病室から出て、エリカ以外のお見舞いメンバーは、残って色々話をしなければならないらしい彼女を待ちがてら、院内のカフェで、さきほどの話の続きをしていた。
「それで、パラサイトが、物質次元ではなく、情報次元の存在という話だったな」
「まだ推測だけどね」
蘭と幹比古の話は、かなり深いところまで食い込むような話だった。それこそ、達也ですら今まで考えたこともないようなものである。つい昼まで、妖魔のような存在が実在しているという話すら知らなかったのだから、当然だ。現代魔法の分野で彼の右に出る者はいないが、古式魔法の分野はそうでもない。そんな達也に、幹比古のような古式魔法界の寵児が親友として隣にいるというのは、非常に幸せなことであった。
「これについては古式魔法界でも見解は割れてるんだ。人間の霊体が死後もなお情報次元に残って漂っている『幽霊説』、未知の物質でできている『未確認生物説』、情報次元にいる『異世界生物説』……色々あるよ」
なにせ、その存在が現れることすら稀なのだ。そして現れたとして、すぐに退治しなければならないため生け捕りにはできないし、その死体も残らない。研究が進まないのも無理はないことだった。
「それにかんしてなんですが、ひとつ、けんとうがついてます」
そんな深い話に、何やら自信ありげに飛び込んだのが、ゴリゴリの現代魔法師である蘭だ。
深雪はいつものジョークかと疑わし気に、達也は「何か知っているかも」とコリもせずほんの少し期待をして、美月はこの話に飛び込んでいける彼女を素直に尊敬して、幹比古は古式魔法界ですら判断できないものに「見当がつく」と言ってのけたことに少し挑発的な、それぞれの視線を向けた。
「じょうほうじげんの、せいぶつっぽいのといえば、せいれいがいますよね?」
「「そういうことか!」」
たったそれだけの言葉で、達也と幹比古は同時に声を上げながら立ち上がる。静かなカフェスペースの中のそれは、少しばかり周囲から浮いていた。
直後冷静になった二人は周囲に頭を下げつつ、静かに座った。
「その、もっと詳しく……」
美月は、遠慮がちに、三人に助けを求めた。同じことは、深雪も思っているらしい。
「まず、せいれいというものがいるのは、しってますよね?」
「はい」
何せ幹比古と過ごす時間が長いのだ。その存在は、もはや自明である。美月なんかは、それを古式魔法師ですらその領域に至らない、色の濃淡まで判別できるのだから当然だ。
「せいれいというのは、げんだいまほうのかいしゃくだと、どくりつじょうほうたいです。げんしょうにともない、いであにちくせきされたじょうほうが、じょうほうをもったままゆうりして、こりつしたものですね」
「だから、それを魔法式で操作すれば、元となった現象を再現できる。これが精霊魔法でしたね」
幹比古の横にずっといて、そして当人たちも気づかないうちに互いに特別な感情が育ちつつある。それゆえに美月は、そのことがよくわかっていた。
「そうです。せいれいは、ぶっしつせかいの、どくりつじょうほうたい。そうなると、しょうきょほうで……ぱらさいとは、せいしんせかいの、どくりつじょうほうたい、ではないんでしょうか」
「そ、そういうことなんですか?」
「精神……」
達也と幹比古はうなずく。美月はまだ納得しきれていないようだが、蘭の説明は一応の筋は通っている。正体不明の存在への一応の説明としては、十分すぎるほどだろう。
一方の深雪はと言うと、別のことに、静かに考えを巡らせていた。
精神。
精神干渉系魔法に並々ならぬ適性を持つ四葉家。その最高傑作とも言われる深雪は、『コキュートス』のような究極ともいえる魔法をこの世でただ一人扱えるほどに、精神と魔法に密接にかかわる存在であると言っても良い。だが、そんな彼女ですら、「精神」「情動」「感情」と呼ばれる概念の正体が、判然としていなかった。
物質科学の世界で言えば、思考も記憶も感情も精神も、すべて、ニューロンの電気信号と言い切ってしまうことも可能だろう。魂なんてものは存在せず、人間が勝手に生み出した仮想概念と言い切れるかもしれない。
実際、一色家の『
だが、しかし……それならば、「精神干渉系魔法」とは、いったい何なのだろうか。
実は神経電流を操作しているだけの放出系魔法を、「精神」を操作するがゆえに人間が特別視しすぎて別物と捉えたのか。ならば、存在が確認されている「プシオン」とは何の情報を司る非物質粒子なのか。
精神には、神経電気信号と言う物質的側面は、確かにあるのだろう。
だが、それ以外の、物質的だけでは説明できない、また別次元のナニカでもあるとしか、深雪には考えられなかった。
「…………蘭さんは、いつ気づいていました?」
「深雪、よせ」
いつの間にか、深雪は我慢できず、疑問を漏らしていた。
その様子から、深雪が何を考えているのか一瞬で理解した達也は、深雪を制止する。
精神。その深淵ともいえる世界の話に、蘭が関わってゆく。
そうだ。彼女は現代魔法師でもある一方で――
――精神に深くかかわる、「黒羽家」なのである。
しかも彼女は、こうして日常を過ごしている裏で、あの一軒家でも、黒羽家でも、おぞましい精神の研究を、妄執的に続けている。
もしかして蘭は、そんな実験の中で、この仮説に、吸血鬼事件が発覚する前からたどり着いていたのではないだろうか。
いや。
――パラサイトの存在と正体に気づいていたからこそ、あれほどの実験を繰り返していたのではないだろうか。
そこまで連想が進み、深雪は、脊髄を冷え切った手で撫でられるような怖気を覚えた。
初めて会ったあの日、知るはずのない情報を堂々と探られた。あの時以来の、いや、あの時以上の恐怖が、深雪を包み込む。
得体のしれない存在。目の前の蘭は――自分たちでは届きえない、それこそパラサイト並みの、超越した何者かで。
「あなたは、何を知っているのですか……?」
「何でも知っている」のではないだろうか。
「深雪!!!」
は、と。
心の奥深くまで沈下していた思考が、兄の張り詰めた声に引き戻される。
「……すみません、どうにも、体調がすぐれないようで、変なことを考えてしまいました」
「あー、まあ、こんな事件が続くとどうしてもね。ごめん、僕らも無神経に話しすぎた」
幹比古は、深雪が無意識に放っていた冷気と「得体のしれない感情」から解放され、ようやく一息つく。美月などはすっかり怯えてしまい、涙目で蘭に抱き着く始末だった。
だからこそ、そんなわけないと分かりつつ、幹比古は、「普通の結論」に決めつけた。これ以上、この話が進むのは避けたかったのだ。
「深雪もこの調子だし、今日はお開きにさせてくれ。なんだか、俺も疲れた」
「だろうね。そうした方がいいよ。病人はレオだけで十分だ」
あえてスパイスが強すぎるジョークで、なんとか空気を吹き飛ばす。人のできた友人に感謝しながら、達也は深雪を気遣いながら、席を立った。
そうして荷物を取ろうとしたとき、目が合う。
この波風のど真ん中である、蘭だ。
その美しくも可愛らしくもある整った顔は、熟練の職人が魂をかけて作った精巧な人形のように無表情だ。あくまでも感情が無いわけではないのが分かっているが、深雪に引っ張られて、「何を考えているか分からない」恐怖を、わずかながら感じる。
「そうだねえ、しつもんにこたえてあげましょう」
「蘭ちゃん、空気を読むって、すごく大事なことなんだよ?」
そんな中、堂々と蒸し返す蘭に、美月は眼鏡の奥の目を見開く。いったいどんな神経をしているんだ。
「なんでもはしらないよ。しっていることだけ」
何やらアニメの引用っぽい言葉で堂々と答えたことで、どうやら彼女なりに空気を読んでいることが、かろうじて好意的に無理やり解釈することでわかった。
☆
そしてエリカが合流する前に達也と深雪が帰ったことで、カフェには、蘭、幹比古、美月、エリカだけとなった。
そしてエリカが提案したのが、私的な報復部隊の話だ。
「あいつは一時期とはいえ千葉家の門をたたいた、門人よ。それが、うちの失態でやられたんだから。だったら、師匠であるアタシが、ケリをつけてやる」
エリカの鼻息は、言葉の割には荒くはない。いつもの彼女と違って、感情任せの勢い任せではない。これは、本気である。
「警察に任せた方がいいと思うけど? それに七草家と十文字家の連合軍も動いているんでしょ?」
「どっちも全然役に立たないわ。あのバカしか、結局接触できていないんでしょ、吸血鬼に」
そう、警察も十師族も、吸血鬼の正体にたどり着くどころか、まだ接触すらしていない。それに成功したのは
「そういうわけよミキ、協力しなさい」
「げー」
幹比古は露骨に嫌な声を出す。確かに彼自身、吸血鬼の正体をその身で確かめたい気持ちもあったし、レオの復讐をしたい気持ちもある。だが、根本的に幹比古は常識人であり、そのようなスタンドプレーには腰が引けるタイプであった。そしてそんな常識人気質であるがゆえに、いつもエリカに押し切られて、結局片棒を担がされる羽目になるのである。
「そのはなし、わたしものっからせてくれませんか?」
「え、ええ!? 蘭ちゃんも!?」
そして、意外な人物が乗っかってきた。普段の彼女は周囲をそれなりに気遣って手助けする一方で、自分勝手そのものである。そんな彼女がこの事件に興味を示し、積極的に参加するのは、驚きの声を上げた美月以外の二人にとっても、意外なことである。
「そりゃあまあ、蘭がいるなら百人力だけど……」
「どういう風の吹き回し? 言っとくけど、お遊びじゃないわよ?」
エリカの目に、剣呑な光が宿る。中途半端なことを言ったら、この場で切り捨てる。そんなことをするわけないが、幹比古と美月には、そうしてしまいそうに見えた。
エリカとて、蘭が嫌いなわけではないし、その実力を信じていないわけではない。だが、普段の蘭が積極的に関わっていることは、なんだか、お祭り騒ぎに参加するようなノリだった。肩を並べて戦ってくれた四月のテロ事件も、自分だってだいぶお祭り騒ぎ気分だったが、蘭はそれ以上だったように思える。
それに、エリカには、「殺し合い」の世界で、蘭が信用できなかった。幹比古は、あの横浜の地獄で肩を並べて戦った、いわば戦友だ。レオも同じで、美月も戦闘力こそ低いがあの場で協力したという点では戦友に変わりない。だが、蘭はあの戦争にいなかった。剣を通したストイックで不器用な理解を是とする空気がある千葉家で育った彼女にとって、戦友ではない蘭への信頼は、一段下がると言っても良い。
「ええ、ほんきですとも」
そんなエリカに、蘭は一歩も怯まず、真正面から断言する。
「ぱらさいとについて、わたしがよくしっているのは、みきひこくんと、みづきちゃんは、よくわかってますよね? それは、わたしがあたまいいから、だけではない、ということです」
「……乙女と魔法師には秘密があってナンボ、ってところね」
三人とも確信する。
やはりそうだ。あの達也と深雪と親戚だというのなら、蘭も、とんでもない秘密を抱えているに違いない。この吸血鬼事件は、それに関わるのでしょう。
「いいわ。アンタが参加してくれるなら、もうドリームチームみたいなもんじゃない」
「ちょーたよりになる、すけっとも、つれていきますね」
「蘭がそう言うなら、信用できそうだ」
今ここに、闘いに赴く三人に、共通理解ができた。
「が、がんばってねー……」
そして蚊帳の外の美月は、控え目に、三人を励ました。
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