とほのかも、蘭を評価している。
司波兄妹の脳内をクエスチョンマークが埋め尽くす日々を入学以来送ってきたが、それに重なったのがブランシュ関連の騒動だ。どちらか片方だけでもお腹いっぱいだが、だからといって無視するわけにもいかず、達也のトラブルを放っておけない性根もあって、中心となって解決に導く羽目になった。
そして追い打ちとばかりに、その騒動関連で新たな情報が入ってきた。
講堂に爆音が響いたあの時。訳が分からない状態の雫とほのかを避難誘導し、エリカが去って完全にパニックになって動けなくなっていた美月を安全な場所まで連れて行って、そのあと自分だけ戻って校内に参戦。さらに紗耶香について気にするエリカに気を遣って外での賊退治を引き受けた上に、彼女が不安に思っていた美月を避難させたことを報告して迷いなく進ませた。しかもしかも、達也たちがアジトに突撃するという新たな荒事をしている中、未だ不安から抜け出せない美月に電話をかけてアフターフォローまでして、気を紛らわせるためにあの後一緒に遊びに行ってあげたらしい。そしてついでに、さほど関わりがない紗耶香へのお見舞いの品もエリカ越しに渡していて、入院中でもカロリーを気にせずに摘まめる甘いものということでこんにゃくゼリーと言う絶妙に気の利いたチョイスを贈っていた。
いったい、こいつは誰だろうか。
あの衝撃の初対面以来、蘭については色々調べてきた。基本的に誰の指図も受け付けずにひたすら魔法訓練と研究に打ち込む。家族との関わりもほぼシャットアウトしており、亜夜子と文弥からは嫌われていた。中学校に上がってからは亜夜子・文弥と仲良くなりはしたが、その唯我独尊体制は変わらず。
中学生までの蘭は、目的不明だが魔法の研鑽にひたすら打ち込み、秩序を基本的に気にしない、異端児そのものであった。
だが、入学してからはどうだろう。事情を知っている達也と深雪からすれば、相変わらず遠慮なく動き回りまくって冷や冷やさせられるが、その実、傍から見たら、「勉強も魔法もできるし、人を見下さないし、気も利くし、優しい美人の女の子」である。声帯障害と表情筋障害は相変わらず印象を悪くしているが、そのうち周りが慣れてくれば、一転して「障害に負けないすごい人」という評価につながるだろう。
変わらない欠点はたまにわけわからないことを言う――ゲイポルノ由来の古くて下品なインターネットミームだと知っているのは不本意ながら達也と深雪だけ――ぐらいである。このことを指摘して評価を落としてやりたい気持ちもあるが、それを指摘できるということはつまり、「司波兄妹が古いゲイポルノとそれから派生したミームを知っている」と公開することに他ならないため、嫌がらせもできないおまけつきである。
どこまでも不可解だった。蘭は美月を中心に着々と校内で評価を上げて行っている。深雪の親戚でかつクラスメイトと言うこともあって、噂の美人二人として、深雪としては不本意なペア扱いだ。この間なんかは、ついに生徒会での昼食でも話題に上り始めた。達也と深雪の食欲が減退したのは言うまでもない。
「思い切り青春でも楽しむつもりか……?」
そんなわけがない。達也にはよくわかる。深雪の頭を撫でて慰めながらの、ちょっとしたジョークだ。
蘭には、間違いなく何か目的がある。
評価を固めているが、それは表向きの顔に決まっている。その性根は、幼くして誰の指導もなく人体実験と人殺しを平然とやってのける、四葉が生んだ化け物の一人なのだ。そしてそんな化け物を生み出し続ける四葉に生まれながら、その秩序を乱し続ける異端児でもある。
小学校に入学してから、家族とすらも関わりを減らし、ひたすら訓練と実験に打ち込み、かと思えば急に達也と深雪の力を探り、中学校に上がってからはミッションも不運に見舞われながらもこなし続ける。四葉の監視情報によると、東京・下北沢に引っ越してきてからも家では自主訓練と実験を繰り返しているそうだ。
そう、その根本は、得体の知れない目的のために、あらゆるものを捨て去り、あらゆるものを手に入れようとする、貪欲さと生き急いでいるとすらいえる執着なのだ。
小学一年生のころから持ち続けている、得体のしれない目的。彼女がこうして校内で好感度を高めているのも、間違いなくその目的のためだ。
「不気味だな……」
「不気味ですね……」
最初からさほど期待していなかったが、どうやら思った以上に羽を伸ばした青春は楽しめないらしい。
二人はほぼ同時に、深い深いため息をついた。
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