新人戦二日目。この日はクラウド・ボールの全てと、アイス・ピラーズ・ブレイクの予選が行われる。
この日程については、一高幹部内では地味に悩みの種であった。いつきは魔法力こそ優れるが身体能力がとにかく低い。得意魔法の適性上バトル・ボードは認めるとしても、せめてもう一つはアイス・ピラーズ・ブレイクに出てほしい、とする作戦スタッフ内での案もあった。
ところが、アイス・ピラーズ・ブレイクは二日にわたって行われる競技であり、三日目はバトル・ボードとこの競技の日程が完全に被っている。よって、モノリス・コードに出ないとなったら、いつきの希望が消去法ですんなり通ったのであった。
「いっくん、前半はあまり全力出さないようにね? 大丈夫、前半は運よくあまり有名選手じゃないからっ!」
第一試合の前。コートサイドで調整を終えたあずさがいつきにCADを渡して、その両手を握り、真っすぐ至近距離で見つめながら、最終確認を行う。
あずさは不安だった。クラウド・ボールはスタミナ要素の強い競技で、その上、全ての試合を一日で終えなければならない。自分ほどではないにしろ自分譲りの身体能力であるいつきは、魔法の腕こそ心配ないが、後半のスタミナ切れが心配だ。そしてその不安は、一高全体が考えていることだった。
「大丈夫、心配しないで。力の抜き方や上手な動き方は、桐原先輩や七草先輩から教わったんだから」
心配そうなあずさに、握られた両手を拒むことなく、いつきは可愛らしく笑いかける。
その、いつもの笑顔を見たあずさは――つられて笑みをこぼした。
「うん! じゃあ、いってらっしゃい!」
いつも通りの、可愛くて、お利口で――かっこよくて、頼りになる弟だ。
いつの間にか、あずさの不安は、すっかり吹き飛んでいた。
☆
「本戦と新人戦で違うとはいえ、俺の仇はとってほしいところですねえ」
一高テント内で待機している桐原と真由美と範蔵は、一年生男子期待のエースの第一試合を映すモニターに夢中になっていた。
特に桐原と真由美は、同じ競技に出る先輩として、いつきに特に熱心に指導することになった。正確には、いつきが強すぎたので先輩と練習することになり、面倒を見る機会が多かった、というだけなのだが。
特に桐原は、いつきに対して抱えたものが多い。
今彼が言った通り、彼は実力のわりに本戦で結果が出なかった。三回戦の相手が同じく優勝候補とされた三高の選手であり、今年のこの競技全体を通しても最大の激戦となったのだ。辛くも勝利したがそこで消耗しきった桐原は、決勝リーグまではなんとか出場したものの、そこから二敗して三位にとどまった。いつきを鍛えるにあたり、この後輩があまりにも強かったので、桐原もかなり鍛えられたこともあり、今年は自信があったが、この結果だ。いつきがいなかったら、三回戦で負けていた可能性すらあるだろう。
また、4月のテロ事件のこともある。桐原の想い人で現在の恋人である紗耶香は、校内侵入組の主力であった。いつきはそこに突撃し、紗耶香を倒したのである。それも、他のテロリストに比べて、明らかにボコボコにする形で。剣道小町たる彼女は特に脚と手を大事にしているが、手の方が粉砕骨折までしていた。紗耶香の自業自得なのは確かだが、「そこまでしなくても」というわだかまりは、未だほどけない。
「実力的にはお前が一番だったんだ。そんな悔しがらなくてもいいだろ?」
親友・あずさの弟でそれなりにお世話することになったということもあり、同じくそれなりに気にかけている範蔵が、画面を見ながら桐原を励ます。だが、彼も実力を発揮しきれず、バトル・ボードで二位になった身だ。親友が落ち込み気味だから反射的にそう言っただけで、範蔵自身も未だに悔しがっている。
「そういう組み合わせの妙を抜きして圧倒的力で優勝するのが、本当の優勝ってやつだぜ、範蔵。七草先輩みたいにな」
「あら嬉しい。褒めても何も出ないわよ?」
「何も出なくてもあれは褒めるしかないですよ」
尊敬半分、呆れ半分の範蔵の声。真由美は「やあねえ、人のことを化け物みたいに言っちゃって」なんて言っているが、彼の言うことに、一高テント全員が同意していた。
「お、始まるぞ!」
桐原が声を上げる。画面の中ではついに選手が入場し、しめやかなアナウンスで紹介されている。対戦相手は無名で、実力もさほどではなさそうだ。
そして後からいつきが入場すると――少し離れたこのテントすら揺るがすほどの、黄色い歓声が爆発した。
「うわ、すっごい人気だな」
範蔵は耳を塞ぎながら驚嘆する。
「あの見た目であの愛嬌で、それで男の子だもん。アヤしい趣味を持った『お姉さま』たちを中心に、校内でひっそりファンクラブめいたものが出来てたほどよ?」
説明する真由美の声はどこか疲れている。嫌なことを思い出して、範蔵も急に疲労感が湧き出てきた。
可愛らしい小さな少年は、元々あずさが子役アイドル的な人気をひそかに獲得していたという下地もあり、さらに4月のテロ事件における活躍も後押しして、深雪や真由美には遠いが、熱烈な人気を誇っている。小規模ながらもひっそり作られていたファンクラブは、いつきの写真を隠し撮りして身内で融通しあい、愛でていたのだ。
当然隠し撮りは犯罪であり、風紀委員と生徒会で協力して取り締まった。ファンクラブの中には真由美や範蔵とそれなりに仲の良い友達もいたりして、心底呆れ果てたものである。
ちなみにこのファンクラブ、会員ナンバー0番の名誉会員兼名誉会長として、勝手にあずさを祀りあげていた。こんなことを知ったらあずさが可哀想で仕方ないので、彼女がいないときに電撃作戦で決着をつけたのは余談である。
そんな彼は先日のバトル・ボード予選で圧勝して見せた上、カメラに向かって可愛さと少年っぽさが高度に混ぜ合わされたポーズを決め、満面の笑みを届けた。全身を覆うボディスーツは彼の少年とは思えないボディラインを映し出していて、ちょうど四十九院沓子のような幼い少女のボディスーツめいた倒錯的な少女的魅力を醸し出していた。そんな彼が体格の良い男子をなぎ倒したうえで、そんなことをしたのだ。これにより、こうして人気が爆発している次第である。
「まーでも、これを見れば納得かしらね」
真由美は頬杖をついて、ため息をつきながら呟く。
画面の中のいつきは、上下真っ白な半そでシャツと短パンで、スタイリッシュなデザインのキャップをつけている。今時これほど短い短パンは珍しく、丸みのある白い太ももがしっかり露出していた。
その姿は昨日とは打って変わって、非常に少年チックだ。この姿を見れば、彼が男の子であると判断する者のほうが多いだろう。それでいて「男らしさ」は微塵も感じない。また上下真っ白ということもあって、そこには、清らかさ、穢れの無さを感じさせる。少年天使が舞い降りた。そう形容するのがふさわしい姿だ。
「会長も、今年はあの格好で出てみては良かったのでは? それなりに可愛かったと思いますよ?」
「やーねえ、リンちゃん。いーい? 意外性も大事だけど、期待された服を見せるのも、女の勲章ってやつよ?」
「私にはよくわかりませんね」
作戦スタッフの鈴音は、逆にいつき以外の試合を注視している。彼女は全体のポイントを勘案する立場であり、一回戦勝ち確定に近いいつきは、注目するべき試合ではなかった。
――そんな雑談をしている間に、試合が始まった。
最初はボールは一つ。お互いに温存する方向性のようで、魔法は小さなものしか使わず、ラケットで打ち合うのが中心だ。だが、20秒経過してもう一つボールが追加されると、試合はいよいよ動き出してきた。
「む、リードされてるな」
範蔵の表情が曇る。やはり身体能力に差があり、魔法をほぼ使わないラケットでの打ち合いがボールの追加で激しくなれば、いつきが追い付けずに、ポイントに差が出てくるのは自然なことだった。
その傾向は変わらず、20秒経過するごとに、ボールが三個、四個と増えるたびに加速していく。だがそれでもいつきは魔法で仕掛けることはあまりなく、軽く打ち返す程度しか動かない。そうしている間に相手は本格的な魔法を解禁し始めた。
「おいおい、大丈夫か?」
ついに範蔵が目に見えて焦ってきた。もうすぐ前半が終わろうか、というころなのに、相手との間にはすっかり差が開いてしまっていた。
そうこうしているうちに、五つ目のボールが射出された。いよいよ後半戦のスタートだ。だが、いつきはそれでも動き出さない。
まさか、体調不良か。範蔵がそんな心配までし始めた時――
――突如、いつきのコートに、一斉に魔法式が現れた。
直後、五つ全てのボールがひとりでに動き出し、相手コートへと猛然と突撃する。その全ては、スローペースかつ一方的な展開で緩み切っていた相手から離れたところに落ちて、一気にポイントが加算された。
相手は急な展開に焦って、魔法でボールを一つ返しながら、もう一つをラケットで打ち返す。
――そしてその二つのボールは空中でいきなり見えない壁に当たったかのように跳ね返り戻ってきて、いつきへとポイントを計上した。
「…………そういうことか」
焦って立ち上がろうとして、いきなり急展開が訪れて中腰で固まったままだった範蔵は、しばらく唖然としてから、落ち着いて腰を下ろした。
今の魔法は見覚えがある。真由美が本戦女子で、これ一本で完勝した魔法『ダブル・バウンド』だ。
その領域に触れた物体のベクトルを反転させたうえで速度を二倍にする、移動・加速系の平面型領域魔法。物体の移動速度を瞬間的にゼロにして落とす障壁魔法の親戚で、これもまた障壁魔法の一種である。
いつきは、前半をスローペースにして温存し、ボールが増えて大量得点が狙える後半に、この必殺の魔法を解放したのだ。
相手選手は当然焦って必死にボールを返そうとするが、全てはじき返され、ひたすらにポイントを献上する。リードしているのだからこのまま放置――というわけにもいかない。ボールを動かさないと、いつきが魔法で相手コートのボールを少し浮かせては落とす、ということを繰り返してポイントを荒稼ぎするからだ。クラウド・ボールの打ち返さない戦術が許されない理由はここにある。
結果、ボールがどんどん増えていってもその状況は変わることなく、相手にはポイントが一切増えず、いつきのポイントがみるみる増えていく。
――第一セットが終わるころには、後半に入った時とは比べ物にならないほどの点差が、二人の間に開いていた。
セット終了のブザーが鳴ると同時、対戦相手が、膝をついて崩れ落ちる。後半、どんなに全力を出しても、1ポイントも取れなかった。
――結局この展開は第四セットまで続き、そこまでで稼いだ大量の点差を盾に、いつきは第五セットで全力で手を抜いて今後の温存に努めて、完勝した。
☆
「二人とも、知ってましたね?」
第一試合が終わった後、範蔵は真由美と桐原をジト目で見つめる。二人とも余裕の表情だ。焦っていたのは範蔵だけ。それはそうだろう。二人は、あのいつきと練習で何度も戦っているのだから。
「あー、思い出しただけで嫌になっちゃうわね。いつき君に散々罵られたんだから」
「…………あいつ、そんなことするタイプでしたっけ?」
真由美は冗談めかした態度でそんなことを言う。範蔵視点では、いつきはワルガキ的素養はあるが、人を罵るタイプとは思えなかった。だが、真由美が嘘をついているようにも見えない。
「私が一年生のころから続けてる『ダブル・バウンド』完封戦術を、この一か月間延々と『クソゲー』呼ばわりしてきたのよ!? ひどくない!?」
真由美は立ち上がり、範蔵、桐原だけでなく、天幕内にいる全員に語り掛けるように叫ぶ。
「「「………………保留で」」」
「実質いつき君に同意じゃないの!?」
天幕内の意見を代表した範蔵、桐原、鈴音が、たっぷり溜めた後に言葉を揃える。真由美は圧倒的アウェーとなり、わざとらしく椅子に崩れ落ちてヨヨヨと泣く。多分、自覚はあるのだろう。
そう、クラウド・ボールは、ラケットと魔法を併用し、絶え間なく動き回り魔法を連続行使する、身体・魔法ともに激しい動きが魅力のスポーツなのだ。コートの真ん中に突っ立ってネット上に壁魔法を展開するだけで全部叩き潰す真由美のそれは、競技を根本から破壊するし、対戦相手は一方的な壁打ちしかさせてもらえないのだ。「クソゲー」と言わずして、何と言おう。
「あなたのモチベーションが落ちないように我慢していましたが、もう終わったので言いますね。私は一年生のころからずっとクソゲーだと思ってました」
「去年見たときは衝撃でしたね。ああ、実力があるっていうのは、ゲームを破壊するってことなんだな、て」
「リンちゃんも桐原君もひーどーいー!」
はんぞーくーん! とわざとらしく泣く振りをして抱き着こうとするが、サラリと回避され、べちゃ、と情けなく床に倒れこんでしまう。いつもの彼なら困惑しながら嬉しがるのだろうが、この時ばかりは、鈴音と桐原の言っていることに100%同意である。
「で、そのクソゲー戦術を、いつきが真似したってわけか」
真由美の文句を聞き流しながら、歓声に手を振って、喜んで跳ねまわるあずさの下に戻るいつきを見る。
「つっても当然、完全にまねしたわけじゃないぜ?」
「そりゃそうだろ。あんな芸当ができるのは会長か会頭ぐらいだ」
「十文字君のあれは化け物よ化け物」
桐原の言葉に、範蔵と真由美が続く。
魔法師のサイオン保有量、ゲーム的な表現をすればマジックパワーは、無限ではない。現代魔法がある程度成熟してきて、魔法にかかるサイオンも時間も大幅に削減されたが、それでも連発すればあっという間にガス欠する。
その中でも、広い範囲に作用する領域魔法は消費量が大きいし、さらにそれを一瞬ではなく継続するとなれば、とんでもない量を消費する。それにそもそも、ネット上を覆うような領域魔法を発動することが難しく、三年生でも即座に出来るのはごく一部だ。魔法更新の「息継ぎ」の上手さを含め、こんな戦術を使えるのは、真由美と、障壁魔法のスペシャリストである克人だけである。
「いつき君は、小さいころから移動・加速系魔法を中心にいっぱい練習してきたみたいでね、その系統に関しては、私たち三年生にも十分通用するスペシャリストなの。なんせ、あの深雪さんを越える成績だものね」
「それはバトル・ボードでも証明されていますね」
「そう。だから、私たちに比べたらまだまだだけど、移動・加速系の領域魔法『ダブル・バウンド』をああやって実戦で扱えるのよ」
範蔵の上手な合いの手に助けられながら、真由美は流れるように説明する。
「まずボールが少なくて獲得も被弾も少ない前半は温存して、各セットの後半からようやく使い始めなきゃいけない。あと、全体を覆っているように見えて、節約のために両端までは展開していないわ。だから、完全な防御にはならないわね。あと私と比べて、許容威力も狭いの。ちょっと強めの魔法を相手にすると貫通するようになってるわね。具体的には、桐原君のパワーショットなら余裕で貫くぐらい」
「ただその程度でも、新人戦なら十分、ということですね」
「そういうこと」
「あと、前半の温存もしっかり作戦を立ててる。あえてスローペースな展開にして、自分を極限まで温存しつつ、無防備な間でも相手の得点機会を極力減らしてるんだ。ある程度打ち返さないと、後半あいつがやったみたいに一方的に動かされて得点されるが、逆にある程度打ち返していれば、相手もそのペース以上の得点は稼げない、って寸法だな」
「つまり、前半は思うように動かさせてもらえず醍醐味の打ち合いもジャブ程度で、後半は一方的に蹂躙されるだけ、っていう展開が続くってことか。……会長も大概だけど、微妙に希望が見える分、いつきも質の悪いクソゲーだな……」
あの天使の出で立ちと微笑みでこんなことをするのだから恐ろしい。見た目はあずさにそっくりだが、見た目に反してやることのえげつなさは、作戦内容が似ていることもあって、真由美の方にそっくりに見える。
「あ、ちなみに、あの戦術を提案したのはあーちゃんよ」
訂正。姉に実にそっくりであった。
範蔵には分かる。何せ親友だ。
きっとあずさは、真由美と違って、なんの悪意もえげつなさも感じることなく、当たり前のように、ただただ純粋な思考でこれを思いついて、弟に提案したのだろう。
――会長よりもタチが悪いかもしれないな。
範蔵の中で、あずさに不本意な烙印が押された瞬間であった。
☆
夕方。いつきはそのあとも危なげなく勝ち上がり、決勝リーグへと駒を進め、そこでも一戦目を勝利した。休憩が挟まり、同じ相手に一勝している、いつきと並んで今回の優勝候補と目されていた三高選手との、決戦が始まろうとしている。
「相手選手は、去年の中学生クラウド・ボール大会の優勝者ね」
「確かに見たことありますね」
すらりとした手足と赤髪に、白い肌、切れ長の細い目が特徴の、優男風の少年だ。しかしながらその全身は鍛え上げられていて、貧弱な感じは全くしない。すでにアスリートとして完成されている。
「えーっと……ラケットでボールに回転をかけ、それを魔法で増幅したり回転方向を変える変化球が得意……ですか」
通常のテニスに比べて、超低反発ボールでバウンドしないので、変化球の有効性は低い。だがそれでも、野球の変化球が未だ猛威を振るっているようにバウンドなしでも十分脅威だし、ラケットで打ち返そうとして予想外のあさっての方向に飛んでいってしまうのは十分厄介だ。
「ちなみに、普通のテニスでも県大会で準優勝しているわね」
「超本格派じゃないですか」
魔法師は、世間のイメージと違って、戦闘や競技でもしっかり身体を使うので、当然相当鍛えている。だがそれでも、己の身体のみで戦う非魔法競技に比べたら、幾分か鍛える比重が少ないのは事実だ。魔法競技だけでなく、魔法を使わない競技でもそのレベルとなれば、その身体能力は間違いなく本戦でも通じるだろう。
「いつき君とは真逆のタイプ、ってところね」
この対戦相手も余裕で勝ち上がってきているが、いつきほど圧勝はしてきていない。試合を見る限りでも、体力と身体能力は優れているが、魔法の腕はそこそこ程度だ。魔法が飛びぬけていて身体能力が下の下であるいつきとは、対照的である。
こうなってくると、いつきの方が不利と言えよう。あちらには経験と鍛錬に裏打ちされた圧倒的な基礎力があるのに対して、いつきはある程度穴のある作戦によって勝ってきた。ここまで四試合している。インターバルがそれなりに取られているのもあって対策を考える時間も長い。いつきの作戦は全部丸裸になっているだろう。
実際、コートで対面していつきを鋭い眼光で射抜く相手の顔には、これまでの一方的な試合を見ているというのに、余裕があるからか笑みが浮かんでいる。
「これはいよいよ、アイツもやばいか?」
後輩のピンチだというのに、桐原が「面白くなってきた」とばかりに笑みを浮かべる。
そんな親友の笑顔は――この対戦相手が浮かべているものと、同種のものに見えた。
そして、試合が始まる。
いつきはこれまで通り、最低限打ち返すだけで、試合をスローペースに展開する構えだ。だが、相手はコートの前の方に陣取り、一切ボールを落下させることなく、一方的に打ち返したり、魔法で跳ね返したりしてくる。結果、いつきが一方的にポイントを稼がれる形だ。またこれまでの対戦相手に比べたら腕が格段に上で、いつきのスローペースに負けず、いつきコートのボールを動かして加点を狙ってくる。結果、温存したいはずのいつきもこれまでよりしっかり動かざるを得ず、展開が加速していく。こうなれば、結局相手のポイントが増える一方だ。
そして大差をつけられて迎えた後半。ついにいつきが全てのボールを動かして相手コートに一気に送り返したうえで、『ダブル・バウンド』を展開した。
「こぶし大の軽いボール五個とはいえ、あの速度で一気に全部を対象にして魔法行使するのはすごいな」
範蔵は感心する。一度の魔法で複数を対象とする技能は、バトル・ボードではあまり見られない。こうして性質の違う競技を見ることで、つくづく、この後輩の強さを見せつけられる。
ここから一方的な展開になる。あとは、前半でついた大差を逆転できるか。
そんな展開になるはずだったが――対戦相手は、これまでの優男風から一変して、獰猛な笑みを浮かべる。
「お、すげえのを見せてきたな」
対戦相手はラケットを強く握りしめて大きく振りかぶって全力スイング。さらにそれを魔法で加速させた。本戦優勝候補の一角で同じく本格派の桐原も舌を巻く、強烈なパワーショットだ。
当然これではいつきの『ダブル・バウンド』は効果を発揮しないでスルーされる。
誰しもがそう思った。
――しかしそのボールは、元々あった速度をさらに強めて、相手コートへと突き刺さった。
「……干渉力で上回れなかった?」
相手選手と同じ顔で、範蔵が驚く。
「当然、いつき君もその対策はしてるってことよ」
「普段は節約のためにそこそこ程度の強度だが、相手がパワーショットの気配を見せたら、その瞬間だけ、そのボールが当たる部分だけを強化するんだ」
そういうことか。範蔵は納得する。いくら相手が巧者とはいえ、まだ一年生のレベルでは、あのいつきの『ダブル・バウンド』を貫く威力のボールを打つには、それなりの「溜め」が必要となる。その気配を読み取って、その瞬間だけ強化している、というわけだ。
相手も自信があった対策だったみたいでショックを受けているが、次なる手を打ってくる。今までの試合で完全に解析されているであろう、両端の穴をねらったショットだ。
だが、そこを狙ってくるのは、いつきも当然分かっている。片方の端に陣取って、そこだけに集中して返しさえすればよい。あの『ダブル・バウンド』は真由美と違って全体を覆ってない分、いつきの側からはボールを通すようになっている。あちらだけが狙う範囲が狭いという一方的なハンデを強要しているようなものだ。
だが、これはテニスではなく魔法競技。いつきが陣取っているのと反対側の端にも、魔法で動いたボールが襲い掛かる。その中には、『ダブル・バウンド』の範囲に入ると見せかけて直前で変化して穴に向かうボールもあった。相手が得意とする変化球だ。
だが、それらの絶対に通るはずのボールは、端を突いたにもかかわらず、はじき返されて、オウンゴールする形となった。
「性格悪いわねえ」
真由美は苦笑する。もう最終決戦なのだ。温存はいらない。いつきは、自分が陣取っていないほうの端にまで、『ダブル・バウンド』を展開したのだ。それも、相手に無駄な手間をかけさせるために、虚をつくタイミングで。
相手の表情が歪む。いつの間にか、獰猛な笑みすらも消えていた。
ラスト20秒。九個目のボールが射出される。結局今まで通り、後半戦は完全にいつきの独走だ。前半でついたこれまでにないほどの大量ビハインドは、すでに僅差だが逆転している。
『負けてたまるか!!!』
コートにつけられたマイクが、相手選手の咆哮を拾う。まだ僅差だ。負けていない。
相手選手は自分コート上の九個のボールを魔法で手元に集める。
そしてそれら九個を――魔法で強化した身体能力で全力で打ち、さらに魔法で加速させる!
「嘘だろ!?」
桐原が声を上げる。これは彼ですら予想外。クラウド・ボールの一つの理想形、九個同時パワーショットだ。
しかもそれらはバラバラの変化がかけられていて、様々な方向へと散っていく。これではこれまでのように、一か所だけ強化するという対策が通じない。しかもそのパワーも、火事場の馬鹿力と言うべきか、真由美のものですら貫通する威力だった。
これは流石に破られたか。真由美たちですらそう思った。
――だが、九個のボール全てが、恐ろしい速度で跳ね返ってくる。
いつきに、一気に9ポイント加算される。
「………………相手が可哀想になってくるわね」
真由美は唖然としながら、なんとか言葉を絞り出した。
先ほどと違い、天幕内の完全な同意を得ることができた。
いつきは、これすらも読んでいたのだ。
相手の限界を超えた渾身の一撃。それに合わせるように――『ダブル・バウンド』全体を、一時的に強化。これによって、全てのボールが、はじき返されたのである。
試合時間残り10秒。相手選手はしばし立ち尽くし、そのまま崩れ落ちる。
体力も魔法力もまだ余力があるはずだ。
折れたのは、心。
大量に流れる汗に混じって、目から、ボロボロと涙がこぼれている。
そんな、涙で滲む視界には――見えない、されども絶対的な壁の向こうで、天使の笑みを浮かべる、いつきの姿が映っていた。
☆
「わははは、やっぱいつきはすごいのう!」
結局対戦相手は完全に心が折れ、第一セットで棄権。どこか後味が悪いながら、いつきは新人戦男子クラウド・ボールの優勝を果たした。
バトル・ボードの時と同じポーズと決めて観客のハートをさらに打ち抜き、直後喜びはしゃぐあずさに飛びつかれて、嬉しそうにじゃれ合う姿がカメラに映る。
今の試合を観客席の中でも特等席で見ていた沓子は、大声を上げて笑い、あずさと同じぐらいにはしゃいでいた。具体的には一緒にいた愛梨と栞が恥ずかしがって止めるぐらいに。
だが、それでも、沓子の心の高揚が止まらない。
昨日の「予感」は、全く間違いではなかった。
チームメイトの心が折られたというのに、全くそんなことは、多少デリカシーに欠けるが心優しいはずの彼女は気にしていない。
それほどに、今、彼女の心は、いつきとほのかに惹かれていたのだ。
「明日が楽しみじゃのう、いつき、ほのか!」
沓子は笑う。
つい数時間前まで空で輝いていた太陽のように、その光を受けて反射する水のように、明るく。
高揚感と、武者震いと、歓喜と、興奮と、情熱と――付き合いの長い愛梨と栞だけが気づく、本人も気づいていない、ほんのわずかな情念を籠めて。
☆
「いっくん、本当凄かったね、おめでとう」
「うん、ありがとう、お姉ちゃん」
夜。一日中クラウド・ボールをして疲れ切っていたいつきは、祝勝会もそこそこに、夕飯を軽く切り上げて部屋に戻った。それは彼の専属マネージャーと化しているあずさも同じで、一緒に戻ってきた。
幼稚園生のころからずっと続けている、一緒のお風呂。それは、各部屋にも風呂がついていることもあって、この九校戦の間も変わらなかった。だが今日は、さすがにいつきが疲れきっているのもあって、あずさは自分は自分で洗い、いつきを一方的に洗ってあげる形だ。
夕方に優勝を決めてから、何度目か分からない、あずさの心からの賛辞。その一つ一つを突っぱねることなく、いつきは丁寧に受け入れた。
弟のことが、とても誇らしい。苦手な体力勝負の競技で、たくさん頑張って、すごく考えて、いっぱいの観客を魅了して、優勝を決めたのだ。世界一かっこいい、最高の弟である。
「……ねえ、いっくん」
そんな弟の、小さな小さな背中を洗ってあげている最中。あずさはふと、その手を止めて、後ろから抱き着く。肩の上から身体の前へと腕を回し、あずさの口が、いつきの耳元に届く。素肌と素肌が密着して、お湯で温まった高い体温が伝わってくる。
「今、楽しい?」
いつきはずっと不登校であった。それは本人が決めたこと。そして、それを気にしている様子はない。
だが、あずさは、ずっと不安だったのだ。学校は楽しい。そんな生活を、いつきはずっと送ることなく、成長していくのではないか、と。
部活動も生徒会も風紀委員もその他もろもろ校内活動をせず、4月早々にテロ事件に巻き込まれ首を突っ込もうとも。それでも、いつきは幹比古という親友と出会い、お友達もそこそこ出来て、範蔵のように先輩からも気にかけて貰えて、校内の人気者になっている。
そうして九校戦の名誉ある代表となって、こうして活躍していた。
あずさの心配からは外れ、いつきの学生生活は、とても充実している。
「うん、すっごく楽しいよ!」
いつきが大きくうなずく。姿鏡越しに、いつきの満面の笑顔が見えた。
「……良かった」
そう、いつきは、とても楽しんでいる。
試合が終わるたびに笑顔で喜び、カッコよくポーズを決める姿。あずさの理想をはるかに超えて、いつきは、「高校生」を楽しんでいた。
そうして風呂から上がり、寝間着に着替える。真夏とはいえ、湯冷めは禁物だ。少し休んだら、二人ともすぐにベッドに入る。
二人部屋。軍人向けの施設と言うこともあって、二つあるベッドは、二人にとってとても大きい。故に、家に比べて、いつも通り、一緒のベッドで寝るのにはちょうどよかった。
「じゃ、いっくん、お休み」
「……うん」
さすがに疲れていたのか、すでに寝ぼけ眼だった。電気を消すと、いつきはすぐに、小さく可愛らしく寝息を立てる。その寝顔は安らかだった。
そんないつきの顔を間近で見て、あずさは、穏やかに微笑むと――大好きな弟を優しく抱きしめ、そのふわふわの頭を、起こさないように、ゆっくりと撫でてあげた。
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