最初に提案をしたのは5月半ばだったが、いざ行くとなると、主に吉田家側の制約のせいで、6月半ばになってしまった。
それはともかく、いつきとあずさは、こうして千葉県の吉田家私塾にお呼ばれすることとなった。
「古式魔法の私塾っていうからもっと宗教色豊かだと思ったんですけど、結構現代的なんですね」
「うちは割と新しいことをどんどん取り入れるタイプですからね。伝統的なところだと、それこそ歴史的建造物も同然、みたいなところもありますね」
現代では珍しい和風の家だが、ところどころに洋風の便利な要素が取り入れられている。どこの和風の家でも取り入れられている電灯や冷暖房や家電はもちろんのこと、家の中を掃除するオートメーションロボットも一般家庭並みにしっかり働いている。長い廊下を雑巾がけするのも修行の一環、のような、ステレオタイプめいたイメージを抱いていたあずさは、それを見て少し驚いていた。
「お父さんとかに挨拶しなくていいの?」
「別にいいんじゃない? ちょっと蔵書室に行くだけだし」
吉田家は古式魔法の名家で、それなりに古い家系でもあるのだが、「由緒正しい」「伝統的な」という形容詞は当てはまらない。吉田の名で神道系となると、当然その筋のトップである吉田神道が思い浮かぶが、あいにくながら偶然一致しただけで、雨ごいなどをしていた田舎の拝み屋がたまたま能力があって現代まで残ったに過ぎない。それゆえか雑草根性めいたものもあり、様々な宗教・宗派の要素を取り込んでいる。
そういうわけで、一般家庭に比べたらそうした「筋を通す」ようなことにはうるさいものの、古式魔法の一族としては格段に緩い。幹比古も気軽なもので、特に家族や門下生に、友達と先輩が来る、とすら伝えてないのである。
そうして案内されたのは蔵書室だ。所狭しと古書が並んでいる。
「あら、幹比古様、可愛らしいお友達ですね。後輩ですか?」
中に入るや否や、本を読んでいたらしい弟子の一人である女性がにこやかに笑いながら話しかけてきた。あずさたちは知らないが、幹比古が友達を連れてくるというのは珍しい。エリカはしょっちゅう連れてきているため、幹比古本人の初心さの割には「女を連れてくる」ことは珍しいと思われていないのが皮肉である。
「違いますよ。こっちは同級生で、こちらはそのお姉さんで先輩です」
「あら、これは失礼いたしました」
「中条いつきです!」
「ほ、本日はお邪魔してます。あずさと申します」
いつきは元気よく、あずさは人見知りの気があってやや緊張しながら礼儀正しく、自己紹介する。女性から見て、今の様子を見てなおさら年下に感じたが、それ以上は何も言わなかった。
そんな和やかなやり取りを挟んだのち、さらに奥へと案内され、たどり着いたのは、物の怪、妖怪、鬼、霊、など、おどろおどろしい言葉が書かれた本が並ぶ場所だ。古書が並ぶ蔵書室というシチュエーションとその字面のせいで、あずさがややおびえて、いつきの服の裾を小さくつまんでいる。幹比古は優しさで気づかないふりをしてあげた。
二人は腰掛けるよう案内され、幹比古が二つ三つ、比較的新しい雰囲気の本を見繕って持ってくる。明らかに古めかしいものに比べて、こちらは比較的最近に編纂された、機密性の低いものなのだろう。
「さて、とりあえず、僕たちの間の仮説では、『パラサイトは精神情報のイデアにいる精霊みたいな存在』ということになっていますね」
「そうだね」
いつきが相槌を打つ間に幹比古が開いたのは、古めかしく抽象的な言葉が並んだページだ。
「これは、過去の記録を元に吉田家が作成した、パラサイト本体へ有効とされる魔法をまとめたものです」
つまりこの抽象的な言葉は、全部その魔法の名前なのだろう。現代魔法も、『梓弓』しかり、それなりに「イカした」名前を付けることは多いが、古式魔法もまた同じようだ。
「パラサイトのような化け物との接触事例は、時代が進むごとに、加速度的に減っています。かつては、それこそ昔話や伝説として残っているように、多くの事例があったみたいですね。その大抵は迷信や勘違いだったわけですが、それを差し引いても、現代に比べたら圧倒的に多かったはずです」
つまり、古いものは記録こそ多いが今の尺度では分からないことや信用できない部分が多く、逆に時代が近いほどわかりやすく信頼性は高いが数が減っていく、ということだ。ままならないものである。
これは、そうした貴重な情報をまとめたもので、機密性が低いという割には、あずさから見て、とても重大な情報に思えた。
「吉田家も、精霊・神霊以外との接触は、ここ50年はてんでないですね。一番新しい記録は……イギリスの『魔女』ですね」
魔法師の女性は、かつては「魔女」と呼ばれていた。しかしながらこの魔女という言葉はとにかく悪いイメージが大きすぎるし、ついでに男女で呼び方を分けないほうが良いとする社会風習の中で、従来使われていた「魔法使い」というオカルティックな言葉を排除する風潮と重なる形で「魔法師」に統合された。
そしてわざわざこの現代で「魔女」と表現するということは、魔法師とは違う明らかに異質な、女性型の何かが現れた、ということだろう。
「CADを使わずに魔法を十全に扱う女性の超能力者が村に突然現れて、人を襲い始めたそうです。秘密裏の内にあちらの古式魔法師が仕留めて、犠牲者は少数で済んだみたいですね。これは32年前の話です。最新ですらこんな古い話なんですね」
こうした歴史に基づく研究は幹比古自身もまだしていないようで、少し驚いた雰囲気だ。
そしてその説明に書かれた魔法は、『悪魔祓い』と名前が付けられている。実にイギリスらしい名前だが、あくまでも「精霊魔法の一種で、物質的なものを対象とするのではなく、この世ならざるものをを対象とした攻撃魔法」、という説明が小さな文字で記されている。
「こんな感じで、パラサイト本体に対する攻撃は、系統魔法では無理なんですね。だから古式魔法師たちは、多かれ少なかれ、それぞれの一族で、こうして妖魔の類に対する攻撃方法を研究して準備しているんです」
「幹比古君もなんかできるの?」
「一応ね。燃焼の情報を持った精霊を喚起して、そういう存在に「燃えてる」って情報を植え付けるんだ。まあ、当然パラサイトとあったことないわけだから、効果があるかは自分で試せていないけど……精霊には効いたから、僕らの仮説が正しければ、パラサイトにも効くんじゃないかな?」
「せ、精霊にも効いた、ってことは……」
「はい、試しましたよ。というか、この世ならざる化け物との戦いに備えて、なんて大義名分を持って研究していますけど、実際のところは精霊魔法を使う古式魔法師同士の戦いを想定していますね。相手が使おうとした精霊に攻撃を加えて妨害する、という形でそのまま転用できますから」
「じゃあやろうと思えばパラサイトを喚起して直接操ったりできるわけ?」
「まあ、精霊ぐらいパラサイトがそこら中にいる、地獄みたいな世界だったら、それができるぐらい研究は進んでいたかもね」
いつきの無理難題めいた質問に、幹比古は苦笑する。
「そんな感じで、繰り返しになりますが、現代魔法の尺度では、パラサイトに攻撃するのは無理でしょうね。パラサイトについての僕らの仮説が正しかったとしても同じです」
魔法式はあくまで物質的な情報を改変するものだ。確かにそれでは、いくら攻撃したって意味ないだろう。憑りつかれてしまった化け物を倒すのには有効に違いないのだが。
「情報粒子のサイオンで攻撃するのは可能ですか?」
「うーん…………吉田家が把握する限りでは、可能かもしれない、程度ですね。サイオンに攻撃・加害の意志を全力で籠めて当てればそれなりの攻撃になる、として修業している古式魔法師もいるみたいですけど。僕らが持つ情報では、確定ではありません」
そこまで話して、幹比古に知識の連想が働く。
「そう、それと、パラサイト本体は、常に『妖気』と呼ばれる波動みたいなのを放っているんですよ。これを浴びると常人はすぐ倒れますし、抵抗力のある魔法師でも体調は崩すし、感受性の強い魔法師だったらもっと危険なことになるかもしれませんね。そしてこの『妖気』を明確に向けて攻撃してくることもあるそうです」
「それって…………もしかしてプシオン?」
「ビンゴ。僕たちの仮説が正しければ、パラサイトが放つ『妖気』は、悪意を持ったプシオンだ。そして常に漏れ出ているがゆえに、物質を介して、プシオンである『精気』を補給する必要があるんだろうね」
こうして分かっている要素を埋めていくほど、「精神版イデアに住む精霊のようなもの」であるという仮説が、説得力を増してくる。色々なものがプシオンと言う未だ未知の情報粒子であるとすれば、全部説明がつくのだ。
「ということは、やっぱり、サイオンやプシオンで攻撃するのは可能なんですね」
パラサイト本体がプシオンで、それらを使った攻撃方法も存在する。現代魔法師でも、それを真似すれば、精霊魔法が使えなかろうと、攻撃手段になる可能性が高い。
「あー、じゃあ精神干渉系魔法で攻撃できる、っていうのも、多分正しいね」
「そう、それを今日は調べに来たんだ。見てほしいのはこれ」
幹比古がパラパラとページをめくり、スムーズにあるページを開く。一か月ほど前に約束をしてから、このページだけ下調べしておいたのだろう。
記録は10世紀の日本。平安京のとある屋敷に物の怪が現れ、それを祓った話だ。この手の話自体は『宇治拾遺物語』などのように、物語として伝わっているが、この記録は当時の正式文書における文体であった漢文で書かれている。つまりは、伝説などの類ではなく、実際に起きたこと、ということだろう。
頭に角の生えた鬼が現れ、陰陽師が祓った。ありふれた内容だが、注目するべきはその祓った方法だ。
本来、伝統的な方法だと、物の怪を童に憑りつかせて、そこから調伏する。だが、この話は違う。
陰陽師が何やら術を唱えると、鬼が倒れ、そしてその直後に素早く陰陽師が腕を振るうと、倒れた鬼の少し上で不気味な光が現れた。
その光はすぐに消え、陰陽師は「祓った」と息を抜いて、そのまま家に帰っていった。残された鬼の遺体を調べてみると、頭が異様に変形した、この屋敷の下人であった。
後日この陰陽師に鬼の正体を聞いてみると、「物の怪が人に憑りついて鬼になった姿だ。体から追い払って物の怪のみになったところを、激しい痛みを与える術をかけて祓った」と答えたという。
「これ、どう思う?」
記録の出典は、伝統的な陰陽師の家系に伝わる日記だ。その家は現在もそれなりの勢力を誇る古式魔法の一族である。よく見る古文の物語とは一線を画す内容と信頼度と言えよう。
「痛みを与える……これが、精神干渉系魔法、ってことですか?」
いつきは驚きが隠せないようで、大きな眼を丸くして固まっている。彼に比べたら驚きが少ないあずさが、幹比古の言いたいことを確認した。
「僕はそう思っています。インデックスにも載ってないし、吉田家が知る限りでもこんな魔法はありません。体に痛みを与える魔法はいくらでもありますが、物の怪……パラサイト本体に、しかもそれを祓うほどの痛みを与える魔法なんて、どんな仕組みなのかすら分からないんですよ」
「……それで、精神に直接『痛み』を植え付ける精神干渉系魔法、て考えた、と?」
「そういうことです。で、お二人から見てどう思いますか?」
いつきは記録をまじまじと見て固まったままだ。驚きから完全に抜け出せておらず珍しく言葉は出ないが、もう何か考えられる程度には抜け出せて入るらしい。
「いっくんはどう思う?」
「…………インデックスには載ってなかったと思う……。この情報を提供した陰陽師の家はなんて?」
「嘘か本当かは分からないけど、失伝したらしいよ。だからこうして余所者である吉田家でも見れるぐらいの情報になってるんだろうね」
もう役に立たないし他の家でもどうせ役に立たないだろうから、ということだ。
「……ボクも、お姉ちゃんが言った仕組みの精神干渉系魔法だと思う。パラサイトが情報生命体だと仮定すると、『痛み』を感じる器官があるわけがない。何かしらの魔法でダメージを与えれば苦しむ様子を見せるかもしれないけど、それは生存本能で抵抗して暴れているだけ、と考えた方がいいかな」
「うん、それならやっぱり、プシオンに直接『痛み』を与える精神干渉系魔法以外、ありえないね」
いつきとあずさの同意を得られた。精神干渉系魔法が得意だという二人が言うのなら、少なくとも自分があれこれ考えるよりかは正しいだろう。
「これで、現代魔法師でもある程度戦えることがわかりましたね。それで…………これを知って、お二人はどうするおつもりで?」
幹比古は声を低くして問う。
考えてみれば、不思議な話だ。
精神のイデアとエイドス、独立情報体・精霊、プシオン、精神干渉系魔法、パラサイト。これらの要素が組み合わされば、二人が興味を覚えるのは分かる。
だが、二人はそこからさらに先、どこか深刻な様子で、「戦う方法」を模索していた。
もし、二人が戦おうとしているならば。その努力は高確率で無駄になるだろう。なにせ、パラサイトは近年めっきり世界中で現れていないのだ。二人が遭遇する確率は低い。
「…………お察しの通り、私たちは、お化け……パラサイトと戦う方法を、考えていました」
「そういうのがいるって知っちゃったら、何か対抗策を考えておかないと、無抵抗でやられるだけになっちゃうからね」
そう、二人は、パラサイトが滅多に現れるものではないと知らないで、その存在に行きついた。戦う方法を探したくなるのも無理のない話だ。元々は二人の旺盛な知識と知性と知的好奇心がその存在の可能性に思い当るきっかけだったのだろうが、知ってしまえば、それはもはや好奇心では済まされず、戦い方を考えざるを得ないだろう。
「今話した通り、滅多に現れるものではありません。僕ら古式魔法師ですら、一生に一度会うか会わないか、ですからね。その点では、安心していいと思いますよ」
あずさはここに来た時に比べて、明らかに安心している様子だ。正体の分からない敵の存在だけを知っていて、その正体も対抗法も定かではない。いつごろからその存在に気づいていたかは分からないが、こんな小さな体で、どれだけの恐怖と不安を抱え込んでいたのだろうか。
「よかった~。これなら安心だね、いっくん」
「うん、そうだね」
力の抜けた笑顔を浮かべるあずさ。
だがそれに対して、いつきは、未だに真剣な表情のままだ。
「ねえ幹比古君。パラサイトって、どうやってこっちに現れると思う?」
質問としては唐突。だが、その内容自体は、至極まっとうだ。
未だ人間が観測する手段を持たない精神のイデア。パラサイトはそこの存在故に、普段は互いにまじりあうことはない。
ならばなぜ、時折現れ、人に害を成すのだろうか。
「……それは分からない。物質世界であるこっち世界に現れたら、物質を介してしか精気を得られない。パラサイトからすると、デメリットしかないはずだ。……もしかしたら、こっちに現れてしまうのは、パラサイトも不本意で……お互いにとって、事故みたいなものなのかもしれないね」
「そっかぁ……じゃあ、これからの長い人生で、遭遇する可能性は、ゼロじゃなさそうだね」
「……?」
いつきの言うことはもっともだ。それなのに、なぜかあずさは首をかしげている。幹比古はまだなんやかんや付き合いが短いので気づいていないが、あずさは、いつきの「生き急ぐような」生き様を知っている。そんな彼の口から、「長い人生」なんて言葉が出るのが、不思議で仕方なかった。彼の生き方に不安を抱いていた彼女としては「考え方が変わった」と喜ぶところなのだろうが、疑問の方が今回は勝ったのである。
「そういうわけで、幹比古君。ボクはこれからも、パラサイトについて色々考えたい。あずさお姉ちゃんはどうする?」
「…………いっくんがやるなら、私もやるよ。いっくんを守るって、決めたから」
(あ、これはもしかして)
幹比古は察した。
二人は至極真面目な表情だが、あずさの言葉をきっかけに、雲行きがだんだん、甘い方向に向かってきている。
案の定、二人はこの後お互いを守るだのどうのこうのと、命を預け合うファンタジー世界のカップルのように、聞いただけで頭痛がするような言葉を、一分ほど囁き合っていた。
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