魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

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8ー2

 九校戦が終わり、代表たちの遅い夏休みが始まった。ただし課題の類はほぼ全て免除されており、一般生徒よりも夏休みを開放的に楽しむことができる。

 

 ここの楽しみ方・過ごし方はそれぞれ違う。

 

 例えば、中条姉弟は特に変わったことをせず、いつも通りの日常を過ごしていた。

 

「いっくん、チェックしてもらっていい?」

 

「うん、いいよー」

 

 あずさの部屋では、あずさがコンピュータに向き合ってキーボードで論文執筆の続きに取り掛かっている。その後ろでは、いつきが端末と本を大量に並べて中身を調べまくり姉の執筆の手伝いをしている。

 

 いつきの端末に書き進んだ部分の文章が送られてきた。吉田家蔵書室の奥底から引っ張り出した古文書の内容を要約した部分となっている。引用ではなく要約となると、出典元の内容と相違がないか厳しくチェックする必要があるため、わざわざこまめに第三者にお願いしているのだ。

 

 これは6月中頃からの中条家での日常風景だった。二年生にして論文コンペ代表を狙うあずさは去年以上に真剣に取り組んでいる。強い味方・幹比古を得たこともあって、彼女の研究は去年よりも格段に進んでいた。何よりも、妖魔の類が実際に存在し、それがしっかりと分類されていることがわかったのが大きい。現代魔法師の尺度だけでは、ここにたどり着けなかっただろう。

 

 論文の内容は、「パラサイトの実在と、精神情報イデアの存在可能性」である。古式魔法師たちの記録とロンドンで行われた会合を主な根拠としてパラサイトの存在を示したうえで、その正体の考察から、精神情報に関するイデアが存在する可能性を示す、という流れだ。

 

『言われてた本、持ってきましたよ』

 

「ありがとうございます!」

 

 あずさの傍に置いてある端末には、幹比古が映し出されている。映像通話をつなげて、アドバイスをもらったり、蔵書室から望んだ本を取ってきてもらったりしているのだ。できれば実際にこちらから赴いてやったほうがはるかに効率が良く、実際にそうする日もあるのだが、しかし毎日というわけにはいかず、こうしてリモートで協力を仰ぐことが大半だった。

 

 可愛い弟と、頼りになるその親友。そのほか色々な人の協力を得て、あずさの執筆は順調だった。

 

 とはいえ、締め切りは目前である。彼女は本来余裕をもって提出するタイプなのだが、この論文は、ギリギリまでブラッシュアップしたかったのだ。

 

 

 

 

 

 ――九校戦が終わってすぐにこんな日々を再開して数日、彼女の努力の結晶は無事完成し、正式に受理された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっ! すごい! 三年ぶりだからすっごく広く感じるね!」

 

 夏休みももうすぐ終わるという頃である8月26日。中条家の四人は、久しぶりに家族旅行で海水浴に来ていた。

 

 去年はいつきが、おととしはあずさが、それぞれ受験生だったので、家族旅行は控え目であった。だが今年はそれもないし、二人とも九校戦でとても頑張ったので、そのご褒美として、今まで何回か来ている大衆向け海水浴場ではなく、やや高級で落ち着いたビーチへと来ていた。

 

 砂浜に出たあずさは、どこまでも広がる青空と海を見て、跳ねまわってはしゃぐ。彼女の小ささ・可愛らしさも相まって、まるで小学生のようだ。

 

 そして彼女の水着もまた、見た目相応のデザインである。控え目なフリルがついた、黄色を基調とした、ワンピースタイプ。大変可愛らしく似合っているのだが、21世紀前半よりも洗練されたお洒落が当たり前となったこの時代の女子高生としては、あまりにも子供っぽすぎる。

 

「そういえば久しぶりかもね」

 

 そんなあずさの横で笑顔を浮かべて頷いている、彼女に瓜二つな子が、その一つ下の弟・中条いつき。この見た目だが、れっきとした男である。

 

 彼のスタイルは中性的である。透けないタイプのやや厚手のシンプルなTシャツを着て上半身をしっかりと隠し、下半身はデニムベリーショートパンツタイプの水着だ。別に本人は何らこだわりはないのだが、あずさと瓜二つの人間が彼女と並んで上半身裸なのは色々不健全なので、主にあずさのお願いでこのようなスタイルになった。

 

「ね、ね、いっくん、さっそく泳ぎに行こうよ!」

 

「うん、いこっか!」

 

 あずさはいつきの腕に抱き着いて引っ張る。いつきもそれに抵抗することなく、二人は一緒に砂浜に小さな足跡を残しながら走って海へと向かった。

 

「ちゃんと準備運動するのよ~」

 

 そんな娘・息子を、カナは穏やかな顔で見送る。口ではこう言ってはいるものの、あの二人ならばと心配はしていない。実際波打ち際でぱちゃぱちゃ軽く遊んだ後は、二人ともしっかりと準備体操を始めた。

 

「あの年頃になると男女関係なくきょうだいっていうのは少し避け合うものだと思っていたんだけどね」

 

「あそこまで仲が良いのは珍しいわよねえ」

 

 お互いの体を押し合ってストレッチ体操している二人を見ながら、学人とカナはにこにこしながら夫婦水入らずで会話をする。

 

 あの二人は周囲のママ友・パパ友の子供たちに比べたら、かなり仲が良い。いや、恐らく、世間と比べてもトップクラスで親密な関係を築いていると言えよう。なにせ性別が違うのに、未だに一緒に寝ているし、一緒にお風呂まで入っているのだ。

 

「…………いつ止めさせようか?」

 

「…………さ、さあ……」

 

 そしてこの仲の良さこそが、二人の悩みの種だった。

 

 いくら姉弟とはいえ、この歳で、異性だというのに一緒にお風呂に入るというのは、さすがにどうかしている。しかも毎日だ。この歳どころか、小学校低学年でそれを卒業するべきであろう。我が子ながら、もはや変態だ。

 

 親であるこの二人は、それを止めさせることができるし、その義務も背負っていると言えるだろう。実際、何度も何度も、分かれて入るように言おうと思うタイミングはあった。

 

 だが、言い出せない。

 

 かなりしっかり者の夫婦だが、一方で穏やかな性格が災いし、人に強く物を言えないのである。それは自分の愛しい子供たち相手でも変わらない。

 

 それに。

 

 もし分かれて入るように言ったのがきっかけで、あの二人がお互いを「異性」として認識し合ってしまった場合――――何が起こるのか、怖かった。

 

 間違いなく、今の穏やかで親密な関係は、多かれ少なかれ「変わる」だろう。

 

 そうなったとき、果たして二人は、どのような関係になるのか。

 

 それが怖くて、二人は、未だにほのめかすことすらできないでいたのだ。そうこうしているうちに、二人は九校戦に向かい、姉弟で特例と言うことで二人で同じ部屋で寝泊まりすることになった。きっと、そこでも一緒に入浴し、同じベッドで寝たのだろう。周囲に露見しないかと冷や冷やした10日間だったが、なんとか大丈夫だったらしい。

 

 準備運動を終えたいつきとあずさは、波打ち際から少し沖の方の浅瀬で、水を掛け合ったり、お互いにくっついてじゃれあって海に全身を浸けさせようとしたりして遊んでいる。普段の衣服ではなく水着で、お互いの「肌」にかなり近い状態だが、二人とも全く気にするそぶりはない。

 

 そうして照り付ける太陽にも負けない笑みで笑い合うと、いつきがいきなり魔法で携帯端末を取り寄せ、二人で密着して自撮りをしてから何やら操作をして、また魔法で戻した。記念撮影だろう。

 

「二人にとって、良い10日間になったみたいね」

 

 若干の不安を残しつつ、カナはまた穏やかな笑みを浮かべる。

 

 九校戦。才能ある我が子二人は、それぞれエースクラスのエンジニアと新人戦男子エースとして、大活躍した。

 

 特にいつきは二競技で力を見せつけ優勝し、さらにトラブルから急遽モノリス・コードにも参戦し、あの一条将輝を相手に互角の勝負をして準優勝を持ち帰ってきた。

 

 いつきとあずさが一緒にいる学校の友達に遠慮して会いに行くことはしなかったが、二人とも保護者特権で、あの会場で生で全てを見ていた。可愛い息子の大活躍に目を奪われ、心の底から喜び、喉が嗄れるほどの声援を叫んだ。

 

 そんな濃密な青春を共に過ごしたいつきとあずさは、この九校戦を通して、今まで以上にさらに仲良くなったのだ。帰ってきてからは論文執筆でずっと一緒だったし、こうして解放されてからは、主にあずさがいつきにくっついている。両者の間にはパーソナルスペースが全くないのだろう。

 

 

 そんなことを考えているうちにいつきとあずさの遊びはヒートアップしていく。ついに両方とも、海水へとしたたかに倒れた。そしてずぶ濡れになりながら起き上がると――目を合わせて、誰の目も気にせず、二人だけの世界で、声を上げて笑い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雫の家の計画にお呼ばれして、達也のお友達グループはプライベートビーチで夏を満喫していた。

 

 幹比古もその一人である。レオと達也に対抗して魔法抜きの遠泳競争をしてビリに終わった幹比古は、息を切らしながら、パラソルの下のテーブルでぐったりと休憩していた。

 

「はい、残念賞」

 

「……殺すつもり?」

 

 エリカがコップをドンと幹比古の前に置く。その顔には、実に邪悪な笑みが浮かんでいた。

 

 頼んだのはスポーツドリンクだが、コップに入っているのは砂まじりの海水。間違いなくたった今掬ってきたものだろう。確かに大汗かいて喉が渇いたので水分と一緒に塩分も欲しかったが、これでは濃すぎる。

 

「じょーだんよ、ほら」

 

 幹比古が本気で睨んできたので、エリカはケラケラ笑いながら背中に隠していたスポーツドリンクのペットボトルを渡す。受け取るや否や幹比古は、よく冷えたそれを一気にボトル半分ほどまでがぶ飲みした。

 

「ぷはー」

 

「ほら、ありがとうは?」

 

「海水の分でなし」

 

 ニタニタ顔のエリカにそっけなく返事をして、もう半分を飲み干す。

 

 久しぶりの海だったので、ペースを見誤った。いや、それは要因の一部。一番の原因は、体力お化けの二人に食らいつこうとしたからだ。

 

 空になったペットボトルを乱暴にテーブルに置き、そのまま疲れた体を弛緩させて突っ伏する。あのモノリス・コードほどではないが、鍛えている彼を以てしてもかなり堪えたのだ。

 

「…………いつきも来ればよかったのに」

 

 そうしてモノリス・コードから連想したのが、そこで肩を並べて戦った親友・いつきだ。いかんせん急な話だったため、いつきはちょうど同日に家族旅行の計画があり、来られなかったのである。

 

 いつきは、幹比古が誘ったのではなく、雫が直接誘った。このことから分かる通り、いつきは、幹比古を通じて、そして九校戦を通じて、このお友達グループの一員と認識されていたのだ。

 

 あの親友がいれば、このバカンスは、もっと楽しかったに違いない。それだけが心残りだった。そして願わくば、遠泳に参加して途中ギブアップしてもらい、自身をビリっけつにさせないでほしかった。

 

 そうしてぼんやりと考え事をしていると、エリカが頭のてっぺんを突いて――彼女のパワーで遠慮なく突かれたのでかなり痛い――きた。

 

「ミキ、あんたのケータイ通知来てるわよ」

 

「幹比古だ!」

 

 痛む頭をさすり、しっかりと不本意なあだ名に抵抗しながら、テーブルに放置していた自分の端末に手を伸ばす。見てみると、メッセージが届いていた。

 

「あ、いつきからだ!」

 

 たった今考えていたところに、ちょうど送られてくる。そんな偶然が嬉しくて、つい笑みをこぼしながら、その中身を開く。

 

「……あー、うん、いつも通りだね」

 

「え、どれどれ、あー、そうね」

 

 そして中の写真を見て、二人は呆れ果てる。そんな反応を見て気になったのか、他のみんなも集まってきては端末を覗いて、全員が微妙な反応をした。

 

「相変わらずあいつはそんな感じなのか」

 

「仲が良いのは構わないのですが、べたべたしすぎですね」

 

 一番最後に集まってきた司波兄妹も、辛辣な評価を下す。

 

 送られてきた写真は、いつきとあずさのツーショットだ。

 

 とっても可愛らしくそして子供っぽい水着を着たあずさがいつきの腕に抱きついて密着して端末カメラを見上げて満面の笑みを浮かべ、いつきもあずさに身体を寄せながら天使のような笑みを向けている。そして身を寄せ合った二人の柔らかそうな頬は、お互いの形が歪む程に密着していた。

 

 明るくて、ほほえましくて、仲が良さそうで、可愛らしい、理想の関係のような写真だ。ただし「幼い姉弟の関係として」という言葉つきで。見た目は幼いが、二人とももう高校生だし、片方は先輩だ。こんなのを見せつけられては、「姉弟で何バカップルをやっているんだ」としか思えない。

 

 やれやれ。

 

 達也と深雪は同時に、いつまでもベタベタしている幼い姉弟に呆れて、ため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………はあー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幹比古たちのため息が、いつきとあずさではなく自分たちに向けられていることに、達也と深雪は全く無自覚であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ははは、あの二人は相変わらず仲良しじゃな」

 

 これと同日。三高の地元金沢は気候変動があったこの時代でもなお避暑地として有名であり、当然一色家もささやか――二十八家基準――ながら別荘を持っている。そこに親友の栞と沓子も招待して、三人で優雅な夏を満喫していた。

 

 そんな中、携帯端末――CADを当たり前のように操作する彼女がこの程度の機械を操作できないはずもないがこれは意外に思うかもしれない――に届いたメッセージを確認した沓子は、元々浮かべていた楽しそうな笑顔が、さらに大きく花開いた。

 

「…………どっちも女の子みたい」

 

 気になって失礼ながら後ろから覗いた栞は、思ったままの感想をこぼした。少し遅れて覗き込んだ愛梨も、同じことを思ったであろう、呆れたような溜息をついている。

 

 沓子に送られてきたのは、幹比古に送られたものと同じ、いつきとあずさの自撮りツーショットだ。「瓜二つの可愛い双子姉妹」にしか見えないが、年齢は違うし、片方は男である。

 

 いつもより幾分か気合の入った手つきで沓子も返信を入力し、最後に先ほど撮った三人での写真も添付する。いくつか撮った中でも我ながら一番可愛く撮れた自慢の一品だ。

 

 こんな具合で、九校戦が終わってからも、いつきと沓子の交流は続いていた。沓子の方から連絡先の交換を要求し、いつきも快く受け入れたのである。彼は忙しいのか返事は日に二・三回で、少しさびしさもあるが、このメッセージのやり取りは、この夏新たに生まれた彼女の大きな楽しみであった。

 

(自覚あると思う?)

 

(多分ない)

 

 楽しそうに返信文を検討する沓子の背後で、愛梨と栞はアイコンタクトで会話をする。

 

 親友の二人だからこそわかるが、沓子は割と携帯端末でのメッセージにマメな方ではない。彼女から送られてくる回数も年頃の女の子にしては少ないし、確認や返事が遅れたりすることもしばしばだ。ただ返事自体は簡素なものではなく、彼女の明るい人柄が伝わってくる、「!」を多用した文である。そのくせ手紙はやたらと凝っていて、上等な和紙に毛筆でやたら達筆な字で雅な内容を送ってくるのだが。

 

 だが今のように、いつきとのやり取りだけは非常に楽しそうでやる気満々だ。人と話している時などはさすがに端末を弄るようなことはしないが、ふとした隙間時間になると嬉しそうに確認している。しかも着メロ――100年経っても愛される機能だ――は、いつき専用の曲が設定されている。このような特別扱いは、今までは親友である二人だけだった。

 

 もはや火を見るよりも明らかだ。だが、普段の態度の割には人の心の機微に敏感なくせに、自覚は未だに無い。傍で見ている身としては、中々歯がゆいものだ。いっそ指摘して自覚を植え付けてやろうかと何度も思ったが、それをするほど二人には厳しさと勇気が足りなかった。

 

「距離があってしばらく会えんからのう。次会えるのはいつになるやら」

 

 魔法科高校生は忙しい。修学旅行も文化祭も体育祭もない。当然、休日に地方をまたぐような旅行をする時間もない。たまにはあるが、お互いの都合があうことはまずないだろう。

 

 まるで遠距離恋愛をしている乙女のような顔で、沓子はメッセージを送信して、端末をしまう。当初は、送ってからはずっと返信を犬のようにじっと待っていたが、さすがにそろそろ返事がすぐに届かないことを分かり始めていた。

 

「次に集まるのは……論文コンペかしらね」

 

「お姉さんの方がエンジニアをやっていたから、多分中条君も来ると思う」

 

 10月の末に行われる、学問版九校戦ともいえるイベントだ。彼の姉は、九校戦のエンジニアとして活躍していた。きっとこのイベントで展開される高度な内容にも興味を示すだろうし、彼もそれについていくだろう。

 

「おー、そういえばそんなイベントがあったのう! それは楽しみじゃな!」

 

 小難しいことは考えたくない、悪い意味で三高らしい面もあるのが沓子だ。実際論文コンペに今まで興味はさほど示していない。だが、今この話を聞いた途端にこれだ。

 

 今この瞬間、沓子の脳内カレンダーに、論文コンペの存在が大きく刻みつけられた。今から二か月と少しの間、一日千秋――実際は五分の三秋ぐらいだろうが――の思いで待つことだろう。

 

 

 

 ――そんな論文コンペが、悪い意味でも一生忘れられない思い出になるとは、この時は、誰しもが思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、服部君じゃないんですか?」

 

「え、中条じゃないんですか?」

 

 夏休みが明けて二週間ほど経った生徒会室。

 

 二年生であるあずさと範蔵の間抜けな声が、妙に響き渡った。

 

「え、えーっと……?」

 

 途端、間の抜けた雰囲気を残したまま、空気がひりつく。真由美の顔は引きつり、どうここから話を続けようか思案している様子だった。

 

 そしてそこにいた達也と深雪は、ひりつく理由がわからなかった。

 

『そういえば、もうすぐ生徒会長選挙よね。あーちゃんとはんぞー君、どっちがやるの?』

 

 先ほどの二人の言葉は、真由美の質問に対する、答えではなく返事だった。

 

「服部君は副会長ですし、このまま会長になるのが自然だと思いますよ?」

 

「あー、それがな、俺……僕は、生徒会を抜けて、部活連の会頭をやろうとしているんです」

 

「「え、ええ!?」」

 

 範蔵の告白に驚きの声を上げたのは、あずさと真由美だ。特に真由美の表情は深刻で、それは鈴音と摩利も同じであった。

 

「十文字先輩から推薦されまして、僕も立候補するつもりなんです。なので、生徒会長には立候補しません」

 

「ちょ、そういうのは早く言ってよはんぞー君……」

 

「すみません、昨日決まったことなので」

 

 鈴音が隠れて舌打ちしたのを達也は見逃さなかった。さしずめ、「先に手を付けられた」とでも思ったのだろう。

 

 さしもの真由美たちでも、克人の推薦有となっている範蔵本人の会頭になろうとする意志には逆らえない。

 

 こうなると残る候補は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、えっと?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――今にも立ち上がって逃げだしそうな中腰の姿勢になっている、小さな小さな二年生・あずさだ。

 

 全員の視線が彼女を射抜く。あずさは冷や汗を垂らしてさらに一段階椅子から腰を浮かせるが、摩利がいつの間にか入り口近くに陣取り始めた。

 

「そういうわけよ。あーちゃん。覚悟を決めなさい」

 

「生徒会長にふさわしいのはお前か服部以外あり得ない」

 

「私も中条さんが一番適任だと思います」

 

 先輩方が矢継ぎ早にあずさを説得にかかる。達也と深雪は訳も分からずその様子を見ているほかない。そうしているうちに、あずさがだんだん泣きそうな顔でこちらを見てくるので、忍びなくなって、達也は助け舟を出すことにした。

 

「中条先輩にその気がないなら仕方ないでしょう。生徒会で候補を絞っておけばスムーズでしょうが、一般生徒も立候補したがるのでは?」

 

 達也の指摘に深雪も頷く。二人視点では尤もな意見だ。

 

 だが、どうにも反応が悪い。それは、擁護される側のあずさですら頷かないことから明らかだった。

 

「あー、達也君と深雪さんは知らないわよね」

 

 真由美の言葉も何だか歯切れが悪い。その横のでスクリーンに何か資料を映そうとしている鈴音もまた、操作はよどみないながらも、表情に少し戸惑いがあった。

 

 映し出されたのは四年前の生徒会選挙の記録だ。

 

「自由な選挙」を標榜したその年の選挙は、実力者たちが次々と立候補し、その選挙運動は激しい魔法の応酬へと発展し、けが人が二桁に入ったところで――――あとは言わずもがなである。

 

「……………………南米やアフリカなら天気の挨拶なんですけどね」

 

 達也は遠い目をしながら、なんとか言葉を絞り出した。

 

 ――第三次世界大戦に伴い、世界では、大国が周辺の国を取り込んで巨大国家となった。

 

 ロシアは旧ソ連圏の国を次々飲み込んで新ソビエト連邦に、中国も東アジアを飲み込んで大亜細亜連合に、アメリカもカナダなどを吸収してUSNAとなり、比較的国境が変わらなかったヨーロッパも従来のEU路線を強化して疑似的な大国になっている。

 

 一方でアフリカと南米は小国が乱立状態となり、政情は平成と比べて悪化している。例えば選挙などでは、発達した技術が人を容易く傷つける武器となって猛威を振るっているのが現状だ。

 

 ちなみに日本は自衛隊を国防軍へと変えるのが精いっぱいで、新たな領土は、大亜細亜連合に周辺が呑み込まれたこともあって得られなかった。ただし領土問題を抱えていた地域は相手方が他国とも戦争をしているどさくさに紛れてイニシアチブを確保できたので、一応戦勝国と言えなくもないだろう。

 

「うすうす思っていたのですが、魔法科高校って……血の気が多い方が多いのでは?」

 

「ごもっともです」

 

「面目ない」

 

 深雪の鋭い指摘に、「血の気が多い」代表の範蔵と、本人も血の気が多い方だしそれを止める立場にある風紀委員の長である摩利が、目を逸らしながら反応した。ここに雫あたりがいたら「達也さんが絡んだ時の深雪もそうじゃない?」と言ってくれただろうが、いるのは内心でそう思うにとどめた真由美のみである。

 

 この時代は「生徒自治」の名目で、高校では生徒会の権限が強くなっている。魔法科高校は特に強くて、魔法師界隈が狭いせいで学生の頃の権力図が大人になっても影響が残る。「自分こそは」と家を背負う生徒も多いだけに、生徒会長を狙う生徒は多いのだ。

 

 そしてそれがヒートアップしたら――立候補するほどの実力者たちによる、戦争が始まるのである。

 

 そういうわけで、二年生以上の生徒会役員の間では、「会長はあらかじめ一本化してそれ以外の立候補を押さえつける」のが当たり前となっているのだ。

 

「……とりあえず、色々と分かりました」

 

 訳が分からないし、納得もしていないが、理由は理解した。これは確かに、あずさを立候補させるのがベストだろう。

 

 だがしかし当の本人は、達也たちですら中立から敵へと回り四面楚歌通り越して六面楚歌となって、今にも泣きだしそうになっている。

 

「む、無理ですよ、私なんかに、生徒会長なんて……」

 

 真由美のカリスマと辣腕、背負った責任や仕事量。それを傍で見てきたから分かる。自分には、そんなことはできない。

 

 全員から囲まれて推薦されようと、その意思は変わらない。すっかり弱気になっているが、ある意味でその「自信の無さへの自信」が、そこに表れている。

 

「そ、それに、それに……」

 

 身を縮めて逸らしていた、もう涙がこぼれて泣き出してしまっているくりくりっとした目が、真由美を捉える。

 

 射貫かれた真由美は一瞬、戸惑った。そこには、ただの弱気だけではない、確固たる意志が込められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生徒会長になったら、論文コンペの代表になれないじゃないですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲高い涙声の叫びが、生徒会室に響き渡る。

 

 その言葉に、誰も、何も言い返すことができない。

 

「論文コンペの出場は、ずっと夢だったんです! 生徒会長は、採点者をしなければならないから、発表者にはなれません!」

 

 そう。ここにいる全員、特に一年以上生徒会役員としてともに仕事をしてきた真由美たちは、あずさの「夢」をよく知っている。

 

 折に触れて出場したいと熱く語っていた。論文コンペにあこがれて入学し、生徒会活動やお勉強の傍ら、研究に精を出していた。

 

「で、でも……来年の今頃には、もう生徒会長は退任しているわよ? 今年はリンちゃんが代表で決定したから今生徒会長になっても大丈夫だし、来年の代表にはなれるじゃない」

 

 こんな雰囲気の中でも、真由美は戸惑いながらも筋道だった反論を繰り出す。事の成り行きを静観することにした達也は、改めて真由美の胆力を賞賛した。

 

「そうとは限りません。過去に、選挙がトラブルで間に合わなくて、三年生の会長が二回目の審査員をした例があります!」

 

「そ、そんなことはそうそう起こり得ないだろう? それに来年の会長は、そこの司波深雪で今の段階ですでに決まりみたいなものだ。トラブルになるわけがない」

 

「仮にそうだとしても、生徒会長が格段にお忙しいのは知っています。これからの研究活動にも支障が出るでしょう。役員までは大丈夫ですが、会長となると、私には荷が重すぎます!」

 

 逃げようとしていた中腰は、今や逆に机に両手をついて前のめり。立ち上がって、真正面から、真由美と摩利を睨む。いつの間にかこぼれていた涙は止まり、確固たる意志の光が、そこに宿っていた。

 

 真由美たちが言葉に詰まる。

 

 生徒会長が多忙である、というのは、誰よりも身をもって知っているからだ。本人のとびぬけたステータス、鈴音やあずさのような事務方、摩利や範蔵のような睨みのきく存在、そして今年はその両方を兼ね備える司波兄妹が入ってきてくれて、それでなんとかかんとか乗り越えた、というレベルだ。

 

 先ほどまでの応酬が一転、生徒会室を張り詰めた沈黙が支配する。真由美と摩利は何か言おうとするも思いとどまって口をパクパクするだけ。一方のあずさも、相当勇気を振り絞ったのか荒く呼吸をしながらも、真由美たちから目をそらそうとしない。

 

 

 

 

 

 

 

「…………はあー」

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中。

 

 鈴音の漏らした重く長いため息が、妙に大きく響く。

 

 途端、全員の視線が彼女を向いた。

 

 そのため息に、意味がありそうなのが分かったからだ。

 

 鈴音は意見はしっかり出すが、このメンバーの中で「自我」をあまり表には出さない。あくまでも、サポートや裏方に徹することが多かった。

 

 だが今この瞬間。まるでいつもの真由美のように、全員が、彼女の言葉に耳を傾けている。

 

「…………そこまで言われては、仕方ありませんね」

 

 そんな彼女が浮かべたのは――諦観の籠った、柔らかな笑み。

 

「私には、中条さんの気持ちがよくわかります。私も、同じことをずっと思ってましたから」

 

 あずさも含めて、全員がハッとする。

 

 そう。彼女は今年の発表者だ。つまりそれだけの実力のみならず、論文コンペにかける思いがあった。

 

 親友である真由美や摩利も知っているし、生徒会の仕事中、あずさと彼女が論文についてあれこれ意見交換していたのも見ている。

 

「……同じ断った立場である俺が言うのもなんですが……申し訳ないですが、俺も中条の夢を応援したいです」

 

 そしてそれに続いたのが範蔵だ。あずさの親友である彼もまた、彼女の夢をよく知っている。それこそ、心酔している真由美に逆らってしまうほどに。

 

 ――彼は真由美にあこがれて心の底から尊敬し、そして生徒会役員の仕事に誇りを持っていた。

 

 だが今彼は、その生徒会から離れて部活連会頭になろうとして、そしてさらに真由美に真正面から逆らっている。

 

 卒業していこうとする真由美への、ある意味での決別の表れ。

 

 あずさと同じく、彼もまた、「憧れの真由美」からの独り立ちをするほどに成長していた。

 

「――――――わかったわ、しょうがない子たちね」

 

 はあ、と、呆れたようなため息。

 

 緊張していた全身の力を抜いて、真由美は顔を上げる。

 

「可愛い後輩がそこまで言うんだったら――最後に、願いをかなえてあげたくなるじゃないの、全く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか大きくなって。

 

 

 

 

 

 

 

 小さくそう続けながら、真由美は二人に向けて、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな経緯があって、生徒会長の選定のために、真由美は最後の大仕事をすることになった。

 

 深雪を選出しようかと思ったが、本人と達也の両方からきっぱりと断られてしまう。

 

 生徒会経験者は全員ダメだ。そうなると、今の二年生から生徒会長にふさわしい人材で、ついでに欲を言うとスタンスが真由美に近い存在……そう考えて白羽の矢が立ったのが、五十里だった。

 

 だが彼とて、生まれからして生粋の技術者・研究者だ。論文コンペにかける思いは強いだろう。何せ彼もまた今年論文を提出していて、あずさに次ぐ四位になっている。三年生の実力者たちも参加している中でこれは、あずさ共々快挙であり、実力のみならず本人の情熱もかなりのものだったに違いない。

 

 そういうわけで、この交渉も難航した。

 

 最終的には、次期風紀委員長が確定している花音をそそのかし、真由美と摩利の関係を意識させ、「生徒会長と風紀委員長は相棒のような存在」と刷りこむことにした。

 

 単純な彼女はまんまと引っかかり、恋人である五十里と並んで学校の先頭に立ちたいと興奮し、彼に熱心な説得をしてくれた。そしてこれに、五十里が狙い通り折れてくれたのである。

 

「いーい、可愛い後輩たち。人を落とすにはね、金とオンナと権力欲が重要なのよ?」

 

 交渉成功した直後の真由美が、「ナハハハハハハ!」という奇妙な高笑いとともに生徒会からの去り際に残したこの言葉のせいで、留まることを知らなかった彼女の株の上昇が、一瞬でストップしたのは言うまでもないことであった。




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追記
間違って月曜日にこの話投稿してしまいました
しょうがないので今月は5話分投稿します

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