魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

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(サブタイや話の順番でガバってるわけでは)ないです
今回は動画シーンが解決編みたいな感じです


11ー2

 深雪曰く、車が爆発炎上して突っ込んできたあのとき、黒羽蘭は爆睡決め込んで何もしなかったらしい。終わった後に「何があったの?」という具合だったそうである。

 

 九校戦会場についた夜、達也は作業車で機械のメンテナンスをしながら、ため息をついていた。

 

 蘭は四葉で鍛え上げられた、生粋の闇の住人と言っても過言ではない。人を殺すような任務を単身含めクリアした数も多い。当然、ああいった危機的場面では、他生徒よりも素早く反応してもおかしくないはずだ。

 

 だというのに、全部終わってから騒ぎに気付いてのそのそアイマスクを外して起きたという。

 

 これが一般人なら神経が図太すぎるで済むが、黒羽家の長女としては、正直見過ごせなかった。

 

 危機感が大きく欠如している。そう責められても仕方ない。

 

 家から離れた高校生生活をエンジョイしすぎて、気が緩んでいるのではなかろうか。

 

 達也はイマイチ集中できない機械いじり――それでも凡人のレベルははるかに超えている――をしながら、思わず心配してしまって、またすぐに首を横に振った。

 

 四葉の監視から情報は届いている。蘭は、この九校戦期間中も、家に帰ってきてからは地下で盛んに実験をしたり、近所の野山で魔法訓練しているらしい。相変わらずなことを考えると、気が緩んでいるというよりかは――彼女にとって、対処する危機ではなかった、ということかもしれない。それは確かに、隣に深雪がいるからなんでもしてくれると安心するのは仕方ないだろう。

 

 そんなことを考えていたせいで――ほんの少し、気づくのが遅れた。

 

(やれやれ、次から次へと)

 

 放っておけない達也は、気持ちを臨戦態勢へと移しながら、機械いじりを中断して立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おー、もうぜんぶおわってた?」

 

「!?」

 

 達也の協力もあって賊を捕らえた幹比古の背後から、この場にそぐわない合成機械ボイスめいた声が聞こえ、思わず振り返って臨戦態勢を取った。

 

「こんばんはー」

 

 そこに立っていたのは、黒羽蘭だ。初めて見る私服姿だが、上下真っ黒の簡素な姿であり、美人だというのに全く色気を感じない。

 

「ほほー、あにくんもいるのね。くびつっこむねえ」

 

「お前に言われたくはない」

 

 幹比古が未だ驚きによる動悸が収まらないまま臨戦態勢を解く頃には、もうまるで夜の散歩中に遭遇したぐらいの気安さで蘭と達也は雑談を交わしている。だが二人の目線の先には、武器を持った犯罪者グループが倒れており、実にアンマッチだった。

 

「これ、やったのはあにちゃまじゃないね?」

 

「ああ、幹比古だ」

 

「なるほどー、よしだくんか。ようやっとる」

 

 気絶している賊を指でツンツン突いていじりながら感心していた蘭は、また幹比古の方を見て問いかけてきた。

 

「とおくから、かんじたけはいから、でんげきまほうだと、おもったのですが」

 

「……ああ、その通りだよ」

 

「ぴったり、きぜつにおさえるなんて、そうそうできないですよ」

 

「お前なら流血させてるだろうからな」

 

 そういえば聞いたことがある。4月にテロリストが学校に侵入してきたとき、目の前にいる少女は校内での戦闘に参加していたらしい。移動・加速系魔法が主体だから、戦った相手は重傷者が多かったそうだ。こう見えて、かなり残虐ファイターなのかもしれない。

 

 それよりも気になったのが、蘭が感心していることだ。

 

 未だスランプから抜け出せず、この前の定期試験も小学生のころに劣るレベルの結果だった。その実技試験で学年二位を取ったという蘭が、幹比古の電撃魔法の腕を褒めている。しかも、「二科生にしては」という感じではない。

 

 さきほど達也から言われたあれこれが、また頭に蘇ってくる。だがそれらを合わせてもなお、彼が気持ちをポジティブに持っていくには、スランプによってはまった心の沼が深かった。

 

 

 

 

 

「――雑談はそこまでにしてくれるかな?」

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 そんなところに、またいつの間にか接近していた何者かの声が響く。幹比古はまた臨戦態勢を取って、そちらを睨んだ。

 

 顔立ち、立ち居振る舞い、体格、態度。どこをとっても、明らかに「カタギ」ではない。軍人や工作員、暗殺者……どちらにせよ、鉄火場で生きる人間だ。

 

 まずい。幹比古は焦る。目の前の人間から、生き残るビジョンが見えなかった。

 

「……ああ、風間さんでしたか」

 

「ああ、久しぶりだな、達也」

 

 だが、その緊張感はすぐに霧散した。その風間と呼ばれた男は、達也に親し気に話しかけたのである。

 

「このおっちゃんはだあれ?」

 

「風間さんだ。国防軍の方で、ちょっとした知り合いなんだよ」

 

「二人にはお初にお目にかかる。風間だ。こう見えても、紹介にあった通り、国防軍のはしくれだよ」

 

 このホテルも敷地も、国防軍の管轄である。怪しげな気配を感じ取って、様子を見に来たということだろう。

 

 それならば安心だ。幹比古は肩の力を抜き、溜め込んでいた息を吐く。なんだか、色々ありすぎて疲れた。

 

 結局、そのあとは全部風間に任せて、ペラペラペラペラ喋る蘭と雑談しながら、三人でホテルに帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黒羽亜夜子です。以後お見知りおきを」

 

「黒羽文弥です。いつもお姉さまがお世話になってます」

 

 わ、かわいい!

 

 会ってすぐに、美月は二人に目を奪われた。

 

 すっかり親友となった蘭の妹と弟も一緒に観戦するということで、初対面となった。

 

 亜夜子と文弥、二人とも蘭に似てはいるが美人と言うよりもかわいい系で、姉よりも明るい印象がある。それでいて上品だ。言葉遣いと表情だけで、こうも印象が変わるらしい。

 

 二人が積極的に色々話しかけてくれることもあって、人と仲良くなるのに時間がかかるタイプの美月と幹比古でも、すぐに雑談が交わせる間柄になった。共通の知り合いである達也が仲介してくれたのも大きい。

 

 そんな今日は、待ちに待った、蘭の初陣だ。新人戦バトル・ボードの予選が行われる日である。

 

 何かとトラブル続きで、しかもそのトラブルに人為的な悪意が見える。美月と幹比古もそれぞれその体質と生まれから、達也に協力することになった。事故に見せかけた事件が起きた直後、お友達グループの精神的支柱になりつつある達也がすぐに応急処置に向かった中で、美月の様子から不審なものを見たと感じ取った蘭が、即座に話を聞いてくれたことで、落ち着いたのは幸いだ。

 

「それで、今日は実況解説がいないみたいだけど」

 

 幹比古は苦笑いする。

 

 この日はバトル・ボードの予選のほか、スピード・シューティングの予選・決勝が行われる日だ。選手とエンジニアである達也と蘭とほのかと雫は、一日中観客席から不在となるだろう。これまでは達也と蘭がわかりやすく解説してくれたが、今日は深雪が解説役になりそうだ。

 

「お兄様ほどうまくできませんが、それでよろしければ」

 

「一応、僕も少し知っているので、サポートいたしますね」

 

 次いで名乗りを上げたのは文弥だ。品のある立ち居振る舞いだが、スポーツが好きなところは年相応の少年らしい。

 

 ほのかのレースは午後で、蘭は午前。雫は一日中出ずっぱりとなる。だが、ほのかも蘭も、他選手のレースを傍で見ることになっているので、今日はこの二人にお任せする形になるだろう。

 

 さて、まずは第一レース。いきなり蘭の登場だ。

 

「対戦相手は……海の七高がいますね」

 

「あっちも三人参加ですからね」

 

 スタート地点に横並びになる。代表選手なだけあって全員優秀な魔法師であり、見目麗しい少女がボディスーツ姿で並んでいるのは、それだけで様になった。その中でも特に目を惹く美貌なのはやはり蘭だが、ちんちくりん――それこそ女の子のような少年・文弥のようだ――なので、スポーツ少女として整った肉体をしている周りの三人よりも見劣りしてしまっていた。

 

 そうして誰もが見守る中、大げさなブザーの音とともに、四人が一斉にスタートする。

 

「まずスタートで抜け出したのは七高、次いで二高、やや遅れて蘭さんと八高がほぼ横並びですね」

 

「この競技は先行逃げ切り有利なので、お姉さまの位置は少し悪いかなあ」

 

「実況、様になってるわよ」

 

 新人戦とはいえすでにハイスピードだ。周りは全員ついていけているようだが、美月は蘭以外どこの高校かを一瞬で判断できない。深雪の実況はありがたかった。

 

 レースはそのままの順位で二周目を終えた。だが、蘭がじわじわと前に追いついてきている。これならラスト一周で十分抜ける圏内だ。

 

「さて、ここでトップを走り続けた七高が逃げ切り体勢を取りましたね」

 

「自分が通過した波を後方に強めて妨害、手堅い作戦ですね」

 

 なんだか実況解説が楽しくなってきた二人の声に熱が入る。それと同時に、レース展開も佳境に入ってきた。

 

「仕掛けた!」

 

 美月が叫ぶ。緩いカーブでほんの少し二位が膨らんで戸惑った隙に、ほぼ減速なしで内側を走れた蘭が、一気に追い抜いた。そしてカーブが終わると同時に、今までにない加速を見せ、一位に一気に並ぶ。

 

「お姉さま、素晴らしい仕掛けですわ!」

 

 亜夜子が黄色い歓声を上げた。この一瞬で、レースは七高と蘭の一騎打ち模様になった。前方が有利なこのレースで、一瞬で横並びまで追いついたのは、かなりのアドバンテージだ。

 

 七高の選手が目に見えて焦り、ギアを上げた。だが、蘭はその横にぴったりとくっつき、それどころかほんの少しボードを揺らして横にちょっかいをかける余裕まである。さらによく見ると、七高の進路上に水面が不自然に動く箇所がちらほらあり、相手がこれ以上加速するとコースアウトしてしまうようにしていた。

 

「……この前の渡辺先輩の試合、蘭も見てたんだよな?」

 

「どんな神経してるのよ」

 

 レオとエリカは呆れかえる。あの妨害は、もし七高が焦ってトップスピードにしたら、あっという間に先日摩利が巻き込まれた事故と同じことが起こるだろう。ボードが空中に浮いてしまいそのままフェンスに激突。大怪我確定だ。

 

 そんなことが七高選手に起こりかねない妨害。当然あの事故は、当事者である七高の少女も見ているはずなので、絶対にスピードを上げないだろうが、危険行為すれすれだ。とはいえ、これはルール上認められている範囲であり、先日の事故――に見せかけた事件なのだが――を見た全員が、過剰に反応してしまっているという面も否定できない。

 

 結局、その競り合いは、蘭がじりじりと抜け出す形となり、ボード半分ぐらいの差で、蘭が一位抜けを決めた。

 

「やったあ!」

 

「やりましたわ!」

 

 瞬間、美月と亜夜子は立ち上がって歓声を上げ、思わず手を取り合って跳ねる。初対面だというのに、すっかり姉妹のようだった。

 

「いやー、いい立ち回りだったわねー」

 

「だね、見ごたえのあるレースだった」

 

 剣の達人であるエリカと、神童として戦術眼もある幹比古も、その展開に感心した。

 

「…………蘭さん、あまり本調子ではないようですね」

 

 だが、深雪の声は明るくなかった。ゴール後も速度を緩めつつも走るのを止めず観客に手を振ってウイニングランをしていたらスタッフに止められている蘭を見ながら、低い声で呟く。

 

「ん? そうか? かなりいい試合だったと思うけどな」

 

 レオは首をひねった。確かにセオリー通りとは言い難いが、まるで最初から予定していたかのような老獪かつ豪快な立ち回りで、最後はタイム差以上に見える形で勝った。なんら悪いようには見えない。

 

「その、蘭さんは、校内の練習で、ほのか相手には無敗ですし、渡辺先輩や小早川先輩にもいい勝負を繰り広げているんです」

 

 そう言われると、全員の頭に疑問符が浮かんだ。

 

 摩利が予選で完勝した姿は印象に残っている。今のレースは確かに良かったが、摩利といい勝負になるかと言われれば、疑問だった。

 

「じゃあ、あの作戦は調子悪い時でも勝てるように準備していたってことですか?」

 

「……だと思います」

 

 美月の問いかけに、深雪は少し考えてから、頷いた。

 

(((または、手加減しているか)))

 

 それ以上のことまで考えが及んでいたのは、深雪と亜夜子と文弥だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして時間が経ち、ついに新人戦バトル・ボード決勝戦を迎えた。

 

 カードは、同じ第一高校からの一対一のバトルとなった。準決勝で強敵・沓子を接戦の末に下したほのかと、同じく接戦の末に辛勝した蘭。二人の、最後の対決だ。

 

「ほのか」

 

「は、はい!」

 

 雫たちから励まされて、いざ戦場に向かおうという時。エンジニアではないが傍で見てくれると言った達也から、声をかけられた。

 

 見ようによっては、とてもロマンチックな場面。達也に懸想しているほのかは、試合の緊張と高ぶりとは違った、胸の高鳴りを抑えられなかった。

 

「正直俺は、蘭よりも、ほのかの方を応援している」

 

「え……」

 

 達也の口から出たのは、彼らしくない言葉。愛する妹の深雪とたかが友達の雫との戦いでさえどちらかに肩入れしなかった彼が、今回はエンジニアではないとはいえ、ほのかを応援すると明言した。

 

「この前の予選とさっきの準決勝。そのどちらも、蘭はかなり不調だった」

 

「…………はい」

 

 それは確かに、ほのかの目から見ても明らかだった。なにせ、練習では彼女に一回も勝てていない。その強さも、本番に限ってそれが発揮できていないのも、ほのかが一番よく分かっていた。

 

「一方、ほのかは絶好調だ。四十九院沓子のあの妨害があってもなお、練習以上のタイムが出ている」

 

「はい」

 

 それも分かる。今日の自分は、過去最高のコンディションである。今ならば、摩利ともいい勝負が出来そうなほどに。

 

「それだけを伝えたかった。じゃあ――頑張れよ」

 

「はい!!!」

 

 絶好調に加え、恋する相手からの励ましと応援。

 

 ほのかの調子はこの瞬間、今後の人生でも味わえないほどのものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタートは好調。上手く対応されて期待よりも差が開かなかったが、先行できただけで十分だ。

 

 そしてその先行有利を押し付けながら進んでいく。自分から妨害はしやすくて、相手からの妨害はしにくい。こちらの妨害も、移動・加速系魔法の名手である蘭にはさほど効かないが、マルチ・キャストのリソースを奪えているだけで十分だ。

 

 時折、滝やループなどの要所では、虎の子の目くらましも続けた。光へ対処だというのに、振動系魔法ではなく、光波振動の移動を止めるという移動系魔法で対処してくるのには驚いた。彼女の得意魔法であり、その応用もかなりできるのだろう。だが、その魔法があるということは、自分を特別警戒してくれていたということである。そのことが嬉しくて、さらに心の調子は上向きになった。

 

 シミュレーション通りだ。レースは残り一周半。蘭がついに追いついて後ろにぴったりつけてきているが、練習の時のような威圧感はない。明らかに、練習の時に比べて、彼女のスピードは遅かった。

 

(ここで差をつける!)

 

 二周目を終え最終ラップ、迫るのは、連続S字ヘアピンカーブだ。かなり急なカーブが連続するが、そのカーブとカーブの間には加速したくなる直線がある、性格と作戦の個性が出る場所である。

 

 ほのかはその性格上、そこでは攻めない――かと思いきや、練習の時から、摩利たち以上に、この間の直線で加速するタイプだった。

 

 なぜか?

 

 それは彼女の持ち味にある。

 

 得意魔法は光波振動系。その影響で、それ以外に干渉する振動系も得意だ。

 

 そして――座標と変数を繊細かつ素早く入力できる、緻密な魔法技能。

 

 その技術を持つ彼女は、直線で決して加速しすぎず、カーブでは決して減速しすぎない。

 

 つまりここは彼女の得意分野であり、差をつけようと狙うのは当然だった。

 

 そうしてS字に差し掛かる。一つ目のカーブは理想通り。後ろにぴったりつけてくる蘭もほぼ同じ軌道だが、やや無駄がある。ほんの少し、だが、確かに、ほのかが差を開いた。

 

 二つ目が迫る。間にある短い直線では、なんと蘭は、ほのかとほぼ同じスピードを出している。

 

 曲がり切れないならそれでよし。ほのかは冷静に、自分のベストが出せるよう、蘭のことは気にせず、ヘアピンに挑むことにした。

 

 予定通りの位置で予定通りのスピードまで減速。入りは好調。これなら、コース真ん中程度までしか膨らまない。完璧だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして後ろから迫る水音が、一気に大きくなってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(嘘!?)

 

 ほのかは驚く。これはつまり、後ろの蘭が、ほとんど減速していないことを意味する。

 

 いくら本調子でない速度と言えど、この速度でヘアピンを曲がれるわけがない。急ブレーキも水上の摩擦力では効かないし、慣性が働きすぎて魔法による急ブレーキはただの無駄。訳が分からなかったが、そんな混乱している中でも、ほのかは完璧と言える形でカーブに差し掛かり――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よいしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――いつもの間の抜けた声を漏らしながら、蘭がボートの先端を持ち上げ、水から浮かせた。

 

(なんで? どうして?)

 

 見えては無いが、魔法の気配で分かる。

 

 意味不明だ。ヘアピンカーブに無茶な角度で突っ込もうとしていて、さらにボードの先端を水から離すなんて。貴重な摩擦がさらに減って、このままでは外側に勢いよくつっこんでしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そしてほのかがほんのわずかに膨らんで空いた内側を、ガリガリガリガリ! と謎の音をたてながら、蘭が恐ろしいスピードで駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えええええ!!!」

 

 ほのかは目を見開く。わずかに膨らんだ自分の内側、プールサイドギリギリを、まるで紐に引っ張られながら曲がっているかのように、蘭が恐ろしいスピードで駆け抜けていった。

 

 ヘアピンカーブが終わる。このカーブで、ほのかはついに蘭に抜かれた。そして先ほどまでの接戦が嘘だったように蘭はぐんぐんスピードを上げていき、彼女を突き放す。

 

 何とか追いつこうとするほのかは混乱していた。だが賢くてスポーツにも意外と優れる彼女は、先ほどしっかりとらえた光景が何だったのか、すぐに結論を出せていた。

 

 蘭が、なぜあんな無茶なスピードで突っ込んだのに、わずかにしか膨らまなかった自分の内側を駆け抜けていったのか。

 

 そのヒントは、あのガリガリというありえない異音だ。コースを体で覚えているほのかは理解している。蘭が通った軌道は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ボートの先端が、内側プールサイドに乗り上げて擦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、あの異音が鳴っていたのである。

 

 当然プールサイドに擦ることで起こる摩擦力は、水面の比ではない。蘭はわざと先端だけを乗り上げるというルール違反すれすれの無茶をしたあげく、その摩擦力を遠心力内側方向のみ魔法で増大させて外側へのふくらみを抑えることで、プールサイドに乗り上げるという、コースの常識を超えた「理論上の最もイン」を突きつつ、常識外のスピードでヘアピンカーブを曲がったのだ。

 

 いくら理想的と言えど、常識の枠内でしかないカーブをしたほのかとの速度差は歴然。

 

 たったカーブ一回で逆転された上、そこでついた差は大きかった。

 

 あとは前を気にせず、蘭は練習の時のような圧倒的な速度で、コースを駆け抜ける。ほのかに追いつける道理はない。予想外すぎる作戦と、九校戦が始まってからの彼我の調子の差が嘘みたいな展開に一気に持っていかれたことで、メンタル的にも負けた。

 

 背中が見えなくなると同時に思い出すのは、つい先ほど抜かれた瞬間の、蘭の顔。

 

 その顔には、あの特徴的な、「常識」や「普通」をひっかきまわしてぐちゃぐちゃにするような笑みが、浮かんでいた。

 

 心臓を氷の手でつかまれたように、全身に悪寒が走る。初めて見た時以上の恐怖が、ほのかの思考を一瞬にして支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――結局、途中までの接戦が嘘だったみたいに、ほのかは蘭に大差で敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐす、えぐ、えぐっ」

 

 悔しさとショック、そして恐怖によって、レースが終わったほのかは、気を遣って慰めに来た達也の前でずっと泣きじゃくっている。心配して観客席からやってきた深雪や大親友の雫ですら、慰めることができていない。

 

(……悪いことをしたな)

 

 達也は強い罪悪感を覚える。ほのかにここまでショックを与えたのは――自分にも、原因があるからだ。

 

 蘭よりもほのかを応援しているのは本当、ほのかが絶好調だったのも本当。だが、蘭が不調だというのは嘘だ。

 

 あんなのでも、四葉家では中学生にして最前線で働き、大幅な制限・ハンデがあったとはいえ、達也から模擬戦で降参を引き出した。そんな中で育った一流の魔法師が、大きく調子を崩すなんてことは、あってはならない。そんな状態でも任務は断れないし、そしてそれで向かおうものなら、すなわち死だからだ。

 

 つまり、蘭が不調になるというのは、ほぼあり得ないことであった。

 

 それでも、ほのかの自信になれば、と嘘をついた。気持ちが上向きになれば、蘭に勝てるかもしれないと思ったからだ。

 

 だが実際のところは違った。蘭は不調ではなく、今までは抑えていただけで、戦術でも魔法技能でも、ほのかに圧倒的な差を見せつけて大勝してきた。期待感が高かった分、その叩きつけられた明確な差は、彼女にとってひどくショックだっただろう。

 

 それにしても不思議なのは、蘭はなぜ、不調を装っていたのだろうか。

 

 考えられるのは少なくとも二つある。真っ先に思いつくのは体力の温存だ。だが幼いころから厳しい訓練に打ち込み続けた彼女にとって、この程度の競技で温存する意味は薄い。

 

 だとするとやはり――次の対戦相手を、油断させるため。沓子が上がるにせよ、ほのかが上がるにせよ、その油断を誘うためだったのだ。結果として、「油断」ではなく「自信」になるよう達也が誘導したので、蘭にはプラスどころかマイナスになったが、それでも結果は覆せなかった。

 

(…………ほのか、これがショックで調子を崩さなければいいけどな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝ちの喜びを表現しようとカメラマンに満面の笑みでドロップキックしようとしているところをあずさに止められている蘭のことを無視して、達也はほのかをまた慰め始めた。


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