魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

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 幹比古にはあまりかかわりのない話だが、入学早々、校内では何やら騒がしい学生運動が行われていた。

 

 曰く、一科生と二科生の差別を云々と。幹比古としても思うところがないわけでもないが、正直、どうでもよかった。

 

 そういうわけで、色々な活動の決着点として設けられた公開討論会には当然出席せず、もう親友と言っても差し支えないいつきと一緒に、実技棟で魔法の自主練習をしていた。

 

「ぐっ、待て!」

 

「鬼さんこちらっと」

 

 関心が公開討論会に向かっているため、いつもは二科生や一年生がほぼ使えない大部屋も使用可能だ。だだっ広い部屋を二人きりで独占し、魔法を使った鬼ごっこを行う。

 

 幹比古は危険なものでなければ妨害含めどんな魔法もOK、いつきは移動・加速・加重系のみ。幹比古はいつきに手のひらでタッチできたら勝ち、だ。

 

 こんな圧倒的有利だというのに、幹比古は現在、五連敗している。

 

 そう、逃げ切るだとか、時間制限だとかがないのに、五連敗だ。

 

「そーれっと」

 

「その変な動きは何なんだ!?」

 

 そしてたった今、六連敗目を喫した。

 

 幹比古が何とか迫ってタッチしようとしたところで、いつきは紙一重で華麗に回避し、逆に幹比古の体を軽くタッチしてから高速で離脱する。まるで落ちる木の葉を掴もうとして逃げられるかのような動きと、単純な速度を合わせた逃走術。追いつくのがやっとだし、タッチはできないし、それどころか回避のついでに逆にタッチされる始末だ。これまで頭、右肩、左肩、背中、胸、と来て、今度は尻である。

 

「さあ7度目はお股を思い切り掴みに行くよ? ラッキーセブン!」

 

「それだけはやめてくれ!」

 

 いつきだってあの見た目だが男のはずで、その痛みはよくわかっているはず。それなのにそこを狙うと堂々と宣言するし、そして恐ろしいことに、ガードするべき場所を指定されたというのに、防ぎきれるビジョンが浮かばない。

 

「しょうがないなあ、じゃあちょっと休憩しようか」

 

「……そうしてくれると助かるよ」

 

 そう言っていつきが力を抜くと、幹比古も力が抜け、床に座り込む。軽く20分以上全力で魔法を使い続け、全速力で駆けまわった。汗だくだし、呼吸もそろそろ限界だ。

 

「はい、これ」

 

「ありがと」

 

 いつきから、タブレット端末とスポーツドリンクを渡される。幹比古はスポーツドリンクをがぶ飲みしながら、端末を操作した。

 

 そうして映し出されたのは、先ほどの訓練の様子。カメラで録画して、後で見返せるようになっているのだ。

 

「最初の方に比べたらだいぶ良くなってると思うよ」

 

「だといいんだけどね」

 

 普段はここまで激しくはないが、たまに二人は、こうして一緒に魔法の練習を行っている。もっぱらスランプな幹比古にいつきが指導するという形だが。

 

 映像に映っているのは、幹比古が無様に敗北を重ねる姿だ。こう見えても、いつきの言う通り、最初のころに比べたらだいぶ改善している。当初の実技は二科生のクラス内でも下の方だったが、ここ三週間ほどで、一気に上位へと躍り出るほどだ。

 

 今やった鬼ごっこも、後半ほど疲れてくるはずなのに、魔法準備から行使までの動きがだいぶスムーズになり、行使速度も上がってきている。いつきが常に追いつかれないギリギリを保ってくるので、必死に追いかけるうちに、勝手に速度が上がってきたのだ。

 

「うーん、でもなあ」

 

 幹比古は手元で小さな精霊魔法を行使する。それなりに急いでやったが、その速度は古式魔法としてもだいぶ遅い。どちらもまだ二科生レベルであることには変わりないが、鬼ごっこ後半と比べたら雲泥の差だ。

 

「スランプの原因は、体調とか体質じゃなくて、やっぱ精神的な部分が強いと思うんだよね。実際、疲れてきて必死になったら、あれこれ考えなくなるから、いい感じになってきてるよ」

 

「やっぱそうなのかなあ」

 

 すでに自分のスランプのきっかけは、いつきとあずさには話している。吉田家の秘儀なので詳しいことは話せないが、「神」と呼んでる巨大な現象の精霊をその身に降ろしたもののそこからコントロールできなくなった魔法事故、ぐらいは説明してあるのだ。

 

『コントロールできなくなって、どうなったんですか?』

 

『なんていうか、こう……神から干渉を受けて、サイオンが枯渇して……うまく言えないんですけど、それ以来、魔法を使う時に、ずっと違和感を感じるようになったんです。こう、前は感覚的に簡単にできたのに、今はどうやってもスムーズにできないというか』

 

 あずさが先輩風を吹かせてアドバイスをしようとしたものの、こう見えてスランプを魔法面で経験していない彼女は何も言えなかった。結局、一般論として、「イップス」なるものに近いかもしれない、という、とっくに幹比古がエリカから示されている可能性の一つを絞り出すのがせいぜいだった。

 

 とはいえあくまでもイップスは身体の動きに関する症状だ。古式魔法は現代魔法に比べたら身体技能的な部分は多いが、だからといって当てはまるわけではない。

 

 そういうわけで、龍神からの干渉によって体に何か変化が起きたのかとも思ったが、それも違う。

 

 そんな八方塞もあって精神的に参っていたところに、いつきが、こうして、改善の可能性を示してくれたのだ。

 

 とはいえそれも、ほんの少し兆しが見える、という程度に過ぎない。明るい未来が見えてきたとは到底思えないし、ましてや、かつて神童と呼ばれた技量が復活するとは、想像すらもできない状況だ。

 

「まあ、とりあえず今のを続けていって悪いことにはならないと思うから、なんか見つかるまではこれを続けてみようか」

 

「そうだね。股間を触るのだけはやめてほしいけど」

 

 必死になって覚醒するかもしれないが、色々縮こまって悪化する可能性の方が大きい気がする。

 

 そんな他愛のない話をしていると――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠くの方で、何かが爆発し、重苦しく瓦礫が崩れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ!?」

 

 幹比古は少し疲れが取れたこともあって、即座に立ち上がってCADと呪符を構える。その反応速度は、かつて神童と呼ばれた面影があったが、本人が気づくことはない。

 

「なんだろう、トラックが学校に突っ込んだのかな」

 

「そんなことあるかなあ?」

 

 一方、いつきの反応は落ち着いている。

 

 ありえそうな原因を探ってみるが、どうにも思いつかない。

 

「とりあえず、行ってみよっか」

 

「そうだね」

 

 そうして二人は、実技室を、片付けもせずに駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 想像だにしない世界になっていた。

 

 校内にはガスマスクやヘルメットをした怪しい奴らが跋扈していて、破壊活動をしている。

 

「これは何!?」

 

「多分、反魔法師テロリストかな?」

 

 幹比古が混乱する横で、いつきは何のためらいもなくCADを操作する。すると、侵入者が持っていた武器がひとりでに宙に浮いて、その持ち主の頭をしたたかに打ち付けた。

 

「とりあえず、身の安全のために、戦うよ!」

 

「ちょ、こういう場合は逃げるもんじゃないの!?」

 

「幹比古君は避難してていいよ!」

 

 制止する幹比古にそう言い残して、いつきは魔法による猛スピードで武装集団のど真ん中に着地し、舞い上がった砂利をそのままシームレスにけしかけて攻撃する。幹比古はしばし唖然とするが、いつきを一人にするわけにもいかず、そこに参戦する。

 

 幸い、武装集団は素人そのものだ。疲労はあれど、肉体的なスランプは全くない幹比古は、魔法を併用しつつ、主に格闘戦で賊を次々と無力化していく。

 

「自主練中でよかったね!」

 

「本当それ!」

 

 幹比古が気持ちを高ぶらせるために放ったジョークに、いつきがいつもよりもだいぶ少年っぽい笑みを浮かべながら返事をする。普段特別な役割を持つ生徒以外は、CADを職員室に預けている。一方で魔法練習には自前のCADが一番であり、事前に申請すれば、実技棟などの指定された場所限定で携帯可能なのである。

 

 今回はたまたまこの事件に自主練習が重なって、CADを持った状態で戦闘に参加できた。

 

「よーしいっちょやったるわよ! ――って、ミキ!? それにいつきも!?」

 

「お先に失礼してるよ!」

 

「うお、なんだ!? クラスメイトと中学生が一緒に戦ってる!?」

 

 そうして戦っていると、エリカと、彼女と仲良くなったらしいクラスメイトのレオが、自分たちが来た方向と同じく、実技棟から現れた。CADを持っていることから察するに、二人も討論会に興味が無くて自主練習していたのだろう。レオは幹比古ともいつきとも親しくないので、二科生一年生と見た目中学生の女の子が真っ先に戦場のど真ん中で戦っているという異常な光景に、混乱しているようだった。

 

 エリカとレオの参戦で、こちらに天秤が傾いた。元々敵は数だけだったので、こちらの戦力が単純計算で倍になれば、一気に楽になる。

 

「くそ、一年坊め!」

 

 それゆえに油断があったのか、幹比古は背後からの攻撃に気づくのに遅れた。かつてはこんな攻撃どうってことなかったが、スランプ故に魔法が間に合わない。

 

「おっと、大丈夫?」

 

 だが、少し離れた場所から、いつきが魔法で助けてくれた。金属バットを振り上げていた腕に泥の塊が高速で激突し、振り下ろす軌道がズレて、幹比古が立っているすぐ横の地面に打ち付けられた。

 

「――ありがとう!」

 

 自分が情けない。幹比古は暴れだしたい気持ちを敵への反撃として出力しながら叫ぶ。今の勢いで殴られたら、良くても腕の骨折は免れなかった。そうなれば一気に数で囲まれて戦闘不能、悪ければ死んでいただろう。

 

(集中だ!)

 

 相手が数だけであろうと、心の準備をしてきた武装集団だ。対してこちらは、急に対応することになった素人。油断している暇はない。

 

 頭がカッと熱くなり、それでいて思考は冷静で、視野が広がる。しばらく戦っていたことで、戦闘のギアがようやく上がってきたのだ。

 

 懐から呪符を二枚取り出して放り投げる。一枚の呪符で周囲の賊に水がまとわりつき、もう一枚の呪符から少し遅れて放たれた雷撃が意識を刈り取る。これぐらいの水で電気が通りやすくなるわけではないが、まとわりついた水はゴーグルやガスマスクの視界を防ぎ、雷撃への反応を遅らせた。

 

 今の幹比古では、この雷撃魔法『雷童子』をただ使うと、遅すぎて相手に悟られる。自分の今の実力を考慮したうえでとっさに考えた作戦だった。

 

「――ねえ、幹比古君」

 

「なんだい?」

 

「変だと思わない? 外で暴れるだけなんて。これじゃあ何の意味もないと思うんだけど」

 

 確かに。

 

 反魔法師団体と仮定しても、こうして侵入して校庭で暴れるだけ、というのは変な話だ。しかも見てみると、中には二科生の先輩らしき人物が相当数混ざっている。彼らが手引きしたのだろうが、ここまで周到となると、ただ暴力を振るうだけが目的とは思えない。

 

「例えばここが陽動で、校内の機密情報を盗みに来た、とか?」

 

 古式魔法の世界は、諜報分野でも未だ一線級だ。血なまぐさいことから離れている吉田家とはいえ、その手の修行も欠かさない。この発想に至るのは自然だった。

 

「――だったら、図書館とかが本命だよ! 急がないと!」

 

「うわ、ちょっと危ないって!」

 

 言うや否や、戦闘中の幹比古の腕を掴んで、いつきが魔法を使って高速で駆けだす。

 

「千葉さんとイケメン外人さん! ここは任せたよ!」

 

「りょーかい! もしかしたらアタシもそっちいくかも!」

 

「ついでに自己紹介済ませておくと、オレは外人じゃなくてハーフとクォーターの息子だぜ! 男前なのは認めるけどよ!」

 

 いつきの残した言葉に、二人はそれぞれの思惑が絡んだ返事を叫びながら、目の前の敵をまた一人気絶させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎゃああああ!」

 

「が、ごっ――!」

 

 図書館内は地獄絵図となった。

 

 警備員も常駐していたはずだが、どうやら「本命」が来ていたらしく、ほぼ無力化されかけている。

 

 だが、地獄を生み出したのは、侵入者たちではない。むしろ彼らは、地獄の罪人の役割を背負わされていた。

 

「い、いつき? 殺したりしてないよね?」

 

「多分」

 

 移動・加速系を中心とする魔法師は、自身が駆け回る高速戦闘を得意とする都合上、ほどほどに障害物がありつつ開けた場所を好む。その点ではこの図書館は不適だったが、一方で、こうして物がそこかしこにある場所は、「武器」が多数置かれているも同然である。

 

 そうした周囲の「武器」は侵入者たちに高速で襲い掛かる。頭、喉、首、みぞおち、顔面、股間など、急所を的確に打ち抜き、単なる無力化を越えた明確な「暴力」「傷害」になっていた。

 

 その被害者は十は下らない。今倒された者も含め、図書館内のそこかしこで、賊が血を流して倒れている。このまま放置すれば、失血症状が出そうな怪我をしている者までいた。

 

 だが、彼らはまだ幸運だろう。

 

 主力の中の主力と扱われ、虎の子であるアンティナイトを任された賊は悲惨だ。

 

 魔法発動を不可能にするという、魔法師にとっての最悪の道具。それを持つ者は真っ先に狙われ、アンティ・ナイトがついた指輪は、真っ先に破壊された。――それをつけている指や手ごと。

 

 良くて指の一つが骨折。大体が指を粉砕骨折。とくに酷い者は、手首から先が本を運搬するための金属製ラックに潰され、ぺしゃんこになっているほどだ。

 

「うわ、これとかすごい武器だよ」

 

 いつきが拾った、賊の一人が持っていた武器は、短刀に近い脇差。レプリカでは決してなく、ギラギラと鋭い光を放っている。ほんの少し指を滑らせれば、たやすく皮膚が切れるだろう。

 

「思ったよりもはるかに本格的だ」

 

 何個ものアンティ・ナイト、この人数、そして使用している武器。外の連中からは想像もつかないほどに、このテロリストたちは、大規模なもののようだ。考えていたよりも自分が飛び込んだ世界がはるかに危険なものだったことに驚き、幹比古は恐怖で少し身震いした。

 

 だが、いつきはそんな幹比古を一瞥すると、脇差の刃を魔法で潰したうえで乱雑に放り投げ、閲覧室へと向かう。その可愛らしい顔には、いつもの天真爛漫な笑みや、つまらなさそうな拗ねたような子供っぽい表情はない。真剣そのものだ。

 

 この閲覧室が間違いなく本命である。割れたガラスの破片をこっそり入り口に置いて、鏡のようにして反射で中を覗く。人数は四人。一人はどこかで見覚えがある、美人な先輩だ。何やら情報を盗むために作業中らしく、全員こちらに背を向けている。あの美人の先輩は見張りのはずだろうが、集中できている様子はない。

 

(ここは僕に任せて)

 

 速度が求められない奇襲なら、スランプでも関係ない。古式魔法師の領域だ。

 

 幹比古は隠密性重視で精霊魔法を三つ準備する。

 

 一つ目は、入り口の反対側、部屋の奥で爆音を鳴らす魔法。

 

 二つ目は、背後から雷撃を当てる魔法。

 

 そして三つ目が、侵入する自分たちの足音を消す魔法だ。

 

 古式魔法は速度と安定性と汎用性で現代魔法に劣るが、威力と隠密性では勝る。このような場面に、最適の魔法であった。

 

 爆音が鳴り響き、そちらに意識が向いた直後に雷撃。ほとんどの賊には直撃して意識を刈り取ったが、あの美人の先輩だけは反応速度がすさまじくて回避された。

 

 だが、足音を消して駆け込んだ二人に気づくのが遅れ、いつきの先制魔法を、アンティナイトをつけた綺麗な手に直撃でくらってしまう。皮肉にも、それは仲間が持ってきていてつい先ほど雷撃を食らって手放した、大きめのサイズのハンマーだった。

 

「ここが本命で当たりだったみたいですね」

 

 手をいきなり大きなハンマーでしたたかに潰され、苦悶する紗耶香。それに対していつきは悠然と近づいて、可愛らしい顔に笑みを浮かべながら話しかける。倒れている賊が万が一起きた時のために武装解除して拘束する役割をこなす幹比古は、その姿に、妙な迫力を感じた。

 

「…………中条さん?」

 

「正解か不正解か迷いますね。ボクは弟の方です」

 

「…………そう」

 

 跪いて苦しむ長身の美少女・紗耶香と、中学生の女の子のような見た目のいつき。見た目とは逆に、両者の差は歴然だ。

 

 片や、二年生主席兼生徒会役員であるエリート街道を突き進むあずさの弟で一年生次席。片や、テロリストに与した結果こうして失敗した二科生の先輩。

 

 いくら身長差があると言えど、今の状況と、姿勢と、実力。その全てで、いつきの方が視点が高い。

 

 傍から見た幹比古ですらそう見えるのだから――紗耶香は、より強く感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――見下されていると。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたも、あなたも私たちをバカにするの!? 私たちの気持ちなんて、一科生には分からないのに!」

 

 剣道小町ともてはやされた。だが実際は決勝戦という一番目立つ舞台で負けた敗北者。誇りある栄光の一方で、最大の挫折でもあった。

 

 そして魔法科高校に入学してからは、魔法の才能がなく、二科生から抜け出せる気配は全くない。そして入学直後の摩利との会話もあって、コンプレックスが募る日々。

 

 同級生には、頼りなさそうな、小さな女の子がいた。

 

 彼女は理論も実技も入学時首席で、今は実技こそ次席になったものの、総合首席は譲っていない。それでいて彼女は、心優しく、傲慢にもならず、周囲から慕われていた。お互いさほど関わりはないが、彼女と自分の、あらゆる面での差を感じた。

 

 そして今はその弟であり同じエリートの一科生が、こうして自分を見下している。

 

 激情の炎に憎しみと悔しさと嫉妬の薪をくべて、紗耶香は立ち上がり、剣を構える。手が潰された。それがどうかしたか。片手でも、素人ごとき、倒して見せる。

 

「シッ!」

 

 鋭く呼吸を吐き出して斬りかかる。常人には反応できない速度だ。

 

 だがいつきは、少し焦ったような顔をしながらも、紙一重でバックして避けて、逆に紗耶香の後頭部へと周囲に散らばった重い本を殺到させる。だが、紗耶香はそれを読んで回避し、その直線上にいるいつきを自爆させようとした。

 

 しかし、いつきはそれを障壁魔法で撃ち落とすと、その本を再利用して今度は四方八方に散らして紗耶香に襲い掛からせた。たまらず彼女は駆け出し本棚の陰に隠れて防御しようとするが、鋭い動きで速度を緩めず迂回した本たちに襲われて倒れる。

 

「曲がって1.5メートル!」

 

 幹比古がいつきに叫ぶ。いつき視点で死角になっている紗耶香の位置を、魔法で探知して教えたのだ。いつの間にか、探知魔法を閲覧室にばら撒いていたらしい。エンブレムを見た限り二科生のようだが、自分なんかよりもはるかに優秀だ。

 

「ありがと!」

 

 いつきの反応も鋭い。魔法で高速移動して、紗耶香が転がる場所へと寸分たがわず飛び込み、その顎へと追撃の蹴りを入れる。その威力は小さな体から放たれたとは思えないほどに強く――紗耶香の意識を刈り取った。

 

「よし、これで片付いたかな?」

 

 いつきの声はいつも通りのトーンだ。そして、棚の影から現れた顔も、いつもの可愛らしい笑顔。だが、片手で乱暴に紗耶香の襟首をつかんで引きずる様は、それとは対照的で、幹比古は「おつかれ」と言いながら、顔をひきつらせた。

 

「お待たせ! ってあれ? ありゃりゃ、もう終わりかあ」

 

「これは……中条先輩と、吉田?」

 

「あれは私のクラスメイトの中条いつき君ですよ、お兄様」

 

 そして、直後に、エリカと達也と深雪が現れる。エリカは大怪我を負って引きずられている紗耶香を見て、悔しそうな顔をしながらも、軽い調子を装う。達也は怪訝そうに眉をひそめ、深雪は兄へと耳打ちをした。

 

「千葉さんと、司波さんと……司波さんのお兄ちゃん? まあいいや。こんな具合で、たった今終わったところだよ?」

 

 いつきが、満面の笑みを浮かべて、自らの仕事を誇るようにピースサインをする。

 

 その様は、まさしく天使。深雪と言う女神に慣れていても、見惚れてしまうほどである。

 

 だが、幹比古たちは、別の意味で、目が離せなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――そんな笑顔を浮かべる彼の服は、賊たちの血で汚れていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー!」

 

「ちょ、いつき、マジでやめようって!」

 

 深刻な話し合いが進行する保健室。

 

 そこに、いきなり騒がしい闖入者が現れた。

 

 ノックもせずにドアを開けてズンズン入り込むいつきと、困った顔で止めようとしても止められない幹比古だ。他はそれを見て目を丸くしているが、エリカだけは微妙に見慣れた光景のため噴き出してしまった。自分もいつきみたいに彼に迷惑をかけているという自覚を十分お持ちなのである。直すつもりはさらさらないが。

 

「テロリストのアジトに突入するんだって? ボクたちも混ぜてよ!」

 

「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」」

 

 天真爛漫な天使を笑みを浮かべて、物騒な要求をするいつき。いつきの無礼を止められず、主に揃い踏みの三巨頭に恐怖して謝罪する幹比古。先ほどボコボコにされたトラウマが蘇ってうわごとのように謝罪を始める紗耶香。図書館とは質の違う地獄が一瞬で出来上がった。

 

「い、いつき君?」

 

「そうか、中条の弟か」

 

「校庭と図書館の立役者、だな」

 

 真由美が驚きで思考停止しているのに対して、摩利と克人は即座に状況を飲み込み始める。真由美に比べて、ヤンチャ者の対応は慣れたものと言えよう。

 

 いつきと幹比古の働きは、達也たちの証言により伝わっている。校内の事件解決に立役者は、間違いなくこの二人だ。

 

 そんな彼らが、今ここで固まった、テロリストアジトへの突入作戦に、参加したがっている。

 

「中条。一つ忠告しておく。これは遊びではない。今から行われるのは、ある種の戦争だ」

 

 克人は、いつきの様子に、覚悟の無さを読み取った。一緒に遊びに連れて行って、とおねだりする幼子のような笑みでそんな要求をされたのだ。断らざるを得ない。

 

「分かってますよ。誰が最前線で戦ったと思ってるんですか?」

 

「ねえ、あーちゃんの弟君、話に聞いてたより100倍ぐらいヤンチャじゃない?」

 

「姉弟って似ないものだなあ」

 

 巌のように威圧感のある巨漢・克人に睨まれても、いつきはその小さな体で一歩も引かず、笑顔を浮かべたまま、真正面から挑みかかる。真由美と摩利はその姿を見て、あずさのブラコンぶりを思い出した。恐らく、可愛い弟フィルターがかかっていたのだろう、と。

 

「断るわけにはいきませんよね? 司波君や、千葉さんや、えーっと…‥」

 

「西城レオンハルトだ。気安くレオって呼んでくれ」

 

「レオ君が参加していいんですよね? じゃあ――入試次席のボクが、参加しちゃダメな理由はありません」

 

 その言葉に、紗耶香が目を見開く。摩利との誤解が解けたとはいえ、未だコンプレックスから抜け出しきれてはおらず、また「見下された」記憶も新しい。自分の成績を振りかざし、二科生を下に見る発言に、頭に血が上る。

 

 だが、怒りで睨もうとして、気づいた。その顔に、人を見下す雰囲気が、一切見られない。

 

 怒りが、スッ、と収まる。

 

 冷静になった紗耶香にはわかった。いつきは彼らを見下しているわけではない。ただ、この突入に参加するために、成績と言う分かりやすい指標を振りかざしただけなのだ。自分たちがあれほど悩んだ一科・二科の壁は、いつきにとっては、こうして説得に使う程度のものでしかない、ということである。

 

 見下されるような発言をされた達也たち含め、この場の全員が、それを読み取っていた。

 

「腕の方も問題ないでしょう」

 

「なんてったって、図書館のヒーロー君だからね」

 

 そしていつきの能力についても、達也とエリカのお墨付きだ。もはや、断る理由はない。

 

 ただそれでも、克人は、どうしても、聞きたいことがあった。

 

「では、お前が、この突入に参加する理由はなんだ?」

 

 克人はあずさからブラコン語りを聞いていたわけではないため混乱はしない。先輩である自分――見た目が怖いことの自覚はない――相手に一歩も引かないいつきの胆力に、感心していた。

 

 ただ疑問なのは、いつきの行動原理だ。彼は、自分が興味ないことにはてんで関わりたがらないという話は、あずさ自身から聞いたのだ。そして実際、生徒会も部活動も風紀委員も全て断った。クラスメイトからの誘いも断り、見た目と能力に惹かれたアヤしい趣味を持つ女子たちからの誘いも断り、二科生の幹比古とよくつるんでいる。あずさの言う通りだった。

 

 だからこそ、ここまでこの件に積極的なのが不可解なのである。校内のことはまだしも、ここから先は、もう彼に関係のない話だ。

 

「そんなの、決まってるでしょう?」

 

 いつきは明るい笑みを浮かべたまま、胸を張って、克人を真っすぐ睨んで、宣言する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつらはここを襲って、あずさお姉ちゃんを怖がらせたんだ。見逃してやるわけがないでしょ。お姉ちゃんは、ボクが守るんだからさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「入試筆記の主席と次席がどっちもシスコンってマジ?」

 

「オレたちの学年、変な噂立ちそうだな」

 

 静まり返った保健室には、エリカとレオのこそこそ話が実によく響いて、緊張感が完全に霧散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔しまーす!」

 

 この天使の第一声が廃工場に響き渡ってから、そこは図書館以上の地獄に変わった。

 

 廃工場は、図書館よりも物に溢れている。その中には、コンクリートや鉄骨など、重くて硬い危険なものが多くある。それら全てが四方八方から襲い掛かってくるのだから、素人の延長線上でしかないテロリストたちにとってはひとたまりもない。

 

 ある者は頭から血を流して、ある者は両手首から先が潰されて、大きな瓦礫にはさまれて動けなくなり痛みにあえぎ、ある者は腕があらぬ方向に曲がって悶え、ある者は喉に高速で小石をぶつけられて潰されて呻く。現代の治療技術ならここから死ぬことはない重傷だが、第三次世界大戦前の水準なら重体。そんなレベルだ。

 

 この地獄を生み出したのが、例えば克人や達也のような見た目の鬼や、怒りのオーラが漏れた桐原のような修羅だったら、まだ良かっただろう。

 

 だが、これを生み出したのは、小さくて可愛らしい、たった一人の天使・中条いつきだった。

 

「幹比古君、あと他にはいそう?」

 

 その天使による「神罰」を侵入の際にサポートした幹比古は、侵入時から広げていた探知の網を、とっくに閉じている。

 

「司波と桐原先輩が収めてくれたようだ。もう全員無力化したよ」

 

 達也と深雪が放った、恐ろし気な魔法。

 

 幸か不幸か、人の気配を探る魔法のみの探知しかしていなかった幹比古は、それを知ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――彼は後に、この廃工場に現れた天使よりも、実は一緒にいた他の仲間の方がはるかに恐ろしいことを、少しずつ知ることになる。

 

 だが、幹比古の動乱の4月は、ひとまず、これをもって幕を閉じることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バシィン!

 

 生徒会室に、激しい音が響き渡る。

 

 度重なる戦闘と帰りの車の揺れですっかりお疲れモードの幹比古は先に帰った。エリカとレオも同じだ。桐原は紗耶香と話しに保健室に向かった。

 

 達也と深雪と克人と摩利は、事後処理の話をするために、密談の場となっているクロス・フィールド第二部室へ。そして、真由美と、そして彼女に付き添われたいつきは、生徒会室に向かっていた。

 

「いっくんのバカ!」

 

 部屋に入ったいつきを見るや否や、その可愛い顔に小さな手でフルスイングのビンタを叩き込んだあずさは、そのままいつきを押し倒す勢いで抱き着く。

 

「一人で危ないことして! 心配したんだから!」

 

 頬が赤く腫れたいつきが困った顔をする中、彼の胸に顔をうずめて、あずさは大泣きしながら叫ぶ。

 

「ずっと、ずっと、いっくんのことが心配で! 避難した人たちに、いっくんがどこにもいなくて! 慌てて戻ってきたら、学校の中で戦って、テロリストのアジトに突入してたって! なんでそんな危ないことしたの!?」

 

 顔を上げ、いつきの顔を至近距離から睨む。その大きな眼からは、大粒の涙がボロボロとこぼれている。たった今泣き始めたわけではない。ずっと泣いていたのだろう。目の周りが酷く腫れていた。

 

「ごめん、あずさお姉ちゃん……」

 

 先ほどまでの威勢が嘘みたいに、いつきは細い声でそう言って、あずさを抱きしめる。

 

「あずさお姉ちゃんが危ない目に遭ったんだと思うと、我慢できなくて、許せなくて……お姉ちゃんを、守るって、約束したから」

 

「いっくんが怪我しちゃったら意味ないじゃん!? いっくんがいなかったら、私は、もう、っ……!」

 

 いつきの言葉を遮り、あずさが彼をゆすりながら叫ぶ。そしてついに言葉を詰まらせて、また胸に顔をうずめて大泣きし始めた。

 

「バカ、いっくんのバカ、大バカっ……!」

 

 生徒会室に、あずさの、愛情と怒りと安心感が籠った叫びと泣き声が木霊する。そんな彼女を、いつきは、ふわりと抱きしめて、ただ優しく、頭を撫でてあげるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女房かあんたは」

 

 密室でこんな状況に放り込まれ、「自分は壁」と暗示して心を閉ざしていた真由美は、ついに我慢できずに、小さく呟いた。




4-1のご感想にてあずさが泣いてた理由を予想してた方もいらっしゃいましたね
正解は「エヴァにだけは乗らんといてって言ったやないですか!」でした
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