最近少しだけ、いいことがあった。
亜夜子は、自分の陰湿さに嫌気が差しながらも、つい口角を吊り上げて嗤ってしまう。
憎らしい姉・黒羽蘭は、二日前に、中学校に進学した。とはいえ、入学式以来ずっと不登校だった小学校と同じく、こちらも不登校を貫くらしい。入った中学校も適当な公立中学校。いわゆる出世ルートからは外れている。
黒羽家は四葉の分家と言う性質上、目立つことは避けなければならない。一方で、四葉の中でも中心的な役割を果たすし対外的にも働くこともあるので、それなりの「格」も持っていなければならない。
故に、トップの成績を残し積極的に課外活動でも活躍して――というような目立つ真似はしないが、その一方で、「優秀」と万人から認められる実力・実績を備えることが求められている。
だからこそ、亜夜子と文弥は最近、必死になって勉強をしている。自由な校風が特徴の名門私立中学校に進学しようとしているのだ。家柄か才能か家庭教師が良いのかその全部か、世間一般のライバルたちに比べたらその勉強量ははるかに少ないが、すでに合格間違いなしと言えるほどの学力を身に着けつつあった。
一方で姉・蘭はというと、小学生の間、ついぞ全く勉強することなく、魔法の訓練と実験にその時間のすべてをささげた。当然私立中学校なんて入れるわけもなく、ただ寝転がっているだけでも勝手に進学できる地元の公立中学校に入ることになった。世間一般的には普通の道だが、黒羽家基準では、落ちこぼれ確定だ。いい気味である。
とはいえ、別にそれは当人も気にしていないようだ。むしろ不登校をしやすくて清々しているかもしれない。それに、先日に父・貢から聞いた話によると、長女であるにもかかわらず、当主候補から勝手に外されていたのを怒るどころか、確かに喜び、しかも当主にならないということを改めて念押ししてきたという。何考えているかは相変わらずわけわからないが、何にも気にしていないのだろう。
そういうわけで、別に蘭の出世ルートが黒羽家基準で上手くいっていないというのは、今亜夜子が少し上機嫌な理由ではない。
「やべぇよやべぇよ」
平坦な機械ボイスみたいな声だというのに、確かに焦っているように感じられる呟きが、壁の向こうから聞こえてくる。
この壁の向こうは人体実験室だ。捕まえた不届き者をモルモットに色々実験しているのだろう。
蘭は幼いころから魔法、とりわけ固有魔法の発見にいそしんでいたらしいが、それで見出した魔法は、どうやらお気に召さなかったらしい。日々焦りながら、どうしたものかと考えているかのように実験を繰り返している。
そう、あの蘭が、明確に感情をあらわにして、困っている。
そのことが、亜夜子にとっては、実に愉快なのだ。
他人の不幸を喜ぶという趣味の悪さに自分でも嫌気が差すが、それは、黒羽家なら多少性格が悪くないとやってられないということで自分で納得している。
「お姉さまお疲れ。今実験終わったところ?」
「ええ、文弥は今から訓練?」
「そんな感じ。勉強ばっかじゃつまらないしね」
自室に戻って勉強しようと階段を上っていると、ちょうど双子の弟・文弥と出くわす。その表情を見るに、勉強に飽きてはいるようだが、別に嫌になってはいないらしい。
「お姉さまの方はどう?」
「ええ、順調よ」
亜夜子は少し胸を張って答える。
単一の魔法における干渉領域の広さ。これは、精神干渉系魔法に大きな適性を持たずに悩んでいた亜夜子の、唯一無二の自慢だ。司波家の深雪と言うとてもきれいな一つ上の女の子はとてつもない才能を開花させているらしいが、それでもこの広さには到底かなわないらしい。
確かに、この利点は便利だった。だが一方で、この得意を、亜夜子は活かしきれていなかったのも確かだ。
広範囲に魔法が使えるということは、それだけ大規模な攻撃ができるということだから強力である。ただし今の魔法力で広範囲攻撃を行おうものなら、相当の消耗を要することになる。それは消費に対してリターンが見合わない。
こんなことに才能があったところで、と、数か月までいらだちが募っていた。
だが、今は違う。
ついに、この、自分だけの圧倒的な適性を活かす方法にたどり着いたのだ。
『極致拡散』
密度や相対距離を操る魔法系統が、収束系魔法だ。その基本魔法として、領域内の任意のエネルギーや流体の分布を平均化する『拡散』という魔法がある。
だがこの魔法は、いまいち実践では使いどころがない。狭い範囲のエネルギーや流体の分布を平均化したところで、その空間が少し変になった、程度でしかないのだ。
だが、その範囲が広大なものになった場合、話は変わってくる。
例えば潜入の場合。
自分が発する音や体温などが、敵に見つかるきっかけとなる。
だが、そんな音や体温や電磁波などを、超広範囲の中で平均化して、認識不可能なほどに「薄めれば」どうなるだろうか。
そう、自分の存在が、敵に見つかることがない、ということだ。
諜報・暗殺任務においては、これ以上ないほどに有効な魔法である。
これを見出したことを貢に報告した時、たいそう喜んでくれた。
亜夜子はついに、自分にとっての魔法的アイデンティティーを確立したのだ。
今はそんな『極致拡散』を磨くために、実験室の一つで練習した帰りだ。その成果は上々で、この後自室で行う勉強も、きっと気分よくできるだろう。
「達也兄さまには感謝しないとね」
「そうね」
亜夜子がこの『極致拡散』を本格的に見出したきっかけは、司波達也である。
四葉の訓練場で偶然、亜夜子と達也は同席した。その時、二人からすると分からない話だが、
これによって、ぼんやりとしたイメージしかなかった『極致拡散』が具体的な実像となり、ついにその魔法を身に着けたのだ。
達也兄さまには感謝しなければならない。
亜夜子にとって達也は、まさしく恩人であった。
――そして、闇の一族と言えど、思春期の少女である彼女の思いが「想い」になるのに、そう時間はかからなかった。
今は生まれは少ししか違わない学年的には一つ上で圧倒的才能を見せつけ何かと心をささくれ立たせる深雪のガーディアンをしているが、その任が何時しか解かれれば、必ずや恋人になりたい。大人びた彼女の空想は、もはやそこまで進んでいた。
「……それと、蘭お姉さまも、一応……ね?」
「……チッ」
だがそんな高揚した気分に、弟が水を差す。未だ男らしくなる気配がない可愛らしすぎる顔に困り顔を浮かべながら、あの忌まわしい姉の名前を出してきた。
思わず舌打ちしてしまう。
そう、実に悔しいことに、彼女にとってのもう一人の恩人が、あの姉なのだ。
達也に教わる前。あの姉は、『拡散』という具体的な名前とその仕組みまで出して、亜夜子の適性をこれ以上なく活かせるアドバイスをしてくれた。今まで一応話しかけてもぞんざいに対応して無視してきたくせに、向こうから話しかけたうえでこれだ。
このことをきっかけに、亜夜子は『拡散』を磨くようになり、それを訓練場でも練習していたのが達也の目に留まって、アドバイスをもらった、という経緯である。つまり、今の亜夜子の絶好調を生み出した最初の人物こそが、あの蘭というわけなのだ。
そう、亜夜子は感謝しなければならない。
だが、それは実にはらわたが煮えくり返る。
あんな姉に感謝するなど、もっての外だ。むしろ今まで散々迷惑をかけてきたお詫びとするしかないし、それでもなんなら足りないほどである。
「あー、まあ、気持ちは分かるけど……」
「ふん、じゃあいくわね」
何か文弥が慰めようとしてくれてはいるが、それによって姉への苛立ちと自分への情けなさが増幅しかねないので、足早に立ち去る。
(認めてなど、なるものですか!)
ドアを乱暴に閉めながら、亜夜子は強く歯ぎしりをした。
そんな姉との初の合同任務を命令されるのは、この翌日の事であった。
☆
4月5日、真夜中。
黒羽家の三姉弟の、初めての実戦指令だ。
ターゲットは与党参議院議員の
ただし見過ごせない情報もある。支持率の低下の焦りからか、地元有力者に勧められて反魔法師活動に手を染めて、それで支持率が回復したことに味を占め、一気に過激化。その正体はまだ不明だが、海外マフィアとも手を組んでいるという。
「「「…………」」」
下っ端の運転で黒塗りの高級車の後部座席に並んで乗る三人は、年齢よりも幼く見える。容貌は遺伝からかそっくりで三人とも年齢以上に童顔で可愛らしく、身長も低めだ。
だがそれ以上に幼さを強調しているのが、三人の格好だ。女の子二人は黒を基調として上品にレースがあしらわれた本格的なゴシック・ロリータ衣装で、男の子はボーイッシュさもあるが「ボーイッシュ」と形容されている時点で分かる通り女装である。
そんな三人姉弟の間に漂う空気感はと言うと……はっきり言って、かなり気まずい。
亜夜子は複雑な感情を抱えつつも基本姉の蘭を嫌っており、文弥も亜夜子ほどでないにしろ嫌っている。一方蘭も、今まで妹弟にはさほど構っておらず時にはぞんざいにあしらってすらいたため、決して好いてはいないだろう。
(はーああ)
文弥は内心で深いため息を吐く。食事中や、ばったり出くわした時などで、このような空気は何度も経験している。だがここは誤魔化しがきかない密室である車内だ。さしもの彼と言えど、嫌になるのは仕方のないことだ。
その全ての元凶である左隣の長女・蘭をちらりと見やる。表情筋の障害を生まれつき持っており、その顔は無表情だ。何を考えているか分からないが、窓の外をぼんやりと見ている。
一方、右隣の亜夜子もまた、頬杖を突きながら窓の外を不機嫌そうな顔で眺めていた。この二人を隣り合わせにしたらまずいので文弥が身を挺して真ん中に挟まった形だ。幸い両者とも窓の外を見ているので、顔を合わせることはない。
(これがお姉さまじゃなければなあ)
今度は、ため息が表に漏れてしまった。
文弥は異性欲も年齢のわりにとても薄いが、全くないわけではない。ゴスロリの超絶美少女二人に囲まれてるというシチュエーションの「良さ」も分かる。だがあいにくながら二人とも血のつながった実姉だし、両者は仲が良くない。控え目に言って、ただの地獄だった。
そしてふと、嫌な予感がして、左隣を見る。
直後、心臓が跳ね上がった。
「……何? 蘭お姉さま」
さっきまで窓の外を見ていたはずの蘭が、こちらを向いていた。漏らしてしまった深いため息に反応したのだろうか。
蘭は数秒、答えなかった。文弥と、その向こうの亜夜子を、交互に何度も見る。
「……なんですか?」
それに気づいた亜夜子も、睨み返すように振り向きながら、低い威嚇するような声で問いかけた。
「「――――っ!?」」
直後、背筋が凍る。
腹の底から、冷たい何かが脳天まで駆けあがってくるかのような感覚を覚えた。
蘭が――笑っている。
何十年も前にインターネット上で流行った、あの生首饅頭のような笑顔。あのキャラクターならば可愛らしいとも言えたかもしれないが、現実の人間が、それもお人形のような飛びきりの美少女が浮かべるそれは、常識や現実感と言った、心の平穏を維持するものを、かきむしるように削り取る。
「いやあ、ふたりともかわいいねえ、にあってるよ」
表情筋障害のせいで唯一浮かべられる表情が、この歪んだ笑顔。本人に悪気はないし、悪いところもない。
だがそれでも、精神が、それを受け入れるのを拒否した。
「――っ! 何を言ってるんですか!? これから初任務なんですよ!?」
狂いそうになるほどの恐怖を振り払うように、亜夜子が叫ぶ。その可愛らしい顔には、見たことないほどの怒気が現れている。怒りの火に必死で薪をくべ、恐怖の冷たさを必死に押さえつける。その成果が出ているのか、ほんのりと上気していた。
「これはしっけい。では、うちあわせでも、しますか?」
だが、蘭の方は、それに全く構う様子がない。不気味な笑顔を浮かべたまま、機械ボイスのような平坦な声で、亜夜子の意向をくみ取るかのような提案をする。
「――――――っ!」
亜夜子はそれにさらにヒートアップするが、何も言い返せない。蘭の言い分が正しいことを、誰よりも分かっていた。感情に任せて何か言ってやりたいが、それができない。彼女は年齢のわりに、あまりにも大人びすぎていて、賢すぎたのだ。
(こんなので大丈夫かなあ……)
それに挟まれた文弥は、すでに酷い疲れを感じながら、車内の天井をぼんやりと仰いだ。
☆
「そう、そこで……そうです、あと24メートル10センチひだりをちゅうしんとして……」
屋敷への侵入は順調だった。
亜夜子の『極致拡散』はすでに実戦投入できる完成度になっており、センサーの類を全て誤魔化すことが可能だ。
だが、人の目で確認しているであろう監視カメラは別だ。光の密度を同じにした場合、暗闇ならまだしも、屋内で少しながらも明かりをつけている場所ならば、監視カメラ越しでもその異常な景色に気づくだろう。
そういうわけで、蘭が細かく探知魔法を行使して、逐一『極致拡散』を行う範囲を指示していた。
その指示は、正確かつ分かりやすい。まるでこの屋敷の構造を最初から知っていて、かつ俯瞰視点で見ているかのような視野の広さだ。今のところ移動・加速・精神干渉系以外はほぼ鍛えておらず、それら以外の魔法は探知魔法も含め並の魔法科高校受験生程度でしかないはずである。それでもその異常な構造把握・視野によって、完璧でしかもわかりやすい指示を可能としているのである。
「チッ」
亜夜子が舌打ちしながら睨む。
この場で喋っているのは、逐一指示を出している蘭だけだ。文弥も亜夜子も、むっつりと黙っている。なるべく、蘭と話したくないからだ。
だがそのせいで、黙って蘭の機械ボイスめいた声を聴くだけにならざるを得ない。蘭の提案で今はついていっているだけの文弥はまだしも、その指示に完全に従わなければならない亜夜子のストレスは、推して測るべしだ。
(見事の一言だなあ)
一般に領域魔法は、範囲が広いほど、形が複雑なほど、視界から外れているほど、座標や出力といった変数入力が難しくなる。今は監視カメラの死角を縫いつつ飾りが多い廊下の広範囲に展開をしているのだから、とても難しいだろう。しかも今は非常にイライラしている。そんな中でも彼女の魔法は精密で、非の打ちどころがなかった。
「さてふみやくん、でばんですよ」
「はいはい」
しばらく進むと、先頭の蘭が立ち止まり、文弥に振り返って指示を出す。ここまでは彼女の提案で暇だったが、ここからは逆に忙しくなりそうだ。
サイオン検知センサー。魔法師・魔法式といった一定以上の密度があるサイオンを検知し反応するセンサーだ。
軍事や警察と言った実力行使面で主に利用される魔法師は、当然、今自分たちがやっているみたいに、暴力的な活動でも活躍する。そんな魔法師の対策となるのが、このセンサーだ。
このセンサーはサイオンそのものを検知するため、ただのカメラと違って雑に探知魔法で探すことはできない。慎重にゆっくりとその検知範囲に気を付けながら、その範囲に引っかからないように精密に魔法的探知の目を広げなければならない。
蘭はなぜだかすでにかなり探知魔法を使いこなしていたが、ここまでのことはできない。逆に色々な魔法をしっかり鍛えてきた文弥ならば、この難題を可能とする。
サイオン検知センサーは非常に高級かつ一般に出回っておらず、五つほど買っただけで議員の年収が吹っ飛ぶだろう。これが、最も無防備である寝室周辺に設置されている可能性に、文弥と亜夜子は考えもしなかったが、蘭は思い当っていた。反魔法師活動をしているなら魔法師が狙いに来る。普通なら被害妄想甚だしいと言いたいが、現に自分たちが実行しているので、この小物政治家の判断は正しいと言えるだろう。
そこで提案されたのが、ある程度までは蘭が働いて文弥は休み、寝室周辺では文弥が働く、というものである。
シンプルかつ合理的で、採用する以外あり得ない。もしサイオン検知センサーに思い当らなかった二人だけなら、失敗していたかもしれないだろう。
(なーんか腹が立つんだよなあ)
得意なのは幼いころからそればかり鍛えてきた移動・加速系だけ。固有魔法も何やら使いにくそう。それ以外の魔法は黒羽家としてはまだ凡庸。その能力は、文弥・亜夜子に比べたら、年齢は一つ上だというのにすでに劣っている。
だというのに、この作戦で、蘭は中心的な役割を果たしている。すでに家の中でも構われずこれといった教育も受けていないはずだが、どこでこんなスキルを身に着けたのだろうか。
「さて、つきましたね」
寝室の扉の前。声を潜めた機械ボイスが呟く。
「いちおう、さいかくにんしますが、なかには――」
「護衛がいる、わかっています」
亜夜子の不機嫌は結局戻らなかった。その声の険は強い。
だが、ここからは本番。亜夜子は深呼吸を数回して心を落ち着けると――いつもの優雅な笑みに戻った。
扉は分厚い。大男がいても力づくでは開けられないだろう。ピッキングなどに時間をかければ、中にいるであろう護衛に悟られる危険性が高まる。
つまりここは――
「――けいさつだ!」
――一気にぶち破るのが一番だ。
蘭が魔法を行使する。移動・加速系魔法を扉に行使して、厳重であろうそれを莫大な干渉力を以て一瞬で吹き飛ばす。
同時に、大音量で警報が鳴り響く。それも気にせず、三人は一気になだれ込んだ。
「なんだ貴様らは!?」
豪華なベッドで寝ていたであろう中年男はすでに飛び起きている。またその周辺では、表情に乏しい男たちがすでに控え、戦闘態勢に入っていた。
子どもが侵入してきても、ぴくりとも表情が動かない。
いや――姉の蘭以上に、その顔には、感情と言うものが伺えなかった。
「まさか、ジェネレーター!?」
隣の亜夜子が即座に攻撃を仕掛けながら叫ぶ。
予想外だった。そこらの魔法師ならば不意打ちの利もあって倒せる算段があったが、殊おぞましい技術で仕立て上げられた強化人間であるジェネレーターは、そうはいかない。
それが、三人も。
「のーへっどどらごんと、くんでいたんでしょうね!」
蘭の攻撃は鋭い。鍛え上げた加速・移動系魔法で、すでに先制攻撃を仕掛けたうえでさらに追撃までしている。
その武器は周囲の調度品だ。絵画、壺、携帯端末など、この寝室にあるありとあらゆるものが、移動・加速系魔法により、砲弾と化す。しかもそれらは当然四方八方にあるため、回避も防御も困難だ。
だがジェネレーターとて、自由意志がなかろうとも、強化された改造人間。うろたえることなく冷静に、自身を覆うように障壁魔法を展開する。これによって動かしやすい小物類程度なら防御可能だ。
しかしそこに突き刺さるのが、亜夜子の攻撃だ。文弥の誘導によってジェネレーター二体がある程度固まったタイミングで、二体の顔を覆うようにして吸収系魔法を行使して酸素を無理やり結合させて薄くさせる。一応身体は人間のため、酸素が急激に奪われては活動ができない。二体はたまらず、その領域から逃れるように激しく動いた。
――そしてその後ろには、角海がいる。
「わるいこはおしおきだど~」
二体は角海を守るように動いていた。当然その動きは読まれており、文弥に誘導され、亜夜子の罠にかかり、離れざるを得ない。その空いた隙に、蘭の弾丸のごとき魔法攻撃が突き刺さった。
「くそっ! ぐぅ!」
だが角海とてジェネレーターを配置するほど警戒心が強い――普段は臆病と称されるが――男だ。ベッドの周りにはそうした襲撃を避けるための道具が揃えられているようで、シーツで防御する。どうやら防弾繊維になっているらしい。飛ばした壺の欠片はその勢いで角海に鋭い痛みを与えたものの、布を貫くことはなく、せいぜいが痣程度にしかならないだろう。
だが、これで十分。やろうと思えばいつでも殺せる。それをこうして示すことで、雑に逃げることを許さない。今から牽制を少しずつ挟めば、あとはジェネレーターを倒すことに集中できるだろう。
「くそ、こっちはジェネレーターが三人だぞ!? ガキが勝てるものか!? 今なら見逃してやるからさっさとお家に帰れ! 三人に勝てるわけないだろいい加減にしろ!」
「ばかやろうおまえおれはかつぞおまえ!」
姉の口調がいつもと違った場合、大抵がゲイポルノミームである。気にしないのが一番だ。
文弥はこの場で一番働いているはずの蘭を極力無視しながら、一番近くにいて一対一の様相になったジェネレーターへと攻撃を仕掛ける。得意の精神干渉系は効きにくいので、いたって普通に系統魔法だ。体格差・経験差、そして改造人間としての魔法力の差があるはずだが、実のところ、ジェネレーターとしてはそこまで性能は高くない「安物」のようで、大して強く感じない。順当に勝てるだろう。
それは二人の姉も同じだったようだ。
蘭はとっくにジェネレーターを高速タックルで吹っ飛ばし、さらに追撃として、戦闘で荒れた部屋の中に落ちていた電源コードの残骸を鞭のようにして強く叩いている。なぜか金属のような音がしたが、金属プレートでも仕込んでいるのだろうか。
一方の亜夜子も、今はジェネレーターと自分だけを巻き込む形で領域内の光を平均化する『拡散』の中で戦闘をしている。自分の視界も奪われるが、相手の視界を奪うことも可能だ。こちらから仕掛けている以上、当然こちらは相手を探知する術を持っているため、外側から目視できずとも、一方的な戦いになることは予想可能だ。
そうしている間に、文弥もジェネレーターを押し始めた。蘭ほどではないが周囲に散らばったものを移動・加速系魔法で相手に襲い掛からせつつ、本命の暗器・ナイフによる攻撃を浴びせ続ける。それはついに相手の頸動脈を捉え、そのまま即死させた。
「かったな」
全体が落ち着いたと見た蘭はあの不気味な笑顔を浮かべながら呟き、そのまま、牽制のせいで逃げられず命乞いをする角海へと急加速して向かう。
「終わったね、姉さま」
「そうね」
その様子を見ながら、亜夜子とほっと一息ついた瞬間――
――蘭が急にUターンをして、目にも止まらぬ速さで突っ込んできて、破裂音と同時に二人を突き飛ばした。
「いたっ、なんなの一体!」
「ついに狂った!?」
そのあまりにも不可解な同士討ちに、二人はこれまでの鬱憤もあって、声を荒げながら体を起こす。
そこで目にしたのは、わき腹と肩から酷く血を流す、蘭の姿だった。
そしてその少し向こうには、対魔法師用ライフルをこちらに向けている――今まで姿を見せなかった、二人のジェネレーター。
「――っ!? まさか!?」
亜夜子が顔を青ざめさせて、口元を抑える。
賢い二人は理解してしまった。
この姉は、角海に止めを刺そうとこちらに背を向けていたというのに。
今まで潜んで隙を伺っていたであろう、ジェネレーターが現れたのを知覚し。
たまたまそれらの傍にいた二人が不意打ちで狙われるのを見て――
――その身を犠牲にして、庇ったのだ。
「そんな、お姉さま!」
自分にのしかかったまま動けない蘭を、自分でもよく分からない感情に任せて必死にゆする。自覚はないが、その声は、酷く震えていた。
それと同時に、ぴくりとも動かなかった蘭が、急に起きて立ち上がる。
そして振り返り、次なる弾丸を発射しようとするジェネレーターに向き合い。
「ひとのだいじな、おとうとと、いもうとに、なにしてくれとんじゃこらああああああああ!!!」
今まで聞いたことないほど大きく叫びながら、周囲にある家具を無差別に、ジェネレーターに殺到させた。
四方八方から、大小の様々な家具が大量に、ジェネレーターたちに襲い掛かる。その速度は、目の前を通り過ぎるレースカーのようだった。
あれでは間違いなく、無残につぶれた死体になる。
そしてその攻撃が終わると同時、蘭は、力が抜けたように膝をついた。
「「お姉さま!?」」
双子の姉と、声が重なる。
だが蘭は、そのままこちらを振り返り、叫んだ。
「たーげっとをころして!」
蘭が叫ぶと同時、角海が情けない悲鳴を上げながら逃げ出す。
だが文弥と亜夜子は、半ば反射で同時に魔法を行使し、角海の命を、一瞬で奪った。
「やったぜ。」
それと同時に蘭が何やら呟いたが、文弥と亜夜子は、いつもとは全く違う意味で、その発言に構うことはなく、彼女に駆け寄った。
☆
帰りの車。行きと同じ運転手と、同じ黒塗りの高級車。
今は作戦を終え、下部組織に後の工作を全て任せて、三人は帰途についていた。
その空気は行きと同じく重い。その元となる人間もまた同じく蘭だったが、原因は全く違った。そしてまた、行きとは後部座席の並び順も違い、蘭を真ん中にして亜夜子と文弥が挟むような形になっている。
「蘭お姉さま、大丈夫?」
「はい、これぐらいへいきですよ」
弟の文弥は背もたれに体を預けてややぐったりしている蘭に、気づかわし気に声をかける。それに対して蘭は、いつもの調子で答えた。声帯の障害のせいで、いつも通り平坦であるが故、本当に大丈夫なのかどうかは定かではない。
蘭は、その身を挺して、油断して殺されそうになった亜夜子と文弥を助けた。小学一年生のころから磨いた移動・加速系魔法はあまりにも速く、ハイパワーライフルの銃弾はその速度に追いつけず、致命傷にはなってない。わき腹を掠め、肩を貫通した程度だ。だがそれでも、特に肩は直撃に近いため、本来なら入院相当の重傷であるのは間違いない。今は応急処置をして、病院と同程度の設備が整っている家へと帰る途中なのだ。
そうして、弟がたびたび蘭に声をかけている中。
亜夜子は、ゴシック・ロリータのスカートを、ギュッと白くて小さい手で握りながら、俯いているだけだった。
「どうして……」
漏らさないようにしていた感情が、口から流れ出る。自分でもわかる程に、声は震えていた。
「どうして、助けたのですか?」
隣の蘭とその向こうの文弥が、こちらを見る。蘭は相変わらず表情筋障害のせいで無表情で、文弥は驚きと納得が半分といった顔だ。
思い出されるのは、目の前で血を流す蘭と、そしてこれまでのこと。
決して、仲が良いわけではなかった。仲が悪いとすらいえるだろう。
確かに、蘭にも明確な非がある。自分の事だけ集中して、こちらから幾度となく交流を試みても、ぞんざいに扱ってきた。また数々の行動が、父親を困らせていたのも事実だ。嫌われる理由がある。
だが、それだけだろうか。
例えば蘭の行動は、少なくとも二人から見える分には、実は理不尽なものではない。小学校が不登校なのは黒羽家ならば当たり前だし、長女だというのに内側に引きこもって黒羽家の意向に乗ろうとしないのも、表情筋・声帯の障害を考えれば、幼くして自分が表に出てはいけないと思っていた表れかもしれない。なんの相談もなく自分が当主候補から外されて弟が候補に出されても、微塵も反対もしなかったのが、その推測を補強している。彼女がひたすら魔法を磨いているのを見て焦っていたのも、思えば勝手に焦ったのはこちら側だ。
そんな理由で、亜夜子と文弥は、蘭のことを嫌っていた。特に亜夜子は、心の底から嫌っていたと言える。
そんな亜夜子と文弥を、蘭は、命がけで助けた。
結果論として、全員生き残ったうえにミッションもクリアした。あれが最善だろう。
だが、黒羽として見れば、あの行動は褒められたものではない。
そもそも亜夜子と文弥が死んでしまうのは、はっきり言って、油断していた自業自得だ。ターゲットを仕留める直前の蘭がそれを中断しさらに身を挺して二人を助ける理由は、全くない。悪手とすら言えるだろう。
それなのに、蘭は、迷わず自らが犠牲になって二人を助けたのだ。
情けなかった。
こちらからほぼ一方的に嫌い、露骨に敵意を向け続けた姉。
そんな姉が、背負っているものを捨てて、命を懸けて助けてくれたのだ。
蘭は、相変わらずの無表情で、亜夜子をぼんやりと見つめる。
気づけば車内に響くのは、亜夜子がついに漏らした、すすり泣きだけだった。
「そんなの、ふたりがしんだら、いやだからにきまってるじゃないですか。だいじなんですよ」
その沈黙を破ったのは、平坦だというのに、不思議と心に響く声。
同時に、亜夜子と文弥の脳裏に、先ほどの強烈な光景が蘇る。
『ひとのだいじな、おとうとと、いもうとに、なにしてくれとんじゃこらああああああああ!!!』
二人が見上げる目の前で背を向け。
魔法師を殺すために作られたハイパワーライフルを構える改造人間を目の前にして。
その肩とわき腹から鮮血を流しながら。
平坦だというのにこれ以上ないほどの「怒気」を感じさせる声で、そう叫んだのだ。
(大事……)
自分たちを指して彼女が言った言葉。
大事。
ああ、そういうことか。
亜夜子と、そして文弥も、心にすっと、温かなモノがあふれるのを感じた。
蘭は、亜夜子と文弥のことを、大事だと思ってくれている。
四葉家と言う闇の一族に生まれ育ち、冷えつつあった二人の心に、新たな熱が戻る。
そしてその熱は、目から涙として、口から声として、そして全身から行動として、あふれ出す。
「「蘭お姉さま!!!」」
二人は思い切り、間にいる
「おーよしよし、か゛わ゛い゛い゛な゛あ゛ふたりは」
まだ痛くて苦しいだろうに、蘭はそう言いながら、二人の頭を撫でる。
なんだか変な言い方だが、構わない。
かわいいと言ってくれるのが、行きの車とは真逆で、心の底から嬉しい。
そんな二人を撫でる蘭の顔に浮かぶ生首饅頭のような笑顔も、今の二人には、とてもいとおしく見えた。