魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

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 作戦通りに進んでいたはずだった。

 

 幹比古も、レオも、そして特にいつきも、想定以上に力を発揮した。

 

 だがそれ以上に――――「クリムゾン・プリンス」、一条将輝が、あまりにも強大だった。

 

「お疲れ」

 

 医療テント。全身ボロボロのいつきたち三人は、そこで治療を受けていた。

 

 将輝のレギュレーション違反すれすれの激しい攻撃にさらされ、三人全員が、もう一歩も動けない、というありさまだったのだ。

 

 当然しばらく安静。傍にいられるのは、今声をかけながら入ってきたエンジニアの達也と、実姉と言うことで特別な許可を出されたあずさだけだ。

 

「いっくん、よく頑張ったね。すごかったよっ……すごかった、かっこよかったよっ……!」

 

 そのあずさは、ベッドに寝かされているいつきを抱きしめ、褒めたたえていたが、途中で感情があふれ出し、泣きだしてしまう。いつきは、戦闘中が嘘みたいな、天使のような優しく可愛らしい笑みを浮かべて、そんな姉の柔らかな髪をゆったりと撫でてあげていた。

 

「カーッ、あそこまでやって勝てねえなんて聞いてないぜ! お前の妹や先輩方よりつええんじゃねえか?」

 

 普段の達也なら聞き捨てならないと思うところだが、あれを見せつけられては、「深雪の方が強い」なんて言えない。実際深雪自身も色々思うところがあったのか、エンジニアとして頑張った兄を讃えるのもそこそこに、部屋に戻って録画を見返している。

 

「…………あー、そうか、僕たち、負けちゃったんだなあ」

 

 ただの代理のはずだった。別に負けてもいいと自分たちですら冗談半分とはいえ言っていた。

 

 だが、ここまで順調に勝ち進んで。決勝で激戦を繰り広げ。

 

 その末に――負けた。

 

 今になってその悔しさが、幹比古の胸にあふれ出していた。

 

「俺の作戦も悪かった。相手が予想をはるかに上回っていたんだ。お前らはかなりよくやっていたよ」

 

「いやー、あれを予想しろなんてのが無理だね。あそこでギアを上げるなんてあり得ねえ。バケモン、正真正銘のバケモンだね」

 

 達也の言葉に、レオがくだを巻く。達也に責任を感じさせないために、そして湿った空気を振り払うために。本音も多分に含まれるだろうが、彼は、そんな気遣いができる人間であった。

 

 

 

 

 ――実際、作戦通りに進んでいたはずだった。

 

 

 

 最初の先制飽和砲撃をモノリスの裏に隠れて回避し、いつきが高速移動で攪乱する。そしてそこを安全圏から二人が突く。『念仏體(ねんぶつたい)』で常に直接干渉する魔法を退けるのも、終始うまく働いた。

 

 不意打ちに対処され始めたら、幹比古の魔法で土を大量に掘り起こして、平原に少ないいつきの「武器」を増やすのも。

 

 そしてそれで一気に攻撃の手を激しくしたいつきに乗じて、幹比古とレオが電撃戦を仕掛けるのも。

 

 相手二人をリタイアさせ、レオがその身を犠牲にしてでも幹比古を生き残らせたのも。

 

 

 

 すべては、ある程度予定されていた流れであった。

 

 

 最低でも、将輝一人対いつき・幹比古という形を作ることができれば、あとはいつきがひたすら引きつけ、幹比古が安全地帯から入力する。これで勝てるはずだった。

 

 

 だが実際は。真紅郎と五十川はもちろん、将輝が土壇場で力を発揮して、こちらを苦しめてきた。幹比古はほぼ満身創痍だったせいで入力が大幅に遅れた。いつきも戦闘中にかなり調子を上げたが、それを将輝は常に上回り続けた。

 

 

 結果、いつきはかなり粘って引きつけたものの入力しきるまでは間に合わずノックダウンされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、最後、なぜ幹比古の視界が突然ブラックアウトしたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんなのって、ありだと思う?」

 

 幹比古は不満と怒りを隠そうともしない。

 

 古式魔法師らしく、いかにも見つかりやすい、モノリス周辺やコード正面に、精霊を配置しなかった。「眼」を配置したのは、ギリギリコードの全景が視界に入る、モノリスの斜め上。横方向的な意味でも縦方向的な意味でも、「分かりやすい」位置からしっかりとズラされていたはずだった。

 

 実際将輝も、精霊の位置は分からなかったはず。

 

 だから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――モノリスを中心とした半径20メートルの半球状に、超巨大な『領域干渉』を展開したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それによって精霊魔法が解除され、幹比古に送られた「眼」の情報も途絶え、黒いマントに囲まれた闇に視界が覆われたのである。

 

「あれは滅茶苦茶だ。それこそ深雪でも無理だろうな」

 

 達也は額に手をやって「やれやれ」とでも言いたげに、呆れと関心を隠そうともしない。世界最強だと信じて疑わない妹だが、あの莫大な範囲に『領域干渉』をするのは、「封印」がある状態ならば間違いなく不可能だ。

 

 そして、そう。深雪と「封印」といえば。

 

「中条」

 

「ん、なあに?」

 

「なんです……失礼しました」

 

 達也がいつきを呼ぶと、うっかり癖であずさも返事をしかけ、顔を赤らめてすぐに目を逸らした。

 

 自分が呼び捨てするわけないだろうに。いい加減慣れてほしい。生徒会の時はもっと幾分かしっかりしているのに。

 

 弟が傍にいると気が緩みがちな先輩に色々不満を心の中で流しながら、寝転んだままのいつきの傍まで歩み寄って口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと用事があるから、今夜、俺の部屋まで来てくれるか?」

 

「え、何? 夜のお誘い? ボクが可愛いからってそんな……司波さんに殺されちゃうよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 あずさとレオと幹比古が、同時に達也に見開いた目を向ける。幹比古とレオは全身ボロボロだというのに、痛みを忘れて体まで激しく起こしていた。

 

「そんなわけあるか! 今日のことで色々話があるからだよ。それと深雪は俺がどんな趣味を持って誰と恋愛しようと受け入れてくれ……………………」

 

 しばしの長い沈黙。達也の顔が歪む。

 

「それはさておき」

 

「あ、誤魔化した」

 

「まあ信じられないわなあ」

 

 幹比古とレオの茶々が痛い。それでも鋼メンタルの達也は構わず続ける。

 

「自分で『可愛い』ってなんなんだ? こう言うのもなんだが、その歳の男でそれは流石にどうかと思うぞ」

 

 冗談や女装ならまだしも。こんな素の場面で自分をそう言うのは、たとえ本当に可愛い女の子ですら、引っかかりを覚えるだろう。現に深雪は、客観的に見ても世界一美しいが、それを決して自分で口に出したりはしない。

 

「だって実際に可愛いから仕方ないじゃん」

 

 いつきは頬を膨らませてぶんむくれて言い返す。その姿はまさしく「可愛い」が、「自分で何言ってるんだ」という気持ちが強い。

 

「だって、考えても見てよ」

 

 いつきはある程度体力が回復したのか、身体をゆっくりと起こすと、達也を見上げ、質問を重ねる。

 

「ボクとあずさお姉ちゃんはすごくそっくりだよね?」

 

「ああ、そうだな?」

 

「それで、あずさお姉ちゃんはとっても可愛いよね?」

 

「そんな、いっくんったら、もう……」

 

 実の弟に褒められて取る態度ではない。いつきもシスコンだが、あずさのブラコンぶりも甚だしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまりボクは、世界一可愛いあずさお姉ちゃんとそっくりなんだから、可愛いに決まってるじゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「幹比古、レオ、今日の夜飯は何がいい?」

 

「あー、がっつりした肉が食いてえ。死ぬほど疲れた」

 

「香りが強い野菜も一緒に食うといいらしいぞ」

 

「僕はつかれたから軽くでいいかな……」

 

「分かった。俺が頼んでおこう」

 

「え? 無視?」

 

 あんなのに構っていたら、何回呆れたって足りないのだから、無視が一番である。

 

 これが三人の共通見解であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんはー」

 

「来たか」

 

 その日の夜。約束通り、疲れているだろうに、いつきは一人で達也の部屋を尋ねた。

 

 招かれたいつきは、部屋に入った後、中をぐるりと見渡す。

 

「あれ? 司波さんはいないの?」

 

「お前も、深雪と俺がいつも一緒だと思ってるのか? お前だって中条先輩といつも一緒ってわけじゃないだろ?」

 

「まー、それもそうか」

 

 身振りでソファを勧められたいつきは遠慮せず座り、達也も二人分のお茶を入れて並べると、その正面に座る。

 

「まずは、今日何度も聞いたと思うが……モノリス・コードの試合、素晴らしいものだった。特に決勝は、歴史に残る試合になっただろう。結果としては準優勝だが、それでも大変なことだ」

 

「ありがとね」

 

 先ほどまで、一高陣営では新人戦優勝パーティが開かれていた。

 

 達也が担当した一年生女子たちを中心とした活躍によって、新人戦の優勝を飾れたのだ。

 

 また担当した女子以外にも、ほのかがバトル・ボードで優勝、いつきはバトル・ボードとクラウド・ボールで優勝し、さらに女子クラウド・ボールも優秀な成績を収めた。さらに、今日に名勝負を何回も繰り広げたいつき・幹比古・レオのモノリス・コード準優勝もある。

 

 そして、「イマイチ」扱いされているいつき以外の男子の中でも、森崎のスピード・シューティング準優勝の分もあった。

 

 女子の活躍が目立つが、これは一年生全体で勝ち取った、価値ある新人戦優勝だ。

 

 そんな中でもMVPともいえるのが、達也といつきだった。

 

 達也が関わった競技はすべて優勝・表彰台独占などの快挙を成し遂げた。選手個人の力も大きいが、これほどの成績は、彼の技術と作戦によるところがとても大きい。

 

 そしていつきは、元々出ていた二競技で圧巻のプレイを見せて両方優勝し、さらに掟破りの三競技目、代理モノリス・コードでも、準優勝を勝ち取った。いつきは一年生男子たちのヒーローであり、森崎達からも病室から感謝とお祝いのビデオメッセージが送られていた。

 

 そういうわけで、この新人戦優勝パーティも、達也といつきが主役となった。

 

 特にいつきは、一年生男子全員からヒーローとして扱われ、彼の可愛さにメロメロだった「アヤしい」趣味を持つ女子たちのハートを完全に打ち抜き、またモノリス・コードで見せた「男らしさ」「強さ」のギャップにノックアウトされた新たな女子ファンにも囲まれていた。ずいぶんとあずさと一緒にもみくちゃにされたものである。

 

 そうした事情もあり、今日いつきは、三桁目に突入しそうなほどに、モノリス・コード、特に決勝戦をほめそやされた。達也が今発した言葉もそのひとつであり、達也としても本音と会話導入の挨拶が半々、と言った具合だ。

 

「さて、疲れているだろうから、いきなり本題に入ろうか」

 

 腰を落ち着けた達也は、急に剣呑な雰囲気になり、いつきを真正面から睨む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、精神干渉系魔法を使ったな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、やっぱバレたか」

 

 達也の問いかけに、いつきは、ペロ、と舌を出して、悪戯っぽく笑いながら、それを認めた。

 

「おそらく俺以外は気づいていない。見事なものだよ」

 

 傍で見ていた幹比古やレオも、いつきのことを一番よく知るあずさも、精神干渉系魔法に感受性が高い深雪も、間違いなく気付いていない。

 

 だが、特別な「眼」で見ていた達也にはわかる。

 

 いつきは、どんな効果であろうと競技で厳禁となっている、精神干渉系魔法を、決勝戦で使っていたのだ。

 

「一条はそれなりに熱くなりやすい性格のようだが、一方で真の鉄火場を乗り越えた、いわば『戦士』だ。よほどのことがない限り、あの場で冷静さを失うことはない」

 

 例えば、積み重なったライバル心。例えば、不意を突かれた瞬間。例えば、恋焦がれる相手の身内との戦い。例えば、同じ「戦士」が放つオーラによる恐怖やパニック。

 

 そうしたものが幾重にも重なれば、オーバーアタックのような反則や、作戦ミスを起こすだろう。

 

 だが、そこまでの条件が重ならない限りは、将輝は戦いのギアを上げ続け熱くなってもなお、冷静な思考と視野が残るはずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だというのに、安全圏に隠れてコードを打っていることが丸わかりな幹比古を、なぜあそこまで放置したのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつきの攻めが激しかった。それはあるだろう。常人ならば、幹比古を抑えながらあのいつきを相手できるわけがない。専念しても相手できる者は少ないだろう。

 

 だが、将輝は常に優勢だった。幹比古に妨害を仕掛ける隙は、実際の試合で行われた以上に、いくらでもあった。

 

 いつきを倒すのを優先せざるを得なかった。それは本末転倒だ。なにせ幹比古にコードを入力されれば負けなのだ。いつきを優先するのは間違っている。そんなバカみたいなことを、将輝がするはずがない。

 

 

 

 だが実際は。将輝は、隙はいくらでもあったというのに、なぜか幹比古を極端に狙わず、いつきに夢中になり続けた。

 

 その理由は簡単。達也だけは、それをしっかりと捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――いつきと将輝の決戦になった途端、いつきはずっと、将輝に精神干渉系魔法をかけ続けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「見たことない魔法だった。俺は魔法を見ただけでどんな起動式や効果かがわかるという話をしたな?」

 

「そうだね」

 

「当然、系統も分かる。バレてないから黙っておいたが、お前は、あの場で特大の反則を犯していたんだ」

 

 その魔法の内容自体は、危険性は欠片もない。起きる結果もごく弱いものだし、後遺症も残るはずがない。

 

 だが、精神干渉系魔法というだけで、下手をすれば殺人よりも禁忌なのだ。バレたら、反則負けどころか、一高全体が失格、下手すれば今後学校そのものが参加禁止すらあり得るレベルである。

 

「別に責めるつもりはない。バレなければ問題ないんだからな」

 

 実際、将輝の攻撃のいくつかも、深く審議すればレギュレーション違反だっただろう。いつきの防御と回避が、レオと幹比古の硬さが、その威力を過小評価させたのだ。

 

 

 

 

「ただ…………あの衆人環視の場で、『俺にしか分からない精神干渉系魔法』を使えたこと、これが問題なんだ」

 

 

 

 

 精神を操る魔法。

 

 四葉家の出自である達也にはわかる。たとえどんな効果だろうと、命への冒涜と同じと言えるほどに、悍ましい魔法だ。

 

 そんな魔法が、「あれだけ大勢が注目していたのに達也だけにしかバレず」、「それでいて将輝に効果を及ぼし続ける程度の強度がある」、形で使われたのだ。

 

 つまりそれは――全く誰にも知られることなく、他者を洗脳できることを意味する。

 

 ここで釘を刺さなければ。

 

 いつきは、四葉家とは違う。中条家は正真正銘、魔法師界としてはもはや異端とすら言える、一般家庭なのだ。

 

 そんな家で育った子供が、何の迷いもなくそんな魔法を人に使った。それでいて、隠密性も強度も高い。

 

 ここで注意しなければ――この、可愛らしい、女の子みたいな、無邪気な、それでいて、強くて、頭が回り、冷酷な面もある、効率主義的な、小さな小さな少年は、恐ろしい存在になる。

 

「あー、まあ、心配しなくていいよ。あれはボクの固有魔法で、他人が使えるものでもないから」

 

「だろうな」

 

 いつきが自分のCADを達也に触らせなくて安心していたというのは、そういうことだ。あれには、あずさ以外、または中条家以外には秘密の、精神干渉系魔法が入っていたのだろう。

 

 試合直前の最終チェックではCADをさすがに弄ったが、そこには登録されていなかった。あの試合では、CADなしで発動していたということだろう。CADの補助なしにあれほどのことができるというのが、なおのこと恐ろしい。

 

「ボクは生まれつき精神干渉系魔法に適性があってさ。お父さんとお母さんも同じ」

 

(明言はしないが、中条先輩も同じ、だろうな)

 

「それで偶然、固有魔法を見つけたんだよ。といっても、効果は役に立たないかな」

 

 いつきは私用CADを弄り、空中にその魔法を空撃ちする。当然エラーを起こすが、それだけでも達也はどんな魔法か、改めて分かった。

 

「『アテンション』。対象の注目を、ボクに強く引き付ける魔法だよ。相手の強度が弱かったら、注目させすぎてボーッと棒立ちにさせて一切無抵抗にできるし、『心』が強い人間相手でも結構ボーッとさせられる。あずさお姉ちゃんたちにもそれぐらい通じたかな?」

 

 一家単位で精神干渉系魔法に適性がある。そんな家族相手にもしっかりと効果を発揮するということだ。

 

「出力を弱くして発動させれば、なんとなく無意識にボクを注目しちゃう程度だね。使いどころは……今回みたいな囮作戦しかないかな。古式魔法もびっくりなほどに無駄に隠密性が高いから今日みたいな場面でも使えるけど……まあ、今後は使いどころはなさそうだね」

 

 固有魔法は魔法師のアイデンティティとすらいえる。そんな魔法を、いつきは、心の底から貶して見せた。

 

 自虐や謙遜や誤魔化しではない。本当にそう思っているのだろう。

 

 ただそれでも。

 

 精神干渉系魔法を、ほぼ一切人に気づかれずに使えるというのは事実だ。

 

 

 

 

 

 まるでその技術は――――四葉の中でもトップに位置する、黒羽家の貢や文弥のようである。

 

 

 

 

「……分かった。言っていることは本当のようだな」

 

 だがそこまでは言わない。

 

 達也はいつきの説明にひとまず納得する。

 

 何か嘘をついている様子はないし、隠している様子もない。今説明したことが全てで、それ以上の奥行きも、「可能性」も、過去の悪行もなさそうだ。

 

「だけど、もし今後悪用しているところを見たら、今日の分も含めて、世間にバラすからな?」

 

「あー、それは怖いな。安心して。どうせ使いどころはもう来ないだろうし」

 

 話はお終い。

 

 その空気を察したいつきは、あはは、と朗らかに笑うと、残ったお茶を飲み干して、席を立ちあがる。

 

「お茶、ごちそうさま。それと昨日・今日と、わがまま聞いてくれてありがとね」

 

「あー、そうか、そういえばそんな流れだったな」

 

 今日が劇的過ぎて忘れてた。

 

 そういえば事の発端は、いつきに依頼されて、エンジニア兼参謀をやったのだった。いつの間にやら、随分と夢中になってしまった。きっと、やりがいを感じていたのだろう。

 

「俺も楽しかったからそれはいいさ」

 

「そっか、それならよかった。じゃあ、お休み」

 

「ああ、お休み」

 

 達也も立ち上がり、ドア前までいつきを見送る。

 

 今まで四月以外さほど交流がなかったが、なんだか、随分と仲良しになったものだ。

 

「……なんてな」

 

 ふっ、と小さく笑う。何を感傷的になっているのだろう。「青春」を味わって、ほだされてしまったのだろうか。

 

 変なことを考えるぐらいなら、さっさと寝よう。達也はテーブルを片付けると、そのまま部屋備え付けの風呂に入る準備をする。

 

 この九校戦期間中に、色んな人の、色んな側面を知った。

 

 その中でも一番多くを知れたのは、きっといつきだ。

 

 彼は将来、深雪と双璧を成して、一高の代表的な存在になるのだろう。

 

「生徒会も、部活動も、風紀委員もやっていない。さてこれから、どうなるんだかな」

 

 達也の独り言が、浴室に小さく木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――とはいえ、さしもの彼でも、この後いつきが、いつも通り、姉と一緒に風呂に入り、一緒のベッドでくっついて寝ているとは知らないし、想像すらできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前夜祭と違い、後夜祭の雰囲気は和やかだ。

 

 正式名称に「親善競技会」と銘打ってはいるものの、各学校・個人・組織の威信がかかっていたりだとか、対外アピールや実績を重ねて将来を有利にしようだとか、単なる勝ち負けだとか、色々な思惑が重なって、それぞれがかなり「本気」でこの九校戦に挑む。

 

 よって戦いの前である前夜祭はかなりピリピリしているのだが、この後夜祭は一転、緊張と激闘から解放されることもあって、学生でありながらも「ノーサイド」の精神がしっかりと発揮されることとなる。

 

 真紅郎と五十里は魔法工学について意気統合して、構ってもらえなくなった花音が拗ねて、去年仲良くなった他校の二年生の女の子にダル絡みしにいったり。

 

 出た競技が全く同じで直接対決することもあった愛梨とスバルが内心で来年に向けて火花を散らしながらお互いの健闘をたたえ合ったり。

 

 摩利と水尾がバトル・ボードについて意気投合して、それぞれ花音と沓子というヤンチャな後輩に懐かれているため、苦労を分かち合っていたり。

 

 深雪や将輝が他校の異性にひたすら声をかけ続けられていたり。

 

 学校の垣根を越えた交流が各所で繰り広げられていた。

 

「よう、いつき! 元気にしとったか!」

 

 そしてここでも、そうした交流が為されていた。

 

 代理選手のため急にこのパーティに参加することになって居心地悪そうな幹比古と、人見知りのせいで弟の傍から離れられないあずさ、そして料理をほおばりながら、声をかけてくる色んな人に人懐っこく対応するいつき。その三人組に、元気よく突撃したのが、沓子だ。

 

「あ、沓子ちゃん。この通り、それなりに元気だよ」

 

 たかが学生の集まりだというのにやたらと上等な料理が出されているからか、手に持つ皿には様々な料理が盛られている。彼は体格相応に小食なのだが、今日はたっぷり食べるつもりらしい。緊張で食事が喉を通らない幹比古とは大違いだ。

 

「あのものりすこーどはあっぱれじゃったのう! まさか三つの競技でおぬしを見れるとは、まさしく僥倖じゃ!」

 

「あはは、ありがとね」

 

 いつきも沓子も小さくて可愛らしいタイプだ。その二人が満面の笑みを浮かべて楽しそうに会話している姿を見て、いつきをハンターのごとく狙っていた「お姉さま」たちは愕然とする。「さん付け」または「先輩」を崩さなかったいつきが、「沓子ちゃん」と呼び、沓子がそれを当たり前のように受け入れている姿に、確かな「差」を感じたのである。当人たちは全く意識していないのだが。

 

「そうそう、吉田の神童も見事じゃったな。あの様子だと、すらんぷとやらは脱したようじゃの?」

 

「まあ、そんなところだね」

 

 幹比古は曖昧に笑いながら、はっきりしない返事をする。いきなり話しかけられてびっくりしたのと、「すらんぷ」の妙な発音が気になって仕方なくて、返事に集中できなかったのだ。

 

「姉君殿も技術者で大活躍じゃったな! ほのかの担当をしたのも姉君殿じゃな? あと、ものりすこーどのいつきのやつも」

 

「は、はい……よくわかりましたね」

 

 ほのかの分はともかく、モノリス・コードに関しては、登録エンジニアは達也だったはずだ。サブである彼女は公開されていない。

 

「やはりそうじゃったか! そちの司波達也も相当なものじゃったが、いつきの調整をするなら姉君殿以外おらぬと思ったからの!」

 

「さすが沓子ちゃん、よくわかってるねえ」

 

 いつきがクスクス笑う。その仕草ひとつとっても大変可愛らしく、遠巻きに見てチャンスをうかがっていた「お姉さま」方のハートを打ち抜く。

 

(これは、ダンスになったらいつきから離れた方がいいかな?)

 

 人の恨みは買うものではない。特に女性は。古の数々の説話がそう教えてくれる。古式魔法師として、その教えに従うのは当然のことだ。

 

 こうして、立食パーティの後半は、沓子がずっといつきと楽しく話し込んで、彼を独占する形になった。

 

 そうして時間が経ち、いよいよ「学生たちだけの時間」となる。

 

 大人たちは空気を読んで退室し、ホールにはいつの間にか広いスペースが設けられ、優雅な音楽が流れ始める。ここからは若者の青春、ダンスパーティーの時間だ。

 

「よし、いつき! 一緒に踊るぞ!」

 

「うん、いこっか」

 

「吉田君、こういうのって男の人から誘うはずですよね?」

 

「いつきも四十九院さんもそういう常識にとらわれない人ですからね」

 

 あずさと幹比古は呆れ果てるが、それもいつきの良さと言うことで納得した。幹比古は、予定通りいつきが戻ってきても離れられるようにここを立ち去り、壁の花となる。

 

 沓子も小さい女の子なので、とても小柄ないつきと踊っていてもあまり違和感はないように見える。とはいえ彼女の性格がそのままダンスに現れていて、リズムは崩れているし、動きもだいぶ大振りで激しい。それに対して、いつきは意外にも、戸惑うことなく可愛らしい笑顔のまま上手に合わせて、しっかりとしたダンスに仕上げている。

 

 それに気を良くしたのか、沓子はさらに上機嫌になって動きが激しくなり――そのまま、脚をもつれさせ、バランスを崩した。

 

 だがいつきはそれに素早く反応して支えて、ステップの勢いを利用してスムーズに起き上がらせ、そのままの流れでダンスへと合流する。まるで今倒れそうになったのも、元々あった振り付けであったかのようだ。沓子はしばしぽかんとしていつきに誘導されるがまま急におとなしくなって踊っていたが、いつきに笑いかけられると、急に顔が赤くなって、動きが固くなった。

 

「女たらしもいいところだな」

 

 いつきの天然ジゴロぷりもさることながら、沓子の初心な反応も面白くて仕方ない。

 

 このようなパーティーは苦手だが、今のいつきと沓子然り、傍から見ている分には面白いものだった。

 

 同級生・先輩・三高・他校、様々な女性と次から次へとダンスさせられ、それでもハンサムスマイルを崩さず優雅に踊る将輝は、ある意味いつきと対照的だ。彼はこうした場をちゃんと弁えており、女性が傍でアピールし始めたら、自分からダンスに誘っている。ちょくちょく疲れた様子が見えるが、相手に失礼にならないようにと必死に抑え込んでいるのが愉快で仕方ない。

 

 そしてまたいつきに目をやれば、沓子とのダンスが終わった後も、次から次へと誘われている。

 

 そのあたりを弁えている将輝とはまさしく正反対で、しかもいつきがとても小さい分、相手の女の子の方がだいぶ背が高いパターンばかりだ。これではまるで、小さな子供にダンスを教えてあげるお姉さんと言った具合である。そのくせいつきのダンスは中々洗練されていて、いざ踊ってみるとほぼ違和感はない。さっきの沓子とのダンスから思っていたことだが、一体どこであんな練習をしたのだろうか。このようなパーティーとは無縁な一般家庭だっただろうに。

 

 また別のところに目を向けると、達也も主に同級生の女の子から引っ張りだこだ。中には真由美ともダンスする場面があり、その独特な動きに戸惑いが隠せていない。

 

「ふー、踊った踊った」

 

 そうして時間を潰しているうちに、一段落着いたらしいいつきが、幹比古に近づいてくる。誘いたい「お姉さま」方の邪魔にならないよう離れていたのに、わざわざ部屋の隅であるここにまでくるとは。ダンスはお上品だが、こういうところは無神経らしい。

 

「幹比古君は踊らないの? せっかく偶然選手になったんだし、特権だと思って楽しめば?」

 

「僕にはこういうのは似合わないよ。踊りたいって思う人もいないだろうしね」

 

「ふーん」

 

 実際の所、モノリス・コードで大活躍した幹比古を意識して、傍でさりげなくアピールしている女の子も何人かいるが、彼は気づいていない。あの試合を見ていた人全員が、いつきに夢中だったと思い込んでいるからだ。実際の所、あの四試合のうち最後以外は、幹比古が常に主軸だったわけで、彼もかなり注目されているのだが、自覚がないのである。

 

「じゃあボクが踊ってあげよっか? 女の子の方の振り付けもできるし」

 

「ぶほっ!?」

 

 飲んでいたノンアルコールシャンパンを勢いよく噴き出す。しかも悲しいことに、今のいつきの言葉を聞いて周囲の女性が色めき立って二人に期待の視線を向け始めたのにも気づいてしまった。「そういう趣味」の存在を知っているだけに、何を期待されているのかが、不本意にもすぐに分かってしまった。

 

「タチの悪いジョークはやめてくれ! ていうか、なんで女の子の方も踊れるのさ!?」

 

「ボクは可愛いから、踊れたらどこかで役に立つかと思ってね」

 

 小さな体で堂々と胸を張って答える。効率主義者だと思ったが、なんだかただのわがままなおバカにすら思えてきた。

 

「同性愛の趣味は僕にはないよ。他に踊りたい人もいるだろうから、そっちを誘ってあげな」

 

「チェッ、面白いと思ったのに」

 

 幹比古はシッシッと追い払う。いつきは不満そうにしながらも素直に従い、彼を待っていた女の子――一高のクラウド・ボール新人戦であまり結果を残せなかった子だ――から声をかけられ、ダンスの輪へと入っていった。

 

(……逃げるか)

 

 そして悪目立ちしてしまった中で一人残った幹比古は、意心地が悪くなったので、別の部屋の隅へと避難していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誘ってくる男子は範蔵ぐらいだったあずさは一瞬で暇人になり、幹比古と同じく壁の花となって、色々な女の子と踊って楽しそうにしているいつきをぼんやりと眺めていた。

 

 入学してからずっと、いつきは、学校の中で人気者だった。

 

 そしてこの九校戦を境に、一高だけでなく、魔法科高校内のヒーローにまでなったのだ。

 

 バトル・ボードとクラウド・ボールで優勝、急な代理で参加したモノリス・コードではあの一条将輝と激闘を繰り広げて準優勝。

 

 そうした中で、彼の実力と、賢さと、可愛さと、カッコよさを、みんなが知ることになった。こうして今、彼は、色々な人から注目を集めている。自分の事のように誇らしい。

 

 そんないつきを見ているだけで、あずさは、自然と優しい笑みがこぼれていた。

 

 視線の先のいつきは、掟破りの二度目の誘いをしてきた沓子を断ることなく、また一緒に踊っている。いつきも沓子も心の底から楽しそうだ。いつきが気づいているかはともかく、「そういうこと」に疎いあずさでも、さすがに、沓子が抱く感情にはとっくに気づいている。他のいつきと踊りたがっている女の子も、程度に差はあれど、「そういう」気持ちがあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――――っ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんないつきの姿を見て、胸に鋭い痛みが走る。あずさの顔からは、いつの間にか笑みが消え、表情が曇っていた。

 

 可愛い可愛いいっくんが、みんなの人気者になった。

 

 賢すぎたがゆえに不登校で、ずっと一人で遊んでいるか、あずさと遊ぶかしかせず、お友達はいなかった。

 

 だけど、高校に入ってからは、幹比古と再会して親友になったのを筆頭に、色んな人と仲良くなってきた。

 

 そして意外にも九校戦にも積極的で、そして大活躍し、同級生と先輩・性別などを問わず、みんなから慕われている。

 

 そのことは、心の底から嬉しい。

 

 天才的過ぎたがゆえに外とほぼ関わりなく、それを当たり前としていた。興味がないものを排除して、自分が思うがままに突き進んできた。

 

 いつきは――――家族関係以外は、自ら孤独の道を、迷いもなく突っ走ってきていたのだ。

 

 そんな弟が、こうして親善競技会に望んで出場し、活躍して、いろんな人と交流している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、「私だけの可愛い小さな(いっくん)」ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのことが、このダンスパーティーで、よくわかった。

 

 いや、元から分かっていたはずだし、そうなることを望んでいたはずなのに。

 

 だけど、こうしていつきが色んな女の子に好意を向けられて交流しているのを見ると、胸が痛んで仕方ない。

 

(だめ、だめなのに……)

 

 せっかく、いつきが、外へ、外へ、と自分を開けるようになったのに。

 

 なんで自分は、それに、後ろめたい思いを抱いているのだろう。

 

 

 

 

 

 

(……お部屋に帰ろうかな)

 

 

 

 

 

 あずさは壁から背中を離し、ホールを出ようとする。

 

 踊る相手もいなくて暇だし、お料理もとっくにお腹いっぱいだ。

 

 ここにいても、ぐるぐるとどうしようもないことを考えてしまうだけ。

 

 ならいっそ、「一人で」部屋に戻っていた方が良いではないか。

 

 

 

 

 

(――――っ!?)

 

 

 

 

 

 さらに胸が強く痛む。

 

 部屋に「一人」と意識した瞬間、こらえきれないほどの、寂しさや虚しさが、彼女の心を襲った。

 

 いつきが小学一年生のころから、ずっと一緒だった。それぞれに子供部屋が与えられていたのに、家にいるときは大体どちらかの部屋で一緒で、寝る時も同じベッドだった。

 

 だが、いつきは色んな人と交流を楽しみ、その間に自分は部屋で「一人」。

 

 その、あずさといつきの、今までと今の、大きな対比に、賢すぎる彼女は、気づいてしまった。

 

 足が止まる。

 

 ここにいても辛い。部屋に戻っても辛い。

 

 胸の痛みは強くなっていく一方。頭の中に重く湿った思考がぐるぐると回る。だんだんと呼吸が浅くなって、意識が遠のいてくる。

 

 

 

 

 

 

(どうしよう!?)

 

 

 

 

 

 

 

 壁から少し離れたところで、ダンスには背を向けて、中途半端なところで立ち尽くし、あずさはパニックになってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あずさお姉ちゃん、ここにいたんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、頭の中を廻っていた思考が、全て吹き飛ばされる。

 

 遠のいていた意識が戻り、どこか遠ざかっていた周囲の喧騒が一瞬で蘇り鮮明になる。

 

 そしてあずさは、はじかれたように勢いよく振り返った。

 

「……どうしたの?」

 

 そこには、自分にとてもそっくりな、賢くて、強くて、可愛くて、格好良くて、大事な大事な(いっくん)が、不思議そうに首をかしげていた。

 

「え、ええ、と」

 

 さっきまで他の女の子と踊っていたはずじゃ?

 

 そんな言葉が出かかるが、頭は真っ白で、何も言葉が出てこない。

 

「な、なんでもない、よ?」

 

「そう?」

 

 なんとか絞り出した言葉は、自分でも説得力がない。

 

 当然、いつきも納得はしていない様子。うつむき気味のあずさの顔を、下から上目遣いで覗き込んでくる。急にいつきの顔が間近に迫って、あずさの心臓は跳ねあがった。

 

「どっか悪いの? 一緒に部屋にもどろうか?」

 

「う、ううん、大丈夫、大丈夫だよ!」

 

 あずさは勢いよく首を左右に振り、必死に否定する。未だに頭は真っ白で混乱しているし、背中に汗が流れているし、口の中がやけに渇いているが、胸の痛みはいつの間にか治まっていた。

 

「そっか、ならよかった」

 

 いつきはそう言いながら可愛らしく笑って、近くのテーブルからお冷を持ってきて渡してくれる。あずさはそれを受け取るや否や、勢いよく飲みはじめた。

 

 渇いていた喉に、上がっていた体温。よく冷えた水が、身体に染みわたる。それと同時に、頭もだんだんと冷えてきた。

 

(ああ、いっくんって、やっぱり……)

 

 自分が求めていたものを、いつも渡してくれる。

 

 この水もそうだ。研究に関する意見や知識もそう。そして、いつきが不登校を決めた直後も、お互いに守りあうと決めた時も、こうして今も、あずさの心を温めてくれるのだ。

 

「……ありがとね、いっくん」

 

「うん、元気になったみたいでよかった」

 

 落ち着いたあずさは、半分ほど減ったコップを返す。いつきは彼女の様子を見て、可愛らしくにこりと笑うと、彼も踊りっぱなしで喉が渇いていたのか、残った水を飲み干して、コップをテーブルに戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあさ、あずさお姉ちゃん、最後に、一緒に踊ろうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその、小さな小さな可愛らしい手を、あずさに差し出す。

 

「………ぇ?」

 

 突然のことに、あずさは驚きで声も出なかった。

 

 思考が停止して身体はコントロールを失い、半ば反射的に、虚空になんとなく差し出すように、その手へと、自分の手を、ゆっくりと伸ばしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 ――そんなあずさの手を、いつきは自分からさらに伸ばしてしっかりと掴み、軽く引っ張った。

 

 

 

 

 

「きゃっ!」

 

 突然バランスが崩れてつんのめったあずさは悲鳴を上げて倒れそうになる。だが、そんな彼女を、いつきは優しく支えつつ誘導し、ダンスの輪へと入っていく。

 

「さ、いくよ?」

 

 あずさの両手を、いつきの両手が掴む。お互いが放つ体温が分かる程に、顔が近くなる。

 

 いつしか。あずさが大泣きしながらいつきに抱き着いて押し倒した時と同じような状況。

 

 だが今は、いつきのほうから、こうして誘ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大好きな大好きないつきからのお誘い。

 

 あずさはそれに、弟に似た、可愛らしい満面の笑みで頷き、二人だけの世界であるかのように、一緒に可憐に、最後の一曲を舞った。




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