冬休みが明けてから一週間が経った。
リーナの存在による校内のざわつきは収まるどころか、さらに広がりつつある。それは彼女の美貌と実力が、どちらも深雪に並ぶことが広まったことによる。また、特定の誰かと仲良くするのではなく、各所から来る昼休みのお誘いに、彼女がバランスよくお呼ばれして交友を深めているのもある。「自分にもチャンスが」となれば、彼女をめぐるお昼休みの争いも過熱し、裏では紳士協定が結ばれるまでに至った。
「紳士協定、ですか」
そしてそれに呆れているのが深雪だ。
放課後、リーナがクラブ活動ではなく生徒会や風紀委員に興味を持っているという噂が――昼食の雑談でリーナ自身が言ったので「真実」でもある――五十里の耳に入ってきて、簡単な受け入れ準備が生徒会室で行われている。
そんな作業中、リーナに関する色々な話が、生徒会室の中で飛び交っていた。そのうちの一つが、この紳士協定だった。
「あ、あはは、個性的な方が多いようで……」
あずさはふにゃりと苦笑いしながら作業の手を止める。普段の彼女はあまり雑談で手を止めるようなことはしないが、「一応」の受け入れ準備のため仕事が少なく、すでにほぼ終わって余裕がある。それならばと、センセーショナルな留学生の噂話にしっかり参加したがるのも、なんだかんだで年頃の女の子らしかった。
深雪とあずさとしてはびっくりな話だ。一人の人間に寄ってたかって注目して、裏で争いが起こり、協定が結ばれるにいたる。その熱狂ぶりもかなりのものだが、紳士協定に至るまでのスピード感がとんでもない。
「まあ、うん」
「そ、そうですね…‥」
それに対し、五十里とほのかは、あずさよりもさらに困惑度の強い苦笑いを浮かべ、濁すように肯定する。
深雪とあずさは知るまい。いや、知らされてないから当然なのだが。
入学してすぐと九校戦が終わった夏休み明けのことだ。深雪と、あずさの弟・いつきの人気が過熱化し、今のリーナと同じ状態になっていた。その時は小規模ながら魔法が飛び交う事態にまで発展し、真由美と摩利が強権を発動して仲裁に入ったのだ。今回の紳士協定のスピード感は、「一度体験しているから」に他ならない。
当然、集団ストーカーめいたものが裏で争っていたなんて本人や家族が知ったらショックを受けるので、司波兄妹と中条姉弟に知られないよう、強い緘口令が敷かれている。真由美から「特記事項」として特別な引継ぎを受けた五十里は、生徒会長になったことを後悔したものだ。
「そ、そういえば、中条君は、シールズさんについて何か言ってないの?」
この話題は変えた方が良い。よって、不自然に変わりすぎない程度に、話を逸らす。
いつきもまたリーナのクラスメイトだ。深雪やほのかの口から色々と聴いてはいるが、男子であるいつきの話も聞いておきたい。それならば、仲の良い姉であるあずさがここにいるのだし、ちょうどよいだろう。
「えーっと、そうですね……」
あずさは目線を上げ、何を見ているでもなく虚空に視線を逸らしながら、話を思い出す。いつき自身、クラスメイトとは仲は悪くないが別に特別良いわけでもなく、その話はあまりしない。それはリーナについても同じで、あずさのほうが気になって質問する形だった。
「魔法力も学力も運動能力も、色々な面で司波さん……深雪さんと競い合えるすごい子、って言ってましたね。いっくんが魔法でも大体負けるぐらいですから、相当だと思いますよ?」
「メタルボール・バトルでは圧勝だったんですけどね」
深雪が補足を入れる。
メタルボール・バトルとはすなわち、二日目に実技で行った、金属球の支配を奪い合うゲームだ。あれ以降これは行っておらず、別のものに変わっている。それらでも深雪とリーナはほぼ対等に競い合い、いつきとほのかと森崎がだいぶ差をつけられて追いかける形になっている。だがメタルボール・バトルにおいては、いつきがリーナを一瞬で下し、校内チャンピオンから動いていない。
「いっくんはシールズさんとはあまり話さないみたいですね。ただ、人気者だとはいっくんも思ってるみたいです。…………あと、その……やたらと絡んでくるって」
「「あー」」
言いにくそうにあずさが付け加えた言葉に、深雪とほのかは苦笑いして同意する。
「その、リーナは少々負けず嫌いなタイプでして」
「それは前も言ってたね」
若干悪口に聞こえなくもない内容なので話しにくそうな深雪のために、五十里がタイミングよく相槌を入れる。
「先ほどお話しした通り、メタルボール・バトルで完敗してそのままリベンジの機会がなくなったのがとても悔しかったみたいで、よく中条君に実技で挑もうとするんですよ」
深雪とほのかも何かと絡まれているクチだ。リーナの性格もあって別に悪い気はしていないどころか嬉しいのだが、いつきは、あずさの言い方からして、どうやら迷惑に思っているらしい。
「加速・移動系に偏った競技でいきなりいっくんと戦ったら、まあ、刺激強いですよね……」
さぞリーナにとっては衝撃だったのだろう。その最初の印象のせいで、すっかりいつきに絡むようになってしまったのだ。ちなみに現在の実技は、ランダムに撒かれた色砂を収束系魔法のみで移動させ、指定された形にする速さを競う、通称サンドアートを行っている。砂を移動させる競技だが収束系に限定されているため、当然、いつきは深雪とリーナにも全然敵わないし、精密な変数が要求される難しい形だとほのかにも負け越している。ついでにリーナからやたらと挑まれるせいで、いつきの勝ち負け収支は散々なことになっていた。
「あはは、じゃあもしかしたら、中条君が部活とか委員会のどっかに入ってたら、そこに興味を持ってたかな?」
留学生が本気で学校生活をエンジョイしているらしい。生徒会長冥利に尽きるというものだ。五十里は嬉しそうに、そんな冗談を言う。
「ふふ、そうかもしれませんね」
深雪も笑って同意し、ここにいる他メンバーも同意する。
――本人の意識はともかく、傍から見たら、リーナはすっかり、いつきに夢中になっていた。
☆
そんな生徒会の準備が結実するのはもう少し後のことである。
この翌日、リーナが参加したがったのは、生徒会ではなく、風紀委員だった。五十里と違って、一応の事前準備などしない性格の花音が委員長であり、元々似たような風土があったこともあって、ちょっとした混乱に陥っていた。
そしてこういった時、面倒な仕事を任されるのは、当然達也である。摩利の時は今ほどではなかったが、花音になってからこの傾向がより酷くなった。こんなことで、果たして来年度自分が抜けて成り立つのだろうか。
そんな柄にもない心配をしながら、達也は、リーナの「お守り」をすることになった。なお、達也はうすうす察しているのだが、これはリーナの狙い通りである。
だが、相手は達也。リーナが不用意に感情的に話すこともあって、ほぼ自爆のような形で、少しずつ秘密が暴かれていく。そうして気まずくなった彼女への助け船のように、ちょうど今日の仕事現場に到着した。
「ここは実技棟。もう何度か授業で使っていると思うが、放課後は、クラブ活動および申請のあった生徒に対しても解放されている。置いてある道具は全部それなりに高価だし、魔法を使用するからには危険を伴うから、不正使用の取り締まりも、風紀委員の仕事だ」
「具体的には、どんな不正があるの?」
「一番多いのは、名簿に無い生徒の使用だな。申請の時に使用生徒の名簿を提出することになっているんだが、申請後に参加することになったとかで、名簿に無い生徒が一緒に使用していることがある。あと、部員でもないのに、ゲスト参加で特定の部員にしか認められてない部屋を一緒に使っている、とかもあるな」
「ふうん、なるほどね」
子供に解放されている学内設備にしてはルールが杓子定規すぎる気もするが、達也の言う通り、危険性と道具の高価さを考慮すると仕方ないのかもしれない。
そうして一つ一つの部屋を窓から覗き、時にはノックをして中まで入ってチェックをする。多少のお邪魔ではあるが、もうみんな慣れたもので、お互いにルーティーンのように消化していく。またリーナは知るべくもないが、達也は『眼』によって別に覗かなくても不正使用を確認できているので、今やっていることはまさしく「形式」でしかなかった。
そうしてやや単調な作業めいた確認が、半ばまで差し掛かったころ。
「ん、ここは幹比古か」
「ミキが?」
次にチェックする、やや小さめで備え付けの設備もない比較的人気のない部屋は、幹比古からの申請がなされていた。二人の共通の友人だ。
「幹比古が使うなんて珍しいな」
「確かに、クラブとかにも入ってないって言ってたわね」
リーナの反応は普通に考えたら妥当なところだが、少しずれている。
「いや、あいつは元々放課後使用の常連だったんだけど、夏休みを境に家での修行中心に切り替えたんだ」
「修行? ああ、そういえば」
古風なワードに一瞬戸惑ったが、そういえば幹比古は古式魔法師であった。それが家で魔法訓練を行うとなれば「修行」は不自然ではない。
「失礼します」
達也は、相手が親友だからかいくばくか遠慮のない音の大きいノックをしてから、一応仕事中なので敬語で呼びかける。すると中から声が返ってきて、ドアを開けてくれた。
「なんだ、達也と……リーナさんか。どうかしたの?」
「実技棟を適正使用してるかチェックしに来た。一応、中を見せてくれ」
「別にいいよ」
過去には設備の裏に隠れてチェックを誤魔化そうとした生徒もいたらしい。立ち入りチェックが行われるようになったのはそれ以来だ。とはいえ、ここは明らかに窓から覗くだけで十分だ。わざわざ立ち入りをしたのは、仕事の名目で親友と雑談でもしようとしたからだろう。
「珍しいな、ここ使ってるなんて。中条が一緒ってわけでもないし」
そしてリーナは、突然出てきた、調査対象にしてここ一週間気づかぬうちにライバル心を抱いている男の子の名前を聞いて、ひそかに心臓が跳ね上がる。
「ああ、今日はいつきが図書館で調べ物があるっていうからね。それを待ってる間の暇つぶしだよ」
「普段はイツキと一緒に使ってるの?」
「最近はほんのたまにだけどね」
一科生・二科生の制度とそれに伴う差別的な風土について、第一高校の事前調査で書かれていた。実際それは、少し通っただけでも強く感じる。だが、一年生次席のいつきと二科生の幹比古が親友であるように、また深雪とほのかが達也たちのお友達グループであるように、彼の周辺はそのような雰囲気はない。ある意味不思議な交友関係だ。
「暇つぶしにしては結構本格的にやってるが?」
「あはは、まあ性分だね、これは」
達也はリーナと違う面が気になったらしい。よく見ると、幹比古は制服から運動用の軽装に着替えていて、軽く暖房が効いているとはいえ冬なのに汗だくだ。辛い修行をしていたのだろう。部屋の端には、ほぼ空になったスポーツドリンクのボトルも転がっている。確かに暇つぶしと言うには、だいぶハードそうに見える。
「おっまたせー幹比古君! ってあれ? 司波君に……シールズさん?」
「――っ!?」
噂をすれば影とはこのことか。
ぼんやりと幹比古と達也の会話を聞いていたら、いきなり背後から可愛らしい元気な声が聞こえてきて、「おっ」ぐらいのあたりでガバッと振り向き、CADを構える。
そこにいるのは――目を丸くして驚いているいつきだ。
「何? もしかしてお取込み中だった? 幹比古君なんか悪いことでもしたの?」
「なんでそうなるかなあ……いや、まあ仕方ないか」
いつき視点ではこう見える。
一人で実習室を使っていたはずの幹比古と、風紀委員の達也と、なんでいるか分からないリーナ。そしていきなり幹比古サイドに見えるいつきが声を掛けたら、リーナが臨戦態勢を取った。
つまり、幹比古が悪いことをして二人に詰められていて、そこにいつきが声をかけたから、気が立っていたリーナが構えた――ということだ。
「安心しろ、中条。ただの定期パトロール中にサボ……声をかけたところだよ。リーナは……どうした?」
「え、ええと、その……」
リーナはうろたえる。この状況で臨戦態勢を取った自分が、あまりにも馬鹿らしい。そしてそんな彼女の様子を、かつて達也相手に同じことをやった幹比古は、同情的な視線を送った。ここからの誤魔化しは、相手次第では大変だぞ、という先輩面である。
「い、いきなり後ろから声をかけるからよ! ま、魔法師は将来、戦場に立つ人間が多いのよ!? そんなことしたら、反撃されても仕方ないと思いなさい!」
「幹比古、何点だ?」
「言葉が思いついた分、サービスで25点かな」
辛辣な評価が下ったが、リーナとしても自覚があるので言い返せない。ただそれはそれとして、恥ずかしさと、安全圏から煽られた悔しさで、顔が真っ赤になる。
「あー、そう。なんかごめんね」
そして軟派で女々しいチビのガキだと思ってたいつきには、苦笑いで大人の対応をされる。
さらに悔しさと怒りが湧き上がり、頭がカッと熱くなる。解除していた臨戦態勢を通り越し、そのまま魔法で攻撃をしてしまいそうなほどだ。
だが、そこまではなんとかこらえた。まだ「子供」ということで、スターズに入ってからは、まず感情的にならない方法を訓練された。元々気位が高く喧嘩っ早いほうだったので、こう見えても成果が出ているのだ。少なくとも、最大の禁忌である暴力沙汰だけは何とかこらえるぐらいには。
「フーッ、フウウウウウウッ…………いえ、こちらこそ悪かったワ、イツキ。ソーリー」
こちらこそ、ではなく100%リーナが悪いだろ、というツッコミを、幹比古と達也はなんとか我慢した。きっとエリカがいたら何のためらいもなくツッコんでいただろう。
(流石アメリカ人、下の名前で呼ぶんだな)
深雪から話を聞く限り、リーナが一方的に絡む以外は、いつきと彼女に接点はない。それでも下の名前で呼ぶのは、文化の違いを感じさせられた。もっとも、実際はその「何かと絡む」のがきっかけでそれこそ一方的に下の名前で呼んでいるだけで、眼中にないクラスメイトは未だに苗字呼びなのだが、それは彼の知る所ではない。
こんな具合に、リーナは達也相手に色々自爆し、いつきの目の前で大恥をかいたが、何はともあれ、風紀委員一日体験は、客観的には大きなトラブルなく終了した。
ご感想、誤字報告等、お気軽にどうぞ