巨大パラサイトの攻撃は、触手のみだ。
だが、その一つに一瞬でも触れてしまえば、体に異常はなくとも、自らの「魂」が破壊されてしまう。その確信があるほどに、一つ一つに「死」の気配を感じた。
そんな、胴体程もある巨大な触手が九本。それが、遊具が少ない開けた場所とはいえ、公園の中を所狭しと暴れている。
そしてその間を縫うように、大小二つの影がサイオンの光をしばしば放ちながら、夜闇の中を駆けずり回っていた。
「思った通り、狙いが甘い!」
小さい方の影・いつきは、パラサイト本体近く、一番攻撃の密度が濃い最前線で、目にも止まらぬ高速移動で回避して戦いながら叫ぶ。触手は彼を狙ってはいるが、その高速移動と体の小ささを加味してもなお、狙いが定まっているとは言い難い。
そんないつきは、華麗に回避しながらも、触手とのすれ違いざまにプシオンの針を生成して突き刺し、それによって起こる本能的な恐怖を増大させることで、パラサイトにダメージを与えている。精神そのものが本体と言えるそれに対し、そのショックは、身体への大ダメージに等しい。
「ありがたい話だね、やっぱ目って素晴らしいや」
大きい方の影・幹比古は、いつきに比べたらやや遠くで、かつ少ない頻度で攻撃を加えている。肘から指先まで程度の長さの太めの木の棒で、自身に迫る触手を叩いて弾いたり受け流したりしているのだ。本来物理的な防御は意味をなさないが、妖魔を想定した破魔の棒は、パラサイトの攻撃に対し、効果こそ弱いものの攻防一体を成している。
本来二人の能力ならば、ここまでの余裕はない。では、それを成し遂げているのは、何によるものか。
「こっちは大丈夫よ。存分に暴れて」
パラサイト本体からだいぶ離れ、見かけ上はひとまず触手の射程範囲外になっている場所から、リーナが声をかける。そしてそれと同時に、CADを二人に順番に向け、引き金を引く。
これによって二人は魔法にかけられた。当然、仲間割れではなく、作戦の一つだ。
古式魔法をベースにした複合術式『
これによって、物理的な感覚を持たず情報次元に頼るパラサイトは、いつきと幹比古の正確な位置を捉えられない。また、これはリーナ自身と、その傍で精神干渉系魔法での狙撃で攻撃に集中しているあずさにもかけられていて、パラサイトに対し攻撃手段を持たないリーナと、戦闘能力の低いあずさを、脅威から守っていた。
リーナはパラサイトに対する攻撃手段を持たない。また、プシオン操作や呪具による防御もできない。だが、正体を隠す必要性に常に迫られる立場で、また彼女の祖父のつながりから、『パレード』の名手である。この『パレード』を仲間や自分にかけることで相手の攻撃を当てにくくするという点で、地味ながらも一番の活躍をしていた。
対吸血鬼においては、最強のアタッカーとして。
対パラサイト本体では全体の生存を担う最重要のサポーターとして活躍し、そして緊急時にあずさを抱えて逃げる役目もある。
彼女は間違いなく、この四人の中で、一番の活躍をしていた。
いつきは小柄さと高速移動を活かして最前線でアタッカー。
幹比古はその万能性と運動能力を活かし、前線で攻撃に加わりつつも、何かあったら式神や結界術で防御対応をする。
そして運動能力はないが攻撃手段のあるあずさが、リーナに守られながら、安全圏から攻撃に専念する。
このパラサイト本体との戦いに備え、作戦をしっかり練ってきた。この布陣を考えたのはいつきだ。まるでリーナが加わる前から考えていたかのように、全てのピースがぴったりとはまっている。
(イツキは、ワタシを仲間と認めてくれている!)
この最後の最後でサポートしかできないのが歯がゆいが、これこそが、いつきを、自分を、全員を生き残らせるための最大の要だ。リーナは、決してこの薄氷の防御を絶やすまいと、戦場に常に気を配っていた。
――そうしてしばらく攻撃を加えていると、巨大パラサイトの動きに変化があった。
触手の動きが激しくなり、明らかに「殺意」が増している。
「やっぱり、ダメージはちゃんと通ってる! 朗報だね!」
「悲報とセットだよ!」
4月からたびたび並んで戦ってきたいつきと幹比古の掛け合いは軽妙だ。
だが、幹比古の言う通り、より激しくなった触手の動きは、『パレード』のおかげでかろうじて回避が間に合っているに過ぎないものになっている。
「ここで一気に攻めるよ! 幹比古君、お願い!」
「了解!」
いつきの指示に即座に応じた幹比古は、高速移動で触手の範囲から抜けると、ひときわ古めかしくて複雑な文様が描かれた呪符を取り出して掲げる。
――――途端、パラサイトが「炎上」した。
吉田家に伝わる退魔の術『迦楼羅炎』。非物質である情報体に「燃焼」の情報を打ち込んで燃やす、現代魔法の尺度ではおよそ考えられない古式魔法だ。その威力は、吉田家に元々伝わっていたものをはるかに超え、巨大パラサイトの本体と触手全てを、破邪の炎に包んでいる。これも研究の成果だ。
全身を焼かれもだえ苦しむパラサイトの触手は、より不規則なものになる。その予測できない死の檻の中でも、いつきは全ての接触を回避しきっていた。
「あずさお姉ちゃん! 合わせて、いくよ!」
「うん、いっくん!」
そして最前線と最後方、瓜二つの姉弟が息を合わせ、重ねるように同じ魔法を、最大出力で発動する。
――――瞬間、パラサイトは全ての触手を跳ね上げ、全身を震わせた。
針に刺された恐怖が増大すれば人は死ぬし、分かたれた一つ一つのパラサイトも死ぬ。
では、全身が焼かれるという究極の恐怖の一つを、精神干渉系魔法の達人が二人がかりで『毒蜂』で増大させたらどうなるか。
精神の巨大な情報体であるパラサイトは、それでもなお死なない。まだ体力に余裕はありそうだ。それでも、全身の炎上とその恐怖の極大化は、大きなダメージとなり、まるで激しい衝撃を受けた動物が身体を反らし硬直しているかのような反応を示す。もしパラサイトに「声」があれば、絶叫していたに違いない。
「ここからが本番だよ! 気を付けて!」
いよいよ生命を脅かす本格的なダメージを受けたパラサイトは、本能に任せ、攻撃をばら撒く。
触手の動きは激しくなり、さらにプシオンの波動を乱発するようになった。この一つ一つが「邪気」であり、触れただけで魂が穢され破壊される。あずさやいつきが探知のために放つただのプシオンとは、もはや性質が違っていた。
当然、触手はまだしもプシオン波は、『パレード』で多少座標を誤魔化す程度ではどうしようもない。いつきも幹比古も、安全のために、これまでよりも少し距離を取って戦闘している。
「アズサ、ここから激しくなるわよ」
「はい、大丈夫です!」
そしてその邪気は触手の範囲外にも届く。リーナはあずさの傍につき、攻撃がこちらに飛んでくるようなら彼女ごと高速移動で回避することになっている。
そして、彼女の『パレード』もまだ、役割を終えていない。むしろここからが、その本領だ。
「人間の目を誤魔化さなくていいなら、これほど楽なことはないわ!」
リーナが叫び、魔法を行使する。
常人には何も変化が起きたように見えない。
だが、魔法師は改変の違和感を感じ取り、そしてパラサイトや達也のようにイデアを明確に感知する者ならば――いつき達が、公園中に溢れかえっているように見えるだろう。
途端、パラサイトの攻撃は見当違いの方向に飛んでいくようになる。そのおかげで、いつきと幹比古はだいぶ楽になり、また反撃する余地が生まれた。『毒蜂』との組み合わせで大ダメージを狙うために隠し玉として使わないでいたが、もう見せた札であり最大火力でもある『迦楼羅炎』も、先ほどの規模には届かないが、もう遠慮なく使い始めている。
『パレード』の座標改変の応用で、リーナは、イデアの世界に「ダミー」を作り出した。
しかもその数は一つや二つではなく、精巧な四人の「情報」のダミーを、数えきれないほどに。彼女の圧倒的な魔法力と、この魔法への精通が、この絶技を可能にする。その数は、横浜事変でほのかが見せた大量の幻影すらも超えていた。
これにより、プシオン波による攻撃も、何とか回避できるようになった。もし正確に狙いを定められるようなら、リーナには防御手段がなく、またあずさといつきの『プシオンウォール』では防ぎきれないため、すでに死んでいた可能性が高い。四人の役割分担は、まるでこれが運命づけられていたかのように、完璧に機能し、繊細に四人を生かし続けていた。
そうして、パラサイトは無駄な攻撃を繰り返し、その間に、ダメージを確実に蓄積させられている。
(うん、このままいけば大丈夫!)
あずさは手ごたえを感じる。
盤石とは言い難い。相手の攻撃は相変わらず即死級ばかりで、少し踏み外せば全員が一気に瓦解する、薄氷の上と表現しても足りないほどだ。常に死神の鎌は首元にかかっている。
だがそれでも、事前の狙い通りにことが進んでいる。もう少しで、正体を現した妖魔を、退治することができるのだ。
――――だが、そう思った瞬間、パラサイトが「震えた」。
そして直後、濁流のように大量の邪気が、「全方位」に放たれた。
「――――ぇ?」
あずさは小さく声を漏らし、固まった。
今まで自分の方向に放たれたことは何度もあった。だが、「逃げ場」は必ずあった。
だが今は、比喩では無しに「全方位」。パラサイトを中心として、横にも上にも斜めにも、もしかしたら下にも、全ての方向に、悍ましいプシオンが放たれている。
どうする? 逃げる? どこに?
離れたらどうだろうか。いや、あの波の方が圧倒的に速いし、どれだけの距離を取ればあの密度のプシオンから影響を受けなくなるか分からない。
防ぐ? いや、自分の力では無理だ。いつきと力を合わせても無理だろう。
「なっ――」
このあまりに事態に、隣に立つリーナもまた、唖然としていた。
リーナは戦場に立ってきたがゆえに、冷静に判断できてしまった。
――――逃げる術も、防ぐ術もない。
どれが偽物か分からないなら、全てを一気に攻撃すればいい。
パラサイトに知能と呼べるものはないが、戦闘の中であちらもまた学習し、行動を変えた。生き残るための「本能」が、パラサイトを一つ上のレベルへと「進化」させたのだ。
「あずさお姉ちゃん! リーナさん!」
そして停止する二人の耳に、愛しい声が届く。
可愛らしい顔を必死の形相にゆがめたいつきは、手を伸ばして一瞬でこちらに近づいてくる。その速度は、驚くことに、あのプシオンの濁流をはるかに超えている。
そして細い華奢な腕で二人を抱き寄せると、そのまま方向を変えて高速移動し、親友・幹比古のもとに駆け付け、二人をその傍に置く。
「幹比古君!」
「いつき!」
二人の声が重なる。
いつきは幼子のように小さな柔らかい両掌をパラサイトに向け、光を放出する。
そして手のひらの前に現れたのは、光の壁。魂を破壊し命を脅かさんとする妖魔が放つものと同じ情報粒子でできたそれは、死の津波の前に立ちはだかるが、あまりにも頼りない。
だが、それにほんの少し遅れ、より強力な守りが展開された。
幹比古は全方位攻撃の気配を感じ取るや否や、全身に仕込んでいた呪符や呪具や式神を周囲にばらまき、それらを呪術的に結び付け、結界を作り出したのだ。
対パラサイトを想定して研究して作り出した結界は、入学時とは比べ物にならないほどに強力になっている。遊離したパラサイト単体程度なら簡単に防ぎきれる。本来は憑りつかれそうになった時のために用意していたが、この土壇場で役に立つときが来た。
そして、このプシオンの壁と結界は、ただ闇雲に作られたわけではない。
パラサイトに向かって流線形に作られた守りは、この邪気の奔流を、正面から受け止めるのではなく、後ろに流すようになっている。だがそれでも受け止めている面は光が常に揺れ、震えており、強度はギリギリだ。
「あずさお姉ちゃんも手伝って! リーナさんもダミーを撒き続けて!」
「う、うん!」
「わ、わかったわ!」
しばらく呆けていたあずさとリーナは、いつきの怒声で思考を取り戻し、慌ててそれぞれの仕事をする。あずさはプシオンの壁を重ねて作り、リーナもこれまで通り『パレード』の応用でダミーをばら撒く。
だが、あずさの強力な壁があってもなお、いつ収まるか分からない波動を浴びせられ続けているため、限界が少し伸びているに過ぎない。また作り出した多量のダミーも、この結界と壁のような守りは一切ないため、作り出した傍から濁流に呑まれ消しとばされていく。
故に――――イデアには、とてつもなく強い力が固まっている、いつき達四人だけが、明らかに目立つようになっていた。
「ま、まず」
いつきの声が震える。
全方位に放たれていた波動が、少しずつ、いつき達に向かって収束し始め、強くなってきている。それはそうだろう。機能しないダミーは意味をなさない。この攻撃を防ぎきれるだけの「情報」がこれだけの密度でここに集まっているのだ。ここに攻撃を集中するに決まっている。
「くそ、くそ、これ以上は!」
幹比古が焦り、一番の武器である鉄扇すら要を外してバラバラにして結界の材料にして強化するが、もはや気休めにもならない。いつきとあずさの壁も、耐えきれずに不安定になっていく。
そうしている間にもさらに邪気の波動は収束し始め、もはやビームと呼べるほどまでになり始めている。目に見えるほどに密度の濃い邪悪なプシオンの光のせいで、もはやパラサイト本体すら見えない。
死。
あの巨大なパラサイトの全力が集中した攻撃。
少し掠るだけでも魂が砕け散る程の悪意とパワーが込められていることを、理屈ではなく生存本能で感じ取ってしまう。しかも、自分たちはこの結界から動きことは出来ず、それが直撃するまでの時間を、数秒引き延ばすしかできない。
幹比古も、あずさも、リーナも。
強烈な「死」の確信と絶望に浸され、全身を恐怖が支配する。
そして本来の力を取り戻したパラサイトは、きっと人間たちを食いつくすだろう。
三人の全身から力が抜け、膝が折れかける。
「ちゅうもおおおおおおおおおおおく!!!!!」
直後、可愛らしい声での絶叫が、夜の公園に響き渡った。
声の主は、すぐそばにいたいつき。
彼の、小さな口、小さな体から、それに見合わない大声が放たれた。傍にいる三人の鼓膜が大きく震え、絶望で停止した思考が無理やり戻され驚きでまた唖然とさせられるほどに。
いつきはパラサイトを指さしたかと思うと、目の前にサイオンの壁を維持したまま――――まるではじけ飛びように、真横へと高速で飛び出す。
そう――――何にも守られてない、結界の外へ。
「いっくん!?」
「いつき!?」
「イツキ!?」
そのあまりにも異常な一連の行動に、三人は目を見開き、止めようとする。
だが、その小さな少年は、たった数メートルだというのに、絶対に手が届かない絶望的な距離にまで離れている。
そして、不思議なことに、また、三人にとっては何よりも恐ろしいことに――――パラサイトから放たれる邪気のビームは、まるで吸い寄せられたかのように、いつきを追いかけていた。
「いっくん! だめ! だめえええ!!!」
あずさが手を伸ばし追いかけて止めようとするが、恐怖と混乱とショックのせいで脚がもつれて転んでしまう。
「なんで、いつき、どうして……!」
幹比古の目から涙がこぼれる。
今すぐ追いかけて守りたい。だが、弱いながらもビームの余波は相変わらず三人の所に届いているため、結界から出ることも解除することもできない。情けないことに、彼はここを動くことが許されない。
「イツキ!? イツキ!? どうしたの、なん、なんで、そんな!」
リーナもまた取り乱し、甲高い声で叫ぶ。その姿に美しい高貴な戦乙女の片鱗はなく、パニックに陥るか弱い女の子でしかなかった。
三人は即座に理解した。いつきは、彼女たちの「身代わり」になったのだ。
リーナは知らないが、あずさと幹比古は彼が何をしたのかもわかる。
いつきだけが使える固有魔法『アテンション』。
この魔法で、パラサイトの注目全てを自分に集めたうえで三人から離れ、自分だけが攻撃を受けようとしたのだ。
いつきに、全ての力が集中した、彼の体以上に太いビームが迫る。その勢いはあまりにも強く、大量のプシオンの移動によってイデアに衝撃波が生じ、その情報が現実世界に流れ込んで、地面の砂利を吹き飛ばしている。
彼は歯を食いしばりながら、懸命に『プシオンウォール』を展開している。だが、この暴力の前には、あまりにも脆弱だ。
そしてついに、ビームがプシオンの壁に触れ、一瞬で破壊する。それに押されるように、いつきは両腕を引いたうえで高速移動魔法を発動して少しでも距離を取ろうとするが、ビームの速度は全方位波動攻撃の比ではなく、すぐに追いつかれる。
死が、小さな可愛らしい少年を、ついに覆い尽くす。
――――――瞬間、真夜中の公園を、真っ白な光が包んだ。
「「「っ!?」」」
いつきの「死」にすら目をそらさなかった三人は、反射的に目を閉じて顔をそらし腕で覆う。
だが一瞬でも浴びた光はあまりにも強く、目を完全に闇で覆い尽くしてもなお、瞼の裏で明滅する程であった。
眩暈と頭痛が起きるほどの閃光。
パラサイトのプシオンが放つ禍々しい光でも、魔法の光でもない。
夜の闇と完全に対比している、真っ白な光。
そして、永遠にも思える一瞬が過ぎ。
――――その光が晴れ、夜の闇が戻ると――――そこには、苦悶の表情を浮かべたいつきが、それでも確かに立って「生きていた」。
「いっくん!?」
不安と恐怖と絶望と安心と混乱。
言葉で言い表せないほどに激情のるつぼにかき乱されたあずさは、何が起きたか分からない上に、パラサイトがまだいるというのに、何よりも大事な弟だけしか目に入らず、駆け寄る。
そして彼女が走り出したと同時、いつきは、脚から力が抜け、どさりとあおむけに倒れ込んだ。その音を合図に、あずさに少し遅れる形で、幹比古とリーナも駆け出し、倒れたいつきの傍で膝をつく。
「いっくん! いや! 死んじゃダメ! 死んじゃいやあああ!!! おいていかないで!!!」
いつきに抱き着き、激しくゆすり、泣き叫ぶ。大切なものを失う瞬間に直面した彼女は、幼いあの頃のように、ただ感情のままに、弟に縋り付き、大きな目からはボロボロと涙を流す。
「いつき! なんで、こん、な、馬鹿なことを!? 君が死んじゃったら、何の意味もないのに!」
初めて会った時。彼の生活に、確かな刺激をくれた。
スランプの中。それでもいつきは、幹比古を認めてくれた。
親友として彼の傍に居続け、一緒に遊び、一緒に訓練し、一緒に戦い、一緒に学び、一緒に過ごした。
その一つ一つが、幹比古にとって、大切な思い出だ。
「イツキ! いやよ! こんなところでお別れなんて! まだ、一緒にやりたいこと、知りたいこと、いっぱいあるのよ!?」
第一印象は最悪だった。
そして何よりも自信があった魔法で完全に負かされた。
ショックだったが、それでも、競い合う友達である深雪やほのか以上に、異国でのリーナの「青春」を彩っていたのは、いつきの存在だった。
そして闇の中で訳の分からないまま苦しみ喘いでいた「シリウス」に、光を照らし導いてくれたのも、いつきだった。
この異国の地で、リーナは、いつきに救われ続けてきた。彼女にとって彼は、夜空の一等星を越える導きの月であり、心を照らす太陽であった。
そんないっくんが、いつきが、イツキが。
身代わりとなって、邪悪な化け物の攻撃を、この華奢で小さな頼りない、そして何よりも頼りになる、彼自身の体で、全てを受け止めたのだ。
感覚的に分かる。
今、いつきの「生命」は、刻一刻と漏れ出て、あの世へと旅立とうとしている。
外傷はない。だが、血液がドクドクとあふれ出る様に、それ以上に深刻で大切な何かが、彼からみるみるうちに抜けている。
「あ……さ、おね、ちゃ」
「いっくん!?」
倒れこんで動かなかったいつきが、地を這い今にも命尽きようとしている芋虫のように、小さく身じろぎした。そして同時に、か細い声で、大切な姉を呼ぶ。
そしていつきの小さな手が、小刻みに震えながら、ゆっくりと動き――パラサイトを指さす。
巨大な邪悪は、本体であろう光の塊の周辺で、緩く九本の触手を無造作に動かして固まっている。あれだけの攻撃は、例え合体パラサイトであろうと、相当の負担だったのだろう。
「お、ね、ちゃ…………あず……ゅ……ぃ」
声を出すのも精一杯なのか、何を言っているのか、幹比古とリーナには分からない。
ただ、無二の姉の名前を呼んでいるのだけは分かる。
そんな中、あずさは――――乱暴に袖で涙をぬぐい、勢いよく立ち上がった。
「わかったよ、いっくん」
先ほどまで子供のように泣き叫んでいたとは思えない、芯の通った、落ち着いた声。
何が分かったのか。
幹比古とリーナがそう問おうとしたとき、あずさは、もこもこのパステルカラーの防寒着の留め具を外し、胸元から、ずっと吊り下げていたロケットペンダントを取り出す。
中に入っているものは、写真。
幼いころに撮った、何よりも大切で、可愛くて、かっこよくて、お利口で、頼りになる、大好きな弟との、小さな小さなツーショット。
そして、もう一つが。
彼女の名を冠する固有魔法、『梓弓』だ。
幹比古とリーナは幻視する。
小さなか弱い女の子が、口元をキュッと引き結び、その身の丈に合わない巨大な光の弓を構える姿を。
そして矢のつがえられていない光の弓を夜闇に覆われた天に向け――その弦を離す。
途端に、清澄な弦音が、ピィーン、と響き渡る。
耳ではなく、脳に、胸に、心に、魂に、直接届くその「音」に、幹比古とリーナは魅了され、忘我の境地に陥る。
プシオンの波動を浴びせそれに精神を惹きつけることで群衆を静かなトランス状態にする『梓弓』。彼女の穏やかさと優しさ、人々を包み込んで導く精神性が現れた、あずさだけの術式。
そして、その弦音を浴びせられた巨大パラサイトは――
――――人間とは真逆に、もだえ苦しみ始めた。
名前の由来となった梓弓とは、元々は魔除けの儀式であった。
弦の音で、悪霊を祓い、清浄な空間をもたらす。
プシオンの波動が弦音のように聞こえること、彼女の名前、そして恐怖やパニックという心の「魔」を祓うことから、『梓弓』と名付けられたのだ。
そしてこの魔法には――――今まで確かめようもなかった、もう一つの効果があった。
トランス状態にも様々なものがある。例えば薬物によるバッドトリップや、ランナーズハイと呼ばれるものもある種のトランス状態と言えよう。『梓弓』はその真逆で、激しい興奮による忘我ではなく――――凪いだ水面のごとき、何も考えず、何も思うことがない、受動的な「無我」である。
この「無我」は、いわば一時的に、精神が止まった状態と言ってよいだろう。当然、人間の場合、身体がまだ生きているし、脳も機能しているので、数瞬止まった程度ならば、すぐに元に戻る。
では――――その身体全てが精神情報であるパラサイトは?
精神が止まるとはすなわち、身体の全てが同時に止まることに等しい。
ゆえに、『梓弓』を「生身」の状態で浴びせられたパラサイトは、それによって「死」に至る。
『梓弓』は、心の魔を祓う魔法であると同時に――――まるで元となった儀式のように、本物の「魔」を退治する術式でもあったのだ。
もだえ苦しんだ巨大パラサイトは、その全身を激しく震わせ――ついにただのプシオンとなって飛び散り、死に至る。
激しいプシオン光が、一瞬夜の公園を照らして……すぐに、冷たい闇の世界へと戻った。
「「…………」」
幹比古もリーナも、ただその光景を、口をぽかんと開けて見ているだけであった。
「あれだけ強力だったパラサイトがこんな一瞬で」などの驚きや疑問すらない。至近距離で『梓弓』を浴びたせいで、ただただ、呆然とするしかできないのだ。
「いっくん!」
だが、あずさが再び上げた叫び声によって、二人の意識は現実に引き戻される。
途端、全身を貫く真夜中の厳寒が蘇り、あずさがパラサイトを倒したことを理解し――いつきが今にも息絶えそうなのを、思い出す。
「っ、楽にしてろ、いつき! 今治すから!」
幹比古は即座に自分が何をするべきなのかを思い出した。
パラサイトの全力を集中させたプシオン攻撃を食らった。恐らく、幽体が傷ついている。まずはそれを確かめることにした。
本来ならもう少し慎重に時間をかけて行う儀式である。しかしながら急いでいた幹比古は、傷ついているかどうかだけを確かめるために、多くの手順を省略して、彼の幽体を覗いた。
「――――――う、そ、だろ……」
幹比古の手が止まる。
「ちょっと、どうしたの!? イツキは一体何が!?」
目を白黒させて固まり、震える声で小さく声を漏らす幹比古の肩を、女の子とは思えない握力でつかみ勢い良くゆすりながら、リーナが涙声で問い詰める。
「幽体が、傷ついて……いや、傷なんてレベルじゃない……壊れて、吹っ飛んでる……」
幽体はその人物の体とほぼ同じ形をしている。
そして幹比古が見たいつきの幽体は――両脚の膝から先と、左腕の肘から先が、「消失」していた。
間違いなく、あのプシオンの攻撃で、吹き飛ばされたのだ。
そしてその断面からは――まるで血液がドクドクと流れ出るように、精気が恐ろしい勢いで流れ出ている。
「かい、ふく、回復の儀式を!」
こうなった時のための術式は吉田家に伝わっていて、それも今まで研究してきた。幹比古は、結界術のために使った呪具を周囲からかき集め、今できる限りの魔法陣を結び、いつきの生命を繋ごうとする。
だが、効果が出るとは思えなかった。
この術式は、身体で喩えると深めの切り傷程度の幽体の傷を治し、また失われた精気の自然回復を促すことができる。当然、この程度の効果では、この四肢のほとんどが吹き飛んだいつきを回復できるとは思えない。
それでも、やるしかない。幹比古は脳が焼ききれそうなほどに思考を巡らせ、疲労困憊だというのに、これまでにない集中力で、儀式に挑む。
……だが、焼け石に水。傷口を少し塞いでも、あふれ出る精気によってすぐに広がり元に戻ってしまう。精気を多少回復させたところで、それ以上の量が流れ出続ける。
理性ではもう分かっている。無駄だ。
しかし、幹比古は、諦めることができず、認めることができず、自分の魔法力が枯渇スレスレだろうが、最大限の術式を施し続けた。
「りー、な、さ……」
「イツキ!?」
もはや意識があるどころか、生きているのすら奇跡。そんな中、身じろぎしたいつきが、虫の鳴くようなか細い声で、ゆっくりと、リーナの名前を呼ぶ。
「ぱ、ら……いと、は、たお、せ……なかまの……かた、きは……りーな、さ、の、やく、め、おわ……」
「イツキ……イツキ!?」
途切れ途切れで小さな言葉は、あまりにも聞き取りにくい。
だが、それでもリーナは、しっかりと彼の言おうとしてることが分かった。
日本に侵入した吸血鬼はすべて倒し、その元凶であるパラサイトも倒しきった。――――かつての仲間を「処刑」し、理不尽をもたらした怪物と戦うという彼女の役目は、日本では、終わったのだ。
「は、やく……あめり、もど……いい、よ」
「そんな、こんな時までワタシのことなんか心配しないで!」
リーナの目から流れる涙の勢いが増す。いつきの小さな手を、芸術品のような美しく細い両手で包み、縋り付くように泣き叫ぶ。
いつきは、この状況でも、彼女のことを気にしていた。
リーナは、いつき達の前では、「USNAの責任で侵入した吸血鬼を討伐する」ために交換留学と偽って日本に潜入していることになっている。つまりそれらをすべて倒した今、外国の軍隊がここに残る正当性の全ては失われたのだ。故に、リーナにこれ以上「疑い」がかからないよう、帰国を勧めているのだ。
――きっと、いつきは、リーナの言っていることを真実だとは思っていない。
自分でも、あの嘘は苦しかったと思っている。彼も分かっていただろう。
それでも、リーナを仲間にするために、リーナを役割から解放するために、リーナにこれ以上罪を背負わせないために、いつきはそれを受け入れたのだ。
そして、自身の命が果てようとしているこの瞬間でさえ――リーナの未来を、心配しているのである。
こうしている間にも、いつきの呼吸はどんどん細くなっていき、顔色も悪くなっている。
その命が、今にも尽きようとしている。
幹比古とリーナの手が震える。寒さからではない。大切な人を失うという恐怖だ。
自分たちを守って、ただ一人犠牲になって。
「ねえ、いっくん」
そんな中。
彼と一番長く過ごし、彼を最も大事に思っている、半身のような存在のあずさは――泣いていなかった。
穏やかな声で、まるでまどろむ弟に語り掛けるように、口を開く。
いや、その顔には、しっかりと涙は浮かんでいた。
ただ、穏やかながらもはっきりした声と、その顔に浮かぶ温かな笑顔が、泣いている印象を微塵も与えなかった。
「いっくん、いっくん……いつも、私のことを守ってくれて、ありがとね」
いつきの上半身をゆっくりと支えて起こし、優しく抱きしめる。
思い出すのは、この一年間。
あの春の事件も、秋の戦争も、冬の死闘も。
いつきはずっと、あずさを守ってくれていた。
いや、その時その時だけではない。
ずっと続けてきたパラサイトの研究は――あずさを、守るためのものだった。
大好きな弟は、ずっとずっと、彼女を守り続けてくれたのだ。
それに対して、自分は何か役に立てただろうか。
いつきならきっと、迷いもなく頷いてくれるだろう。実際、あずさの果たした役割もかなり大きい。
それでも、いつきに比べたら――あずさが出来たことは、ずっと小さなこととしか、思えなかった。
自分から、約束したのに。
『いっくんが守ってくれるのはうれしいよ! いっくんは、頼りになって、賢くて、かっこいいんだから!』
いるかもしれない化け物との戦いをすると、いつきが認めたあの日。
『でも! いっくんは、私の、大事な、可愛くて、大切な、弟なんだもん! いっくんが守るだけじゃなくて――――』
感情に任せて叫んだ、あの時。
自分から約束したではないか。
『――――私も、いっくんを守ってあげるからね!』
これでは、約束破りだ。
「お姉ちゃん」として、いっくんに、申し訳がない。
あずさはいつきを解放し、またゆっくりと、冷たい地面に横たえさせる。
すると、そのまま折り重なるように、いつきの上にまたがり、その両手を両手でそれぞれ取って、握る。
瓜二つの姉弟。自分たちでもたまに見分けがつかない、幼い容貌。
二人が感情をぶつけたあの時。
約束を結んだあの時。
その時のように、二人は手と体で重なり合い、お互いの瞳に映る自分がはっきり見える距離で、見つめ合う。
「今、約束を守るから――――ゆっくり、お休み、なさ、い」
そして、あずさは、途切れ途切れの声でそう言い残すと――全身から力が抜け、いつきの小さな身体に、彼女の小さな身体を預ける。
「「すぅ、すぅ……」」
そして二人は、まるでいつもそうしているかのように、穏やかな表情で、寝息を立て始めた。
そう、あずさだけでなく、いつきも。
いつの間にか、彼の幽体から流れ出る精気は止まり、それどころか、かなり減ってはいるが、辛うじて生きられる程度には回復している。
幹比古とリーナは、ただ驚いて、見ているだけしかない。
何が起きたのか、理解できなかった。
そんな、瞬きすら忘れて二人が固まって見つめるのは――
――普段のように、姉弟で一緒に安らかに眠る、いつきとあずさの寝姿であった。
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あと前書きに書いた新作もよろしくお願いします(宣伝おやこあい)