娘のあずさは中学三年生になり、息子のいつきは二年生になった。
あずさは中学校の中で、本人に自覚は無いが、その知性と優しさと穏やかさから慕われて、リーダー的な立ち位置にいるらしい。生徒会長に推薦されたりもしたようだが本人が固辞して、会計をやっている。
一方息子のいつきはというと、相変わらずの不登校。毎日毎日、リモート授業を適当にこなしては、時間が空いたら近所の野山に遊びに――もはや訓練だが――行って、家では魔法の研究をしたりあずさと一緒にいたりしている。つい数か月前までは交流会に積極的に遊びに行っていたが、最近はご無沙汰だ。まあ、仲の良い友達もできたらしいし、連絡先も多分交換しているだろうから、さほど心配はない。
いつきと言えば、小学校高学年ぐらいから、「筋肉がつかない」「背が伸びない」とブツブツ愚痴を言うようになった。同じような悩みを持つ姉もそれなりに気にしているそぶりを見せているが、いつきもやはり男の子のようで、なおさら気にしているらしい。自分たちもそこそこ小柄で筋肉がつきにくい体質なので遺伝なのだろうが、子供たちはその傾向がなお強く、未だに二人とも可愛い可愛い小学生のようだった。
そしてそんな息子が、二年生に上がってすぐぐらいのころに、家族団らんの夕食の場で衝撃の言葉を発した。
「あ、そうだ。そういえば、お姉ちゃんが言ってた固有魔法。ボクも見つけたよ」
「え!? 本当!? おめでとう!」
あずさは頬を赤らめて立ち上がって喜んだが、学人とカナは固まってしまった。
重大な情報が、あまりにもいきなり、さらりとやってきたからである。
「ねえねえ、どんな魔法なの!?」
すっかり箸を進める手を止めたあずさが、隣のいつきの腕を取ってゆすり、解説を急かす。
学人とカナがまだ動きだせてない中、急かされたいつきは急に立ち上がり、叫んだ。
「ちゅうもーく!」
「「「………………え?」」」
一分以上経って、何も起きず、いつきは何事もなかったかのように椅子に座り直し、またご飯を食べ始める。
「えっと、い、いっくん? その、魔法は?」
「今のだよ?」
「「「???」」」
三人は首をひねった。良い子とは言えかなりの変わり者な子だが、ここまでだとは全く思っていなかった。
だが、いつきも流石に分かりにくいと思ったのか、言葉を付け足す。
「だって、あずさお姉ちゃんもお父さんもお母さんもさ――ずっと、固まってたでしょ?」
「「「っ!?」」」
瞬間、三人の脳内に、電撃が駆け抜ける。
そういえばそうだ。
確かにいつきがいきなり立ち上がって叫んだ時はポカーンとしたし、本人が叫んだ通り、注目もした。
だが普通なら、数秒で、何かがおかしいと、ツッコミを入れてもおかしくないはずだ。
だが実際は――数秒、十数秒を越え、「一分以上も唖然といつきを見ているだけだった」のである。
「じゃ、じゃあ、今、魔法、使ってたの!?」
「うん」
あずさは顔を青ざめさせる。
つまり今自分は、全く気付くことなく、魔法にかけられていたということだ。
魔法師は魔法をかけられたら、たとえ油断していたとしても、直後には気づくものだ。なにせ魔法による改変は魔法師にとっては違和感を伴うし、そもそも行使には余剰サイオン光が漏れるし、魔法式だって目視できる。
だがそれでも、あずさは、そしてカナも学人も、全く気付くことなく、魔法にかけられていたのである。
「自分に注目を集めてしばらくポカーンとさせるって効果みたい。注目を集める、って言えなくもないかなー。とりあえず適当に『アテンション』ってつけたんだけどなあ」
固有魔法が見つかったというのに、いつきのテンションはいつも通りだ。いや、いつもよりも若干低い。
「あーあ、あずさお姉ちゃんの『梓弓』みたいなカッコイイのだったらよかったのになー」
拗ねて口を尖らせながら、箸で器用に骨を取った焼き魚を食べる。
「使いどころ、多分ないよね」
いつきのその一言が、彼のテンションが低い理由を物語っていた。
確かに、あずさの『梓弓』に比べれば、効果も使いどころも特殊性も、なんら目を見張る所がない。
察するに、『梓弓』と違って個人個人に直接干渉する魔法なので大衆の注目は集められず、自分に注目を集めてぼーっとさせるだけのため話を聞いてほしい時にも使えず、ただ直接干渉して改変するだけと言ういたって普通の魔法で特別感もない。
精神干渉系魔法と言う特殊な系統故に固有魔法となっているだけで、その性質は基本的な魔法に近いし、インデックスに登録されているような汎用的で効果の弱いほとんどの精神干渉系魔法と大して変わらないものである。
だがそれでも、あずさたちが受けた衝撃は大きかった。
なにせ、ここにいる三人は、三人ともが精神干渉系魔法のエキスパートと言ってよい。それに対する耐性も感性も高く、使用されれば気づくし、そう易々とかけられることはない。
だが、今は。
たとえ不意打ちで完全に油断していようとも、確かに、全く気付くことはできなかったし、耐性を貫いていつきの意図通りに完全に魔法にかけられた。
つまり、いつきのこの魔法は――
――気づかれにくい上にその強度が高い、ということを意味しているのだ。
隠密性と、効果を発揮する力。
それら二つが高いというのは、お互いを傷つけあう「戦闘」における魔法の理想形ともいえる。
そんな固有魔法を、いつきが、持っていたということだ。
(…………なんだか、運命的ね)
不思議と固有魔法は、本人の人生や性格に似たものになる。
それは、性格や運命が固有魔法を形作るのか、はたまたその固有魔法を持っているがゆえにそのような人生を歩んでそのような性格になってしまうのか、はたまた因果関係があるのかすらも定かではない。
ただとにかく、似たものになるのは、カナと学人の経験上、確かなものであった。
上の娘、中条あずさの『梓弓』。
群衆に無差別に影響を及ぼし、心を落ち着かせる。
彼女の心優しい穏やかな性格と、人々を導く潜在的なリーダーシップ。
下の息子、中条いつきの『アテンション』。
相手に気づかれることなく、近くにいる人間を惹きつける。
天真爛漫で、不登校でありながらも人懐っこくて、あずさを中心として、彼を可愛がりつつも信頼する。
すでにその片鱗を見せている、二人の「性質」と「生き様」。
カナと学人は、親バカ的目線もあって、固有魔法との重なりに、運命を感じざるを得なかった。
「…………確かに、いつきにとっては不満かもしれないね。でも、それは紛れもなく、いつきだけの特別な魔法だ。大事にするんだよ?」
「あと、特に精神干渉系魔法は、許可なく人に使ったら、絶対だめだからね?」
「そ、そうじゃん! いっくん! メッ、だよ!!!」
「わ、わかった、わかったから!」
精神干渉系魔法は禁忌の魔法であり、たとえ悪影響を及ぼさないことが保証されていても、許可なき使用は固く禁じられている。
いつきはそれを、家族相手とはいえ、不意打ちで使ったのだ。
研究所と両親によってその倫理観をしっかり与えられたあずさは、可愛い弟のために、全く威厳のない顔と声で、彼を叱った。
☆
「「「合格おめでと~」」」
お父さんと、お母さんと、大好きな可愛い弟。
パーティ帽子を被せられたあずさに、クラッカーのテープがかかった。
「え、えへへ、ありがとね」
時間が経つのは早いもので、もうすぐ春と言う頃。今日はあずさの、魔法大学付属第一高校の合格発表の日だった。誰もが――基本自信がないあずさ本人すら――合格を疑わないが、それでも実際に合格と決まれば、気も抜けるし嬉しいものだ。
両親ともこんなクラッカーまで用意してパーティをするような人柄ではない。その知能故に不登校になっていて大人びた様子も見せるが、一方で見た目通りまだまだ子供でやや派手好きないつきの提案であった。
ささやかな家族用テーブルには、豪華な料理が並んでいる。いつきが手伝ったものもあるらしい。あずさの大好物も並んでいた。人生最高の食卓だろう。
「そういえばさ、お姉ちゃん。合格証書ってどんな感じなの?」
いつきが目を輝かせて聞いてくる。中学校までは不登校だが、高校レベルとなるとさすがに通いたいということで、彼は昔から「お姉ちゃんと同じ魔法科高校に行く!」と嬉しいことを言ってくれたものだ。
「えーっと、ちょっと待ってね」
あずさはそれを聞かれると思って用意していた足元のバッグを漁り、古式ゆかしい大きな封筒を取り出す。同時に電子版も送信されるが、仮にマシントラブルがあった場合を考慮して、こうして紙媒体も未だに現役であった。
「そういえば、合格したときだけ見たから、入試の順位とか見てなかったかも」
封筒から書類を諸々取り出しながら、あずさは呟く。一科生として合格したので上位2桁は確定だろうが、果たしてどれぐらいの位置だろうか。
中条あずさ
以上の者を、2094年度国立魔法大学付属第一高校・一科の合格者とする。
筆記・1位
実技・1位
総合・1位
「「うえええええええ!?!?!?」」
取り出したそれを見て、あずさといつきは同時にとんでもない奇声を上げて驚いた。
魔法師の母数が少ないとはいえ、国立魔法科高校はその全てが難関校であり、第一高校は東京と言う立地上特にレベルが高い。当然受験者のレベルは全体的に高いし、そもそも「魔法師」が一つの血族的利権になっている以上、中条家では及びもつかない「エリート」も相当数いるに決まっている。
だというのに、筆記テストで1位、実技でも1位で、完全総合1位だ。
あずさもいつきも上位の自信はあったが、これほどまでとは、完全に予想していなかったのである。
「あら、すごいじゃない」
「さすがあずさだなあ。いけるかもとは思っていたが」
「思ってたの!?」
一方両親は意外と落ち着いていて、ニコニコ笑顔で喜んでいるだけだ。多少の娘贔屓もあるだろうが、なんなら「いける」とすら思っていたらしい。
「あずさちゃん、とっても賢いし、魔法も上手だものねえ」
「逆にあずさを越える子がいるなら見てみたいものだなあ」
心底嬉しがっているのだろう。そして少しの驚きもあるのだろう。
だがそれ以上に二人は、「客観的に見て」あずさが飛びぬけて優れていると知っていたのだ。
何せいつきについでずっとそばで見てきて、そして世間のレベルをいつきよりも知っているから。
「主席入学ってなると、多分入学式では代表としてスピーチすることになりそうだな」
「そうねえ。あと、生徒会にもお呼ばれするかもしれないわね。魔法科高校の生徒会って最近はすごいのよ。生徒自治っていう名目でかなり権限があるみたいでね」
「あ、あわわわわわわ」
生徒会はまだ良い。
だが、あずさは、学人が言った「入学式のスピーチ」に、酷く動揺している。
中学校では生徒会役員をやったが、会計という一番大人数の前で喋らない仕事だった。会議ではかなり喋ることになるが、それですら毎回緊張した。
だが、入学式となると。
少なくとも、新入生200人と、教員・関係者・来賓、若干名の先輩方、それに一般高校に比べて数ははるかに少ないだろうが新入生の家族が来ることになる。300人は下らないだろう。
そんな大人数の前で、代表としてスピーチ。
「……うん、お料理美味しい!」
たっぷり数十秒迷った末あずさが選んだのは、目の前のパーティを楽しむ現実逃避であった。
この逃避はずるずると尾を引いて3月下旬まで続くこととなり、ほとんど人がいないというのにリハーサルであまりにも酷いスピーチをしてしまって、いつきがたまらず手を貸すまで、改善されることはなかった。
なお結局、いつきによる献身的な指導により、入学式当日は「緊張しちゃったんだね」で済ませられる程度の出来になんとか収めることができた。
のちにいつきは語る。
「全部1位はびっくりしたけど、こういうところは変わらないんだね」
誰よりも長く一緒にいるからか、その声には、まるで何回も人生を繰り返したかのような実感がこもっていた。
☆
「お姉ちゃんがんがえ~」
真夏の富士裾野演習場に、大衆の声援に混じって、中学三年生になったいつきの未だ声変わりする気配がない可愛らしい声が響き渡る。
定例化してから8年目となる、全国魔法科高校親善魔法競技大会、通称・九校戦が行われていた。
今年から一部ルールが変わり、日程が約1.5倍と大幅に大規模になって、新人戦が追加された。新人戦には一年生のみが出場することができて、本戦と違って一部競技を除き男女混合だ。来年からは新人戦も男女別となり、日程がさらに増え大規模化する予定になっている。様々な思惑が絡まっていて、この九校戦によって生じる「社会」のメリットが、それほど大きいことの証拠であった。
あずさは本来、そのプレッシャーに弱く闘争心に欠ける弱気な性格から、こうした競技向けの人格とは言えない。得意なのは細やかな行使と精神干渉系魔法であり、これまた競技向けでない。ついでに言うと魔法競技は運動能力を要するものも多く、身体も運動神経もダメダメなあずさにはこれまた向いていない。彼女は三重の意味で、競技に向いていない魔法師である。
しかしながら先日行われたテストでも実技・理論ともに学年一位であり、魔法の腕も群を抜いている。競技に向いた項目とされる魔法式構築速度・干渉力の面においても、学年トップクラスだった。彼女を出さないわけにはいかないだろう。
そういうわけで、比較的同級生の中で層が薄いスピード・シューティングに、あずさはエントリーさせられたのであった。ほんの少し経験したことがある、と、ちょっと怖い先輩である真由美に詰められたときにポロリと漏らしたのが運の尽きであった。
幸い、これ以外の競技には出る予定はない。バトル・ボードは小早川と範蔵が、アイス・ピラーズ・ブレイクは花音が、クラウド・ボールは桐原が、ミラージ・バットは小早川が、それぞれ中心となって素晴らしい選手が集まっている。最初の方にさっさと終わるスピード・シューティングだけで良かったのは、よくお世話になる先輩の真由美から直々に指導してもらえたことも含め、実に幸運だった。
(う~、緊張するぅ~)
そんな新人戦スピード・シューティングで、あずさは順調に勝ち、決勝へと進んでいた。あずさのような小柄な可愛らしい少女が活躍する姿は、ともすれば去年の真由美以上に珍しく、注目を浴びている。それが分かるだけに、余計に緊張してしまっていた。
「中条さん」
「ヒャイッ!?」
そんな彼女に、声をかける少女がいた。あずさはまるで野良猫のように飛び上がって、バッと振り返る。
「久しぶりだね」
「あ……」
そこに立っていたのは、中学生のころによく話しかけてくれた、快活な少女だった。忙しくてさほど多かったわけではないが、一緒にスピード・シューティングをしたのも、一度や二度ではない。
ここは、選手が入場する通路だ。
つまり――決勝戦の相手は、彼女と言うことである。
「中条さんなら、この九校戦で活躍すると思ってたよ」
「う、うん、ありがとうございます……」
これから戦うライバルだというのに、少女は中学生のころと変わらぬ、いや少しだけ大人びた、さわやかな笑顔だ。一方のあずさも、緊張していること以外は、中学生のころと変わらない。
「――中学の頃は、負けっぱなしだったからね」
だが、少女の声が、急に真剣みを帯びる。
空気も一気に張りつめて、中学時代の和やかな雰囲気から一転した。
「っ……」
そう、この少女は、スピード・シューティングに、かなりのリソースを割いてきた。だというのに、たまにしかやらないあずさに、負けっぱなしだったのだ。
そこには明確な、「魔法の才能」の差があったのである。
だが、こうして大きな舞台で活躍し、決勝戦まで上り詰めることができた。
「今日こそ、私は、中条さんに勝つよ」
「――私だって負けません!」
二人は笑顔を浮かべて、そしてそんな勢いのわりに固くも激しくもない柔らかな握手をしてから、並んで入場する。
途端、さんさんと輝く太陽のスポットライトに照らされ、汗が吹き出し、割れんばかりの声援に包まれた。
(大丈夫、大丈夫!)
あずさはいつの間にか、緊張が抜けていた。今はただ、目の前の競技に勝つことだけを考えればいい。
――合図と同時、CADを構える。
その勝負は九校戦の歴史に残る激しい接戦となり、お互いにこれまでにないベストスコアを出した末――
――中条あずさは、準優勝に終わった。
☆
一年生にしてあずさが校内論文コンペに出した論文は、「精神に関する情報を司る次元の存在仮説」であった。イデアは物質的情報世界であり、未だ存在が確認されていない、精神版のイデアが存在するとする仮説を論理的に研究していく、一年生にして本格派の論文であった。
だが、未確定の古式魔法界の仮説をメインに使用したこともあって説得力は他論文に届かず、校内順位は9位。一年生としては大健闘だが、代表には程遠い成績となった。
そんな具合で、あずさは、精神干渉系魔法に関する研究を、ずっと続けている。そして来年か再来年には、論文コンペの舞台に立つことを目指していた。
「それで、仮に精神に関する独立情報体がいるとした場合なんだけど……」
論文コンペが過ぎてしばらく。二人は夕食と入浴を終え、あずさの部屋で、床に置いたタブレット端末を挟みながら、膝を突き合わせて話し合っていた。
「怖い話」に繋がりそうになって一度は拒否したが、あれ以来、あずさもいつきもそれについての話し合いは定期的に行っていたのである。
あれから二年。二人の間に、ある程度の共通認識が出来上がっている。
一つ。精神に関する情報を司る、この世と重なる形になる、精神版イデアは、恐らく存在する。そうでないと、精神干渉系魔法について説明できない。二人の感覚的に、精神干渉系魔法が脳神経に干渉しているだけとは到底考えられないからだ。そうでないと、そもそも精神干渉系魔法が特に向き不向きが分かれる理由が説明つかない。既存の物質的情報を改変する魔法とは、分けて考えるべきだ。
二つ。その世界には、精神に関する独立情報体、精霊に近い何かが存在する。物質情報を司るイデアと同じ現象が起きていると見るのが自然だ。
三つ。精霊は、物質界の生物とは違った定義になるか、原始的な意志・感情・本能のようなものを持っている。これはあずさが魔法科高校に入ってから、周囲にいる古式魔法師に聞いて回った成果だ。そのうち、精霊魔法に詳しい者は皆、「証明はできないけど、感情のようなものを持っているように感じた」と口をそろえた。科学的な話をすると、証明しないことには存在するとは見ることはできないが、こうした個人的な思考の範疇ならば、この情報を以て「存在する確率が高い」としても良いだろう。
これが、精神に関する独立情報体が見つかれば……という発想から展開した、二人の論だ。
全部仮説にすぎないが、それなりに筋の通った仮説である。これで、精神版イデアか精神に関する独立情報体の片方が見つかれば、もう片方の発見も連鎖するだろう。
そして、もし仮に、精神に関する独立情報体ないしはそれに近い生物のような何かがいるとすれば、精霊と同じように、意志のようなものを持っているのではないだろうか。
そしてそこからさらに展開する仮説が、「お化けの正体」である。
古式魔法師の世界では、確かに、超常的生物の存在が認められているらしいし、それらを倒すのが古式魔法師たちのかつての使命で、そのために磨いた専用の魔法もあると言う。流石にここまで話して幹比古は「話しすぎた」と気まずそうな顔をしたが、聞いてしまったものはしょうがないので、有効活用することにした。
その話をベースに、仮に超常的生物がいるとしたら――その正体こそが、精神版の独立情報体ではなかろうか、という説が、二人の間で浮かび上がっていた。
精神に関する独立情報体は、未確認生物みたいなもの。
古式魔法師たちの言うお化け・超常生物も、未確認生物。
その二つを、同一視できるのではないか、ということなのだ。
どちらも未確認だから同じ、というのは短絡的かつ飛躍しすぎだが、一応の根拠はある。
根拠は、精神に関する独立情報体は不可視であること。その仕組みは簡単で、未だに精神版イデアを観測する技術がないからだ。超常生物たち未だに古式魔法師界隈以外では存在が疑問視されているほどに観測されていないのは、その超常生物たちもまた、本来は精神版イデア、もしくはもっと未知の現象のイデアに属する精霊的な存在かもしれない、ということである。これならば未だ観測しておらず、かつ古式魔法師界隈ですらさほど出会わない理由になるだろう。本来は別次元にいて、何かの拍子に迷い込んで、生きるために人を襲うのではないか、という話だ。
「……うーん、仮説に次ぐ仮説、って感じだね」
あずさは苦笑いする。それぞれに一応筋は通っているが、何一つ確認されても証明されてもいない以上、言葉遊びの域を出ない。自分で考えたのでそれなりに説得力は感じるが、客観的に見たら子供の妄想だ。
「そうだねー。まあでも、なんかしらのお化けはいるみたいだし……そういうのの対策、何か考えておかないといけないのかなあ」
「え?」
いつきの言葉に、あずさは目を丸くする。
「いっくん、お、お化けと、た、戦うの?」
あずさの顔が真っ青になり、声が震える。
いつきには極力危ないことはしてほしくない。頼りになる弟だが、それでも「可愛い可愛いいっくん」である。あずさの彼に向ける感情は、そうした過保護な一面もあった。
「……い、いやいや、そんな自分から戦うなんて。もし襲われたときに何か身を守れるものがあったらいいな、っていうだけの話だよ」
いつきは苦笑しながら否定する。
確かに、全く仕組みも根拠も不明だがとにかくいる可能性が高いと分かっている危険な存在がいるなら、それが杞憂だろうと、別に無理して対策を考えない理由はないだろう。時間が限られているなら、そんな無駄になる確率が圧倒的に高いことに費やすのは御免だ。
だけど。
「暇つぶし程度になら考えてもいいかなって。ほら、自分だけが知ってる化け物と戦えるって、なんかカッコイイじゃん?」
「お、男の子だねえ……」
苦笑しながらも目を輝かせるいつきを見て、あずさは困惑10割の笑みを浮かべる。こういう子供っぽいところも、また可愛いのだ。
ちなみにあずさは「男の子だから」と解釈したが、そういったヒロイックな願望は女の子でも持っている魔法師はそこそこいる。例えば、今頃幼馴染のスランプにヤキモキしている女剣士などがそれだ。あずさはあまりにもそう言った欲がない、徹底的に戦いが嫌いなタイプだ。どちらかといえば、ある日突然トーラス・シルバーの最新モデルが手に入るだとか、とんでもない大発見をして論文コンペで発表することになるだとか、そういった類の妄想の方が多い。
そんな和やかな空気は、いつきの続く言葉で霧散した。
「それにさ、もしボクらが想像しているようなのが正体だとしたら…………戦えるのは、多分、ボクらだけだよ」
「――っ」
あずさは声を詰まらせる。
いつきの声と表情は先ほどまでと違い、真剣そのものだった。
そう、もし、人に害をなす「お化け」が、精神版イデアの存在だとしたら。それはつまり物質的現象による対抗は、意味をなさないということだ。
では、そんな存在に対する武器になり得るのは。
――自分たち含むごく一部にしか使えない、精神干渉系魔法しか、ないだろう。
あずさは知っている。
いつきが、壁越しに感じただけでも、理論だけが書かれたメモを見るだけでも、背筋が凍るような、攻撃的な精神干渉系魔法を練習していることを。
固有魔法『アテンション』に攻撃力がないから落ち込んでいたことを。
高速移動を中心とした、戦闘に使えそうな魔法を多く練習していることを。
いつからかは分からない。こんなに近くにずっといるのに、「いつの間にか」としか言いようがない。
不登校になって以来ずっと続けている魔法の練習と探求。それがシームレスに、「闘いに備えたもの」へと、いつの間にか変わっていたのだ。
「準備するかしないかで、多分、全然違うんだ。ほんの少し、逃げる隙を見つけるだけのものでもいい。じゃないと――――」
いつきはぽつぽつと語る。
そして、少し間をおいて、息を吸い――肺に吸い込んだ空気全てを吐き出すような重さで、言葉を紡ぐ。
「――お姉ちゃんを、守れないから」
「――――っ! いっくん!」
「ぴえっ!?」
直後あずさは、目に涙をたっぷり浮かべ、いつきに飛びついた。
運動能力にだいぶ差はついているが、体格はほぼ同じ。不意打ちにそれをいつきは受け止めきれず、あずさに押し倒される形になる。
「いっくんが守ってくれるのはうれしいよ! いっくんは、頼りになって、賢くて、かっこいいんだから!」
抱き着いたあずさは、いつきの胸に顔をうずめる。これでは、どちらが年上でどちらが年下か分からない。
「でも! いっくんは、私の、大事な、可愛くて、大切な、弟なんだもん! いっくんが守るだけじゃなくて――――」
いつしかと同じ状況。
だが、あずさは自分からいつきの胸から顔を離し、鼻先が触れ合うほどの、お互いの瞳に映る自身が見えるほどの、唇が触れ合いそうなほどの距離で、見つめ合う。
そして後ろに回していた手を解いて、突然のことに投げ出されたままのいつきの両手を握る。
今度はあずさから、いつしかと同じ、お互いの両手で両手を握る形になった。それぞれの手で、指と指が絡み合う。二人の間柄を示すような、決して離れない関係。
「――――私も、いっくんを守ってあげるからね!」
「――――ありがとう、あずさお姉ちゃん!」
しばしポカンとして、ようやく飲み込めたのか、いつきが、至近距離で満面の笑みを浮かべる。
ああ、そうだ。この可愛い笑顔が、何よりも大好きだから。
この笑顔を守るために。
あずさが傷ついたらきっと悲しんでくれるからいつきに守られて、そしてあずさもまた、いつきを守るのだ。
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