魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

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九校戦、真の解決編です


11-3

 掟破りのプールサイドドリフトを蘭が決めても、九校戦はつつがなく進行した。

 

 新人戦四日目、この日はモノリス・コードの予選と、ミラージ・バットの予選・決勝が行われる。

 

「蘭さん……すごく、似合っています……」

 

 午前中の早い時間帯から行われるミラージ・バット予選。その第一試合から出番の蘭を応援するべく、美月は特別にエンジニアと同じ特等席で観戦させてもらうことになった。

 

 そして、蘭が会場に現れると同時に……美月は、思わず、頬を赤らめて見惚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 蘭が身を包むのは、黒を基調としつつ白がところどころにあしらわれた、ふんだんにフリルが施されている――いわゆる、ゴシックロリータであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段は簡素な格好だが、蘭はこのような格好も好むらしい。ミラージ・バットの衣装作成を依頼された際に、競技の邪魔になるのを承知で、このデザインを希望されたのだ。

 

 その姿は、もはや異世界と言えるほどの美しさがある。

 

 周囲よりも多いとはいえ、ユニタードに装飾をつけたに過ぎないため、本格的なゴシックロリータには程遠い。それでも、匠によって作られた人形のような美少女である蘭がその衣装に身を包むと、真夏の朝という全く合わない時間帯だというのに、一つの偉大な芸術のようであった。

 

「われながら、かわいいねえ」

 

 口を開けば間抜けな機械ボイスで、気の抜けたことを言っている。いつも通りだ。だがそんな姿すらも、ミステリアスと少女性という印象に置き換わる程の説得力がある。障害のせいで変わらない表情もまた、不謹慎ではあるが、美しさを引き立てていた。

 

 このように、コスプレ大会と化しているアイス・ピラーズ・ブレイクとはまた違った衣装の楽しみ方があるのが、このミラージ・バットだ。ほのかも、本戦にコンバートされた深雪も、それぞれ気合の入った衣装を用意してきている。その中でも最も装飾が多いのが、蘭であった。

 

「蘭、いいか、余計なことは考えるなよ?」

 

 そんな華やかなやり取りに、達也が水を差す。こう見えて集合時間ぎりぎりであり、作戦等の最終確認の時間はない。彼にしては珍しく野暮ではあるが、仕方のないことだ。

 

「予選の相手はどれもさほど問題ない。お前がいつも通りの実力を出せれば圧勝だ」

 

「でしょうなあ」

 

 達也の言い様もすさまじいが、それにノータイムで同意する蘭の自信はさらにすさまじい。だが、その見た目が放つオーラと積み重ねてきた実績が、それを当然のものとしている。

 

「だから、バトル・ボードの時みたいに、手加減して油断させようとか、ギリギリの勝負で観客に楽しんでいただこうとか、少し遊んでやろうだとか考えるなよ?」

 

 それにしても酷い言い様である。だが、バトル・ボードで余計なことをしていたのは事実だし、その目的としてこんなふざけた理由がありそうなのも、日ごろの行動からすれば納得がいく。少なくとも聞いていた美月は、達也を責められなかった。

 

「はいはいわかってますよーだ」

 

「どうだか……」

 

 ついに集合時間だ。無表情のままアカンベーをしてそのまま集合場所に向かう蘭の背中に、達也は呪いの言葉を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蘭とほのかが大暴れした日の午後、ようやくつつがなく進みそうだと思われた新人戦に、大事件が起きた。

 

 新人戦モノリス・コードにおいて重大な反則が起きた。これにより一高代表選手は全員重傷または重体。九校戦全体、特に一高メンバー全員に、大きな動揺が走ったのであった。

 

「あー、なるほど」

 

 一高テントの女子控室。その話を聞いた蘭は、そうとだけ言って、またぼんやりと手慰みの小規模魔法の練習をし始めた。彼女は暇になると、こうして小規模な魔法をなるべく高精度に行使する、という自主練習をすることが多い。表情が変わらないこともあって、実に「いつも通り」だ。

 

「なるほど、って、それだけ?」

 

 そんな彼女に大事件を伝えた雫は、怒気を孕んだ声で問い詰める。

 

 まるで、全く気にしていないかのようだった。

 

 そんな、雫が珍しく声を荒げるという光景を、周りは遠巻きに見ている。ただでさえ不安定な雰囲気だった天幕内が、火薬庫のような雰囲気を醸し出しはじめた。

 

「そうですねえ、わたしも、いろいろおもうところは、あります。でも、なにもできないわけ、ですからね。はんそくした、あいてせんしゅでも、なぐりにいきます?」

 

「ちょ、いや、そこまでは……」

 

 あまりにも乱暴な物言いに、雫の血の気が引く。彼女の心はどこまでも善良であった。

 

 だがそのおかげで、同時に冷静になる。確かに、自分たちがうろたえてもしょうがない。できることと言えば、この事件に対応している上級生たちや達也や深雪の手をこれ以上煩わさせないために、大人しくしていることだけなのだから。

 

「……ごめん、あと、ありがと」

 

「なぐりにいきたくなったら、おくってってあげますよ」

 

「いや、それはだからもういいって」

 

 蘭と、深雪の次につっこみ役になることが多い雫のやり取りは、いつの間にか、天幕全体の空気を和らげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねーねーほのかちゃん。もしかして、さっきしずくちゃんと、おおげんかすれば、ほのかちゃんを、どうようさせられたかな?」

 

「今ので十分動揺してるよ!!!」

 

 新人戦ミラージ・バットの決勝直前。エンジニアの達也に最終調整してもらうのを待っている間に、こんなやり取りをしていた。

 

「蘭、あんまりほのかをからかうな。深雪とは違うんだぞ」

 

「お兄様???」

 

 そんなほのかを落ち着かせるために、愛する妹を出汁にしてジョークを飛ばす。なんか妹は割と本気で怒っているような気もするが、今は気にしないでおくことにした。

 

「いいか二人とも。これまでの予選を見た限り、相手に二人と戦えるような奴らはいない。ワンツーフィニッシュが見えている」

 

「は、はい!」

 

 ちょうど調整を終えた達也は、CADを渡しながら、二人の最後のアドバイスをする。

 

「だから、余計な作戦とか考えなくていい。幻影魔法でダミーをばら撒いたり、空気中のチリや水蒸気をそれとなく移動させてホログラムの動きを操作したり、無駄な変態飛行をして自分のポイントを犠牲にして周囲を動揺させたりなんて、しなくていいからな」

 

 全部蘭が犯人と言いたいところだが、一つ目に関しては、練習で負けっぱなしだったほのかが苦し紛れにやった作戦だ。あまり上手くいかなかったうえに体力の無駄だったため、反省点である。

 

「ただ自分のポイントをいつも通り稼げば、それでワンツーフィニッシュだ。お互いをサポートとかも考えなくていい。じゃあ、行ってこい!」

 

「はい!」

 

「よーしがんばっちゃうぞー」

 

 時間だ。張り切る二人を見送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お兄様、なんだか、嫌な予感がするのですが」

 

「兄妹ってやっぱり似るんだな」

 

 

 

 

 

 深雪のちょっとした呟きに、達也は婉曲的に同意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さまたち、圧勝ですね」

 

「そうですね……すごいです……」

 

 ここは観客席。

 

 第一ピリオドが終わってインターバル中、観戦を通してすっかり仲良くなった文弥と美月は、ぼんやりと得点板を見ていた。

 

 一位は蘭、僅差で二位にほのか。三位以下はかなり点数が離れて団子状態。光球のほとんどを二人が奪ってしまい、他選手は追いつくどころか、ポイントを得る権利すらまともに得られない。

 

 まずほのか。光に敏感らしく、ホログラムが現れる瞬間の反応速度が飛びぬけている。中には知覚強化魔法を使う選手もいるだろうに、それでもダントツだ。また魔法の効率が非常によく、最低限のサイオン消費で済むよう、変数入力は必要分ほぼぴったりである。

 

「お姉さま、私と同じ魔法を……」

 

 同じく仲良くなった亜夜子は、感極まってうっとりとしていた。

 

 蘭の戦術は、練習ではほぼ見せたことがないものだった。元々速度は圧倒的トップなのだが、そこにさらに、真空の仮想チューブを作って空気抵抗をほぼゼロにする『疑似瞬間移動』という高度な魔法を頻繁に使用していた。その上昇速度は、他校の選手が光球を目の前で打つ動作に入ってから飛び上がったのにそのまま横から奪えるほどである。しかもタチの悪いことに、そこから空中で方向替え二段ジャンプめいた魔法を連続使用して、大量のおかわりまで奪っていく。

 

「これはもう二人の勝負ね」

 

「ほのか、リベンジできるかな」

 

 観客席は同じ陣営のはずだが、もうワンツーフィニッシュは確定的なので、どちらを応援するか割れる状態になっていた。美月と黒羽姉弟と幹比古は蘭を、雫とエリカとレオはほのかを、程度に差はあれど贔屓と言う形になっている。

 

 そして他の一高応援団は大盛り上がりしていて、他校の応援団はすでに撃沈。特に三高の落ち込み様はすさまじかった。たまたま近くにいたから幹比古の耳に入ったが「一色さんがいれば……」といった内容を悔しそうに話していた。深雪と同じく、そして深雪と違って、最初から一年生にして本戦に登録していた、師補十八家が一つ・一色家の少女だ。

 

(あれと争えるほどなのか……)

 

 他校目線だと、正直あれは絶望的だろう。そんな中でも「一色さんがいれば」と言われるということは、かなり腕が立つようである。そういえば、クラウド・ボールでは確かに圧勝していた。そう言われる実力があるのだろう。そしてそんな彼女という選択肢があるにもかかわらず出せなかったからこそ、逆にショックが大きいというわけだ。

 

「あの、ところで、『疑似瞬間移動』ってなんですか?」

 

 ようやく感動が落ち着いてきたのか、美月が亜夜子に質問する。これに関しては幹比古たちも気になっていたことなので、中学生相手にもかかわらず、今から語られる講釈にしっかり耳を傾けた。

 

「チューブ状の仮想領域内の空気を外側に押しのけて、真空チューブを作る魔法です。その中を通る間は真空なので、空気抵抗なく移動できます」

 

「でも、それって慣性すごいんじゃない? あと空気圧とか」

 

 エリカの質問はもっともだ。だがその質問は想定内だったようで、亜夜子はよどみなく解説を続ける。

 

「そうですわね。当然、慣性中和魔法と、空気圧等の影響をなくす魔法もセットになります。強力な魔法なのですけど、その分やることも多くて大変なのが欠点ですね」

 

 そこで一呼吸置く。説明はまだ続く。間を開けるということは、ここからが特に重要と言うことだ。亜夜子の人を惹きつける技術に、高校生たちは、まんまと引っかかっていた。

 

「速度もさることながら、この競技ではその副産物が重要ですね。真空チューブを作るために押しのけた空気はその外側に勢いよく吐き出されるので、周囲への強い横風となって妨害になります。また真空チューブの中に横から突っ込んでしまえば、魔法等で対策していないと最悪の場合、死に至りますからね。チューブを避けることを強いられますし、万が一のことを考えて常に対策魔法のマルチ・キャストも要求されます」

 

「なにそれ、最強じゃんか」

 

「でも、これやっぱ結構大規模な魔法だよ。連発してる本人が一番大変だ」

 

 レオと幹比古が思いついたことをそれぞれ口に出す。確かに、自分は最速で動けて、他人は妨害できるという、とんでもない魔法だ。しかしながら、改変の規模、工程や現象の複雑さ、手間など、どれをとっても負担は大きい。それを連発するなんて、とんでもない話だ。

 

「お姉さまの悪い癖でして……徹底的に最小限・最速の効率を求めたかと思えば、こうして明らかな非効率を取っても確実に勝つ方法を選んだりと……その……」

 

 尻すぼみになる文弥の言葉に、先輩たちはその苦労を感じ取って、一様に同情した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああ、お姉さまの悪い癖が……」

 

「なんでこうも……」

 

 第二ピリオドが始まってしばらく、観客席は動揺に包まれた。そんな中で、この犯人と一番近しい二人が、頭を抱えて身をよじって悶え始める。

 

 その原因は、黒羽蘭。

 

 もはや会場は、ワンツートップを走るほのかと蘭の二人にばかり注目していた。そんな中始まった第二ピリオドで――蘭が、急にほのかをぴったりマークし始めたのだ。

 

 形式上ライバルとはいえ、ある意味仲間と言える蘭のその行動に、ほのかは動揺してしまったし、そしてその妨害によって、思うように動けなくなった。『疑似瞬間移動』の頻度も第一ピリオドから増している。それは明らかに、ペースアップのためではなく、妨害のために他ならなかった。

 

 結果、蘭はこれまでよりも少し得点ペースを落とす程度になり、ほのかは大きく落とした。そのおこぼれにあずかる他校はポイントこそだいぶ手に入るようになったが、すでについた大差を覆すには至らなそうだ。

 

「これ、どういうこと?」

 

 雫が声を震わせながら、二人を問い詰める。親友のせっかくの晴れ舞台が、突然、公開処刑めいたものになっている。いたいけな年下二人を相手に声を荒げないだけ、まだ冷静と言えた。

 

「その、お姉さまの一番悪い癖で、とにかく、自分勝手と言うか、唯我独尊と言うか……」

 

「あれは、光井さんを優勝のライバルと見なして、蹴落とそうとしています……仲間なのに……」

 

「マジかよ」

 

 レオの短い言葉に、全員が同意した。

 

 明らかだ。蘭は、自分が優勝するために、仲間であるはずのほのかを妨害し始めたのだ。当然、ほのかや雫のみならず、もはや存在を無視されていると言っても過言ではない他校も、一切良い気分にはならない。

 

 そんな中、ほのかの次に気分を悪くするはずの雫は、別のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い出すのは、モノリス・コードで起きた事件の直後。蘭の、ある意味「いつも通り」によって、雫を筆頭に、一年生女子たちは安寧を取り戻した。あの瞬間、一年生女子たちの精神的支柱は、間違いなく蘭だったのだ。

 

 だが、そう。いつもの彼女は、周囲に気を利かせて助けてくれるし、色々と協力を惜しまない。そのおかげで、非常に評判も良い。しかし、その一方で……その発言と行動は、時に、「自分勝手」すぎるのだ。

 

 そんな彼女が、この大舞台でも、「いつも通り」を発揮した。これは、蘭自身にとっては、ただそれだけのことなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、妖精のダンスのはずが、深淵のごとき衣装に身を包む頽廃の悪魔によって妖精たちが公開蹂躙されるショーは、そのまま続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一高校は、三位以下を完全に突き放してワンツーフィニッシュ。そして、二位のほのかと一位の蘭の間には、二位と三位以上の差がついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれもいつも通り?」

 

「「お恥ずかしながら……」」

 

 優勝者をインタビューしようとするカメラマンに再びドロップキックしようとして深雪と達也に羽交い絞めにされている蘭を指さしながらの雫の問いに、恥ずかしそうに彼女の妹と弟は顔を伏せて肯定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほー、まじ? おめでとう」

 

「よくもまあ軽々しく……」

 

 その日の夜、すっかり空気が冷え切った一高たちは新人戦優勝パーティなどはせず、各々が気まずそうに部屋に戻った。だが上級生たちはそうではなく、達也を呼び出し、彼をモノリス・コードの代理代表へと半ば強制的に指名した。そうして仲間として指名されたのが、レオと幹比古であった。

 

 そんな幹比古に、針の筵めいた空気になっている中でも「いつも通り」に、蘭が声をかける。幹比古はすっかりげんなりしていた。

 

 ここは、そんな重大なことが決まった後の、達也の広い一人部屋だ。いつものお友達グループ――蘭がいて気まずいので雫とほのかはもう部屋に戻った――が集まって、作戦会議めいたことをしている。

 

「女子の競技に男子が出るのは難しいですけど、男子の競技に女子が出る分には平気なんじゃないですか?」

 

 というのは美月の言葉だ。気が縮んでしまっている幹比古とレオを気遣ってのものである。

 

「十文字先輩が交渉したけど、上級生参戦と同じぐらい、それは許されないらしい。一条と吉祥寺にも深雪と雫と蘭を出せばいい勝負できそうなんだけどな」

 

 さすが、そのあたりも考えているようだ。

 

「僕で大丈夫かな……」

 

 何度目か分からないため息を吐く。レオはもうこの際やったるぞといった感じで切り替えが早いが、繊細な幹比古はそうはいかない。ここで開き直るには、彼は常識人過ぎた。

 

「まーいちじょうくんはむずかしくても、けっしょうりーぐまでは、くみあわせしだいでいくのでは? レオくんはともかく、よしだくんはかなりやれますよ」

 

「おいおい、俺はともかくって。まあ否定はしねえけど」

 

「何を根拠に言ってるのさ!?」

 

 蘭の言葉に、幹比古が気色ばむ。いじけるように座っていたのに、勢いよく立ち上がって、蘭に詰め寄った。

 

「何も知らないくせに、気楽なことばっか言って!」

 

 こんなこと言っても理不尽なだけだ。幹比古自身、それは分かっている。いますぐ撤回して謝るべきだ。そう理性が告げているが、頭に上って沸騰した血が、それを許さない。

 

 達也と言い蘭と言い、なんでこうも、自分なんかを評価するようなことを言うのだろうか。エンジニアとして、魔法師として、それぞれ上手くいっている二人には、自分のスランプなど分かるはずもない。成功するほどの腕と実績があって、精神的に余裕だから、そんな気休めが言えるのだろうか。

 

 部屋の空気が凍る。美月とレオと深雪は気まずそうで、達也は感情の覗えない目で傍観の構え、エリカは幹比古を止めようとするが、蘭がずけずけと軽く踏み込んでしまったのも事実なので、どちらにつくのか、直情型ながらも判断に迷っていた。

 

「そりゃまー、よしだくんのことは、よくしりませんね。あのひみつのよるのときぐらいしか」

 

「え? ミキ?」

 

「幹比古君、まさか……」

 

「ほ、ほー、いつの間にそんな関係に……」

 

「せめてこうなったら達也は助けてよ!!!」

 

 急に空気が、別の意味で気まずくなった。傍観者の構えをしていたはずの達也は、目線を逸らして作戦を立てているふりをして、無関係を装い始めている。なんという図太いやつだ。「ひみつのよる」の当事者な上、こいつに変なイメージを植え付けられた仲間だというのに。

 

「だってあの時、お前は助けてくれなかったしな」

 

「あーもうわかった僕が悪かった! ごめんって!!!」

 

 とはいえ、周りも、美月以外は本気で信じていたわけではない。達也がこの女にあらぬ噂を植え付けられて苦労したのは、有名な話だからだ。

 

「あー、あれだ。ちょっと、詳しいことは言えないけど、真夜中に俺と幹比古が犯罪者に襲われたんだ。それを、俺たちで撃退したんだよ」

 

「わたしはもくげきしゃ」

 

「何それ、まだ三人で三角関係でしたっていうほうが信じられるレベルね」

 

「お兄様?」

 

「深雪は詳しい話まで知ってるよな?」

 

 完全に、張り詰めた空気は消し飛んでいる。幹比古も振り上げたこぶしの振り下ろし方を見失って、乱暴に腰を下ろした。なんだかもうすでに疲れてしまった。

 

「俺『たち』ってことは、ミキもそこで戦ったってこと?」

 

「ああ、中々の手際だったぞ。贔屓目抜きにして、一科生の真ん中は固いんじゃないか?」

 

「……そうだ、思い出した!」

 

 どっと疲れて頭がぐるぐる回ってしまったので、逆に思い出した。

 

「達也、君は僕がどうするべきか、知ってるって言ってたよね?」

 

「それでどうにかなるかは、お前次第だけどな」

 

「うむ、ひとりのまよえるわこうどを、またみちびいたな」

 

「なーに後方師匠面してるんだよ」

 

 相変わらずおふざけをしている蘭は、幹比古と達也に、完全に無視されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだか似合わないな、こういうの」

 

 九校戦は全部終わった。幹比古たちは無事モノリス・コードで奇跡の優勝をして、深雪も一年生にしてミラージ・バット本戦で圧勝、ついでにモノリス・コードも十文字克人を中心とした最強メンバーが完勝した。誰も文句なしの、第一高校の完全優勝である。

 

 それらが終わった、九校戦後夜祭パーティ。突貫代理とはいえ選手として参加した幹比古は、アルバイトとして参加するはずが、きっちり選手側としてそれに参加することになった。わざわざ制服ベースのドレスめいたものまで用意してくれる丁寧さである。

 

 今は大人たちもいる立食パーティが一段落して、ダンスパーティが始まっていた。だが、幹比古にこういう雰囲気に対する慣れはなく、ぼんやりと料理をつまみながらダンスを眺めているという、壁の花になってしまっていた。

 

 一番の花形は、見目麗しい深雪と将輝だ。またその影響力を知らしめた達也も、他校からも含めて次々とアプローチが入っている。レオも馴染むのは早いようで、意外と手際よくダンスをこなしていた。

 

「よう、よしだくん、げんきしとおや?」

 

「……黒羽さんか」

 

 そんな中、同じく特にダンスもせずその辺をうろうろして時間つぶししていた蘭が、声をかけてきた。

 

「で、どうだい、よしだけのしんどうくん。わたしのいうことは、ただしかったでしょう?」

 

「……お恥ずかしながらね」

 

 彼女に対しては面目が立たない。幹比古がすでにスランプから抜け出しつつあり、さらに一皮むけたその実力も見透かしていた。いわば、最初から信じてくれていた、というわけだ。

 

 だというのに自分は、あの場で怒鳴ってしまった。すぐに当人によって変な空気に変えられた――今考えると彼女なりに雰囲気を和らげようとしたのだろう――からよかったものの、それでも罪悪感がある。

 

「みづきちゃんも、じぶんのことのように、よろこんでましたね。よ、いろおとこ」

 

「……からかわないでくれ」

 

 それでも、相変わらず女性耐性はない。そう言ったことにデリカシーがない蘭との会話だと、必ず幹比古が負けてしまう。

 

「それでよしだくんは、これからどうしますか?」

 

「これから、ねえ……考えたこともないや」

 

 スランプに腐って、意味の薄い修行にがむしゃらにいそしんできた。だが、この九校戦をきっかけに、自分の前に、大きく道が開けたのが、よくわかる。

 

「とりあえず、一科生に上がるのが当面の目標かな」

 

「まーそれはあがれるでしょうな」

 

 相変わらず、幹比古の実力を断定して褒めてくれる。この直球にこそ苛立っていたが、今は、面映ゆさと感謝を感じられた。それほどに、幹比古に一番足りなかった「自信」が、この九校戦でついたのだ。

 

 これは、達也が一番の恩人だが、蘭もまた恩人だ。

 

 そう思うと何だか、目の前の無表情の美少女が、何だか、尊いものに見えてきた。

 

「ねえ、あのさ――」

 

 勢いに任せて、口を開く。ここで迷ったら、一生後悔する気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちょっと一緒に踊らないかい、『蘭さん』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかんだ機会がなかったが、幹比古はもともと自分が名字で呼ばれるのが嫌なため、相手のことも下の名前で呼ぶようにしている。男子相手なら気安く言えるが、女子相手にはなかなか言い出せなかった。だが、目の前の少女はなんだか、男友達のような気やすさを感じる。

 

 だからこそ、一歩、踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはぐっどらっくと、だんすっちまうことになりそうだねえ」

 

「何言ってるか全然わからないや」

 

 それでも、喜んでくれていることは、その顔に浮かぶ、よく見たら愛嬌があるように見える笑みから、よくわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪と二人きりのダンスパーティを終えた達也は、非常に気分が良かった。

 

「へい、あにぎみさま」

 

 この女に会うまでは。

 

「……何の用だ?」

 

 ここで待っていたということは、達也が深雪とバルコニーに抜け出していたことを、知っているということだ。それもここは、バルコニーとつながる扉から少し離れた場所だ。会場の中心へと戻っていく深雪と別れ、一人になった達也が通る場所である。つまり蘭は、達也だけを待ち伏せしていたということだった。

 

「やくそく、おぼえていますよねえ?」

 

「約束……ふっ、あれのことか」

 

 今の今まで正直忘れていた。九校戦のごたごたもあったし、そもそも約束の直後にとんでもないことがあったからだ。だが、忘れもしない出来事があったからこそ、それに紐づく出来事を思い出すのは容易い。

 

「深雪は予定と違って、本戦にコンバートされた。対決できなかったから、お互いの賭けは不成立だな」

 

 そして覚えていなかった最大の理由が、もう不成立で意味のないことだからだ。もしコンバートが無ければ、汎用飛行魔法という秘密兵器で蘭を完全に下すことができて、賭けの代償に、彼女が隠し続けてる「目的」を聞き出そうとしたので、実に残念だった。

 

「…………なに笑っている」

 

「それはどうかな」

 

 だが、どうだろう。目の前の蘭は、その顔に、生身の人間がしてはいけない不気味な笑みを浮かべている。彼女への好感度が高い場合は「よく見ると愛嬌がある」なんて言ったりするが、達也には心底理解不能だった。

 

「よーく、おもいだしてみてください」

 

「……ああ、それぐらい余裕だとも」

 

 達也は余裕綽々で、記憶を探る。

 

 見物に来ていた美月と幹比古に、蘭がビッグマウスをかましていた。変な話をしていないだろうかと遠くから地獄耳を立てていた達也は、それを聞き捨てならないと、煽りに行ったのである。深雪に勝つだなんて、蘭にだけは言われたくなかった。

 

 だから、そう、彼女のビッグマウスの通り――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――「優勝したら」、なんでも言うことを聞くと言ったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやいやいやいや、それは話が違うだろ?」

 

「え、どこが?」

 

 首を激しく振って否定する達也。そんな彼の前に、蘭が端末を取り出す。そこから流れてきたのは、いつの間にか録音していたらしい、あの時のやり取り。達也の記憶通り、「優勝したら何でも言うことを聞く」と約束してしまっていた。

 

「深雪は本戦にコンバートされたんだ。前提となる直接対決がないんだ。確かに優勝と言えば優勝だが、話の流れ的に、深雪に勝つのが重要だろ?」

 

 背中に冷や汗が流れる。ダンスで全くかかなかった汗が、堰を切ったように溢れてきている。

 

「よくきいて」

 

 もう一回、追い打ちとばかりに会話が流された。

 

『まあ、ほんばんは、いちい、とりますよ』

 

『じゃあ、わたしがゆうしょうしたら、なにしてくれる?』

 

『何でもしてやるさ。どうせ無理だろうがな』

 

 そう、この会話の中で、一回も、蘭は「深雪に勝つ」と言ってないのである。

 

 あくまでも、賭けの内容は、「一位」「優勝」であった。

 

「っ! だ、だったらこっちだって!」

 

 珍しく動揺しながら、達也は反論する。

 

 この時、達也もまた、賭けを仕掛けた。蘭は深雪と戦わずして優勝した。つまり、深雪に、勝っていないのだ。つまり、達也があの時は軽い気持ちで放った意趣返しが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『当然、こっちがお前に本番で勝ったら、なんかしてくれるんだろうな?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――不成立だった。

 

 そう、達也が出した条件は、「深雪が蘭に勝つこと」。エンジニア肌で人に説明するのが得意な彼の癖で、しっかりと「お前に」と限定条件を付けてしまっていた。

 

 明らかなミス。軽い気持ちが生んだ油断だ。

 

 つまりだ。

 

 あの時の、特に考えなしに放った軽口が、こちらに利がある賭けの不成立を産み、あちらから一方的に「なんでもする」というとんでもない契約を結ばされる羽目になった。

 

 いや、まだだ。達也が言ったのは「こっち」。達也がエンジニアとして担当した他生徒が、他競技でもいいから蘭に本番で勝っていたら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――どっちもほのかが完敗している。

 

 

 

 

 

 

 

「………………で、俺は何をすればいい?」

 

 内容によってはこの場で分解するぞ。

 

 そんな脅しを前面に押し出しながら、達也は観念した。

 

 あまりにも無様。最後は、こうして圧倒的な暴力に頼るほかないとは。

 

 だがこれで、蘭も度を越したことはお願いしてこないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あとのたのしみにとっておきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言って、「笑顔の」蘭は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人はそれを、生殺しと言うんだぞ……」

 

 とりあえず、さっき別れたばかりの妹に、この愚痴を吐き出したかった。




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