掛け値なしに素晴らしい発表だった。
二科生ながら学業が優秀で、そしてそれを成し遂げるだけの頭脳と勤勉さと知的好奇心を持つ美月は、鈴音の発表を聞いて、涙を流しそうなほどに感動し、惜しみない拍手を送った。
その発表内容は「重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性」。加重系魔法の三大難問とされている分野だ。
彼女はそれに対して、新たな可能性を見出した。新開発した魔法を使うことで、また違ったアプローチで、実質同じだけの効果があるものが実現できることを示したのだ。
――第三次世界大戦の傷は、未だ癒えない。
その原因となったのは、人口爆発によるエネルギー資源不足に、さらに寒冷化による食糧不足が重なったことだ。いざ戦争が一旦終わってみれば、もはやその原因から離れて火種が未だくすぶっているが、それでも、世界を覆う二つの大きな問題には変わりない。
鈴音のこの研究は、閉じかけていた道に、大きな光をもたらしたと言っても良い。
この難問が解決されればエネルギー問題は大幅に改善する。世界に普及すれば、たとえまた次の原因が生まれるまでであろうと、平和へ大きく貢献するだろう。
本当に、素晴らしい発表だった。
――だからこそ。
「蘭ちゃんも来れば良かったのに……」
やはり、このことが残念だった。
海に引き続き、この素晴らしい発表会もまた、彼女の隣に蘭が不在だった。家の用事があるらしい。確かにこのイベントは休日に行われて、生徒の参加は原則自由だし、テーマがハイレベルすぎるので来ない生徒もそこそこいるのだが、それでも、やはり参加しないのはもったいない話だ。
さらに仲良くなって、エリカのように「ちゃん」と呼べるようになった親友。彼女にも、この素晴らしさを分かってほしい。美月は、頭の中で発表内容を何度も反芻して、自分なりに理解を深めようとした。ちなみに余談だが、深雪は放つオーラが強すぎて、未だに「さん」呼びである。
そうしている間に、もうすぐ第三高校の発表が迫っていた。あのカーディナル・ジョージが発表者であるという。これもまた楽しみだ。
そう思った時――会場に轟音が鳴り響いた。
☆
美月は、自身は戦力にならないが、その体質によるサポートは、古式魔法を中心とする敵相手に非常に有効であった。そのため達也たちと同行し、子供の身分にはあまりにも不相応な戦場へと赴き、彼女なりの仕事をこなしていた。
直立戦車などの本格的な兵器を沈めて、一段落ついた時。
彼女の脳裏に、一人の親友の姿がよぎる。
(蘭ちゃん、来なくて良かったかも……)
☆
その親友はと言うと、実際は横浜に来ていた。
だが無個性な黒のボディスーツに武骨なフルフェイスヘルメットとなれば、たとえすれ違ったとしても気づかないだろう。
彼女の仕事は早い。もはや達人と言っても過言ではない練度の移動・加速系魔法で戦場の裏を駆け巡り、数多くの仕事をこなしている。その手際の良さは、一人で亜夜子と文弥二人分だった。ただし仕事内容は最低限しかやらず、二人に比べたら粗が目立つのも確かだった。
『ソウお姉さまはやはり素晴らしいですわね、ヤミ』
『ほんとだね、ヨル』
小声で話すだけで、フルフェイスヘルメット内に用意されているインカムにはっきりと声が届く。互いにコードネームで呼び合って、尊敬する姉を賞賛する。
――この作戦を迎えるにあたり、つい最近になって、二人のように蘭にもコードネームがつけられることとなった。
由来は彼女の名前。蘭、RUN、走る、ソウ、と安直な発想だが、すぐにこれは二人にとって馴染んだ。
ありとあらゆる場所を高速で駆けまわり敵を翻弄する。そしてひたすら訓練と研究に打ち込み、「生き急いで」全力疾走しているような生き様。生まれた時のお祝いとして贈られた蘭の花が綺麗だったからつけられた名前だが、奇しくも、音だけは彼女の性格と生き様をこれ以上ないほどぴったりと表現している。花の方にも似てくれたら、なお良かったのだが。
そんな無駄話をしている間にも、二人は涼しい顔で敵兵士を闇で葬っていく。特に文弥の『毒蜂』は、見事の一言に尽きた。彼の固有魔法であり得意技でもある『ダイレクト・ペイン』も、捕まえた敵兵士への拷問で重宝していた。
そして蘭も、黒羽家のお家芸であるその『毒蜂』を、今日は多用している。
いつもは最も得意な移動・加速系魔法で周辺のものや持ち込んだパチンコ玉をぶつけて殺すことが多いのだが、今日は違う。そういえば今まであまり使わなかった、精神干渉系魔法が中心だった。
『ソウお姉さま、今日はなんでまた急にその魔法なの?』
『いどうけいと、かそくけいは、わたしのだいめいし、ですからね。ぎゃくにこれのほうが、ばれないせつ、あります』
なるほど、そういうことか。
それを聞いた文弥と亜夜子は納得した。まだ表舞台に出ていない二人はともかく、蘭は九校戦で目立ちすぎた。そのヒントを減らしておきたいのだろう。それに『毒蜂』も、針を刺すうえではそれらの魔法を使うわけだし、十分特技は活かされていると言える。
ただ、活かされていない、蘭のもう一つの特技もあった。
『それにしても、お姉さまの固有魔法は中々使いどころがありませんわね』
蘭は未だにその魔法を熱心に研究し、人体実験を重ねている。蘭の固有魔法『プシオンコピー』は、不殺の戦闘においては相手の戦意を削いだりするのに役に立つが、こうして遠慮なく殺すのが一番効率が良い場面では、あまり役に立たない。これで格上相手ならば、精神状態を無理やり油断状態にしてコンディションを狂わせるなどできるのだが、あいにくながら雑魚ばかりだ。
『ほんまつかえへんで、これ。まあ、そのうち、やくだつばめんも、あるでしょう』
そして蘭は、この調子である。気にしていないというよりかは、役立つ場面が来るという確信からくる余裕であった。
昔はそれこそ周囲に悪影響を及ぼすほどに余裕がなかったが、中学生になってからのいつごろからだったか、いつの間にか焦った様子はなくなっていた。そこで何かを見出したのかもしれない。
それにしてもなんだか、蘭が精神干渉系魔法を使っていると、二人とも謎の安心感を覚える。
いや、理由は分かっている。
第一高校進学をきっかけに、二人は、大好きな姉と離れてしまった。
しかもその姉は、高校で大切な友達を作り、仲睦まじく過ごしている。
表に出すほど幼稚ではない。だが、二人は、寂しさとヤキモチを、自覚する程に感じていたのだ。
だが、この精神干渉系魔法は違う。
これは禁忌扱いされている系統であり、当然、蘭は美月たちにこのことを話していない。あくまでも、彼女らは「外の友達」であり、「四葉」「黒羽」ではないのだ。
そんな魔法を蘭が使っていることで、あくまでも自分たちの方が彼女に近い、ということを実感できるのである。
(なーんて、まだまだ子供ですわね)
亜夜子はフルフェイスヘルメットの奥で苦笑いをする。
こんな余計なことを考えていても、二人の仕事には、全くよどみがなかった。
☆
各所で戦闘が日本に有利な形で収束してきた。四葉の出番はもうないため、さっさと撤収して、それぞれがいつもの場所に戻ってアリバイ作りめいた日常を過ごす。蘭に関しては、「実家に用がある」と美月たちに伝えているので、当然不自然にならないよう、実家で大人しく過ごしていた。
そして、その日の夜。
「そうか、使ったか」
貢は、様々な感情がごちゃごちゃになった目と声で、報告を聞いて、そうとだけ返事をし、通話を切った。
大亜細亜連合は横浜への奇襲に失敗し、ここからが正念場だとばかりに、本国で巨大な艦隊を急ピッチで編成していた。その中には、十三使徒もいたという。
だが、彼らが喧嘩を売った相手が、あまりにも悪すぎた。
四葉の罪の結晶、世界を滅ぼす力を持った、司波達也。
彼の力を、究極の形で振るう魔法『マテリアル・バースト』。
その艦隊は突然現れた巨大エネルギーの爆発により蒸発し、周辺の大地と海も吹き飛んだ。
(一度で諦めればよかったものを)
実際、これは初めてではない。横浜から逃げる艦船に、すでに一発、はるかに小規模なものではあるが、この巨大な力を振るった。これは実用も兼ねているが、大亜細亜連合への警告にも近かった。
遠距離から振るわれた、船一つが沈む程の爆発。
これを見て、諦めれば、こんなことにならなかったのに……。
深い深いため息をついて、十数秒俯き、しばらく息と気持ちを整える。
「話さねばなるまい」
この四葉が抱える、巨大な力と責任を。
一人方向性が違う子もいるが、十分育った我が子たちに、改めて知らしめる必要がある。
将来四葉を背負わされる我が子たちへの、情けない父親からの、地獄のようなアドバイスとして。
「「ただいま参りました」」
「こんばんはー」
呼び出した我が子たちが、部屋に入ってくる。父親としてではなく、黒羽家当主・貢と、そこに所属する部下の関係で呼んだので、可愛い双子は畏まった様子だ。だが、出来が良くて態度が悪い長女は、相変わらずの無表情で、軽薄な態度をとっている。だがそれを窘める心の余裕は、今の貢にはなかった。
「手短に話す。これは、四葉家が抱える数ある秘密の中でも、最も深刻なものだ」
本当なら時間をかけてじっくり警告したいが、それをするだけの精神的余裕がない。この話題は、それほどに彼の精神を傷つけ続けている。
だが、これだけで、賢い双子は十分だった。蘭もなんやかんやでギリギリの一線はあまり越えないので、大丈夫だと信じたい。
「大亜細亜連合は、本格的な戦争をするべく、本国で大艦隊を編成していた。これを受けて国防軍は、一つの作戦を決行した」
写したのは、敵艦隊が消滅し、大地が抉れた、ユーラシア大陸の東アジア。そこで何が起きたのかは明白だ。
「まさか、か、核兵器!?」
広島・長崎での使用に始まり、第二次世界大戦後の世界情勢は、列強による核開発が激化し、「核の傘」の時代となった。争うように開発が進められたそれらは、あれからずっと実戦で使用されることはなかったが、その威力はすでに、艦隊を全滅ならぬ消滅させるほどの力がある。
文弥の言葉に、亜夜子の顔が蒼白になる。元々白磁のように美しい肌が、もはや白粉でも塗ったかのようになってしまった。
「いや、違う。もしそうならば、我々はここにいないだろう」
魔法師の使命は、国や地位を問わず、「核兵器の使用を止めること」にある。ある意味最も魔法師らしいと称される四葉家は、イリーガルの深淵にいながら、その役割を忠実にこなすだろう。
「これは……魔法によって行われたものだ」
「せ、戦略級魔法、ですか!?」
今度は、亜夜子が悲痛な声を上げた。
確認されている日本の戦略級魔法師は、『
「その通り。発動に時間がかからず、それでいてその威力はかの『ヘビィ・メタル・バースト』が子供の遊びにしか見えないほどまで出せる。文字通り、一撃で世界を滅ぼす力だ」
『ヘビィ・メタル・バースト』といえば、十三使徒の戦略級魔法の中でもトップの破壊力を持つ魔法のはずだ。それが「子どもの遊び」。
だが、巨大艦隊が一撃で消滅したとなれば、その表現が大げさでないことが、よくわかる。
「仕組みはいたって単純。質量とは、固定化されたエネルギーだ。その固定化を『分解』して純粋なエネルギーへと変換すれば、一瞬にして、質量に光速の二乗をかけたエネルギーが生まれ、それは大爆発となる」
「『分解』……!?」
「そんな、まさかっ、嘘……」
二人の脳裏に、明確に一人の人物が浮かんだ。『分解』といえば、彼しかいない。
恩師。恩人。尊敬する人。恋に近い感情を持つ相手。兄貴分。兄のように慕う人。
「たつやおにいさま、ですね」
突然、黙って聞いていた蘭が、出したくないはずの答えを、口に出した。
その顔は相変わらずの無表情。何も感じていないわけではない。感じたことが顔に出せないだけ。
故に、この事実を、何を思って、何を考えて口に出したのか。三人には分からなかった。
「…………ああ、そうだ」
何とか返事を絞り出した貢は、急に、過去最悪の思い出が脳裏をよぎる。
子供たちを本家で初お目見えしたあの日。蘭は、達也と深雪に向かって、『分解』『再成』『コキュートス』などのワードをちりばめて、話しかけた。明らかに、秘密を「知っていた」。結局今になっても、どこで知ったのかは皆目見当がつかない。
そんな彼女でも、その反応からして、『マテリアル・バースト』までは知らなかったのだろう。
「三人とも。これが、四葉が抱えている大きな秘密であり、爆弾だ。これからの四葉を背負うものとして、このことを、よく心に留めて、今後を過ごしてほしい」
お前らは司波達也と仲が良いが、彼との付き合い方には気をつけろ。
言外に、そのニュアンスを含んだ訓示。亜夜子と文弥は、それを確かに受け取った。
「はなしはいじょうですね。では、しつれいします」
瞬間、貢の意識が遠のく。
「「お父様!?」」
突然身体の力が抜け、激しく机に倒れこんでしまった。亜夜子と文弥が心配して駆けつける中、蘭はそちらをチラリとも見ずに、背中を向けたまま去っていく。
(なんだ、今のは!?)
呼吸が荒くなる。全身が酸素を求めている。だが、まるで闇に怯える幼い子供のように、しゃくりあげるばかりの過呼吸になって、胸が苦しくなる一方だ。
同時に、しばらく音沙汰がなかった胃腸の痛みが、急に激しくなり、頭を抱えるほどの頭痛までしてきた。
これらの体調不良は、身体の異常に見えて、実は違う。
これらは――激しい恐怖によるショックによって起きたものだ。
それはちょうど、彼が当主である黒羽家の得意技『毒蜂』で、針が刺さった恐怖が無限大に増幅されショック死するのに似ている。
それに近い現象が、魔法もなしに、貢に起きていた。
蘭が背中を向ける一瞬。亜夜子と文弥には見えていなかったが、貢には、ほんの刹那の間だが、確かに見えた。
精緻なお人形のような顔に、間抜けな生首饅頭のような「笑み」を浮かべていたのを。
蘭ができる、唯一の表情。現実の人間が浮かべるその顔は、見たものの「常識」や「普通」を引っ掻き回し、異物感と恐怖を覚えさせる。
だが、今回は、それはもはやおまけに過ぎない。
(『マテリアル・バースト』を知って、なぜお前は笑ったんだ!!!)
貢が気を失い、急いで四葉お抱えの病院に運ばれ、検査の末に目を覚ましたのは、とっくに夜が明けた昼間の事。
彼はこのことを、単純にショックから、忘れてしまっていた。
ただ、思い出そうとしても、胃腸と頭に激しい痛みを覚えるだけになった。
ご感想、誤字報告など、お気軽にどうぞ