「イツキ」
「ん、なあに?」
「その……話があるわ。ちょっとついてきて」
「はいはーい」
翌朝。第一高校1年A組は地獄と化した。
「そんな、シールズさんまで、あの男の娘に……」
「いつききゅん、お姉さんだけなんじゃなかったのっ……!」
「脳が破壊された」
「僕が先に好きだったのに……」
教室に早くについて、手のひらサイズの魔法をCADなしで使って練習していたいつきに、リーナが躊躇いながら話しかけた。明らかに秘密の話を、二人きりでしようとしている。
そもそもリーナは今までいつきにやたらと闘志むき出しにして絡んできた。そして昨日は、いつきを見て何やら考え込んでいたし、指摘されて頬を赤らめていた。
もうここまでくれば、今リーナが何をしようとしてるのか、予想がついてしまう。
「きゃ、キャー! こ、国際恋愛!?」
「ほのか、落ち着いて?」
ほのかも例に漏れず高校生の乙女である。このような話に一段と敏感だ。深雪も当然例外ではないにしろ、すぐそばで初心すぎる乙女が過剰反応しているものだから、すっかり冷静になってしまった。
(……妙な感じがしますね)
深雪視点では、ここ一日二日を境に、リーナのいつきに対する「視線」が変わったと感じた。正直、初日からしばらくは、何故だか知らないが、好感度マイナスだったように見える。そして翌日のメタルボール・バトルで完敗したのをきっかけに、ライバル心が加わる。
だが、昨日か、今日か、それとも記憶は定かではないが一昨日か。リーナのいつきを見る「目」がいつのまにか変わっているように感じた。別に他者の情事がどうこうというのは本人の勝手だが、リーナが「スパイ」なのがほぼ確定であることを考慮すると、どうにも気になる。
そうした見る目の変化から、以前のマイナス感情や敵対心のようなものではなく、興味やある種の願望の仮託、少なくとも悪い感情ではなくなっているように見えた。そして今のリーナの様子からすると、それが一気に進んで「好意」になっているようにも見えなくもない。
「まあまあ。愛の告白と確定したわけでもないですし、仮にそうだったとして、あの中条君が首を縦に振るかしら?」
深雪の言葉で、クラス中のカオスがほんの少し収まる。
そう、いつきは極度のシスコンだ。
中条あずさを、あの三巨頭や範蔵や司波兄妹を差し置いて、一番頼りになると胸を張って豪語する。そして深雪や真由美と言った特級の美人が周囲にいるというのに、あずさこそが一番可愛いと言ってはばからない。ついでに、それにそっくりな自分も可愛いと断言する。
深雪の言う通り、例えリーナのようなとびきりの美少女だとしても、彼が告白を受け入れるかは、五分五分と言ったところだ。あれでも一応男なので、そのまま付き合う可能性も無きにしも非ずではあるが。
それに、仮に付き合ったとしても、リーナが、彼のシスコン具合に耐えられるかは分からない。いつきを愛でる会(仮称。深雪はストーカー集団と呼んでいる)のメンバーはそこも含めて可愛いとゾッコンになっている――深雪からすると心底気色悪い――のだが、リーナのようなタイプは、それを受け入れられるとは思えない。長続きしないことも十分あり得るだろう。
そんな具合に、ほのかだけに向けた深雪の言葉は、クラス全体に広まり、「果たしてどうなるか」と、絶望に希望がほんの少し見えたせいで、焦燥感が生産された。
(…………助けてお兄様)
魔法科高校はクラス替えはほぼない。あと2年と少し。このクラスで耐えきれるだろうか。
☆
「本部から、正式に、イツキと行動するよう命令が下ったわ」
当然、そんな浮いた話ではなく、昨夜の続きだ。
人気のない場所に呼び出し、慎重に周囲を確認したのち、リーナは話を切り出す。
「そっかあ、よかった。これからよろしくね?」
軍人らしい真剣なまなざしのリーナに対し、いつきは安心したような柔らかな笑顔を浮かべ、手を差し出してくる。リーナの力は圧倒的で、それと敵対しないどころか、仲間にまでなってくれるという。気の抜けた顔になるのは仕方ないだろう。
「――っ」
だが、その天使のごとき微笑みを近距離で浴びたリーナは、顔がカッと熱くなり、息と思考が一瞬止まってしまう。だが、反射的に、その差し出された手を取り、
(やわらかっ……!)
そしてその手の感触に、リーナはさらに動揺した。
まるで赤子の手のようだ。自身とも深雪とも違う、ひたすらに幼くて無垢な、穢れの無さ。映像やこの目で見た、スターズ隊員にも負けない鋭い戦いをしていた少年の手とは、到底思えなかった。
そうして、いつきが一方的に揺らす握手は、数秒で終わったが――思考停止したリーナは、いつきの手を握ったまま、固まってしまう。
「んー、どうしたの?」
「ふやっ!? ……あっ――」
そこに不思議そうに声をかけられ、一気に現実に引き戻されたリーナは、顔を真っ赤にして奇声を上げながら、反射的に手を離す。途端、あの柔らかく温かな感触も手から零れ落ち、胸に冷たい虚空が生まれたような喪失感を覚える。
「じゃあ、今夜からよろしくね!」
そうしてまたぼんやりと固まってしまったリーナに、彼女の状態を知ってか知らずか、いつきはそう言い残して、一人で教室を去っていった。
――リーナの意識が戻ったのはこの数十秒後、始業直前を告げるチャイムが鳴った瞬間であった。
☆
「さて、じゃあ、今夜もがんばろー!」
「お、おー?」
その日の夜。メンバーが一人減り、代わりに一人増えたいつき達一行は、また吸血鬼狩りに出ていた。
いつきの掛け声に反応したのは、戸惑い気味に苦笑を浮かべるあずさのみ。幹比古は今日から加わった新入りに警戒の目線を向け、その新入りたるリーナも、恐ろしい赤髪の鬼の出で立ちで、真面目モードである。
――そう、今夜から、レオが戦線離脱した。
彼は警察の依頼で吸血鬼捜索に協力していたのである。スパイ的活動真っ最中だし、またいつき達には知らせていないが「アンジー・シリウス」の戦い方を見られるのも良くない。USNA軍は、バックアップとリーナ加入の条件として、レオの離脱を要求してきたのであった。
『あー、まあ、話が大きくなりすぎてるし、これ以上はオレの出る幕じゃねえのも確かだな』
幹比古たちに危険を任せて自分は去る、ということに、人として、友達として、戦士として、いくつかの意味で躊躇いはある。だが、自分がリーナより役に立つかと言われれば「ノー」なので、潔く身を退いた。こうした引き際の良さといった理知もまた、彼の人格的魅力であった。
そのような条件と引き換えに手に入れたUSNA軍のバックアップと指示は、いつきたちが直接会話するわけにはいかないため、リーナが受ける。どうやら登録した魔法師のサイオンを検知するレーダーを使っていたらしく、彼女を通して道案内されることになった。
ただしどちらか分からなくなる場合もある。さほど射程があるわけでもないらしい。だが、幹比古の道占いは目標との距離は関係ないため、レーダーの補完としてしっかり活躍した。
そうして、一体の怪人が見つかる。真冬にふさわしい厚着と覆面のせいで性別は判別できないが、背格好からして大男だろう。そして実際、追いかけてるサイオンも、脱走した大男のものだった。
「――いくぞ」
ガサガサの悍ましい加工声で、唸るようにリーナが呟く。それと同時、初日に見た時に比べたら小さいが、十分威力のある雷撃が、大男の片腕を吹っ飛ばした。
「なっ!?」
同時、いつきと飛び出して攻撃を加え、あずさと幹比古の魔法で押さえつけ、無力化する。
「吸血鬼、パラサイト、うーん、なんて呼ぼうかな……」
不可解なノイズが脳内に響き渡る中、いつきはその男の眼前に仁王立ちし――初日に捕まえたパラサイトが封印されている箱を見せつける。
そして縛ってあるヒモを緩めると――――一瞬だけ蓋を開け、すぐに勢い良く閉め、またヒモでぐるぐる巻きにした。
「それは、貴様!?」
魔法で押さえつけられながらも、見た目にふさわしい力で暴れもがきながら、吸血鬼が叫ぶ。
「今のは、君たちの……仲間、友達、同胞……うーん、どれだかわからないけど、同じやつだよ? いなくなったお仲間は、今二つ、ボクたちが捕まえてる」
「く、くそ、カエセ、カエセエエエエエ!!!」
「…………」
可愛らしい小さな男の子の前で跪き、のたうち回って暴れ、奇声を発する大男。階級こそ低いが将来性のある戦士だった彼が、こんな姿をさらしていることに、リーナはショックを受ける。そしてそれと同時に、彼の体でこんなことをしている吸血鬼に、改めて強い敵意が湧いてくる。
「お、落ち着いてください、シールズさん!」
殺気がサイオンとして漏れ出し、実際にCADに手が伸びていた。傍にいたあずさが、おどおどしながら、その手を掴んで引き留めてくれる。そのいつきに似た感触に、一瞬心臓が跳ね上がるが、どこか違うと感じると、スッと冷静になる。
「……ごめんなさい、アズサ」
「い、いえ……その、お気持ちは、理解できますから……」
いつきもあずさも、決して「分かる」とは言わない。実際、リーナが抱える苦しみと責任と十字架は、二人の人生では絶対に体験し得るものではない。だからこその言い回しに、リーナの心は、少しだけ救われる。
「返してほしかったら、そうだな……ボクたちは基本的に夜はこうして集まってるから、そっちから来てね? 探すのはボクたちも大変だし。時間がかかればかかる程、ボクたちが捕まえてる吸血鬼は増えるよ。余計なことは考えないように」
脳に直接流れるようなノイズが一層激しくなる。その不快感にあずさたちは少し顔を顰めるが、警戒を解こうとはしなかった。
「じゃ、確かに伝えたから」
表情を動かさないいつきがそう言い終えると同時、リーナが魔法を振るい、大男を「処刑」する。それと同時にあずさがプシオンを放ってパラサイトのありかを見つけ――今度は封印の動きはせず、いつきがプシオンの針をパラサイトに刺し、さらに魔法を重ねて「破壊」した。
「しょうがないけど……気分がいいものではないね」
パラサイトの「退治」を確認した幹比古は、張り詰めていた息を吐き出しながら、小さく呟く。
――――要は、人質作戦だ。
パラサイトにどれだけ仲間意識があるかは不明だが、リーナの情報によると、ある程度集団で動いていたという。また接触した時、たびたび脳に不思議なノイズを感じた、という話もあった。
ここでいつきは、以下の仮説を立てた。
一つ。パラサイトは、テレパシーのようなもので通信が可能
二つ。仲間意識があるかもしれない
どの程度の仲間意識かは分からないが、試す価値はある。
そういうわけで、捕まえたパラサイトの封印を一瞬だけ解いて「閉じ込めている」ということを目の前で見せつけ、それを仲間に知らせさせる。仲間意識が強いならば、きっとこれからは、あちらから攻めてくるだろう。
「思ったよりも、だいぶ仲良しみたいだね」
いつきの浮かべる穏やかな微笑みも、少し元気がないように見える。
彼がパラサイトに敵対する動機も、人間たち――さらに言えば、あずさを、守りたいがためだ。
またリーナがこうして戦っているのは、脱走した兵士を断罪するということ以上に、「その体にこれ以上罪を重ねさせないため」でもある。
つまりこれは、生存をかけた種族同士の競争であり――
――そして今日、お互いに、仲間のための「戦争」になった。
「シールズさんがいなかったら……もっと被害が拡大していたかも」
いつきが、改まった様子で呟く。
この作戦をやってみた理由はただ一つ。早期決着を目指すためだ。
時間をかけるのが確実だが、それだけ被害は拡大するし、またあちらが日本中に逃走したら、もはや手出しできない。「人質」が有効ならば、吸血鬼を東京に釘付けにし、さらにあちらから来てもらうことができる。故に、この作戦を試したのだ。
しかし、吸血鬼単体ですら、いつきたちには厳しかった。これからは、向こうはより「本気」で襲い掛かってくるだろうし、不意打ちもできない。また、パラサイト達も複数で向かってくる可能性もある。危険すぎるので、「人質」は使えない。
だが、USNA軍のバックアップと、リーナと言う強大な戦力がいるならば大丈夫だ。彼女の存在が、いつき達の活動を、大きく前進させたのである。
「だから……本当に、ありがとう、シールズさん」
その感謝があるのか、いつきは、満面の笑みをリーナに向け、ぴょこんと頭を下げる。
「はうっ――!」
それを受けたリーナは、喉が締め付けられたような奇声を上げて少しのけぞった。悲壮な覚悟を背負った冷酷な軍人の仮面が、態度・仮装ともに剥がれ、金色の天使が姿を現す。その変身自体は異様な光景だが、誰かがいつきによってこんな無様をさらすのは、親友として傍にいた幹比古は、もはや慣れっこだった。
「あー、そういう趣味かあ」
「あ、あはは……」
幹比古は言葉に出してドン引きする。一方、あずさは複雑そうに苦笑し、胸の前で小さな手をキュッと握りしめる。彼女のそんな様子には、誰も気づいていなかった。
「――――んっ、んっ、んんっ!」
しばらく固まってしまったリーナは、意識を取り戻すと、頬を真っ赤にしながらも、何もなかったのかのようなすまし顔を作り、シャンと背筋を伸ばし、優雅に咳払いする。本人は誤魔化せているつもりである。
「……ねえ、イツキ。それに、アズサも。ワタシの呼び方、変えてみる気はないかしら? ミキも、リーナ、って呼んでくれてるし」
「僕は今でも幹比古って呼んでほしいよ」
幹比古の願いは、リーナの耳には全く入らない。
ただ、今まで色々な人に何度も言ってきた呼び名の提案を、なぜか勇気を振り絞ることでようやく言い出すことができ、その返事を、心臓をバクバクさせながら、待っているだけだった。
「……うん、わかった。じゃあリーナさん、これからもよろしくね」
「私も、よろしくお願いします、リーナさん」
「え、ええ……
翌朝、いつきが彼女と話す際に「リーナさん」と呼び名が変わっているのを聞いたクラスメイト達が、昨日何もなかった安心感との振れ幅で心停止しそうになったのは、全くの余談である。
ご感想、誤字報告等、お気軽にどうぞ