あと、原作3・4巻の最初の方にある、バトル・ボードのコースの模式図を見ながらだとよりお楽しみいただけると思います(画像検索すればネットに転がってるかも?)
「うっわ、すごい人気だな……」
九校戦新人戦の三日目。予選が終わっているアイス・ピラーズ・ブレイクとバトル・ボードの残りの試合をすべて消化する、決戦の日だ。
この日の熱気はすさまじい。真夏の屋外で快晴、朝だというのに太陽もギラギラと輝いているが、それに負けないほどの盛り上がりだった。
「そりゃあ、今日はタレントそろい踏みだものね」
膝に片肘をついたややお行儀の悪い恰好で、エリカが冷静さを装いながら、この熱気の理由を端的に説明する。ただそのエリカの顔にも、獰猛な笑みが浮かんでいた。自分は戦わないが、今日の観戦に、間違いなくワクワクしているのだろう。
アイス・ピラーズ・ブレイク女子。一高女子の大活躍がすさまじく、三人全員勝ち上がっている。戦い方は三者三様だがそのどれもが観客の目を引く派手さと強さを兼ね備えているうえ、三人ともタイプの違う美少女だ。特に深雪は飛びぬけていて、圧倒的人気を誇っている。
一方、男子も、この大会の下馬評で最も注目されていた選手が、ここまですべてを瞬殺して勝ちあがっている。十師族の一角・一条家の長男、『クリムゾン・プリンス』、『赤髪の貴公子』、『爆裂』、『佐渡の英雄』など、様々な異名を持ち、そのどれもがふさわしいどころか実際に見たら霞む程の美男子・一条将輝だ。その圧倒的な強さとルックスは深雪もかくやというほどであり、何かと中学生めいた異名をつけるのが大好きな魔法師界隈の間では、すでに「双璧」などのあだ名がつけられている。
また、バトル・ボードも逸材が集まっている。
まず、予選を目くらましの奇策で先制したうえで確かな実力と技能でリードを守り続けて圧勝した、光井ほのかだ。顔立ちは可愛い系ながら、その魅力的なボディラインがボディスーツで見えることもあって、すでに男子たちを虜にしている。深雪の巫女服はある種神秘的な美しさを際立てているが、ほのかのそれは、実力もさることながら、性欲的な意味で主に男性の注目を浴びているのだ。なおこのことは、一高全体で協力して、ほのかに対してトップシークレットとなっている。そんな注目を浴びているとなったら、逃げだして首を吊りかねないからだ。
そして水上競技と言えばこの少女。四十九院家の娘、『水の申し子』沓子だ。予選はニコニコと明るく朗らかに笑いながら他選手への妨害で蹂躙し、圧勝している。
そしてそして、この九校戦を通して最も有名になったのが、中条いつきだ。そのルックスは姉と瓜二つの、小さな美少女そのもの。それでいて男の子であり、仕草のそこかしこに少年っぽさが垣間見える。ファンサービスも積極的であり、人々の関心を引き寄せ続けていた。実力も申し分なく、バトル・ボード予選は余裕で勝ち抜き、クラウド・ボールもセットごとで見たら一度もリードを許すことなく優勝を果たした。その天使のような笑顔と仕草、圧倒的でかつクラウド・ボールでは相手の心を折る暴力的な戦術と実力は、すでに『デビリック・エンジェル』などの異名候補が上がっている。
また「海の七高」と称される、水上が得意な七高選手も二人勝ち上がっていて、特に黒井という選手は、開始前は、沓子と並んでバトル・ボードにおける下馬評では一位だった。
「一高で例えると、会長、会頭、風紀委員長、副会長、あと桐原先輩と、風紀委員の
「そうやって例えてみると、今日はすごいね……」
レオの例えは、周囲の一高生の頷きを得た。美月も同意した一人であり、改めて今日のメンバーの豪華さにため息が出る。
そんな、新人戦の大注目選手が揃い踏みの、新人戦折り返し地点が、今、始まろうとしていた。
☆
アイス・ピラーズ・ブレイクで一高女子と将輝が猛威を振るっている頃。バトル・ボードも熱い戦いが繰り広げられていた。
まずほのかは準決勝も、予選のイメージを利用した戦術で危なげなく勝ち上がった。
そして次が、沓子の試合だ。
名指しで「見ていてくれ」と言われたのでせっかくだし特等席で見ようということで、いつきとあずさはコース近くの、エンジニアなどが観戦するためのスペースに来た。ここなら間近で見れるし、大きなモニターも複数あって全体を一度に見ることができる。代表選手・担当エンジニアの特権だった。
「おー! いつきに、いつきの姉君! 来てくれとったか!」
スタートライン上。小さくて可愛らしいながら、しっかりと女性らしい形になりつつあるボディラインを恥ずかしげもなく晒している沓子が、いつきとあずさに気づいて手を振る。他校の選手だというのに、随分な気にいられようだった。
当然、同じスペースにいる他者、特に沓子を応援に来たであろう三高の制服を着た美人な二人からの好奇の視線も集まる。あずさはとても気になって、思わずいつきの制服の裾をつまんでいた。
「がんばってねー」
そしていつきはと言うと、そんなの全く気にしておらず、いつもの笑みで沓子に手を振り返しながらエールを送る。同じ家で育ったのに、この強心臓はどこからくるのだろうか。
そうして始まった沓子のレースは、見ごたえのあるものだった。
他選手を徹底的に妨害して何もさせないのは変わらない。だが、沓子は予選と同じく楽しそうな笑みを浮かべながらも、その目は真剣そのもの。相手は彼女からすればかなり格下なのに、明らかに本気だ。
その動きは鋭い。隙あらばしっかりと加速し、減速するべきところでは最低限の減速をして、それでいてまるで張り付くようにしっかりと内側を華麗に回る。細かくCADを操作しているが、他選手への妨害も含めると、とてもその操作量に見合う魔法の量ではない。
「…………ま、まさか……」
あずさの声が震える。
気づいてしまった。
彼女は、ただの古式魔法師ではない。
隠密性と威力、つまり妨害に優れる古式魔法は他者への妨害に使い。
自身の移動に関しては速度が求められているので――現代魔法を使っている。
「CAD操作は自分が動く用の現代魔法で、妨害は、CADなしで精霊魔法だね」
あずさと同じことに、いつきも気づいたようだ。その顔はにこやかだが、幾分か真剣である。
「じゃ、じゃあ、あれだけの魔法を、CADなしで、ってことだよね……?」
「そういうことだね。多分、
BS魔法師とは、生まれながらに特定の魔法に特別優れた才能を持つ魔法師のことだ。それ以外の魔法は平凡かそれ未満、というイメージがあり、事実そのような魔法師も多いが、全員が全員そうではない。それこそ今目の前で圧倒的な試合を展開している沓子のように、それ以外の魔法にも優れた力を持つ魔法師もいる。
そのような魔法師は、今繰り広げられているように、汎用的な現代魔法を駆使しつつ、圧倒的に得意な魔法も同時に利用して、「場」を支配する。
「さ、さすがに水に関する古式魔法だけだよね?」
「多分ねー」
もし全ての事柄にこうだとしたら、他の競技にエントリーしていてもおかしくはない。だがバトル・ボードだけにしか出ていないということは、あずさの予想が正しいと言うことだ。
「こんなところで本気出してるから、ライバルに情報抜かれてるじゃないの」
「仕方ないよ、沓子だもん」
そんな二人を見て、聞こえないように、愛梨と栞は小声で話す。闘争心と責任感が人一倍強い愛梨はむくれているが、栞はもう諦めていた。それは、今日行われたアイス・ピラーズ・ブレイクにおいて英美に激戦の末負けてしまって落ち込んでいた、というのもあるだろうが、おおむね二人の性格が出たやり取りだ。
結局、圧倒的な美技により、予選を勝ち上がってきたはずの他校選手全員を周回遅れにして、沓子は一位でゴールした。
☆
「おーい、いつき! がんばれよー!」
「ありがとねー」
いつきがボディスーツ姿でスタートラインに立つと、黄色い歓声が爆発する。そしてその近くで、沓子が歓声に負けないほどの声援を、いつきに送っていた。幸い、三高の代表選手は反対ブロックで、沓子の発言は裏切りにならない。とはいえ、この様子では仮に同じブロックだったとしても、気にせず応援しようとして事前に愛梨と栞と水尾に止められていただろうが。
このレースで、いつきを応援する声は大きい。対戦相手の三人は、アウェーな雰囲気に委縮してしまっていた。
――だが、全員が予選を勝つ実力を持ったアスリートだ。スタート直前には、全員が競技に集中しきる。
そして、ついにスタートの合図が鳴った。
それと同時に各選手一斉にスタートするが、予選と同じく、いつきが飛びぬけて好スタートだ。
だが、予選と違うのは――ただ一人、いつきに食らいつける選手がいることだった。
黒井に比べたら注目されていないが、彼とて「海の七高」の代表。確かな実力と意地があるのだ。いつきも彼のことを気にしているようで、抜かれないように予選よりもペースが速い。
そうして、最初の関門、S字ヘアピンカーブだ。ここも予選と同じく、いつきは減速幅が少なく、それでいてしっかり内側を走る。インベタとまではいかないが、十分な水準だ。彼の得意フィールドであり、ここを乗り越えるころには、少しだけ、七高選手との差が開いている。
だが、あくまでも「少しだけ」。あのいつきの技能を以てしても、対戦相手を振り切ることができなかった。
そしてクランクも二人ともほぼ同速で乗り越え、第二の関門・落下だ。いつきは先行してほぼ減速することなく飛び出して、その勢いがあるとは思えないほど華麗に着地し、スムーズに再加速を決める。同じように七高選手も少し遅れて着地するが――その落下地点に、不自然な波が発生していて、わずかにバランスを崩した。
「ほほう、基本に忠実じゃな」
やはり自分の目と「予感」に狂いはなかった。沓子は満足する。
いつきは落水時の衝撃を魔法で操作して自分への反動は緩和したうえで、後続の着地点に波が残るようにしたのだ。摩利と同じ戦術であり、技能のみに頼らない、基本にして最も効果的な作戦だった。
これで明確に差が開いた。ところがこの先が、七高の見せ場である。
コース上最後の関門・上りからの下りループだ。水流に逆らってコース上で最も急な傾斜を上がり、そこからぐるりと一周する螺旋型の下り傾斜である。上りの難しさもさることながら、下りというコントロールが効きにくい状況下で、さらに常にカーブしているという状態である。
この難所は多くの選手が苦手としているのだが、逆に七高選手は伝統的にここをチャンスタイムとしている。実際対戦相手の彼もまた、いつきに明確に先行されても焦っている様子はない。
その自信の通り、下りループに入るや否や、いつきとは比べ物にならない速さ・コース取りで一気に駆け下っていく。両者の差はぐんぐん縮まっていき――二周目に入るころには、ぴったり横に並ぶまでになっていた。
「さあ、ここからが正念場じゃぞ?」
予選で見たいつきは、最初から独走態勢。だが、こうして横並びの展開になると、いつきは苦しいはずだ。小柄な彼女だからこそわかるが、ぶつかり合いにおいては、体格差が明確に現れる。
当然、圧倒的に体格で優れる向こうから仕掛けると思いきや――先にちょっかいをかけたのは、いつきのほうだった。
「ほう、駆け引きも上手いのか」
相手が取りたい理想のコース取りであるアウト・イン・アウトをしにくいように、最初のカーブ手前であえて斜行する。両者の間にそれで差が出るわけではないが、虚をつくその妨害は、相手の精神を明確に乱す。
それに対してお返しとばかりに相手も仕掛けてきた。だが、それは接触の直前で離れるようにボードを揺らすことで受け流して回避している。まるで地上で戦う合気道の達人のような見事な流し方だが、これは動力のついていないボードで水上を走りながらの業である。細かな魔法コントロール力が光っていた。
そうしてちょっかいをかけあったものの差が出ていないまま、S字ヘアピンカーブに突入した。コース取りが良かったのか、最初はいつきが内側を取っている。
そしていつきは、そのカーブで――一周目に比べて、明らかに大きく膨らんだ。
「むっ!」
沓子は目を見張る。
いつきのミスでないことは明らかだ。
何せ――いつきが急に膨らんでぶつかりに来たせいで、この急カーブで横にぴったりついて外側から抜こうとしていた相手選手が、大きくよろけたのだ。
これでいつきがボード二つ分ぐらい抜け出す形になった。これにより、二つ目の反対側ヘアピンカーブでも内側を取ることに成功する。
完全にいつきの作戦勝ちだ。また両者の間にしっかりとした差が開く。
そして迎える、クランクからの落下。一周目で煮え湯を飲まされた相手選手は、多少速度を落としてでも安定して着水を目指し、妨害に備える構えだ。
だが、いつきが滝を飛び出し、相手選手の視界から消えたところでは――一切妨害魔法をせず、全てのリソースを再加速に注ぎ込み、猛然と走り去っていた。
遅れて安定した姿勢で着水した相手選手は、明確に悔しそうな顔をする。こうして客観的に見ている以上に、彼から見えるいつきの背中が明らかに遠いのだろう。
安定のために速度を犠牲にした相手選手、それを見越して一切妨害せず速度のみを意識したいつき。
この差は大きい。お互いに一周目と同じペースでいけば、今度は先ほどと違って追いつけないほどだ。
だがそれでも、あと二回下りループはある。相手選手は悔しさを闘志に変え、いつきにだいぶ遅れて傾斜を上りきった。
――そこで目にしたのは、下りコースの内側四分の一が、不自然に蠢く姿だった。
まるで煮え立つ地獄の釜のように、粘性の液体が泡立つように、その部分だけが波打っている。
その選手と沓子は、すぐに理解した。
これはいつきが、差が開いて余裕が出てきたので、多少速度を犠牲にしてでも仕掛けた、大規模な妨害だ。
コースの内側に、外側へと流れる明確な波を起こしている。そしてその余波は小さいながらも確実に、コース内側二分の一まで影響するだろう。
急な下りのループ。一番デリケートな関門だ。だからこそ多くの選手が苦手とし、そして七高選手たちはその実力と適性をフル活用して、ここをチャンスにしているのである。
そんな最大のチャンスゾーンが、今、完全に潰されたのだ。
こんな妨害がある中で、このデリケートなコースを、急いで下れるわけがない。
相手選手の顔が絶望に染まる。自分の全力が少しも出せないで下った先には、もう絶対にいつきの姿は見えないだろう。あの小さな背中は、より小さくなるどころか、視界にとらえることすらできない。
――結局、三周目が終わるころには、半周差という大差でいつきが一着でのゴールを果たしていた。
「…………いけずじゃのう、いつき」
沓子は呟く。
自分は全力を出したというのに。
いつきは、明らかに余力を残していた。あくまでも駆け引きと隠したカードの力で、実力差をしっかり押し付けて、堅実に勝ったのだ。彼はまだ、全力ではない。
それでいて、彼の「本気」がしばしば垣間見える、ハイレベルなレースであった。
見たい。いつきの全てが見たい。
完全に隠されたわけではなく、ほんの少し見せられたからこそ。
いつきの「本気」を求める欲望が、より大きくなっていく。
「いけずもの」
拗ねるような、不満の表出。
だが、その顔には、不思議と笑みが浮かんで。
顔が熱くなり、頬が赤くなり、視線はいつきに釘付けになる。
「おぬしは、本当にいけずじゃなあ……」
内容とは裏腹に、その言葉には、真夏の熱気にも、会場の熱気にも負けない、熱い熱い情念が込められていた。
☆
決勝は同日に行われるものの、競技間インターバルはそれなりに長くとられている。
そのため、この隙間時間で遮音酸素カプセルでいつきは睡眠をとり、自分の決勝が始まる時間にかなりの余裕をもってお昼寝から目覚め、会場にあずさとともに戻ってきた。
そしてそこで見たのは、九校戦の歴史に残る激戦だった。
現代魔法と古式魔法を融合した、ハイレベルな移動と妨害を両立する『水の申し子』沓子。
それに対して、達也とあずさから様々なアドバイスを受けて、あらゆる妨害をものともせず、光のエレメンツとしての特性と実力を発揮しきったほのか。
両者のレースは最終レース終盤、下りループを抜けるところまで互角にもつれ込んだ。最後まで、誰もが勝敗が分からない展開だった。
――その末に、エレメンツに遺伝子レベルで刻まれた「想い」の強さ。
それが土壇場で覚醒して、ゴール直前に、ほのかが沓子を差し返した。
沓子にはその理屈は分からない。尊敬する先輩・水尾と同じエレメンツであるとは試合中に気づいていたし、エレメンツに遺伝子として刻まれた依存とすら言えてしまうほどの慕う相手への想いの強さも知っている。だが、それが目覚めると、コンディションが大きく上がることは知らない。
だが、偶然にも。
沓子はエレメンツでないにも関わらず、抜かされた直後、色々な人の顔が思い浮かんだ。
お世話になっている先輩・水尾。
親友の愛梨と栞。
同じ学校の仲間である将輝や真紅郎。
――そして、いつきの、満面の笑み。
彼女にしては珍しく、沓子はこのレースだけは、楽しむことを優先せず、「勝ち」を目指していた。このレース中、彼女の顔には笑顔は浮かばず、真剣な表情をずっとしていた。その鋭さと気迫は、愛梨と栞にすら鳥肌を立たせた。
「負けてたまるか!」
喜び以外で感情をあらわにしない彼女が――戦士のように、咆えた。
進路上に現れたのは、これまでのどれよりも高度な、大きくて激しい渦。しかも波も高く立っていて、レース序盤で見せたように、反則にならない程度の低空飛行で躱すことすらできない。
(そんなっ!?)
最後の最後で全速力を出していたほのかは、それにコントロールを奪われ、今にも落水しかねないほどにバランスを崩した。
その隙に自分の周りだけ効果を薄めた沓子が、再び抜き返す。
その瞬間、お互いの姿が、スローモーションのように見えた。
巨大な渦の上をなんともなく乗り越えながら、さらなる追撃のためにCADを操作する沓子の姿を、ほのかは捉えた。
そして沓子は――この状況でもなお諦めず、これまでにない手つきでCADを操作するほのかの姿を見た。
(ありがとうございます、達也さん!)
使うのは、直前になって、達也が入れてくれた魔法。
ほのかは無理やり体勢を立て直し、激しい大渦の流れにあえて乗る。
一瞬逆方向に戻されるが――反対側に回れば、進行方向へと進む「流れ」でもある。
達也が用意した魔法は、一瞬だけその「流れ」に対する抵抗力を一切なくして進行方向に加速したうえで――進む「流れ」に乗り切った直後、その溜め込んだ抵抗力を一気に解放する魔法だ。
これにより、進行方向への「流れ」には抵抗なく乗って加速して、利用しきったら大渦に思い切り抵抗して、無理やり抜け出す。
妨害を押さえつけたり回避するのではなく。
沓子の妨害を利用する、究極の一手。
「くっ!」
せっかく抜いたのに、あっという間に追いつかれた。沓子は歯噛みしながらも、用意していた魔法を行使する。この最後の直線での最後の加速をするために現代魔法、そしてほのかをさらに妨害するための精霊魔法。
――だが水面を、ほのかの干渉力が支配する。
(なっ!?)
沓子は、もはや声が出なかった。
ほのかは、あの極限の場面だというのに、もう一つ魔法を用意していた。
それは、スタート時と同じ、水面を覆う、鏡面化魔法。
レースとしては何の意味もない魔法。光波振動系魔法の中でも「面」に行使する魔法で、最もメジャーでかつ基本的なものだ。
ゆえに。水面に魔法をかける上では、光のエレメンツである彼女にとって、この魔法が最速でかつ最も干渉力が高い。
それは――最も基本の対抗魔法であるはずの、『領域干渉』を越えるほどに。
沓子は『水の申し子』である。その干渉力は高く、こと水に関しては、生半可な対抗魔法など、無いも同然だ。だがほのかは、「水」という沓子の土俵に――「光」という自分のルールを持ち込んだ。
水への干渉力と、「水の光」の干渉力がぶつかり合う。
――そして鏡に跳ね返されるように、沓子の魔法式が、退けられた。
急いで行使した妨害魔法であるがゆえに、ほのかの干渉力を上回れなかったのだ。
ゴールまで残り5メートルもない。
最後の最後で、一切妨害が通用しない、単純な速度勝負。
だが、沓子はしっかり、現代魔法での最終加速魔法も準備していた。ゴールを抜ければそのまま落水してしまいそうなほどの急加速。
――だがその加速は、大渦による加速を利用して強化したほのかに、及ぶことはなかった。
☆
沓子の試合を見終えたいつきは、ボディスーツに着替え、あずさと一緒に最終決戦の場へと向かう。
関係者専用のその通路には、人気が無かった。関係者用と言うだけあって元からさほど人がいるわけではないが、今はいつにもましていない。みんな決勝戦を見るために会場にもう向かっているのだろうか。
いつきと並んで歩きながら、あずさはそんなことをぼんやりと考える。
だが、その矢先に、目の前に人が現れた。
「あ、沓子さん」
びっくりして声が出ないあずさの代わりに、いつきがその人物の名前を呼ぶ。
「よう、いつき」
競技を終えてそれなりに時間が経っているというのにまだボディスーツのままの沓子が、片手を上げて気さくに挨拶をする。その顔には相変わらず快活そうな笑みが浮かんでいるが、あずさにはどことなく元気がないように見えたのは、バイアスがかかっているせいだろうか。
「これから決勝戦じゃな。楽しみにしておるぞ」
「うん、ありがとう。沓子さんの決勝も見たよ」
沓子の顔が少しだけ曇る。
やはりそうだ。
「…………負けてしまったな。すまんかった」
沓子が俯いて、声を絞り出す。
いつも通りに話そうとしているが、どうしても震えてしまっていた。
「ふがいないところを見せたのう。いいものを見せてやるつもりだったんじゃがな」
そうして浮かべたのは、少し話しただけでもわかる彼女の明るさからは想像もできない、自嘲的な笑み。
「いや、とってもすごい試合だったよ。最後まで分からなかったと思う。もう一度やっても、勝ち負けはわからないぐらいね」
いつきの口から出た言葉は、あずさも思っていたことだった。そしてそれは、あのレースを見た全員が思うことでもあろう。
最後の最後までお互いの手札と全力を出し尽くした熱戦。間違いなく、この九校戦のベストバウトの一つだ。
「じゃが、勝てなかった。負けてしまった……」
ふらり、と、力の抜けた動きで、沓子がいつきに一歩近づく。
そのまま、二歩、三歩――腕を伸ばさなくても、ほんの少し動くだけで触れ合えるほどの距離へ。
「負けたくなかった。勝ちたかった。……勝負事とはそういうものじゃ。わしもそう思っていた。それでも……」
さらに一歩。もうほとんど触れあっているも同然の距離。
「…………こんな気持ちは、初めてじゃっ……!」
そのまま沓子は、いつきに抱き着く。
いきなりのことだった。だが、勢いがあったはずなのに、いつきの体はほとんど揺れない。傍から見ていたあずさは驚きながらも、その勢いのわりに、彼女がとても弱弱しく見えた。
「悔しいっ……! 悔しいっ……!」
いつきの胸に顔をうずめ、慟哭する。
あずさは知らない。
沓子は競技直後、ほのかを褒めたたえた後、尊敬する先輩に泣きじゃくって飛びついた。だがその時は、今のように、慟哭まではしていない。どこかコミカルに泣きわめいていただけだった。
これは、心の底からの、悔しさの表出。
勝負事を楽しむタイプの彼女は、負けてもさほど落ち込まない。
だが、今は――吼えるように、絞り出すように、感情があふれ出してきている。
その悔しさの発露の慟哭とすすり泣く声だけが、しばし人気のない通路に木霊する。
あずさはどうしてよいかわからずただ立ち尽くし、いつきもまた、しばらく固まったままだった。
だが――しばらくしていつきは、ゆっくりと、沓子の後ろに腕を回して、抱き返す。
「そうか、頑張ったんだね」
「頑張ったっ……! 本気じゃったっ……! あんなに本気を出したのは初めてじゃ!」
そのままいつきは、沓子の特徴的な長い青髪をゆっくりと撫でる。それに押されるように、沓子の気持ちが、さらにあふれ出してくる。
「ほのかは面白いやつじゃった! 心が躍った! 今までで一番楽しい試合になるはずじゃった! でも、でも……どうしても勝ちたくて、どうしても負けたくなくてっ……!」
「うん、うん」
「愛梨にも、栞にも、申し訳が立たん! それに、それに――――」
沓子の言葉が途切れる。
感情に任せて泣き叫んでいた彼女は、過呼吸に近い状態になっていた。それでも、苦しみあえぎながらも、いつきに直接背中をさすられていたこともあって、少しずつ落ち着いてくる。
そしてまた言葉を絞り出す。
「――――いつきに、良いところを見せたかったっ…………!」
出会って三日目。だというのに、勝負の時に沓子の心を占めていたのは、いつきの姿だった。
彼に良いところを見せるためにも、勝ちたかった。負けたくなかった。
それでも――沓子は、負けてしまったのだ。
ついに言葉が尽き、沓子はいつきの胸に顔を押し当てて、ただ大声で泣く。
その間もいつきは、ただただゆっくりと、沓子を優しく抱きしめながら、撫で続けた。
――何時間も経ったかもしれないし、数分だったかもしれないし、実は十数秒だったかもしれない。
妙な時間感覚になったが、ともかく、しばらくして、沓子はようやく泣き止んだ。
まだ縋り付いてぐすぐすとしているが、いつきは撫でていた手を止めて、そっと沓子を引き離す。
「ねえ」
そして、二人とも低めの身長であるがゆえに、至近距離で、目線が交錯した。
お互いの吐息を感じるほどに、お互いが肌から空気に放つ温度がわかるほどに、お互いの瞳に映る自分が見えるほどに、近くで、見つめ合う。
沓子の頭が真っ白になる中、いつきは、沓子の両手を握って、明るい声で、言葉を紡ぎ出す。
「――何度でも言うけど、ボクは、さっきのレース、とっても良かったと思うよ。だから、今度は……次のボクのレース、絶対見てね! 絶対いいところ、お返しに見せてあげるから。ね、沓子ちゃん!」
そして、天使のように、満面の笑顔を浮かべた。
☆
いつきとあずさがもう会場に向かわなければと去った時、沓子は自分でも何を言ったか分からない曖昧な声で、「がんばれよ」とだけ発するのが精いっぱいだった。
そして二人が去って数分経ち、もうすぐレースが始まるというのに、沓子はまだ、二人が向かった方へとぼんやり視線を向けたまま、立ち尽くしていた。
今のは夢だったのだろうか。
それほどに、現実感がない。
ただ、至近距離で見たいつきの笑顔と、かけてくれた言葉、髪や背中を撫でくれた感触。そして、お互いに着ている薄いボディスーツ越しに感じた、限りなく素肌に近い体温。これらは、沓子の中に、しっかりと残っている。
「いつき……」
少年の名前を、ぼんやりと呟く。いや、それは呟きと言うよりは、ただ口から洩れただけ。
だが、その瞬間、急激に沓子の意識が戻ってくる。
「いつき!」
少年の名前を叫ぶ。
移動・加速系魔法の達人で、作戦や駆け引きも鋭く、それでいて小さな女の子のような男の子。
面白い男。
そう思う気持ちは、まだ変わらない。
だが、今の自分が彼に抱く印象は、もはや「面白い男」というのは、一部でしかない。
これは彼女が得意とする、直感や予感ではない。
先ほどのいつきとのやり取りが、いつきの感触が、いつきの笑顔が、彼女の中に残っているのと同じほどの――強い存在感を持った、確信だった。
「いつき!」
また名前を呼んで、沓子は走り出す。
これから、良いところをいっぱい見せてくれると言っていた。
見たい。
隅から隅まで、余すところなく。
――いつきの全てが、見たい。
「は、あはははは、楽しみじゃ、楽しみじゃのう!」
散々泣き叫んだから、その声は枯れ果てている。
だが、魂の奥底からあふれ出る言葉は、これ以上ないほど、明るく、生き生きとしていた。
「絶対、最初から最後まで見てやる! だから――頑張れよ、いつき!」
沓子が去った人気のない通路には、彼女の叫び声がまだ木霊している気がした。
そこに、たっぷり時間を置いて、疲れて呆れ果てた顔の愛梨と栞が、姿を現す。
「私たちは一体何を見せられてたのかしら……」
「胃もたれしそう……」
水尾に抱き着いて泣きじゃくる沓子は、悔しがって泣いてはいたが、いつも通りに見えた。だが二人と水尾には、想像以上に元気がないようにも見えていた。
だから、泣き止んだ沓子が心配で、こっそりとここまで尾行してきて……沓子が気に入った男の子・いつきが入場する通路だと気づいた。
心ここにあらずと言った様子の沓子は、直感力と気配察知に優れる彼女らしくなく、二人に尾行されていたことに、全く気付いておらず、そこに立ち止まっていた。
そこで二人は何かあると思い、陰でこっそりと人払いをしながら見守っていたのだ。関係者用通路と言えど、ここまで人がいないというのは、通常、あり得ないのである。
別に満腹なわけではない。むしろ空腹だ。だが今の気持ちは、まさしく「お腹いっぱい」そのものだ。それも、糖分たっぷりの巨大ケーキを食べた後のような心地である。
まさか沓子があんな風になってしまうとは。彼女は身長が小さくて人懐っこく無邪気なため、親友でありながら、年下の妹のような気分でもあった。だが、何やら、二人の手を離れたところで、甘い雰囲気を醸し出している。
とりあえず、分かったことがいくつかある。
あの小さな男の子は、見た目に反して実力者で魔法の腕も良く、人当たりも良く、作戦や駆け引きもかなりの巧者。
そして――多分、すけこましである。
人気のない通路に、二人のため息が重なる。そしてそれとほぼ同時に、新人戦男子バトル・ボード決勝が間もなく始まるというアナウンスが、会場全体に流れた。
ご感想、誤字報告等、お気軽にどうぞ